雪風と氷碧眼《ディープフリーズ》   作:LR-8717-FA

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CALL.35 "精霊、警告"

 モンモランシーが惚れ薬の解毒薬の調合を始めてから明けて翌日、

 まだ日が昇りきっていない時間帯から一行は計3頭の馬を引っ張り出してとある場所へとやってきていた。

 

「これが噂に聞いたラグドリアン湖か! いやはや何とも神秘的で綺麗な場所じゃあないか、うむ!!」

「ホントねー、こういう面倒事抜きで一度来てみたかったものだわ」

 

 丘から見下ろせる青々と広がる、陽の光を浴びてキラキラと美しく湖面を輝かせているトリステインとガリアの国境沿い、

 タバサことシャルロットの実家、オルレアン家の邸宅の領地内にあるラグドリアン湖。

 それぞれ感嘆の声を上げているギーシュとキュルケも含めて彼らがここへと来ていた理由は解毒薬の材料調達のため。

 

「あんなにはしゃいじゃってみっともないったら……やっぱり付き合い方考えた方がいいのかしら……?」

「お前とアイツの付き合い方なんぞ今はどうでもいい、そんなことよりわかっているだろうな?」

「う、うるさいわね……こっちにだって手順って物があるんだから……私だってまだ死にたくないし、精一杯やるわよ」

「まあ、お前が失敗したらその精霊とやらを真正面から捻じ伏せる必要があるわけだが……」

「馬鹿じゃないの? 水の精霊相手に平民なんかが敵うわけないじゃないの」

 

 左腕にタバサがピッタリ寄り添っていながら心底不機嫌だという表情を隠そうともしないウラヌス。

 その物言いにモンモランシーが呆れを見せてしまうのも、この場にいるものの中で唯一ウラヌスの実力を明確に知らないからこそと言える。

 惚れ薬の材料でもあった水の精霊の涙、キュルケの監視の下で材料の購入を進めていたモンモランシーであったがそれだけは売り切れしまっており手に入らなかった。

 ラグドリアン湖で異常があったことも加えて入荷が絶望的とも言われてしまい、要の材料が欠けては解除薬を作ることが出来ない。

 当然、じゃあ諦めますなどということになる筈も無く、一行は直接水の精霊とコンタクトを取り涙を入手すべく動いていた。

 

「……やっぱり、私ってそんなに魅力が無いの?」

「今の会話のどこをどう捉えればそういう発想に行き着くと言うんだ」

「だって……今日はまだウラヌスとは62回しか会話してない……なのに、私じゃない子と目の前でお話しするなんて……」

 

 で、1人置いてきたら何を仕出かすかわからないという理由で同行させていたタバサであるが、惚れ薬の効果は依然効き続けており相変わらずである。

 左腕をガッチリホールドしたままウルウルと瞳を震わせて頬を染めながら見上げてくるという、世の一般男性の大半から見れば反則級のリアクション。

 そうだとしてもウラヌスからしてみれば単に正気を失い愚行を繰り返しているだけ程度にしか映っておらず悩みの種でしかない。

 傍らにいるモンモランシーも、少し離れた位置で見ているキュルケとギーシュも状況が状況なだけに素直に羨ましいとか思えるわけでも無い。

 そもそもここに来るまでの道中でさえ、何かにつけてタバサはウラヌスと会話をしようとペラペラと口を動かす一方。

 周囲の者が少しでも割り込もうとすれば、すぐさま敵意むんむんの瞳で威嚇されてしまう始末。

 学院内では無口で影の薄い人形の様な少女として知れ渡っているタバサの今の姿は、惚れ薬の強力さと異常性を物語っているとも言える。

 

「今は忙しいんだ、用が済めばいくらでも話してやるから大人しくしていろ」

「……じゃあキス、キスして……私のこと、特別って思ってくれているなら……そしたらウラヌスの言うとおりにしてる……」

「…………」

「ね、お願い……」

 

 何で自分がこんなことに巻き込まれていると、ウラヌスは何度目になるかもわからない自問自答を内心で繰り返すばかりであった。

 あらぬ好意を向けているということや秘薬という外的要因で精神を作り変えられているという不快感。

 そういった全ての事象を統合した上で、ウラヌスにとって今のタバサはとても見ていられる物ではないというのが率直な気持ちである。

 関わりの薄い有象無象ならまだ良かったのかもしれないが、この世界においての唯一の特別な相手ということが余計に事態をややこしくしている。

 

