夜の闇が晴れ日が昇りまた朝がやってくる。
眩いばかりの晴天、日の光が差し込む部屋のベッドからキュルケはムクリと起き上がる。
「ん~、いい天気、今日もいい日になりそう」
ググッと伸びをしてからベットから降り、壁際のクローゼットから着替えを取り出してテキパキと支度を進めていく。
昨日は何やらいつものように喜劇を繰り広げているルイズとサイトの主従を遠巻きに眺めて楽しんだり、
唾を付けている何人かのボーイフレンドたちと夜のお喋りに興じたりとそこそこ充実した時間を満喫してから寝入っていた。
「そういえば昨日もタバサとウラヌスの姿が見えなかったけど……」
白いブラウスとマントを身に付け愛用の杖を胸元に仕舞い込んだところで思い浮かべるのは親友とその傍らにいつもいる男の顔。
現状、タバサとウラヌス双方の理解を除けばこの2人に最も近しい位置にいるのはキュルケであると断言しても差し支えは無い。
タバサの方の本名含めた詳しい事情についてはウラヌスと共にアルビオンから帰還した後に招かれた彼女の屋敷で聞き知っているし、
故に昨日、一昨日と顔を見れなかったのはまたガリアからの任務に赴いているのだろうかという予測が生まれてくる。
「ま、あたしが一々落ち込んでてもしょうがないわよね」
キュルケは僅かに生じていた後ろ向きな考えをすぐさま払拭してから扉を開けて廊下へと出る。
タバサの抱えるあまりにも大きな闇を知った時はさすがのキュルケも動揺を隠せなかったが、
それでも自分はあの小さな体に大きな物を背負い込んでいる健気な少女とずっと親友でい続けると誓っている。
PSIという異質の力も手にし、ウラヌスという次元違いのパートナーがいる以上、闘いにおいてはあまり役に立てないかもしれないが、
だからこそせめて、すこしでも安らぎになる日常ではずっとタバサのことを気にかけてあげようと決めているのである。
「タバサ、いるかしら?」
そういうわけでキュルケはまたいつものようにタバサの部屋へと赴き、扉をコンコンと控え目にノックする。
幾度か同じことを繰り返してみたものの返事は帰ってこないし誰も姿を現さない。
となればまだ戻って来てないのかな? などと考え仕方なくキュルケは1人で朝食に向かおうとするも、
「…………」
「ってあら、いたんなら返事くらいしなさいよ。おはようタバサ」
そう思ったのとほぼ同時に扉が僅かばかり開かれてその隙間から自分と同じブラウス姿のタバサがジッと顔を覗かせていた。
少々面食らいながらも親友が戻ってきていたことにキュルケは喜び、いつものようにニコリと気の良さそうな笑みを浮かべて挨拶をしていた。
「邪魔、すぐにいなくなって」
「……? はい? あのタバサ、貴方今何を――」
が、お決まりの挨拶に対してタバサがにべも無く返していたのはあまりにも冷たい一言。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー、18年のこれまでの人生の中での2度目の最大級の衝撃だった。
凡百の赤の他人とは違う、硬い友情で結ばれている筈の親友からの容赦ない言葉に思考が一瞬フリーズしてしまう。
「邪魔だと言ったの色ボケ、ここは私とウラヌスの愛の巣、彼が戻ってくるまでに徹底的にピッカピカにしないといけない、だから貴方は邪魔」
「あ、あのー……タバサさん?」
「彼は私のもの……私だけのもの、貴方の様な色ボケには絶対に渡さない」
そしてタバサの口から吐き出されていくのは明らかに目の前のキュルケを邪魔ものとしか認識していない言葉の応酬。
一体何が起こっているのかをまともに認知することも出来ずに、というかキュルケは目の前にいるこの少女は本当にタバサなのか? などという疑念まで出てくる始末。
なんというか怖い、普段の無機質で無感情なそれとも、闘いの時に見せる冷酷な戦士としての表情とも違う、
機械的な両瞳の奥で静かに燃え上がっている憎しみにも近い膨大な感情、今まで自分に向けたことも無い様な負のオーラの塊。
挙げ句彼女はさっき何と言った? 私とウラヌスの愛の巣だの自分だけのものだの……親友とパートナーの仲がまた近づいていたことは数日前の語らいで察していたことだが、
だからといっていきなりこんな爆弾発言をぶちかますような関係では無かった筈だし、何よりタバサがいきなり言う筈も無いような発言である。
尚も容赦なく睨んでいるというより、このまま放っておけば明確な攻撃行動にまで移りそうなタバサの気迫に当てられてキュルケは思考がショートしそうになる。
ガツンッ!!
