白銀の証―ソードアート・オンライン―   作:楢橋 光希

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55:75層*剣士の選択

 

 部屋の中は静寂に包まれ、重々しい空気が取り巻く。

 アスナがゆらりと立ち上がり数歩彼に向かって足を進めた。

 

「団長…どう言う…こと…ですか…。」

 

 鈴の音のような声が空間に響くがヒースクリフの返答はなかった。一瞬笑みを浮かべた口は既に引き締まり、厳しい表情を浮かべている。代わりに説明をするべくキリトが口を開く。

「単純な真理だよ。他人のやっているRPGを眺めていること程つまらないことはない。」

 副団長を務めてきたアスナには受け入れがたいことだろう。しかしこれが現実。アスナはそのままその場所に崩れ落ちた。

「なんで…。」

「ずっと、疑問に思ってたんだ。アイツはどこで、どんな形で俺たちを見ているんだろうって。こんなに当たり前のこと、忘れてたなんてな。」

 キリトが言葉をぶつける中、セツナも一歩一歩歩みを進め、キリトの隣に立つ。そしてヒースクリフに対峙した。

「伝説の正体はGM(ゲームマスター)。不死属性を持っているだなんてそれ以外にあり得ないわよね。」

 二人の鋭い視線にヒースクリフはくつくつと笑い出した。

「その通り、私は茅場晶彦だ。」

 そして肯定された真実に彼を除く全員が息を飲む。ガツッと音を立て、剣を床に突き立てると茅場は実に面白そうに口を開いた。

「…参考までに何故気付いたか教えてもらえるかな?」

「…おかしいと思ったんだ、いくらあんたが堅くても、どんな鍛え方をしていたとしてもHPがイエローに落ちないなんて。」

「私とのデュエルの時、攻撃速度ボーナスの2.0ついた私より速かった貴方…ちょっと別次元だと思ったわ。」

 口々に答えた二人に、ヒースクリフはゆっくりと2度首を縦に振った。

「ふむ、設定をレッド域前にしておくべきだったかな。確かに不自然だ。セツナくん、君とのデュエルは私にとっても痛恨時だったのだよ。あまりの速度にシステムのオーバーアシストを使用してしまった。」

 開き直ったように種明かしをしていく彼に、正体を疑った二人ですら言葉が続けられなくなった。

「君たち二人は不確定要素だとは思っていたがここまでとはね。95層で正体を明かし、最終ボスになる予定が随分と狂ってしまった。」

 あくまでも穏やかに、とんでもないことを口走る茅場に場の空気が一気に冷える。

「…最強のプレイヤーが一転して最終(ラス)ボスか。趣味が良いとは言えないな。」

 辛うじて出ただろうキリトの台詞にセツナも強く頷く。育て上げてきた仲間がラスボスになる…と言うシナリオは稀にある。育て上げてきた仲間が途中離脱し戻らないと言うのも中々にしんどいが、更にボスになると言うのは精神的に辛いものがある。…知っていれば2週目からは使わないと言う選択肢もあるが、このゲームには2週目も攻略本も存在しない。むしろ2週目などあっては困るのだが。

 冷えきった空気に茅場は気分を良くしたのか饒舌に続ける。

「中々に良いシナリオだろう。尤も、私の前に立つのは君たちだと思っていたがな。《二刀流》は全プレイヤー中最速の反応速度を持つ者に、《天秤刀》はこの世界との親和性が最も高い者に与えられる。魔王に対する勇者の役割を担ってもらうためのものだ。」

 そう言われてセツナはグランドリームを投げ捨ててしまいたくなった。結局、アイツの手のひらの上で踊っていたのだ。悔しさにギリギリと奥歯を噛み締める。しかし、ならば自分のしたことを後悔させてやらなくてはならない。ヤツの与えたこの力で倒す。親和性の高さが何を意味するかセツナには分からなかったが、自分の首を絞めたことに気付かせてやる。