「仕方がない……」

 

 故に、何度も同じように強引な手段に打って出て黙らせるというのも気が退けると判断した渋々ながらのウラヌスの対応。

 殴って元に戻せるならタバサ相手でも少々手荒にいくことも吝かではないのだが、生憎事はそんなに単純ではない。

 これもタバサを正気に戻す為の最短手段として必要な浪費だと機械的に割り切りながらウラヌスはタバサに顔を近づけていくのだが、

 

「グ…………! むぅ……!?」

「んんっ……ふぅ……」

「うわあ……タバサ、いくら惚れ薬の効力があるからってそれは……」

「ぐ、ぐぬぬ……見せつけてくれるではないか……!」

「……つまり、ギーシュに飲ませてたら私がああなったってことでもあって……うーん……」

 

 ここぞとばかりにぱあっと笑顔を見せると同時、熟練のメイジも真っ青のスピードでタバサはウラヌスと顔を密着させる。

 目を見開きながらされるがままのウラヌスの唇をねっとりじっくり吸い尽くす様に味わい恍惚の表情を浮かべているタバサ。

 野次馬同然にその様をじっくり観察しているモンモランシー、ギーシュ、そして恋多き身であるキュルケですら親友のあまりの熱烈なディープキスに頬を染めてしまっていた。

 

「ぷあっ……」

 

 やがて口を離したタバサとウラヌスを繋ぐ1本の白い糸が、直前までの行為の濃密さをまじまじと語っているようだった。

 満面の笑みで充足感に浸りつつ、ウラヌスの言いつけを守ってちょこんと口を閉じて大人しくしているタバサであったが、

 対照的にウラヌスは精神的な苦痛が益々増していくのを内に溜め込みながら、口元を右腕のロングコートの袖でゴシゴシと拭っていた。

 ウラヌスからしてみれば周りの者に見られている羞恥心など欠片も無く、単純に自分自身の不快感の大小如何こそが最も重要であったり。

 

「……さっさと、精霊を呼べ」

「ひゃう!? わ、わかったわよ!!」

 

 それでもって八つ当たり同然に……いや、そもそも惚れ薬を作った本人相手なのだからある意味で正当な怒りなのかもしれないが、

 ともかくウラヌスがタバサからのキスの不快感をそのまま怒りとしてぶつけてきたのだから、モンモランシーとしてもビクンと体を震わせてしまう。

 早急に水の精霊を呼び出す準備を整えるためにラグドリアン湖の湖面へと向かって駆け出していく。

 

「……妙ね、水位が変わってしまっているのかしら、ラグドリアン湖の岸辺はもう少し向こうだと思っていたのだけど」

「ん……ああ、そう言えば確かにあそこの家、微妙に水面に浸かっているようにも見えるわね」

 

 水面に僅かに指を差し入れながら首を傾げるモンモランシーに、後れてやってきた4人の内、キュルケが遠方を見やりながらぽつりと呟く。

 確かによくよく見てみると、少し距離を置いた先に見える藁葺屋根の家々の下5分の1程が湖の水面に触れてしまっているのがわかる。

 つまりそれは湖面付近の集落が、本来よりも増してしまった湖の水嵩に飲まれつつあるということの証明でもある。

 

「水の精霊は恐らくお怒りなのね……困ったわ、上手く交渉がいかなくなるとまずいんだけど……」

「へー、流石に元交渉役というだけあってそういうのには目聡いのね」

「も、元は余計よ元は!!」

「事実じゃない」

 

 一々実家関係の古傷を抉ってくることにモンモランシーは怒鳴り散らしていたが、それを言ったキュルケは涼しい顔をしている。

 モンモランシ家の没落の最初のきっかけとなったのが、水の精霊との交渉役という大任を降ろされてしまったということ。

 領地干拓の為に精霊の力を借りようとしたまではいい物の、モンモランシーの父親がよりにもよって精霊相手に『床が濡れる』などと文句を言った物だから、

 プライドの高い水の精霊の機嫌を損ねてしまい、その失態を追及されてという流れであった。

 といってもキュルケが指摘したように、今は解任されているとはいえ代々交渉役を務めてきたノウハウがある故に、その娘であるモンモランシーもその辺りの知識と経験はそれなりに豊富なのである。

