二万コルで売って欲しい。
アルゴを通じてそんな話が舞い込んだのは《トールバーナ》に着いてすぐの事だった。
それは私のメインアームであるスタニウムスピアに対する購入意思だった。二万コルなんてこの一層ではそれなりの大金だ。今のところこの武器は一点物だろうからそんな値段でも―むしろもっと高値が着いてもおかしくはない。しかし武器を手放すことは当然死に直結する。いくら積まれてもじゃぁ売りますと言うことはないだろう。
その後、何度かの交渉があり現在価格二万五千コル。アルゴに入手経路は伝えてあるのでその気になれば作れるのに手間が惜しいのか。いずれにせよ売る意思は毛ほども無かった。
そんなやり取りがあってから一週間。今日初めてのボス攻略会議が行われる。
この世界に囚われて約一ヶ月経っても私たちはまだ第一層すら攻略できずにいた。その間死者は約二千人。そんなことにはならないと思っていても100層までこのペースだとすると人数が圧倒的に足りない。やはり脱出不可能なのだろうか。
―今日の会議はその命運をも握っているように思えた。
4時に《劇場》とのアナウンスだったので10分前にその場へと向かった。
ちらほらとプレイヤーが集まり始めており、その中にはキリトの姿も確認できた。そして驚くことに赤いフードの少女の姿も。あえて声はかけずに全体を俯瞰できる中央部の一番後ろの階段に腰を掛けた。
舞台には髪を青く染め上げた青年、恐らく20代前半と言ったとこだろうか、が集まってくるプレイヤーを見回し確認していた。
4時丁度になると、青年は芝居掛かったように口を開いた。
「今日は俺の呼び掛けに集まってくれてありがとう! 俺の名前はディアベル。職業は…気分的に
キリッと口上を述べてから、おどけて見せる。なかなか人の心を掴むのが上手いなと感じたのが第一印象だった。実際和やかな雰囲気で、ヤジも飛び交い、前線プレイヤーたちが初めて一同に介したとは思えない場だった。
「トッププレイヤーの皆に集まってもらった理由は勿論一つ! 今日俺たちのパーティが第一層のボスの部屋に到達した。第二層への道を切り開くときが来たんだ。」
当然の事だったが、一番に辿り着くのはキリトではないかと密かに思っていたため意外にも思えた。まぁ…彼のことだから見付けて申告をしなかったのか、他のクエストに気を取られていたかだろうけれども。
「ここまで一ヶ月もかかったけど、このゲームだっていつかクリアできる! そう示すのは俺たちトッププレイヤーの義務。そうだろ!?」
気合いの入ったディアベルの声に少しずつ拍手が起こった。《はじまりの町》には未だ助けを待ち、待機している人々が大勢いる。絶望に耐えきれず身を投げる人も。戦える人たちが皆を現実に還す。彼の言っていることには素直に賛同できた。
そんな中、一人の男が乱入してきた。
「ちょぉまってんかー!!」
強烈な関西弁に髪の毛をつんつんと尖らした男。背はさほど高くなく、年は30半ばといったところだろう。
「ワイはキバオウっちゅーもんやが…仲間ごっこする前にどうしても言っておきたいことがある!」
そんなトラブルも顔色を変えずディアベルは積極的な発言は大歓迎だよなどと、宣った。イケメンは顔だけじゃないらしい。
「こんクソゲームが始まった時になんでもかんでも独り占めしよった元ベータテスターの
あまりの物言いに声をあげそうになった。
「こん中にもおるはずや。そいつらがズルして溜め込んだアイテムやらコルやらを吐き出してもろて、死んでいった二千人にワビいれてもらわんことにはワイは仲間として背中を預けられへんし、預かれん!」
ベータテスターとビギナーとの確執。こう真っ正面からぶつけてくる人間も珍しい。確かにベータテスターは正式サービスの始まる前に2ヶ月のテストプレイを経て、ビギナーには知り得ない情報をもっている。
だからこのゲームがデスゲームと化した瞬間自分を守るために多くのリソースをいち早く手にいれようとした。それをズルと言われれば勿論そこまでだ。
