白銀の証―ソードアート・オンライン―   作:楢橋 光希

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29話*虚構の真実

 

 

 

 

 

「終わった…の?」

 

 あまりの呆気なさに、散り行くポリゴンを目にしても、アスナは信じられないと言った様子で半ば呆けたように言葉を発した。それもその筈だ。急に逆転した形勢。それを可能にした要因をセツナ以外は知るすべもない。

 

「セツナ、キリトさん、そのエクスキャリバーは…?」

 

 地下世界で一緒にそれを目にしたディアベルは尚更理解が追い付いていないようだ。最強の聖剣が急に姿を現しているのだから。

 

「…こんなもの…紛い物よ。」

 

 セツナはそれをキリトの手から取り払うと、無に還した。伝説の武器は本当はこんなに簡単に触れて良いものじゃない。元々幻だったかのように光の粒に姿を変え、四方に散る様子を見て余計にそう感じた。

 

「それよりも帰ろう。現実世界(おもて)でやらなきゃいけないことが沢山ある。」

 

 キリトも同じ気持ちのようでエクスキャリバーを気にも留めず―――本来ならレア武器には目がないはずなのに―――前を向いた。そんなキリトにセツナは頷くと、右手を縦に振り、システムウィンドウを起動させた。

 

「さぁ、アスナお待たせ。ログアウトするわよ。」

「セツナ…それは?」

「どっかのお節介がくれたのよ。」

 

 アスナの浮かべる疑問は最もであるが説明するのは少しめんどくさい。

 

「ディアベルとキリトは自分で帰れるわよね?」

 

 追及される前にセツナはログインしてきてくれた二人に視線を移した。キリトもディアベルも左手でウィンドウを操作し、首を縦に振った。

 

「帰ったら直ぐに病院に行くよ…と言いたいところだが俺はアスナ君の方へ行かせてもらっても良いかな?」

 

 セツナがシステムウィンドウからログアウトの画面を表示させていると、ディアベルは思いがけないことを口にした。当のアスナも困惑する。

 

「えぇ!? あなただってセツナを助けに来たんでしょ?」

「まぁ…そうなんだけどね。ここでは倒したが()のことが気になる。」

「…そう言えばあなた須郷さんのこと……。」

「その話は現実世界(むこう)でしよう。それよりも早く帰った方が良い。生身の君は無防備だからね。」

 

 そう、ディアベルは須郷を知っていた…。そしてディアベルが言うことは正しい。この世界から追い出しただけであって何も解決はしていない。いつ、どんな危害が加えられるか分かったものじゃない。そしてそれはセツナよりもアスナへの脅威が大きい。早く現実に戻り対策を打つべきだ。

 

「ディアベル…アスナのこと、お願いね。」

 

 セツナはディアベルにそう言うと、アスナのログアウト処理を始めた。

 

「セツナ! ありがとう。向こうで会いましょう!」

「さて、俺も先に失礼するよ。現実世界(むこう)ではアスナ君の方が危なそうだ。」

 

 二人の姿が青い光に包まれてゆっくりと消えていく。終わったんだ。本当に。セツナに少しずつ実感が生まれる。

 

「さぁ、俺たちも帰ろう。」

 

 キリトにそう言われるもセツナは首を横に振った。

 

「えぇ、と言いたいところなのだけど…いるんでしょ? ヒースクリフ。」

 

 そして紡がれたセツナの台詞にキリトは驚きを隠せなかった。

 

「──茅場!?」

 

 真っ直ぐに宙を睨み付けるセツナ。思い返せばその答えは既にセツナの発した言葉にあった。─IDヒースクリフ─…それはSAO(あの世界)の創造主のプレイヤー名。セツナはそれをもらったと言った。しかし…

 

「…生きて……いたのか?」

 

 あの時自分が倒した筈だった。須郷と違い彼はVR(この世界)に誠実で真摯だ。それならば本来そんなことはある訳がないのに。

 

『そうでもあるとも言えるし、そうでないとも言える。私は─茅場晶彦と言う意識のエコー、残像だよ。久しぶりだね。セツナくん、キリトくん。』

 

 キリトの疑問にはゆっくりと姿を現した茅場本人によって語られた。白衣を纏った姿はあのアインクラッドの崩壊を見詰めた時と同じだった。

 