 だからこそ、水位の上昇を踏まえて水の精霊が現在、あまりよろしくない状態にあるということに一抹の不安をを覚えていたのだ。

 

「……でも、試す前から文句を言ってもしょうがないわよね……ロビン、出てきて」

 

 下手なことを言えば背後の平民に何されるかわからないし、などと心内で愚痴りながらもモンモランシーは腰に下げた袋から自身の使い魔を取り出す。

 黄色い体色にいくつもの黒い斑点模様が刻まれている小さなカエル、モンモランシーのパートナーであるロビン。

 

「また随分と毒々しい色の使い魔ねえ」

「一々余計なこと言わないでよキュルケ! 私の大事な使い魔なんだから!」

「そうだぞ! モンモランシーの愛でる使い魔なんだ、とても可愛くて魅力的だ!」

「あんたは黙ってて」

 

 にべもなくピシャリと言い放たれて軽くショック受けているギーシュの事などモンモランシーお構いなしである。

 彼女からすれば他のメイジと同じように生涯を共にする大切なパートナーであるが、キュルケの指摘通り客観的に見れば黒いイボイボのカエルというのはあまりよろしくない見た目なのかもしれない。

 尤も、話が脱線するがファンタジーそのものな世界であるハルケギニアにはそれこそ常人の理解を超えた化け物染みた外観の生物が多く存在しているため、

 そういった類の使い魔に比べればカエルという一般的な生物というだけでもまだいい方なのだが。

 

「あなたの古いお友達と話をさせてもらいたいの、旧き水の精霊を探し出して盟約の持ち主の1人が会いたがっていると伝えて」

 

 ポケットから取り出した針を指先に突き刺し、そこから垂れた一滴の血をロビンに与えた上でモンモランシーは命ずる。

 ぴょこりと一度頷いた上でロビンは水の中へと潜っていき、それを見届けてからモンモランシーは指先の傷を魔法で治療する。

 そして数分程経過した頃だろうか、一行が立つ岸辺から30メートル程離れた湖の水面が突如として眩いばかりの光を放ち始める。

 

「おお! なんだなんだ!?」

「精霊と言うだけはあるということか」

 

 みっともなく慌てふためいているギーシュを他所に、相も変わらずタバサに密着されたままウラヌスは眼前の変容を観察している。

 盛り上がった水面から浮かび上がった水の塊が、透明の手にこねくり回されているかのようにウネウネとせわしなく形を変えている。

 陽光を浴びてキラキラと光り輝くそれは一見美麗にも見えるし、悪い言い方をすれば巨大なアメーバのように不気味にも見える。

 ウラヌスとしては外見の変化などよりも、その水の塊が内包している膨大な魔力の方に注目しているといった感じである。

 人間の理を遥かに超越した存在である精霊は、それそのものが純粋な力の塊と言っても差し支えないのだから。

 

「私はモンモランシー・マルガリタ・ラフェール・ド・モンモランシ、水の使い手、旧き盟約の一員の家系、与えた血の一滴に覚えがあるのなら私達にわかるやり方で返事をしてちょうだい」

 

 ピョンピョン飛び跳ねながら戻ってきたロビンを撫でてから、モンモランシーはその水の塊、つまりは水の精霊との交渉を開始する。

 モンモランシーの言葉を受けた水の精霊はその動きを更に激しくさせていき、やがてそれが収まった時にある一定の形を取っていた。

 

「何と美しい……」

「へえ、成る程。まああたしの方が綺麗かもしれないけどね」

 

 感極まったように感動しているギーシュに変な所で張り合っているキュルケなど思い思いの感想を述べている他の者は他所に、

 一糸纏わぬ無表情のモンモランシーという姿形を象った水の精霊はやがて静かに口を開いて彼女の言葉に答える。 

 

「覚えている単なる者よ、貴様の体を流れる液体と同じ物を、それを最後に感じてから月が52回交差した」

「良かった、水の精霊、厚かましいかもしれないけど貴方の体の一部を分けてほしいのだけど」

 