「……戻ってきてみれば何をやっている、やはりリスク覚悟で同じ部屋にいた方が良かったか?」
「あ、ああ……うん、何が何だかなんだけど、とにかくおはようウラヌス」
その寸前、どうにもならずに外で一夜を明かし部屋の窓から戻ってきていたウラヌスの一撃によってタバサは意識を刈り取られて床へと沈む。
普段の無表情の裏に心底、精神的に参っているという類の感情がありありと見られる彼の姿にますます混乱しそうになるも、
どうにかキュルケはまともな精神状態を維持したまま踏みとどまり、その上でウラヌスにも一応挨拶をしていた。
*
気絶したタバサをベッドの上に放り投げておいてから、とりあえず空腹だったキュルケが朝食を済ませた上で、
朝の授業をサボってまで中庭にはウラヌス含めた数人の人影が今回の異変について話し合いを進めていた。
「にしてもウラヌス、貴方何時の間にあそこまであの子のこと手懐けて――」
「……もう一度言ってみろ、いくらアンタがタバサの友人だろうと少し痛い目を見てもらう」
「ああうん、悪かったからそんなさっきありありな目で見ないでったら」
「でも本当なんですかウラヌスさん? ミス・タバサがいきなり……だ、抱き着いて来てその……」
「冗談だの幻覚だの夢だので済めばよっぽとマシだったんだがな……忌々しいことに全部現実だ」
中庭のテーブルの一角で向かい合うように座っているウラヌスとキュルケに、たまたま通りかかったシエスタもティーポット片手に参加している。
右手で額を押さえてズーンと沈み込んでいるというこれまた珍しい物を目にしながらも、キュルケとシエスタはウラヌスが語る昨日からの出来事に耳を傾けている。
その手の話に耐性があるキュルケはいいにしろ、自身も恋する身ではあれ本質的には初心な生娘でしかないシエスタには少々刺激が強い話でもある。
以前にも述べたが異性同士の恋だのといった感情、素養、その他諸々にはとんと無頓着なウラヌスは別に気にすることなく全てを包み隠さず詳細に話していたのだから。
部屋に戻ってくるなり抱き着かれて濃厚なキスをされたなどと聞かされてはシエスタも恥ずかしげに頬を染めてしまうというもの。
「貴方の言っていることに間違いがないなら、少なくともにん――おっと、遠出の帰りの時には何も無かったのよね?」
「そこは間違いない、少なくとも俺が見る限りタバサの精神に何か異常があるようにも思えなかったからな」
「となると、学院に到着してから部屋に駆け出すまでの間に何かがあったと」
シエスタも側にいる手前、微妙に言葉を濁してからウラヌスに事の詳細を確認し直していくキュルケ。
その場にいる3人全員とも、まさか今のタバサが正気であのような状態にあるなどとは全く考えていない。
大なり小なり差はあれど、彼女の人となりとウラヌスの関係を知っているからこその断定。
故に必然的に考えるのは何か人為的な作用によって今のタバサはおかしくなっているこということ、ではその原因は何なのかという推測である。
「いきなり人が変わったように好きって言い出す……あ、もしかしたら」
「何か思い当たる節でもあるのか?」
「はい、原因はメイジの方がお作りになる秘薬かもしれないって。心の在り方を作り変えてしまう魔法の薬……もしかしたらミス・タバサはそのような物を口にしてしまったのではないかと?」
「ああー……あたしも聞いたことがあるわ、それでビンゴなら間違いなく惚れ薬とかその類の物ね」
唐突に新たな予測を打ち立てるシエスタの言葉に、キュルケは合点がいったという風にポンと手を打っていた。
水メイジの作る精神に作用する秘薬によってトラブルが起きた例など、ハルケギニアでは枚挙に暇が無いと言ってもいい。
