白銀の証―ソードアート・オンライン―   作:楢橋 光希

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57:終層*剣の世界が示すもの

 目を開くと視界に飛び込んできたのは、暁に染まる空だった。それは2年間幾度となく見上げてきた空。世界が始まった日も、初めてボスを攻略した日も。あまりの既視感に夢現がはっきりしない。

 

 まだゲームの中にいるのか。

 

 気だるい体を起こすと眼下に広がるのは崩れ行く世界だった。

 

「中々に絶景だな。」

 

 ガラガラと崩れる世界に見いる前にかけられた声は聞き覚えのないものだった。視線を向けるとそこにいたのは白衣を来た、研究員のような人物。それはいつか雑誌かテレビで見たことがあった。

 

「茅場…晶彦…。」

 

 名前を呼ぶと男はこちらに向き直った。

 

「この姿では初めましてだね、セツナくん。」

 

 名前を呼ばれ自分の存在がしっかりとあることに驚く。確か自分はヒースクリフの剣に貫かれ、HPを全損、つまりは死んだはずだった。それなのに身に纏うものは空色の軽鎧に濃紺のスカート。一切の変化はなく、違うとするならばその手に武器を持たないことぐらいだった。

 

「状況がよく分からないんだけど。」

 

 セツナが首をかしげると茅場はふっと柔和に笑った。

 

「ゲームはキリトくんがクリアしたよ。…私が君たちと話をしたかったのでね、この場を設けさせてもらった。彼ももうじきにくるだろう。」

 

 ゲームはキリトがクリアした。それを聞いてセツナの口元には笑顔が広がった。

 

「そう…。」

 

 彼が生きて元の世界に還れる。それだけでもう他はどうでも良かった。視線を再び世界に戻した。

 こんな姿をしていたのか。

 ゲームパッケージで目にした鋼鉄の城、アインクラッド。3Dで目にするのは初めてのことだった。ベータ時代を含めれば2年2ヶ月も暮らした世界の全貌。

 尤も地球で暮らしながら地球を外から見たことのある人間なんて数えるほどだ。それを思えば見たことがなかったのも当然のことなのだが。

 茅場の言うように中々に絶景。そして感慨深く込み上げてくるものがある。そこがたとえ囚われたのであっても、私たちが生きた世界。それが目の前で終わりを迎えようとしている。

 自分もやがてあの城と同じように消えて行くのか。今は辛うじて茅場の気まぐれに生かされている。ただあの城と共に消えていくのなら悪い気はしなかった。自分を受け入れてくれた世界と心中するなら本望だ。

 

「君は、別の世界の存在を信じたことがあるかい。」

 

 それは茅場晶彦からの唐突な投げ掛けだった。

 

「別の世界…。」

 

 質問の意図が読み取れずおうむ返しに言葉を紡ぐと、茅場は答えは求めてはいなかったようで、視線を鋼鉄の城に向けたまま続けた。

 

「私はね、ずっとこの世界の存在を信じてきた。そしてそれが初めて形作ったのは君も知っているベータテストの時でね。…震えたよ。」

 

 それは、セツナにも分かるような気がした。初めてこの世界に足を踏み入れた時の興奮と感動。デスゲームになったとして忘れたことはない。

 

「そしてセツナくん、君の存在にもね。」

 

 そう言われてセツナは茅場に視線を戻した。茅場の視線は依然として世界に注がれたままだった。

 

「ベータテストのプレイヤーのデータは全て見させてもらっていた。皆変わり映えのしないようなデータだったが…君は違った。」

「…どういうこと?」

 自分よりハイレベルプレイヤーはいたように思う。LAボーナスの獲得だってキリトの方が多かったし、フロントランナーは他にもいた。

「体がどういう風に動かされるか知っているかい?」

 セツナは首を横に振る。

「知覚したものに対して脳が指令を出す。そして指令に対して行動が起きる。この世界ではその指令が信号に変わり君たちのアバターを動かす。…キリトくんの反応速度が速いのはこの世界に長くいることで馴染んできたからだ。言わば、努力型の適応者だね。しかし君は違った。」

