マゼンダとアレキサンドルを巡る一連の騒動から少しの時間が経ち、サビエラ村は夕焼け空に染まっている。
西日が差し込む空の下、ウラヌスは単独で村の中を歩き回っている。
身に付けているのはこの世界に呼ばれてからの自身の服に、タバサに渡されたマントだけ。杖は本来の持ち主であるタバサの下にある。
ハルケギニアにおいて貴族=メイジは絶対的な力の持ち主とされているが、その力の源である魔法は媒介となる杖が無ければ発動できない。
つまり、敢えて杖を手放して今の自分は無力であるということをアピールしての囮を担っている。
ウラヌス自体、本来の騎士であるタバサを遥かに上回る力の持ち主故に、万一の事態が起きても問題ないという意味でも適任なのだ。
「きぃやああああああああああああああああ!!」
囮を始めて数十分ほどが経過してウラヌスが耳にしたのが甲高い少女の叫び声。
事態の急変を察知したウラヌスはすぐさまライズを発動、目にも止まらぬ速さで声のした方へと駆けていく。
その先に辿り着いたのは村長の屋敷、有無を言わさず扉をけ破って中へと飛び込み、2階にある一つの部屋の入り口前で立ち止まる。
「どうした」
「!! いやああああ!!」
「大丈夫、落ち着いて」
視線が交差するなり再び悲鳴を上げていたのは、ガタガタと震えて逃げ出そうとするエルザ。
その側で一足早くこの場にやってきていたタバサがエルザの体をそっと抱き止めて気持ちを落ち着かせようと試みている。
部屋の窓ガラスは割られていて破片が飛び散っており、内部の小物がいくつか散乱している。
状況的に考えてここで何かあったのだろうということはウラヌスにもすぐに察しの突くことだった。
「何があった」
「この子が言うには窓から誰かが侵入してきたらしい。外見は男」
「み、耳元で荒い息が聞こえたから目を開けたら、目の前に牙を生やして涎を垂らした、お、男の人がじっと……うぅ……」
「成る程、つまりはそいつが屍人鬼というわけか。向こうから動いてくれるとは都合がいい」
毛布にくるまり必死に視線を逸らして泣き始めてしまったエルザを他所に、ウラヌスは停滞していた事態がようやく動いたかと部屋の観察を続けている。
屍人鬼と思われる襲撃者の外見的特徴、わざわざたった1人の忠実な駒を夜になる前に動かしたという状況。
今までの情報も統合して吸血鬼の正体について思考を巡らせていく。
「…………お、お兄ちゃんは……吸血鬼が怖くない、の……?」
「その吸血鬼を狩るためにわざわざこんな場所まで来たんだ、寧ろさっさと姿を見せてほしいくらいだ」
「お、お姉ちゃんは?」
「私も怖くない、だから大丈夫。吸血鬼はきっと私達が何とかして見せる」
「………うっぐ、えぐ、ひぅ………………」
安心させるように微笑みかけるタバサを前にして再びエルザの双眼から流れ落ちるたくさんの雫。
恐怖ではない安心からくる涙と共にエルザはそそくさとタバサの方へと体を寄せて、その胸の内で静かにすんすんと泣き始めていた。
そんな2人を前にしてウラヌスは普段通り、何をするでも言うでも無く静止状態を保っていたのだが、
「……どうしたの?」
「いや、何でも無い。後の始末を終えたらアンタも調査に戻っておけ、俺はもうしばらく村の周りを探してくる」
感情の篭もっていない筈のウラヌスの瞳から感じる僅かな違和感。
召喚してからそれほど日が経っていないが、それでもタバサは薄々ではあるがウラヌスの変化を察せるようになってきている。
それを根拠に尋ねてみたが、ウラヌスは別段何かを言うわけでも無く、タバサとエルザを置いて屋敷を出て行った。
