ふわりふわりと曖昧な意識の中をタバサは漂っていた。
足が宙に浮いているかのような現実感の薄い奇妙な感覚。
「ここは……」
だがそれでも今の自分が立っているその場所のことをタバサははっきりと覚えている。
高い天井、いつも高い天井に2つの窓、ソファにテーブルに暖炉にベッドに……
イーヴァルディの勇者を始めとした自分が大好きな書物もたくさん並んでいる本棚。
しかしタバサにとっては見慣れた物であって、今では決して見慣れているとは言い難い物とも言える。
王族としての立場を失い、心を壊した母と唯一の使用人であるペルスランしかいない自分の屋敷のその一室。
しんと静まり返り陰りの差しているその場所は、まるで記憶の奥底に仕舞い込んだ輝かしいあの頃と変わらない光を放っているのだから。
復讐を果たすまで……いや、大好きな父亡き今では二度と取り戻すことはできないだろう光景。
「……貴方は、誰?」
その部屋に立つのはタバサ1人だけでない、自分と同じ背丈の少女がもう1人、ニコニコと笑顔を浮かべたまま真正面で自分のことを見つめている。
自分の物と変わらぬ艶やかな青、されど肩まで伸びて切り揃えて整えられている髪。
メガネなどかけていない、純そのものな瞳は復讐者、闇の住人とはとても言えない、年相応の無邪気な少女としての光を放っている。
タバサは心の内の言い知れぬ緊張感がどんどん膨らんでいき、早まる鼓動の音が直接耳にまで響いてくるようであった。
何故なら目の前に立っている黙ったままの笑顔の少女は見間違える筈も無い――
「貴方は誰?」
「シャルロット」
二度目の問いかけに笑みを崩さぬまま初めて少女――嘗ての自分と同一の姿形をしたもう1人のタバサ、シャルロットは答えていた。
緊張と共に正体不明の恐怖すらも覚え始めているタバサ、それに相対するもう1人の少女、シャルロットと名乗った人物は何を考えているのか全く読み取ることが出来ない。
「シャルロットは私、貴方じゃない、貴方は何者?」
「嘘、貴方はタバサ、復讐を果たす為に心をみんな捨てようとして、それでも捨てきれずに自分の奥底に閉じ込めて鍵をして……人形になりきれない可哀想な女の子のタバサじゃない」
動揺が表に出ないように取り繕いながら平坦な口調を保とうとするタバサにシャルロットは語りかけていく。
既にタバサから見たその少女の笑顔は能面のように張り付けられた物にしか映っておらず、言葉の一つ一つが自身の心を蝕む蛇の毒の様に息苦しい。
少女の、シャルロットの言っていることは間違いではない、今の自分は王家に復讐を誓う闇の住人タバサ。
だが、だからといっていずれは戻ることになるシャルロットという自分を完全に捨てたわけではないのだ。
ただそれを表に出さずに何重にも蓋をして心の最下層、深淵に置いてあるだけで――――
「意地悪だよね、何にも頼らない復讐鬼の貴方が人間らしく振舞っている、表でも裏でも、掛け替えのない親友やパートナーと一緒に日常を楽しんでいる……人形になろうとしてるくせに」
「……あな、たは…………」
「でもそれじゃシャルロットはどうなるの? 大好きなかあさまやとうさま、家のみんなに愛されて愛そうとした、健気な女の子のシャルロットはこのまま何も出来ずに見てるだけ? そんなの……ずるい」
「ッ……!!」
金縛りにでもあったかのようにいきなり体が硬直する、タバサの側にそっと寄ってきてシャルロットが白く綺麗な頬をその白い腕で撫で上げる。
背筋にゾクリと寒気すら感じたタバサは弾かれる様にして反射的にシャルロットから距離を置くように下がっていた。
この少女はシャルロットと名乗っている、つまりそれの意味するところはきっと……
「私だってもっとたくさんお話ししたい、キュルケと一緒に遊んだり勉強したり……ウラヌスともっと触れ合いたい、肩を並べて闘いたい、そう思うのは何かおかしなこと?」
「……黙って、私は私、他の誰でも無い、タバサもシャルロットも、誰のものでも無い私としての感情」
