3学期始まっておよそ1ヶ月が経ち――――2月も半ばに差し掛かったある日のこと。
「なぁ」
夜、寮で寛いでいると、不意に龍が投げ遣りな口調で声をかけてきた。
「手作りチョコってさ、市販の板チョコ溶かして型に嵌めて固めただけで手作りじゃねーよな」
「カカオ豆から作れってか」
「そうだよ。所詮手作りチョコなんて形が違うだけで5円チョコと大差ねえんだよ」
「どんな理屈だ……」
俺は呆れながら、鞄の中から綺麗な模様の包装紙にラッピングされたチョコレートを取り出し、それを開けて一口かじる。
そう。今日は2月14日――――世に言う『バレンタイン』だ。
本来、女子が好きな男性にチョコを渡すイベントだとして日本の大手お菓子メーカーがCMで大々的に宣伝したおかげで定着しきってしまった文化だが、近年では『義理チョコ』『友チョコ』といったようにもはや男女関係なく誰にでも気軽に渡すようになってきている。
そんな風に気軽に受け取れるようになったため、今年は4つも貰うことができた。
「畜生、そんなに貰いやがって。どうせどれが誰のから貰った物か見分けがつかねえんだろ、このたらしが」
「そんなわけないだろ、たった4つだぞ……」
「じゃあ見せてみろよ」
龍にそう言われ、俺は溜息を吐きながら鞄からあと3つのチョコを取り出して机の上に並べた。
どれも綺麗にラッピングされているが、1つだけ他のと比べて妙に平べったいチョコレートが異彩を放っている。
「今食ってるのが時任から貰った物で、こっちの水玉模様のが志波。透明なのが鷹見だ。それでこの平らなのが雅の」
そう言って雅のチョコのラッピングを取ってみると、市販の板チョコのような溝があった。
「これ、既成品をわざわざラッピングしたのか?」
「いや。どうやらそうじゃないらしい」
俺が首を横に振ると、龍は「どういうことだ?」と首を傾げる。
俺は黙って冷蔵庫の中にあった市販の板チョコを取り出して、雅のチョコと重ねてみる。
そうすると、雅のチョコが市販のものより一回り小さいのがよく分かった。
「……まさかこれ、溶かして平らに固めたチョコにわざわざ溝を彫って元の形に戻したのか!?」
「どうやらそうみたいだな」
細部まで4分の3サイズで完全に再現されているそれを、俺はまじまじと見つめて一口かじってみた。
「…………」
味は美味くもなく不味くもなく、普通にチョコレートのそれだった。何も言われなかったら市販のものと勘違いしてしまうだろう。なんて無駄な技術と努力だろうか。
「つーか、そんなにチョコ欲しいんだったら3日くらい前にくれって頼めばいいだろ」
「それだと負けた気がするだろうが」
「変なプライド持ちやがって……」
そんな風に俺が呆れていると、不意にインターホンの音が鳴った。こんな時間に来客とは、珍しい。
「誰だ、こんな時間に」
「……何だか嫌な予感がするな」
何となくそんな気がして、俺は玄関まで出向き覗き穴から外の様子を確認する。
「げっ……!」
思わず、そんな声が漏れた。
俺は慌てて玄関の鍵を開け、チェーンロックを掛けたまま少しだけドアを開いた。
「何しに来たんだよ姉貴っ!」
声を殺しながら、俺は目の前にいる女性――――俺の実姉である朱葉静音にそう叫んだ。
「今日はバレンタインだろ? 愛する弟のためにチョコレートを持ってきてやったんじゃないか」
そう言って姉貴が胸の辺りまで掲げたのは……かなりでかいサイズの白い箱だった。
高さはおよそ15センチ、縦横は25センチ程度のものだ。
その正体を、俺は少し遅れてからようやく察した。
「ケーキ箱じゃねえか……」
しかもこれ、俺の見立てが正しければ恐らく中身は7号(直径21センチ)。目安としてはおよそ10人分くらいある大型のホールケーキだ。
「ほらほら、早くチェーン外せって。渡せないだろ」
「……仕方ないな」
俺は渋々チェーンロックを外し、ドアを大きく開けて姉貴のケーキを受け取った。
その瞬間、姉貴の手が俺の後頭部まで伸びてこようとしたので……俺は姉貴の手首を掴んで「どういうつもりだ?」と視線で訴える。
「いやぁ、久しぶりに弟とのスキンシップを図ろうと」
「やめてくれ。どこで変な噂が立つか分かったもんじゃない……」
姉貴は不満そうな顔をしていたが、俺もこれだけは譲ることはできない。姉に欲情するなんてあり得ないが、それでもしかし男と女だ。ある程度の距離感は必要だろう。
「まあともかく……ケーキありがとな。皆で食わせてもらうよ」
「おう、自信作だ。味は期待していいぞ。じゃ、私は帰るから」
「ああ」
俺はケーキの入った箱を下駄箱の上のスペースにとりあえず置き、階段の方へ歩いて行く姉貴を見送って玄関に戻ってきた。
「おーい、ケーキあるから今から食べようぜー」
俺が呼びかけると、ダイニングで俺を待ちながら雅のチョコを見て「すげーな……」と呟いていた龍と、自室で寛いでいたらしい春樹が集まった。戒はどうやらでかけているようだ。いつぞやのあの女性とデートにでも行っているのだろう。
姉貴に貰ったチョコレートケーキを8等分に切り分け、その内の3つを皿に盛って残りはスカスカな冷蔵庫に明日の分として仕舞っておく。
「このケーキ、美味しいね」
「くっそ、羨ましすぎるぞお前」
性格はかなりアレだが、姉貴は(本来は)几帳面で真面目なので菓子作りが得意なのだ。昔はよくクッキーなどを作ってもらった思い出がある。
「ところで、再来週にはもう卒業式だよね」
思い出したように、春樹が話を振ってくる。
「はえーよなぁ。もうすぐ2年だぜ、俺たち」
「あっという間だったよね。あー、下級生ができるの不安だなぁ」
「まあ銭形みたいなとんでもない奴はそうそう来ないだろうさ」
確かに、年下にとんでもない実力の持ち主がいたらかなり面倒くさいだろう。後輩たちに示しがつかず、舐められる原因になりかねない。
それよりも、俺は……――
(そうか。もう、そんな季節なんだな……)
――今の3年生が卒業していく事の方が、個人的には一大事だった。