SAOで読む名作文学作品   作:kujiratowa

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SAOで読む蜜柑≪芥川龍之介≫

アスナの家に泊まった、その日の黄昏時。

彼女の私室に5月の柔らかな陽が注ぎ、ベッドに腰かけたアスナの髪を艶やかに染め上げたその風景を、まるで一枚の絵画か何かのように思っていたときのことだ。

サイドボードに置いてあった飲みかけのカップを手に取りつつ、アスナが私に問いかけてきた。

もう、シノのんという呼ばれ方にも随分慣れたものだ。

 

「えぇと、印象っていうと……感想みたいな感じ? エピソード的な?」

「うんっ。キリト君はコンバートしてるから体感してるだろうけど、銃の世界ってどんな世界なのかなぁって」

「んー…………そうだね」

 

初めて、GGOの世界に足を踏み入れたときのこと。

最初で最後の相棒となる≪PGM・ウルティマラティオ・へカートⅡ≫を手に入れたときのこと。

第2回≪バレット・オブ・バレッツ≫への参加。

≪ベヒモス≫と呼ばれるミニガン使いとの闘い。

死銃事件────その他にも、たくさんの出来事。

 

GGOを始めて、そろそろ1年が過ぎようとしてる。

両手じゃ数えきれないくらいの死闘があったし、思い出と呼べるようなことが、両足を足してもまるで足りないくらいにあった。

どの話をしようか悩んでいる最中、とアスナ越しに見えた夕日が、いつかの記憶を呼び起こした。

確か、そう、あの事件が起こる前。

11月の、終わりの頃のことだ。

 

 

 

 

 

その日の私は、電車の中にいた。

首都SBCグロッケンへと伸びる、幾重もの路線。

その一つ、≪果ての海≫より発着する≪ESL≫のクラスBに乗り込み、その出発を待っていた。

≪果ての海≫を訪れたのは、海とは名ばかりの赤茶けた海岸線に希少な鳥類型モンスターが訪れるらしい、という話を聞いたからだ。

とはいえ、これはもう随分と昔の情報で、その情報が出回ってから数週間は多くのプレイヤーが集まったらしいが、けっきょく噂のモンスターは発見されず、デマ情報だったのではないかというところで落ち着いていた。

噂の真偽はともかく、自分自身でも確認してみたいと思い、首都から何十キロも離れたこの場所に来たのだ。

しかし、虚しくも空回りに終わり、遠く海の向こうに見えたテトラポットの残骸のようなものに向けて、空砲を放って、私は海を後にした。

ヘカートを抱え、窓の外を見やる。

寒々しい冬の鈍色を思わせるプラットホームには、プレイヤーの姿がほとんど見当たらなかった。

 

引き金を引くことにも慣れ、狙撃手として少しは名の通るようになった私だが、ここのところ様々なプレイヤーからパーティーに誘われることが増えていた。

射撃の心得とは何か、今度のPvPに助っ人してくれないか、学生生活はどうか────そこで行われる遣り取りに、漠然とした疲労を覚えていた。

ゲームの中でまで神経をすり減らして馬鹿みたいだ、と自虐したくなるも、誰かに吐き出せることもなく、今日もこうやってこの世界にリンクした。

抱えた愛銃の硬質な砲身が、頬に冷たい。

 

やがて、発車を知らせる車内アナウンスが流れた。

警笛が聞こえ、近くの扉がゆっくりと閉まる。

数あるラインの中でも、戦前の日本にあったらしい古い汽車をモチーフにした≪ESL≫は、その動きもどこかレトロな雰囲気漂うものだった。

軽くヘッドレストに頭を預け、この変哲のない景色が後方へと引き伸ばされていくことを想像しているとき、長く鳴り響く警笛とは別のサウンドが聞こえてきた。

床を蹴るあまり履きなれていなそうな軍靴の音に続いて、電車の扉の前でシステムアラートらしい騒がしい警戒音が鳴り響く。

短髪の暗褐色ファティーグに身を包んだ、わたしとそう変わらないであろう年頃の男の子だった。

彼が慌ただしく車内に駆け込むのと同時に、一揺れを入れながら汽車がゆっくりと動き始めた。

プラットホーム上に均等に並ぶ円柱、車内の誰かに行っているのであろう最敬礼を崩すことなく続けている強面のNPCキャラクター、ネオンサイン広告の眩しい自販機──あらゆるものを、汽車の吹き上げる黒煙が隠していった。

