「いいか、大事なのはモーションだ。ほんの少しタメを入れれば、あとはシステムがアシストしてくれる────こんな風に、な!」
≪フレンジーボア≫の突進を回避し、がら空きになった背中に向けて、海賊刀を走らせる。
赤炎を思わせるライトエフェクトの軌跡──片手用曲刀基本技≪リーバー≫──が、残り僅かとなっていた猪モンスターのHPを残らず食い破った。
目の前に表示された半透明のリザルト画面の向こう側で、一部始終を眺めていた仲間たちが、拍手やら頷くやら、それぞれに反応していた。
幅の広い海賊刀を腰元に戻しつつ、肩を竦めてみせる。
「…………なんて、格好つけてるけど、俺もレクチャーしてもらった口だからな。ははは、これ以上は手探りでやっていくしかねぇや」
「そいつ、仲間に誘わなかったんですか?」
俺よりも若い、確かリアルではまだ大学生だという話をしていた仲間の一人が聞き返してくる。
MMOをやっていればある種、当然とも云える質問だった。
事実、こうして≪はじまりの街≫で再開できた前ゲームのダチたちも、理由に違いはあれど、俺が口説いてフレンド登録したり、ギルドに入ってもらったりしてきた。
強さはピンキリ、気が合うかどうかってところが、最大の決め手だった。
その線でいけば、俺にこの世界のレクチャーをしてくれた先達剣士にあたる≪キリト≫は、出会って数時間共にした程度の仲ではあるが、うまくやっていけそうな予感があった。
だが、同時にあいつの見せた、MMOならではの弱さみたいなものを、あまり鋭い方ではない俺も感じ取ってしまった。
だから、無理にこいつらのことも紹介できなかったし、それ以上踏み込むことも止めた。
──押し黙ったままだった俺の考えを読んだのか、質問をしてきた仲間は、猪がリポップしたのを確認すると、“早速≪ソードスキル≫を試させてもらうぜ!”と勇みながら、駆け出していってしまった。
「俺も、いつかお前と肩を並べられるようになるからな。野武士面らしく、刀でも持って」
アインクラッドの爽やかな空気に、俺の呟きが混じって消える。
昨日、次の村を目指して駆け出したあの剣士の顔を思い浮かべながら、俺は額のバンダナを締め直す。
「────おらおらぁ! はえぇとこ覚えねぇと俺が全部倒しちまうぞ!!」
再び、剣を抜く。
≪「人生はドラマチックなほうがいい」ドラマチックな脇役となる≫
闇と氷の世界──≪ヨツンヘイム≫でお兄ちゃんと二人きりになったのは、いつ以来だろう。
あたしは久しぶりに≪トンキー≫に会いに、お兄ちゃんは素材アイテムを探しに。
行先が一緒だったこともあって、一緒に≪アルン≫の扉を潜って地下世界へと降り立った。
さっそく口笛を吹いてトンキーを呼び、ゆっくりと漂うようにしながら、お兄ちゃんの目的とする鉱石や水晶を集めて回った。
新生≪アインクラッド≫の攻略に関する話、≪ソードスキル≫の空中制御の話、移動中に見つけた≪邪神級モンスター≫の話。
他愛ない、けれど途切れることのない会話を繰り返していると、やがてトンキーがゆっくりと高度を下げ、ヨツンヘイムの一所へと着地した。
「あれ……ここ…………」
見覚えのある、そんな景色だった。
トンキーの背中を滑るようにして降り、辺りを見回す。
木々の見当たらない雪原、石造りのほこら。
間違いない、ここは────。
「スグが俺に膝枕してくれたところか」
「ぅわあぁっ!!」
すぐ隣から聞こえてきた声に、思わず大きな声を出してしまった。
「何だよ、本当のことだろう?」
「そうじゃない! いや、そうなんだけど、でもそうじゃなくて……っ、ああもうっ、いきなり驚かせないでよお兄ちゃん!!」
半ば八つ当たりに近いような叫びを上げる。
