白銀の証―ソードアート・オンライン―   作:楢橋 光希

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42:75層*悪意の残滓

「セツナの勝利と、キリトのソロ復帰に、かんぱーい!」

 

 

「「「「かんぱーい!!!」」」」

 

 

 その夜、20層の《月夜の黒猫団》ギルドホームでは盛大に祝勝会が開かれた。

 そこには黒猫団メンバーは勿論のこと、ディアベルとシリカ、エギルの姿も見えた。そして荒稼ぎはできたのだろうか、クラインの姿も。

 皆が思い思いの会話を楽しみ、サチの料理に舌鼓をうっている。クラインがサチに24歳独身です、と挨拶するのももうお約束。深く頭を下げ差し出された手はケイタによって阻まれる。幼馴染みと言っていたが実際のところどうなのか。自分の中に恋愛感情を見つけた今、セツナは人のことにも少しだけ敏感になったような気がした。

 

「セツナさん! 本当に良かったですぅー…いなくなっちゃうのは寂しいですけど…。」

 肩に乗るテイムモンスターのピナと共に表情をくるくる変えるシリカ。自分がこれぐらいの年の頃、絶対にこんな愛らしさはなかったように思う。

「大丈夫。遊びに行くよ。また一緒にクエストしようね。」

 自分より1つ低い頭をポンポンと叩くとシリカは花のように頬を綻ばせる。

「はい!」

 将来絶対美人になる。そして天然で何人もを泣かせるようになるかもしれない。そんなシリカに口をあんぐり開ける野武士面がいるが側によって、犯罪…と耳打ちしてやった。

「お、俺はだなぁ!!」

 すると図星とばかりに慌てるクラインにみんなが笑った。実に穏やかで暖かい空間。こんな時間が過ごせる時が来るとは思っていなかった。

 

 テラスに出ると三日月が光り、微かな虫の鳴き声が聴こえる。季節は直に秋。夜の少しの肌寒さも完璧な気象設定だ。空気の乾燥してくる秋、冬は邪魔をする空気中の粒子が減るため空がきれいに見えると聞いたことがある。そこまでもし再現しているとしたら実に酔狂…いや、この世界を作った思いが分かる。

 セツナは現実世界ではまだ口に出来ないワインを煽り、空を見詰めた。味が再現されてるのか知る術はない。微かな渋さを感じる飲み物に大人はなんでお酒を飲むのだろうと思った。

「いつだって笑うためだよ。」

 心を読まれたかのようなそのセリフに振り返ると、そこにはディアベルが白エール片手に立っていた。金色の液体に白い泡。苦味が先行しどうも美味しさが理解できないものをエギルもクラインも美味しいと言う。

「お酒にそんな力あるの?」

 まだ味も分からない身としてはなんとも言えないことだった。

「…まぁ、人によるかもしれない。何か忘れたいとき、無理に笑いたいとき…年を重ねるごとに表情を隠すことは増える。それを解放させてくれるもの、かな。」

 俺はだけどね、とディアベルは実に美味しそうに白エールをあおった。そんな彼の姿に彼が随分と年上だと言うことに気付かされる。現実(リアル)の話は御法度だが、2年前からお酒が飲めたと言うことは、6つは年上のはずだ。そんな人と本来こんなに密な時間を過ごすことは無かっただろう。つくづくこの世界の特殊性を思い知る。

「お酒の味は分からないけど…そうしたい時があるのは分かるかもしれない。」

「まぁこの世界の酒は、味はともかくアルコールの感覚がないからそんな効果はないけどね。大人になったらな。」

 そう言って先程自分がシリカにしたように頭をぽんぽんと叩かれた。上目遣いに見上げると彼の表情は実に穏やかだった。

「ねぇ…。」

 67層攻略後から暫く所属したギルド。自分の都合だけで入り、自分の都合だけで抜けた。それは本来赦されたことではないだろう。実際、キリトが抜ける際はこうして大騒ぎになった程だ。お互い命を預け合う関係になるのだからそう簡単に出たり入ったりするものではない。それなのに実に暖かく受け入れてもらい、脱退した今もみんなの接し方は変わらない。それは全て彼のお陰だろう。

