一夜明ける。あたいは目が覚めると普段と景色が違うことに一瞬戸惑う。
(そういえば、あたいらは寺の床下に潜ったのだっけ。)
昨日の出来事を再び思い出し、ようやく今見えている風景に納得する。そしてあたいはレンの脚を確認する。噛まれた怪我以上に折れ曲がった脚がとても痛々しく見える。
あたいは海の見える場所まで行ってみた。あたいらが半日歩いて着くか着かないかの距離があった。今のレンの状態からしてもとてもこの脚では歩いて海まで行くなんて無理だろう。当然狩りもさせることはできない。
(とりあえず、今日の食料二匹分調達してこよう……しばらくの我慢だ……)
そしてあたいは人間に見つからないようにこっそり抜け出しては獲物を獲って帰ってくるということを繰り返した。だがいくら夜が明け朝を迎えても、レンの脚は一向に良くならなかった。むしろ悪化していたのだ。野犬というただでさえ衛生面に問題がありそうな奴に噛まれた挙句、日の当たらない床下にずっと彼はいるのだ。
ある日レンは自分の不安を吐露した。
「リン姉ちゃん……ボク、死ぬのかな……」
それを聞いてリンは暖かい季節を迎えているにもかかわらず、背筋が凍るような思いをした。
また自分にとってかけがえのないものを失ってしまうのだろうか。
また自分は誓いを守れず、自分の弱さに打ちひしがれるしかないのだろうか。
また、あの時のような復讐心しかないつまらない生活を送らねばならないのだろうか……。
でもあたいはレンにそんな不安な気持ちを察せないようにするため、あえて明るく言ってみた。
「大丈夫、あたいを信じて。なんとかしてみるよ。」
そんなあたいの声は震えていた。そのままレンの顔色を見ることなく、再びあたいは悩む。再び過去のことを思い出す。もしあたいの体が弱かったとしたなら、あたいは母から薬草などの知識を得ることができただろうか。そして彼を助けることができるだろうか。
違う、そうじゃない。過去に結局あたいは縛られて動けなくなっているだけではないだろうか。確かに母の話では人間に、特に寺の人間に、ひどい目に合わされたと言っていた。そして実際母は人間に殺された。だけどあたいが今最優先にしていることは、レンを守ること。彼だって言っていた。自分の気持ちに従ったほうがいいと。だったらもうやることは一つしかないはずだ。
そうするとあたいは寺の庭に出てけたたましく鳴き始める。おそらく今まで人目につくのを避けようとしていたため、誰もあたいらがこの床下で生活していたことに気づく人間はいないはずである。だから大きな声で鳴き続けた。あたいらに気づいてもらうために。
するとふすまが開いて、あわてて一人の僧侶が出てきた。あたいの鳴き声で異変を感じたのだろう。見た目はやや背が高く、ふっくらした体型の男だった。あたいは一瞬ビクッとした。なぜならあたいは人間と直接対峙したのはあの時以来だったからである。だけどあたいは臆することなく、鳴き続ける。
「どうしたんだい?」
人間は呼びかけに答えた。あたいは彼の顔を見ながら床下の方に目をやりながらけたたましく鳴き続けた。
「む……この下に何かあるというのか……?」
すると彼は大きな体だったが、なんとか潜っていき、とうとうレンを発見したようだった。
「な、なんだこいつは!?」
あたいは一瞬身構えた。ここであたいらの運命が分かれると言っても過言ではなかった。レンの価値を知っている人間であれば、いくらレンの命が助かったところで売り飛ばされてしまうだろう。
そのままレンを抱きかかえ、出てきた僧侶。日の当たらないジメジメした泥などで体を汚しながらも気にせず室内に連れて行こうとしていた。だが彼は振り返りあたいにこう言った。
「君の大切な仲間だろう、君も一緒に来るといい。」
その時のあたいは不思議なくらい、その人間の言葉を素直に受け入れたのだった。
