≪プレイヤーメイド≫の料理を食べることで一定期間ステータスをアップさせるという今や当たり前となった戦闘前の準備は、かつてこの鋼鉄の城が死と隣り合わせの世界に成り代わった日には、なかったものである。
いつ頃からステータスアップのための料理を食べるようになったかというと、プレイヤーの記憶によって、時期が一致しない。
第2層で売り出されていたケーキがその走りだったのではないかという尤もな意見もあれば、≪料理≫スキルが研究され始めた第30層以降こそ、料理の価値が見直され、食べられるようになったという意見もある。
ともあれ、アインクラッドの半分以上が攻略された頃には、料理スキルに磨きをかけるプレイヤーの数も、職人群の2割を占める勢いで増加していたようだ。
「食せよと 云わるる儘に 飯を買い バフなど無くて 贋物と知る」といった哀愁ある短歌が≪主街区≫にある掲示板で持て囃されるほどに、料理を食べることは広く様々なプレイヤーに流布していった。
さて、この料理の効能が、誰の手によってここまで広まったかというと、攻略組なら誰でも≪小麦王≫とか、≪米帝≫とか、有名な料理職人プレイヤーの名前を挙げる。
しかし、彼、あるいは彼女が、必ずしも正解であるとは言えない。
もう一つ、真しやかに囁かれる、第三の答え────生身のプレイヤーと同じように高度な知能を持った≪NPC≫によって、料理の効能が広がったということだ。
そして、そのNPCは恐らく、このデスゲームを創り出した≪茅場晶彦≫が特に手をかけてプログラムに描いたキャラクターだったのだ。
ありとあらゆるスキルを組み込み、擬似的な生活も楽しめるように仕上がった鋼鉄の城には、何らかの善があれば何らかの悪があるというのも、簡単に頷ける話だ。
件のNPCが実際に料理を振舞ったのかどうなのか、それは俺にも保障できない。
しかし、情報屋≪鼠≫の話によれば、料理に関するクエストの一つで、とある事件が起きたということが、あるそうである。
火のない所に煙は立たぬ、という日本の諺があるように、どうやら全くの出鱈目ということではなさそうだ。
もし仮に出来の悪い冗談だったとして、その冗談は、この件の核心に近いところを、突いているようにも思える────こんな考えが頭の中で渦を巻いている。
悩み続けるよりも、どうにか吐き出してすっきりしたいと思い、俺は筆を取ってみることにした。
一商人プレイヤーの語る、世迷い事とでも思ってもらえばいい。
しかし、決して無いとは言えない、そんな料理に関する噂話。
────Andrew Gilbert Mills
* * *
2023年7月、数多の剣士がアインクラッドに囚われて、初めてとなる夏が訪れたときに、そのNPCは突如現れた。
最前線からは遠く離れた第8層主街区の一角に、牧師という役割を演じる者として、この舞台に登場した。
つい先日までは廃屋となっていたはずの場所に、こじんまりとした教会を伴って、現れたのである。
その正体は、狡猾で、卑劣漢な、成金の見苦しい厚顔な守銭奴の────…………ゴホン、牧師を殺して牧師に成り代わった商人、というNPCだった。
プレイヤーがNPCに対して何らかの危害を加える場合には≪ハラスメントコード≫が働くはずだが、NPC同士ではそういったことが適応されないこともあり、さらに特殊なケースだったのは、亡くなった牧師NPCが再出現、つまり≪リポップ≫しなかったということだ。
NPCの台詞を一つひとつ覚えている酔狂なプレイヤーがいたとすれば、その牧師が「先祖代々の土地なので、廃屋しかないとはいえ手放したくはないから…………」と言っていたことに、引っ掛かりを感じたかもしれない。
つまり、そういうことだ。
商人NPCは、主街区の一角に土地を持て余している牧師NPCから、何とか土地を手に入れたかったのだ。
首尾良く土地を手に入れた商人NPCだが、さて、勝手が違ったらしい。
大通りからのアクセスも決して悪くなく、近くに隠れ家的な飲食店なども軒を連ねるこの場所なら、比較的商売もしやすいだろうと、廃屋の中から一日中街角の様子を観察していたが、予想していたよりも人の往来が激しい。
特に街の中では普段見かけない剣士の姿も、ここでは数多く見かけた。
彼らが上客であることを、商人NPCは良く知っていた。
少し高価に見える回復薬など売り出せば、簡単に飛びつくだろう。