キバオウだけでなく口にはしなくともそう思っている人間は少なくない。《劇場》内が俄に騒がしくなり、互いの疑り相が始まる。これではボス戦所ではない。
そんな状況に一石を投じたのはスキンヘッドの巨漢の男だった。
「発言いいか。」
座ったまま手を挙げる男にディアベルが頷きかけると、男は舞台まで降りた。かなり大きなガタイをしており、キバオウと並ぶと20センチから30センチは身長差がありそうだった。肌色は浅黒く、それだけでもかなりの迫力だ。
「オレはエギルってもんだが、あんたが言いたいのはベータテスターたちがビギナーの面倒を見なかったから二千人もの人間が死んだ。その責任を認め謝罪しろってことだな。」
エギルの迫力に圧されキバオウがたじろぐ。
「そうや。アイツらダッシュで《はじまりの町》から消えよって、ウマイ狩り場やらボロいクエストを独占しよった。アンタの回りにもおらんかったか?」
そのせいで危険なクエストに手を出したビギナーたちが死んだ。キバオウはそう続けた。
彼の言っていることは間違ってはいない。それでもフロントランナーだけができる役割もある。エギルが手に取ったのは《鼠》印の攻略本だった。
「だが情報はあった。死んで行ったのはこのゲームを他のMMOの物差しで計った者たちだ。この攻略本はベータテスターからのギフトだろう。実際にこれに学んだ俺たちは生きている。」
その言葉にキバオウは何も言えず、広場のざわめきも収まった。頃合いかとディアベルがまとめた。
「キバオウさんの気持ちも分かるがベータテスターたちが協力してくれれば心強い。俺たちの敵はベータテスターではなくボスだ。」
その辺りでようやくキバオウとエギルが元の位置へ戻った。
「さて、本題だかここにその攻略本のボス戦編がある。」
その言葉に再び《劇場》は騒がしくなる。勿論その攻略本は《鼠》印だ。まだ誰も開いていないはずの扉の先の情報。情報源がどこかについてはもう誰も口を開かなかった。
「これによると数値的にはいけそうなんだが、具体的な話をする前にパーティを組んでくれ。それからレイドを組み、作戦を立てよう。」
さて、ここまで静観していたがパーティと来ると少し困ったことになった。ソロプレイを貫いていた私としては正直この世界での知り合いはアルゴとキリトとクライン…そしてアスナだけだ。クラインは見たところここにはいない様子でアルゴは非戦闘員と言っても間違いないだろう。選択肢としては他のパーティに混ぜてもらうかキリトかアスナと組むかと言ったところか。ただこんなソロの女性プレイヤー。加入させてくれるパーティはあるだろうか。立ち上がってキリトの方へと向かった。
すると意外にもキリトとアスナが会話をしていた。いつ知り合いになったのか。
「私も混ぜてくれると助かるんだけどー。」
背後から話しかけるとキリトは飛び上がった。アスナの表情はフードに隠れて見えなかった。
「何そんな驚いてるの? 疚しいことでもあった?」
「べべべべべつに何にもないよ!」
焦り方が尋常じゃなく限りなく怪しいのだがそこは見逃してあげ、
「アスナがいるのにはビックリしたけど。」
キリトを通り越し彼女に挨拶をする。
「…セツナが一緒にいてくれるならちょっとは安心ね。」
どうやらあまり好かれてはいないようで、キリトご愁傷さま。
「なんだ二人とも知り合い!?」
まぁねと返すとキリトはキリトで私がこの場にいることは予想していたようで、どっちと組むか気を揉んだようだった。どうやら切り捨てられたようで気にくわないが。
3人でそんなやり取りをしているとディアベルが近寄ってきた。
「君たちは三人パーティかな。」
この男、背も高く端正な顔立ちをしているからきっとモテるんだろうなとどうでもいいことを考えながら肯定の意を返す。
「すまないが君たちはボスの取り巻きの《コボルドセンチネル》を担当してくれないだろうか。」