まして、色恋沙汰にお熱なキュルケには嫌がらせや相手からのアプローチ等ひっくるめて、実際に自分がその当事者に成りかけた例もいくつかあるくらいなのだから。
「……仮にその通りだとしてだ、アンタのCUREで治療はできるか?」
「いえその、無理だと思います……私のCUREは体の傷と簡単な病気の治療が精々で……水の魔法の秘薬による精神的なものには……」
「そうか、まあいい聞いてみただけだ、落ち込むことは無い」
「すみません……お役にたてなくて……」
ウラヌスとしてはふと思い立った何てことない確認程度でしかなかったが、それでも生真面目なシエスタは自身の不足を恥じてペコペコと頭を下げてしまう。
高度なCURE使いならば重病や猛毒、果ては呪いなどといった物に対する治療も可能とするが、生憎シエスタのPSIのレベルはそこまで優秀ではないらしい。
「ともあれその過程で話を進めるにしても、じゃあどこでそれを盛られたってことよ。ウラヌス、タバサの様子が変容する前にあの子、何か口にしたりしなかった?」
「そういえば途中でたまたま捨てられそうになっていたワインを飲んではいたが……待て、その時側にメイジもいたな。あの金髪のガキと一緒にもう1人、巻き毛の小娘が」
「ギーシュと一緒にいる巻き毛……あーはいはい、成る程ねえ、ぜーんぶ納得いったわ」
「……一応聞いておくが、秘薬というのは水系統のメイジが作るもの、それでアンタはその小娘の得意系統も知っているのか?」
「貴方の想像通りよウラヌス、その子、モンモランシーは水属性のドットメイジ、二つ名は『香水』 秘薬やポーション作りを主にしているのよ」
「……そうか」
が、ウラヌスが自分で語っている最中に気付いてしまった不自然なポイント。
つられて更に表情を一変させるキュルケとの会話で次々に浮かび上がり積み立てられていく今回の容疑者と原因に関する推察。
モンモランシーという秘薬作りがメインの水メイジが捨てようとしていたワインをタバサが口にした。
それだけでもう、証拠が無いにも関わらず芋づる式の如く全てがわかってしまったも同然な状態だったのだ。
加えてキュルケはモンモランシーとその時近くにいたギーシュの関係をより詳しく知っているだけに余計にである。
「は、はい? ミス・ツェルプストーもウラヌスさんも犯人がおわかりに?」
「ええもうバッチリね、そういうわけだから後よろしくねシエスタ」
「は、はあ」
唯一話の流れをあまり上手く飲み込めてなかったシエスタはキョトンとしてしまうも、
キュルケはウラヌスと共に席を立ち、シエスタに一言礼を述べてからスタスタと学院本棟の方へと歩いていった。
*
場所は変わって学院女子寮、モンモランシーの自室。
ベッドやテーブルといった日常生活家具と共に複数の魔法瓶やら大鍋やら壺やらが並ぶその場所にいるのは現在4人。
件の最有力容疑者である正座状態のモンモランシーと彼女を見下ろすキュルケにウラヌス、そして傍らにはあわあわと慌てている成り行きで付いてきたギーシュ。
「……はぁ~成る程ねえ、ようはギーシュの浮気癖に耐えかねなくてそんな物を作ったと」
「全く傍迷惑にも程がある話だ、何故俺とタバサがこんな心底どうでもいい珍事に巻き込まれなくてはならない」
「うっ……だ、だってしょうがなかったんだもの!!」
連行されてからずっと正座のしっぱなしでいい具合に足が痺れてきているモンモランシーではあるが、今の彼女にとってそんなことは認識外、本当に些末なことでしかなかった。
朝起きてから周りの学生たちにひそひそ話をされてしまうくらいにずっと挙動不審だった彼女と、そんな元恋人を心配して付いて回り慰めの言葉をかけていたギーシュ。
哀れキュルケとウラヌスが中庭から戻ってきたところで鉢合わせになってしまい、有無を言わさず2人の凄みを効かせた言葉に恐怖して素直に従い洗いざらい全てを白状していたのだった。
