何故、こんな事になってしまったのだろうと思う。
後ろを振り返ってみれば、今日一日に起きた出来事は余りにも常軌を逸している。
長年働いたバイト先をクビにされ、リーマン風の男に刺殺され、すると小さな女の子に拉致され、その少女に首を切られ。まさか一日で二回も死ぬ目に会うとは夢にも見ないだろう。
物語はいつも突然だと言うけれど。いくらなんでもこれは急すぎる。
事実は小説よりも奇なり。全く以てその通りだ。
未だ、自分は夢を見ているのだろうかと言った感覚に襲われる。ふわふわとした、現実味を持たない浮遊感。心ここにあらずと言った感じだ。
子供の頃、誰もが夢見た正義のヒーロー。自分はそれになれるのか。
そもそも、本当の正義なんて存在するのだろうか。
人間は群れると、多数決で物事を考える。
主人公が死んでしまう映画を百の人間が見たとして、その内四十九がバッドエンドと口にして。
残りの五十一がハッピーエンドと口にしたら、その映画の結末はハッピーエンドとして語られる事になる。
正義や悪と言った概念もそうだと思う。
過半数が『その者は正義だ』と口にすれば、その人物は正義として語られる事になってしまう。
絶対なる正義だとか、絶対悪なんて存在しない。自分達人間が議論して、考え出した結果、偽物の正義が作られるのだ。
国を救い出した英雄が正義?
国を滅ぼそうとした者が悪?
戦争に勝利した国が正義?
戦争に敗戦した国が悪?
正義なんて存在しない。悪なんて存在しない。
どっちもあやふやで、吹きかければ消し飛んでしまうような、小さい名誉だと思う。
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「働く事……?」
「うん。俺の下で働く事。けど安心してな、仕事なんて殆ど無いから暇な日めっちゃ多いし、給料もたんまり入るから。めちゃくちゃホワイト企業だから」
たった今、俺の首を跳ね飛ばしたくせに何言ってるんだ。誰が、お前の下で働くか。
俺のそんなやさぐれた心境を察したのか、男は和やか顔を浮かべる。何て言うか――……嫌な予感しかしない。
「別に、断っても良いんだぞ? だけど、お前が首を横に振った場合……政府の所に受け渡す事になるけど」
「はい?」
「ほら、お前って死なないじゃん? そんな御伽噺のような新種、政府や名のある科学者が欲しがらない訳ないじゃん?」
……この男、俺を脅していやがる。
瞬時に悟った。つまり、俺がNoと言ってしまったら、二度と日の出を拝めなくなると言う事。白色の一室で、延々と実験させられると言う事全部。
現在では、人体実験と言う言葉は否定的ニュアンスをもって語られているが――秘密裏に行う事は容易いだろう。
それに、俺には家族が居ない。そして友人も居ない。悲しき事ながら、俗に言うぼっち。俺が居なくなっても、悲しむ者や怪しむ者は殆ど存在しないのだ。
詰まるところ。俺にはyesしか存在しない。Noなんて言葉、有って無いものだ。
何処がホワイト企業だ。悪態を吐きたいのは山々だけれど、相手の機嫌を損なわせる事も出来ない。鬱憤のみがどんどん募っていく。
「それで、YesかNo、どっちだい? 私的にはYesの方を推奨するけどね」
「ええ。Yesでお願いします。と言うかそれしか選択肢に無いでしょう」
縄が解かれたら、絶対に一発殴ってやる。絶対にだ。勿論グーで。
「よぉし。いい判断だ。履歴書も何も要らない。所で、君今何歳?」
「十七ですけど……」
「分かった。じゃあバイトとして今日から宜しくな。クビにする気はさらさら無いから、安心して貰って構わない」
「不安しか無いですけど……まぁいいです。それで、俺はどうして死なないのか、その理由教えてくれるんですよね?」
少し萎れた声色でそう言うと、俺とは対照的に草臥れスーツ姿の男は楽しげな口調で答える。
なにが、そんなに楽しいのか。こちとら泣きたい気分だ。
「うん。理由だけどね……俺もあまり詳しい事は知らないんだ」
やはり、縄が解かれたら二発殴ろう。拳で顔面を殴った後、腹にサッカーボールキックをお見舞いしてやる。
男は自分の不精髭を指でなぞりながら、「俺が知っている事を最低限話すね」と相も変わらず和やか顔で言った。
「まず一つ目に。数年前起こった大地震はご存知かい?」
「ええ。五年前の夏に起こった最大震度七の大地震でしょう? 幸い辺鄙な廃村の下で起きた地震でしたから、負傷者は兎も角死亡者は余り出なかったと聞いていますけど」
「ああ。話が早くて助かるよ。尤も、その後誘発地震によって付近の市町区も少なからずのダメージを受けたけどね」
それがどうかしたのか。急かす俺を、まるでからかうように、男はゆったりとした口調で言った。
「その地震によって、森深くの廃村の中心に大穴が空いたのは、知っているかい?」
「あ……前に掲示板で聞いたことあるかも。ぽっかりと空いたその穴は魔界と繋がっていて、地へと這い出た魔族は、人間に大きな『代償』と引き換えに、多大なる『力』を与えるだとか。まぁ、所詮都市伝説ですけどね」
