宇宙海賊キャプテン茉莉香 -銀河帝国編- 作:gonzakato
さらに、グリューエルは、自分の政敵からも国王就任を望まれていたという衝撃の事実を知り、自分が、王国の人々からどれだけ期待されていたか、改めて自覚します。
やがて、グリューエルは、自分の運命と向き合う覚悟を固めていきます。
1 銀河帝国 王立図書館
グリューエルは、女王に連れられて帝都郊外のある施設にやってきた。
リムジン車で大きな門を入ると広大な緑の庭園が広がり、その奥まで進むと小さな宮殿のような建物があった。
この建物は、最初、離宮として建造された。そこは、政治や行政にまったくヤル気を無くした王が、王宮を抜け出して、遊び暮らす場所だった。緑の庭園では、かつては、プール、各種球戯場、コンサートホール、景色を楽しむ庭と秘密の四阿(あずまや)・・・王のお気に入りの遊び場が作られ、王が死ぬとまた元の緑に戻されるということを繰り返していた。
現在、ここは、帝都で唯一の王立図書館である。「図書館」と言っても、一般国民には銀河聖王家の歴代の王の遺品、美術品の保存施設、つまり「宝物庫」として知られていた。
王立図書館に収められた歴代の王の遺品などの「宝物」は、時々、『銀河聖王家三千年の秘宝展』などという仰々しい名称で一般公開され、話題を集めている。しかし、この「王立図書館」は、単なる宝物庫とは違う秘密の役割を持っていた。
その役割とは、銀河聖王家にとってあるいは諸人類にとって極めて重要な情報を、限られた人に伝えるために密かに保存することだった。
秘密を守るため、この施設はすべてのネットワークから遮断されていた。また、この施設は「勅封」であった。すなわち王の許可が無いと出入りできなかった。そして、その管理人、すなわち図書館長は、歴代、銀河聖王家の王族が務めていた。
グリューエルと女王は、建物の地下に降り、長い廊下を進んでいった。
ここまで、二人は延べ何百人もの警備兵が見守る中、多くのセキュリティゲートを通った。
「グリューエル、あなたが見たいものはこの先だよ。」
「はい。陛下。
それにしても、ずいぶん厳重な警備とセキュリティですね。」
「ははは。『宝物』の警備だから厳重に行う必要があるとされているからね。
でも、これから先の区画は、私の許可なくしては入れない本物の機密エリアだよ。
いいね、グリューエル。信頼しているよ。」
「はい。」
グリューエルは顔を上気させて、返事をした。
廊下の先の荘重なドアの前で、一人の老人が二人を待っていた。
「やあ、フランク。わざわざ出迎えに出てきてくれて、すまないねえ。」
「いえいえ、陛下の行幸とあれば、当然でございます。」
「ありがとう。今日は、この人を連れてきたよ。
グリューエル・ホワイトローズだ。」
女王は、グリューエルを銀河聖王家の王族として紹介した。
「初めまして、殿下。フランク・イエローローズです。この図書館の館長を務めております。」
彼は、自分も王族であること示す家名を付して名乗った。
「初めまして、殿下。グリューエルとお呼びください。」
そして二人は最後のドアを通って機密エリアに入り、貴賓室に通された。
「それでは、陛下。
慣例に従って、グリューエル様のセキュリティ区分をご指示ください。」
「ああ。・・・グリューエルの区分は、六等級だ。」
グリューエルは、「六等級」と言う数字を聞いて、一瞬、怪訝そうな表情を浮かべた。
「一」ではなく、「六」という高い数字が与えられたことは、情報開示のレベルが低い可 能性があると思ったからだ。
「承知しました。」フランク館長が言った。
「・・・心配はいらないよ。あなたの区分は最上級さ。
ここでは、『秘密を開示できるレベル』それ自体が秘密なんだよ。
だから、秘密を開示できるレベルの内容自体と、それをあらわす数字とは無関係になっている。」
グリューエルの心配に気が付いた女王は、そう言って微笑んだ。
「陛下が、そこまでご信頼されておられる方なのですね。」
フランク館長も微笑んだ。
その後、グリューエルは、女王と別れ、王族用の閲覧室に一人で通された。
「では、グリューエル様、どのような情報をお望みでしょうか。」
「あのう・・・殿下。
殿下が、私のような若輩者に『様』という呼び方をなさるのは、どうも・・・。」
