"THIS MIGHT BE A GAME, BUT IT'S NOT SOMETHING YOU PLAY."
ディスプレイに表示された英語圏のニュースの見出しに、茅場晶彦は目を細めた。
国内にとどまらず、海外メディアも今回の事件に注目していることが良くわかるような、そんな熱のこもったニュースキャスターのコメントだった。
茅場は見出しに表示されていた英文を何度か唱えたあと、“なるほど、良い表現だ”と頷き、そのまま手近にあった紙片に、素早く丁寧に文章を綴る。
書き終えたあと、しばらく自身の言葉を眺めていた茅場は、やがてそこに二重線を引き、新たな一文を書き留める。
“これはゲームかもしれない、しかし実際に遊べるとは限らない”────そんな直訳を消去した彼は≪ナーヴギア≫をセットし、現実世界と仮想世界とを繋ぐ扉を開き、鋼鉄の城へと旅立った。
SAOで読むSWORD ART ONLINE
「よう、キリト」
「クライン、今日は早いな」
「出抜けしたんだよ、会社に戻るよりこっちに来た方が早かったからな」
たまにはオフでも親睦を深めようというクラインに夕食を誘われたキリトは、それならばと同じMMO仲間であるエギルの切り盛りする≪ダイシーカフェ≫を提案した。
出先での仕事に見切りをつけたクラインは、そのままダイシーカフェへと直行し、キリトの到着よりも早くからハイボールを煽っていた。
キリトもクラインが座るカウンター席の隣へと腰を下ろし、何か腹が膨れるものという曖昧な注文を店主に投げかける。
もう少し具体的に頼め、というエギルの呆れたような声を聞き流しながら、キリトはクラインの口数があまり多くないことを不思議に思った。
普段、笑い上戸じゃないかと思うような酒癖のクラインが、ほんのりと顔を赤らめているものの、隣に座る自分に絡んでくる気配もなかった。
そしてその理由すぐにキリトはわかった、どうやらクラインは携帯端末に見入っているらしかったのだ。
思わず“彼女でもできたのか”と問いかけたキリトだったが、クラインは恥ずかしがるでもなく、“別にそんなんじゃねぇよ、お前も見るか”と携帯のディスプレイをキリトの方へと向けた。
「ん? 英文? なんだよクライン、海外のアダルトサイトでも覗いたのか」
「ちっげーよ! つーか英文とアダルトサイトがどうやったら繋がるんだよ!」
「め、迷惑メールでも来たのかなって」
「あーあ、キリトが普段どんな目で俺のことを見てるのかわかっちまった。もう見せねぇ」
「ああ、俺が悪かったよ、クライン。冗談が過ぎた、謝る」
「わかりゃあいいんだよ、ほれ」
今度はディスプレイを見せるだけでなく、携帯ごとキリトに手渡して、クラインはジョッキに残っていた僅かなハイボールを飲み干した。
キリトはディスプレイをスクロールさせながら、表示されていた英文の続きを追った。
クラインはそのまま厨房に向かって、エギルに同じ酒の追加を注文する。
「ちょっと前から嵌っててな、キリトも良かったら読んでみろよ」
It flew in a diagonal arc, its own light yellow-green, intersecting with the side of the greatsword just as it was about to connect with me.