あたいは初めて人間の居住区の中に入った。そして初めて畳というものの香り、感触を覚えた。彼はレンを畳の上にそっと置いたあと、走って治療道具をとりに行った。
「リン姉ちゃん、ボク、助かるのかな……?」
「わからない、だけどあたいが一緒だから、あたいを信じて……。」
そんな会話をしていたら僧侶はすぐ戻ってきた。そして慣れた手つきで治療を開始する。
「ちょっと痛むが我慢してくれよ?」
消毒液を布にかけ、傷口に押し当てる。レンは苦悶の表情をしながら鳴く。
「リン姉ちゃん……痛いよ……」
「男の子なんだから我慢しなさい。」
そして彼はレンの曲がった脚を元の形に戻るように力を加える。これは流石に痛そうだ。レンがすごく悲鳴をあげるくらいであった。
「我慢してくれ、今痛みに耐えなければ、お前は一生不自由な暮らししかできなくなっちゃうからな。」
そして包帯を巻き、添え木をする。そしてレンに一言。
「よし、これでお前はもう大丈夫だ。治るまで家に住んでくれていいからな。」
とにこやかに言った。
「もちろん、君も一緒でいいぞ。」
そうしてあたいにも居住の許可を与えた。あたいの頭は一瞬真っ白になる。自分がかつて望んだ自由を失ってしまうのではないかと。そして彼はあたいらをおいて部屋の外へと出ていった。
「レン、大丈夫?」
あたいは今の状況をまだ完全に理解できなかったが、自分の心を落ち着かせるためにもレンに話しかけようと思った。
「うん、痛みはだいぶ楽になったよ。」
レンの声は弱かったが、顔には安堵が見える。
「本当によかった……」
あたいも本当に嬉しくてたまらなかった。
「リン姉ちゃん……勇気を出してくれてありがとう。もし、リン姉ちゃんが人間を信じられまいままだったら、ボクは今生きてなかったと思う。」
「な、何を言うんだい。あんたはあたいの弟なんだから、それくらい当然さ……」
「だからボクはリン姉ちゃんが大好きなんだよ。」
昔こういった時と同じく、彼は同じ表情でこう言った。
「もちろんあたいだって大好きさ。」
しかし、どうもレンは戸惑ってしまった。
「あのね、リン姉ちゃん、ボクが言ったのはお姉ちゃんとしてではなくてね……」
「え……」
お互いが見つめ合う不思議な空気のなか、そのまま時は流れた。
(なんだろう、この不思議な感じ……母のあの時言った大好きと同じ意味なはずなのに、この気持ちは一体何なんだろう……)
形容し難い気持ちがどんどん胸いっぱいに膨らんでいく。
「ぼ……ボクは……っ!」
レンが沈黙に耐え切れず何かを言おうとした瞬間だった。突如先ほどの僧侶が帰ってきた。あたいはそれを確認したあとレンの方へと振り返る。彼は顔を俯けて悔しそうに何か言っていたようだった。
「ほら、お前らの好きな猫だ。かわいがってやれよ。」
「やった、猫だー!!」
(ん?お前ら?)
と言うやいなや、二人の黒髪の少女があたいらのそばに近寄ってくる。片方は眠たげな瞳で、もう片方は優しそうな瞳をしていた。しかしあたいはとっさのことで身構える。いくら人間を信じたとはいえ、いきなり出てきたこの少女たちを目の前にして動揺は隠せなかった。
「心配しないで。」
眠たげな瞳の少女が言う。
「あなたのこと、私たちにはわかるから。」
優しげな瞳の少女が言う。
「私たち、あなたが受け入れるまで近づかないから、ね。」
そして二人ともあたいに微笑んだ。あたいはずっと裏があるのではないかと疑いながら彼女らを見るが、次第にあたいは警戒を解いた。
「うん、いい子だね。」
そう言って眠たげな瞳の少女があたいを抱きしめる。そのぬくもりは、かつての母を想起させた。
「リン、私たちはあなたを守るよ。」
(続く)
二人の少女の正体は一体誰なのかー(棒読み)
おそらく、というか流石にもうわかっていると思います、が一応二人の設定に関しては次の本編で書いていきたいと思いますので、お楽しみに。