「だからさっきから言ってるでしょ、私がシャルロットなの。貴方は何もかも全部、自分で一人占めするつもりなの? そんなの絶対許さない」
「違う、私は――」
「貴方はただ復讐を果たすことを考えればいい、それが終われば今度は私の番、かあさまを取り戻してまたあの時みたいに笑ってくれて、絵本を読んでくれて、私の頭を撫でてくれる……それがシャルロットにとっての幸せなの」
「違う!!!」
腕を後ろで組んだまま一歩を踏み出すシャルロットに容赦なく杖を前に翳して風の塊をぶつけようとするタバサ。
だがそれも虚しく、タバサの放った魔法はシャルロットの眼前で見えない壁にでもぶつかったの如く前触れなく霧散してしまう。
「酷いなあタバサ、貴方はとっても酷い子、シャルロットという私を……自分を殺そうとするなんて、でもそれは血塗られた復讐鬼にピッタリのことなのかな?」
「どうして、何で……私は……!」
「わかる? 貴方はもうシャルロットじゃない、復讐を終えたその時に立っているのは私、私だけでいいの、人間らしい幸せなんて必要ない、私の幸せの為にキュルケもウラヌスもみんな利用して最後は捨ててしまえばいい」
シャルロットの背後でユラユラと立ち上る黒いオーラのような何か、緊張と恐怖に支配されるタバサはもう立っていることすらできない。
愛用の杖をカランと手から落としてしまい、膝をついて右手で口を押さえながら体の中で逆流する不快感を飲み込もうとする。
視線を下に向けて息を荒げるタバサに対し、シャルロットは変わることない明るい声で目の前の少女の心を抉っていくだけ。
――それが嫌なら、本当に捨ててしまえばいいのよ、シャルロットっていう私を……自分自身を。
「!!――ッ……う……」
布団を跳ね除けながら飛び上がる様にしてベッドから上半身を起こしたタバサが見たのは普段の自分の女子寮の自室。
ちらと時計に目をやれば針は早朝を示しており、カーテンの隙間からは朝の日の光が僅かに差し込んでいる。
「……夢……? だけどあれは……」
ジッと自分の両の掌を見つめてタバサは呆然となる、よくよく触ってみれば来ているパジャマも汗でぐっしょりと湿っているようだった。
単なる夢と片付けるにはあまりにもリアリティのあるもの、喋った内容も杖を振るって魔法を使った感触も焼きつくように体に染みついたままに思える。
だがあれが現実の光景だとも思えない、現に自分はこうしていつものように目を覚まして学院女子寮にいる。
だとするなら今まで見ていたあの部屋は、あそこにいるシャルロットを名乗る少女は何者だったというのか。
「気持ち悪い……」
原因を探るにはあまりにも情報が不足している、真面目に考察した所で今の段階では無駄骨だろう。
一応の結論を出しながらもタバサは、胸の内にこびりついている不快感が消えないまま、
着替えとその他準備を終えて重い足取りのまま扉を開いて廊下へと出て行く。
(……けど彼女の声……確かにあの時のと同じ……)
そう思いながらもタバサは夢と思わしき空間で話していた少女の声が、ラグドリアン湖の帰りに一瞬だけ聞こえたあの時の声の物だったという確信。
それが指していることも合わせて、シャルロットとしての自分という在り方への悩みが本人の知らぬ間に心の隅で芽吹いていた。
*
トリステイン魔法学院は2ヵ月半にも及ぶ長い夏季休暇に入っていた。
生徒の大半は自分たちの故郷の領地か、もしくは両親の仕事の手伝いの為に首都トリスタニアへ向かうかのどちらかである。
休暇開始前の数日間は学院の正門が生徒たちの馬車で溢れ返ってしまう程であった。
尤も、それが過ぎ去った後にやってきたのは今までからは想像もできない様な学院敷地内の閑散ぶりである。
生徒だけでなく教師や使用人の平民たちも休暇を貰って学院の外へと行っていたので、現在中にいる人間の数は非常に少ない。
それこそ残っている生徒など実家の都合が合わないか不仲なのか、はたまた単に帰るのが面倒臭いなどと、そういった事情を抱える少数しかいないのである。
「勝負あり、だな」