「ばっ、スグ!」
慌てふためいた様子でお兄ちゃんが右手を伸ばし、あたしの口を塞いだ。
けれど、僅かに遅かった。
遠く、まるでビルがそびえ立つようにしていた多脚型の邪神級モンスターがこちらに気づいたらしく、緩慢な動きでこちらへと移動を始めていた。
あぁ、やっちゃった。
「早くほこらへ! やり過ごすぞ!」
「う、うんっ。トンキー、空へ逃げてね!」
先ほどまでのほのぼのとした空気から一瞬で思考を変えたらしいお兄ちゃんは、あたしの手を掴んで素早くほこらへと移動を始める。
その反応速度の速さは、旧アインクラッド攻略にもたくさん貢献していたのだろう。
引きずられるようにして飛び込んだほこらの最奥で、あたしもお兄ちゃんも押し黙って小さくなる。
さっきの位置関係を考慮すれば、何とかこのままやり過ごせそうだった。
とはいえ、念には念を入れようと重い、隠蔽率を上げるためのスペルを立ち上げる。
数瞬して視界が薄緑色へと変わった。
「…………っ!」
ほこらの入り口付近に、邪神級モンスターの足が突き刺さる。
まともに食らったら全損は免れないような一撃に、思わず声を漏らしそうになる。
幸い、モンスターはそのままあたしたちに気づくことなく、遠くへ行ってしまったようだった。
「ふぅ…………怖かったー」
緊張が解け、隣で胡坐を掻いていたお兄ちゃんの方へともたれかかる。
そのままずるずると彼の身体に沿って頭が下がり、ついには膝の上で落ち着いた。
お兄ちゃんは何も言わず、何度かあたしの頭を優しく叩いた。
「支援魔法がないと相変わらず寒いな、ここは」
「うん────でも、あたしはこの寒さも好きだよ」
≪「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ≫
「どうかした?」
「ううん、美味しそうに食べてるなって思って」
シノンに紹介された喫茶店の食事も、いよいよこの≪スパゲッティ≫を食べ終えることで制覇完了となる。
オーソドックスなナポリタンは、万遍なく振った粉チーズがケチャップソースと良く絡んで空腹気味だった胃袋に程良い刺激を与えてくれた。
────うん、美味い。
ホットサンドも美味かったし、ハンバーグ・グラタンも美味かったけど、このナポリタンは自分の好みのど真ん中を打ち抜いていくような、そんな味だ。
「本当、美味いよ。この店の中で一番好きかもしれない」
「そう。あんたが気に入ったのなら良かった」
シノンがそう言って微笑んだ。
「やっぱり少し食べれば? 取り皿もあるんだし」
「平気。全部残さず食べちゃって」
「ん、あとで食べたかったって言うなよ」
「言わないわよ。子どもじゃあるまいし」
残り僅かになったスパゲッティを軽くフォークで巻き取り、口元へと運ぶ。
入りきらなかった麺の一本が零れそうになったが、行儀が悪いことを自覚しつつ、吸い上げるようにして飲み込んだ。
喉を鳴らすのとほとんど同時に、目の前に座っていた彼女が俺の唇を奪った。
≪スパゲッティの最後の一本食べようとしているあなた見ている私≫
「むー、キリトの方が大きい」
「同じだろう、なんなら交換したっていいよ」
「でもそれは、何か負けた気がするというか、何というか」
向かいに座る彼が、今まさに食さんとするエビフライに、ついつい難癖をつけてしまう。
小金色に揚げられたエビフライは小気味良い音を響かせながら、キリトの口の中へと消えていった。
齧ったあとに、赤々としたエビの身が見えた。
ダメだ、見ていてもお腹は膨れない。
同じく注文したエビフライの一本を、衣を少し剥がして咀嚼する。
隠し味というにはやや味の強い林檎を混ぜたソースが、口の中にじんわりと広がっていく。