「そ、そもそも勝手にワインを飲んだのはタバサよ! それを私が全部悪いみたいに貴方達は――」
「黙れ、それ以上ふざけたことを抜かすなら本気で潰すぞ?」
どうにか気持ちを奮い立たせて反撃してみたところで直後にウラヌスに怒りの篭もった視線を向けられてしまっては、ひっとビクついて黙るしかなくなる。
どうどうと嗜めるキュルケに怯えるモンモランシーを元気づけようとするギーシュ、部屋の中はどうにも奇妙な空気が流れるばかり。
「これだから自分の魅力に自信の無い女って嫌なのよ、恋人を引き留めたいなら自分の魅力を磨けばいいだけなのに、わざわざ出費重ねて薬の力に頼ろうだなんて、おまけにその被害をあたしの親友が被ってるとなればねえ?」
「同感だな。一時凌ぎ同然の代物に縋ること自体は別にどうでもいい。が、己を磨く以前にそれのみに頼ろうとするなど弱者の逃げとしか言いようがない」
呆れ半分、怒り半分といった様相で共にキュルケとウラヌスはモンモランシーに言いたい放題言いまくっている始末。
貴族としての誇りと礼節を重んじるトリステインとは違う、情熱的で解放感に溢れるゲルマニアの出身であるという違いは大きいが、
それでもキュルケは遊びだろうと本気の恋だろうと、『微熱』の二つ名に恥じず己自身を武器として全力で取り組むことを信条としている。
異性を振り向かせるなら自分自身の魅力でアプローチをすればいいだけだし、足りないのならそれを磨くなりあの手この手でやり方を変えるなりすればいい。
だどいうのにそういった試みをせずに最初から惚れ薬の力に頼りきり、言ってしまえば逃げに走っているモンモランシーの姿はキュルケからすれば酷く滑稽なものにしか見えなかったのである。
隣にいるウラヌスも方向こそ違えど、己自身を高め磨いていくという在り方はキュルケと共通していることであるし、
故にそれをせずにその場凌ぎの品に頼ろうとし、しかもそのとばっちりを自分にとっての特別なパートナーが受けてしまっているとあってはたまったものではない。
「……お前を詰った所で解決しないのも事実だ、タバサが飲んだ惚れ薬、あれの効力はどのくらいだ?」
「わ、わかんないわよ……1週間か、1ヶ月……もしかしたら1年以上ってことも……」
「効力期間の見通しもしないで使うつもりだったの? 見切り発車にも程があるわねえ」
「そ、そんなものを僕に飲ませようとしていたのかいモンモランシー……」
ともあれモンモランシーの事情だの内心だのについていつまでもネチネチ言っている場合ではないとウラヌスは頭を切り替える。
その直後の問いに答えたモンモランシーにキュルケは更に呆れを強めるばかりであるし、側で成り行きを見守っているギーシュもモンモランシーの愛の重さに少々悩みを見せ始めているようだ。
「ふざけたことを抜かすな、だというならすぐにでも解毒薬を渡せ」
「そんなの作ってないわよ……そ、それに作るにしても材料は惚れ薬を作るときに使い切っちゃったしそれを買い直す為のお金も……」
「ならあたしが工面するわよ。流石にあんな状態のあの子を放置しておくわけにもいかないし、元はアンタの所為なんだから」
「で、でも、もしかしたら――」
「……選ばせてやる、大人しく解毒薬を作るかこの場で死ぬか、どっちがいい?」
「ひえっ……」
当事者であるという自覚が薄いのか、言い訳を重ねようと口をどもらせるモンモランシーにウラヌスが一歩前へと出てくる。
有無を言わさないプレッシャーと右腕に形成した冷気を撒き散らす氷の銃の先端を向けて脅しをかけていた。
キュルケも言うようにウラヌスとしてもあそこまで変容してしまったパートナーをそのままにしておくつもりなど毛頭ない。
