朝日が昇りかけの早朝の時間帯、トリステイン魔法学院の中庭の一画に佇む小さな人影が1つ。
「はっ……はっ……はあ…………」
息も絶え絶えにタバサは日の光に照らされるままにだらんと両腕を力なく下げたまま空を見上げている。
彼女の周辺、綺麗に整えられている筈の美麗な草原は所々が抉られて土が剥き出しになり凹凸が生じている。
その全てがタバサが起こした力によるものであり、それはハルケギニアの貴族の常識、魔法によるものではない。
「……ッ…………!!」
そんな中でもタバサは周りのことなどまるで意に介さずに、下がった腕に力を入れ直してから硬く目を閉じて意識を集中。
突き出された右腕の先の空気が徐々に歪みを強めていき、明確な一つのうねりとして形成されていく。
同時にタバサは脳内でまた別のイメージを投影、全身に力をみなぎらせるように集中させた意識を更に解放していく。
「くっ……!! か……」
だが数秒もしない内にタバサは額を左腕で押さえこみながら小さく呻き、そのままドスンと尻餅を付いてしまう。
呼吸は乱れる一方、額だけでなく全身に汗が付着していてタバサの纏う服の殆どを湿らせている。
何よりも先程から頭痛が鳴りやまない上、全身が高熱を帯びている感覚もある。
このまま根を詰めすぎても逆効果にしかならないだろうと判断したタバサは呼吸を整えてからゆっくりと立ち上がり、PSIの鍛練を終える。
「……PSI……やっぱり私が想っている以上に繊細で、奥が深い」
疲労困憊という様相ではあるがタバサに一切の不快感は無く、寧ろ清々しさすら感じている程だった。
力の覚醒とウラヌスの説明を受けてから早数日、タバサは寝る間も惜しんで只管にPSIの特訓に励んでいた。
大好きな日課だった読書や時には学院の授業をもサボる程であり、それだけタバサは少しでも早くPSIの力を強めていきたいという無限にも等しい願望が根付いている。
元より学院内でも影の薄い存在であった故に、少しくらい姿が見えなくても気にする生徒や教師が殆どいないというのも幸いしていた。
唯一の例外はそれこそキュルケくらいなのだが、ここ数日の自分の不審な行動を問い詰められてもタバサは黙秘を続けている。
ハルケギニアでは未だ自分とウラヌスしか見せていないPSI、その力について公にするのは如何な大切な親友であろうとも易々と明かすべきではないと判断してのこと。
(大まかな形は出来てきている、後は積み重ね……力の同時行使に耐えうるだけの力を身に付けないといけない)
グッと右の拳を握ってタバサは今日までの鍛練のことを思い返してみる。
ウラヌスが見込んだ通り、タバサのPSIの才能は一般的なソレを軽く凌駕する物だったと断言していい。
タバサが自身が時間の大半を費やして鍛錬に当てているということもあるが、それでも僅か数日でバーストもライズも最低限の形で扱えるようにはなっているのだ。
タバサ自身の資質、鍛錬に積み重ねる時間、それ以外にもう1つ、タバサがPSIの力を急速に高めることができた要因としてはこれまでの経験というのも大きい。
PSIは思念の力であり、何をするにもまず明確なイメージを構築して形にしなくてはいけない。それはバースト、ライズ、トランス、どれを使うにしても必要なこと。
荒事や闘いの経験が皆無な一般人と違い、紛れも無くタバサは多くの死地を乗り越えて任務をこなしてきた闇の住人の1人。
バーストに近い系統魔法の扱いは勿論、最適な動きで常に相手の戦況を把握し優位に立ち回らなければいけないという実戦での動き方や判断力がライズにも好影響を与えている。
つまりPSIを使う上で明確な『強くなりたい』というイメージがある程度出来上がっており、後はそれをどう形にして力と成していくかだけなのである。
今のタバサにとっての課題はそれぞれの力をより強くしていくことと、PSIの同時使用に耐えられるようになるということだ。