良くある自然災害を元ネタとした、不謹慎な都市伝説だ。
そんな物は信じないし、信じる必要も無い。その掲示板に目を通したのだって、単なる暇つぶしのつもりだった。
けれど、鼻で笑う俺に対しスーツの男は、和やか顔から一転。険しい表情を作る。
思いなしか、傍らに立つ、俺の血に塗れた少女の表情すらも硬くなった気がする。
「どうしたんですか?」
「いやな。案外その都市伝説、本当の事だったりするんだよ」
「はぁ? もしかして、信じてるんですか?」
大の大人がそんな都市伝説を信じているなんて、妙な話だ。
まだ現実味を帯びたものなら分かるが、そんな「宇宙人が作り出したミステリーサークルがどうこう……」みたいな非現実的な都市伝説を信じるなんて。余程の馬鹿か、夢想家のどちらかだと思う。
「ああ。信じているよ。実際、葵は大切な物と引き換えに、不思議な力を貰ったんだから。それに、君だって死なない身体を持っているじゃないか」
「それは……」
真剣な男の目つきを見て、思わず尻つぼみする。
言っても分からないか……。と男は、少女を指差すとその後に、部屋に置いてあるロッカーを指さした。
少女は無感動に、ロボットのようにロッカーの目の前まで歩み寄ると――そのスチールロッカーを片手で掴み上げた。
「……はえ?」
「凄いだろ。あいつはな、大切な物と引き換えに、強力な腕力と瞬発力、脚力から動体視力までを貰ったんだよ」
華奢な、人形のような少女は持ち上げたスチールロッカーをゆっくりと地面に降ろす。先程までに小柄に見えたその少女は、今は未来からやって来たアメリカの最新兵器に見えた。
思えば。こんな小さな少女が片手斧で俺の首と頭を真っ二つにした所で、本当に人間かを疑うべきだったんだ。
本来、女性が男の首を容易く二つに別ける事なんて出来ない。男の身ですら、斧で首を一発で別ける事なんて出来やしないのだから。
「これで、信じてくれたか?」
じっと俺を見据える。ぎらぎらと輝くその瞳から、俺は目を逸らした。
男は溜息を一つ。そして、それに混じえて一言。
「君も、過去に大切な物を失ったんじゃないか?」
「……はい。子供の頃に両親を。数年前に妹を失くしました」
「時期的に見て、君の妹と引き換えに、君はその身体を手に入れたんだろうな。可哀想に」
重い静寂がこの場を占める。少女も、何か大切な物を失ったんだろうか。俺よりも年下に見える、小さな女の子までもが。
こんな雰囲気は俺に似合わない。とでも言いたげに、男は明るい口調で静寂を打ち破る。けれど、その声色は何処か虚ろだった。
「まぁ、それはそうと。君が一度目に殺された男……。あいつも、妙な力を持っていただろ?」
「ああ。そういえば、手の平から刃物出してた気がします」
過去の記憶を辿り、そう答える。今思い出しても、ムカムカする奴だったなと思う。
「そうか。あの男はな、貰った力を悪用して、過去に二人程人を殺しているんだよ。そして、俺らの仕事は……そう言った可笑しな力を持つ人間を、排除するお仕事なんだ」
「は、はぁ。そうですか」
「うん。そうなの。そして、君が名誉ある四人目の社員。誇って良いんだぞ」
「いや、ちょっと待ってください。排除って……その、殺すとか、そういう意味だったりします?」
「えっとね……まぁ、そう言う意味。けど安心してな。排除するのは俺の隣に立つ、葵だから」
それはそれで、問題が有る気がする。
何故この男は、こんなに小さな女の子に殺しをさせているのか。そう思うと、心の奥底から炎のような怒りが身を焦がした。
そんな俺の思いを露知らず。男は呑気に、まずは自己紹介だな、と口にする。
「二度目になるけど、俺の隣に立つのが葵って言うんだ。フルネームは『
「その十六歳に、殺しを強要してるんですか。最低ですね」
遂に抑えきれなくなった怒りが、無意識に口に出た。
男は俺の言葉を聞いた後、ポカンと呆け、苦し紛れに笑う。
「まぁ、強要とまではいかないが……そうなるな。最低だってのは自覚しているが、如何せん、何の力も持たない俺じゃあ、奴らには勝てないし」
「言い訳ですか」
「まぁ、言い訳だな。だけど、そうやって彼女の為に怒りを露わにしてくれるのは、俺としても嬉しいよ。葵も例によって、大切な物を失ったからと言うもの……感情の起伏が乏しくてな。君がそれを治してくれると、有難いんだけど」
目の前の男に対する嫌悪感が増し、彼から目を背ける。出来ることなら、視野にも入れたくない。
「ははは。嫌われちゃったみたいだな。まぁ、それも仕方無い、か。俺の名前は
「気が向きましたらね」
嫌悪を露にする俺を、男は乾いた笑みで見つめる。すると、事務机の二段目の棚からカッターナイフを取り出し、俺を縛る縄をその刃で切り捨てた。
先程までは殴ろうと意気込んでいたが、その気も失せ、縄が解かれるなり手首を回しながら、踵を返す。
「それじゃあ、明日から宜しくな。帰るのが面倒だったら、この事務室出て左側の方に仮眠室が有るから、そこで休んでいてくれ」
男の言葉には答えずに、俺はやさぐれた気分で部屋を出た。