 意味がよく理解できなかった。茅場の話は続いた。

「君の場合は初めから、言うなれば最適化されていた。現実で体を動かすのと正に同様…いや、それ以上の数値を見せていた。」

 ようやく話が少し見えてきた。そして彼が戦いの前に言っていたことを思い出す。

「…親和性云々って言うのはそう言うこと?」

「そうだね。だから同時に困ったこともあった。」

「困る?」

「最も反応速度の速い者に《二刀流》スキルを与えようと思っていた。ただ、君の選択した武器は剣でなかったからね。」

 確かにセツナのベータの時の使用武器も槍であり、薙刀であった。本来《二刀流》が与えられるのは自分だったと言うことに特に驚きはなかった。ただ彼の言うとおり、もし与えられたのが《二刀流》だったならそれは使われなかっただろう。

「《天秤刀》をデザインしたのは苦肉の策だった。現実では儀礼にしか使われないような武器だったが…よくあそこまで使いこなしてくれた。」

 要は、あのスキルは自分のために作られたと。

「どうして、そこまで私に?」

 なぜ茅場がそこまで自分にこだわったのか。たとえ、特殊な存在だったとしてもねじ曲げることまでなかったのではないだろうか。

 セツナの尤もな疑問に茅場は穏やかに笑った。

「倒されるなら、この世界により近い者がいいと、そう思ったからね。」

 SAOの世界で死んだ者は現実世界でも死ぬ。この世界を創造し、正式サービスを実行する時、彼は自分の死を決めていた。だから、それが誰の手によるものか、それを選びたかった、と言うことか。

「…酷い話だわ。こんな子供に勝手にそんな使命を与えてたなんて。」

「そうかもしれないね。」

 セツナもそう言いながら悪い気はしていなかった。自分がこの世界に認められ受け入れられていたことを知り、この2年間がまた色付いた気がした。

 

 

「ーーセツナッ!」

 

 茅場との会話が一段落したところで聞いたのは、セツナは知ることはないが意識を手放す前、聞くことのできなかった声だった。

 

「キリト…。」

 

 勢いよく抱きすくめられ、その身を任せる。

「…また会えると思ってなかった。」

「ゴメン…。」

 自分はキリトを救うために飛び込んで満足だったが、キリトにすれば身を割くような想いだったに違いない。逆の立場ならそうだ。

 存在を確かめるように強く強く抱き締められ、顔は肩に埋まり表情は見えない。背中に手を回し、ポンポンと叩いてやると少しずつ落ち着きを取り戻していく。

「ここは…?」

「ゲームクリアおめでとう。キリトくん。」

 ようやく顔を上げたキリトにやんわりと茅場が声をかける。ゆっくりと茅場に視線を移した後、その先で崩れて行くアインクラッドに目を見張る。

「…茅場…。あそこにいた人たちはどうなったんだ?」

「君のおかげで6153人のプレイヤーのログアウトは完了した。あそこには誰もいないよ。」

 ガラガラと崩れ行くアインクラッド。宣言通り、ゲームがクリアされプレイヤーたちはログアウトされたようだ。消え行く世界と共に消えるわけではない。

「セツナは…。ここにいるってことは…それに今までに死んだ4000人は…。」

 次にキリトの口から出たのは、彼の希望だった。

「命はそんなに軽々しく扱うものではないよ。」

 しかしそれはあっさりと打ち砕かれる。落胆する彼にセツナは無言で頷いた。約4000人ものプレイヤーを殺したのは紛れもない彼だ。だが、それは彼がアインクラッドを1つの世界として構築したかったからに過ぎない。世界に生きた者として、今やそれは当然のことのように思えた。

「1つ、お願いを聞いて貰える?」

「ーー何かな?」

 命を…そう言うならばこの世界では生まれた命を、救えるならば救いたかった。

「ユイ…MHCP001-YUIを、彼女を生かしてあげることはできないかしら。」

 そう言ったセツナに茅場は面白そうに笑った。

「君があの時動けたのは彼女のおかげだったね。いいだろう、彼女のシステムはキリトくんのナーブギアのローカルメモリに保存しておこう。」

 左手を操作し、プログラムに命令を出していく。自分で考え、システムに介入して見せた彼女はもうただのプログラムではない。1つの命になりつつあった。

「さて、私はそろそろ行くよ。」

 作業が終わると、ゆっくりと白衣を翻した。そして跡形もなく消えていく。一筋の風と共に去った彼はアインクラッドに還ったのだろう。彼が信じた本当のアインクラッドへ。

 

