あたいらは追っ手から難なく逃れ無事にお寺へとたどり着く。さとりとこいしがあたいらを出迎えた。まるで一緒に帰ってくるのを見透かしていたように。あたいらはそれぞれ二人の腕の中に収まり報告をした。いつものように彼女らはあたいらに触れることで今日のあたいらのその日の出来事を視た。すると彼女らは僧侶にアイコンタクトを送る。そして僧侶は焼いた何かをくれた。
(さとり、これは何?)
あたいは香ばしく美味しそうな得体のしれない何かに対して質問する。
「ん、それは魚というものよ。初めて見るかな?」
(うん、でもこれって何かの生き物じゃないの?)
「うん、本当は私たちの料理って生き物を食べないことで知られる精進料理なんだけど、今日のあなたたちには特別にってお父様がね」
「多くの猫は魚が大好きなんだってお父様が言ってたよ!」
こいしもいつものように会話に割って入ってくる。あたいはこうなることが彼らにとって想定の範囲内だったことに対し恥ずかしさがこみ上げてくるも、とても嬉しかった。あたいはレンの方をみてこう言う。
「おいしそうだね、レン」
「うん、ボクとリンで半々だね」
彼は再び「リン姉ちゃん」とは呼ばなかったが、最近急にできたよそよそしさは全くなく、明るい頃の彼に戻っていた。
そして三人と二匹で楽しい食事が始まった。あたいはその時母と食事をしたかつてのことを思い出していた。以前は何度あの時に戻れたらと思っていた。けれどもあたいには次第に今の方が大切になってきたのかもしれない。
(あたいは決してお母さんのことを忘れたわけじゃない……、むしろあそこで大切なものを失ったからこそ、今こうして守れているのかな……)
あたいはそうしみじみ考えながら天井を眺める。
そんな様子をみたレンがあたいに言う。
「ほらほら、ぼーっとしてるとボクが全部食べちゃうよ!」
そう、彼が茶目っ気たっぷりにこう言ってきた。あたいはそれが悪意のない言葉だとわかりつつ、あえて口で反撃する。
「あっ、あんただいぶ食べたわね。じゃあ残りは全部あたいのってことで」
「うわぁ、ごめん!だから全部食べないでぇ!」
そんなやりとりをしていたとき人間たちはあたいらを見て微笑んでいたようだった。
(コンコン)
「おや、こんな時間に来客でしょうか?」
さとりが言った。
「仕方ない、私が行ってこよう」
僧侶が立ち上がり、様子を見てくる。あたいらは引き続き楽しい食事の続きを始めようと来客の要件が終わるのを待った。しかし5分が経ち、そして10分が経つ。いくら待っても僧侶が戻ってこなかった。さとりが不安になって僧侶の様子を見に行く。あたいらも何事かと思ったが猫の自分にするべきことはまだないなと考え黙々と食事をしていた。
するとさとりが帰ってきた。だが顔面蒼白である。
「お姉ちゃん、何かあったの!?」
こいしが慌ててさとりに質問する。さとりは答えた。
「あなたがたに襲いかかった男二人がお父様と話をしていたの……」
おそらくあたいらの記憶を視たときにさとりのイメージにも彼らが映ってしまったのだろう、だから彼女は男二人の顔を見ただけですべてを悟ってしまったのだ。
だが突如怒号が聞こえる。さとり、こいしはその声に怯え、あたい、レンもその声のやり取りを聞いて身構える。しかし、あっという間に静かになった。それがあたいらの不安を一層煽った。そして足音が少しずつこっちへ向かってきていた。さとりは震えながらこう漏らした。
「やつら……刀を持っていたわ……」
「お姉ちゃん……怖いよ……」
こいしもあまりの恐怖に泣いているほどだ。あたいらは全身の神経を尖らしいつでも飛びかかれるような体制をとった。
そして人影が見える。あたいはその人影めがけて飛び込んだ。だがそこには予想外の人物がいたのだ。
「おや、君の方から私に飛びかかってくるなんて珍しいな、どうかしたのか?」
いつも聞く声の主であたいはとっさに爪を立てず彼の腕に収まる。
「あれ……お父様?」
「おや、さとりにこいし、それにお前たちも一体どうしたんだ?」
あっけらかんに話す僧侶を見てあたいらは呆気にとられる。
「大丈夫なの!?」
こいしが涙目ながら僧侶にやや強めの口調で話しかける。
「大丈夫、何が?」
するとさとりも同様に強めの口調で問い詰める。
「お父様、私たちの目の前で嘘は通用しませんよ!」
そして二人で僧侶の腕を掴む。こうして彼が男二人と会話していた約15分の内容はあっという間に明らかになった。
「お父様……素手で刀を持った男二人を相手したのですね……」
「ああ、そうだ」
「で、二人は逃げていったの?」
「ああ、そうだ」
さとりとこいしは質問したあと口をあわせてこう言った。
「バカなんじゃないですか!?少しは自分の身のこと考えて行動してください!!」
彼女らは彼に抱きつきそして泣いた。彼女らにとっては本当の親ではないが、それでも唯一の親のような存在だ。あたいも母を失ったからこそわかる、二人の気持ちが。そう考えられるだけでもあたいは自分が成長したことを知る。
だが、不意に悪寒が走る。あの二人の人間だ。以前レンを追いかけていたが、今も狙ってきている。わざわざこの寺にまで押し入ろうとしてきたことを考えると彼らはすぐ策を打ってくるに違いない。なんとかそれを伝えなければならない。
あたいはそう思ってまずレンに今の事情を伝えようとしたが、彼の姿はどこにもなかった。
(レン……、まさか彼は自分から彼らについていってしまったの!?)