「…………クライン?」
「ん?」
「これ、小説か何かか?」
「おう」
「…………通りで」
見知った単語に交じって、ところどころ目にしたことのないような単語を目の当たりにしたキリトは、思いついた疑問をクラインへと投げかける。
中学、高校の教科書にあるような英文ではなく、どこかこちら側を置いて行ってしまうような文章は、やはりキリトの予想の通り、物語を綴るための一小節だった。
どこか気の抜けたうへぇという呟きを残して、キリトはクラインに端末を返す。
同時に、エギルがクライン用の酒とキリト用のジンジャーエールをカウンターの向こうから無造作に二人の目の前へ落とした。
「サンキュー、エギル。ほれキリト、乾杯と洒落込もうぜ」
「あ、あぁ」
「待て待て、俺も混ぜろ」
「いいのかよ、不良店主」
「二人がうまそうに飲むのを見るだけってのはな。いいだろう、キリト」
「もちろん」
いつの間にか用意していたらしい大ジョッキを勢い良くエギルが掲げる。
キリト、クラインも次いで掲げ、エギルの音頭に合わせてそれぞれのジョッキを激しく打ち付ける。
まだ他の客の入らないダイシーカフェで、その乾杯の音は、店内に明るく響いた。
そのまま歓談を始めた二人を尻目に、キリトは先ほどの英文にあったいくつかの単語の意味を自分の携帯端末で調べ始めた。
気になることをそのままにしておけないのは、彼の性分なのかもしれない。
「ん、どうしたよキリト。誰かに連絡か?」
「いや、何でもないよ。それよりこの前のアップデート情報にさ────」
調べ終えた内容をメモとして残したキリトは、そのまま携帯を元通りにしまった。
夜は賑やかに更けていく。
diagonal=対角線の、斜めの
connect=〔スポーツ〕ねらった物に当てる、〔ヒットなどを〕打つ
「キ……和人さん、この訳教えてほしいんですけど」
「いいよ、シリカ。別に学校じゃないんだから、キリトでも何でも構わない」
「それじゃあ、キリトお兄ちゃん!」
駅前に出来たカフェがお洒落で可愛くて素敵でとにかくここの行かなければ女子の名折れだ! ──というシリカの熱弁に根負けしたキリトは、学校帰りに件のカフェへシリカと共にやって来た。
「ちょっと、シリカちゃん! お兄ちゃんをお兄ちゃんって呼んでいいのはあたしの特権なんだから!」
訂正、もう一人いた。
「ほら、スグ、店でそんな大声出さない。あとシリカ、必要以上にくっつこうとするな。俺の命がやばい」
半円型になったソファーテーブルに案内されたキリトたちは、席に着く前に誰がどう座るのかで一悶着あったものの、言葉通り間を取ってキリトが真ん中に座るということで落ち着いた。
仲の良い二人の女の子が自身に向けてくれる好意を喜びつつも、もう少し何とかならないものかとキリトは店に入ってから何度目かになる溜息をついた。
やがて、三人の前にはティーカップといくつかのドルチェが並ぶ。
季節のタルト、と安直なネーミングのついた一切れを注文したキリトだったが、目の前に出てきたイチゴのタルトの美味しそうな様に、思わず唾を飲み込んだ。
タルトの焼き色も、タルトに乗った小ぶりの苺の艶も、微かに香るカスタードソースも、どれもキリトの想像よりずっと魅力的なものだった。
彼は自分でも気づかぬ内にフォークを一つ手に取り、ゆっくりと目の前のタルトへと伸ばしていく。
その切っ先がタルトに触れるかどうかという刹那、彼の右隣に座るシリカが口を開いた。
「そういえばキリトさん、あたしと一緒にチーズケーキ食べましたよねー。二人っきりで、≪風見鶏亭≫で。思い出しちゃうなぁ」
その、どこか高圧的な気配を含んだ言葉は、決してキリトにだけ投げかけられたものではなく、彼の左隣に座る直葉の耳にもしっかりと届いた。
伸ばしかけていた手をぴたりと止めたキリトは、横を向くなという本能に逆らってしまい、ゆっくりと自分の左側に目を配る。
鬼がいた。
「…………へぇー、そうなんだ。美味しかった、シリカちゃん?」
「えぇ、とっても」
直葉の方を一瞥もせず、シリカは目の前のチーズケーキを切り分けて、一口大の大きさにしてから口元へと運んだ。
「あたしもね、お兄ちゃんと一緒に食べた思い出の味ってあるんだよ。≪すずらん亭≫の、フルーツババロア。二人っきりで」
微笑みを絶やさず、直葉は運ばれてきたフルーツババロアに手をつけた。
あぁ、そういえば今の状況と同じくらいの極寒を味わったことが旧アインクラッドであったなぁとどこかずれた思考で、キリトは目の前のタルトを頬張った。
「美味しかったですか、直葉ちゃん?」
「もちろん。お兄ちゃんと食べたから、最高にね」
「…………っ」
「あぁ、ええと、シリカ! どこの問題が何だって!」
このままでは≪シルフ≫と≪ケットシー≫の戦争になりかねないといったところで、キリトはやや強引に話題を変える。
シリカは若干、表情をしかめながらも、すぐにいつもの天真爛漫な笑顔を見せ、それからキリトにルーズリーフを差し出した。
彼女のやや癖のあるアルファベットが、ノート上に並んでいる。
「えぇと、訳文だっけ…………」
"Um, I'll have the chef's choice."
"Okay...how about a stew? They don't call it a ‘Ragout’Rabbit for nothing."
