銀色の斧は、部屋の内部を照らす蛍光灯の光に当てられ、鋭い光を反射させた。
何処から取り出したのだろうと、疑問に思う最中、グレー色のスーツに身を包む男性は焦ったように、声を荒らげる。
「ま、待て葵!! 流石にそんな事したら、この子ウチに入ってくれなくなるだろッッ!?」
葵と呼ばれた――白のワンピースを身に包む――少女は、男の意味深な言葉を無視して、野球の打者がバットを振りかぶるように――斧を振り上げた。
何をする気だ、と思ったのも束の間。少女は腕に力を込め、斧を思いっきり横にスイングさせた。と、同時に。自分の視界がぐらりと揺れる。
視界は徐々に下へと下降していき、ごつんと言う鈍い音が部屋の中に響く。無機質な、コンクリート製の地面が自分の頬を冷やし、時々に降る水滴が辺りに赤色の染みを作った。
突然の状況に戸惑い、視線を上に上げてみる。視界に映った物は――頭部を失った、自分の身体だった。
噴水のように、頭部を失った首からは大量の血が溢れ出ており、天井を朱色に染め上げていく。先程までは白色だった壁も、やがて首から飛び散る血液によって紅く染められ、不気味な色へと変わる。
目の前の映像を、ぼんやりと眺めていた俺の視界は――ふと、気付けば黒色に変化していた。
★
辺りに色が付き始める。今まで水中に居たかのような息苦しさを覚え、酸素欲しさに口を大きく開け、浅い呼吸を繰り返した。
目の先には、苦い笑みを湛え、グレーのスーツを赤黒い色に変化させた男性と、相変わらず無表情を浮かべ、白色だったワンピースを紅く染める少女が、俺を見据えている。男性は、顔に飛び散った赤い液体を手で拭うと、苦々しげな口調で言った。
「なんて言うか――予想以上だったわ」
「言えますね。まさか、首から
少女の、まるでオブラートに包まないその言葉を聞き、俺は頭を下げ視界を下に映した。
視界には、最早元の色が分からない程赤い液体に濡れた、洋服と自分の身体が見える。先程の出来事は、瞳を開けたら終えていた。まるで、それこそ目覚めの悪い悪夢のように。
ただ、夢だと一蹴するには腑に落ちない点が幾つかあった。何故、目の前のコイツラは苦い笑みを湛えているのか。そして――自分や壁を紅く染め上げる液体は、何なのかと。
縄で縛られ、固定された身体を少しだけ捻り、後ろを振り返る。俺がその物体を目にした瞬間と、男が、見るな――と声を荒らげた時は、同じタイミングだった。
ああ、そうか。本当は、夢じゃないって事ぐらい、知っていた。
胸にぽっかりと空いた喪失感は、段々と俺の心を蝕んでいく。振り返った先には、自分の――
「はは、はははは――」
覇気の無い、乾いた笑い声が口から漏れる。コンクリート製の床に転がる俺の頭は、ただただじっと、生者である俺を恨めしそうに、虚ろな瞳で見据えていた。
俺の心中を覆い隠す感情は、何かが変わってしまった。何かを失ってしまったかのような喪失感だけ。自分の頭部が、床に置かれている事に対する、疑問も恐怖もまるで湧かない。
肩を揺らして、乾いた笑い声を口から零す俺を不気味に思ったのか、それとも哀れに思ったのか、男は言葉を発した。
「……大丈夫か、君。少しショッキングだとは思うけど、その内慣れ――」
身を屈め、俯かせた俺の顔を覗き込むように話す男の言葉は、そこで不意に止まった。
何故言葉をそこで区切ったのか、理由は分からない。と言うより、考えるのも面倒臭い。ふと、自分の顔を上げると、部屋の窓に自分の顔が映る。
――自分の今浮かべている表情は、喜怒哀楽の抜け落ちたかのような、沈んだ無表情だった。
少女の無表情に引きを取らない、機械のように冷たい表情。そんな自分の顔を目にしても、俺の胸中に浮かぶ感情は何も無かった。
静寂が訪れる。重苦しくて、生温い静けさ。空気は身体にへばり付くかのように、重い。