無駄足になったことに苛立っていた気持ちも、その煤煙が少しだけ煙に巻いてくれたような気がした。

サウンドになるかならないかわからないくらいの溜息を吐き出す。

 

ふと、ここ空いていますかの一言もなく、自分の前の席へと腰を下ろした少年を眺める。

眺めていることを気取られないよう、静かに。

ランダム・パラメータによって生成されたであろう姿から、その少年の本当の姿を窺い知ることなどできやしない。

けれど、初心者かそうじゃないかくらいは、表情から読み取れた。

落ち着かない様子で車内をきょろきょろと見回したり、何が入っているのかそこそこの大きさのジュラルミンケースをときどき手に取って膝の上に置いたり、行動も含めて落ち着いていないのがよくわかる。

首に巻いているオレンジ色のマフラーは、まだ新品のように見えた。

空いた隣の席には、手入れの行き届いていないのが傍目にもよくわかる自動小銃が一丁投げ出されていた。

 

少年の存在を改めて認識したところで、また少し苛立ちが顔を上げた。

昼間の学校で、放課後の商店街で、様々なところで私に突っかかってくる彼女たちと近しい男──その一人に、アバターの顔立ちが似ていた。

この世界の相棒とも呼ぶべき武器を疎かにしているであろう姿勢が、気に食わなかった。

そして何より、不快極まりないシステムアラートを発したにも関わらず、それを謝罪すらしようとしないマナーの悪さが、腹立たしかった。

 

携帯用の薄荷キャンディを取り出し、口に含む。

そのまま目を瞑って、この嫌悪すべき少年を忘れてしまおうと努めた。

暫くすると、瞼の向こうの光量が変化したことがわかった。

窓から入る自然光ではなく、車内を彩る人工灯が、ライトエフェクトのメインに切り替わる────つまり汽車は、トンネルの中を進んでいるのだろう。

目を瞑っていると浮かんでくるのは、先日行われた第2回≪バレット・オブ・バレッツ≫の本大会からのことだ。

様々なプレイヤーと繰り広げた銃撃戦、心の奥底が冷えて機械のようになっていく感覚。

それと合わせて想起される、現実での私。

接触を避けているのに、食い下がってくる彼女たちとの終わらない戦い。

私をGGOへと誘った彼の顔も思い浮かんだけれど、焼き付けたつもりはないのに、未だ目の前に座っているであろう少年の表情が彼の顔を掻き消していく。

プレイヤー間のマナーも碌に守れない、厚顔無礼なニュービーのことを意識せずにはいられなかった。

 

トンネルの中の汽車と、この初心者に毛が生えた程度の少年と、何も物申さず黙って目を閉じる私。

この、埃っぽくて油の匂いのする荒野の世界で、こんなにもつまらない時間を切り抜いたような場面があっただろうか。

不可解で、下等で、退屈な人生の象徴のような場面があっただろうか。

この下らない移動時間を消費しようと、いっそう、目を瞑ることに神経を集中させる。

少年の顔は、暗闇に塗りつぶされた。

 