「会話文か」
「最初は何となくわかるんですけど、次がちょっと……ドントだったりナッシングだったりで」
「ほほー」
受け取ったルーズリーフをキリトが目の前に置くと、両隣の少女たちもそれぞれ首を伸ばしてルーズリーフを覗き込んだ。
やがてキリトは自分の鞄から一本ペンを取り出して、そのままルーズリーフに訳を書き始めた。
走り書きのような字だったが、読むには難しくない崩れ具合だった。
「“for nothing”だけど、これで成句の一つなんだよ。意味は“これといった理由もなく”。あんまり使うことないと思うけど」
「つまり……これといった理由もなくラグーラビットと呼んだりしない……?」
「そんな感じじゃないか? ラグー、つまりシチューのことが前の“シチューはどう?”ってところと絡んでくるんだろう」
「おぉー、すごいね、お兄ちゃん」
別に大したことないよ、とティーカップを口に近づけながら、キリトは答える。
直葉は“またまた謙遜してー”と笑いながらキリトの脇を右肘で突いた。
シリカもルーズリーフを手に取って何度かキリトの訳を読み返したあと、嬉しそうにそのルーズリーフを胸元で抱きしめた。
「ありがとうございます、キリトさん」
「どういたしまして」
「──────ところで、キリトさんがアスナさんと美味しいシチューを二人っきりで食べたという話を聞いたのですが、詳しく聞かせてもらえますか?」
「え?」
「へぇー…………その話、あたしも詳しく聞きたいなぁー」
「聞いてください直葉ちゃん。しかもお店じゃなくてアスナさんの家の中だそうです」
「それはそれは────とっても楽しいお食事会だったんだろうねぇ」
────転移結晶がほしい、今、切実に。
キリトの願いはカフェの空気に霧散していく。
≪ALO≫────≪アルヴヘイム・オンライン≫の世界にログインしたキリトを待っていたのは、燃えるような夕焼けだった。
現実世界では間もなく一日が終わり、日付が変わろうとしている時刻だったが、一日の時間の周期が違うALOの世界では、しばしばこのようなことも起こる。
キリトは≪スプリガン領≫のやや南にある中立の街の宿屋で、その夕焼けを眺めていた。
寝る前に軽く狩りでもしようかと思ったキリトだったが、その夕焼けを前にして、狩りではなく約束を果たそうと宿屋を飛び出す。
空が見えたところで翅を広げたその時だ、彼にフレンドメッセージが一通届いた。
差出人は、アスナだった。
早速開いてみると、そこには一通の英文が表示されるのみだった。
An endless expanse, sprayed with gradient colors from brilliant orange to bloodred to deep purple.
しばらく考えたあと、キリトは返信を打つべく簡易のキーボードを呼び出した。
アスナからのメッセージ同様、短い英文を紡いでいく。
最後のアルファベットを打ち込み、メッセージを飛ばしたところで、彼はそのまま空高く飛び上がった。
狩りではなく、アスナが待つ、空の頂に向かって。
As it sparked and gleamed with the light of the sunset behind it, it seemed to me that the sight was more beautiful than anything in the world.
「────お待たせ、アスナ」
「うん、キリトくん」
ALOの世界を巡る浮遊城────≪アインクラッド≫は、ちょうどスプリガン領から≪ウンディーネ領≫へと移動していく最中だった。
空に立ったまま、剣と戦闘の世界に見入っているアスナに、キリトはそっと寄り添う。
彼女の明るい水色の髪も、今だけは夕焼けが温かな栗色に染め上げていた。
アインクラッドがアルヴヘイムの世界に実装されると聞いたとき、いつか“あの日”の景色が見たいね、二人は話すことがあった。
あの日、ゲームをクリアした日、想い合う二人が見送った鋼鉄の城の最期。
どこか幻想のような、そんな夕焼けの日のことを、二人は確かめたかった。
「────愛しているよ、和人くん」
あの黄昏をなぞる様に、アスナが呟く。
美しい、鈴の音のような声だった。
鋼鉄の城が、空を往く。
普段後書きは書かない性質なのですが、書籍情報をということで。
今回下地にしたのは、ご存知『ソードアート・オンライン 第1巻』ですが、日本語版ではなく英語版です。
訳者はStephen Paul氏。
昨年4月に北米の方で発売されたものです。
世界中のMMOプレイヤーの方が一度は二刀流に憧れる日もそう遠くないなと思ったりしました。
Stephen氏のtwitterにもあった一文を引用させてもらいつつ、今回は終わりにします。
よろしければ皆さんも手に取ってみてはいかがでしょうか。
So it's a relief to see that the SAO novel has been successful so far, and more importantly, that the people who bought it seem to be happy.
--Yes, I'm happy!