多大な喪失感を覚える中、俺は一先ず静寂を打ち破るかのように、長い溜息を零す。胸中を巣食う邪魔な感情を拭うように、色濃いその溜息は、重い空気と同化した。
「ええ、大丈夫ですよ。自分の切り離された頭を目にしただけですから」
皮肉をたっぷりと込め、男に言い放つ。男は不精ひげを手の平でなぞりながら、バツが悪そうな表情を浮かべた。
「すまないね。葵の言葉が本当かどうか、試してみたかったんだ。大分手荒な方法を取った事を、謝るよ」
そう言って、男性は頭を下げる。それに比例して、少女も浅く頭を下げた。俺の首を飛ばした張本人だと言うのに、反省の色は余り見えない。
そこで漸く、俺に多くの感情が戻ってきた。怒りや悲しみ、そして疑問や恐怖が。
今すぐに男の顔面を思いっきり殴り飛ばして、罵詈雑言を吐き捨てたい気持ちに駆られるが、生憎俺の身体は動かない。腕を縛られてさえいなければ、今すぐに男を殴り倒してやると言うのに。
燃え上がるような怒りを押さえつける。たが、自分の多大なる怒りが顔に出ていたのか、男は苦笑を口元に貼り付けていた。大きく息を吸って、吸った分だけ空気を吐き出すと、悩ましい疑問を解消するべく口を開く。
「葵の言葉が本当かどうかって、どういう意味ですか?」
「ああ、葵――俺の隣に立つ、ワンピースの女の子の名前が葵って言うんだけどね。コイツが電話を俺に寄越して、妙な事を言い出したんだよ。『死なない人間を見つけた』って」
恐らく、公園で少女――葵が電話を掛けていた相手は、この男だったのだろう。そして、男の言った『死なない人間』を指す人物も、多分俺の事だ。
公園であのリーマンに刺されても尚生き続け、たった今首を切られたと言うのに、目の前の男と会話を繰り広げている自分が、恐ろしくて仕方無い。なるべく後ろは振り向かないようにしながら、男の言葉に耳を傾ける事にした。
「それで、葵の言ってた『死なない人間』ってのに興味が湧いてな。連れてきて貰ったんだ」
「俺にとってはとんだ迷惑ですけどね。それで、俺が本当に死ぬか死なないか試すために、そこの葵って人は俺の首を切り取った、って訳ですか?」
「まぁ、そうなるな。それにしても、意外にも早い君の適応性と、自分の取れた頭を見ても発狂しない図太さには、関心したよ」
「罵っているんですか、それとも、褒めているんですか?」
男の言葉を軽い感じに返した俺だが、心中では俺は、男と全くの同意見だった。
何故、ついさっき自分の死体を目にしたと言うのに、俺は平気な顔で男と喋っているのだろう。まだ、何処かでこれは夢だと思っている、そんな俺が居るのかもしれない。
「それはそうと。君――何で、自分は何をされても死なないのか、その理由を知りたくはないかい?」
薄い笑みを湛え、おちゃらけた感じに言ってみせる男性。ただ、真剣さを帯びた二つの瞳が、俺を見つめていた。
俺がこうなった理由を、目の前の男は知っているのか。目を丸くさせる俺を、男は小さく頷いて返す。
「出来るなら、教えて貰いたいですけど……」
「そうだよな。いきなり死なない身体を手に入れても、困るだけだもんな!!」
何が嬉しいのか、テンションを突然に上げて、男は喋りだす。大きく頷く彼を見て、隣に立つ少女は少しばかり、ひいたかのように距離を取るが、それを気にしない感じに、男は嬉しそうな笑みを浮かべる。
一体、何が言いたいのだろうか。次の言葉を急かす、そんな雰囲気を曝け出す俺を見てか、男は咳払いを一つ。そして言葉を紡いだ。
「俺が君に、その理由を教えるには――一つだけ条件が有る!!」
「条件……ですか?」
嫌な予感を感じ取って、警戒しながら言葉を返す。俺の目の前に座る男性は、とびっきり良い笑顔を浮かべて、言った。
「そう。その条件は――俺の下で、働いて貰うことだ!!」
男の声は、蒸し暑い室内の中に響き渡った――。