ぱちりと瞼が開く音がした。光に透けると金にも赤にも変わる琥珀色の瞳がゆらりと、絶望に涙がにじむ。そこは、十五年間閉じ込められていた暗い暗い座敷牢だった。シミがある天井。傷だらけの座卓。ゆらゆら揺れるあまたの蝋燭。きれいに磨かれた碁盤。重い、重い、木の格子。
「──なんで」
絶望にぬれた声が座敷牢に染み渡った。その声に答えるものは誰もいない。
使い古された布団をめくりあげ、誠は飛び起きる。見つかったのか、雪代は無事なのか、叶は。一瞬のうちに様々なことが頭の中を駆けずり回り、血の気がさらさらと引いていくのを彼は感じた。いやなものが背筋を伝う。
「──なんで」
浅い息を繰り返す彼の視界に、きらりと光るものがあった。白いユリが描かれた黒の手鏡。自分の顔を知らなかった彼に、雪代がかつて渡したもの。誠にとって大事なものを、彼を厭う異母弟やその母親が目につくような場所に置いておくはずがない。割られないようにと布に包んで箱にしまっていた手鏡が、無造作に机の上に置かれている。浅い息を意識して抑え、誠はその手鏡に手を伸ばした。
恐る恐る鏡をのぞき込むと、そこにはにこりと笑う男がいた。
手の内で笑っているのは本堂誠の顔ではない。無意識のうちに誠は瞼をきつく閉じ、眉を寄せる。
「──っなんだあ、夢かあ」
極度の緊張から解かれた誠は、はあー、と肺の底まで空気を吐き出した。強張った筋肉をほぐすように肩をまわし、眉間を指で揉みほぐす。
ことり。座敷牢の中に音が響いた。
(碁笥の音…)
目元に置いていた手をはなし、誠は視線を滑らせる。
長くつややかな髪、女のように白い肌、たおやかな笑み。本堂誠が会ったことも見たこともない人物が碁盤の前に座り、碁笥のふたを開けていた。
「さあ、打ちましょう」
男は鏡の中と同じぐらいにこやかな笑顔で対面に手をさした。誠は眉間から離した手に顔を置き、抑えきれないように肩を震わせて喉で笑う。
「はあ~っ。……ふふ、いいよ。打とう」
指でぬぐった目じりの涙は、決して絶望からのものではなかった。
藤原佐為。
本堂誠の前世の姿にして、囲碁にその人生を捧げ自ら命を絶った男。死してなお彼は囲碁への愛にその命を捧げ、その熱い思いは輪廻転生へと向かう魂から逃げ出した。結果的に輪廻の渦を超えて前世のすべてを忘れ生まれ変わった本堂誠と、神の一手を極めるために生を捨てた藤原佐為に一つの魂は裂かれた。
その後前世のすべてを忘れた本堂誠が藤原佐為という存在を思い出したのは、抜け落ちた佐為がきっかけだった。佐為が空けた心の穴に本堂誠が違和を感じ、気づいたからこそ、彼は前世の姿そして自身から抜け落ちた心の存在を思い出したのだ。それは本堂誠にとって大いなる救いとなった。疎まれ軽んじられ蔑まれる監禁生活の中で、本堂誠にとっての藤原佐為は暗い地下牢にさす一筋の光だったのだ。
(不思議な感覚だ…)
佐為の対面に座り、誠は不思議な感慨にふけっていた。目の前には、自分自身。過去であり現在、前世の姿であり抜け出した魂の一部。それが今、目の前にいるのだ。逃げ出して一人だけ安穏と過ごしていることを僻み憎悪した。その自由さと情熱にひどく恋い焦がれた。誠にとって一言では言い表せない感情を抱く存在。
「夢…なのかな。夢でもいいや。会えて、嬉しい。場所が牢なのがちょっと窮屈だね」
「私も嬉しいですよ。…そうですね。あなたは、ここしか知らないから」
佐為の声は美しい容姿に見合った美しい声だった。美しい声に誠は僅かに首をかしげる。
「牢からは出たよ」
いいえ、と佐為がほほ笑んだ。
「実際今ここにいるのだから、あなたの魂はまだ囚われているのでしょうね」
「そっかあ。長かったもんなあ」