何やら結晶系の品物には目がないとのことだ。
彼らを相手に一財を築いてやるか、と一人邪な笑みを浮かべていたその商人NPCは、他のプレイヤーと何ら変わらない感情豊かな表情だった。
だが、困ったことに、次の日も様子を見ようと街角の観察をしていた商人NPCは、昨日に比べて人通りが少ないことに気がついた。
どうやら剣士たちは普段からこの辺りにたむろしているというわけではなく、めっきり姿を見せなくなるときがあれば、急にその数を増やすときもあり、はっきり言ってその増減の傾向が見当たらなかった。
それもそのはずで、プレイヤーキャラクターがどのように考えて行動するかを推し量ることなど、一介のNPCには難易度が高過ぎる。
さて、どうやって商売をしたものか、商人NPCは暫し思案に耽った。
一週間ほど悩んだ末に、彼はとりあえず店のコンセプトを考えた。
何か真新しい、コンスタントに稼ぎを得られるものを準備すれば、客足が伸びるようになるかもしれない。
何か高価なものを売るのではなく、どの客にも手が届きやすい、それでいて剣士に必要そうなもの────うんうんと唸りながら考え出したのは、弁当を作ってみよう、ということだった。
食事はこの世界に数多あることを知っていた商人NPCだが、食べ歩くための食事となるとそれほど種類があるわけではない。
それこそこの近くにあるような飲食店に入って、食事を取ることが一般的である。
味も良く、種類も豊富な携帯食料を準備できれば、ひょっとすると一財築けるかもしれない────そう考えた商人NPCは、早速知り合いの伝手を頼って、大きなかまどを、教会の中に準備した。
そしてその考えは、おそらく正解だった。
それから商人NPCは、食材となる作物を栽培するべく、教会の一角を取り壊して畑を作り、丁寧に耕し始めた。
日に日に変化を遂げる主街区の一角を、プレイヤーはときどき気にしながらも、すでに攻略された層ということで、特に話題に上ることもなく、時間だけが過ぎて行った。
のんびりとした、長閑な時間は、彼の心情にも多少の変化を与えたのかもしれない。
意地悪そうな表情は幾分和らぎ、下卑た笑い声も、ときには明るい声色に聞こえることがあった。
しかしそれは、決して彼の望んだ変化ではなかった。
商魂逞しい商人NPCは、自分の阿漕な商売っ気を薄れさせていく心地良い労働を、枷になるよう、一心不乱にやり抜いた。
結果、床板を砕く作業から畝を作るまで、2週間とかからないうちに、仕事を終えた。
* * *
過ぎ行く季節に遅れまいと、商人NPCの蒔いた種は現実世界では有りえないような速度で成長を遂げ、青々と生い茂った緑の株が、畑の土地を覆い隠していた。
有名な植物であるし、おそらく誰もが口にしたことのあるものだ。
道行くNPCやプレイヤーが「その作物は…………」などと問いかけることもあったが、商人NPCは意味深な笑みを浮かべるばかりで、返事をすることもなかった。
やがて、その植物は花をつけた。
小さく可憐な薄紫色をしたその花は、どこかスイートピーを連想させるような出で立ちだった。
日増しに成長する植物を、まるで我が子のように可愛がり始めた彼は、昼夜関係なく畑に立ち、懸命に育て続けた。
ある日のことだ、一人のプレイヤーがその畑の傍を通りかかった。
第8層に来てまだ間もないそのプレイヤーは、観光がてら街を歩きつつ、いくつかのクエストを受けていたようだ。
整然と立ち並んだ家々の途中で、この街では珍しい畑を兼ね備えた建物に何かクエストが受けられるかもしれないと、彼は立ち止まったのだ。
数千はあるのではないかと云われているアインクラッドのクエストは、すでにクリアされた層でも見つかることが少なくなかった。
情報屋のガイドにも特に表示されていないところを見ると、これはもしかしたら────という気持ちが、沸々とプレイヤーの中に湧き上がって来る。
畑の中に水やりをする商人NPCの姿を見つけた彼は、システムが認証するよう少し声を大きくして、話しかけた。
──あの、すみません。
顔を上げた商人NPCの頭上で、金色のクエスチョンマークが瞬いた。
思わずガッツポーズを取りそうになるのを抑えながら、NPCの反応を待つプレイヤー。
彼は気づいていただろうか、顔を上げたNPCの、獲物を舐めまわすような下卑た視線に。
──なんでしょう、剣士殿。
──その…………そう、それ、その畑、一体何を作っているんですか?