パーティは最大6人で組める。3人の私たちでは正直戦力外なのだろう。二つ返事でオッケーを出すと、
「騎士としてはお姫様二人も護衛できるのは羨ましい限りだけどね!」
などと軽薄な言葉を吐いて中央へ戻っていった。
「お姫様…ね。」
この場に来るようなプレイヤーがお姫様に相応しいかどうかは甚だ疑問だが。アスナの方と言えば怒り沸騰していた。
「何よ! 戦力外なら戦力外って言いなさいよ!」
間接的に貶められたのがよっぽどお気に召さなかったようだ。
「まぁでも3人じゃ実際POTローテ間に合うかって、とこだし」
「そうね。私たち全員
と二人で宥めようとすると。アスナはポカンとし、頭上には目に見えてハテナマークが浮かんでいた。MMO一般用語も通じない本物の
とりあえず説明をしなくてはと二人を私の部屋へと招待することにした。
《劇場》の程近くのレストランの2階に部屋を間借りしていた。
「そんなに広くないけど入ってー。」
「こんなところに宿が。」
聞けばアスナはINNとかかれている最低価格の宿にこの2カ月寝泊まりしていたようだ。あの時教えてあげればよかったと後悔する。
「便は良いし120コルでお風呂も付いてるからそれなりよね。キリトのとこは?」
「俺のとこは80コル。もっと町外れだけど牧場だから牛乳のみ放題だぜ。」
む、もっといい物件があったとは少し悔しくなる。でも起きてすぐにご飯が食べられるのもここの魅力の一つだと自分を納得させた。
「ねぇ、セツナ。」
ふるふると体を震わせアスナが口を開いた。
「どうしたの?」
「お風呂!入っていい!?」
今度はこちらがポカンとする番だった。
アスナが浴室へ消えるとコンッココココンッと特徴的なノックが響いた。訪ね人が誰かキリトも分かっているようだったのでさして警戒もせずに扉を開けた。
「セッちゃん、コンバンワ。」
現れたのは予想通りアルゴだった。中の様子を認めるとズカズカと部屋の中へ入り込んでくる。
「なーんだ、キー坊もいたのカ。二人とも隅に置けないナ。」
アルゴのそんな台詞にそんなんじゃない! と二人で返しているうちもアルゴは部屋の中をきょろきょろと見回した。
「女日照りのネットゲーマー共だからナ。キー坊が女の子二人と消えたとあって皆恨みがましく情報を流してくれたゾ。キー坊《圏外》で刺されるなヨ。」
なるほど。 それで情報を確認しに来た…と。
「アーちゃんはどうしたんダ?」
「アスナなら…」
と視線をお風呂に移すと、
「珍しいナ。この部屋はお風呂があるのカ。」
うんうん。女性プレイヤーに高く売れるナとブツブツ不動産の査定までしてくれた。
「そのお風呂に入ってるわよ。」
「ふむ。中は後でゆっくり確認するとしよう。」
マイペースな人だ。部屋の観察は気が済んだようで近くの椅子に腰を下ろした。
「ところでお二人さん、調査の結果なんだが、約2,000人の死亡者のうち元ベータテスターは300人程、ダ。移行人数は恐らく700から800であるからしてベータテスターの死亡率はおよそ40%と言っていいだろウ。」
昼間のキバオウではないが元ベータテスターに対する不信感は広がりつつある。しかしこの状況下、皆が協力しあわなければクリアは遠退いていくだろう。そこで何かの糸口になればと頼んだものだった。
明後日のボス戦、今日の様子では情報源がベータテスターたちであることは皆理解している。だからこそ何かあれば問題が噴出してしまう。
「まぁ、何かあればベータ上がりの卑怯なアルゴ様にしたてあげてくレ。」
彼女もそれはよく理解しているようだった。
「そんなことはさせない。ベータとビギナーの橋渡しが出来るのはお前だけだからな。」
キリトのそんな声が響いたとき、ちょうどアスナがお風呂から出てきた。
決戦は明後日8時より。
色んな含みをもったボス戦が始まることになりそうだった。
ネトゲやらないので知識はアスナレベルです。
一層がようやく次話で終われそうです。