「くぅ……! はっ……は……」
で、タバサはと言えばその少数の方に分類される側であり、ガリアのオルレアン邸には戻らず学院に残っている。
やっていることはといえばウラヌスも交えたPSIの鍛練、人が極端に少ない今だからこそ時間を然程選ばずにその量を増やすことが出来るという利点もある。
庭の端の一角で丁度激闘を終えて何度目になるかもわからない仰向けの体勢で氷の銃を向けるウラヌスからお決まりの一言を言われていた。
ただ、タバサの実力も増してきているということもありウラヌスも無傷ではなく、ロングコートの一部に損傷が見られ、右頬はほんの僅かであるが掠り傷が生じている。
とはいえ、タバサの方がウラヌスとは比べ物にならないくらいに傷を負い疲労困憊状態であることは変化のないことだったのだが。
「また腕を上げたようだ、全力ではないがそこそこ苦戦させられた、今後は力の調節を改めないといけないだろう」
「……そう言ってくれるとありがたい。それに、貴方の方も会った当初より力の鋭さがずっと増しているように思える」
疲労感は別にしても傷の方はそこまで問題ではなく、杖を支えによろよろとタバサは立ち上がる。
両腕の銃を消滅させていつも通りの口調と無表情で口を開くウラヌスの言葉に込められているのはタバサに対する純粋な称賛。
共に鍛錬に励むようになったこともあり、タバサの成長は未だ頭打ちにならずに着実に上昇を続けているということ。
それはタバサ自身にとってもウラヌスにとっても望ましいことであるのは言うまでも無い。
そしてそれでも尚、ウラヌスの全力にはまだまだ届かないということ、
それどころか高きに渡るその壁は召喚された時に見た時のそれよりも更に高くなっているという実感。
ウラヌス自身の変容も合わせて彼もまた、このハルケギニアという世界で腕を上げていたのである。
「相変わらず派手にやるものよねえ、ホント」
加えて言うとその場にいたのはウラヌスとタバサだけでなく、激闘の一戦を終えて近づいてくる、2人のことをずっと眺めていたキュルケもである。
実際彼女が言うように高レベルのサイキッカーであるウラヌスとタバサが一度戦闘行動を行えばそれはもう凄いことになる。
風が舞い氷が吹き飛び、庭の地面は削られ捲りあがり、互いのPSIによる氷結の爪痕が派手に残されたまま。
学院内にいる者たちからはその場所が一目から離れた死角であるということ、派手な音がしてもどうせまた生徒の誰かが揉め事でも起こしてるんだろう程度の認識しかしていないというのもある。
だが事情を知っているキュルケでさえ見てるだけでもというか巻き込まれないように気を付ける必要がある程に、親友とそのパートナーの闘いは規模が違いすぎる物である。
誇りだの作法だの何だのにこだわり形式張った決闘をするトリステインの貴族には絶対にわからないだろうこと。
比較的柔軟な思考を持つゲルマニア出身の彼女ですら、何度見てもまだ慣れないという感じ。
「俺が聞くことでも無いんだろうが、俺たちの闘いを見ているだけで飽きないのか?」
「アレを見てて飽きろって言う方が無理があるわ。何より涼しいもの、貴方達の側にいれば♪」
「……俺とタバサのPSIはそういう目的の為に使っているんじゃない」
あっけらかんと答えるキュルケにウラヌスは内心で多少の呆れを浮かべていた。
夏季休暇というだけあり暦の上では夏、そしてハルケギニアにも現代世界の日本と同じ四季というのが確かに存在している。
燦々と照りつける太陽は普段以上に外気を暑くさせていく一方であり、下手に外に出ることをキュルケはあまり好んでいない。
火のメイジではあれど燃え上がる炎の熱さは好むが、自然界の太陽による暑さは苦手としていたのだ。
だがそれを承知の上でも2人の側にいる価値があるのは知っての通りウラヌスもタバサも氷結の力の使い手だということ。
未だ溶けることなく残っている氷の後は周囲一帯の気温を大幅に下げる効果もあり、それ目当てに涼むためという目的もキュルケにはあったりする。