そっかあ…、と誠は佐為から視線を外した。座敷牢を虚ろに眺めて、しんみりと目を閉じる。
「十五年ですもんね」
「そうだね」
「打ちましょう。ね、私と打ちましょう。さあ、石を握って」
降りていた瞼がゆっくりと開き、琥珀色の瞳が佐為を見つめる。光に透けると金にも赤にも変わる琥珀色の瞳がやさしく誠を見つめていた。
ぱちりぱちりと、二人は軽快に石を置いていく。迷うことのなく紡がれていく道筋に二人は一様に笑みを深めた。
唐突に誠が言う。
「お前はさ、僕のことを誠と呼ばないね」
ヒカルのことはヒカルと呼んでいたのにね。そう言った誠に佐為は暫し沈黙してから「あなたも」と笑みを浮かべた。
「あなたも私のことを佐為と呼ばない」
あの童女はお雪と呼ぶのに。そう言われて、仕返しかと観念したように誠は「ごめんごめん」と笑った。
「あなたは私に誠と呼ばれることを嫌ってる」
いくつか手が進んだあと、佐為は息を吸い込んでから言った。その声に誠は持ち上げていた石を碁笥に戻す。かちゃりとなった石を手元で撫でて、佐為に続くように言葉を紡いだ。
「自分自身ではないと拒絶されてまた逃げ出すんじゃないかと不安になるから」
「そしてあなたは私に佐為と呼ばれることも望んでない」
「僕は藤原佐為という人格を清算してしまったから。純粋な藤原佐為は今やもう、お前だけだから」
ふう、と息を吐いて誠は撫でていた石を指で挟んで盤上に打つ。数間おいて次の手を打った佐為は碁盤から目を上げ誠を見据える。
「自分で分かっているのに、私に問いかけたのは何故ですか?」
「僕が、僕であることに誇りを持てないから」
「誇り?」
「本堂誠として生きていく自信を保つための、誇り」
ぱちりと、石がなる。
誠は虚空を眺めていた。十五年間の闇にふけるその顔に佐為は心配げに眉尻を下げる。
「十五年間、ずっと牢の中にいた。蔑まれ、貶められ、人格を否定され続けてきた。お雪がいたのも、お前の存在に気づいたのも、お前が戻ってきたのも僕にとっては救いだったよ。じゃなきゃとっくに死んでた。自殺するのは自制することはできた。でも、生きる希望までは与えてくれなかった」
「死にたいのですか?」
「死にたいっていうかさ、生きる意味がわからない」
死んではいけないと彼は強く止めなかった。彼も死にたいわけではないと否定しなかった。彼と彼は死で繋がる関係だったからだ。自殺した魂が二分した存在なのだから。
「あなたは十五年も不遇の時を過ごした。その十五年はもう戻ってはこないけれど、あなたにはまだ未来がある。藤原佐為が死に、私は亡霊となり、あなたは転生した。あなたは、生きているのですよ」
美しく、やさしい声音だった。虚空をさらっていた視線が佐為へと向けられる。二対の眼が見つめあい、片方が瞼を落とす。目を閉じたのは誠だった。
「外に出れて嬉しかった」
噛みしめるように誠は言った。
「本当にうれしかった。月が綺麗だったよ。ベッドが柔らかくて心地よかった。お雪も、叶くんも、僕は大好き」でも。それでも、と誠は続けた。「でも、そんなので許してやるものかって叫ぶ僕がいる。許せるものかって、がなる僕がいるんだ」
「目を開けて」
佐為が言った。誠は瞼を閉じたまま。再び佐為が言う。
「ねえ、目を開けて。私を見て」
ゆっくりと誠は目を開いた。佐為を見つめたまま「なんて言えばいいんだろう。わかんないなあ」とぽつりと言った。
「言って」
美しい声が促す。
「あなたのすべてを、私が聞いてあげる」
じわりと、涙がにじんだ。涙ににじむ目を佐為は見つめる。涙が零れることはなかったが、涙の膜がきらきらと揺れていた。
「心の、……心の闇を、ずっと隠してきた」
「ええ」