*
騒動を聞きつけてやってきた村人たちへの説明に追われている内に、あっという間に夜になっていた。
睡眠を殆ど必要としないウラヌスは、そのまま村人の代わりに寝ずの番を引き受けることに。
村長の屋敷に宛がわれたウラヌス達の客間、そこにいるのはタバサだけでなくもう1人。
「おいで」
誘われるがままにエルザがタバサの方へと近寄っていき、壁を背にして座り込むタバサの膝下に収まる格好に。
結局、夕方の襲撃の際の恐怖が抜けきらないエルザは、騎士とその従者の側という安全性も考慮して同じ部屋で寝ることになったのだ。
「眠らないの?」
「吸血鬼が来たら、騎士様を呼びに行かなくちゃいけないから」
「お姉ちゃんは魔法を使わないの?」
「あの時の私は騎士様の杖を預かっていただけ、私は魔法を使えない」
「そうなんだ…………」
一番に駆け付けてくれたということが理由なのか、エルザはタバサに懐いており、タバサに抱きしめられるままに質問を繰り返していく。
浮かぶのは年相応の無邪気な少女の表情であり、夕方の怯えきった表情はだいぶ薄れているようだった。
エルザを毛布で包んだまま、タバサも特に嫌な顔もせずにエルザの質問と話に付き合ってやっている。
「おねえちゃんのパパとママは?」
「パパはもういない。ママは寝たきり」
「そう……私のパパとママは殺されたの、メイジに魔法で、私が見てる前で笑いながら虫を潰す様に……だから嫌いなの、メイジ……おねえちゃんのパパはどうして?」
「貴方のパパとママと同じ、殺された」
「魔法で?」
「魔法じゃない」
「そうなんだ……ねえ、あのメイジのおにいちゃんにも家族はいるのかな? おねえちゃんにはわかる?」
「……わからない、私は騎士様の家族のことは聞いたことがない」
恐怖に身を震わせる少女、エルザがメイジを嫌う理由、村長から事前に聞かされていたとはいえ本人の口から語られるそれはやはり重みの違いを感じ取れる。
タバサの父親と母親もまた、不幸な因果の巡り会わせでそのどちらもが幼いタバサの前で一瞬にして地獄に叩き落とされたのだ。
王家のイザコザに巻き込まれて父親は暗殺され、その後残った母親すらも自分を庇って毒を飲み、以来ずっとまともに娘を認識すら出来ない程に錯乱している。
残されたタバサもまた、こうして危険な任務に駆り出されて仇である王家や従妹に好き勝手に振り回される屈辱的な日々を送っている。
それでもタバサが折れることが無いのは、その心の奥深くに眠っている復讐の成就という原動力があるからこそ。
それを成し遂げるまでは何重にも心を封印し、タバサという1人の人形になりきって見せると誓っているのだ。
(…………でも、彼は)
その後にタバサの脳裏に過るのは、未だにその胸の内を殆ど明かすことの無い男の横顔。
自分で言ったようにウラヌスがタバサの事情を知らないように、タバサもウラヌスの過去を何も知らない。
わかっているのは異常なまでの闘いと強さへの執着と、他人の感情を容易く踏みにじっても闘いそのものを目的と据え置く異常性と、それらに裏打ちされた圧倒的な力くらい。
どのように生まれて、どんな家族に囲まれて、どのような経緯を経てあんな思考と力を持ち、自分の召喚に応じてハルケギニアへとやってきたのか、今のタバサには何もわからない。
最初は単なる未知の力への興味、加えて今はウラヌスという人物自体の在り方に対する探究心も生まれ始めている。
人形になってまで強さを求め続けている自分すら歯牙にもかけない怪物であるウラヌスのことをもっと知ってみたいという気持ち。