「まあ、アンタはタバサの親友だし俺もそこそこ興味を持っている、別に邪魔をしないのであればそれ以上とやかく言う気も無いが」
「こんな蒸し風呂みたいな学院に残る方がおかしいのよ、だからあたし言ったのに、一緒にゲルマニアのツェルプストーの家に行きましょうって」
「貴方の気遣いには感謝している、キュルケ。だけど、それでも鍛錬の時間を大幅に増やせるこの機会を無駄にはしたくなかった」
「別に貴方がそうやって決めてるのなら、あたしも無理なことは言わないわ」
氷結の1つに近寄って涼んでいるキュルケの側でタバサも呼吸をある程度整え終えてから会話に参加していた。
事情を知っているからこそ、キュルケはせっかくの夏季休暇を楽しんでもらいたいとタバサを実家に誘っていたのだが、タバサはそれに対して首を横に振っていた。
彼女自身が語る様に人目の少なくなる学院内で鍛錬に時間を費やしたいというのもあるがもう1つ、
闇の住人である自分がキュルケの実家にまで赴くのにあまり気が進まなかったというのもある。
勿論、親友であるキュルケはそのどちらもをわかっており相変わらずねとため息を吐きながらも、タバサがそうするならと自分も学院に残っていたのだ。
*
そんなこんなでウラヌスも交えたお喋りにそこそこ時間を費やした後、着替えと簡単な治療を終えたタバサは他の2人と共に学院の外、首都トリスタニアの街並みへとやって来ていた。
時刻は昼過ぎ、午前中の鍛練を終えてドラグーンを飛ばしてきたのでまだそれほど長く時間が経過したわけでも無い。
鍛錬に時間を割きたいとは言ったが、だからと言ってあまり魂詰めすぎても力を上手く発揮できずに逆効果にしかならない。
そもそも今でこそキャパシティも大幅に増えてはいるが本来PSIというものは長時間に渡って多大な量を扱うと脳が潰れて死に至る可能性もある禁忌の力である。
それで休憩とキュルケの娯楽も兼ねてタバサとウラヌスは彼女に付き合っているというのが現状というところ。
「ふー……学院にいるよりはまだ涼しいって感じよね」
「同感だな、表の方はゴタゴタしていて俺には好かん」
「そうは言ってもゲルマニアに比べたらお粗末なものよ? きっとこの子のガリアと比べてもそうだろうし」
「単純な国力の差だろう、トリステインの人間じゃない俺たちがとやかく言う問題でも無い」
沈黙のままテクテクと歩いているタバサを他所に言いたい放題言っているキュルケとそれに答えるウラヌス。
現在一行がいるのは王宮に続くメインストリートであるブルドンネ街から道一つ外れた薄暗いチクトンネ街。
貴族や裕福な平民などで溢れ返る表のブルドンネとは違い、賭博場や酒場が立ち並びぽつぽつと人が散らばっているチクトンネは裏といったところ。
キュルケもタバサもウラヌスも、どちらかといえばこういう空気の方を好んでいる。
「ルイズやサイトも何をしてるのかしら、まああの子のことだからヴァリエール公爵領に戻ってあれこれしてるんでしょうけど……サイトも大変でしょうに」
「あの小娘の使い魔という立場に収まっている以上、逆らえないんだろうな」
「それはまあそうなんだろうけど……にしてもあの子がいないだけであんなに学院が静かになるとは思わなかったわよ」
「……張り合いのある相手がいなくて退屈?」
「言うじゃないタバサ、否定したいところだけど確かにその通りなのかもしれないわね」
色気振り撒くグラマーな美少女に、人形のような愛嬌のある小柄な少女、更には目鼻立ちの整った不思議な雰囲気を放つ美青年。
何とも奇妙な組み合わせの3人組を周囲の者が見つめる中、そんな視線もお構いなしに一行は歩き続ける。
数日前のアンリエッタのゴタゴタの際にも共闘したルイズであるが、彼女も使い魔であるサイトと共に夏季休暇が始まってから学院の外へと行ってしまっている。
何をしに行くか聞き逃したのは失敗だったかなどとキュルケは考えつつ、弄りがいのある相手であるルイズの現況に思いを馳せている。
その胸の内を察してぽつりと呟くタバサにも特に気を悪くすることなくニコリと笑って答えるだけ。