「自分を騙すためでもあったし、お雪が来てからは、あの子に見せないため、に…」
「続けて」
「……不遇な人生を、呪ってないって涼しい顔してさ、外には一生出られないって諦めたふりをしてた。殴られてもへっちゃらって顔して。でも時々無性に我慢できなくなるんだ。あいつら殴り返して、髪をむしって、目玉を抉って、殺そうと思ったことが何度もあった」
誠は顔の前で合わせた手で口と鼻を覆う。しわが寄るほど、目をきつく締めて、また開く。
「大好きなお雪でさえ憎くなる時が、あったんだ」
黒い髪がさらさらとゆれる、あの可愛い女の子でさえ。
「僕を慕うくせに僕を救い出せない弱い存在が目障りで、格子の間から腕を伸ばしてあの細い首を絞める想像を何度もしたんだ。いつもじゃないけど、思い出したようにそんなイメージが頭に浮かんでた。殺したいわけでも傷つけたいわけでもないのにさ。可愛くて大事にしたくて、大事にしてきた子なのに。どうしようもない狂気が僕の中にある。十五年間。長かった。僕には長かったよ。十五年間もあんな暗い場所に閉じ込められていた人間がまともでいられる訳ないんだ。狂うよ。僕は、狂ってる」
しょうがないよね、と誠は笑って見せた。
泣き笑いの顔で「いやだなあ」と彼はつぶやく。
「時々蝋燭を灯してくれない日があったんだ。食事も出されなくてさ」
「怖かったですか?」
「うん、怖かった。時間の感覚が全く掴めないのってさ、結構精神的にくるんだよ。怖かった。暗闇に押しつぶされそうなあの感覚は、もう二度と味わいたくないなあ。火種を持ってこなかったのも、食事を持ってこなかったのも世話係の爺だった。人でなしって罵ってやりたかった。でも、あんな顔されたら何も言えないよね。孫と僕を天秤にかけて僕を捨てたくせに、あんな顔するんだもん。ずるいよ」
笑う誠を、佐為は目をほそめて見つめた。
(かわいそうな子──)
哀れみも同情も誠は佐為から求めないと思い、佐為はなにも言わなかった。なにも言えなかった。その苦しみは、同じ存在である佐為であっても触れることはできない。本堂誠だけのものだ。本堂誠だけに許された苦悩だった。
「あいつらも同じ目に合わせなきゃ気が済まない。いや、たぶん、同じ目に合わせても気が済まないかも。きっと平和に過ごしてきた人が想像できないような惨たらしくて残虐な方法であいつらを殺しても、気が済まない」
二度瞬いて、誠は佐為を見た。
「引いた?」
「いいえ」
ゆるりと佐為は首を振る。
「そっか」
「ありがとうございます」
「お前がお礼を言うの?」
「ええ。あなたが私にすべてを教えてくれたから」
そっか。誠が小さくつぶやく。
「はじめてだった」
「誰にも言えなかったでしょう」
「うん。こんなの、お雪には聞かせられない」
「かわいい子ですよね、本当に」
「そうだろう? あの子には、きれいな僕だけを見ていてほしい」
「きっとあの子はそれを望んでいないでしょうけど、あなたはそうしたいんですね」
「年上の意地だよ。だってあの子まだ、十三歳なんだもの」
笑いながら誠は石を置いた。
「切り込んできましたね」
「横断したくなっちゃって」
「簡単にはいかせませんよ」
「だろうね。でも、受けて立ってくれるでしょ」
「もちろん」
緩やかな攻防が、誠の一手で乱戦へと突入した。複雑に展開していく白と黒の流れに、ふつふつと湧き上がる高揚感。頬が緩んだのがどちらなのか、盤上を睨む彼らにはわからない。佐為が打ち込んだ一手に誠はハッとした。ヨミでは考え付かなかった手を打たれたのだ。思わぬ新手に顎に手を当て長考に入る。自分自身に読み負けてしまうなんて、と悔しさに口の端が強張った。抑圧されていたが、本堂誠は本来たいそうな負けず嫌いである。長考の末に置いた石にすぐに応じられ、ため息をついた。
