【緊急動議。至急出動されたし。】
夜の緊急召集は珍しい。むしろ初めてだったかもしれない。
アスナは丁度お風呂に入り終えたとこでそのメッセージを開いた。
すっかりお休みモードだった頭を無理矢理に切り替え、気だるい体をどうにか動かす。ただでさえ色々あった1日なのに最後におまけまでついてくるとは。
ただでさえキリトの脱退と急なイベントで仕事は溜まっている。それにも関わらず緊急召集…。いい話ではないことは確かだろう。
―正直めんどくさい…
と言うのがいくら真面目なアスナでも本音であり、進まない足をどうにかギルド本部に向かわせた。
セルムブルグより気温の下がるグランザムに転移し、湯冷めを心配するも、そう言えばこの世界ではそんなことは関係ない。すっかり長い髪の毛すら水気はなく通常通りに戻っている。ドライヤーが要らない生活に慣れすぎて現実に戻ったときが心配なぐらいだ。
夜も更け、通いなれたギルド本部は暗闇に青白く浮かび上がっていた。
「任務、ご苦労様。」
夜にも関わらず交替で立ち続ける門番には頭が下がる。戦闘能力は勝っていてと忍耐力では絶対に敵わない。
大きな扉を開け放ち、場内には入るとあまりの静かさに自分の足音だけがコツコツと響いた。本来なら息切れのしそうな階段を上がり、執務室の扉を叩いた。
「アスナ、入ります。」
いつもの通り返事を待たずに入室すると、そこには四人のプレイヤーの姿があった。
紅白の制服を来たギルドメンバーのヒースクリフ団長に、クラディール。そしてついさっきまでは団員だったキリト…それにセツナだった。
縄で縛られ床に膝をついているクラディール。それを冷たい視線で居抜き続けるキリト。いつもの凛とした表情の欠片すらないセツナ。異様な光景に思わず部屋を出てしまいそうになった。
「アスナくん、待っていたよ。」
ヒースクリフのその声に後ろ手に扉を閉めた。
「…これは、どういうことでしょうか。」
想像もしていなかったことに頭が考えることを拒絶している。確かに、緊急と言えば緊急なのかもしれない。
「うちの団員がセツナくんに暴行を働いたようでね…。その処罰をしてもらいたい、と言うのがキリトくんの申し出だ。」
ヒースクリフの簡潔な説明にアスナはクラディールとセツナを交互に見た。
クラディールは自分としても得意ではないギルドメンバーだった。一時自分の護衛の任についていたが、あまりの盲信とストーカー気質に辟易していた。そしてキリトとは入団したときから反りが合わなかった。…それは自分とキリトがクラディールとよりもはるかに仲良くしていたからだろうが。要するに単なる逆恨み。デュエルを経てその感情はいっそう強くなってしまったのだろう。その事を考えればヒースクリフの言ったことが間違いではないことはすぐに分かった。
通りでセツナの表情が人形のようになっているわけだ。必死で平静を取り繕っているのだろうが、瞳に輝きはなく、漂うオーラもいつもの堂々としたものではない。通常時は容姿からしても実に隠密行動の向かない彼女だが、いまならアルゴも真っ青な
「なるほど…。ちなみにキリトくんはどう思っているの?」
こんなに強い視線を戦闘以外で見たのは初めてかもしれない。アスナはキリトの怒りの程度を知った。
「…さっきは、怒りに任せて殺してやりたいって思ったさ。…ただ、それはセツナが望まなかった。だからあんたらに託しに来た。」
真っ直ぐに視線を送られる。こんな形で知ることになるとは思わなかったが、キリトの思いの強さに今更ながら自分の入る余地はなかったのだと胸が痛んだ。
「そう…。セツナは?」
セツナのように平静を装いながらアスナはセツナにも視線を送った。やや虚ろな表情が少し色を取り戻し、セツナは口を開いた。
「この人は…
その続きは紡がれることはなかった。ラフコフにおいては彼女がここにいる誰よりも傷を追っていることは知っていた。人を手にかける、PKすることはモンスターを倒すエフェクトと同じでも重みが全く違う。この中でそれを知っているのは彼女だけだ。本音では顔も見たくないおぞましい存在かもしれない。それでもPKだけは選択しない。彼女の選択は経験したものにしか分からないことだろう。勿論、それを経験することは今後もない方が良いに決まっている。