 

 

 暫くは言葉が出なかった。尚も鋼鉄の城の崩壊は止まることはなく、残された時間が後僅かなことを知る。

「ゴメン…元の世界に還すって、本当のセツナに会いに行くって約束したのに…。」

 どれだけの時間が残されているかは分からない。ただ茅場に与えられたこの時間。もう二度と話せないと思った人と話せる奇跡を大切にする。

「いいの。私が選んだことだから。」

 何も後悔はない。

「セツナのいない世界に俺は…。」

 二人以外誰もいない。キリトは涙を流した。セツナがあの時消えてから、涙腺なんてものはどこかに消えてしまったかのように。

「そんなこと言わないで。待っている人が沢山いるよ。私はキリトや皆が還ってくれるだけで満足だよ。」

 それはなんの気遣いもない、セツナの心からの言葉だった。

「私は人を殺した。だから還れない。ずっと思ってたことでもあるの。だけど、皆を還すことで、私がこの世界に生きた意味はあったと思うから。」

 そして、帰れはしないとしても、帰ることへの少しの恐怖。だから、一番良かったことなのだと、どうすればキリトに伝わるのだろうか。

「キリトが、みんなが…私の生きた証だよ。だから…家族の所に帰って。」

 そこまでなんとか紡ぎ終えたところで、一番の笑顔を作ろうとした。彼の記憶に残る自分がきれいなものであって欲しい。それはささやかな願いだ。

「セツナにだって…。」

「ーそう、だね。一言、一言謝りたかったかな。」

 キリトにそう言われて、母親の顔が脳裏を過った。大切に育ててくれた両親。でも、それは叶わない。

「ー俺が伝えておくよ。…教えてくれるか? セツナの本当の名前。」

 キリトにそう言われて、今まで忘れていたものを呼び起こす。"セツナ"。それは自分のもって生まれた名前ではなく、与えられた名前は他にあった。

 

「…きたはら、北原 雪菜(ゆきな)。」

 

「きたはら…ゆきな。」

 口にし、キリトに反芻される。

 名前を口にしたことで一気に現実(リアル)が押し寄せてくる。目尻からポツリポツリと涙が溢れる。

「あれ…こんな……。」

 そんな自分にセツナは戸惑う。全て納得していた。そして現実に帰るのが怖くもあった。それでも…。そんなセツナをキリトは再び抱き締める。

「俺が…俺が…守ってやれなかった…ゴメン…。」

 セツナは首を横に振った。それでも涙があふれでるのは止まることはなかった。

「…キリトと学校に通ったり、みんなと向こう側でもご飯食べたり…折角、折角…人と関わることを知れたのに…。」

 納得はしていたとしても、願いは溢れ出る。

「和人、桐ヶ谷 和人だよ。」

 肩越しに言われたキリトの本当の名前。それは自然とセツナの中に馴染んでいく。でも、その名前を呼ぶことが出来るのは残り少ない時間だけだ。

「和人ともっと一緒に過ごしたかった…!」

 

 ガラガラと目にすることはなかった城の先端が崩れ落ちる。セツナとキリトの体を白い光が被った。最後の時を悟り、二人は唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 

ーーありがとう。

 

 

 

ーー大好きだよ。

 

 

 

ーーーさようなら

 

 

 

 強い光に包まれ、その日世界は終わった。

 

 

 




タイトル…ずっと決めていたのですが内容がそぐわなく…
次回で最終話になります。どうか最後までお付き合いください。

どこまでも最強主人公。キリトが努力型ならセツナは天才と言うことで。
脳のなんやかんやは大分サックリ書いたのでちょっとおかしいかもしれませんね。
セツナの本名。だからディアベルとは結ばれなかったんだなと納得したのは私だけ。

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