もっと強く。
誰も追随できないくらいに。
そうすれば、元に戻れるのだろうか。
「キリト」
彼のことをそんな風に呼ぶ少女は3人いる。《月夜の黒猫団》で出会ったサチ。ダークリパルサーを打ってくれたリズベット。そして近頃顔を合わせる機会がめっきり減ったかつての相棒セツナ。しかし呼び慣れてないような響きを含ませたその声は誰のものでもなかった。
「アスナ、珍しいな。」
それはもう一人の知り合いの少女だった。普段はお供を連れ、キリトくんと呼ぶ彼女だが今日は一人だった。昼間の迷宮区にいても不自然ではない人物ではあるが。
「私だって攻略組なんだからレベルあげぐらいするわよ。」
長い髪を揺らしアスナはキリトの元へ歩み寄る。
「いや、その…呼び方なんだけど…。」
「え!」
キリトにそう指摘され、アスナは顔を真っ赤にした。
「へ、変かな?」
「…いや、良いけど。」
いつもの違う呼び方をされ気恥ずかしかったこと半分、違う少女かと思ったこと半分だった。
「んー、やっぱ慣れないかな。」
アスナのその反応に誰かを意識してだったことが窺える。その
「今日は一人なんだな。」
キリトがもう1つの珍しいことをぶつけるとアスナはさほど気にした風もなくさらりと答える。
「今日はオフなのよ。」
オフにも関わらず迷宮区に籠るとは多少緩和されたとはいえ相変わらずの攻略の鬼、かなりの酔狂だろう。休みなく潜り続けているキリトには言われたくないだろうが。
「まぁ、程々に。」
キリトとしてはとにかく早くレベルを上げたかった。彼女が離れて、そして先日の討伐戦で庇われて、その思いはより強くなった。人に守られることよりも守ることを選んだ少女。そうして離れていった彼女だったがそれでもキリトは彼女に守られることは考えられず、いつだって守る側でいたかった。行動を共にしていた頃はお互いのレベルを抜きあっていた。リードしたりされたりの関係がずっと続いていた。でもそれではダメだったのだ。レベルが全てではないが元々のポテンシャルも高く、ユニークスキルもあると分かった今、そこが一番拘れるところでもあった。
「俺はもう少し奥に進むけどアスナはどうするんだ?」
アスナと別れようと発した言葉だったがそれはアスナの取り出したものに憚られた。
「ま、お昼時だしお弁当でも食べながらゆっくりはなさない?」
そう言って取り出されたバスケットにキリトは生唾を飲み込んだ。セツナからアスナはかなりの料理スキルと聞いている。それに逆らえるはずもなかった。
「こ、これは!!」
バスケットから出てきたのは現実世界のコンビニではよく手に取ったものだった。
「ふふーん。良くできてるでしょ!」
得意気にそのものを差し出してくるアスナからおそるおそるブツを受けとるとキリトは一気にそれを頬張った。炭水化物×炭水化物と言う栄養的には何のメリットもないが、そんなことはこの世界では関係ない。何よりその無駄さ加減がいとおしいぐらいの食べ物。男子学生にとっては好きな惣菜パンランキングのかなり上位をキープするだろう。
「やきそばパンがこの世界で食えるとは…。」
キリトの反応に満足したアスナは自分もそれを頬張った。現実世界では目にしてたものの食べる機会は無かったもの。世の中を虜にするのもなるほど頷けると思った。
「元気そうで良かった。」
アスナから落とされた言葉にキリトは手を止めた。
「あんなこともあったし、無茶なことしてるって聞いたよ。」
あんなことと言うのはアスナも参加していた先の討伐戦のことだろう。
「…そっちこそ被害が出たから大変なんじゃないのか。」
キリトは血盟騎士団では犠牲がでていると聞いていた。自分の知っている人ではなかったがアスナは当然に知っているだろうし、副団長としてしなければならないこともあるだろう。
「うちのことはいいのよ。それより近頃色んなことが変わりすぎてるから。」
それは討伐戦だけではなく、セツナがギルドに加入したことも含まれているのだろう。
「…そう…だな。色々あって追い付かないよ。」
それが紛れもないキリトの本音だった。パーティを共にしない期間を経てのセツナのギルド加入。そして先日の行動。…セツナは大丈夫なのだろうか。