「使い魔のガキもそうだが俺としてはあの小娘が使っている魔法の方だ。アンタたちの使う系統魔法に他の魔法の一切を無力化するという魔法は存在しているのか?」
「あたしの知る限りでは無いわねそんなの。そもそもそんな便利なのがあるならトリステインの連中は知らないけどゲルマニアが使わない筈ないもの」
「となると考えられる線としてはやはり……」
「虚無」
「あのゼロのルイズが? これはまた面白そうな話じゃない」
次いで話題に挙がるのがルイズがウェールズ、アンリエッタとの闘いの最後に使用した水の竜巻諸共全てに終止符を打った正体不明の魔法。
ウラヌスもタバサもタルブの爆発と同じく、あの時に使われた力がPSIではなく魔法だということをはっきりと認識している。
だがキュルケの語る様に長きに渡るハルケギニアの歴史の中で無効化、解除といった類の魔法があるなどと聞いたことは無い。
となれば出てくる仮説は1つ、ウラヌスもタバサも既に立てていたルイズが虚無の魔法の使い手であるということ。
キュルケとしても正直なところ半信半疑ではあったが、他に説明のしようが無いというのも事実。
何より彼女の使い魔であるサイトが言った言葉、「伝説の真似事」というもの。
伝説、つまりは始祖の使っていた虚無の魔法、それと同じ物を扱えるという意味での真似事という表現ならば本当にその通りなのかもしれない。
何せキュルケの見る限りあの時のサイトは、とても冗談やでまかせを言っているような表情には見えなかったのだから。
「さてまあお話を楽しみたいのもあるけどまずは…………ちょっと待って、何あれ?」
一旦話を打ち切ってどこか楽しめる施設は無いかと辺りを見渡そうとしていたキュルケの目に留まった物。
つられる様にしてタバサとウラヌスも別の道の一角、街道の死角になっている場所に群がっている複数の人物を発見する。
「だーかーらー言ってるでしょー! ちゃんと謝ったのに何でまだ邪魔するのー!?」
「平民の小娘の分際でいつまでもグチグチと! 貴族の、それも徴税官であるこの私にぶつかっておいて誠意という物が無いのかっ!!」
「その通り!! チュレンヌ様に無礼を働いておきながらタダで済むと思うなよ小娘め!!
5、6人程の取り巻きを従えて共にやんややんや騒いでいるのはチュレンヌと名乗る徴税官の貴族。
でっぷりと不健康に肥え太り頭髪はロクに手入れもせず腐った海藻のようにも見える中年男性、
はっきり言って優雅さだの美しさだのとは程遠い、俗物の2文字がお似合いの人物にしか見えない。
周りの目も気にせずに今している平民の少女を寄ってたかって詰っているというのもそういったイメージに拍車をかけている。
「……はぁ、せっかく楽しみに来たと思ったらくだらない。ホント、どうしてトリステインの貴族にはああいうしょーもないのが多いのかしら?」
「……(コクン)」
呆れきっているという風に言い捨てるキュルケの言葉にその隣でタバサも同意を示すように頷いている。
貴族が平民をまともな人間として扱っていないなどトリステインに限らずどの国でも日常茶飯事の光景。
その絶対的な力関係が6000年もの間崩されていないのはやはり魔法という常人を凌駕する絶対的な力による裏付け。
闘いの心得がある軍人や傭兵の類はともかくとして、何の素養も無い平民が束になった所で貴族の魔法には敵わない。
それをわかっているからチュレンヌのような悪質な貴族が絶えないのだし、道行く他の平民や貴族も知らんふりを決め込んでいるのである。
「…………? いやまさかな……」
だがキュルケやタバサと違ってウラヌスが注視していたのは絡まれている平民の少女の後ろ姿。
ハルケギニアでは珍しい黒色の長髪に、これまた一般的な平民のそれとは違うデザインの桃色の服。
そしてそれ以上に……彼女が左腕に抱えている大きなスケッチブックらしき物が気になって仕方がない。
「ええいっ! いつまでも聞き分けのない愚民め!」
