太陽が傾き、地平線に沈んでいくソレは、仕事終りを表す。
工場の中は、蒸気機器を扱っているため、比較的に蒸し暑い。
「工場長、今日はもう終わりですよね?」
「だな。日もだいぶ傾いてきたし、今日はこれまでだな」
かなり大きめのレンチを握りしめ、蒸気機関の組み立てをしていた俺。
蒸し暑い中、汗を大量に流しながら作業に没頭していた折。
日が大きく傾いているのが目に入り、となりで見張っている工場長に声をかける。工場長は、40歳くらいのふくよかな体形のオジサンだ。人柄は良い方で、仕事もできる(だから仕事には厳しい)。
俺を雇ってくれたのも、この人だ。これまでにもいくつもの恩を感じている。
「作業しゅうーりょーう」
工場長が俺の話を聞いた後すぐに、ベルを鳴らす。
ベルの音が工場中に響き渡ると、多くの同僚が作業を切り上げ、それぞれ仲間と更衣室に向かった。
俺は、必然的に最後の誰も居なくなった更衣室でしか着替えが出来ないので、先に着替えを得た先輩と他愛の無い会話を楽しむ。
「今日は、一段と絞られてたなお前」
「そうなんすよ、おかげでもうヘトヘトですよ。これから晩飯買って、家事もしなきゃいけないのに」
「まだ、働き足りなかったかリゼット・リート?」
「げっ、工場長…ぬわぁああ」
「あらら~」
先輩相手に、ブーブーと工場長の仕打ちを愚痴っていると真後ろから、頭を鷲掴みにされる。
振り向くと愚痴の対象が笑顔で俺の頭にアイアンクロー。
ギリギリと軋む頭、悲鳴を上げる俺、やれやれ顔で去っていく先輩。
「ギブです!ギブギブギブア――プ」
故意のアイアンクローは、キツかった。
★☆★☆★
それから時間が過ぎ、現在夕飯の買い物中。
「いって~まだ痛む。頭の形変わったんじゃないかなコレ?」
「リゼット君は、口が軽そうだからね」
「まさか、後ろにいるとは、思わねーよ。後、ジャガイモ3つね」
八百屋のおっちゃんと会話しながら商品を次から次に選び籠に入れて貰う。
「そう言えば、リゼット君知ってるかい?」
「ん?なにを?」
野菜の鮮度を見極めていると、おっちゃんが話題を振ってきた。
なんだろう?と品物を選ぶのを中断する。
「最近ね、リゼット君の家周りの民家が地上げに合ってるって話だよ」
「地上げって本当に?」
「そう、まだリゼット君のとこは被害ないみたいだね。なんかお貴族様が街のチンピラを雇って積極的にやってるなんて話も耳にするよ。かなり強引な手を使うそうだ」
「お貴族様が、庶民の民家を力づくでね…、おっかない話だな」
「全くだね、しかもお貴族様が筆頭だってんで、役人さんも動こうとしない。この前なんて家が燃やされかけたらしい」
おっちゃんの話で、最後の話だけは心当たりがあった。うちから少し離れて何件目かの婆さんの家が燃えたと聞いた。
あの火事って地上げが原因だったのかよ。
「まぁ、最近物騒だから気をつけな」
「そうするかね、噂が噂である事を祈ってるよ。おっちゃん全部でいくら?」
「銅貨10枚だね、ついでにリンゴ三個つけてあげよう」
「サンキュー」
籠がいっぱいになった所で、今日の給料の中から、銅貨10枚を渡す。
お金を受け取るとおっちゃんは、籠の中に林檎を入れてくれた。
今日は、リンゴのタルトでも食後に出してやるかな。ミーニャとリックの奴、喜ぶかな。
「はい、確かに。また来ておくれよ、サービスするからね」
「あいよ~」
おっちゃんから、買物籠を受け取り、帰り道を真っすぐに歩く。
もう日が沈み、同じく仕事を終えた方々が帰路に就いて、温かい家庭に帰っていく。
寒い中、必死に働き、家に帰るとあたたかい家族が向かてくれる。…世のお父さん方は、そういうのを明日の労働気力にしていくんだろう。
そんな家庭を貴族はめちゃくちゃにしようとしてるってわけか。
「これだから、貴族って奴はよ」
本気で物騒な世の中になってきたよ。もし、うちに地上げがきたらどうしようかな…荷物まとめて逃げる?何処にだよ。
俺達家族に行くところなんて無い。
「ん?すげー人だかりだ」
帰り道をポツポツ歩いていると、ご近所さんの家の前に人が集まっているのが目に入る。
俺は、何があったのか気になって駆け寄ってみると、家の壁や玄関がボロボロに壊され、奥さんが泣き崩れていた。
「ねぇどったの?」
「さっき、スミスさんの家にへんな連中が家を出て行けって脅して、家を壊したらしいんだよ」
まさか、こんな近くまで地上げに来てるなんて。
(噂が噂でなく、真実だったのかよ)
言い表せない不安が俺を襲う、それに追い打ちをかけるように近所のおじさんが俺に言った。
「リゼット君、あいつら、君の家の方向に向かったみたいなんだ」
「本当かよ、くそ!」
「役人には、頼れないから自警団が来るのを待っ!?リゼット君!」
うちに向かったと聞いた時、顔が青ざめていくのを感じ、買物かごをその場に放置したまま、走る。
オジサンが何か話していたが俺は、うちに置いてきた娘と弟の安否が心配でそれどころじゃない。
(お願いだ。間に合え、先生の二の舞はもう沢山なんだよ!)