そんな嫌な考えがあたいの脳内を巡る。でも彼もあたいのことをよくわかっているからこう考えるだろう。家族との別れは絶対に嫌だ。だけどもあたいらのせいで関係のない三人を巻き込んだ。だったら確実に自分が犠牲になっても守ってみせる。
(あいつならきっと、優しいからそう考えるのも無理はないかもしれない……)
だが、もっと深い思考をする前に彼は帰ってきた。あの男二人についていったわけではなかったとほっとする。だが、あたいの知らないうちに事態は最悪の方向へと進んでいた……。
僧侶が大声で指示を出す。
「さとりとこいしは急いで井戸から水を汲み上げるんだ!!リンはあいつらがいないか偵察だ!レンはこの場から動くな、万が一の状態になったらみんなここに集まるんだ!」
全員が頷き各自の持ち場へと移る。何があったのか状況の説明をしよう。さっきレンが帰ってきた時に告げたこと、それは、
「大変だ!向こうの部屋が燃えているんだ!!」
そう言って彼は泣いているこいしを鳴き声で呼び出し、状況を伝え、それが僧侶へと伝わったのだ。犯人は言うまでもなくあいつらだろう。
あたいは寺の周囲を見回った。しかし奴らの姿は見えなかった。そんな中一人消火作業にあたっている僧侶の方を見る。火は一向に収まらない。それもそのはず、最悪なことに風上の方から燃えているのだ。どんどん飛び火し一人ではどうしようもない状況になっている。水をさとりたちが汲んではいるものの、たかだか人間の少女2人がなんとか運べる量だ。
あたいは周囲にやつらの気配がないことを確認し、レンのところへと戻る。
「火の様子はどうだった!?」
レンが質問するがあたいは力なく首を横に振る。そんな中人間たちが戻ってきた。そこで僧侶は苦渋の決断をした。
「ここから逃げる。幸いにもお前たちの部屋までは火は迫っていない。煙にだけ気をつけて必要だと思うもの一つを持ち出してこい」
そして人間たちはそれぞれ自分の大切なものを用意しに行った。
「リン……ボクら……」
レンはそのまま言葉を失う。でも言葉の先がなくてもあたいには理解できてしまう。あたいらは彼らに対し本当に申し訳ないことをしたと思う。あたいらさえいなければ彼らがこんな運命を受け入れなくてもよかったのに……。
しかしあたいは思う。ここで立ち止まったら結局前の繰り返しになるんじゃないだろうか。あたいはそうならないために今までそうしてきたじゃないか。だったら今できることを果たさねばならないだろう。そう、今できること。それはこの現状から逃げないことだ。
あたいはそう思い直しレンを励ます。そんな中さとりとこいしが戻ってきた。二人の手には日記のようなものがあった。
(それは何?大切なものなの?)