で、最短の解決手段を持つであろう相手が渋っているともなればこのような行動に出てしまうのもある種仕方ないと言える。
「や、やめたまえウラヌス!! いくら君でもモンモランシーを傷つけるというなら僕が黙っちゃいないぞ!!」
「はいはい、気持ちはわかるけど落ち着きなさいな。この子をどうこうしてもタバサの回復が早まるわけでも無いんだから」
「……キュルケ、何で君はそんなに落ち着いているんだね?」
「そりゃまあ、慌ててもどうにもならないし、それに彼と一緒にいる時間もそこそこ増えてきてるしね」
恋人のピンチを前に格の違いすぎる相手の怒気を受けて、口ではカッコいいことを言いながらも両膝はガクガク震えっぱなしなギーシュであるが、
対照的にキュルケはポンポンとウラヌスの背中を叩いて平然と彼のことを宥めていた。
ギーシュもわざわざ口に出してしまうような光景であるが、自分で言ったようにキュルケもウラヌスの放つプレッシャーや怒りに少しずつ順応してきている。
言ってしまえばウラヌスに慣れてきている言っても良い。
「わ、わかったわかったから!! 調合するから乱暴はやめてよ!!」
「最初から素直にそう言えばいい、で、期間はどのくらいだ?」
「ざ、材料の購入も合わせればどんなに早くても2日……こればっかりは勘弁して、本当に!!」
「……つまり、最低2日はタバサはあの状態のままということか」
「気持ちは痛いほどわかるけどこればっかりはしょうがないわよウラヌス」
またしても右手で額を落としてガックリと肩を落とすウラヌスを、キュルケは尚も肩を叩いて慰めていた。
水の秘薬、ポーションというものは例え簡単なものであっても杖を一振りしてはい出来上がりなどという具合に容易に作れるものではない。
まして今回の惚れ薬は法で使用を制限されるほどの禁制の秘薬、その解毒薬を調合するとなれば相応の時間が必要となる。
ウラヌスも内心では理解しつつも、この後に待っているだろう面倒を考えると落ち込まずにはいられなかったのだ。
*
未だ憂鬱な気分が晴れぬまま、ウラヌスは1人タバサのいるであろう彼女の自室の前へと戻ってきていた。
「何かあったらすぐに呼んで頂戴ね」と、一応の協力を約束してはくれたものの、キュルケはモンモランシーと共に材料の買い出しに向かってしまっている。
一々付きっきりにさせてしまうというのはウラヌスとしても望むところでは無かったのだが、それでもどうにもというやつである。
何せ惚れてるだの何だの以前に、今のタバサの状況そのものが自分にとっても、恐らく彼女にとっても腹立たしく胸糞の悪くなることでしかないのだから。
「待ってた」
「…………」
尤も、そういった思考のあれこれが彼方に吹き飛んでしまう様な光景がウラヌスの眼前には広がっていたわけであって。
相も変わらず熱っぽい瞳で見上げてくるタバサの姿は想定通りだったが、それ以外の何もかもがおかしすぎる。
部屋の中央の机の上で濛々と甘ったるい煙を吐き出しているお香に、女性らしさとは縁の無かった部屋の煌びやかともけばけばしいとも言える内装。
だがそれ以上に不自然極まりないのはタバサの格好、普段のブラウス姿でも就寝の際に用いる寝間着でも無く、その下に普段身に付けている薄桃色のシュミーズ一枚しか着てないのだ。
「……1人は寂しかった、だからずっと一緒にいてほしい」
「ああそうか」
「朝も昼も夜も、この世の終わりが来る時も、付かず離れず私の側でこうしていてほしいの……」
「断る、アンタにとっても俺にとってもどう考えたって不便極まりないだろう」
「……私のこと、嫌いになったのウラヌス……? あのデカ乳色ボケ女や地味なそばかす田舎メイドの方が好きなの……?」
「いつ誰がそんなことを言った」