無我夢中で俺は、走った。街から少し離れた森に入り、さらに真っすぐにうちに向かって走る。
息が苦しく、脇腹も痛むけど、足だけは止めたくない。
他の事は何一つ、考えずに走り続けた。するとようやく我が家の目に入った。
(やっぱりいる!)
家の玄関の前で、10人ほどのゴツイ男達がハンマーなどを持って集まっていた。
玄関の扉は開いており、リックが表に出ていた。
★☆★☆
「何だこのガキは」
「おい坊主、母ちゃんか父ちゃんいねぇかな?ちょっと俺ら話があるんだけどよ」
全く持って鬱陶しい。
僕は、義姉さんが出かけた後、ミーニャの世話をしながら本を読んでいた。
お昼を食べ、ミーニャが近所の猫友達と遊びに行ったので洗濯や掃除を済ませ、帰って来るまで読書に没頭しようと持っていた矢先。
だらしなく出た腹部、気品の感じられない二重顎の顔、そのくせ着ている服は上等の物。
手にはジャラジャラと、宝石の類をブクブクと太った指に嵌めたお貴族様がゴツイ身体とバカっぽい面の男達を連れて訪れた。
「親はいませんよ。上の兄弟は働きに行ってるんでまた今度にしてください。それじゃ」
僕は、読書タイムを邪魔された機嫌の悪さを隠すことなく、不敬な態度のまま、扉を閉めようとした。
だが、貴族風の男の傍らにいたごつい図体の男の手が、扉を掴む。
そして、ドアを閉じようとする僕の邪魔をする。
「あの、離して貰えませんか?」
「ふん、ガキしかいねぇなら都合いいぜ、やっちまっていいんでしょ旦那?」
「そうだな、二度も足を運ぶのは面倒だやってしまえ」
ガタイ良いの一番の大男が貴族風の男に尋ね、貴族風の男が答える。
男が答えると、後ろで松明やハンマーを持った男達がジリジリと迫って来る。
(なにか面倒な事に巻き込まれた気がする)
ガバッと前に出た男に胸倉を掴まれ、持ち上げられる。
息苦しくもあるが、何より腹立しい。
試しに僕を掴む手を振りほどこうとするが、体力の無い僕では無理のようだ。
「悪いな坊主、お前の家はブッ壊させてもらうぜ」
「うわぁ、本気でめんどくさいな」
「生意気なガキだな」
おっと、どうやら心の声が口に出ていたらしい。
僕の態度が気に入らないのか、男の顔に青筋が立った。
すると、僕と掴んでいる逆の手で拳を作り振り上げる。
「やめねぇか!!」
「なんだ?」
「痛った」
男が僕を殴ろうとした時、横から聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえた。
その声の大きい事、鼓膜によく響き、脳を揺さぶる。
不意に驚いた男は、僕を地面に落した。
お尻から地面に着地したため、結構痛い。
「おやおや、このガキの兄が帰って来てしまったようだな」
「お前ら、他人の家の前で何やってやがる!」
貴族風の男がめんどくさそうな表情で大声の主を見る。
大声の主は、言わずもがな僕の義姉様。走って帰って来たのだろう、顔は真っ赤で息切れが激しく、肩が上下していた。
「お前がこのボロ屋の主か、なるほどボロ屋にピッタりの服装だな。実は、この地域一帯に鉄道という乗り物が走ることが決まってね、我が領地にいる諸君らに立ち退きを指示していたんだ」
「立ち退きの指示?いくらあんたが領主だろうが、土地の権利は所有者のものじゃないのか?」
「ふん、庶民が偉そうに。男爵であるこの私が、土地を寄こせと言っているんだ。むしろ、自ら差し出すのが当然であろう?それをあろうことか拒むなど、領民にあるまじき行いだ」
「ふざけんじゃない!この腐れ貴族!家や土地は、絶対にわたさねぇ」
貴族男の周りにいた男達が義姉さんを囲み。貴族男が義姉さんに話かける。
すごく勝手な言い分に義姉さんが噛みつく。
気持ちは痛いほど理解できる、けどこの人数を相手にするのは賢くない。
「生意気な!」
「あうっ」
「あっ!」
義姉さんの言葉に、怒りを覚えたのか義姉さんの頬をぶった。