3つの種類に大別されているPSIであるが、例えばバーストとライズの様に一度に違う種類のPSIを使おうとするとより強い負担が脳にかかってしまう。
現にタバサもこの鍛錬の最中に何度かそれを試みたが、まともに成功したと言えるのは1度だけで後は脳の負担が大きすぎるということでとても実戦で使えるレベルにはなっていない。
自分には魔法という別種の力もあるが、やはり戦闘での選択肢は多いに越したことは無い。
まずはそれを確実に使える様にならなくてはと思うのと同時に、何ら消耗もせずに自分なんかよりも遥かに膨大な力を複数同時に使って見せているウラヌスは、
やはり次元の違う存在なのだということを再認識させられたりもしていたが。
「ライズ……私はセンスの方が使いやすい、バースト……普段使っている魔法の再現、延長線上の物は鍛錬の積み重ねで再現できる、後は……より強力で戦闘に役立つイメージを……」
パンパンと土埃を軽くはたき、近くの木に立てかけておいた杖を手にして歩き出す中でもタバサは口に出しながら常にPSIのことについて考え続ける。
鍛錬の最中にウラヌスから追加事項として説明のあったライズの細かな分類。
運動神経、反射神経といった感覚器官を強化するのがセンス、筋力や脚力といった基礎的な身体のスペックを跳ね上げるのがストレングスと分けられている。
任務の際の自分の姿をベースに、それをより強く研ぎ澄ましていくイメージの下でライズを使っていたタバサが掴んでいた感覚。
自身で口にしたように自分のライズは反応速度や感覚を強めることに趣を置く方が使いやすいということ。
無論、ストレングスが全く使えないというわけではないし、タバサにとってそれが苦というわけではない。
実戦において重要なのは自身のスペック以上に、あらゆる状況を素早く察知し対応していく判断能力。
そういった能力を飛躍的に高められるというだけでも、タバサにとってセンスのライズは非常に重宝する物であった。
バーストについてだがこれもまた自分が使っている系統魔法の再現という形である程度物にしていた。
基本中の基本であるテレキネシスもやっていることはレビテーションとほぼ同じ、それがわかった段階で能力の向上は加速度的に進んでいく。
今し方行おうとしたライズとバーストの並行使用では失敗に終わったものの、単独使用でならエア・ハンマーやジャベリンに近い物は形成できるようになっている。
系統魔法で使用した場合と比較すればまだまだ威力も精度も劣っているが、それもまた時間と共に鍛錬を繰り返していけば十分に解決することだった。
その上でタバサが考えるのがもう1つ、より明確で強力なバーストのイメージを考え出すということ。
杖無しで系統魔法と同じことができるというだけでもタバサからすれば相当に強力なことではあるのだが、彼女はその先を目指している。
王家そのものへの復讐、自分を特別と認めてくれたウラヌスと互角に闘う為には、その程度で満足していてはいけないのだと。
まずは基礎的な力の研鑚が主ではあるものの、ウラヌスの言っていたように最終的な自分のバーストの形を決めておくにも越したことは無い。
「強力……絶対的な力……人間、メイジの枠組みから外れたイメージの形成……それには……」
歩いている途中で目を閉じながらもタバサは歩みを止めずに思考を重ねていく。
自分の二つ名は雪風、荒れ狂う吹雪の如く風と水の系統を組み合わせ冷気を生み出し敵を打ち倒してきた。
ならばメイジとしての自分の最良、最強の力の使い方をベースに何を作り出し、どのように使うべきなのか……
ハルケギニアにおいても最強と呼べる存在……翼人や吸血鬼といった亜人とも違う、幻獣と呼ばれる生物の中でも一般的に最強と呼ばれている……
そう、自分がシャルロットからタバサになるきっかけとなった、最初の強敵……