「グリューエル様、ご自分の地位をご承知おきください。
ここでは情報開示のレベルがすべての尺度です。
そして、あなたさまと同じ高いレベルの情報開示を女王陛下からご指示されているのは、王族の中でもごく少数の方だけですよ。普通の王族はもっと低いレベルです。
このレベルでは、銀河聖王家の系譜や血縁関係の『真実』もすべてご覧になれますからね。
それがどれほど高い地位か、お考えください。」
「はい・・・。」
グリューエルはそう言って顔を伏せた。
「それでは、閲覧を始めましょうか。
グリューエル様、どのような情報をお望みでしょうか。」
「はい。では、まずセレニティ王国の『薔薇の泉』の真実からお願いします。」
「よろしいのですね。ご自身のことも書かれていると思われますが・・・。」
フランク館長は、そう言って微笑みながら、グリューエルの表情を探った。
彼自身も、薔薇の泉に関する機密情報に深く通じているようだった。
「はい。覚悟はできております。
私は今般、銀河聖王家の一員に加えて頂きました。
それであるがゆえに、自分のルーツを見極めておきたいと思いまして・・・・。」
「承知しました。では、本を持って参りましょう。」
「ええ!? 『本』というものがあるのですか?」
「はい。」
グリューエルが驚いたのも無理は無かった。
それは、この時代では、古代から続いた「本」という形の記録媒体は、すでに物理的には存在しなかったからだ。すべての「本」は電子化され、ネットワークを通じて、「情報」として提供されていた。
だから、古代世界でいう公共の「図書館」の機能を営む施設は存在しなかった。いや、図書館どころか、本屋という店舗もすでに存在しなかった。ネットワークの世界では、図書館も本屋も同一の機能を営むものとしてはるか昔に融合し、固有の施設を持つ必要性すら消滅してしまった。本は、ネットワーク上に、情報のカタマリとして存在すればよいからだ。
やがて、館長が美しい貴金属で装飾を施された、豪華な革表紙の「本」を持ってきた。
それは、古代史の写真などで見る、紙のようなもので作られた『本』であった。
「これが、薔薇の泉の歴史と真実を書いた本でございます。
最新の情勢まで、書き足されております。」
「ええ! 最近と申しますと、私の行ったことも書かれているのですか・・・。」
「はい。」
フランク館長は、表情を変えず、肯いた。
「では、ごゆっくりとご覧ください。
それから、別の本をお読みになりたいのでしたら、そちらの館内電話でお呼びください」
そう言って、館長は部屋を出て行った。
グリューエルは、机に向かって「本」を読み始めた。
その表紙には、『セレニティ王国史 別巻 薔薇の泉の系譜 』と書かれていた。
2 薔薇の泉の始まり
「ええ!? 『薔薇の泉』の始まりは、このような不幸が原因なのですか。
私達は、異なった歴史の解釈を教えられていたのですね。恥ずかしいことです。」
読み始めてすぐに、グリューエルはつぶやいた。
そして、大粒の涙を流し始めた。
薔薇の泉の始まりは、一人の女性の身に起こった悲しい出来事であった。
それは、セレニティ王国が、諸人類の宋主星のひとつ、クリプトン星の一地域を領地とする小さな国家に過ぎなかった時代に遡る。
当時、王国は緑濃い山岳地帯に囲まれた、辺境の地にあった。また、気候風土は温和であるが、豊かな穀倉地もなく、恵まれた鉱山資源もなかった。従って、大国同士の領土争いの対象となることもない、小さな王国だった。
このため、多くの王制が倒れ民主共和制に移行した政治的激動の時代にあっても、国民は昔ながらの質素、清貧な生活を営み、王国は千年以上も平和を保ち、存続できた。
今日のセレニティ星系のセレニティ王家が、クリプトン星のセレニティ王国の分家として、銀河聖王家に次ぐ長い歴史を誇っているのは、このような経緯からである。
もちろん、王国存続の理由はそれだけではない。歴代の王は、民生の安定こそが自らの最大の責務と考えて、時代の変化に適切に対応しながら、国を治めてきた。このような真摯な王の姿に国民が不満を抱くはずは無かった。
特に、王国中興の祖とされるアレキサンダー13世は、その賢人ぶりが、国内だけでなく諸外国にも高く評価され、小国ながらも尊敬を集める国として王国の存在感を高めることに寄与した。