「不思議だね、おねえちゃんもあのおにいちゃんも人形みたい」
じっと黙ったまま思考に耽るタバサを現実へと引き戻したエルザの一言。
恐怖心も殆ど無くなり、信頼の篭もった瞳でタバサを見上げている。
「全然喋らないし笑わないし、表情もほとんど変わらない……まるで心をどこかに置いてきたよう……本当、に……ふし……ぎ……」
言葉の途中でうつらうつらと頭が揺れ、エルザはタバサの小さな胸に体重を寄せてすやすやと寝息をたてはじめる。
人形のよう、確かにそれを敢えて演じているのがタバサであるが、本当の心は奥深くに仕舞い込んであるだけ。
ではあの男は、ウラヌスの本当の心はどこにあるのだろう、今見せているのが彼の心の全てなのだろうかなどと、そんなことを考えながらタバサはエルザと共に一夜を明かしていく。
*
村長の屋敷のエルザが屍人鬼と思われる人物に襲われたという噂は翌日の内に村中に広まっていた。
エルザの様な歳二桁にも満たない幼い少女までも襲おうとしたという吸血鬼への一層の恐怖と共に、
村人たちの間には、騎士様がいてくれたから未然に被害を防げたといった考えも持ち始めていた。
疑心暗鬼で警戒心を抱いていた村人の殆ども、ウラヌスとタバサのことを信頼するようになり、
今まで自分たちの家に匿っていた幼い子供たちを一斉にウラヌス達が滞在している村長屋敷に預ける様にもなっていた。
そんなこんなで状況が変化したりもしていたが、ウラヌスとタバサのやることに変わりは無い。
囮という名目でウラヌスが外を歩き回り、子供の集まる村長の屋敷で杖を持ったタバサが待機をする。
だが、結局2日目は吸血鬼どころか屍人鬼の姿も見つからず、村人たちにとっての恐怖の夜がまたやってくる。
「こんな貧乏な村故にささやかな物しか用意できませんでしたが、よろしければ……」
「ありがとう」
ぺこぺこと頭を下げる村長にお礼を述べるタバサが着いているのは、屋敷1階にある台所のテーブルの上。
料理を黙々と口へ運び始めるタバサとその隣に座りやはり何をするでもなく事の成り行きを見つめるばかりのウラヌス。
向かい合うように気の良さそうな笑みを浮かべる村長と、更にその隣でタバサの姿をじっと見つめているエルザがいた。
「お食べにならないのですか、騎士様?」
「ああ、そうだな……」
何か粗々でもしでかしてしまったのだろうかと心配そうに尋ねてくる村長の声にウラヌスが視線をテーブルの方へと向ける。
食事という行為自体に執着が無く栄養摂取以上の目的が無いウラヌスではあるが、たまにはいいかと少し気まぐれを起こすこともある。
「……!!?!?」
が、そのほんのわずかな気まぐれの所為で思わぬところで手傷を負うハメになってしまうとは。
目の前の色鮮やかなサラダから摘み上げた紫色の葉っぱを口にした途端、ウラヌスの口内に広がったのは強烈な苦み。
あまりの苦さにウラヌスでさえ表情を歪めて喉を抑え込んでしまう。
幸いにも咳き込んだりはしなかったが、それでも飲み込んだ後にも後味の悪さが残ったままだ。
「…………美味いのか?」
「好物」
その紫色の葉っぱ、ハシバミ草を珍しく目をキラキラさせながら次々に放り込んでいくタバサ。
ウラヌスの食べかけにすら手を付けていく様を前にしては、流石のウラヌスでさえ動揺を浮かべてしまっていた。
崩壊世界の中、ロクに食べ物も手に入らない中ですらこんな物は存在していなかったというのに。
「ねえおねえちゃん、その野菜も生きていたんだよね?」
と、コップに入った水を口に付けるウラヌスを他所に、三杯目のサラダに手を付けていたタバサを前にして、