 呼び掛けるといつも通りそこにはアルカイックスマイルが浮かぶ。

「なにかな?」

「ありがとう。」

 いつもワガママを赦し、助け、支えてくれる。自分が支えるつもりでこの数ヶ月そばにいたけれど、結局はまた貰ってばかりだったのかもしれない。

「唐突だね。」

 そう言って今度はしっかり笑う彼。本当に返しきれない。

「うん。言いたくなっただけ。」

「そうか。それならそろそろキリトさんに返してあげないとな。さっきから気にしてるみたいだから。」

 テラスとの出入り口を見るとやや落ち着かない表情でキリトが立っていた。そんな彼にディアベルは面白そうに笑った。

「どうも自分のって言う実感が湧いていないのかな。俺はお暇することにするよ。」

 そして、通り過ぎ様にキリトの肩をポンと叩くとスマートに室内に溶け込んでいった。

 それでも固まったままその場を動こうとしないキリト。

「どうしたの?」

 声をかけるとようやくおずおずと口を開いた。

「ご一緒しても?」

「当たり前じゃない。」

 キリトはやっとのことでテラスに出、木製の柵に身を預ける。それにならい、セツナも柵の上に頬杖をついた。

「なんだろう。ディアベルと話してると邪魔しちゃいけない気持ちになる。」

「なにそれ。」

 ディアベルはディアベルでキリトの、と言うしお互いがお互いに気を使いすぎじゃないかと思う。

「普通に話しかけてくれれば良かったのに。」

「…ここ最近はアイツとの方が長かっただろ? なんか入り込めない雰囲気みたいなのがあるんだよ。」

 そう言われてプイッと顔を背けられてもどんな反応をしていいか分からない。人間関係のスキル自体が低い。こんなに人と心を通わせる日が来るとは思ってもいなかった。ただ、それも道半ばのようでどうしたらキリトの機嫌を治せるかは手探りだ。

 それでも今はこうしていられることが何よりで、そのまま月を見上げた。

「…今一緒にいるのはキリトだし、これからまだ時間は沢山あるでしょ。」

 2年かかって4分の3。単純計算であと8ヶ月はこの世界にいることになる。それだけあればこうしてゆっくり月を見る機会も沢山あるだろうし、この数ヵ月など問題にはならないように思えた。

 そう呟くように言ったセツナの手にキリトはそっと自分の手を重ねた。

「もう、離れなくて済むならな。」

 キリトがそう言ったのは過去2回のすれ違いを指しているのか、それともこれがデスゲームだからこその言葉なのか。

「…ごめんね。もう絶対に一緒にいるよ。」

 後者のことは考えないことにした。何の保証はないけれど、そのために強くあり続けている。

「それに、キリトがちゃんと守ってくれるでしょ。」

 そう言って隣の様子を窺うと、キリトは空を見つめて強く頷いた。

 

 

「…ちょっと押すなよ。」

 テラスの出入り口ではそんな彼らを見守る人々がいた。完全なる出歯亀。集団で覗き見て見付からないとでも思っているのだろうか。

「みなさん、趣味悪いですよー…」

「いけ、そこでチューだろ!」

「それは…さすがに見せられたら立ち直れない…」

 こそこそと小声で話しているつもりだろうが、大人数で内緒話してもそんなに静かにはならない。

 

「…ねぇ、聞こえてるから。」

 

 そしてレベルも誰より高く元々ソロプレイヤーの彼ら。気配を窺うと言う行為に対してそう右に出るものはいない。後ろに目がついているかのようなセツナの冷たい声に一同凍り付いた。

「いや、、まぁ我々としてもだな。」

 しどろもどろに言い訳を探すクラインにセツナは頬を膨らませた。

「もぅ! 知らない! 私は先に帰りますー。後は皆さんでどうぞ。」

 そして赤く染まった頬を隠すようにバタバタと一人ギルドホームを出ていった。

「お、おいセツナ!」

 一人残されたキリトとしても観察されていたとは気恥ずかしくその場から動くことは出来ずそのまま空を見上げ続けるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恥ずかしさのあまり勢いよく飛び出たはいいものの、一人で特段することもない。帰って明日の準備をするぐらいだ。セツナは2年前から全く進歩していない自分に呆れながらあんな楽しい空間を放棄したことにすぐに後悔した。

 転移門広場からギルドまでの道のりはのんびり歩けば15分か20分はあるだろうか。もちろんプレイヤースキル全開で走り抜ければその限りではない。フィールドダンジョンの中央にある小さな村の中で散歩がてら歩くのも中々楽しい。月のきれいな夜なら空気もよく尚更。石畳できれいに整地されており、街灯すら立つ。ここでも虫の音は聞こえ避暑地のような雰囲気を持つ。森の小道を抜ければそこはすぐ主街区につながる。

 だからそこが《圏外》だって言うことなどすっかり忘れてしまっていた。

 

「………っ!」

 

 急に動かなくなった体に言葉すら出なかった。この感覚は自分は知っている。74層ボス戦で経験したばかりのそれ。HPバーが点滅し状態異常を知らせる。ただ何が起きたかは全くもって分からなかった。