 腰を落とし、攻撃初動に入ろうとするのをキリトに左手で制される。

「お前は…アスナたち《血盟騎士団》の気持ちを考えたことがあるのか…。」

 キリトの声が震えている。それは恐怖ではなく怒りだろう。

 その言葉に誘われるかのように、ガチャリと音を立てて、白い制服に身を包んだ男が我慢できないといった様子で戦斧槍(ハルバード)を片手に立ち上がった。

「…よくも…俺たちの、忠誠を…希望を………。」

 《血盟騎士団》の幹部を務めている男だ。屈強な体で大きな武器を振り上げると、雄叫びと共に茅場へと刃を光らせた。

「うぉぉぉぉ!」

 しかし茅場は気にする風もなく、左手を縦に振り、涼しい顔で現れたパネルを操作する。すると勢いよく飛び出した筈の男は、ピタリと動きを止めその場に叩き付けられた。緑色のHPバーは点滅をし、黄色い効果が表示されていた。

「なんてことを…。」

 GM権限を行使する男にセツナが声をあげるも、茅場の左手は止まることはない。次々にプレイヤーたちに麻痺効果が付与されて動きを止めていく。

「…このまま俺たちを殺して事実を隠蔽するつもりか?」

 茅場の手はセツナとキリト以外に効果を付けたところで止まった。

「まさか、予定より早いが私はこのまま100層の《紅玉宮》に向かうとするよ。君たちならまぁ辿り着けるだろう。…ただ君たちには私の正体を看破した報酬(リワード)を与えなくてはならないね。」

報酬(リワード)…ね。」

 好き勝手言うにも程がある。しかし所詮は一般プレイヤーとGM(ゲームマスター)との間には天と地ほどの差がある。自由にこの世界を支配できる彼と1つのコマとでは。

「そう悪いものではないよ、セツナくん。君たちには私への挑戦権を与えよう。無論勝てば全員がこの世界から解放される。」

 それはプレイヤーたちの願い。

 ただ、ストーリー途中で倒せないように設定されているラスボスに挑むに等しい。…破壊不能物体(イモータルオブジェクト)が解除され、二人で挑めばその限りではないが。

「…いくらあんただって俺とセツナを相手にするのはしんどいんじゃないか?」

 キリトが肩を竦めるとヒースクリフは首を縦に振る。

「そんなことはない、と言いたいところだが君たちの力を過小評価はしない。このままではそうだね。だから挑戦権を与えるのはどちらか一人だけだ。」

 やはりそう甘い話ではないらしい。

「これは私からの配慮でもあるよ。勇者が二人ともいなくなってしまったら、今後の攻略に影響が出るだろう?」

 そして、一対一なら絶対に負けないと踏んでいるのだろう。

「ふざ…けるな…。」

 隣でキリトの肩が震えた。剣を強く握りしめたまま、力のやり場がなく溢れ出す。セツナもキリトの気持ちは痛いほどに分かる。理性の欠片が無ければこのまま破壊不能物体(イモータルオブジェクト)効果が付与されていることを忘れて、切りかかってしまいそうなぐらいには。だけど、この茅場の作り出したイベントは、通常では勝てないイベントでありながら、当然に負けてもストーリーが進むと言ったような仕様はない。負けたらそこで終わりなのだ。

「キリト…。」

 セツナがその震える肩に触れると、

 

「セツナ…ゴメン…。」

 

 キリトから小さな呟きが漏れた。

 そして俯き、力強く頷くと、真っ直ぐに茅場晶彦を見据えた。

「その権利、俺がもらうことにする。」

「キリト!!」

 無茶は自分の専売特許だと思っていた。実際今まで随分と自由に振る舞ってきた。だから無茶をされる気持ちなんてずっと知らなかった。

「ほう…。」

 茅場の片頬の口角だけが上がる。

「ダメだよ…」

 セツナには一度戦い、強烈な敗北感を味わった相手だ。たとえその種がシステムアシストと言う反則技だったとしても記憶から消えることはない。珍しく弱気なセツナの肩をポンと叩くとキリトは諦めたように笑う。

「分かるだろ。ここで引くことはできない。」

「…ちゃんと、勝つつもりなの?」

 その表情に不安しか抱けず、セツナはキリトのコートの裾を握りしめた。

「当然だろ、約束…したろ。」

 ぐんっと急にセツナの体が重くなる。コートを握った手にも、力が入らない。

「ぁっ…。」

 この感覚は知っていた。麻痺だ。

 茅場も自分の戦う相手をキリトと認識したようだ。そうなると邪魔者であるセツナの動きも封じたのだろう。これで、完全なる一対一だ。

 キリトは崩れ落ちるセツナに手を添え、ゆっくりと横たわらせてやると背中からもう1本の剣を抜き取った。両手を下に構え、カチャリと床と擦れる音がする。

 