「僕はね、お前のこともずっと憎かった」
「そうでしょうね」
悔しいなあ。本堂誠はそう思った。
誠は雪代に佐為の名を自身の名として教えたけれど、誠は誠でしかない。それをわかっていてもなお、誠は佐為を自身にかざした。嫌いで嫌いで、うらやましい彼の名前を。
同じ魂を持つ存在。前世の自分。抜け落ちた心。同じであるはずの存在だが、誠と佐為は違った。同一であり、異質の存在だった。佐為と誠は同じように長い孤独を味わった。碁盤と牢で。けれど佐為には誠に向けられていた他者からの醜い悪意誠を向けられていない。
碁の天才、藤原佐為。生前の彼、そして孤独を抜け進藤ヒカルと出会った彼は、多くの人間に賞賛され羨望をうけていた。
それに誠は裏切りに近いものを感じていたのだ。恨みと憎しみと羨望を藤原佐為に向けていた。なぜおまえだけが、と。どうして僕だけが、と。牢に閉じ込められ蔑まれる本堂誠と、囲碁に生き囲碁に死に夢を追い続けた藤原佐為。千年を生きた佐為は、誠にとってまぶしかった。自身の闇に押し潰れそうな醜い自分とは、比べものにもならない。
「お前を憎んでしまう、弱くて矮小な本堂誠として生きていけるのかな」
「生きていけますよ」
「根拠は?」
「私が意地っ張りだから」
「僕も意地でも生きるだろうって?」
「はい」
(よくわかってるなあ。──僕自身だから、なのか)
自分自身だ。藤原佐為であり藤原佐為ではない誠と同じく、碁盤を挟んで誠の前に座る佐為も完全な藤原佐為ではない。
目の前の佐為は藤原佐為のたった一部だ。輪廻転生にまわる直前に逃げ出した魂のたった一部。
「神の一手を極めたい」その願いだけが抜け出した。だから進藤ヒカルに出会った藤原佐為はよく笑い、泣き、感情のままに碁を打ち、貪欲に神の一手を求め続けた。本来の藤原佐為はそんな顔をしない。公家の生まれの佐為はいつでも流麗で、囲碁にその身を捧げていたが勝利への貪欲さは美しい笑みの下に隠していた。宮仕えをしていたのもあっていつも隙をみせず、雅に、泥臭さなど感じさせずに生きていた。佐為の君。高潔な人間だった。
だからよけいにうらやましい。佐為の君が縛られた俗世のしがらみにも、本堂誠を閉じ込めた重い木の格子に阻まれることもなく、自由に自分の欲望のままに生きた碁打ちの藤原佐為がうらやましい。
「ありません」
「ありがとうございました」
「半目かあ」
「私に半目なのだから、誇ってもよいのですよ」
「ふふ、ぬかせ」
「口が悪いですよ」
「知ってるくせに。これも僕だよ」
じゃらじゃらと石を片付ける音が蝋燭がゆれる座敷牢に響いた。
「純粋な藤原佐為はもうお前だけ。でもお前も完全な藤原佐為ではない。藤原佐為はもう死んでしまった。自ら沈み、命を散らしたんだ」
淡々と誠は言った。
「お前も僕も、完全な藤原佐為にはなれない」
「そうですね。藤原佐為は千年前に死んでしまった」
「僕は藤原佐為の生まれ変わりの、本堂誠。お前は?」
「私は藤原佐為の死から逃げ出した亡霊。永い時を彷徨い、本堂誠となった」
誠は笑った。満足だというように、朗らかな笑みだった。うん、おかえり。碁石をまとめながら呟いた言葉に、ただいまと佐為も呟く。
「ふふ、それ、僕じゃないんだよね」
「え?」
笑いながら、誠が佐為を見つめる。その笑みの真意をつかめずに佐為は首を傾げた。その様子に「ええ?」と困惑したような呆れ顔の誠に、彼の首はさらに落ちていく。
「お前が本当にただいまって言いたいのは、僕じゃないんでしょう? 僕はお前がただいまって戻ってくるのをここで待ち続けてたけど」
やれやれと誠は笑った。
「帰りたいんでしょ」