アスナは大きく息を吸い込むとパリッと張った声を出した。
「分かりました。では、クラディールは本日現時刻を以て除名処分。黒鉄宮の牢獄エリアにて実刑…と言うのでどうでしょうか。」
基本的に指針を示すのはアスナ。決定を下すのがヒースクリフだ。
「あ、アスナ様…。ち、違うんです…。」
弱々しく声を出すクラディールを一瞥し、アスナはヒースクリフに視線を戻した。ヒースクリフも深く頷く。上位の者へのへりくだり方は見事なものだが彼の本性を知らないわけではない。下位の者や気に入らない者は容赦なく扱き下ろし、結果がこの事件だ。
「…事情はどうあれ暴行を働くような者を放っておくことは出来ません。よく反省することです。」
にべもなく言い切るアスナにクラディールはついにはクソッと吐き出した。そしてどこから取り出したのかヒースクリフの回廊結晶により、牢獄へと送られたのだった。回廊が開かれ、閉じられるまではクラディールの恨み言以外の言葉が発せられることは無かった。
「ご配慮、感謝します。」
結晶の光がなくなったところで口を開いたのはセツナだった。その瞳は完全に光を取り戻し、立ち姿にはいつもの《舞神》の姿があった。
「いやいや、うちの団員が迷惑をかけたね。何事もなく良かった。」
「いえ、夜分にありがとうございます。」
当たり前のように返事をするヒースクリフに、セツナは頭を下げた。
「君とは昼にデュエルしたばかりだったからね、こんな形でまた顔を会わせるとは思わなかった。」
「…お恥ずかしい限りです。」
そんな風に会話する二人を見てアスナは意外に思う。いつもセツナと言えばどこか尊大で、ヒースクリフ相手にも丁寧語を使えど態度は変わらない。それがこの粛々とした雰囲気。彼女の違う一面を見たように思った。こうして頼ることに本当に恐縮していることが窺える。それでも、頼ることを選択せざるを得なかった程の状況を作ったのは少なからず自分のせいでもあった。
「…ゴメンね、私のせいだね。」
謝辞を口にするのはアスナの番だった。
「…なんでアスナが謝るの?」
「クラディールとキリトくんが険悪だったのは私のせいだもの。」
そしてキリトをギルドに引き込んだのも。
真っ直ぐ見てくるセツナに耐えきれず視線をずらすとなんとも言えない表情をしたキリトの、姿があった。アスナのせいとは言いたくないが否定も出来ないといったような。
「…たとえ、そうだとしてもアスナのせいじゃないよ。悪いのはあの男と私の油断。」
そう言って真っ向から否定し、口角をあげて見せるセツナにあぁ敵わないなと心から思った。ありがとう、それ以外の言葉は、もう出なかった。
部屋を出ていく二人を見送ると、もうホームに戻るには少し面倒な時間になっていた。
「アスナくん、すまなかったね。」
「いえ、私の務めですから。」
ヒースクリフに労われ、敬礼を返す。
「ただ、遅いので仮眠室を使わせていただくことにします。」
お風呂も入ったしホームに帰ったとしてもまたトンボ返りで出勤だ。帰る気分にはなれなかった。
「そうしてくれ。明日からはキリトくんの分まで頑張ってもらわないといけないからね。」
「…心得てます。」
失礼します、とようやく自分も部屋を出て伸びをする。明日からはパーティ誰と組もうか。その前に仕事が沢山あるから攻略はできるのか。
暫く今日のような長い一日は勘弁だ。加えるなら緊急召集も二度とされたくない。
明日からはもう彼とパーティを組むことのできない寂しさを押し込め、アスナは自分のベッドより固い仮眠室のベッドに入った。思っていたよりも疲れていたのかすぐに睡魔が襲ってくる。
どうか彼らが幸せに。
微睡みながら心からそう願えるよう自分に言い聞かせた。
アスナによるクラディール裁き。
アスナに酷なことばかりしてますね。
恋敵がヤなやつなら恨めるんですけどそうもいかず。ヤなやつだったらそれはそれで悲しくもなりますが。難しい乙女心。