トトトと歩み寄って来てピッタリと体を摺り寄せるタバサの姿は盛りの付いた猫の様でもある。
満面の笑みに朱色の頬、しゅんと表情を沈ませたり親しい人物をボロクソに言ったりと、どれもこれもが普段の彼女からは絶対に想像できない姿である。
これがまあ、同じくらいの年頃の色恋沙汰にもある程度敏感な健全青少年とかだったら、間違いの1つくらい起きても不思議ではないシチュエーション。
どこぞの公爵家三女と同じく凹凸に乏しいなだらかな体型であるとはいえ、紛れも無くタバサも1人の年頃の女。
顔立ちは十分に美人といえる物であるし、スラリとした肢体と陶磁器の様に美しい綺麗な肌は、世の男たちの欲望を実に掻き立てるもの。
そんな少女に好意を含んだ潤んだ視線で見上げられて熱烈にアタックされたとあってはまともな理性を保つ方が難しいかもしれない。
「いいから離れていろ、少なくとも今のアンタに何かをする気など俺には少しもありはしない」
「私の魅力が足りないから……?」
「……惚れ薬にはあらぬ妄想を膨らませる効能でも含まれているのか……? あのガキめ……」
しかし悲しいかな、何度も言っているようにウラヌスは自分含めた人間の異性恋愛などという物にはこれっぽちも興味が無い。
というより人間の三大欲求の1つである性欲に対する執着が極端に薄まっているとも言える。
そもそも世界崩壊前、崩壊後を共に考えてもグラナを追っている頃は女性とお付き合いなどできる筈も考えることもまるで無かったのだし、
星将になってから接触機会のあったまともな女性など、同じW.I.S.Eの幹部格であるカプリコくらいしかいなかった。
そもそもそのカプリコもウラヌスとは相当に歳が離れている世間の常識からかけ離れすぎている少女であったし、
しかも彼女には既にジュナスという相思相愛のパートナーまでいた以上、恋愛の対象になることなどこれまた天地がひっくり返ってもありはしない。
結局のところ、ウラヌスにどれだけそういう方面でアプローチをしたところで彼が靡くことなど絶対にありえないことでしかない。
「アンタのことが特別なのは今も変わらん、だが惚れ薬で正気を失っている今のアンタを変に気にかけた所で何の得にもならないというだけだ」
「惚れ薬なんて飲んでない、私は正気、私の本心、貴方が1人の男性として好き。これ以上ないほど愛おしい……!」
「……チッ……」
ウラヌスの右腕を自身の両手でガッチリホールド、熱の篭もった口調と共にすりすりと頭を擦りつけてくるタバサ。
羞恥心など知ったことかな、世の多くの男性が嫉妬心を膨らませるだろうあまりにも羨ましすぎるシチュエーション。
だというのにウラヌスは逆に不快感を増していく一方であり、それどころか容赦なく舌打ちまでしている始末である。
「薬だとか私がおかしいだとかそんなことどうでもいい、ウラヌス……貴方には私だけを見ていてほしい、他の人間、生物なんて気にしないでずっとずっと私だけのことを見つめていてほしい……」
「……というより、今のアンタから目を離したらそれはそれで面倒になりそうだからな……とにかくわかったから寝てろ、事が片付くまでこの状態では俺も非常に迷惑だ」
「何を言っているの? 2人の時間はこれから……私とウラヌスで甘くて濃密な一時を……」
「……俺のことを本当に愛しているとほざくなら俺の言う通りさっさと離れて寝ろ、でないと金輪際アンタと口を利かないしアンタを視界にも入れない」
「……!! (ブンブンブンブン)」
遂には殺気まで混じってるんじゃないかと言っても差し支えない、恐ろしい形相でタバサに警告するウラヌス。
惚れ薬の魔力にまで勝るということなのか、タバサもウラヌスの本気さを察したようで残像が見えるくらいの速度で首を何度も上下に振ってササっとウラヌスから体を離していた。