その妃エリザベスも、美しく聡明な女性として国内外に人気が高かった。
王と王妃、二人は国民の模範となる理想のカップルとされた。
しかし、この二人には一つだけ大きな問題があった。それは、跡継ぎとなる子供に恵まれなかったことである。
家臣や国民は、二人の子供が後を継ぐことを願い、長い間、その誕生を待ち続けた。
しかし、医師がエリザベス王妃の身体では子供を授かることが困難と診断したため、風向きが変わった。家臣たちは、せめて英明なアレキサンダー13世の子孫だけでも残そうと、王に側室を持つことを勧めはじめた。もちろん、王妃を愛する王はこれを拒否、事態は暗礁に乗り上げていた。
ところが、事態を憂慮した王妃が、王国存続のために身を引くので離婚してほしいと王に願い出て、王の返事も聞かずに王城を一人で退去し、山奥の修道院で出家してしまった。
このよう悲壮な決意をした自らの心境について、王妃は一言も述べなかったと記録されている。
王妃の出家を機に事態が動き出す。自分の死後に王族間の王位継承争いが勃発することを懸念した王はついに決断し、三人の側室を迎えた。王妃との離婚手続きは行われなかった。いきなり三人もの側室を迎えたのは、権力の分散を図ろうという王宮の思惑と、王との縁談を希望する諸外国の名家の思惑の一致するところだったといわれている。
これを機会にセレニティ王国は大きく変貌していった。
側室はいずれも過去にセレニティ王族の娘が嫁いだこともある大国の富裕な名家の娘であった。そして、側室たちは、王国における自らの勢力拡張のため、実家の支援を受けてセレニティ王国の振興に乗り出した。セレニティ振興公社をそれぞれが設立し、その傘下で実家の様々な家業を営み、国民を雇用した。とりわけ、仲介貿易、保険・金融、情報産業など、国土の狭さや人口の少なさがハンデとならない産業分野が大きく発展した。
そして、たちまち、辺境の清く貧しかったセレニティ王国は経済大国にのし上がった。国民も王国の経済的繁栄を喜んで受け入れ、アレキサンダー13世の名声はますます高まった。
もちろん、側室の実家の当主たちは、無償の善意で、娘のために大金を投資したわけではなかった。それは、当時のセレニティ王国が、『タックス・ヘブン』(税金の無い天国)とか、『タックス・キングダム』(税金の無い王国)というあだ名で呼ばれるようになったことからも明らかである。
そして、セレニティ王国はもう一つの危機を迎える。
側室間の王位継承争いが次第に深刻になったのである。
側室は、それぞれに王子を授かった。これを受けて、アレキサンダー13世は、世継ぎ争いを防ぐため、王位は三人の王子が順に継ぐことを定めた。しかし、三人の王子はほぼ同じ年齢であり、長男の死を待つ次男三男の在位は極めて短いものと考えられた。このため、家臣や国民の間に各側室を支持する派閥がしだいに形成され、順送りの王位継承に不満を唱え始めたからだ。
このように王の外戚が王国を事実上支配する趨勢に対して、王族もこれに抵抗するどころか、婚姻関係を張り巡らされ外戚の一族に取り込まれてしまった。
このような王国の将来を憂慮した保守派の家臣たちは、近年の王国の経済的繁栄は「儚(はかな)い夢」、「砂上の楼閣」に過ぎず、王国の永続の為に国を元の清貧な姿に戻そうと考え始めた。
もちろんこのような意見の人々は繁栄を謳歌する王国の中では極めて少数派であった。保守派の人々は、自分たちの意見を王国の国民に説いて回ったが、それがまったく支持されないことを思い知らされ、絶望した。
その結果、保守派の人々は、狂気とも言える信念のもとに、ひとつのプロジェクトを始めようと決意した。その信念はつぎのようなものだった。
『アレキサンダー13世とエリザベス王妃の御子が王位を継げば、王国は蘇る。』
もちろん、そのプロジェクトとは、最新の科学技術、つまり人工子宮を活用して、アレキサンダー13世とエリザベス王妃の子供を生み出そうというものだった。もちろん、それは自然の摂理に反するという理由で、かって王妃から拒否されたものだった。
しかし、彼等は、そのような手段に儚い希望を託すしかなかった。
保守派の家臣たちは、修道院に隠遁するエリザベス王妃を訪ね、プロジェクトを始める許しを乞うた。
それに対して、病床に横たわる王妃はこう言ったという。