「精が出ているようだな?」
「……いつここに?」
「ついさっきだ、その前からアンタの鍛練は部屋の窓から見ていたがな。たった数日で大したもんだ」
「そう……」
が、自分の世界に埋没していたタバサが唐突に我に返ったのが自分を呼ぶ一声。
はっと意識を切り替えてみればいつの間にか学院本棟の入り口近くへと来ていた自分のすぐ前に姿を現していたウラヌス。
変わることない冷たい瞳に顔の下半分を隠すロングコートとマフラー、感情の殆ど篭もっていない平坦な口調。
だがそれ故に何の混じり気も無くウラヌスは短い間に力を付けているタバサの成長ぶりを素直に賞賛しており、
それがわかっているタバサも口では素っ気なさそうに返してはいたが、胸の中ではポッと喜びを感じていたりもした。
「……1人でやるにしても、まだ目覚めたばかりだから課題は山ほどある。でも、いずれは頭打ちになるかもしれない。やはり実戦で試す機会も重要」
「先に言っておくがそこまで丹念に面倒を見てやる気も無いぞ。俺の方からはともかく、アンタに頼まれてで付きっきり相手をしてやる気は無い」
「問題ない、そこまで貴方に頼りきりになるわけにもいかない。ううん、力の使い方を詳しく教えてくれただけでも本当に助かっている」
偶発的に生まれた、場合によっては自分と闘うに値するかもしれない同朋。
そうであってもウラヌスは1から10までそこに至るまで面倒を見るようなことはするつもりは無かった。
可能性があるというだけでも十分すぎる存在ではあるが、だからといって必要以上の手解きをしてやる程の思い入れがあるわけでも無い。
タバサにしてもそれはわかっていることであり、より強くなるためには今までと変わらず自分1人の力を主としなければいけないという考えは少しも食わらない。
力の使い方の説明という形で入り口を開けてくれた以上、その先の困難を乗り越えられるかは自分次第なのだからと。
「だがまあ、そういった意味じゃベストなタイミングだったのかもしれないな。俺にはこっちの文字が読めないからまだ確定はしていないが」
「どういうこと?」
「アンタが倒れる少し前に部屋に飛んできたフクロウが持ってきた物、つまりはそういうことだ」
そういったやり取りの後にウラヌスは丁度良かったという感じに懐から一枚の書状を取り出す。
そこに刻まれているのはガリア王家の証明であるサイン……つまりは北花壇警護騎士団七号に対する新たな任務の通達である。
*
首都リュティスを出発した王家の紋章を掲げる一台の煌びやかな馬車がゴトゴトと音を立てて進んでいく。
一般の馬車とは比較にならない広さを持つ内部にいるのは複数の人影。
お付きとなる何人かの待女達に、側近となる年若い男性棋士が1人、そこに加えて端の方に腰を下ろしているのがウラヌス。
だが馬車の奥中心に座る今の王女は影武者、王族衣装に身を包みフェイスチェンジの魔法で顔を変化させているタバサである。
で、王女本人、つまりイザベラはと言えば彼女自身も変装を施した上で待女達の中に潜り込んでいるのである。
「あっはっはっは! 誰も私が王女様なんて思うわけもない! 北花壇騎士団長として相応しい完璧な策じゃないの!」
「………………」
得意げに笑うイザベラではあるがタバサも含めて誰もそれに同意を浮かべる者などいない。
成る程、確かにパッと見の雰囲気でイザベラが本来の王女とわかる者は少ないかもしれない。
だがそれはイザベラの変装が優れているとかそういうわけではなく、有体に言えばイザベラに王女らしさという気品が欠けていることでしかない。
才能ある従妹に嫉妬し常日頃気分で待女達をこき使い忌み嫌われているツリ目のヒステリーな小娘。
王女という絶対的な肩書を取り払ってしまえばイザベラに残るのはそういった類の悪評でしかないのである。