ふと、音が聞こえた。

目を開ければ、トンネルを抜けていたらしく、車内の明るさに自然光が混ざっている。

周囲を見回すと、先ほどまで目の前に座っていた少年が、窓際へと移動して、覚束ない手つきで窓を開けようとしていた。

古めかしいデザインのためか、錆がかっているようなガラス戸は中々思うように動かず、持ち上げるのが難しそうだった。

恐らく、筋力値もまだほとんど上げられていないのだろう。

窓が軋む音と少年の漏らす小さな声が、ひっきりなしに聞こえてくる。

その必死な姿に、手伝ってあげたくなる気持ちが少し湧くも、見覚えある外の景色が確かなら、間もなく再びトンネルに入るはずだった。

棚引く黒煙は、トンネルに入れば行き場をなくして様々な窓を叩く。

そのとき窓が空いていれば、間違いなく車内に入ってくるというのに、それでもガラス戸を開けようと奮戦する少年の心が、私には理解できなかった。

ただの気まぐれであれば、わざわざこのボックスではなく、別のボックス席でやってほしい。

声には出さず、目でも告げず、ただただ心の底で願いながら、漠然と少年の動作を見送っていた。

数瞬して、トンネルに入ったことがよくわかるあの大きな環境音が響くのとほとんど同時に、軋み続けていた窓が縦に大きく開け放たれた。

その途端、先ほどの予想通りに黒煙が車内へと立ち込める。

まさか本当に開くつもりがあったとは思ってもいなかったため、反応が遅れ、息苦しい煙が私とヘカートを包んでいく。

暫くして霧散したけれど、それから咳が止まらず、かといって息もできず、非常に辛い思いをした。

ヘカートもそうだ。

メンテナンスをしっかりして磨き上げているというのに、煤だらけの骨董品のような見てくれになってしまった。

おそらく私自身も煙で真っ黒になっているのだろうけど、愛銃の姿の方がいたたまれなかった。

少年はそんなことお構いなしといった様子で、窓の外へとほとんど身を乗り出すような形でいる。

風を切る轟音と感触に、しかし目を瞑ることなくただ汽車の行く末を睨んでいる。

あと数秒もすればトンネルを抜けることを覚えていなかったら、私はきっと銃口を彼に向けて、容赦なく打ち抜いていただろう。

記憶の通り、再びだんだんと明るくなっていった車内と、窓から香る煙とは別の土や水の匂いが、辛うじて私の決断を踏み止まらせてくれた。

 

トンネルを抜けた汽車は、遙か昔に滅んだという設定を体現したような田舎町の踏切を通りかかっていた。

打ちっぱなしのコンクリートや昭和だか大正だかを彷彿とさせるような古めかしい木製の掲示板、途中から折れている電信柱など、踏切沿いの街並みにはそれらしいオブジェクトが立ち並んでいた。

ようやく、トンネルを抜けた。

周囲の煙も少しだけ晴れ、控えめに呼吸をした、そのときのことだ。

もの寂しい踏切の柵の向こうに、人影が見えた。

緩々と進む汽車からは、その顔立ちまで良く見えるようだった。

NPCカーソルなどない、プレイヤーが3人。

一目で全員男性アバターだとわかる、やんちゃそうな少年の顔かたちだった。

乗り込んできた少年と同じくらいの背丈で、彼と同じようなマフラーを首に巻いている。

彼らは汽車が通り過ぎていくのを待ちわびていたかのように、それぞれに手を上げ、大きく振り、口々に大声で何事かを叫び始めた。

音と音とが重なり合い、どんな内容なのか、私には聞き分けられなかった。

彼らは汽車に並走するようにして喊声を上げていた────その瞬間だった。

 

汽車の外に落ちてしまうかもしれないギリギリのところまで身を乗り出した少年が、筋力値に乏しく窓を開けるのにも一苦労をした手を伸ばして、勢い良く左右に振った。

少年の手から、私も見たことのない橙色のハンドガンが3丁、落ちかけた陽の色を反射してよりいっそう暖かく輝きながら、手を振り走る少年たちのもとへと飛んでいった。

その光景に、思わず私は息をのむ。

少年の手から零れたハンドガン──あれは噂の鳥類型レアモンスター≪ニア・デス・ウミネコ≫がドロップするというレア拳銃だ。

それが何と、3丁も。

あの噂は本当だったのだ、と思いつつ、それを惜しげもなく空へと放る少年の姿に、私は悟らずにはいられなかった。

少年は、おそらく課金の関係か何かの関係かでガンゲイル・オンラインを引退する少年は、愛銃がぼろぼろになるまで無茶な狩りを続けてレアモンスターを倒し、ジュラルミンケースに入れるくらい大事にハンドガンを抱え、それを投げることで、踏切まで見送りにきた友人たちへ別れの挨拶としたのだ。

 

普段ならプレイヤーなんてほとんどいないであろうくたびれた町はずれの踏切と、小さな子供たちのように銘々に声援を送る少年たちと、その上に優しい曲線を描いていく暖かな橙色と────窓から見えた景色は、瞬く暇もなく通り過ぎていった。

そうして、私の心には、この光景が、しっかりと焼きつけられた。

次いで湧き上がる、言いようのない、温かな気持ち。

さっきまでとは違う人に相対するような気持ちで、目の前に座り直した少年を見つめる。

さっきまでとは変わらない服装、同じように煤けた小銃、新しそうなマフラー。

ややって、ゆっくりとした手つきで、システムウィンドウを呼び出す動作を始めた。

 

 

 

 

 

「────私を取り巻く、漠然とした疲労と倦怠と、理不尽な怒りと、そういった異物とを、私はこのときだけは忘れることができた」

 

陽は沈み、アスナの部屋でも自然光ではなく人工灯がその光量を増やしていった。

 

「…………あははは、ごめん、なんか変な風に語っちゃったね。大したことはないんだけど……うん、ないんだけど」

「うん────うん」

 

口元に朗らかな笑みを浮かべるアスナにつられて、私も笑った。

 

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