どこへ、とは言わずとも佐為に伝わった。帰りたい。帰りたい。進藤ヒカルのもとに。
本堂誠の欠けた心の穴を埋めに戻った佐為が最後まで思っていた気持ち。
「ずっと一緒にいたいんでしょう? 僕は外に出れた。一緒にいるよ。お前が見届けられなかった進藤ヒカルの成長を見届ける」
「いいんですか?!」
「ふふ、ダメって言うと思う? 僕にとっても、多分彼は必要だと思うし…。うん。一緒に帰ろう?」
「まっ、まっ」
「マッマ?」
「誠~~~~! ありがとうございます!!!」
「は、はあ?!」
碁盤を乗り越え抱き付く佐為。狼狽える誠。立ち上がって逃げようとするも、誠の首には佐為の腕ががっしりとつかまってある。
「ちょ、ちょっと、ねえ」
「ありがとう! ありがとう誠!」
うわんと肩口で泣かれ、誠はため息をついた。諦めだ。肩にぶら下がったままの佐為の背を撫でると、彼は顔をあげた。赤らむ頬に涙にぬれた目。そんなに好きなのかと誠は目を丸めたが、進藤ヒカルと出会ったことがない誠でさえ、佐為の気持ちが伝導して進藤ヒカルに全幅の信頼を置いているぐらいだ。きっと自分を、本堂誠という存在を受け入れてくれると信じている。
(僕にとってのお雪みたいなものかな)
彼は愛しているのだ。向日葵みたいに笑う愛弟子を。
「僕のこと誠って呼んだね」
すん、と佐為が鼻を鳴らして袖で涙をぬぐう。
「だってもう、嫌じゃないでしょう? 誠」
一度誠から体を離し、腕を広げて誠の頭を抱き寄せる。大きな手に、柔らかな絹の袖が体を包み込む心地よさに誠は目を閉じた。
「私は進藤ヒカルという棋士を生むために永い時を亡霊として彷徨った。進藤ヒカルに、あの一局を見せるために存在した。そして、戻ってきたのは本堂誠の闇を受け入れるため。本堂誠の醜い心を、受け入れるため」
「──うん」
「誰にも明かさないあなたの闇を、私だけが受け入れ、あなたと本堂誠として生を全うするため」
「うん」
「誠、生きなさい。私にはなかった未来があなたにはある」
「うん。生きるよ」
大きな手が誠の髪を撫でる。
「生きるよ」
背に回した腕。強く、きつく抱きしめてから体を離した。
「ヒカルを頼みましたよ」
「うん。…佐為」
「はい?」
「ふふ、佐為」
「はい!」
「ありがとう、本当に。お礼に僕のこれからをお前の大事な弟子にあげる。僕はお前を恨んでもいたけど、やっぱり大好きだよ、佐為」
「ありがとう。ありがとう、誠。私もあなたが──」
ぱちりと瞼が開く音がした。
「あっ佐為さま起きられましたね! おはようございます」
ベッドに両腕をついて誠の顔をのぞき込む雪代が、にぱっと笑みを浮かべた。
光に透けると金にも赤にも変わる琥珀色の瞳がゆらりと、涙ににじむ。
「佐為さま? 泣かれておられるのですか?」
「…おはよう。おはよう、お雪」
「泣いておられます」
「いいんだ。いいんだよ」
心配気な雪代の首に腕をまわし、抱き寄せる。「わっ」とベッドに倒れた雪代の頭を抱きながら、誠は泣いた。
「ねえ、お雪」
「なんですか?」
「僕のこと、誠って呼んでみて」
「えっ? でも」
「呼んで」
「誠さま…?」
「ふふ」
「誠さま?」
「あはは」
「???」
不思議そうに雪代が誠の顔を見ようとするが、大きな手に抱きしめられて頭を上げることができない。離してくださいと胸を軽くたたくも、誠は楽しそうに笑うだけだった。
「今日は人生で最高にすてきな朝だ!」
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変更:地の文で本堂誠をさしていた「佐為」を分かりにくかったので「誠」に直しました。これからは「誠」で統一していきます。