 口調は普段通りながら、込められる感情は慎重そのものなモンモランシー。

 解毒薬の調合に必要な水の精霊の涙、それは文字通りの意味の品ではなく水の精霊の力が込められた、云わば精霊自身の一部分とも言うべき物。

 そういう意味を込めての体の一部を分けてほしいという懇願である。

 それを聞いた水の精霊は暫しの沈黙を挟んだ後、能面のような無表情をニッコリと笑顔に変えてから言葉を発する。

 

「断る」

「……ええ、そりゃそうよねー、そういうわけだから――」

「このままむざむざ帰るとでもほざくのか?」

「ちょ、言葉を選びなさいよ!! 水の精霊を怒らせるとどうなるかわからないんだから……!」

 

 笑顔と共に淡々と断れるというのが腹立たしさを余計に募らせているとでも言うべきか。

 あっさり引き下がろうとしたモンモランシーの姿も合わせて、ウラヌスは彼女を押し退けて前へと出て視線を鋭く細めて水の精霊を睨み付ける。

 背後で大慌てといった風な身振り手振りのモンモランシーの事など既にウラヌスは眼中にすら入れていない。

 彼としては本当にここまでしなくてもいい苦労をさせられ、ようやく目的の相手を見つけ出してというところでこの有様である。

 精神的な疲労が溜まりに溜まって我慢の限界が近づいていたのだ。

 

「いいから黙ってその身を差し出せ、でなければこちらも少々強引な手段を取らせてもらうことになる」

「わ、わわあああっ!! 何やってんのよーー!!」

 

 再び無表情へと戻っている水の精霊にウラヌスは何の躊躇も無く右腕に形成した氷の銃の先端を向けている。

 涙目になり始めているモンモランシーを他所に、キュルケとギーシュは相変わらずの無茶苦茶ぶりだなあと、どこか淡々とした様子。

 ハルケギニアにおける精霊の強大さを知っていながらも、ウラヌスならどうにかしてしまうんじゃないかというある種の感覚マヒであった。

 

「どうしたのウラヌス? 何で怒っているの?」

「アンタの為に必要な物をアイツが持っているが、それを渡すのを渋っている」

「……ならアイツが、ウラヌスを困らせているなら……許さない……」

 

 そしてもう1人、ウラヌスに付かず離れずなタバサも彼の怒りを間近で感じてそれについて尋ねていた。

 で、その出所を知ったタバサすらも水の精霊に杖を向けながらライズを発動している始末である。

 恋は盲目などとはよく言ったものだが、現在の優先順位がウラヌスに固定されているタバサにとって、精霊と闘うことですら一切の迷いを持たせない。

 

「…………待て……お前たちのその力……そうか、あの時と……彼の者たちと同じ……『思念の開放者』か」

「開放者、だと?」

「この所、妙なことばかり起きると……だが、またお前たちの様な者たちを目にしたのも何かの縁か……」

 

 明確な敵対の意志を見せていたウラヌスとタバサに、沈黙の後に水の精霊が言ったのは今まで聞いたことも無い様なフレーズ。

 ただ、思念の開放者という固有名詞にウラヌスは若干感じ入ることがありながらも、銃口は向けたまま動かさない。

 だが一方の水の精霊は今までの無機質な声色から、どこか人間の感情に近い声へと変わって目の前の2人に言葉を投げかけていた。

 

「……いいだろう、その者たちに免じて我の一部、与えてやる」

「うええっ!? わわっと!!」

 

 そしてその場にいた誰もにとって意外な展開を見せたのは、いきなり水の精霊がその身を細かく震動させて体の一部を切り離す。

 あまりに予想外の事態に心底驚きながらもモンモランシーは、大急ぎで空き瓶を一つ取りだし飛んできた水滴、水の精霊の涙を受け取っていた。

 人間を単なる者と称し、在り方の何もかもが異なる精霊が見せた譲歩、ハルケギニアにおいても異質としか言いようがない光景である。

 

「しかしまあ、闘わずして水の精霊に素直に言うこと聞かせちゃうなんて、本当に貴方って凄いわよねウラヌス」

「面倒が手早く片付くなら、こっちとしては好都合だ」

 