唐突にエルザが食事の手を止めて静かにタバサに問いを投げかけていた。
「野菜だけじゃない、こっちのお肉やお魚も、全部殺して食べている。どうしてそんなことするのかな?」
純真な少女の疑問、それに耳を傾けていたのはタバサだけではなくウラヌスもであった。
食物を糧に生きるための栄養を得るのは人間のみならず、他の多くの生命体にだって共通していること。
その当たり前に対してのエルザの想い。
「生きるため、私たち人間が生きるためにそうしている」
「じゃあ吸血鬼は? 吸血鬼が人間の血を吸うのも生きるためじゃないの?」
「そう」
「だったらなんで吸血鬼のことを邪悪だとか恐ろしい怪物だなんて言うの? やってることは同じなのに……牛さんや魚さんだって食べられるのは嫌な筈なのに」
「おやめなさいエルザ、お前だって吸血鬼に血を吸われたら嫌だろう? それに牛や野菜は食べられることが幸せなんだよ。私たちの体になってくれるのだから」
「だったら、人間の血を吸う吸血鬼だって同じ風に思っているんじゃないの?」
短く呟くタバサの答えもやはり同じ、人間が生きるために必要な行為だからというシンプルな答え。
それを聞いてエルザが返すのは、今この村を襲っている吸血鬼がしていることも同様でしかないということ。
生きるために他者を殺めるということに違いは無いのに、何故吸血鬼だけはそれを否定されるのか。
戸惑いながらもエルザを諭そうとする村長の言葉にも、やはりエルザは納得いかないように澄んだ瞳を向けたまま。
「くだらないな」
「えっ……騎士のおにいちゃん?」
そのやり取りを聞いて思うことがあったのか、突如ウラヌスが口を開いてエルザの問いに答え始めていた。
「俺達が生きる上で他者の命を刈り取るのは当然、その当然に一々疑問を挟んでいたら何もかもが成り立たなくなる。そんな問いを表に出すだけで無駄なんだ」
「じゃあ、おにいちゃんは吸血鬼が人間の血を吸うのも当たり前だから考える必要が無いって、そう言いたいの?」
「吸血鬼どもの食物が人間ならそういうことだ。糧となる、糧とされる連中を哀れむ必要などどこにもない。強いて言えばそれは狩られる側の弱い連中が悪い」
「……やっぱり、おにいちゃんも不思議な人。村のみんなは吸血鬼が悪い悪いって言ってるのに」
「命のやり取りにくだらん理屈など必要ない。生きるためだろうが単なる遊びだろうが、死ぬ時はどうであろうと死ぬだけだ」
吸血鬼の恐怖に怯える村の中でさえ、傲岸不遜なこの言いよう。
だがしかし、村長にとってもタバサにとってもすぐ横にいる2人のやり取りを見て、心内で動揺を浮かべてもいた。
メイジを恐れていた筈のエルザがメイジを相手に普通に話をしているということ。
普段は滅多に自身のことを口にしないウラヌスが、まさかエルザの様な子供を相手に饒舌に話をしているということ。
方向は違えどそのどちらもがそれぞれにとって非常に珍しい光景であったから。
「……でもどうして、私達にそんなことを聞いた?」
「よくわかんないけど……おねえちゃんもおにいちゃんも、冷たい目をしているから、かな。まるで雪の日に吹く北風、永遠に煌めき同じ場所で佇み続ける氷晶、そんな冷たい感じがするのに、おねえちゃんたちは地本当のことを言ってくれるんだって」
大嫌いなメイジすらも前にして、浮かび上がるのはエルザの純粋無垢なまでの眼差し。
ウラヌスもタバサもそれを前にして何を答えるでもなく、エルザの言の様な冷たい瞳で見つめ返している。
村長は村長でこんなに人様にエルザが懐いているのは初めて見たと、益々動揺を強めている。
パリ―ンッッ!!
