世界の総人口数は約七十二億人程度。
毎秒間に数人が生まれ、数人が死ぬ世界。一体この青空の下で、どれ程の人間が今も尚、生まれ死んでいるのかと気になる時がある。
俺が何も考えずに道を歩いている間にも、人が死んで生まれて。自分が無駄に過ごしている間にも、死は無情にやって来る。死は平等にやって来ると言う言葉は、伊達じゃないようで――。
生死について、自分達はもっと良く考えなければいけない――なんて、学校の教師のような言葉を口にするつもりは無い。ただ、俺は気になるだけだ。数秒後に死ぬ人間が、何を思うか。数秒後に産まれる人間が、母親の腹の中で何を思っているのかが。
それらが気になって仕方が無い。理由は至極単純、『死んだことが無いから』では無く――俺は『死んでもまた生まれてきちゃうから』。
そんな人道外れた人外だからか、他人にとってはどうでも良い出来事が人一倍気になる。
俺と同じ思考回路を持つ奴は、一体この世界に何人何十人何百人居るんだろうな。俺は結構居るんじゃないか、って思う。
だって――人道外れた化物は、世界に何千何万も居るんだから――。
★
夏の夜は蒸し暑くて、静寂に満ち溢れていた。
昼間の喧騒は鳴りを潜め、深海の奥底に沈んだかのような静寂が、街を包む。月の出ている間は、煩い蝉の声も聞こえてこないようだ。
半月が昇る空。薄らと見える、闇の中を漂う雲は時が経つに比例して、彼方へと去って行く。そんな面白味のまるで無い闇夜を、公園のベンチに腰を下ろしながら、俺はただぼんやりと、見上げていた。
その姿はさながら、リストラ後の中年男性のようで――いや、その表現は間違ってはいない。俺はつい先程に、バイト先をリストラされたのだから。
一年も馬車馬の如く、居酒屋で働き続けたと言うのに――客とのいざこざのせいで、呆気なく解雇。終わる時は、本当に呆気なく終わるのだと実感した瞬間だった。
それで俺は今現在、呆気なく解雇されたショックと、生活費の支給元が絶たれたショックの二つと戦っている。中卒の俺が、これからどうやって生きていこうか。また新しいバイト先でも探そうかと、星の無い空を見上げ思考に耽る。
ベンチのすぐ傍らにある防犯灯には、光に惹かれて様々な虫が寄り集まっていた。静寂の中、カナブンが防犯灯に体当たりする衝撃音と、ジジっと言う電子音だけが夏の闇夜に響き渡っている。
防犯灯の青白い光に照らされ、憂鬱な表情で空を見上げる俺はまるで、悲劇のヒロインさながらで――道行く人々は、そんな俺をどんな目で見ているのか少し気になり、視点を雲が漂う空から自分の前方へと変えてみた。
自分の目の前には人の影は疎か、滅多に風がやって来ないせいか空を舞い落ちる落ち葉すら見えない。そんな現状に何故か腹が立って、背中に汗で張り付いた洋服が、自分のイラつきをヒートアップさせていて――。やり場の無い怒りを、すぐ真隣に置いてある罪無きゴミ箱にぶつける。
ゴミ箱を蹴り飛ばすと、中身が投げ出されて数々の空き缶や、縛られたビニール袋がその身を現す。俺は何をやっているんだと、胸中で自戒するも、心を巣食うマグマのような怒りが消える事は無かった。
勢い良く立ち上がり、仕方無く家路に着こうとした瞬間――後ろから声を掛けられた。
「ダメじゃないの、物に八つ当たりしちゃあ」
妙に低いその声色に、小さく鼓動が跳ね上がる。後ろを恐る恐る振り向いてみると、ベンチの背から身体を乗り出した、黒縁メガネのスーツ姿の男がニタニタと、厭らしい笑みを浮かべ俺を眺めていた。
薄気味悪いその男を一目見て、心中を巣食っていた怒りは氷点下にまで落ち下がり、背筋に冷たいものが駆け上がる。まるで、氷水を頭の天辺から被ったかのような、悪寒や鳥肌が体中を占めた。口を閉ざす俺を見据え、リーマン風の男は新しい玩具を見つけた、と言わんばかりの表情を作ると、のろのろとした動きで散乱したゴミの袂へと近寄り、それらを指差し小馬鹿にするように、言った。
「そんな悪い子には、罰が必要だよな。お前――このゴミをゴミ箱に戻せ、
その言い草に、またも新しい怒りが心中を覆う。リーマンのネクタイを掴み上げ、あらん限りの怒りを込めた瞳で睨みつけると、男は一重瞼をぴくりと震わせた。
「調子乗ってんじゃねぇぞリーマンが。てめぇみたいな気持ちの悪い男は何処ぞの水商売のブスでも捕まえて、ハァハァ言いながら女の身体舐め回してろ」
俺より少し背丈の低い男は、厭らしい笑みを消すと顔を俯かせた。普段は荒い口調を使わない俺も、彼の態度と先程まで貯めていた怒りが合わさり、自然と数多の暴言が喉を通る。
辺りを静寂が占める中、リーマンはプルプルと身を震わせ始める。怯えているのだろうか、彼の顔を覗き込むと――ずぶりと鈍い音が、静かな夏の夜に響き渡った。
音と共に感じられたのは、異物が挿入するかのような不快感。恐る恐ると自分の腹に視線を移すと――月光に照らされ、美しい銀の光を反射させる
脳内に疑問が募る中、刃に貫かれた腹を中心に赤色の液体が滴り、土の地面に赤い染みを作り出す。ようやくに、『俺は刃物で刺された』と言う事を自覚すると、今度は内蔵を引きずり出されるような――そんな激しい鈍痛が身を襲った。
「な……お、まえ――」
正気なのか、と言葉を紡ごうとする俺の声を遮って、リーマンは自分の手の平から
「あああもうっっっ!! こ、これだから単細胞は困るんだよ。黙って俺の指示に従えば良いのに粋がっちゃってさぁ!! 所詮お前らなんて数で群れなきゃ何も出来ない蛆虫だろうがぁぁぁぁ」
絶叫と共に刃を抜くと、もう一度俺の身にその切っ先を埋める。ボタボタと、明らかに致死量の赤い血が俺の体から溢れ落ち、地面に更に更にと赤色の染みを作り出した。口から溢れる吐き血は男の顔を赤く汚し、正気を失ったその顔をより一層、不気味に仕立て上げた。
刃を抜き、男は俺を蹴り倒すとその上に跨る。そして手の平から生えた鋭利な刃物を俺の身に何度も何度も突き刺しては抜くを繰り返した。最早痛みなんてものは感じられず、俺の身には温もりを失ったかのような冷たさだけが残る。
チカチカと、脳への血流量低下が俺の視界を奪い、段々と目の前が黒色に変わっていった。余りにも酷い結末に、神を呪いながら俺は――ゆっくりと瞳を閉じる。
最後に見えたのは、狂気に満ちた男の顔では無く――男の喉元をナイフで突き刺した、