さすがの僕もこれには驚きと怒りを覚えた。頬を拳で殴られた義姉。
僕よりは大きいとはいえ、小柄でしかも女性である義姉の体。
貴族男の不意打ちで大きくよろけ、玄関の壁に頭をぶつけ倒れる。
「庶民の分際で…。おや?こいつもしや女か?」
「へへへ、どうやらそうみたいですね。しかも上物ぽいです」
「どれどれ」
壁に頭をぶつけた瞬間、義姉のターバンが外れ長い髪が露わになる。
そのせいで義姉さんが女だとバレた。非常に不味いことこの上ない。
頭を強打したせいで意識が朦朧としている様子の義姉、義姉の顔に手を伸ばし貴族風の男が厭らしい目でジロジロと眺める。
「ほう、この田舎くさい街に住んでる割には、上々だな。おいこの女を連れていく。私の邸まで運べ」
「了解しました大将、飽きたらワシらに卸してくださいよ。こいつなら娼館に高値で売れますよ」
「っ…はな…せ」
男2人に腕を掴まれ、上体を起こされた義姉。
意識が少し覚醒したのか、振りほどこうと足掻く、しかし大の男2人の腕力に勝てるはずがない。
そのまま、連れ去られそうになっている。咄嗟に手を伸ばすが、後ろから男に襟を掴まれ届かない。
それにしたって人身売買や誘拐、完全な犯罪行為を堂々と行うなんて…この国が少しずつ壊れ始めている気がする。
(どうする?ここで僕が力を使ったら、師匠との約束を破る事になる。だが、使わなければ気に入っていたこの家庭という環境が壊される)
僕は、悩んだ。師匠との約束か、家族として僕を迎えてくれる義姉を取るか…。
師匠の定めた掟を破ると言う事は、師匠に対す侮辱。
しかし、義姉を見捨てると言う事は、人にあるまじき行いだ。
(迷うまでもなかったな)
僕は、目を閉じ心を穏やかにし深層心理奥深くの扉を開ける。
「何してるんだこのガキ?」
「捨て置け、どうせ子供だ。何もできやせん」
「大将がそう言うんなら…いいですけど」
男が僕を掴む手を話すタイミングを狙って必殺をお見舞いしようと思った矢先。
「マニャ?おかえり…?」
最悪のタイミングすぎる。突如、ミーニャが屋根から下りてきた驚きのせいで、深層心理の扉が閉じてしまった。ミーニャの登場に、男達も驚いていた。
しかし、ミーニャに注目を集まるのは、なお悪い。
「何かと驚いたが…、このボロ屋には金の元が多いらしいな。このエルフェンでエルフはおろか、獣人までもいるとはな」
「しかも獣人の雌ですぜ、こりゃそのお譲ちゃんより高値で売れますぜ。大将、この獣人俺たちにくだせぇよ」
「かまわん好きにしろ」
ミーニャは、この人間の国で大変珍しい獣人という獣の特徴を持った種族の娘。
僕じゃ、どれくらいかわからないけど、奴隷商などで愛玩用として高値で売買がされてるって聞いた…。
一人の男がミーニャを捕まえようと手を伸ばす。
咄嗟に体が動いた。考えないで体が動くなんて、僕にしては珍しい。
そして、愚かだなっと飛び出してからしみじみ思う。
「やめろ!」
「邪魔するな」
「あがっ…ゲホッゲホッ」
ミーニャに触れようとした手を、ミーニャの前に出て振り払ったものの、後に大人の拳を腹にもらう。
骨が折れたんじゃないかというほど激痛に前のめりに倒れてしまい、胃の中のもの全てを吐きだしそうになる。
運動系は、やっぱり苦手だね。呼吸が出来なくて目の前が真っ暗になりそうだ。
「リックに~!みゃ?いや~」
「ミーニャ…ミーニャを離せ!」
「おっと、お前も暴れるな。両方とも縄で縛っとけ」
巨体の男にミーニャが抱え込まれる。
義姉さんがその様子を見て大暴れするが直ぐに男達に黙らされる。
僕が無視されている間に再び深層心理億の扉を開けたいが…痛みで無心になれない。
腕力じゃ絶対にこいつらに勝てるわけがない。後少し時間があれば…、そう思わずにはいられない。
「はなして~」
「痛って~、このガキ噛みつきやがった!」
ミーニャが男の腕の中で大暴れし、男の腕にかじりつく。