 

 麻痺毒。

 

この辺りはモンスターはほとんど出ない。仮に出たとしても特殊効果持ちなどではない。だから完全に油断しきっていた。ただそんな後悔は空しく、力の入らない体は膝から地面に崩れ落ちた。

 感覚の無い左腕に見えたのはいつ刺さったのか、小さな針。毒針か。

 

 

「ヒャハ…ヒャハハハハァ…!」

 

 

 耳障りな笑い声と共に現れたのは昼間に言葉を交わした男だった。

「あん…た…。」

「ハハァ…気を付けろって言ったろぉ?」

 紅白の制服。束ねられた髪に細面の顔立ち。

「…クラ…ディール…。」

 記憶の片隅にあった男の名を辛うじて吐き出した。

「舞神ちゃんに名前を知られてるとは光栄なこった。」

 男はニヤニヤとどこか狂喜に満ちた表情を浮かべる。そして時おり狂ったような笑声をもらした。

 

 ――気持ちが悪い。

 

 それは当然に麻痺のせいだけではない。全身をもって男の存在を拒絶していた。じろじろと見られるのも、声を聞くのでさえ不快でしょうがない。しかし、

「なん…で……。」

 それだけは明らかにしなければならない。こんなことをされるような謂れはないどころかほぼ無関係な間柄だ。振り絞るようにもらした声にクラディールは実に面白そうに声を上げた。

「なんで! なんでだろうなぁ! ヒャハッ、確かにあんたはなんも悪くねぇよ! 恨むなら黒の剣士を恨むんだなぁ!」

 この男とキリトはデュエルをしていた。そのきっかけは分からないが、ギルド内でも関係は上手くいっていなかったのだろう。そして見届けた通りデュエルはキリトの勝ち。恨み辛みの蓄積の矛先が向いたのが自分だったと言うことか。

 状況は少し理解した。ただ、そんなことで大人しくやられているような性格ではない。《圏外》ではあるが結晶無効化空間ではない。どうにか転移結晶か解毒結晶を手に出来れば状況は打破できる。動きにくい体をどうにか操作し、ポケットを探ろうとした。

「おっと、そうはさせないぜぇ。」

 しかし相手もそれは予測済か、両手を束ねられ中に吊し上げられた。身長差に足が浮き上がる。

「ぅぐ…っ…」

「あんたの強さは過小評価しねぇさ。結晶(クリスタル)なんか使われたら楽しみが終わっちまう。」

 ねっとりと舐めるように視線を送られ背筋が凍る。

「アノ女も良いけどアンタも中々だよなぁ。なんであいつの回りばっかこんな上玉が集まってるんだよ。」

 しまいには自然と流れた生理的な涙までぬっとりと舐め上げられ、現在のステータスが通常だったとしても、動けないぐらいに体は硬直した。

 

 ――怖い…怖い……

 

 今までどんなモンスターと対峙してもそんな感情は生まれたことはなかった。どんなに強い相手だとしても恐怖は無かった。それが今は体が動かないほどに震えている。もうそれはステータスのせいか恐怖のせいかは分からなかった。

 当然にハラスメント警告は出てはいる。ただそれを選択することすら許されない。

 

「…ぃゃ…。」

 

 辛うじて漏れた声さえ男には興奮剤のようだ。

「アンタを壊したらアイツはどんな顔をするのか、考えただけでぞくぞくするね。」

 狂っている。愉悦に歪む表情。

「あ…なた…ホントに血盟騎士団なの?」

 最強ギルドと誉れ高い、かのギルドの団員とは思えない口調に態度。そして…このモラルの欠片すらない行動にオレンジに染まったカーソル。

「ハハ…さすが、いい目をしてるな。」

 そう言って捲り上げられた袖の下のタトゥーをみてセツナは激しく喘いだ。それはかつて討伐隊が組まれ、殲滅した…殺人ギルドのマーク。…そして、セツナがこの世界でプレイヤーの命を奪うことになった事件でもある。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。

 

「…あ………。」

 

 瞳孔は開き呼吸は荒く不定期に変わる。記憶の奥に眠っていたはずのものが揺り動かされた。

 

「いや、…いやぁ!!!」

 