そんな和やかさすら出始めていた食事の風景を瞬時に打ち壊す事態の急変が食堂の外から聞こえてくる。
すぐさま食堂から飛び出すウラヌスとタバサ、聞こえてくるのは複数の悲鳴に足音、人とは思えぬ悍ましい声。
「アレキサンドルよ! やっぱり彼が屍人鬼だったのよ!」
子供を抱えてパニック状態の母親の1人が腰を抜かしながら泣き喚く。
駆けつけたウラヌスとタバサが見たのは、窓ガラスを割って屋敷へと侵入し、子供の1人を片手で鷲掴みにしている屍人鬼。
ずっと疑いを持たれ続けていたアレキサンドルは、前日見た時とはまるで違う、目は血走り牙を剥き出しにして低く唸りを上げる正に怪物としか言いようのない様相をしていた。
「イル・ウィンデ――」
このような非常事態になってしまっては囮だなんだと言っている余裕などない。
すぐさま杖を手にしたタバサが瞬時に詠唱を終えて風の刃を解き放ち、アレキサンドルの掴んでいた子供を解放する。
獲物を取り落してしまったアレキサンドルはすぐさま向きを変えて窓ガラスから逃亡しようとするが、続け様に前へと乗り出したウラヌスの追撃がそれを許さない。
ライズによって高められた身体能力から放たれた蹴りの一撃で、屍人鬼とかしたアレキサンドルの巨体が容易に外へと吹き飛んでいく。
「始祖よ、不幸な彼の魂を癒したまえ」
逃亡も虚しく、村の畑の一画でアレキサンドルはすぐに回り込まれてしまい、ウラヌスに組み伏せられてしまう。
それを確認したタバサが今度はアレキサンドルの体に土をかけ、錬金で油に変えてから火をつける。
屍人鬼にされた人間が元の人格を取り戻すことは無い、噛まれた時点で吸血鬼の意のままに動く死体人形でしかない。
故に、その魂を解き放つには死体を完全に消失させるしか方法は存在しないのだ。
それをわかっているからこそタバサは一連の作業を躊躇なく終え、横にいるウラヌスと共に燃え上がるアレキサンドルの死体をじっと見つめていた。
「……待て、今度はあっちの方でまた好き勝手やっているようだ」
が、アレキサンドルを退けたのも束の間、ウラヌスの聴覚で捉えたのがまたしても人々の怒声と、目の前のそれと同じ何かが燃え上がる音。
振り向いたタバサが見たのは、村の外れから確かに火の手と煙が上がっている様子。
その方角の先に何があるのか、誰がいるのかをウラヌスもタバサも知っている。
アレキサンドルが燃え尽きるのも確認できぬままに、2人は再び村の中を駆けていく。
「死んじまえ吸血鬼!!」
「この炎ならあのババアも逃げられやしねえ!!」
数分もしない内に2人が到着した先にあったのは、轟々と燃え上がる一軒のあばら家にそれを取り囲んで罵声を浴びせる村人たちの姿。
何をしているかなど考えるまでも無い。アレキサンドルが屍人鬼だったという情報は瞬時に村人たちの間に伝わっていたのだから。
「ラグーズ・ウォータル・デル・ウィンデ――」
珍しく感情を露わにし、きゅっと下唇を噛んでタバサが杖を振り上げて魔法を行使すると、
燃え盛るあばら家は膨大な風とそれに混じる雪粒によって熱を失い、その火を鎮めていた。
アイス・ストーム。氷の粒が混じった竜巻を発生させる、タバサの持つ魔法の中でも最大級のトライアングルスペルだった。
「何をしてんだアンタ!!」
「証拠が無い」
「証拠ならあるさ!! 息子が屍人鬼だったってだけで決まりきったようなもんだろ!!」
「それに村の犠牲者の家の煙突にコイツが引っかかってたんだ、こんな派手な赤い布、あの婆さん以外にこの村で着てた奴はいねえ」
「おい! 家の中で消し炭になってやがった!! これで吸血鬼もお終いだ!!」
既に今のタバサに以前以上の鬼と化した村人たちを止める術は無い。
村人の1人が煙突から見つけ出してきたという絞り染めの赤い布きれは、確かにタバサも見たマゼンダの寝巻の一部であった。
直後に、鎮火したあばら家から出てきた村人の1人の報告。タバサがアイス・ストームを放つ前に家の内部は完全に焼き切れてしまっていたのだ。
そしてそれで全部終わったとばかりに村人たちは解散していく。口々にウラヌスとタバサへの文句を漏らしながら。