あたいはさとりに触れ自分の考えを述べる。
「ええ、これには大切なことが書かれているの。この寺に来て辛かったこと、楽しかったこと、こいしとけんかしたこと、そんないろいろなことを書いてあるけど、つい最近の内容はあなたたちのことばかりだわ」
あたいはドキっと思った。迷惑になってしまったと思ったこともあるが、でも自分が、あたいらが彼女たちを支えるきっかけになれたのが本当に嬉しかったのだ。そう感じているうちに僧侶が戻ってきた。
「よし、今すぐ出るぞ!」
表に出ると、手押し車が用意されていた。そこには仏像がくくりつけられていた。不思議にもあたいはほっとした。先日あたいのことを励ましてくれた仏像だったからだ。気のせいかもしれないが、母の声を代弁してくれていたような気がしたからそんな勘違いをしたのかもしれない。
あたいらは寺を出て海へと向かう道へとゆく。だが、悪魔はすぐそこへと迫っていた。寺を出て5分、やつらはあたいの索敵範囲外から突如姿を現わした。
「さて、俺たちの要望もう一度聞いてくれるかい、お坊さんや」
男たちが下賤な目をしながら僧侶に話しかける。
「いくら頼みに来てもそれは御免被るな」
その言葉を聞き彼らは腰の刀を抜く。
「さっきは偶然にも破られたがな、今度はそうはいかないぜ!」
そして僧侶とやつらの戦いが始まる。だが、誰の目から見ても勝負は一方的に僧侶が有利だった。素手で刀を持つ人2人も相手にするだなんて普通はありえない。あたいはこの人、武術でもならっていたのかもしれないなと思った。
だが、疲労は誰にも訪れる。僧侶は余裕を見せながらも確実に消耗していた。その様子を見てやつらは作戦を変えた。
「うりゃぁ!」
一人が大きく刀を振りかぶった。僧侶は避けてもう一人の攻撃に備える。
「きゃぁぁ!?」
そう、攻撃をよけられた男はそのままあたいらの方へと襲いかかってきた。あたいとレンは飛びつき男に攻撃を加えた。なんとかこっちは怯ませることができた。
ザシュッ
「甘いな、お坊さん」
そう、二人の声に気を取られてしまった僧侶に凶刃が襲い彼は胸を貫かれていた。
「お父様!!」
二人が声にならないような悲鳴を上げながら彼を見る。彼はそのまま崩れ落ちる。刀は以前彼の胸を貫いたままだった。
「さ、猫を回収するぞ」
そう、彼の胸を貫いた男が目線を変えたその時だった。僧侶の目の光は一瞬失われかけたが、強大な光を一時的に取り戻し死力を込めた拳をぶつけた。殴られた男は十数メートル吹っ飛び大木と激突しドサリと倒れる。
「ひ……ひぃい!?ば、化物め……」
片割れの男は刀を構えなおす。だが、僧侶にもう力は残されてなく再び崩れ落ちる。
「お父様!!」
さとり、こいしの二人が僧侶の元へと向かおうとしたその時である。さとりが男によって捉えられ、喉元に刀を当ててこう言う。
「さぁ、ガキどもよ、生きてその猫を渡すか、それとも死んでからその猫を渡すかどっちか決めるがいい」
先ほどの僧侶の力に怯えながらも彼が立ち上がらないことを確信し、こう言った。
「お、お姉ちゃん……」
こいしの目から涙がこぼれ落ちる。さとりもとても怖かったのだろう、瞳に涙をたっぷり浮かべていたが、強い言葉で述べる。
「あなた……哀れね……」
「ああん、なんだって!?」
「人から見捨てられ、唯一信じられるのがお金。確かにそれはそうかもしれないけど、そんなものの為にたくさんの人を犠牲にする人に私の大切なものを絶対に渡すわけはない!」
「このガキ、ほざきやがって。死ね!!」
やつがさとりの喉を裂こうとしたその時にレンがやつの背後から飛びつきそして噛み付く。男はひるんでさとりを離した。そのまま男は痛がりながらこう言った。
「こしゃくな猫め……お前さえいればこんなガキ見なくてもいいんだ、さあ来い!」
男はそう大声で言ったが、レンはその場から逃げていく。
「くっ、待ちやがれ!!」
男はレンを追いかけていった。この場に残ったのはあたいと、さとり、こいし、そして血だまりの中で動かない僧侶だけだった。二人は彼にすがり何度もお父様と言いながら泣く。あたいも近くに行って見てみたが、すでに絶命しているようだ。それが彼女たちにもわかってしまったのか、そのまま泣き崩れる。その姿はまるでかつてのあたいの一場面を想起させた。あたいもとてもいたたまれない気持ちになる。
