ドンドンドンドン!!
朝から相棒の姿が見えないのを良いことに、今日は昼までダラダラすると決めたその日のこと。お昼ご飯にはまだ早いその時間に定宿の扉が鳴り響いた。
「セツナ大変!! リズがいないの!!」
わりかし不真面目プレイヤーの私のお尻を叩いてくれる大事な友人アスナ。ただ眠りを邪魔されるのだけはいただけない。誰だって昼まで眠りたいときはある。気だるい体を起こし、叩かれた扉を開けた。
「なぁにー…」
「信じらんない! こんな時間まで寝てたの!?」
寝ぼけ眼な私にキンキンと怒るアスナ。サボると言う言葉を知らないだろう彼女には信じがたい光景だったのだろう。
「だって昨日は…。」
今の最前線は結構なエグさだ。61層の通称むしむしランドに引き続き昆虫エリアなのだ。巨大なワームやら、細かく蠢く奇怪虫やら、オーソドックスな巨大カマキリやら…。敵の全てが昆虫類なのだ。正直気持ち悪い。挙げ句の果てにムカデまで出てきて悲鳴を上げればキリトにムカデは昆虫じゃないとかワケわからないことを言われるし、迷宮区にこもるのは結構なストレスなのだ。昆虫が好きとか言う女子がいるなら見てみたい。やつらの体液が、体に触れるのも嫌で、ついでに言えばノーブル・ローラスにも触れて欲しくなくて、適当なドロップ品で全体攻撃を繰り返すことが多い。戦闘効率は悪く、体力も精神力も多く消耗する。そんな前線にちょっと疲れていたところだ。
「だからって昼まで寝て良いことにはなりません!」
なんだか教務主任の先生を思い出した。アスナのご家庭はさぞかし厳しいのだろう。
「ごめん。それよりリズがどうしたの?」
そのまま叱られるのはゴメンなので話題を摩り戻すとはっとしてアスナの表情が一転した。
「そう! リズの位置が特定できないの!」
半分泣きそうな様子で訴えるアスナだがなぜそんなことをしているのか逆に聞きたい。
「…《圏外》に出ただけじゃん。」
「リズは生産職なのよ!それなのに昨日から…」
フレンドリストの表示は圏内、圏外で変化が出る。主に迷宮に入ると位置追跡が出来なくなりメッセージが届かなくなる。リズとてプレイヤーなのだからそりゃぁ圏外に出ることだってあるだろう。一晩迷宮でなんてそう珍しいことではない。ちょっと心配しすぎではないか。
「大丈夫だよ。リズだってマスターメイサーなんだから。」
心配するアスナをよそに、もう一眠りしたいと寝床に戻ろうとすると、アスナに扉の外まで引きずり出される。
「リズの経験値はほとんど鍛冶スキルで得たものなの! 戦闘になんて慣れてないはずよ!」
なんでそんなこと知ってるんだろうとアスナの愛情深さに畏怖を抱きつつも勢いに押されて頷く。
「…取り敢えず顔ぐらい洗わせてくれると嬉しいんだけど。」
そう言えばこの間金属の情報を流したからかな。やっかいなことにならなきゃいいんだけど。そんなことを思いながらノロノロとウィンドウを開き装備の変更をした。
一先ず48層の確認はしておく。リズのお店に行くとアスナの言うようにNPC店員がいるだけで、リズの姿はなかった。
「ホントだ。誰かと出掛けたのかな。」
イマイチ危機感の無い私にアスナは目に見えてイライラする。
「リズはギルドにも入ってないし男性プレイヤーは避けてるもの。考えにくいよ。」
念のため《生命の碑》見に行くよ、とズンズン歩き出すアスナ。おかしい…私の方が先にリズと出会いアスナを紹介したのに情報量が明らかに違う。
「他に女性プレイヤーとか…。」
「私たちより親交の深いプレイヤーも、レベルの高いプレイヤーもいません!」
後者はまぁ正解だとしても前者はやや図々しくないかと思ってしまうのは自分がディスコミュを体現したような存在で友達が少ないからだろうか。私にはおそれ多くてそんな風に堂々とは言えない。そう言えばキリトもどうやら昨晩帰ってないみたいだなと思いながらも彼のことだ。心配には値しない。以前のすれ違いがあってから連絡できる限りは連絡するようにしているが迷宮にいると突発的に帰れなくなることだってある。その辺りはさすがに干渉しない。そもそもあれ以降3分の2程度の時間は共有しているからそんなことも滅多にないのだけど。
《生命の碑》を確認すると当然リズベットの名前に線はなく生存していることが分かった。ついでにキリトも探し出して見ておくが当然横線は入っていない。
「ほら、生きてるよ。大丈夫だって。」
これで一件落着と思う私が冷たいのかアスナに睨まれる。信頼は罪ですか。彼女の鍛冶スキルへの集中力は果てしない。それを戦闘に向ければなんの心配もない。
「でも、一人で道に迷ってるかもしれないし。」
アスナが過保護なのか私が冷酷なのか。
「そんなホイホイソロで出掛けるような子じゃないでしょ。」
「それはそうね。どっかの考えなしたちとは、違ってそんな軽率なことはしないか。」