「もう私には、王のお役にたてることはないと思っておりました。
しかし、まだ私に出来ることがあるとおっしゃるならば、この身体と命、捧げましょう。」
こうして、辺境の修道院で狂気のプロジェクトが進められていった。
そのプロジェクトは、薔薇の泉と名付けられた。
3 阿呆船
しかし、この保守派の動きは、すぐに三派の側室支持派に知られた。
側室支持派は事態を憂慮し、「共通の敵」に連携して対策を練った。
もっとも簡単な手段は、関係者の暗殺である。しかし、これは結局、出来なかった。エリザベス王妃の人気が国民に根強く残っているだけでなく、三派のいずれがこの悪役を担うか、譲り合って決まらなかった。悪役はいずれ粛清されるからである。
では、他にどのような対策があるのか、三派の幹部は協議を重ねたが、良いアイデアは出なかった。
あるとき、協議に参加していた者が、アイデアが出ず困り果てた挙句、こんなジョークを呟(つぶや)いたという。
「あ~あ~、いっそうのこと、彼らがみんな宇宙移民に行くと言って、旅立ってくれれば 良いのだがなぁ。
そうすれば、ジャマ者はいなくなり、王国はスッキリするんだがなあ~。」
「あ、それだ! 」
その結果、三派は協力して一つの巨大プロジェクト、宇宙移民事業を始めることにした。
宇宙移民は、当時からブームが始まっていた。
そのブームを利用して、三派は、国土の小さいセレニティ王国にとっては、このプロジェクトは新領土獲得の好機であり、大いに有望な投資であると宣伝し、莫大な資金を要する計画を推進した。
しかし、その真の目的は、宇宙移民と称して、狂信的な保守派の人々とその狂気が生んだ人工子宮装置をセレニティ王国から厄介払いするためだった。自らの望む王国を平和的に建国できる唯一の方法と説き伏せて・・・・。
そして、王国の威信をかけた巨大な宇宙船が建造され、「クイーン・セレンディピティ」と名付けられた。
しかし、側室支持派の重臣たちは、密かにこの船をこう呼んでいた。
『阿呆船』
それは、古代の物語に描かれた恐ろしい船のことだった。それは、狂人あるいは反社会的とされた人々を排除するため、船に乗せて彼らが望む「王国」を目指して大海原を航海させるという物語だった。
やがて、宇宙船は、華々しい見送りのなかで旅立った。
しかし、宇宙船の出発から、百年を経ずして、クリプトン星のセレニティ王家は滅びた。
クイーン・セレンディピティが宇宙航海に出発すると、「共通の敵」を排除した側室三派は、また世継ぎ争いを始めたからだ。
アレキサンダー13世の死後に長男が即位したが、ますます争いは激しくなっていった。
その後も王位継承の争いと混乱は続いた。
そして、ついに隣国の軍隊が王国に攻め入った。彼らはこう叫んで攻め入ったと言う。
「タックス・ヘブンをつぶせ!」
「税金泥棒を捕まえろ!」
もちろん、三人の側室の血を引く王族は、実家のある大国に逃亡し、大勢の国民がそれに付き従ったという。
もはや命を懸けて王国の独立を守る人々はいなかった。
そこまで「本」を読むと、グリューエルは流れる涙で文字が読めなくなった。
「現在のセレニティ王国の礎(いしずえ)を築き、その誇りとなった宇宙移民が、このよ うな悪意に満ちたものであるとは・・・・。
これでは、宇宙海賊の処刑と何も変わりません。・・・。」
もちろん宇宙海賊の処刑方法は、今日でも、おとぎ話と同じやり方だった。
それは、目隠しをした罪人に宇宙服を着せて、船外に張り出した細い板の上を宇宙空間に向かって歩かせるというものだった。もちろん、罪人は、人工重力の有効範囲の外まで歩いて身体が板の上から浮き上がると、または、目隠しで歩いたため板から足を踏み外すと、そのまま宇宙空間を漂う。運良く、他の船に救助されるまで・・・・・。
「私たちは、『クイーン・セレンディピティ』の名は、『偶然であっても幸運をつかみ取 るという聖なる権能をもつ女神』を意味し、セレニティ星系の奇跡の七つ星を発見した 喜びと誇りをあらわす言葉だと教えられてきました。
私たちは、歴史の真実を全く知らされていなかったのですね・・・。」
グリューエルは、また涙を流した。
4 サルバトーレ計画
グリューエルは長い間、目を閉じて祈った。
そして、決意を新たにして、また「本」を読み始めた。