装甲している内にチュレンヌが怒鳴りつつ、懐からギラギラと悪趣味な光を放つ銀色の杖を取り出していた。
その後に行うであろう凶行を想像しつつ、流石に目の前で見て見ぬフリをして通り過ぎるのも気が引けるということで、
キュルケもタバサも杖を取り出しその争いに介入しようと動こうとしたのだが、
「なっ…………何!? どこへ……!!」
「あっ……チュレンヌ様、上です! あの屋根に!!」
チュレンヌが魔法を唱えるよりも、キュルケとタバサが動くよりも尚早く、件の少女の姿がいつの間にか掻き消えている。
すぐにチュレンヌの部下の1人が上の方を指さし、一斉に視線を向ければムッとした表情の少女が街道の建物の屋根の1つに立っている。
「べーっだ、えんがちょ! もう怒った! 無暗に使っちゃいけないって言われてるけどお前たちみたいな人、嫌いだ!!」
舌を出して不快感をこれでもかとわかりやすく表現している少女はそのまま左腕のスケッチブックをパラパラと捲り始める。
途中でその行動を止めて更に懐から黒いクレヨンらしき物を取り出して、スケッチブックの画用紙の上に走らせていく。
やがて数秒もしない内にササッといくつかの絵を描き上げる少女。
「やっちゃえガウガウ!! あいつらをおっぱらえーーー!!」
「なっ……!! 何だこいつらは!!?」
「お、落ち着け!! たかがあの程度、こけおどしにしか――!」
「グルルル……!」
「ガウッ!! ガウッ!!」
「!!――いだっ! いだだだだだ!!」
「ぎゃああああああああ!!!」
次の瞬間に起こったあまりに予想外の出来事、少女が右手を前に翳すのと同時にスケッチブックから何頭もの黒犬が飛び出してきたのだ。
目を血走らせ涎を垂らし鋭い牙を光らせながら黒犬の群れは驚愕するチュレンヌ達に一斉に飛びかかっていく。
困惑を処理しきれず隙を見せたチュレンヌ達に魔法を使わせる暇も無いまま、彼らの腕に足に横腹にと噛みついていく黒犬たち。
その痛みに情けない声を上げて涙目になりヒイヒイ言いながらチュレンヌ達は一目散にその場を逃げ出して行っていた。
「まったくもう! せっかく久しぶりのおそとだったのにあんなのと会うなんてツイてないなあ」
屋根の上から飛び降りて難なく地面に着地し、両腕を腰に当ててふんすと鼻を鳴らす少女。
その行動の数秒後、彼女が呼び出したと思われる黒犬たちはボロボロとチリのように崩れて姿を消していた。
「…………ねえ何あれ……? もしかしてなんだけどタバサ、ウラヌス……」
「……貴方の予想通り、キュルケ……今のは間違いなくPSI」
そして覗き込むようにして事の一部始終を見つめていたキュルケとタバサも動揺しっぱなし。
キュルケが予測していたことはズバリ正解であり、タバサは今の黒犬は間違いなく少女がPSIによって具現化していたものだと確信していた。
それも並大抵の実力者ではない、一瞬見えたその内包量はそれこそウラヌスやあのグラナにも並ぶのではないかという膨大さ。
「…………そうか」
「え、ちょっとウラヌス……?」
だが2人を他所にウラヌスはスタスタと前へと出ていき少女の方へと近づいていく。
スケッチブックを持つ黒髪の小柄な少女、その時点で9割方決まりきっていたような物だったかもしれないが、
今し方見せたPSIと額に刻まれている×印の傷跡を見間違える筈も無い。
「おい、そこのアンタ」
「ん? ん……んんっ!? ええっ!? ウソぉ? もしかしてもしかして!!」
「そのもしかしてだ。まさかアンタとこんな場所で鉢合わせるとは思わなかったぞ……カプリコ」
「それはこっちのセリフなんだよ!! うわあビックリだあ! あなたもこの世界に来てたんだね、ウラヌス!!」
少女は声をかけてきたウラヌスの方へと振り向き、その姿を見るなり興味深げにジロジロと全身を観察し、やがてぱあっと明るい笑顔を浮かべてピョンピョン飛び跳ねる。
ウラヌスもウラヌスで少女――嘗てのW.I.S.Eの同胞であるカプリコがここにいるということに内心では動揺しっぱなしであった。