 まあしかし、その水の精霊と相対していた者の内の1人が、存在そのものが異質であることも非常に大きいのだろうが。

 労せず目的の品を入手できたことに一段落しながらキュルケは、敵意を解除していたウラヌスの肩をポンポンと叩いていた。

 因みに反対側の隣にいたタバサがまたしてもキュルケのことを睨み付けていたりもしたのだが。

 

「『思念の開放者』たちよ、貴様らの持つ力を見込んで少し話をしておきたいことがある」

「何だいきなり」

 

 事態は更に急変するばかり、水の精霊の方から人間に話しかけてくるという光景にモンモランシーは益々混乱するばかりの中、

 ウラヌスは普段の態度を少しも崩すことなく水の精霊のことをジッと見つめていた。

 

「今の我はとある事情により力を消耗している。その原因となったのが月が30程交差する前の晩に姿を現した貴様たちの同朋、『思念の開放者』の1人が原因」

「30って言うと……丁度2年くらい前ってことね」

 

 キュルケの説明を間に挟みながらも、ウラヌスは今にも精霊に飛びかからん勢いのタバサを片手で押さえながら話に聞き入っていく。

 先程から繰り返される『思念の開放者』という名称、それの意味するところを段々とわかってきた上で、精霊の語ることに興味を示しだしていた。

 

「奴とその同朋が狙っていたのは数えるのすら愚かしくなるほど月が交差する間、我が守り続けてきた秘宝。あの『思念の開放者』は我を真正面から打ち滅ぼさんと力を振るい、逃げ隠れる我を他所に秘宝を強引に掠め取っていったのだ」

「真正面って……水の精霊、貴方が人間相手にやられそうになったと言うの?」

「単なる者にはわからぬこと、『思念の開放者』は長き時の流れの中で姿を見せなくなった特異な単なる者たち、その力の使い手を目にしただけでも我にとっては久しいことであった……が、その中でもあの個体の力は我すらも凌ぐ次元違いのもの」

「……それで、アンタと闘ったというその『思念の開放者』ってのは何者なんだ?」

「個体の1人、クロムウェルと呼ばれし者がこう呼んでいた、グラナと」

 

 置いてけぼりなモンモランシーを他所にその一言でキュルケとギーシュはハッとしたような顔になり、ウラヌスは合点がいったとばかりに頷いていた。

 聞き違えでなければクロムウェルというのは現在の神聖アルビオンのトップ、その男が引き連れていたグラナと呼ばれる男。

 間違いなく自分たちが知っているだろうあのグラナだという確信。

 

「奴は我を相手にしてすら少しも臆することなく……いや、我との闘いを楽しむ素振りすら見せながら、我を容易く吹き飛ばし打ち付け、挙げ句に天から光をも降り注がせて我を消滅に追いやらんとした」

「……そうか、あの男ならそれくらいの芸当ができでも不思議じゃあるまい」

「ま、本気の貴方でも敵わないって言う様な力の持ち主ならねえ……」

「う、ううむ……アルビオンで見たアレは確かに凄まじい物だったが、まさか精霊相手に堂々と喧嘩を売っているとは……」

 

 自身と通じる水に僅かに触れるだけで、対象の水の流れを支配し精神を容易く掌握できる力の使い手である水の精霊。

 だが、その動きは鈍く地上に引きずり出されてしまえば無力になってしまうという弱点なども存在している。

 グラナならばそんなことなど関係ないだろうし、湖ごと水の精霊をテレキネシスで吹っ飛ばしたり、天墜を使って蒸発させることなどもわけないだろう。

 『思念の開放者』つまりは自分たちPSIの使い手のことを指すのだろうと確証を得ながら、思わぬところで舞い込んできた宿敵の情報にウラヌスは耳を傾け続けていた。

 

「ところで差し支えが無ければ教えてほしいんだけど、貴方が奪われたっていう秘宝って何なの?」

「アンドバリの指輪と言う。偽りの命を与え、指輪を操る者に従わせる我と共に時を過ごしてきた指輪なり」

「随分とまあ、悪趣味な力を持った秘宝だこと」

「故に我はその秘宝の在り処を探らんが為、その身を広げていた……だが、あの『思念の開放者』から受けた力が想いの外、我を覆う水に影響を与えてしまったのだ。尤も、我にとって時の流れもまた違いのないことだが」