彼女は、「本」の後半部分、セレニティ星のセレニティ王国における薔薇の泉について書かれた部分を読み始めた。それには自分にもかかわりのある歴史の真実が書かれているはずだった。
苦難の宇宙航海は、自然環境と資源に恵まれた可住惑星を七つ持つ星系の発見で終わった。
クイーン・セレンディピティは、その名の通り、偶然にも幸運をつかみ取ったのである。
宇宙船生まれの初代の王は、アレキサンダーと名のった。もちろんその名は、遺伝子上の父親の名を継いだものだった。ただし、宇宙移民後のセレニティ王家は、みずから新王朝と称し、それまでの王朝とは時代を画した。
アレキサンダー王は、その星系を王家の名前を取って、セレニティ星系と名付けた。そして、開拓は孤立した状況のなか、失敗はできないという悲壮な決意のもとで始められた。
初期のコロニー開拓は目覚ましい成功をおさめた。それを基礎に多くの都市がつくられ、農業そして工業の発展、人口の増加、それを導いた王家の名声と内政の安定・・。
今日の視点で見ても、それは、諸人類の宇宙移民の中でもっとも輝かしい成功物語のひとつとなった。
その過程で、不安におびえる国民を励まし、助け合うことを訴え、自らも贅沢を嫌い質素倹約に努めた、アレキサンダー王とその子孫である王家の名声は不朽のものとなった。
他方、開拓当時の技術水準では母星との通信も途絶していたので、セレニティ星系の人々は、自分たちだけの孤立した世界の中で何百年も暮らしていた。
やがて、超光速通信、超光速跳躍などの現代技術の開発で、銀河系宇宙に「大航海時代」が到来した。銀河系内の往来が始まると、セレニティ星系の人々は、ついに故郷クリプトン星のセレニティ王家の滅亡を知ることとなった。
このニュースが、セレニティ星系の人々に大きなショックを与えたことは言うまでもない。なかでも王家を支える保守派の人々は驚愕し、怯え、そして自らの信念をさらに強めた。
それは次のような信念である。
『アレキサンダー王の子孫が王位を継いでいけば、王国は永遠に繁栄する。』
その手段としての薔薇の泉は、ますます重要視された。
セレニティ星系への移民の成功体験が、薔薇の泉を永続させる力となった。
たが、二百年前の、銀河帝国の大艦隊の襲来と降伏の体験がまた新たな事態を招いた。
セレニティ王国は、銀河帝国内の自治国家として服属することになった。銀河帝国は自治国家の内政に干渉しなかったため、国民生活には大きな影響はなく、王制は安定していた。
しかし、銀河帝国への服属は、王制護持を信念とする保守派には脅威であった。銀河帝国から王位継承に干渉があれば、王国は滅びる恐れがあると思われたからだ。保守派にとって、銀河聖王家から新しい王を迎えることは、セレニティ王家の「滅亡」と同じであった。
王国の独立に対する危機感が、薔薇の泉にまた新しい役割を与えた。
「サルバトーレ計画」
これが、薔薇の泉の新しい目的である。
これは、軍事力で王国の独立を確保するものではなく、王の仁徳、名声で王国の独立を確保しようとする計画だった。これは、外戚の専横から王国を救うという、薔薇の泉が作られた動機と似ていた。
そのために、薔薇の泉を使って優れた王を生み出そうというのが、「サルバトーレ計画」だった。
「サルバトーレ」とは、古代語で「救い主」を意味する。
この言葉は古代語では、古代宗教の教祖、あるいはその教えに示された救世主を意味する言葉として使われている。保守派は、この言葉を銀河帝国の支配から王国を救う王の誕生を意味する言葉として使ったのだ。
そのために、サルバトーレ計画が作られた。しかも、その内容は、薔薇の泉によって、アレキサンダー王の血統を守ることにとどまらなかった。さらに最新の生命科学の力により、王家の血統を改良することにまで踏み込んだ。遺伝子検査により、新しい卵子を提供する「遺伝子上の配偶者」すなわち「薔薇の泉の花嫁」選びを厳しく行うとともに、遺伝子改良によって、より優れた王としての資質を持った御子を生み出そうとした。
こうして、セレニティ王国は、薔薇の泉のもとで禁断の秘儀を行っていった。
そして、いつの日か、王家に「サルバトーレ・ムンディ」(世界の救い主)、つまり銀河帝国から王国を救う「救世主」を降臨させようとした。
「なんという所業でしょうか。