「…聞きたいことは色々あるけれど…お礼と共に1つ文句を言っても良いかしら?」

『……何かな?』

 

 茅場は軽く肩を竦めた。

 

「力を貸してくれたことには感謝するわ。だけど、プレイヤーから逸脱させられたのは望まなかったわ。」

 

 どうせなら自分で方をつけたかった。そのために約1ヶ月世界を放浪してきた。それなのに、自分の矜持のせいでもあるが、力を得たことでそれは叶わなくなってしまった。しかし悪びれずに茅場は口を開く。

 

『それは失礼。しかし礼には及ばないよ。君と私とは無償の善意が存在するような間柄ではない。無論代価は必要だ。』

「…ふん……。望まないものを与えたおまけに代価ね。」

『まぁそう言わず。それは君にとって必要なものだ。君がログアウトするためにはね。』

 

 茅場が言わんとするのは、正規のコンソールではセツナがログアウト出来なかったことを指しているのだろう。茅場のIDではアスナの処理をした時にきちんと自分の名前も表示されていた。

 

「……どう言うことか理解に苦しむんだけど。」

『簡単なことさ。私がそうであるように君もSAO(あの世界)で死亡しただろう。本来なら君は死ぬはずだった。』

 

 突き付けられる事実。そう、それは解決したわけではなかった。

 

「…だけど私はここにいるわ。」

『それは須郷が君の信号を拾ったからだ。しかしイレギュラーだったのは送られた信号は拾うはずだったログアウトではなかった。』

「………。」

『そのために上手くシステム移行が出来ず、君は彼が望む形でこの世界に入らなかったんだね。半分はまだSAOの支配下にあった。』

 

 少しずつ色々な答えが明らかになる。なぜこの世界にいたのか。それでいてなぜ力が及びきっていないのか、SAOの名残があるのか。本当にまだSAOの世界の名残があるのならば、1つ大きな気がかりがある。

 

「……今ここで私がログアウトしたらナーヴギアに焼かれるのかしら?」

 

 SAOで死亡したという事実。それが有効であるならば、今辛うじてあるこの命は…。

 

『それはない。死亡信号はここで止まっている。』

「皮肉にも須郷に命を助けられたということかしら……。」

『それは私の関与することではない。SAO(あの世界)で死に、確かに死亡手続きは行われた。私にとってはそれが全てだ。その後のことはALO(この世界)で起こったことさ。』

 

 二人のやり取りにキリトはぽかんと口を開けたままだった。そんなキリトにセツナは要点だけを口にした。

 

「…私が助かったって話よ。」

 

 その言葉にキリトの表情がみるみるうちに色付いた。

 

「嘘じゃないんだな!?」

『私に嘘を吐く理由はない。─…そうだ、対価はキリトくんに払ってもらうとしようか。セツナくんより適任だろう。』

「……適任?」

 

 答えの代わりに、透明な卵が姿を現した。目映い金の光を放つそれに、キリトは思わず手を伸ばした。

「これが…対価?」

『それは世界の種子だ。芽吹けばどのようなものか解る。君たちがあの世界に憎しみ以外の感情を残しているなら…。──その後の判断は君たちに任せよう。』

 

 人の話を聞いているのかいないのか茅場は淡々と続けた。抽象的で二人には何のことだか全く理解できなかった。そして、

 

『──では、私は行くよ。いつかまた会おう。キリトくん、…そしてセツナくん。』

 

 簡単な挨拶を最後に彼は去っていった。見事なまでにアッサリと。それは実に彼らしかった。

 

「なんなのかしら…。」

「分からない。今ここでは本当にどうしようもないから帰ってからだな。」

「…そうね。」

 

 対価。セツナにとっては命の対価とも言えるもの。にも関わらず実際のところは分からないが随分と簡単な物に思えた。彼にとっては命の認識ではなく、ただ単にシステムIDの貸与に対する対価、と言うことだからかもしれないが。

 

「でも、拍子抜けしちゃった。」

 

 それでもセツナにとっては命を拾ったことに他ならず、この1ヶ月の気掛かりは彼の存在によって全て無くなった。

 

「…セツナ、助かったんだよな。」

 

 それはセツナだけでなくキリトも同じだった。セツナがALOを旅して模索してきた1ヶ月の間、彼は目を覚まさない彼女の姿を見てきた。いくらこの世界で動いているセツナに出会っても、それは現実世界での出来事ではない。現実世界に戻ってしまった自分とは大きく異なった存在のように思えた。