自分で言っておいて酷い。その考えなしはどうせ私とキリトのことに違いない。ソロで出掛けるのなんて私もキリト以外には知らない。
「…だから、そんなに心配すること無いって。」
「うん…。」
ひたすら振り回し暴言を吐いた後、アスナはギルドの用事があると去っていった。様子もおかしいおまけにだんだん私の扱いが酷い気がするのは気のせいだろうか。以前は私がソロでフィールドボスに挑んでも、ボス戦でHPがレッドになるまで戦っても真っ先に心配してくれていたのに。それは信頼と思っても良いのだろうか。
何となく気になるのは55層のこと。誰かに駆り出されてマスタースミス条件の可能性として同行したのではかなろうか。
寒いあの層にまた降りるのは気が進まなかったが、アスナの手前もあり念のため向かうことに決めた。
55層。景色だけは変わらず美しく。最前線でもない層をこんな短期間に訪れるのはそうない。
先日訪れたときと何も違わず、白銀の世界。クエスト受注から振り返り、足跡を追うことにした。一度辿った道筋、そう時間はかからないと思った矢先だった。遠くになんだか見覚えのある黒ずくめの姿が見えた。焦点を合わせ、対象をフォーカスすると、その姿が鮮明に見える。
「キリト!?」
それは昨日から帰っていない相棒の姿だった。コートも羽織らずいつもと同じ服装で。正直寒そうだ。そしてどこかの考えなしにも関わらず隣には緑のカーソルのパーティメンバーが見えた。珍しいこともあるもんだ。キリトは基本的に私以外とはパーティを組まないのに。
「キリト!!!」
少し大きな声で呼び掛けると、真っ黒い剣を上にかざし振った。エリュシデータ、結構重い筈なのに筋力値の無駄遣い。隣いるのはピンク色の服にらふりふりのエプロン…どこかで見たことのある女の子。ザクザクと音を鳴らし二人が近付いてくる。
「嘘でしょ…。」
それはアスナが探していたリズベット本人で、私の知る限り二人は知り合いではなく、当然に一緒にクエストに行くような間柄ではないはずだが。
心の奥では心配していたようで、リズが見付かったことにほっとしたと共に浮かぶのは疑問符と若干の苛立ち。彼女を危険な目に合わせたくなくて私は連れ出すのを止めたのにあの男…。無事に帰ってきたから良かったものの信じられない。
近付いてくるのを睨めつけながら待っていると、リズが駆け寄ってきた。
「セツナ! どうしたの!?」
「どうしたのじゃないよ! キリトがリズを連れ出したの!?」
遅れてたどり着いたキリトに視線を向ける。
するとリズが私たちを見比べて驚いたような
「え…知り合い?」
リズにキリトを紹介したことはなかったからその反応も当然だ。
「…紹介したことなかったよね。もう知ってるかもだけど《黒の剣士》キリト。彼が私の相棒だよ。」
リズの目が大きく見張られる。
「《黒の剣士》…キリトが…。」
何がどうしてこうなったのかは分からないけれどリズの中ではようやく結び付き始めたようだった。《黒の剣士》の名は《神聖剣》《閃光》そして《舞神》の名と並ぶ有名な二つ名だ。混乱している彼女を横目にキリトに向き合う。
「生産職のリズをこんな危険なクエストに連れ出すなんて。」
「危険…って。」
「突風で崖から落ちたり、氷のブレスを食らったりしたら!」
私がそう言うと今度はキリトが怒る番だった。
「なんでセツナがそんなこと知ってるんだよ! まさか一人で行ったんじゃないだろうな?」
そう言い、右頬をつねられる。それは質問じゃなくて確信しているからだろう。その左手をパシリと払い落とした。
「安全マージンは十分よ。」
四六時中一緒にいる訳じゃないし、自分だって好き勝手行動するくせに私がちょっと単独行動するとこうして怒られる。納得がいかない。レベルは似たり寄ったりだしデュエルでの実力も互角なのに。
「崖から落ちたらそんなの関係ないだろう! 一人で行くなって言ってるだろ。」
「だから、そんなところに生産職を連れて行くなって言ってるの!」
そもそも私の話じゃなくてリズの話をしているのに。
「それは俺が言い出したんじゃない。」
それは意外な言葉だった。アスナの行っていたようにリズが男性と距離を置いているのは知っていた。知り合ったばかりのキリトと出掛けるだなんて考えられない。
「リズ?」
振り返るとバツの悪そうな表情を浮かべるリズ。
「ま、ちょっとねぇ…。取り敢えず寒いしリンダースに戻らない?」
気になったものの全面的に賛成だったため連れ立って48層に戻ることにした。
