自らにとっての正義がまた、相手にとっての正義でもあることなど稀だ。
人の心は簡単にすれ違い、自らの正義が他者に理解されることはない。
だが、それでも戦おう。
信じる者の為に。
愛する者の為に。
嫌われようと。
石を投げられようと。
憎まれようと。
それが、私だ。
「貴様が権言坂少佐だな?」
「……後ろから話しかけるとは、教育がなっていないのではないか?」
平然と質問に質問で返す権言坂イチノへ。しかし、その心中は穏やかでは無かった。
(山田総一郎、いつの間に背後に?)
この港はL字型。自分は丁度屈折する箇所に立っている為、後ろに回り込む為には権言坂の前を通るか、海を二十メートル程泳がなければその場所に立つことは出来ない。
しかし、彼の前は誰も通っていないし、山田の軍服には水飛沫の跡ひとつついていない。異常。一言で言うならそれだ。
「おっと、マナーがなっていなかった様だな。謝罪しよう」
その傷だらけの顔をおどけさせるようにして、こちらに言い返す。
依然としてポーカーフェイスを崩すつもりの無さそうな山田に、権言坂は少し揺さぶりを掛けてみることにした。
「気にしていただく程でもないさ、『新提督殿』?」
「動揺や心理的な隙を狙ってのつもりの行動ならその口を今すぐ閉じろ」
一瞬で場の空気が凍り付いた。傷痕が生々しく彩るその貌はぞっとするほどに『笑っている』。『顔』としては微塵も笑っていないのに、笑っている。その傷だらけの上っ面で隠した奥底の『貌』で、さも愉快そうに。
どうやら、揺さぶりは効かないようだ。「そんなつもりでは無いよ」と軽く笑って見せる。
それにしても冷や汗が止まらなかった。後から後から流れ出るそれに、権言坂はばれない程度に顔をしかめた。
ピリピリとした空気に、肌がチクチクと刺されるような不快感の中、彼が辛うじて理解できたことが一つあった。
こいつは、絶対に提督学校を出たばかりの新人じゃない。
今の顔、あれは新人に出せる表情じゃなかった。死と隣り合わせの戦場で何年も過ごさなければ、あんな見据えられるだけで地獄の淵にでも立たせられるような気になる、恐ろしい貌は出来ない。
それに、あの目。
あれは、戦場で、血にまみれた戦いの中で、尚もその喉を潤す血を欲して生きる『獣』の眼だ。
それを自覚した途端にぶわっと権言坂の中に恐ろしい予感が走る。
自分は勝てるのだろうか、あの『獣』に。
現場における提督の最も重要な能力は、現状の戦力と、その特性をいち早く察し、それに応じて臨機応変に対応する事である。
さてここで、その能力に最も長けた人材とは何かを考えたとき、出てくる答えは恐らくだいたいが熟練の兵士だろう。
幾つもの死線を潜り抜けた戦士は、必ずといっていい程の確率で状況把握能力が高い。これは、生きるか死ぬかの駆け引きの中で、瞬きすらも生死をわける程の過酷な世界を生き抜く上で必ず必要な能力だからだ。
その観点で見ると、恐らく目の前にいる提督は、最前線の鎮守府でも優遇されてもおかしくない程の逸材だろう。
そんな化け物と、自分と。上がどちらを選ぶのか等、明白だった。
資質も、努力も、生き方も、力も、。その全てにおいて負けているという確信。
それは、齢二十の提督の心を折るには充分……の、筈だった。
「まだだ」
「………」
「私は、まだ提督を辞めるわけにはいかない……!」
権言坂イチノへは、理解していた。この提督は、きっと誰よりも強い艦隊を育て上げることも出来るだろうということも。自分ではこの絶対的強者に勝てないであろうということも。
だが、それでも彼には、退けない理由があった。
『はは、私が、沈ん、でも。この世界は……廻り続け、るんだろう、ね』
『泣かない、でよ。あなたの、せいじゃない……』
『……あ、とは、頼んだよ。私の、てい、と……』
彼の、記憶の奥底の断片が疼く。
嗚呼、あの時決めたんだ。彼は笑う。例えどんな障害を前にしようと、そのすべてを打ち砕こう、と。
「だから、ここで終わる訳にはいかないんだ……!」
権言坂は腰に提げた大太刀に手を掛け、右脚を高く上げる。
彼の流派は、大太刀を腰に提げるという変わったスタイルで有名だった。
背に負い、流れで叩き斬るのが通常の剣術だとするのなら、さながら彼のそれは、『踊るように斬る』剣術だった。
前方向につき出した左肩の真下に重心を移動させる。左脚を曲げながら前のめりに倒れこむ力を、僅かに上方向に向けた大太刀の鞘の先に集めて走らせる様に大太刀を引き抜き、右後ろ上に振り上げた勢いで、くんと曲げた脚をバネに、跳ぶ。
跳び上がりながら、尚も刃の軌道を調整し、空中で廻して遠心力も上乗せされた重さ六キロの鉄の塊が、山田の頭めがけて遅いかかる……事はなかった。
彼の流派におけるその剣術は、『颶(つむじかぜ)』と呼ばれる、全身をバネにした、一撃必殺技だった。
だが、どれ程必殺の威力を持とうと、それすら受け止める力の前には無力である。
山田は、『颶』を素手で受け止めていた。