後に残されたのは顔を俯かせるタバサに心底呆れきったように目を細めるウラヌス、何を言えばいいかわからない村長とその後ろでしがみ付いているエルザ。
「……おねえちゃんが、メイジだったんだね……魔法、使えないって言ってたのに……!!」
「…………」
「嘘つきッッ!!」
信頼を寄せていた相手に騙されていたというショックは幼い子供の心をどれだけ傷つけたのか。
哀しそうな声でエルザは叫んだ後、その場を駆けだして姿を消していた。
*
マゼンダが吸血鬼でその息子のアレキサンドルが屍人鬼、その両者を始末した以上、村から恐怖は去った。
村人の総意がそれであり、村長もまたウラヌスとタバサへの村人たちへの非礼を詫びながらも同じ思いであったようだ。
1時間ほど時間が流れ、一所落ち着いた後に2人は部屋へと戻って帰り支度を始めていた。
尤も、ウラヌスもタバサもこれで今回の任務が終了したなどとは露程も思っておらず、その先に考えている真相も同一の物。
「すごいでしょ! おねえちゃんの大好きな草がいっぱい生えているの!!」
そんな中で2人は今、エルザに連れられて村の森の奥にある開けた草原へとやってきている。
月明かりに照らされて淡い光を放っているその場所は幻想的な美しさを醸し出しており、月光の下で舞を舞うかのようにはしゃぐエルザにも笑みが見られる。
感情のままにタバサを傷つけてしまったと詫びてきた上で、ウラヌスとタバサに見せたいものがあるというエルザの言葉と案内に導かれるままに2人はついてきてた。
食事の時に美味しそうに食べていたからと、少女の好意のままにタバサはムラサキヨモギを摘み上げている。
ウラヌスは特に何をするでもなく、やはりエルザのことをジッと見つめたまま草原の一画で動かない。
やがてタバサがムラサキヨモギを両手にいっぱいに抱え終えたその時。
――ねえおねえちゃん―――ムラサキヨモギの悲鳴が聞こえるよ、いたい、いたいって。
その場の空気がドロリと濁り、ウラヌスとタバサのいる月光の下の草原を支配していく。
すぐさまタバサは杖をに手にかけ、ウラヌスもPSIを発動しようと臨戦態勢に入ろうとする。
「眠りを導く風よ――枝よ、彼女の自由を奪いたまえ」
だがそれよりも早くにエルザが詠唱を終えたのが、一部の種族が違う先住の魔法。
村の犠牲者たちと同じように、ウラヌスは一気に意識が重くなり、体から俯せに倒れ込んでしまう。
一方でタバサの体は生き物のようにしなる複数の木の枝に絡め取られ、近くの1本の木に張り付けにされてしまう。
「吸血鬼」
「そうだよ、吸血鬼は私。おねえちゃんが睨んでた通り、煙突から忍び込んでみんなの血を吸っていたの」
拘束されたままのタバサの前に立つのはニィッと満面の笑顔を浮かべるエルザ。
だがそれは今までの無垢な少女の物とは真逆、最悪の妖魔という名に相応しい、牙を剥き出しにした邪悪な笑み。
「みんなを、私たちを騙していた」
「嘘は言ってないよ? メイジに両親を殺されたっていうのも本当。それに誰も私に吸血鬼かどうかなんて聞いてこなかったもの」
完全な優位に立っているエルザは指一本動かせないタバサの前でトントンとステップを踏みながら得々と語っていく。
「住みついてからすぐには獲物を狩らない、まずは半年我慢してから、その矢先にやってきたのが疑いを向けるのにうってつけのあの2人。アレキサンドルはとっても優しい人だったよ、だから簡単に血を吸って屍人鬼にできたし。村の人たちもとっても単純。私が事前にあのお婆さんの布きれを仕込んだだけですぐに行動を起こしてくれた」
「…………」
「メイジは大嫌いだけど好き嫌いはよくないから、だから真っ先に美味しくいただくの。前のえばりんぼさんと違っておねえちゃんは用心深かったから、だから一緒にいればわかるかなーって」
嬉しそうに語り続けるエルザの声と仕草は一見すれば少女らしいあどけなさが見えるが、
その度に覗かせる鋭い牙とギラギラと輝く不気味な両目が彼女が吸血鬼であることをまじまじと実感させる。
「……!!」
「美味しそう……まるで雪の様に白い肌……あっちのおにいちゃんとおんなじ、こんな良質な獲物たちは本当に久しぶりだわ……そんなおねえちゃんの美しさが、おにいちゃんの言ったように私の糧となって永遠に生き続けるんだよ?」
