ピッ…ピピピピッ
枕元のアラームが鳴ると次に聞こえてくるのはお決まりの"声"だ。
『お兄ちゃん! 起きてくださーい!!』
あまやかな声はより眠気を誘う…なんて言おうもんなら誰に似たのかタコ殴りされそうだ。ただし、今は彼女には"体"はないのだけれど。
「分かってる。起きるよ。」
『そう言って私に見えないからって油断してませんか? お兄ちゃんの様子なんて見なくてもお見通しです!』
そう言われては仕方なく、和人はモゾモゾと体を起こした。声が聞こえてくるのは自分のカスタマイズされたパソコンから。2年間過ごした世界で出会った妹の声だ。
「ユイには敵わないな。」
『当然です。』
あの日、現実に帰った日、本来は廃棄処分されるはずだったナーブギアを、どうにか秘密裏に持ち帰ることができた。そして退院して自室に戻って直ぐに取りかかった作業がユイのプログラムを展開することだった。
セツナが残した命。
2年を過ごすこととなった世界で生まれた命。
「おにいちゃーん? なに一人でぶつぶついってんのー? 朝ご飯出来てるよ!」
ユイと話していると下からは本当の妹ーー繋がり的には従妹なのだがーーから声がかかった。今行くよ、と階下に投げ掛け、和人は完全にベッドから抜け出す。
現実世界に帰ってきて約1ヶ月。病院でのリハビリを終え、なんとか日常生活に復帰したところだった。季節は冬になり冷たい空気が肌を刺す。枕元のエアコンのスイッチを入れ、何か羽織るものを取り出す。
1ヶ月前までは考えられないほど軽やかに動いた体は今や鉛のように重く、階段を降りる足も覚束ない。あの世界での《黒の剣士》の面影は全くない。そんなギャップに初めこそ辟易したものの、それこそが現実に帰ってきた証であり、今はそんな不自由さが愛しい。
目が覚めた時は忌避して止まなかった女の子のような容姿に輪をかけるように、髪は長く、顔も体も線が細くなってしまっていた。それもリハビリをすることで少しずつ取り戻しつつある。
全てがあの頃焦がれた日常。
まだ完全に戻ったわけではない体に、週に何度か病院でリハビリを行っている。それだけじゃ飽き足りず、ジムにも通いだしたのはあの世界で過ごした《黒の剣士》への憧れと未練だ。
「おはよ。」
それでもリビングに行くと顔を見せた妹の
直葉は慣れた手付きで朝ご飯をよそう。髪が少し濡れているのは朝稽古の後にシャワーを浴びたからだろう。
「私は学校に行くけどお兄ちゃんは?」
「今日は病院のリハビリの日だから…ちょっと遅くなる。」
「そっか。」
制服に竹刀を背負い、バタバタと飛び出していく。両親共働きだから家事のほとんどは直葉が担ってくれている。学校には復帰できず家にいる時間が長いため出来る限りは和人も手伝ってはいるが。
和人も今日は出掛ける日なので手早く朝食を済ませると二人分の食器を片付けた。放ったらかしなんかにしたら、小さい母親と化した直葉に何を言われるかわかったもんじゃない。
自室に戻るとユイが同じ事を聞いてくる。
『お兄ちゃん今日はどうするんですか?』
寝間着から少し動きやすい服装に着替え、鞄にタオルを詰める。
「今日は病院ー。」
『じゃぁユイはお留守番ですね。』
姿があればシュンと肩を落としたような仕草を見せただろう。いつかそんな風に変えてやろうと思いつつ、今は自分の体を元に戻すことが先決だ。あまりパソコンにばかり向かってたらまた直葉が心配するし。
「じゃ、行ってくるな。」
鞄を背負い、直ぐに部屋を出ると背中にはユイのいってらっしゃいという声が聞こえた。
リハビリは和人が搬入されていた都内の病院まで通う。戻ってきて驚いたことがきっちりと政府が対策室を作り、助成金まで用意をしていたことだ。おかげで入院費用も、現在の通院費用も自己負担は殆どない。設備の整った最新の病院で療養できるなら通院時間の負担などはそう気にならなかった。
そして、病院に行くのにはリハビリ以外の目的もあった。
予約の時間より早く病院に到着すると勝手知った廊下を進む。迷わずに行くのはいつも同じ場所だ。
コンコンッと音をたて、ノックをすると、どうぞと声が響く。
「こんにちは。」
「こんにちわ、桐ヶ谷くん。」