ウラヌスの怒りを感じてというよりは、口を利かないし視界にも入れないという言葉の内容が応えたといった感じではあるが。
「じゃあ、おやすみのキスを……」
「…………」
「んぅ……」
それでもここぞとばかりにタバサは食い下がってきて、目を閉じたままスッと唇を突きだしてくる。
雪の様に白い肌が熟れたリンゴの様に紅く染まっており、甘い猫なで声でおねだりをしてくる少女の姿は何と愛くるしいことか。
大抵の健全な青少年ならばあっという間に理性のタガが外れて、キスだけでは済まない事態となっていただろう。
もちろん今の状態のタバサからしてみれば、目の前のウラヌスならばそういうことになっても構わないどころか寧ろドンと来いだったのだが。
「……ああいいだろう、心地良い眠りにつかせてやる」
当然、ウラヌスにそんな物が通じる筈も無く、諦めた彼による後頭部の手刀を喰らって再び仰向けでベッドに倒れ込んでいた。
それすらも何故かタバサはにへらーといった感じの笑みを浮かべて幸せそうにしている始末だった。
「恋というのはこういうことを言うのか……? だとするならうっとしい以外の何物でもないぞ……」
漸く大人しくなったタバサを前にして、ウラヌスは精神的な疲れがどっと襲ってきていたのを感じていた。
本音を言えば例え正気でなくともタバサが特別な存在であることは何も変わらないし、強引な手段に打って出るのはあまり好ましいことではない。
だとしてもこのまま口だけでは状況が好転するどころか悪化する一方だったので仕方なくなのである。
惚れ薬という偽りの感情ではあるものの、これが知識上だけでは知っている恋という感情なのかとウラヌスは頭を悩ませる。
こんな心底息苦しく不快な想いばかりなのなら自分には一生縁のないことだろうと。
モンモランシーの作った惚れ薬がかなり強力でであり相当に極端な方向に振り切っているので少々明後日の方向な認識の勘違いでもあるが、
「……タバサ、アンタが母親に抱いているのもこれに近い感情なのか?」
だがそんなことよりもよほど重要な感情がもう1つ、今までとは違う落ち着いた口調でぽつりと呟かれたウラヌスの一言。
水の秘薬で精神を操作され正気を失うという今の状況、それはウラヌスも知っているタバサの母親が受けていることと同じだということをずっと思い返しているのである。
惚れ薬ではまた趣が違うかもしれないが、それでも根本的な部分では今の自分と今までのタバサは同じなのだろうという事実。
「どの世界でも、人間が考えることは一緒、か」
そういった事を抜きにしてもウラヌスは自身の過去のことと重ね合わせてもいた。
嘗ての所属組織W.I.S.Eのメンバーたちはその大きすぎる力故に世間から疎まれ排斥されそうになり、反逆を決意した者たちの集団。
そしてその半分近くはグリゴリという非人道的な研究組織の実験体という過去を持つ者たち。
ただ力を搾取する為だけに実験動物としてこき使われ、逆らおうとすれば苦痛と共に精神を蝕まれるだけ。
つまり「自分の意志とは無関係に精神を弄繰り回される」という意味合いでも、今のタバサと共通している。
ウラヌス自身も実験体の1人として鎖を繋がれ、機関崩壊後も政府の狗として心を支配されたままの時期もあった。
それら全てを統合して、惚れ薬で本人の意図しないところで自分にあらぬ感情を向けてきているタバサの姿という物が、
ウラヌスにとっては彼女の的外れなアタック以上に不快感を与えることでしかなかったのである。
「……忌々しい」
抱いたところでどうにもならない不快感であるという自覚はあれど、それでも割り切ることのできない感情でもある。
二度目の舌打ちをしてウラヌスは気絶からそのまま眠りに入ったタバサのことをジッと見つめていた。