寧ろ、顔こそイザベラの物ではあるが無駄な言葉を発さずに深窓の令嬢の如き儚げなオーラを纏っているタバサの方がよほど王族らしいとさえ言えるだろう。
もちろん、学の足りないイザベラにそんなことが理解できる筈も無く、言ったところで面倒を起こすだけだとわかっている周囲の者たちもそれを口にすることは無かったが。
「痩せっぽちの貧相なアンタじゃ不安だったけど髪の色は王族譲りだからねえ、今回の影武者には最適だったというわけさ」
「…………」
「ま、人形みたいに愛想の無いアンタじゃ精々そうやって黙ってボロを零さないようにするのが関の山だろうけど、多少魔法が上手だからって切れ者の私に嫉妬しないことね」
「……フン」
イヤミったらしくうりうりと影武者のタバサの頬をつつき回しながら、待女に変装していても相変わらずなイザベラ。
任務上の影武者という形ではあるが、自分のお零れでタバサには絶対に着れる筈の無い王族衣装を自分が着させてやっているというシチュエーションに悦に入っているのである。
初対面の時点でイザベラに対する印象は最悪を突き抜けているウラヌスからすれば、イザベラの姿は滑稽極まりない物にしか映っておらず、聞こえないように小さく溜め息を繰り返すばかり。
肝心のタバサもまた、従妹のこの手の嫌がらせはいつものことだとわかっているので無視を決め込んでいるが。
「……貴様、影武者の分際で陛下を愚弄する気か」
と、そんな無視を決め込むタバサの態度を快く思わなかったのか、
タバサの真正面の席に控えていた年若い男性棋士が突如立ち上がり、冷酷な声色と共に杖の切っ先をタバサに向けていた。
「おやめカステルモール、せっかく健気にも王女である私の影武者をさせてやっているんだ、これくらいは見逃しておやり」
「失礼しました姫殿下、ですが影武者とはいえ我らの敬愛する殿下の代役を担う者、だというのに殿下のお言葉を無視するその無礼が許せなかったのです」
「私は、自分が切れ物だなんて思っていない」
怒りの原因を理解したタバサも何の起伏も無い口調で言葉を返していたが、それを聞いてカステルモールと呼ばれた騎士も渋々と引き下がっていた。
バッソ・カステルモール、北花壇騎士団とは違い公の場で功績を上げてガリア王家でも重用される表の世界の住人、3つの騎士団の内の1つ、東薔薇騎士団の団長を務めている。
20代半ばの凛々しい顔つきに立派な髭を蓄え、王女直々の護衛として指名されるだけの実力を持つ容姿、実力ともに一級品のエリート中のエリートと言えよう。
「まあ余裕ぶってられるのも今度こそ今の内だよ、雪風対地下水……精々私の名に恥じない闘いぶりを見せて貰おうじゃないさ」
側近の騎士にまで咎められているタバサの姿を見てイザベラは益々ご満悦といった感じだ。
カステルモールの様な実力者まで引っ張り出しての今回の任務は大雑把に言ってしまえば王女であるイザベラの小旅行のような物。
現在イザベラが向かっているのはアルトーワ伯という貴族が催す園遊会に参加するため。
このアルトーワ伯なる人物、税の支払いの滞りやら降臨祭の不参加やらと怪しい噂が立っているらしく、遂には謀反の疑いまでかかっているのだという。
そんな人物からの誘いとあっては王族暗殺の可能性も捨てきれず、それを考慮した上でのカステルモールの参加と影武者としてのタバサの同行であった。
それだけなともかく、最近になってアルトーワ伯は"
性別年齢一切不詳、地下水の如く不意に現れ他者の命を奪い闇へと戻っていく、他者の心を掌握して確実に命を奪う恐ろしいメイジ。
闇の世界の住人であるタバサも噂だけなら何度も耳にしている相手である。
イザベラからすればそれほどまでに強力なメイジを相手にさせれば今度こそタバサもお終いだという魂胆もあってのことだろう。
(初の実戦相手としては、アンタからすれば申し分ないくらいか?)