48層に辿り着くとリズはそそくさと工場の方へ消えていった。そして、すぐにカンカンと小気味いい音が聞こえてきた。こうなっては暫くリズに話を聞くことは無理だ。この世界の鍛冶スキルは手順通りやれば丁寧さなどはさして関係ないようなのだが、リズの信じるところは別にある。想いを込め丁寧に。いい武器はそうしてこそ生まれてくる。私もそれは信じたい考えだ。ドロップ品とは違いプレイヤーメイドには魂がこもっているように使用者として感じる。今はステータスからドロップ品を使っているけれどリズの作ったリンキングガーティアンを使っている時の方がそういった安心感があった。アスナのランベントライトにも底知れぬオーラを感じるのはそう言うことかもしれない。
「リズに情報を流したのってお前だったんだな。」
キリトのいつもより低い声が響いた。
「ちょっとね。」
「ノーブル・ローラスがあるのになんで金属なんか。」
もっともな疑問だ。けれど、
「それはそっくりそのまま返すよ。キリトだってエリュシデータがあるじゃない。」
彼が私に隠して磨いているスキルがあることは気付いている。それに必要なのかもしれないこともここまできたら見当は着く。うつ向き、答えを探すキリト。
「今は、まだ言えない。」
視線を合わせようとしない。私も黙っていることがある以上、深くは追求しなかった。
「でも、どうしてこのお店のこと知ったの?」
疑問はもうひとつあった。私はキリトにここの話をしたことはなかった。勿論、マスタースミスのお店だからそれなりには有名だがそれなりに数のある鍛冶屋の中からここを選んだという偶然ではないだろう。
「それは…。」
そこでリズの鎚音が止んだ。数えてはいなかったが250回は叩いただろうか。リズもさそがし疲れただろう。感覚が正しければかなりの化物クラスの代物が出来上がっているはずだ。
「いいよ、取り敢えず行ってきなよ。」
答えを聞かず、キリトを工場へと促した。二人で武器の出来を分かち合う。二人で取りに行った金属がどんな風に形を変えたのか。それは私がまだ知らなくていいことだ。時が来れば教えてくれるはずだから。
バタンと勢いよく扉の開く音がする。カランカランとカウベルが鳴る方向を見ると、朝一緒だった人物が姿を現していた。
「アスナ…。」
そう言えば一番に探していた彼女に連絡するのを忘れていた。息を切らし、肩で呼吸するアスナ。圏内表示をみて慌てて飛んできたのだろう。
「リズ、戻ってるのね。」
はぁはぁと息の整わない彼女に頷きかける。
「良かった…。」
そのまま工場の扉を勢いよく開けるアスナ。リズ! と呼び掛ける声がこちらまで聞こえた。何はともあれ他のことに気をとられていたけれど彼女が見つかって本当に良かった。私は私で安堵の息を漏らした。
すると今度は入れ替わりにリズが工場から飛び出てきて、お店よろしく、と出ていってしまった。バタバタと慌ただしい。そして様子もおかしい。何が、なんだかわからずポカンとしていると今度はキリトも、飛び出してきてそのままリズと同じように店を出ていってしまった。私と同じく呆気にとられたような顔をして工場から出てくるアスナも様子をのみ込めていないようだった。
「どうしたの? あれ…。」
尋ねても当然に帰ってくる言葉は、
「さぁ…。」
の一言だけだった。
「ねぇ。」
二人で暫しの沈黙を作ったあと、ややあってアスナから固い声が響いてきた。いつもと違う様子の彼女に、首だけで振り向くと表情も固い。
「ど、どうしたの?」
ここはリズが見つかって安心する場面なのに何があったと言うのか。体ごと向き直ると、真剣な面持ちでアスナは口を開いた。
「私、やっぱりキリトくんの隣にいるのは自分でいたい。」
―アスナの言っていることが理解できなかった
「リズとキリトくんが一緒にいるのを見て、セツナは何も思わなかったの?」
アスナの真っ直ぐな視線に射抜かれ居心地が悪い。それでも視線を逸らすことなんて出来なかった。
「何もって…。」
ただその問いの答えを私は持ち合わせていない。
「私はたとえリズだろうと嫌だった。セツナに特別な感情がないなら、遠慮なく行くことにする。」
「トクベツ…。」
アスナの言うそれは私が相棒に抱く信頼とは別なものだろう。そしてサチやリズ、そしてアスナに抱く友愛とも違う。
「分からない…。」
きっとそれはディアベルに告げられたようなそう言う感情であって、今まで自分の中に見つけたことの無いものだった。どういう想いがアスナの言うものなのかは分からない。
「そう…。」
清々しいぐらいに堂々としたぶつかり方をされ受け止めたはいいものの消化を出来そうにもなかった。
じゃぁ私は遠慮しない、そう言ったアスナにチクりと胸が痛む。この空気と目まぐるしく動く鼓動に耐えきれず、早く二人が戻ってきてくれることを強く祈った。
アスナさん宣戦布告です。
ちょっと強引でしたがこれぐらいしないとセツナの感情が動かなさそうだったので。
リズの位置特定云々は原作読んでて個人的に怖かったので若干ネタにさせていただきました。