「…………」
「その冷たい目、一目見た時からおにいちゃんもおねえちゃんもとっても興味深かった。嬉しかったの、本能からわかりあえる、私が会った中で最高の人間たちだって」
先住の魔法によって操られる木々の枝がタバサの薄い衣服をビリビリに切り裂き、その白い肌を剥き出しにしていく。
ズタボロの布きれ同然になった服を纏うタバサの隙間から見える肌をねっとり撫でまわしながらエルザは語りを続けていく。
自分の勝利を確信しきっているその声と瞳には一種の恍惚感すらも見られるほどだ。
「ねえおねえちゃん、あの時と同じ質問をしてあげるね? おねえちゃんがムラサキヨモギを摘むことと、私がおねえちゃんの血を吸うこと、これに何の違いがあるの?」
「……どこも違わない」
「そうだよね、どこも違わない。そんなおねえちゃんが本当に大好き、だからじっくりゆっくり、味わうように血を吸ってあげる」
絶望的な状況の中、尚も眉一つ動かさないタバサの姿にエルザは益々その感情の昂りを強めて興奮状態になっていく。
そしてゆっくりと、動けないタバサの首下に牙が突き立てられ……
ガシッ
「…………え?」
「少し驚いたぞ。まさかあれほどのレベルで精神に干渉してくるとは。あっちの世界のトランス使いでもそうはいない」
「そ、そんな……どうして? 眠りの魔法をこんな早くやぶ―――ぐげごっ!!」
……るその前に片手で抑え込まれる小さなエルザの体。
振り向いた先にいたのは、少し前に先住の魔法で確かに眠らせた筈のウラヌス。
どういうことかわからない、思考が恍惚から一気に混乱へと切り替わるエルザの腹をウラヌスは容赦なく殴り飛ばす。
「がほっ……!! ぐはっ……!!」
「まあ、俺の意識を完全に支配するにはまだ足りないがな」
「!!……ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ――」
「がああっ!!!」
死ぬ時は死ぬ、その瞬間は数奇な運命の巡り会わせでいつ起こるかは本当に神の気まぐれの如しである。
エルザの行使した眠りの先住魔法は、ウラヌスからすればPSIの一種であるトランスの働きかけに非情に似通っていた物。
それを敢えてわざと受けた上で、自身の膨大なバーストの波動でその干渉を相殺して見せるという芸当。
ウラヌス自身が語る様に、予想以上に相殺にエネルギーを割かれ、彼にしては珍しくエルザの力量を純粋に褒めていた。
尤も、系統魔法とは比較にならない力を持つ先住魔法を真っ向から打ち消すなどという芸当も、やはりハルケギニアのメイジには不可能な荒業。
相変わらずの無茶苦茶振りを目の当たりにしながらも、タバサはウラヌスがライズの腕力で強引に木の枝を引き剥がし、
未だウラヌスの一撃で膝を着いて激しく咳き込むエルザに容赦なく追撃を加えていく。
大気が氷結し、何十もの氷の矢がエルザの小さな体を滅多刺しにして地面に転がしていた。
「……私が煙突を調べた時にはあんな布はどこにもついていなかった。となると犯人は限られてくる、だから尻尾を出すのを待っていた」
「さ、最初から疑いを持たれていた……ってことね……」
「そいつはそうかもしれないが、俺は最初からお前が吸血鬼だという目星は殆ど付けていた」
「付け、て……な、なんでそう簡単に……」
「お前と同じだ、似ていたからだ。陰に潜み力を隠し、群衆の中に紛れ込むモノの目、それをお前は持っていたからな」
「……わ、わかってたのに……私を、野放しに……」
「最初に言ったように俺の目的はお前の力を見、お前と闘い、そして倒すことだ。その過程であの村の馬鹿な連中が何人死のうが俺にはどうでもいい」
どこまでも自分の目的の為に泳がせていただけ。
氷の矢で地面に縫い付けられ、血だらけの体でか細く呼吸をするエルザにすらその男の思考が理解できない。
吸血鬼という、人とかけ離れた妖魔ですら、ウラヌスという怪物は規格外すぎる相手だった。
「お、お願い、ころさないで……おにいちゃんだって言っていた、貴方たちも私もどこも違わない、生きるために必要なことだって、だからこのまま放っておいて、そうすれば他の村に―――」