 

「…何泣いてんのよ。」

 

 セツナにそう言われるまでキリトは自分の頬を伝う涙に気が付かなかった。

 

「─ホントだ。」

「それって私の役割じゃないの?」

「そうかもな。」

 

 おどける彼女の瞳にも水滴が浮かぶ。

 

「やだ、つられちゃうじゃない!」

 

 おかしいな、とセツナがそれを拭おうとするもそれは叶わなかった。

 

「本当に……良かった。」

 

 いつの間にかキリトに抱きすくめられ、代わりに彼に雫を拾われた。

 

「まだ早いわよ。ログアウトしていないのに。」

「ログアウトしたらすぐに病院に向かうよ。」

「…うん。」

 

 セツナのいつも通りの口調もキリトの気持ちの前に鳴りを潜めていく。彼の心臓の鼓動が聴こえるような気がしてセツナはそっと目を閉じた。

 

「待ってる。…この2年の中で一番長い時間に感じそう。」

「転移結晶があれば良いのにな。」

「…それが無い世界に帰りたいのに、変な話よね。」

 

 二人は互いの左手と右手を繋いだままウィンドウを操作した。ずっと望んだことがようやく形となる。願った未来が来ることを夢のように感じながら最後のボタンを押す。

 

「後でね。」

「すぐだよ。」

 

 ウィンドウ越しに重なる指先。二人の姿は少しずつ淡くなり青い光の粒に変わる。

 

 

 

 

──こうして別れるのは2回目ね。

 

 

──あの時とは違うよ

 

 

──そう?

 

 

──そうさ

 

 

 

 

───必ず会えるからね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白。

 

 目の前に広がるのはただ一色。

 

 靄がかかっているのか、ゆっくりと光の射し方が変わるがその色が変わることはなかった。

 体が重い。強い倦怠感。まるで麻痺しているかのようだがハッキリと違うと感じた。何かに制御されているのではなく、力の入れ方が分からないとでも言うか、抑えつけられているのではなく、力が及ばない。いかにあの世界が現実世界を模したものだとしても、再現出来ないことはある。そう、還ってきた。SAOプレイヤー、《舞神(ぶしん)》と呼ばれた槍士(ランサー)のセツナではなく、北原 雪菜(ゆきな)に戻ったなによりの証拠と実感だった。

 声を出そうとすると咽は掠れ、息苦しさを感じる。頭が重たいのはナーヴギアのせいか。視界は明るくも見えるものはなく、瞼が開いているのかも分からない。こんな不自由さはこの2年間無かったことだ。そして少しずつ思い出される自身の体の感覚。キリト―――確か本当は和人と言う名前だった―――を待つ時間は長く感じるかと思ったが、二年ぶりの現実の身体に慣れるのに費やされ、そうでもないのかもしれない。ログアウトにタイムラグはあったのか、キリトは正規のログインだからすんなりいっただろうが、自分の方は分からない。遠くから聴こえる慌ただしい音が淡い希望に変わる。

 

「……っな!!」

 

 聞き覚えのある声が遠くから響いてくる。

 どうやらタイムラグがあったようだ。それともログアウトしてから自分は少し眠っていたのだろうか。それは分からなかった。

 声は遠かったはずなのに手に触れる暖かい感覚に何やら思い違いをしていたことに気付かされる。

 

「…つな!」

「…そ…っか…ぁだ………ぅまく…ぁなせ……。」

 

 自分の機能が上手く働いていないのだ。雪菜(セツナ)は掠れた声で伝えようとするも、和人(キリト)には必要ないようだった。

 

「…お帰り。」

 

 右手から彼の体温が伝わってきた。その声は向こうで聞いていたものと同じだった。

 雪菜がどうにか首を縦に動かすと頬を涙が伝った。自分のものか、彼のものかは分からなかったがそんなことはどうでも良かった。

 

「…た…だ…い…ま。」

 

 ゆっくりと発した言葉。目もしっかりとは見えなかったが、和人の頬が上がったように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




帰還。
なんでセツナとキリトはあんまりいちゃついてくれないのか 笑
セツナの性格のせいに違いない。
さて、もうちょっとだけ続きます。お付き合いください。

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