 

 水の精霊が話す奪われたという秘宝の情報も交えながらも、キュルケは様々な思考を巡らせていた。

 アンドバリの指輪の持つ力を纏めるなら、要は自分に従順な死体人形を量産できると言っているようなもの。

 まともな神経を持つ人間なら到底使いたがらないだろうし、故にそれを奪っていった連中もまた悪趣味極まりないのだろうと。

 だがそれ以上に水の精霊を真っ向から撃ち破り、挙げ句後に引き摺るダメージまで与えていたグラナの力の方がキュルケにとって驚愕すべきこと。

 グラナの存在と圧倒的なまでの力こそ知ってはいたが、やはりウラヌスも含めてデタラメすぎると再認識していたのだ。

 

「……あの男が関わっているというなら俺も無関係では無いな。いいだろう、あの男と接敵した時に、指輪の在り処をついでに尋ねてきてやろう、そのついでに取り返せたらアンタに返してやる」

「そうか。我としても我が秘宝が取り戻せる手立てができるのなら、これ以上力を無理に広げ、水かさを増やす必要も無いからな」

 

 ようやく敵意を完全に解除しながらぽつりとウラヌスが言い放った唐突な言葉。

 別に水の精霊がどうしようが自分にとってみればどうでもいいことでしかないのだが、

 そこに宿敵グラナが関わっているというだけで、ウラヌスの対抗心はメラメラと燃え上がるのである。

 精霊を打倒し秘宝を奪っていったというなら、それを自分が奪還して精霊に変換するというのもまたあの男の上を行くことの証明の1つになると。

 だがそれ以外にもう1つ、このまま水かさを増やされ続けると近くにあるタバサの実家にも遠くない内に影響がおよび、

 自分としてもそれは望ましくないという様な考えもあったりしたのだが。

 

「『思念の開放者』たちよ、もう1つだけ警告しておく。我に流れる水の調、それが貴様たちとも違う邪悪な存在を薄々と感じ取っている。それはやがて貴様たち『思念の開放者』を中心に、この世界を覆ううねりとなるだろうと……それに飲まれぬように気を付けることだ」

「…………」

 

 精霊が人間相手に警告までするという、最後の最後まで予想を超えた光景を見せ続けながら水の精霊は静かに湖の中へと姿を消していく。

 思念の開放者、PSIの使い手を中心に訪れる邪悪、精霊からの警告を頭の片隅に留めながらもウラヌスは何を言うでも無く沈黙を保ったままであった。

 

 

*

 

 

 戻る時間すら惜しいというウラヌスの事前の提案により、一行はラグドリアン湖のすぐ側にテントを張っていた。

 内部の大半はモンモランシーが持ち出してきた惚れ薬の解毒剤調合の為の材料と、その為の機材で溢れ返っている。

 

「できた、完成よ!」

 

 そして水の精霊との接触から更に翌日、目の下にクマを作り額に汗を浮かばせながらモンモランシーは声を上げていた。

 黙々と煙を上げている小壺の中には完成したばかりの解毒薬が入っている。

 

「ようやくか、全く散々いらん苦労をさせられたものだ……」

 

 昨日の夜もまた四六時中べたべた引っ付いてくるタバサへの対応に辟易しているウラヌス。

 衰えるどころか悪化する一方のタバサからのこのような事態からようやく解放されるのかと思うと少し気分が軽くなるのを感じていた。

 

「これは何?」

「いいから黙ってこれを飲め、それがアンタの為にも俺の為にもなることだ」

「……変な匂いがする、こんな物飲みたくない。こんな匂いを体に付けてしまっては、貴方に相応しい女になれないもの」

 

 で、とっとと解毒薬を飲ませたいウラヌスであったが、ずいと差し出した小壺の中の匂いを嗅ぐなりタバサは渋り始める。

 確かにまあ、強力な秘薬の解毒剤ということで見た目も匂いもなかなかに強烈であったのだが、そんな理由で余計な心労を重ねたくないウラヌスはかなり投げ槍気味になって来ていた。

 