(……敵は恐らく強敵、だからこそ、PSIの力を試す意味も大きい)
だがイザベラは気付かない。自身の知らぬ所で魔法とは全く異なる力で会話を行うタバサとウラヌスのことなど。
どんな強力な相手であろうと逃げるわけにはいかない、新しく手にした力と共に自分をより強くするために闘うだけだと普段以上に強い決意を胸に宿している少女のことなど。
*
アルトーワ伯の統治下にある領土の街道にて溢れんばかりの歓声と共に歓迎を受けながら一行はその日の宿場にへと到着する。
宛がわれたそこもまた平民は当然、一般貴族でも到底泊まる事など叶わないであろう上等の宿である。
待女に化けたイザベラは有頂天のまま事情を知る者と共にさっさと別の部屋に引っ込んでしまっているし、
王女お付きの同行者とはいえ名目上は平民扱いのウラヌスも、タバサからは離れた場所に待機している。
影武者とはいえ一応は王女という立場のタバサは、その宿の中でも更に一番高い部屋へと案内されていた。
双月の光が窓から差し込むその部屋の中で、タバサは窓際から外を眺めながら精神集中をしていた。
自分にとってPSIを覚えてからの初めての任務、つまりは実戦。想定される相手はいつもと同じ自分を謀殺する為にぶつけられる強敵。
(油断はしない、今の私に出来る最前を尽くすだけ)
己の心を強く戒めながらタバサは自分の手札を頭の中で念入りに確認していく。
PSIの力を得たといってもまだまだ使い始めたばかりの駆け出し、魔法で言えばドットクラス程度の力しかないだろう。
魔法とPSI、2つの武器を上手く絡めながら驕ることなく全力で敵対する者を倒し、実戦での感触をはっきりさせていくことが重要であると。
「……誰?」
「私だ、カステルモールだ」
その最中で控え目なノックが部屋の中に響き渡る。
タバサの声に答えて姿を現したのは例の年若いエリート騎士であるカステルモール。
普通ならこんな夜更けに何の用だと思うところだが、別段タバサは気にした風も無く無言で中へと招き入れる。
何故ならタバサはずっと昔からカステルモールの真意を知っているからである。
「わたくしに是非護衛を務めさせて頂きたいのです。昼夜問わずしていつ如何なる時であろうと、殿下の盾となる覚悟はできています」
「私は殿下じゃない、ただの影武者、だから気にしないで」
「どれほどの年月が経とうとわたくしが忠誠を誓う殿下は貴方1人ですシャルロット様。東薔薇騎士団一同、それは変わらぬこと。昼間はあの王位簒奪者の愚かしい娘に本意を悟られるまいとして……大変な失礼を働いてしまったと……」
「大丈夫、あれはいつものこと。それに今の私は北花壇警護騎士団七号、それ以上でも以下でもない」
昼間の冷酷な雰囲気から打って変わって恭しく片膝をつき頭を下げたまま語っていくカステルモール。
実の弟を暗殺し王位を無理やり奪い去り、残された家族であるタバサとその母親すらも苦しめ続けている現国王であるジョゼフ。
その愚かな無能王から再び王位を取戻し、亡きオルレアン公シャルルの実娘であるタバサ……いや、シャルロット・エレーヌ・オルレアンに捧げんと息を潜めている者は数多い。
それをわかっていながらもタバサはカステルモールの申し出に感謝をしながらも断りを入れる。
今の自分の立場と動き方次第で多くの人間を不幸に巻き込むことはタバサも望んでいない。
何より、今尚自分と最愛の家族を苦しめ続けている王家への復讐は自分の力で成し遂げなくてはいけないという決意もあってこそ。
「……わかりました。ですがお忘れなきよう、殿下のお声一つで我ら皆、決起の時はいつ如何なる時であろうと……真の王位継承者に変わらぬ忠誠を」
決意の固いタバサの意思を汲んだ上で、カステルモールはそれでも自分たちはタバサの味方だと示し、そっとタバサの右手の甲に接吻をする。
今のタバサが王族衣装を着ているということもあって、正に王女に忠誠を誓う騎士そのものといった姿であった。
伝えるべきを伝えてカステルモールは深々と一礼をした後、タバサのいる寝室から去っていく。
「……ごめんなさい、そしてありがとう」
復讐者として身を落とした今でも、自分の味方をしてくれる者たちは存在している。
そういった者たちに対する申し訳なさと心遣いの嬉しさに、タバサは誰もいない寝室の中で静かに謝罪と礼を述べている。