スライド式のドアを開けるといつも見せるのは同じ顔。肩までのセミロングの髪は少しウェーブがかかり、少し気の強そうな吊り気味の目。彼女とよく似ている。ただ違うのは髪の色も瞳の色も濃く黒に近い茶色、と言うことだ。
「毎回ありがとうね。君もまだ本調子じゃないでしょうに。…きっと雪菜も喜んでいるわ。」
「…いや、雪菜さんなら怒りますよ。」
目が覚めて、必死で確認したのは彼女の居場所だった。どうやらゲームクリアをしたのは桐ヶ谷和人という少年、プレイヤーネーム"キリト"と言うことは対策室の役人たちも知っていたようで、その神通力は驚く程だった。すぐに居場所を割り出してくれ、その場所が自分と同じ病院だった…と言うことには驚くしかなかった。そして、自由にならない体でなんとか病室を訪れると、あの世界と寸分変わらない彼女の姿があった。やや痩せこけてはいるが確かにそれはセツナだった。
初め見たときは目を疑った。現実の姿と同じ、分かってはいたし何度もそう聞いてきた。それでも真っ白いその髪に圧倒された。眉毛から睫毛から全てが白いのだ。そして、恐る恐る彼女に触れると、微かに体温を感じもう何を信じていいのか分からなくなった。
思わず病室で崩れ落ち、涙を流していたら、彼女の母親と遭遇したのはその日。初対面泣き顔なんて最悪だ。知らせを聞いて恐らく飛んできたのだろう彼女にセツナの伝言を伝えると『謝るぐらいなら帰ってくればいいのよ!』と実に彼女に似た様子で返してくれた。実際のところはセツナが似ているのだろうが。
それ以来彼女は毎日ここに通っているのだろう。まだ目を覚ますことのないセツナの目覚めを信じて。
「全く。せっかちで短気なくせに変なところマイペースなのよね。」
病院に来る日は必ずこうしてセツナと過ごしていた。そして彼女の母親と他愛もない話をする。セツナと同じような調子で会話が返ってくるため時折セツナと話しているような錯覚に陥る。思わず敬語を忘れそうになるぐらいだ。
「お二人が…話しているのを見てみたいです。」
「そんなに似てる? それは本当に雪菜喜ぶわ。」
クスクス笑うしぐさまで。だからこそ余計に彼女の面影を探してしまう。
「じゃぁ、また後できます。」
「リハビリ頑張ってね。雪菜が目を覚ましたら一番に知らせてあげる。」
そんな日が来るのはいつの日のことか。まだ1ヶ月、されど1ヶ月。その日はまだ訪れてはいなかった。
リハビリルームに行くとちらほらと見た顔がある。特に自分は行く度に視線を集める。それでも声をかけられないのは皆が重度のネットゲーマーだからなのか、それともあの世界で起こったことはなかったことにしようとしているからなのか。皆が前を向き、日常に戻ろうとしている。彼女の残したものはこうして動き出していると言うのに当の本人は戻ってくる気配を見せない。
皆が現実に帰ることが自分の生きた証だと言ったセツナ。ネット上では少しずつ噂が広がり、止めを差したのは《黒の剣士》だが実は…と言う話もある。実際、セツナがいなければ俺はあの時HPを全損させており、まだゲームはクリアされてはいなかっただろう。
ものは見方だ。
1層の頃から前線で活躍し、話題には事欠かなかった彼女。攻略組には戦う勇気を、中層プレイヤーには希望を与えてきた。容姿端麗な女性プレイヤーと言うのも大きかっただろう。《ビーター》の次に二つ名を貰ったのが早かったかもしれない。
二人で実付の集団を突破したり、一人でフィールドボスを撃破したり…68層の離れ業も、中々だった。ヒースクリフも真っ青な伝説を残してきている。
それも今回で終わり。ただHP全損させて生還も是非追加してもらいたい。
『私を誰だと思っているの?』
皆が喜ぶ中、きっと彼女ならあっさりとそう言ってのける。
そんな未来を描き、キリトはまずは自分のことに集中することにした。彼女が還ってきた時、迎えるのは《黒の剣士》であった自分でいたいと。
これで最後となります。
迷いましたがセツナは生きています。
彼女が今どんな状態なのかはご想像にお任せいたします。
後書きは長くなりそうなので活動報告へ
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
と言いつつ番外編書きます。
主人公は私の好きなあの人で!