これ以上のPKは許したくないと参加した討伐戦。最悪の時は投降させるだけでなく相手のHPを奪いきらねばならない。それは想定できていた。…ただそれだけだった。実際に奪うことなど自分には出来なかったのだから。目の前でポリゴンに姿を変えた討伐隊のメンバーを見て足がすくんだ。尚もこちらに、セツナに襲いかかるラフコフのメンバー。目があった彼女も怯えていた。当然だ。HPを全損されると現実でも死亡すると言うのは共通認識なのだから。それでも、武器を握り、自分に向かってくるラフコフのHPを奪った彼女は何を思っただろう。それ以後も、最後に躊躇してしまう自分のそばで、セツナは相手のHPを0にした。その瞳に携える光はなく。そこにあるのは無我のように思えた。
「なんで…俺はできなかったんだろう。」
人を殺したくなんてない。
けれど自分の分も彼女に背負わせてしまった。
離れても尚、いや、むしろ心に居座るスペースは大きい。自分がやれば良かったと言う後悔。離れる前に行動できなかった後悔。キリトの行動原理は今そこにあった。
「あれはしょうがないよ。」
アスナの涼やかな声にすら慰められない。
「仕方ないで片付けられたら苦労しないさ。」
だから今、今度の不測の事態に向けて、無いに越したことはないがセツナを守れるだけの力を手にしたい。それがキリトのなによりの願いだった。
「でも、それでキリトくんが無理をしたってセツナは喜ばない!」
「それでも俺は強くならなきゃいけないんだよ。」
アスナが止めるのも聞かず、ごちそうさまと呟くとキリトは迷宮区の奥へと進んでいった。
「…いつだってセツナなんだから…。」
小さな呟きとともに残されたアスナは暫くそこを動くことはできなかった。
一方、目の前で眠る少女にディアベルは頭を抱えていた。ギルドの制服から惜しげもなく足を放り出し寝息をたてている少女。ここ数日ホームに帰っていないと聞いている。
それはあの出来事のあとからだった。
初めこそ隣にいた彼女だった。しかし不意打ちのどさくさもありいつの間にかはぐれてしまっていた。…そして気付けばかつての相棒の隣で戦っていたセツナ。
「やはりキリトさん…。」
67層ボス戦のあと、ギルドに加入すると決めたセツナに素直に喜んだ。ギルドメンバーも皆喜んでくれ、こぞってセツナとパーティを組みたがった。目の前であの槍技を見せられて彼女の二つ名を再確認する者も少なくなく、数少ない女性プレイヤーとしてシリカと並んでギルドのアイドルになることは時間がかからなかった。
屈託なく年頃の少女のように笑うセツナを見て安心さえしていた。戦場で見る凛とした表情ではなく、いつもみせていた達観したような表情でもなく、年相応の表情だった。…やっぱり犯罪かなと自分の気持ちに苦笑いを浮かべずにはいられない。
自分が彼女の
「いやああああ!!」
セツナは悲鳴と共に飛び起きた。
瞳孔は開き、呼吸は荒い。
はぁ、はぁと短く息を吐き、目尻に浮かぶのは涙。
これもあの時からだ。
「セツナ」
努めて柔らかく声を掛けると顔をくしゃくしゃにし、更なる涙を溢れさせる。どうして代わることができなかったと悔しくなった。
隣に腰を下ろし頭を撫でてやると嗚咽と共に涙を流し続けた。ホームに帰っていないのは一人ではきっと眠れないからだろう。
「ふっ…うぅ…。」
「大丈夫。君は悪くない。沢山の命を救った。」
月並みの言葉しかかけられない自分に少しの憤りを感じながらも、彼女かギルドに入っていてくれたことが自分にとっても、彼女にとっても救いだったのではないかと思った。
たとえ自分の側に身を置くことを決めたとしても、セツナの奥底には違う感情がある。そんなことは分かりきったことで、それでも彼女を守るのは自分の選択だ。それがいつか形を変えてくれればと言うのがささやかな願いではあるけれども。
隣にいる少女が早くまた笑ってくれることをディアベルは強く思った。
野郎共の想い。
アスナの焼きそばパン食べたい…
そろそろもう片方も執筆しなければ青葉さんに怒られそう。