だが、一つ考えなければいけないことがある。レンはどうした。確かさっき逃げていった。逃げた先は……。
そこであたいははっとする。そう、彼が逃げた先は私たちが逃げてきた寺の方である。あたいは急いでその方角へと走った。
あたいが寺の門の目の前にたどり着いたとき、彼らは寺の目の前でにらみ合いをしていた。門の目の前は風下ですでに激しい炎が男は刀から網に代えて捕獲準備を整えていた。一瞬あたいはレンと目があった。瞳には強い決意が込められていた。彼はそのまま後ろへ振り返り燃え盛る寺の中へと入る。男も追っていく。あたいも彼らを追って中に入る。
中は信じられないほどの温度だった。レンはおそらくこの男を倒す為にこんな危険な賭けに出ているに違いない。だがなんとしても彼だけは救い出さなくては。だがいつも出入りしていたとは言え、火が激しく萌えているせいで見慣れない場所のように思えた。また彼らがどこにいるかの検討もつかなかった。
しかしどこかで重いものが落ちる音が聞こえ、それと同時に男の断末魔も聞こえた。あたいはその方向へと向かう。そこは最初に火が上がっていた部屋だった。天井が崩れたらしい。例の男は落ちてきた天井のしたに埋まっていた。しかし肝心のレンの姿が見えなかった。
「レン!どこにいるの!?」
あたいは必死になって彼の名前を呼ぶ。
「リン……?」
あたいの足元から声が聞こえる。
「レン!!」
彼が生きていたことにあたいはほっとする。彼は倒れてきた柱に押しつぶされることはなかったが、しかし柱に体を挟まれ、男の網に脚が絡まっていて身動きがとれない状態だった。
あたいはがれきから飛び出ている彼の左腕を咥え引っ張ろうとするが全く動かず、柱に体当たりをしてみてもうまくいかなかった。
「あたいがなんとかしてみせる。だから絶対にあきらめないで!」
だけどレンは冷静だった。
「リン、ここから早く逃げて」
あたいは全く彼の言葉を理解できなかった。
「あんた何バカなこと言ってるの!?いいから早く!」
だけどレンは語りだした。
「おそらくボクが生きてる限り今回みたいに誰かに捕まえられるかもしれない。また関係のない人も巻き込んでしまうかもしれない。でも今なら目の前にリンがいてくれる……、それもボクを絶対助けようと思ってくれているリンがいる。今この時よりも幸せな時間はボクには訪れないはずなんだ……」
あたいはその言葉に何も返せずただ彼の顔を眺めるしかなかった。
「だけど最後にひとつだけ……顔を近づけて、リン」
あたいは彼の要求通りに顔を近づけた。そしてあたいは、初めて接吻というものをしたのだ。
その時どれくらいしていたのだろう。あたいはわからない。だが、その時も終わりを告げた。唇から離れていったのはレンの方だった。
「早く行くんだ、あの子たちが君を待ってる」
でもあたいの足は動かない。彼が死ぬなんて絶対に嫌だ。ここで一緒に死んだほうがまだ幸せだからだ。だけどレンは意外な反応を示した。
「ボクの好きなリンはボクがいなけりゃ生きていけないなんて弱いことは絶対に言わない!!ボクは強くて誇らしいリンが大好きだったんだ!だからリン……」
彼はひと呼吸入れてこう言った。
「行くんだ。ボクが行けなかった未来へ……」
あたいはその言葉に強く押されてその場から急いで離れた。あたいが門の外へと出たときに、大きく崩れる音があたりの森一帯に響いたのだった。それはある一匹の猫の泣き声をかき消してしまうくらいに。
あたいは彼女らの元へと戻った。おそらく泣き疲れたのだろう。二人とも彼に寄り添って深い眠りについていた。だが、どうやって生きていけばいいのだろう。あたいはなんとかなるかもしれない。だけどこの子たちはどうなる。
その時あたいはレンの言葉を思い出す。彼は未来をあたいに託した。ならあたいも彼女らに未来を託さねばならない。少なくともそれがあたいたちを受け入れてくれた二人への、そして僧侶への恩義だろう。
あたいはその時僧侶が持ち出してきた仏像に向かって祈った。
(お願いです、あたいの身が朽ちても構わない。どうなってもいい。だからこの優しいこの子たちを救う力をください!!)
すると仏像がまばゆく輝き始めた。あたいは一旦目をつぶる。再び目を開き驚きの光景を目の当たりにする。目の前に母がいたのだ。
後編に続く