「糧になるヤツの戯言など気にする価値も無い。力はあっても頭の出来はそこまでよくないようだな」
「あ……ひっ……な、なんで! どうして! 私は悪くないのに!!」
元の甘えた少女の声で、涙ながらに命乞いをするエルザに対してもウラヌスは全く抵抗を見せない。
瀕死の自分の命を完全に刈り取る死神、ウラヌスを前にエルザはもう必死に逃れようと喚くことしかできない。
それでもウラヌスは歩みを止めず、エルザの体に右の掌を置く。
「お前は生きるためにこうしてきたんだろうが、俺は生きることは闘うための手段に過ぎん」
「い、生きることが……手段……!?」
「理想もへったくれも無い、生き方もわからない、中身が空っぽで何のためにも生きられなかった。俺の見出した唯一が闘い、強さを得ることだ」
「な……に……それ…………」
「だからあの男に、この女に付いてきている。俺が俺として存在していられる理由がまだ残っているからだ。世界がどう変わろうと10年前までのくだらん世界よりは遥かにマシなんだよ」
冷たい、無機質そのものな瞳で吐き出されていく、エルザの問いに対する更なる答え。
生きるために、という問いそのものがその時点で見当はずれだったなどエルザにはわかる筈も無い。
ウラヌスという、エルザの目の前にいる怪物は、生きることと闘うことはイコールでしかないのだから。
――グラシアルウォール
語られていく言葉を何一つ理解できぬまま、右手を中心に発せられる異常な冷気。
ウラヌスが放つ最大級による氷結により、ムラサキヨモギの園諸共、毛先の一本まで完全に凍りつくされ、エルザという吸血鬼はその生涯を終えた。
*
真の吸血鬼、エルザの討伐を以て、サビエラ村を恐怖で包んでいた吸血鬼事件は今度こそ完全な解決を迎えていた。
タバサは凍結したエルザの死体を処理した後、村長には王都に親戚が見つかったから共に連れて行くと置き手紙を残していった。
一度でも笑顔を見たいと実の娘のように可愛がっていたエルザのあまりにも無慈悲な正体。
その悲しみを少しでも軽くしたいと願ったタバサによる采配も、ウラヌスには到底理解が及ばぬことである。
「……あの時、私と共にいるのも闘うためだと貴方は言った」
「確かにそうだ。そして実際、今回も吸血鬼の使う眠りの魔法はなかなかのもんだった。他の能力に関しては及第点以下だがな」
「……私がそれに値しなくなったら、貴方はいなくなる?」
「そんなことを今言われても俺にはわからん。わかっているのは、任務という形でそこそこに闘う価値のある連中と遭遇できる、アンタの側にいるのは俺にとって都合がいいということだけだ」
「そう……」
帰りの竜篭の中、読んでいた本から視線を上げてタバサはウラヌスに問いを投げかける。
視線すらも動かさないまま、ロングコートの襟に隠れる口元も窺えず、ウラヌスから返ってくるのはお決まりの答えだけ。
それをわかってはいたものの、タバサはそれ以上聞く気にはなれず、再び視線を下に落として読書へと戻る。
(……闘いの中だから、きっと心を剥き出しにしていた…………)
だが、前回の任務の時と同じように、タバサの脳裏で渦巻いているのは先頭の際のウラヌスの姿。
吸血鬼という怪物を圧倒しながら、高揚した感情の下で自分も確かに聞いたウラヌスの生きるということに対する価値観。
生きるために闘うのではない、闘いたいから生きている、闘いがあるから生きていられる、ウラヌスという自分でいられる。
自分のすぐ側でまたいつものように静止状態を保っている男の全てを繋ぎ止めているのはやはり闘いなのだということを改めてタバサは思い知ったのだ。
きっと闘いという自分の全ての中だからこそ、自分が何度尋ねても簡単には答えない自身の本心を曝け出していたのだろうと。
(…………でも……)
自分と共にいるのもその為だけ。闘えないことは彼にとって死ぬことと同意義なのだろう。
……強さを求めることに明確な理由を、家族を救うためという譲れぬ目的を持つタバサにはやはり理解できないこと。
同時に、そんなウラヌスの在り方を"寂しい"と思ってしまうことに、タバサは人知れず言葉に表すことのできないモヤモヤしたものを感じていたのだった。