「さっさと飲めと言っている……もうこれ以上付き合いきれるか」

「じゃあ飲んだら……今度こそ私と一夜を過ごしてくれる?」

「「ぶほっ!?」」

「うわあ……」

 

 頬を赤く染めたまま甘えた声で言ってくるタバサに、側にいたギーシュとモンモランシーは思わず吹き出しそうになっていた。

 このくらいの年頃ならば今言ったタバサの言葉にどのような意味が込められているかなどすぐにわかってしまう。

 その手の知識も、経験すらもあるキュルケでさえ思わず頭を抱えてしまいそうになる。

 

「……ああ、キスだろうがそれ以外だろうが何だろうがしてやるからとりあえずそれを飲め」

「本当に? 始祖に誓う? 水の精霊に誓う? 私をこれかれも一生愛してくれるって―――」

「と に か く 飲 め」

 

 このままでは本当に特別な存在相手に自分でも何をするかわからなくなってきたほど、精神的な限界を感じていたウラヌスはグイグイと解毒薬を押し付ける。

 自分の気持ちを蔑ろにされていると、タバサはぷうっと頬を膨らませて抗議の意を示していたものの、

 とりあえずはウラヌスの言うとおりにしようと解毒薬を一息で飲み干していく。

 

「やれやれだ……」

「……あ、でもちょっとまずいかもしれないわ」

「……この期に及んでまだ面倒があると言うのか?」

「そうじゃないのよ、ただ惚れ薬って効き目のあった間の記憶はそっくりそのままなわけだから、つまり――――」

 

 ついさっき思い出したかのようにポンと手を打ちながらそんなことを言い出すキュルケの横で、解毒薬を飲み終えたタバサがひっくと一度しゃっくりをする。

 

「ふあ……」

 

 やがて熱を帯びた表情から憑き物が取れたようにいつもの無表情に戻り……かと思いきや、ウラヌスと視線が合うなり再び頬を真っ赤に染め上げていく。

 もちろん、キュルケの懸念した通りその赤みは今し方までのそれとは真逆と言ってもいい感情によるものだ。

 

「本心じゃない」

「わかっている」

「普段ならあんなことしない」

「当然だろう」

「あんな風に引っ付いたり、キスしたりなんてしない、絶対に」

「いいから少し落ち着け」

 

 次々と飛び出してくる否定の言葉の応酬に、心底どうでもいいという風にウラヌスは答えていくばかり。

 タバサがやっと正気に戻ってくれたという安心感以上に、まださっきまでのことを引き摺らなければいけないのかという面倒臭さの方が勝ってしまっている。

 が、そんなぶっきらぼうなウラヌスの態度が今のタバサには逆効果でしかなかった。

 

「違う、絶対に違う、あれは私じゃない、断じて、間違いなく」

「まあまあとにかく落ち着きなさいなタバサ、あれが貴方の本心じゃないってことは――ってちょお!?」

「……忘れて、今すぐ、私のしてきた何もかも、5秒以内に、でないと」

「いやいやいや!! 気持ちはわかるけど!!?」

 

 正気でないという意味では惚れ薬を飲んでいる時と変わらないと言ってもいいのかもしれない。

 一気に押し寄せてきた羞恥心に頭が完全にショートしてしまっているタバサは、慰めようと言葉をかけてきたキュルケにすら殺気全開で杖を向けていたのである。

 背後には何やらどす黒いオーラのような物まで視認できてしまい、キュルケは親友相手に言い知れぬ恐怖を感じるばかり。

 

「忘れて、あれは私じゃない、違う、私違う、あれは忘れて、違う私、あれ…………は……にゅう……」

「ちょ、ちょっとタバサ!? しっかり!?」

 

 遂にはヒートアップした脳内を抑えきれずに、キュルケに杖を向けたその状態のままでいきなりタバサはクラクラとテント内の地面に沈んでしまっていた。

 目まぐるしく切り替わる親友の姿に自分の方がどうにかなりそうにながらも、キュルケは倒れたタバサを抱えて必死に呼びかけている。

 

「…………わけがわからん」

 

 で、呆然と2人を見つめているギーシュとモンモランシーを他所に、ウラヌスはまたしても大きな溜め息を吐いていたのであった。

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