至極残念そうに顔を顰めた商人NPCは、やや声のトーンを落としながら返事をする。
──残念ながら、お教えするわけにはいきません。これはあるものの、材料となるものですので。
クエストの進行を意味する金色のエクスクラメーションマークが輝き始めたことを、プレイヤーは少し口元を緩めて眺めた。
自分の問いかけ方が間違っていなかったことに、安堵したようにも見える表情だ。
──そこを何とか。この通り、旅を続ける剣士の端くれですが、初めて見る植物だったので、どうしても知りたくて。
──お気持ちはわかりますが、剣士殿。私も商売がありますゆえ、話すわけには…………どうしても、と仰るなら、剣士殿が当ててみてください。旅をしてきた剣士殿は、この植物が何の材料になるかわかるはず。答えを言い当てられたら、この畑いっぱいの材料を差し上げますよ。
報酬は植物か…………と、自身のアイテムストレージ内のことを微かに思い浮かべながら、プレイヤーはゆっくりと頭を振った。
──そうだなぁ…………すぐには、何ともわからないな。
──いつでも良いですよ。誰かに聞いてみても構いません。何ならこの畑の他にこの建物だってあげても良いくらいですよ。
随分と気前な物言いじゃないか、とプレイヤーは思わず前のめりになる。
──何回でも答えていいんですか?
──そうですね、3回までにしましょうか。
──3回までに当たらなかったら?
──そのときは…………私が剣士殿から、何かをいただきましょう。賭けでございます。いかがでしょう。
NPCを相手に喋っていたはずのプレイヤーは、いつしか自分がまるで別のプレイヤーと喋っているような気分に陥っていた。
流暢なAIの様子に、そこで初めて、その商人NPCの表情を、プレイヤーはしっかりと捉えることができた。
あともう僅か早ければ、奇妙に歪んだそのNPCの笑顔を、捉えられただろう。
今はにこにこと、愛想の良い笑顔を振りまいているだけだった。
──わかった。いいよ、俺のものを何でもあげよう。
──何でもいただけますか。例えばその、腰の剣でも。
──ははは、これはそんなに良い剣じゃないですよ。これで良ければ今売りに出したって良いくらいだ。
あくまでも商人NPCのリップサービスだろうと高を括ったプレイヤーは、さして気にもせず、冗談めいた言い方をする。
──その代わり、こちらが当てられたら、その植物をもらえるのですよね。
──えぇ、えぇ、もちろんですとも。確かに約束しました。
──約束ですよ、絶対に。
商人NPCは、首に巻いたタオルで額の汗を拭い、腰を屈めて植物の一株に手を置いた。
再び、笑顔の質が変わっていく。
──では、3回以内に当たらなかったら…………────そのときは、剣士殿の身体と魂を、いただくとしましょう。
いつか、あのはじまりの街で見た、巨大な赤ローブのアバターが、商人NPCの顔にオーバーラップするような気持ちを、プレイヤーは味わうことになった。
そのどこまでも深く暗い声色に、自分と目の前のNPC以外の全ての時間が止まってしまったのではないかという恐怖を覚えた。
腰元で、剣が震えたような気がした。
──たかが、街の商人と思わないことですね。剣士殿との約束、守って頂きますので。3回以内に、どうぞお答えください。
恭しく、それでいてどこか下卑た態度を見せた商人NPCは、満足そうにプレイヤーへお辞儀をして、再び畑仕事に戻っていった。
* * *
プレイヤーはクエストを受けてしまったことを、ひどく後悔した。
どうにかキャンセルできないものかとシステムウィンドウを色々と調べてみるも、どうやら不可能なようだった。
ならばこの不気味なクエストをスルーして、別の場所に行こうとしても、主街区から抜け出すことがシステム的にできなくなっていて、これはもう商人NPCに答えを言うしか道は残されていなかった。
しかし、気になるのは商人の口にした台詞だ。
“身体”と“魂”────彼は確かに、そう口にした。
もしその言葉が、そのまま、本当にそのものを指しているとしたら…………────考えたくもないような思考が、プレイヤーの頭の中に浮かび上がり続ける。
有りえない、有りえない、プレイヤーがNPCに殺されるなんてことは、絶対に────…………しかし、この剣の世界は、今やただのVRMMOでは、無くなっていた。
常識で図ることのできない恐怖に、プレイヤーは少しずつ神経をすり減らしていった。
「答えはわかりましたか」
どうにかヒントが得られないかと、プレイヤーが畑へと向かったときのことだった。
家の中からいやらしい笑顔を浮かべながら歩いてきた商人NPCに、プレイヤーは思わず身構えた。
「そろそろ教えてほしいものです。明日の朝までに、答えを教えてください。もし答えを教えていただけないのなら、そのときは」