そこに浮かぶのは無感情な騎士タバサではなく、年相応の少女シャルロットとしての表情であった。
*
時間は更に流れていき、宿の中にいる者たちはタバサも含めて皆が寝静まっている。
街々を照らす光も酒場などの一部を除いて殆どが消えて失せ、爛々と輝く双月の光がより一層強まっている。
「…………」
そんな最中でタバサはベッドの中でパチリと目を覚まし、静かにされど手早くベッドから這い出て杖を片手に立ち上がる。
ほんのわずかな音を立てながらも静かに近づいてくる1人の気配、やがてそれはタバサのいる寝室の前でピタリと止まる。
緊張を高めるタバサの前に、扉を開けて姿を見せたのは今回の任務に同行している大勢の待女の内の1人。
ワゴンを押しながら現れた待女は深夜にも関わらず手慣れた手つきでポットからカップに茶を注いでタバサに手渡す。
「どうぞ」
「……貴方が"
「如何にも。尤もこれは私なりの挨拶みたいなものです。毒を盛るくらいならもっとバレないようにこっそり仕込むのが常識ですから」
受け取ったカップを側の机に置くなりタバサが尋ねるのは僅か一言、待女を装う謎の人物の正体について。
ズバリ言い当てられた形となった待女こと地下水は特に慌てるでもなく、まるで張り付けたかのような不自然な笑みと丁寧な口調を崩さないまま。
「私をさらいに?」
「それが今回仰せつかった仕事ですので」
「依頼主はアルトーワ伯?」
「それはお教えする必要のないこと……ですのでなるべく抵抗しないで頂きたい、殿下の様な高貴な方に傷をつけるのは私としても望ましく――――」
言い切る前にタバサは地下水に知られる前に詠唱を終えて杖の先からエア・カッターを放っていた。
何であれ今回の敵と想定されていた相手がわざわざ出向いてきた以上、自分がやることはそれを倒すことその一点。
常人なら直撃していた筈の風の刃を、地下水は狭い部屋の中で瞬時に右に転がりながら回避。
かわされた風の刃は部屋の床を切り刻み生々しい痕を残す。
「これはこれは流石ガリア王家の血筋をお引きになる者、それに相応しい実力をお持ちのようですね」
未だ笑みを浮かべたまま口を開く地下水のその言葉に純粋な称賛など含まれているわけも無い。
その余裕の態度と今し方の動き、それだけでもタバサは地下水が相当の体術の使い手にして噂通りの実力者であることを見抜いていた。
このまま闇雲に系統魔法で攻撃を続けてもかわされ続けてあっという間に精神力が枯渇するのは目に見えている。
「……ライズ」
「……?」
ならば、敵の体術を上回る速度による攻めを行えばいい。
判断を終えたタバサは遂に実戦において初めてのPSIを解禁する。
雰囲気が変わったことは理解しても、タバサの身に何が起きているのかを理解しきれない地下水が首を傾げる中、
タバサは脳がざわつくのを感じながらライズによる身体能力の向上を開始。
今の自分はそれほど長い時間PSIを維持できるわけではないことも念頭に入れて、その状態で再びエア・カッターを放つ。
その一撃も地下水は左方向に大きく跳び退いてかわしてみせていたのだが、
「ッ……!!」
「なっ……!!」
回避を始めるタイミング、飛び退く距離、着地における隙の時間、地下水の動きが今のタバサには手に取る様にわかる。
センスによって高められた感覚で敵の動きを割り出しつつ、ストレングスによる身体強化による跳躍でタバサは直接地下水の方へと飛びかかっていく。
自身と同じ、それすらも超える人間離れしたタバサの動きに驚愕を浮かべながらも地下水は対応しきれない。
「グっ…………! はっ……、お、思った以上におやりになるようですね……ッ……!」
強化されたタバサによる蹴り、腹に直撃した地下水は部屋の隅に叩きつけられて苦しく呻きながら立ち上がる。
未熟とはいえライズによる体術の一撃、普通の人間相手ならそれで勝負はついているか、少なくともすぐに立ち上がることなどまず不可能。
そうではなくダメージを負いながらも立ち上がっている地下水もやはり普通ではない実力者ということ。
「ではこれならどうです……イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ―――」
素早く地下水が行使するのは魔法の詠唱、次いでタバサは猛烈な睡魔に襲われる。
水属性の系統魔法、対象に深い眠りをもたらすスリープ・クラウド。
(……だけど、これなら……!)