過ちというものは、一点の曇りもない善意、誰もが信じる正義からも、生まれるのですね。」
グリューエルは、もはや泣いてはいなかった。
心は緊張を増し、体は冷えきっていたが、彼女は目をそらすことなく本を読み続けた。
「本」には、サルバトーレ計画には、二つの問題があったと記されている。
ひとつは、その人が「サルバトーレ・ムンディ」であることは誰の目にも明白に分かるものと考えられていたことであり、もう一つは、「サルバトーレ・ムンディ」がどのようにして最終目的である「セレニティ王家の独立」を回復するかというシナリオは予め考えられていなかったことである。
これらは、やがて、深刻な問題を引き起こした。
それは王位継承をめぐる王族間の緊張である。王位の継承原理に、出生による「世襲」だけではなく、救世主への「禅譲」という、いわば実力主義が導入されたからである。
しかし、表面上、王位継承争いは起きなかった。クリプトン星のセレニティ王家滅亡の教訓が、王族に自制を促していた。
他方、外戚に対して、王族は厳しい警戒を怠らなかった。警戒の対象は王妃とその一族はもちろんのこと、薔薇の泉に卵子を提供した女性、つまり「薔薇の泉の花嫁」及びその一族にも及んだ。これが、悲劇を生んだ。
実際のところ、王族の人々にとって、「サルバトーレ・ムンディ(救世主)」の降臨は、恐怖であった。その人を「鏡」として「凡庸な自分」という醜い姿を見せつけられるからである。
その母たる女性が「聖母」として王宮に君臨することも恐怖だった。
そして、恐怖に駆られた王族たちは、まだ見ぬ「救世主」に対してではなく、目の前の「薔薇の泉の花嫁」に対して、過酷な仕打ちを行った。外戚の専横を予防するという大義名分の下で、幽閉、事故死、毒殺、・・・。
「本」には、王族の人々が行った陰惨な所業が、一人一人の「薔薇の泉の花嫁」について、こと細かに書かれていた。
グリューエルは、それを読みながら、思った。
「私たちが、薔薇の泉のコアとなる受精卵がどこから来たのか教えられていなかった理由は、これだったのですね。
だから、王族の方々は、薔薇の泉の花嫁のことを知らないふりをされていたのですね。
私も、『聞いてはいけない怖い話』だということは、漠然とわかっていましたが。それにしても、真実を教えられていない私は、まだ子供扱いだったことが良くわかりました・・・・」
グリューエルは、気持ちを引き締めて、本を読み続けた。
やがて自分たちの世代が登場するからだ。
そこで、グリューエルは驚愕の真実を知ることになる。
5 グリューエル登場
「本」にはこう書かれていた。
ひとりの女の子が、薔薇の泉から生まれた。きっと美しく育つと思わせる、整った顔立ちの赤ん坊だった。もちろん、美貌だけならば、王族の子供たちには当たり前のことだった。
その子は言葉を覚えるのが早かった。それだけでなく、周りの大人の言うことを理解している様子だった。もちろん、賢いだけなら、王族の子供たちには当たり前のことだった。
「本」には、その子について、こういうエピソードが書かれていた。
その子は、姉の第三王女フローラ姫が家庭教師から外国語(銀河標準語)を習っているのをそばで聞いていたが、突然、こう言った。
「お姉さま。私、わかりました。
犯人は、執事のビルトではなく、メイドのエマソンですね。」
家庭教師は、母国語のクリプトン語ではなく、銀河標準語で書かれた推理小説を読み上げ、フローラ姫がその話を一度聞いただけでどこまで理解するか、試していたところだった。フローラ姫も語学が得意だったのだ。
驚いた家庭教師は、こう言った。
「グリューエル様は、今のお話がお分かりになるのですか。」
「はい。いつも、お姉さまの側で、聞いておりましたから・・・。
こういうお話でしたよね。」
少女は、嬉しそうに、家庭教師がたった今まで読み上げていた銀河標準語の小説を、その書きだし部分から流暢な銀河標準語で復唱してみせた。
「・・・・」
家庭教師は、驚愕した。セレニティの王族は優秀な子供ばかりだが、この子はその中でも飛びぬけているのではないかと。
その時、姉のフローラ姫がやさしく言った。
「グリューエル。私の勉強に口をはさむのは、いけないことですよ。
二度としてはいけません。」
「はい。ごめんなさい。