そこで区切って、再び商人NPCは笑顔を浮かべる。
皺の寄った目尻が、プレイヤーには不快にも恐怖にも映っているようだった。
すでに陽も沈み始め、夕闇が差し迫っている時間だった。
時間に直せば、あと12時間あるかどうか…………いざとなればこのまま主街区に留まり続けることも考えたプレイヤーだったが、予期せぬ制限時間の発生に、再び頭を抱えることとなった。
せめて、あの作物の正体が分かれば…………────考えるうちに、夜がやって来る。
微弱な月明かりを頼りに、再び畑の前にやって来たプレイヤーは、転々と淡く輝く薄紫色の花弁に目を凝らした。
プレイヤーは、ある策を考えてきた。
もしかしたら、何らかのペナルティが発生するかもしれない、ギリギリの駆け引きのような、そんな策だった。
しかし、もし成功すれば、きっと作物の正体はわかるはず…………暗闇に折れそうになる心を今一度奮い立たせたプレイヤーは、思い切って行動に移した。
策と云うのは、他でもない──≪ソードスキル≫を畑の作物に向けて放つということだ。
プレイヤーは腰元から引き抜いた曲刀を正眼に構え、そのまま大きく振りかぶった。
ソードスキルのプレモーションを感知したシステムによって後押しされ、勢いの乗った大上段切りを振るう。
振るった先、直線状の作物の一株が少し揺れ、そのあとに大きな炸裂音が響いた。
遠距離への攻撃を可能とする曲刀ソードスキルによって、プレイヤーの思惑通り、作物に傷をつけることに成功したのだ。
途端、真っ暗だった家の中に明かりが点いた。
商人NPCが音を聞きつけたのだ。
ソードスキル後の硬直が解けるのを待って、すぐに剣を仕舞い、身を隠すことができそうな街路樹へとプレイヤーは走った。
ギィッ、という油の切れたような扉の開く音が聞こえたかと思うと、商人が畑へとやって来ていた。
そしてすぐに、傷つけられた作物を見つけ、思わずこんなことを叫んだという。
────い、一体誰だ! 私が大事に育てた大豆を傷つけた奴は!!
震えるようにして怒りの声を吐き出した商人に見つからないことを祈りながら、プレイヤーは息を潜める。
口を両手で塞ぐようにしながら、確かに聞き覚えた商人の一言を、プレイヤーは頭の中で反芻する。
────い、一体誰だ! 私が大事に育てた大豆を傷つけた奴は!!
* * *
それからどうなったかって?
それはほら、俺がこうして筆を取っていることからも容易に想像がつくだろう、クエストは無事にクリアされ、めでたしめでたし、というわけだ。
そのプレイヤーは、大豆を原材料にしたものが何であるかを、商人の経営していた店に立ち寄って、見事に正解を探し出したのだ。
それは、ガラス瓶の中に詰められた、現代社会でも見かけることのある薬品のような見た目をしたもの────プロテインだった。
大豆を原材料にしたプロテイン──ソイプロテインは、この世界でまるで調味料のように活用されていた。
プロテインは、瓶の中から取り出し、料理の上で粉々にすることで、その料理にいくつかの効能が宿すことができた。
あるときには一定時間筋力値を引き上げ、またあるときには一定時間跳躍力を強化した。
様々なバフ効果をかけることのできるこの世界のプロテインは、どうやら大豆が原料となって作り出されているらしかった。
それからというもの、そのプレイヤーは根気良く研究を続け、様々な≪プレイヤーメイド≫料理を編み出してきた。
剣士ではなく、一料理人として浮遊城攻略のために歩み出したそうだ。
商人NPCは、プレイヤーの身体も魂も自分のものにすることこそできなかったが、バフ効果を発揮するプロテインの原料──大豆は、この鋼鉄の城の随所に広がっていった。
もしこのプロテイン製法に、特許料のようなものがあったとしたら、きっと商人NPCは莫大な利益を受けていたのではないだろうか。
商魂逞しいNPCは、転んでもただでは起きない。
物事が自分の思い通りに進んでいるときこそ、意外と誤った道を進んでいるのではないだろうか。
最後に、その商人NPCの話をしておこう。
プロテインの製法をクエストの報酬としてプレイヤーに教えてしまったあとは、もはやその場に定住することもできず、逃げるようにして自分の店件畑から飛び出した。
その後は当てもなく歩き続け、中層を中心に今でもときどき目撃情報があるらしい。
あの≪S級食材≫の≪ラグー・ラビットの肉≫入手のヒントをもたらしたのが、この商人NPCだという説もあるが、その辺は≪血盟騎士団≫の文書官辺りが書いてくれるだろうから、ここは端折らせてもらおう。
その後は一度だけ最前線の主街区で目撃されて、それからは全く姿も形もない。
────情報筋からも、商人NPCの消息は、特に入ってこない。今頃彼がどうしているのか、その様子を窺うことができないのは、誠に遺憾である…………。