「これは君にしか頼めない事なんだ」
重々しい口調で、老人は言った。しわがれた顔に、更に深いしわを寄せながら。その様子から、この老人がどれ程の思いを持って頼んでいるのかが窺えた。
しかし、頼まれた本人は不服そうに唇を尖らせる。
「別に、私じゃ無くても良いんじゃ無いんで?」
「貴方、その口の聞き方は……」
「いい、こちらが頼んでいるんだ。多少の無礼は目を瞑れ」
「……」
彼の話し方に老人の隣に控えていた少女が怒声を浴びせようとするが、老人は片手でそれを制した。
「いや、君で無ければならないんだ」
「そうですかね……」
彼は頭をぽりぽりと掻くと、「まあ、それはいいんですがね」と呟いた。
彼にとって重要なのは、そこでは無かったから。
「ひとつ教えてくれ」
「何だね?」
傷のあとが目立つその顔を歪ませて、彼は聞いた。
「私、もう軍隊は退職しているんだがね?」
彼は今、実家の農園で働きながら小料理屋を営んでいたのだった。
「……………………………さあ、行ってくるんだ!」
「…………これが大人か」
人の事情位酌んで欲しい物だ。
彼、山田総一郎は苦虫をニダースほど噛み潰したような壮絶な顔をして、その部屋、総督執務室を後にした。
「くそっ! くそっ! 何でいつもこうなるんだ!」
呉第四鎮守府。それは、いくつかある呉鎮守府の中でも、四番目の規模を誇ると言う意味なのだが、今となっては、第四と書いてブラックと読まれている。
そんな呉第四鎮守府の提督、権言坂イチノへは、苛立ちげに椅子を蹴飛ばした。こんなに荒れていると言うのも、今朝、彼の元に一通の電報が届いたからだった。
その内容は、『就任通知』。新たな提督が就任するのは、この鎮守府。それはつまり、折角手に入れたこの提督という地位をむざむざ手放さねばならないと言うことに他ならなかったのだ。
「私が何をしたって言うんだ!」
大きな声で叫んで権言坂はもう一度椅子を蹴飛ばす。確かに艦娘を物の様に扱いはした。しかしあれは鎮守府の事を、国のことを思っての事ではないか。
『武器』の手入れをどう行おうと、それはその『武器』を使う当人の問題では無いのか。
そう主張しようと、現実は変わりはしない。
今日、もうじきに中央が指名したとか言う新提督がやって来る。
自分が「目的」のために全てを投げうって手に入れた提督の椅子を、新参のガキが奪いに来るのだ。
「ああああぁああ!」
怒りと嫉妬とがいり混じり、権言坂はただただ叫び声をあげて頭をかきむしる。
納得がいかない。我慢ならない。
この鎮守府に相応しいのは、この自分なのに。自分が一番適しているのに。
「ク、クク……相応しい、か。そうだよな?」
権言坂はニイィと口の端を吊り上げた。
そうだ。提督になるのは、相応しい人間でなければならない。それは中央だって分かっているはずだ。なら、
「私が、実戦でそいつと戦えばいい」
相手は新参。数倍近く経験を積んでいるこちらが負けるわけが無い。
確かちょうど今日は東の海域で深海棲艦との実戦があったはずた。そこでテストと称してボコボコにしてやる。二度と提督になんてなろうと思えないくらいにだ。
権言坂は、声をあげて笑うと、提督用の軍帽を被る。新しい提督やらも、そろそろ来る頃だろう。
「ほぅ、では何でこんな事をしたんだね?」
一方、新提督こと山田総一郎中佐は、ドッグの職員を締め上げていた。
「……ぐ、ぇ。た、助け」
襟元を尋常じゃない力で掴まれ、その男は苦しそうに声をあげた。見ると、彼の体に外傷は全くない。
というか、外傷という点で見ると無数の傷痕が顔や体に刻まれ、右目の潰れている山田の方が酷いくらいだ。
しかし、想像してみて欲しい。
ただでさえ傷だらけで恐い顔をしている山田が、子供なら見ただけで泣いてしまいそうな恐ろしい表情で襟元を掴んで職員を締め上げている図を。
その恐ろしさたるや、何故か助けて貰った艦娘達まで半泣きになる有り様である。山田超不憫。
「いや、助けを乞うてどうするよ? 私は何故非力な貴様らを守っている艦娘に対して暴力を振るうのかと聞いているのだか?」
一層気迫が強まる。職員はもうぼろぼろと涙をこぼして命乞いを始めていた。…………まだ山田暴力振るってないよ?
しかし、まさか襟を掴んで優しく聞いただけでこれとは。前線がこれ程までに腑抜けているとは思わなかった。
「話にならんな」
ぱっと手を離すと、どすんと地面に倒れて、腰が抜けたのか、ずるずるとじべたを這いずって逃げている。
山田は額を手袋をはめた右手で強く押さえた。私が前線を去って五年。五年でここまで腑抜けられるのか? 山田は深い深いため息を吐くと、彼の後ろで震えている艦娘達に声をかける事にした。
「おい、貴様ら……」
「ひぃぃ!」
「た、助けっ……」
「命だけは……!」
「え? ちょ、何で?」
何で助けたのに命乞いをされにゃならんのだ。
何か物凄い感じに顔を歪めたが、こんな顔をしていたらむしろ怯えられると思って、ニコッと無理に笑顔を作る。
「ひいいいぃ!」
逆効果ですかそうですか。
山田は無言でいつもの仏頂面に切り替えると、もう一度艦娘達を見渡した。
全員ボロボロだ。それに、痩せこけている者が多いし、皆顔色がすこぶる悪い。まともな物を食べていないのだろうか。
「えっと、普段貴様らはどんな物を食べているんだね?」
「……食べ物なんて頂いて無いです」
「はい?」
何か緑色の、えっと夕張だっけか? の台詞に、流石の山田も思わず声を裏返して聞き返してしまった。
「え? 艦娘って何も食わなくても戦える生き物なの?」
素が出るくらいに動揺している。
「No.そういう訳じゃないんデスが……」
「確か、経費の削減とかいって、燃料や弾薬しか」
何かキャラ濃そうな戦艦、確か金剛と霧島の答えに、山田は眉をしかめた。
ガ島かここは。
「ああ、うん。艦娘はこれで全員か?」
「えっと、長門さんが遠征に行ってます。一人で」
「一人で!?」
確かにここに配属している艦娘は十三人。編成したら一人余るが、普通秘書艦にするだろう。遠征て。どこまで効率重視してんだ。
ますますブラック企業の片鱗を見せ始めた鎮守府に、山田はもう一度ため息を吐いた。
「……ああそうか、情報ありがとう吹雪」
「「え?」」
艦娘達が驚いた様な声をあげる。
なんだ? 私変な事言ったか? と山田は身構える。が、
「何で私の名前知ってるんですか?」
ああ、そういうのね。山田はどうしたもんかと暫し思案してから告げる。
「自分の鎮守府にいる艦娘の事くらい知っとかなきゃ駄目だろ?」
「……?」
まだよくわかっていないらしい艦娘達に、山田は笑顔で告げた。
「本日付けでこの鎮守府の新提督に就任した山田総一郎准佐だ。よろしくな」