術者と対象の実力差がかけ離れていると失敗することも多い魔法であり、トライアングルのタバサも精神力を犠牲にそれを耐えきることは十分に可能。
だが、タバサは敢えて別の方法を試みて脳内に力を集中、地下水のスリープ・クラウドを跳ね除ける。
ウラヌスが吸血鬼エルザに対して行ったバーストの波動をぶつけることによる精神干渉のシャットアウト。
力の規模は大きく劣れどタバサはそれと同じことをやってみせていた。
「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ――」
もちろん地下水にはそんなことなどわかる筈も無く、単純に力量差で無効化されたとしか思っていない。
続ける様に詠唱を始めるのはタバサも得意とする複数の氷の矢を形成する魔法。
狭い部屋の中でその発動を許せばタバサ程の実力者と言えど無傷では済まない。
「はっ――!!」
「な……あぐっ……! は、早すぎる……ッ……!」
ならば詠唱が終わる前に止めてしまえばいい、単純明快であるがそれが最も確実。
地下水の素早い詠唱を更に上回る速度で、タバサはライズの効果を上げて一瞬の内に地下水に肉薄。
今度はより威力の増した拳を地下水の体にめり込ませ、それで勝負はついていた。
想像以上のタバサの身体能力の高さに地下水は驚愕の表情を張りつかせたまま意識を失い部屋の中で倒れ込んでいた。
「殿下!!」
「イザベラ様!! お怪我は!?」
「大丈夫」
と、その段になって騒ぎを聞きつけた部屋の中に衛士たちがなだれ込んでくる。
すぐさま影武者であるタバサの容体を確認し、傷一つ追っていない姿に一安心しながら衛士たちは襲撃者の方へと近寄っていく。
(……いくらなんでも手ごたえが無さすぎる……彼女が本当に地下水……?)
一方で一戦終えたタバサはまたも自分の世界に陶酔し、今し方の闘いを思い返していく。
使ったPSIはライズが少々、脳に多少の熱が生じているがそれでも戦闘に支障が出るレベルではない。
魔法との組み合わせもそこそこであり、初の実戦としてはまずまずといった戦績だと振り返っている。
だが、そのまずまずという結果こそが一番の疑問、その相手が実力者として名高い地下水だからこそ。
自分のエア・カッターを避ける際の体術や詠唱の早さなどにも目を見張るものがあったが、
それでもタバサからすればPSIの力を考慮しても、ちょっと強い敵、程度にしか思えないレベルの相手だった。
この程度の敵が、裏世界で名を上げていた例の傭兵メイジだとはタバサとしても考え難かったのである。
「待女の分際で殿下を襲うとはどういうつもりだ!!」
「お、襲うだなんて! わ、わたし本当に何も知らないんです! 目が覚めたらいつの間にここに居て……!」
「隊長殿、彼女はナタリーと言います。殿下のお世話をする待女の1人で……」
「だが部屋にいたのは殿下とコイツだけだぞ、一体どうなっている?」
「そ、そんな……わたしが……」
その疑問を解消するかのようにタバサの耳に入ってきたのが衛士たちと地下水とのやり取り。
地下水……そうであった筈の待女、ナタリーは何が起きたのかわからないという風に涙を浮かべておろおろするばかり。
纏っている空気も傭兵などとはとても言えない、一般的な待女のそれでしか無くなっている。
同じように状況が理解できない衛士たちも合わせて、タバサは事前に聞かされていた地下水に関する情報の1つを思い出していた。
『地下水は人の心を操作することに長けた優秀な水の魔法の使い手』であると。
「初戦闘は上手く行ったみたいだな」
「うん、けどこのくらいの相手ならば当然。そして、今回の真の敵はまだ姿を見せていないまま」
「結構なことじゃないか、アンタにとっても俺にとっても、な」
つまり、地下水と名乗り自分を襲ったナタリーは真の地下水に操られていただけ。
そう結論付けたタバサの下にいつの間にかウラヌスが姿を現しており、いつもの口調でタバサとやり取りを交わす。
まだ事件は何の解決もしていない、真の黒幕である本物の地下水を倒さなくてはいけない。
より一層気を引き締めるタバサとその傍らに立つウラヌス、そんな2人の見えない位置に転がり落ちている1本のナイフが鈍い光を放っていた。