「キリト止めろ!」

 

「キリトォォォッ!!!」

 

「キリトくんっ!」

 

「キリトさん!」

 

 アスナやクラインたちの悲痛な声が彼の名前を呼ぶ。しかしキリトは振り返ることはなかった。ただ、背を向けたまま口を開いた。

「エギル、今まで剣士クラスのサポートありがとな。お前が儲けの殆ど注ぎ込んでたこと、知ってたぜ。」

 ぐすっとエギルの鼻を啜る音がする。それの言葉はまるで、遺言のようで、キリトの覚悟を物語っていた。

「クライン、あの時…置いていって済まなかった。…後悔してる。」

 やや震えるキリトの言葉にクラインが必死で起き上がろうともがく。ただ、それは叶うことなく、クラインは両眼から大粒の涙を溢れさせた。

「てめぇ、謝ってんじゃねーよ!! なんで今なんだよ! 向こうで飯でも奢ってもらわねぇと絶対に許さねーかんな!!」

 泣きながらいつものような言葉を返すこの世界で初めて出会った友人に、キリトは小さく笑みをこぼした。

「あぁ、向こう側でな…。」

 その向こう側の頼りなさにセツナは床に爪を立てた。イヤだ、これ以上聞きたくない。まるで死ぬつもりみたいだ。

 それでもキリトの言葉は続けられる。

「アスナ、いつも辛いとき傍にいてくれてサンキュー。あんたがいたから俺たち、攻略組でいられたよ。」

「キリトくん…」

 アスナの榛色の瞳からも止めどなく涙が溢れ落ちていく。水溜まりが出来ることはなく、涙の欠片たちは床に当たっては消えていく。

「ディアベル……簡単に負けるつもりはないが、もし、俺が死んだら…セツナのこと…頼む。」

 そしてディアベルに向けられた言葉に真っ先に反応したのはセツナだった。

「イヤッ!!! キリト!!」

 起き上がらない体がこんなにもどかしいと思ったことはない。起き上がってひっぱたいてやらないと気がすまない。

「セツナ…。」

「イヤよ! その程度なの!? だったら私がやる!」

「ダメだ!!」

 泣き叫び、いつも通りの無茶を言うセツナに、キリトは今まで聞いたことのないよう大きさの声で制止をする。そしてビクリと動きを止めたセツナに今度は柔らかく言い聞かせる。

「ダメだ…セツナは皆の希望なんだ。もし、俺が死んだら誰が攻略組を率いていくって言うんだ。」

「イヤ…イヤだよ…私…。」

 ぐずぐずと泣くセツナに、かける言葉が思い付かず途方にくれる。

「キリトさん、その約束は出来ないな。()()なんて貴方らしくない。」

 そしてディアベルには退路を塞がれる。

 彼の気遣いに気付かないキリトでもない。肩から大きく息を吐ききり、セツナの頭を撫でた。

「分かった…みんな、向こう側で会おう。」

 ゆっくりとセツナの白髪から手を離すと、キリトは再び茅場に向き直った。

「待たせたな。」

 丁度破壊不能物体(イモータルオブジェクト)の解除が終わったようで、あちら側も準備万端といったところだ。正に魔王然とした表情を浮かべる。

「お別れの言葉は済んだかな?」

 そんな彼にキリトも笑みを浮かべる。

「ラスボス前にはイベントは必須だろ?」

「そうだね。勿論、主人公離脱でもね。」

 軽口を叩きながら二人は腰を落とし互いの武器を思い思いに構える。

 

 見ていることしか出来ない。それがこんなに歯痒いなんて、そして辛いなんて今まで知らなかった。これまでどれだけ彼に心配をさせてきたのか後悔しながらセツナは一番近くでその剣がぶつかり合う音を聞いた。

 

 




ディアベルいつもゴメン…
彼に一番甘えているのは私だ。
たまにはヒロインらしくセツナに大人しくしててもらいます。

キリトさんヒースクリフの表情とHPだけで気付くとはエスパーか。

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