人間と違い、犬歯が発達し、顎も常人より強い獣人に齧り付かれた男の腕からは血が噴き出す。
痛みに顔を歪めた男、隣にいた男がミーニャを引き離し口を布ふさぐ。
「くそ、血が止らねぇ…」
「おい、そんな子供に手間取ってないでこの家を燃やしてしまえ」
「うぁあああ~ん」
「うちの娘を離せ!ミーニャ!」
状況が今一理解できていなさそうだけど、恐怖からかミーニャが大きな声をあげて泣く。
まだ、3歳だ。これだけ大人数に囲まれ誰も護ってくれないとなれば泣きたくもなる。
義姉さんも地面に押し付けられ身動きが取れてない。取れていないが必死にミーニャに手を伸ばす。
「この女、そのチビが現れてから急に五月蠅くなったな」
「う~う~」
「このガキ、いい加減に大人しくしやがれ!!」
「やめて~!」
常人より腕力脚力が強いミーニャに悪戦苦闘するチンピラ達。
さっき噛みつかれた男が腕に布を巻いてミーニャの前に近寄り、手を大きく振り上げる。
義姉さんの悲鳴じみた声が響く中、無情にも手は振り下ろされた。
「ミ¨ャ」
乾いた音と苦しむような声が僕や男達、そして義姉の耳に聞こえた。
★☆★☆★
俺の目の前でミーニャがぶたれた。
ぶたれたミーニャは、地面に落ちてフルフルと震え泣き声を止めた。
家族を守りたいがために、走ってきたのに何にも出来なくて、弟や娘が暴力にさらされても庇ってもやれない。
ミーニャがぶたれた時、俺を押さえていた男達の拘束が緩み俺は、大急ぎで抜け出しミーニャに駆け寄る。男達も小さな子供を本気でブツとは思って無かったのだろう呆けていた。
「ミーニャミーニャ!……え」
地面に落され震えていた娘の元まで駆け寄った時、ミーニャの頬は腫れあがっていて口からは、血が流れていた。きゅっと閉じられた目からは涙があふれ出しており…恐怖と痛みにおびえる娘の姿がそこにある。だが、顔色がドンドンと悪くなっていき、どう見ても普通じゃない。
「おいこのチビ…なんか様子が変じゃないか?」
「俺はそこまで強く殴って無いぞ?」
「死んだなら放っておけ、貴様らに金を払っているのは私だ。家と一緒に燃やしてしまえばよかろう」
「し、しかし大将、殺しまでやるなんてワシら聞いてないですよ」
人の娘を殴っておいて…責任逃れや止めを刺せなど、男達が言い合いを始める。
「ミーニャ…」
我が娘を抱きしめ、頬を撫でるが顔色が良くなる訳でも震えが収まるわけでもない。
自分の無力さ、甲斐性の無さに涙が出てくる。
「くそくそくそ!」
あいつらが…、娘を傷つけた。娘を苦しめた。俺の子供を殺そうとした。
『殺セ、殺セ、己ガ子ヲ傷ツケル存在ヲ、決シテ許スナ』
何かの声が、頭と心臓の両方から聞こえた気がした。
声が聞こえてから、俺の頭の中は黒一色に染まっていくのが判る。俺は、殺さなきゃならない。
種族の繁栄を脅かす存在を生かしておける筈がない。
これは、種の掟。己が生み育てし子孫の命が脅かされる事があってはいけない…例えどんな事があろうとも。
無意識に頭に流れてくる言葉、その言葉の全てが俺の胸に深く残る。どこか懐かしくとても大切な教えな気がした。
「そうじゃ『妾』は、娘を傷つけた者を殺さなければならん。妾の招集に答えよ英雄共!」
血が沸騰したんじゃないか?と錯覚するほど熱くなり、その熱が体中をめぐり目の前が真っ赤に染まる。口が勝手に開き、俺とは思えない口調で何かを言った瞬間、俺の意識は飛んだ。
「なんだ、この女急に目つきが変わりやがったぞ」
「とりあえず、気絶させて連れて行こうぜ」
「顔は傷つけるな?初めに私が味見をするのだからな」
妾が起き上ったとたん、男どもの意識は妾に注がれる。
皆が皆、心の内をあらわしたような下衆い顔をしておるわ、これから見難い顔をさらし、死んでいく者達にはお似合いかもしれぬがな。
「妾を本気で怒らせ、妾に流れる血を刺激した事を後悔しながら…死ね」
血の祝祭は、始まりを迎える。