軽く絞ったレモンも美味しいし、タルタルソースも好きだけど、このオーソドックスなソースの味も、私は大好きだ。
付け合わせのキャベツと一緒に頬張り、そのまま流し込んだ。
「シノン、エビフライ好きだよな。何で?」
「理由なんて特にないわよ。ああ、そうね、尻尾が残るところとか」
「は?」
「ほら、薬莢みたいじゃない。銃を撃ったぞ、って気になれるのかも」
「…………順調にトラウマ克服してる証拠、って取ればいい?」
「うん。優しいねキリト、心配してくれるんだ」
「別に、俺は」
「ありがとう、キリト」
少し頬を赤くして、彼はガツガツと食事に取り掛かる。
そんな彼が可笑しくて、私は声を上げて笑った。
≪エビフライ 君のしっぽと吾のしっぽ並べて出でて来し洋食屋≫
「どうかな、これ」
「美味い! いや、すごいなシノン、どうやって!」
食卓の中央でその存在感を示すボウルから取り分けられたシーザーサラダ。
彩り鮮やかなレタスや薄切りにしたサーモンなどを包むシーザードレッシングと、そこにまぶされたクルトンやパルメザンチーズ。
その調和はあまりに見事で、いつか鋼鉄の城の中で食べたあの美味いサラダの味と寸分違わぬものであった。
いつからだっただろう、あのサラダの味が忘れられないといった俺のぼやきに食いついたシノンが、サラダ作りに没頭し始めたのは。
「聞いたの、ヒントを────アスナから」
嬉しそうに微笑んでいた表情を少し暗くして、伏し目がちにシノンが答える。
「────美味いよ、本当に。これからもずっと、食べたい味だ」
彼女が、ゆっくりと顔を上げた。
「毎年、作ってくれないか」
「────う」
言葉を待たず、いつかのように、彼女の口を塞いだ。
≪「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日≫
「ね、ユウキ。≪花占い≫って、知ってる?」
「あのねぇ、アスナ。ボクだって一応女の子なんだよ。花占いくらい、知ってるよ…………その、やったことは、無いけど」
もごもごと口ごもるユウキが愛らしく、後ろから思わず抱きしめてしまう。
二月。
春の到来を待ちわびつつ、去り行く雪の気配に少しの淋しさを覚えるこの季節に、温かな彼女を一秒でも長く傍に感じていたかった。
プーカ領にほど近い高原には、私とユウキの他にプレイヤーの姿は見当たらなかった。
世界樹と各種族の領地とを隔てる天険、真白に染まった環状山脈を背景に、目の前ではクロッカスに良く似た花々が風に揺れていた。
様々な種類を集めているようで、色彩豊かに賑わっている。
その一つを、手に取った。
プチッという小さな音が、風に消えていく。
「ユウキは、わたしのことが好き、嫌い、好き、嫌い、好き…………」
「わああ、アスナ! 花びら六枚しかないんだからその数え方じゃダメだよ!」
言葉に合わせて散り行くクロッカスに、ユウキが飛びついてくる。
その慌てふためくさまが面白くて、思わず笑ってしまう。
顔を真っ赤にしたユウキも、しばらくしてからあのヒマワリにも似た大きな笑顔を見せた。
その屈託のない表情に、不意に目頭が熱くなる。
泣くことを我慢できないこの世界は、ときどき、不便で、心に痛い。
「ねぇ、アスナ。ボクも、花占いしてみていいかな?」
「…………ぅん、間違えちゃダメよ」
「もちろんだよ」
手近にあった、ユウキに良く似た紫のクロッカスを摘まむ。
「アスナは、ボクのことが好き、嫌い」
「ゆう────」
「────大好き、超好き、世界で一番好き────ボクも、大好き」
クロッカスの花弁が、風に舞った。
≪愛してる愛していない花びらの数だけ愛があればいいのに≫