 泣き叫ぶセツナにクラディールは体を震わせ喜んだ。

「はは、そう来なくっちゃなぁ!」

 そして未だ麻痺に硬直するセツナの右手を動かし、それを縦に振った。

「何を…する気なの?」

 恐怖と強い自責に押し潰されそうになりながらも途切れそうな意識を必死に繋いだ。

「知らねぇのか?」

 震えるセツナの声に気分を良くしたクラディールは饒舌に続ける。

「通常はこんな風に触ると警告が出るだろ。ただなぁ裏技がこいつにも存在するんだよ。プロパティの奥ふかーくに倫理コード解除ってのがあってなぁ…。」

 血の気が引くのを感じた。それが何を示すのかセツナには分かりようもなかったが、ハラスメント警告を行使できないこの状況より酷いと言うことだけは分かった。

「…やだ!!! いやぁ! キリト!!!」

「ヒハハハ! 呼んで来るんならもう来て…ぅぐっ!」

 

ザシュッ

 

 聞き覚えのある斬撃音への安心と、引き上げる力を失い、セツナは再び膝をついた。

「悪い…遅くなった。」

 言葉が出ず、ふるふると首を横に振るセツナ。涙に滲む視界が捉えたのは黒ずくめの、黒い剣を携えた少年だった。

「て、てめえ、なんで。」

 部位欠損を起こした腕を庇いながら、クラディールは後ずさった。切り落とされた両手首がポリゴンとなって消えた。それは、決して触れてはならなかった。キリトは憤怒の表情で地を這うような声を出した。

「…殺してやる。」

 そして、エリュシデータを構えると四方から切りつける四連撃《バーチカル・スクエア》を繰り出した。

 赤いエフェクトと重たい音が響き渡り、一気にHPを赤まで染め上げる。

「ひっ…ひぃぃい…。」

「すぐに楽にしてやるさ。」

 チャキッと音をたて、抵抗できずにいるクラディールにキリトは再び剣を構えた。しかし、それはようやく体が動くようになったセツナに遮られた。

「キリト…ダメ…。」

「…なんでだよ…。」

 怒りに体を震わせるキリトにセツナは再び頭を振った。

「殺しちゃダメ…。それはキリトのためにならない。」

 その瞳にはもう涙はなく、いつもの表情に戻っていた。しっかりと見据えられキリトはややあって剣を下ろした。

「…血盟騎士団に引き渡そう。こいつの審判はアスナとヒースクリフに任せる。」

 

 

 

 3人でグランザムに転移し、事の顛末を報告するとヒースクリフは二つ返事で彼の処遇を引き受けてくれた。そして、回廊結晶を使い、黒鉄宮の監獄送りの裁きを下した。彼に、本当に騒ぎが絶えないねと言われたが、否定は出来ない。こんなにもすぐここの敷居を跨ぐことになるとはキリトも想像すらしていなかった。

 血盟騎士団本部を出たところで、セツナはその場に座り込んだ。

「はぁ……………。」

 緊張の糸が途切れ、その瞳には再び涙が浮かび、体は小さく震えていた。

「怖かった…。」

「ゴメンな。」

 謝るキリトにセツナはやはり首をふった。

「ううん。」

「でも…俺のせいだ。」

「キリトのせいじゃないし…来てくれた。」

 きっかけはキリトかもしれない。ただそれは逆恨みであり、キリト自身が撒いた種ではないことはセツナにも分かった。

「でも、なんで…。」

「そろそろホームに着いたかと思ってマップを見たらまだ20層にいたからおかしいと思ったんだ。…間に合って良かったよ。」

 それは、本当に心からそう思った。このゲームに自分の知らないシステムがあるのも驚きだったが、その続きはあの男の口からは聞きたくも知りたくも無かった。

「私、この世界で初めて怖いって思った…。」

 セツナの悲痛な声。走っている最中に聞こえた自分を呼ぶ声。キリトはそんな思いをさせてしまった自分に激しい憤りを感じた。

「俺…もう、2度とこんな思いはセツナにさせない。俺の命はセツナのために使う。だから…最後の瞬間まで一緒にいよう。」

 その分、強く決意したその思い。まだ、震えの止まらない体を強く抱き寄せ、告げた。引き寄せられるままに体を預け、その体温の暖かさにセツナは静かに目を閉じた。

 

「…ちょっと、疲れたね。」

 

 セツナの口から溢れたのは素直な言葉だった。キリトの肩に頭を預けたまま続ける。

「色んなことが有りすぎて…ちょっと休んでもいいかな。」

 特にこの数日は怒濤のようだ。良いことも悪いことも、いっぺんに襲ってきた。キリトも同じ気持ちだった。

「いままで、十分頑張ったよ。ちょっとぐらい休んだって誰も文句は言わないさ。」

「うん。」

「誰もいないところに二人で引っ越そう。」

 そう言うと、ようやくセツナは微かな笑顔を見せた。

 

 

 




…初めは楽しい雰囲気だったのに、クラディール…。
もっとゲスい構想もありつつこれが、限界です。
書いててある意味一番しんどい回でした。

白エール飲んで忘れよう。
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