ですが、私、犯人が分かったのでとても嬉しくなって、どうしてもお姉さまにお話ししたくなりました・・・。
ごめんなさい。」
彼女は涙ぐんであやまった。
「グリューエル。
そのことですけれど、推理小説を読んでいる途中の方に、犯人やトリックの謎解きを教えるのは、マナー違反ですよ。
推理小説というものは、読者が犯人は誰か推理しながら読んで楽しむものです。
それだけでなく、真犯人が自分への追及を逃れようと仕掛けたトリックを推理しながら、探偵がそれをどうやって見破っていくか、二転三転する筋書きを読んで楽しむものですからね。」
フローラ姫は、優しくグリューエルに諭(さと)していた。
「はい。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。」
それ以後、彼女は二度とこんな無作法な真似はしなかった。
グリューエル姫が6歳の時のエピソードである。
そして、この出来事をフローラ姫から聞いたセレニティ大公は、グリューエル姫に本格的な英才教育を始めるよう命じた。
「この話は、いまでも覚えています。
・・・・
それにしても、セレニティ王家の中のこんな小さな出来事までが、銀河帝国に知られているとは、どういう訳でしょうね・・・・。」
グリューエルはため息をついた。
だが、それは物語のほんの序章だった。
グリューエル姫に対する英才教育は、目覚ましい成果を上げた。
姫は、母国語のクリプトン語の読み書きだけではなく、銀河標準語など主要な現代言語をたちまちマスターし、古代言語まで学び始めた。もちろん、歴史、文学、数学、物理学、化学など主要な学問を軽々とマスターしていった。
スポーツに関しては凡庸というより苦手だった。しかし、そんな才能は姫に期待されていなかったので、スポーツは健康維持の程度にとどめられた。
もちろん、公務や社交の場において王族の姫としてふさわしい振る舞いができるように、マナーなどの儀礼や社交術、王家の歴史や系図、王族の慣例、ダンスなど最高級の淑女としての教養も教えられた。
たちまち姫の立ち振る舞いは洗練された。そして、これに喜んだ王妃や宮廷の女官たちの勧めもあって、彼女は十歳から兄や姉に付き従って公務に同行するようになった。
このころからグリューエル姫は国民の注目を集め始めた。そして、姫のずば抜けた英才ぶりを知った人々は、姫のことを、王宮の所在地の別名をとってこう呼び始めた。
「モンブランの神童」
そして、姫が成長するにつれて、姫の名前は、広く王国の国民の間に知られていった。
もちろん、話はそれで終わらない。姫の存在は、つとに王族や重臣たちの政治的関心を集めていた。それも極秘事項の関心を集めていた。
それはこんな関心だった。
「この姫こそ、待望の『サルバトーレ・ムンディ』ではないのか?」
「いやいや、『サルバトーレ・ムンディ』は男の子のハズだ。」
「では、『サルバトーレ・ムンディ』を生む女性、つまり聖母になられるのか?」
「なにを言うのか。姫を『薔薇の泉の花嫁』になど出来るはずはない。」
「そもそも、女の子だから『サルバトーレ・ムンディ』ではないと決まっていたのか?
私は聞いたことがないぞ・・・。」
「といっても、姫はまだ幼い。どういう風にお育ちになるか、見守らないと・・・」
「そうだなぁ。庶民には、幼少のころは神童と騒がれても、『二十歳過ぎたら、ただの人』という話もあると聞くぞ。」
重臣たちの議論は尽きなかった。そもそも、『サルバトーレ・ムンディ』に該当するか否かを決める明確な基準がないため、結論は出るはずもなかった。
本は、このような王族の身辺情報や重臣たちの思いは、銀河帝国からセレニティに派遣された名誉大使からの情報であると記されていた。
銀河帝国は、王制を敷く星間国家には、二人の大使を派遣する。
一人は通常の外交官だが、もう一人は王族が派遣される。こちらを名誉大使と言う。名誉大使は外交の実務にはかかわらず、その星の王族と交友を深めるのが仕事とされる。
本には、このころから、王制の動向に関するオフィシャル・レポートだけでなく、グリューエル姫に関する「ストーク・レポート」が名誉大使から帝国に送られるようになったとだけ記されている。
しかし、グリューエルが本の索引を探しても、「ストーク・レポート」に関する記述は、他に見当たらなかった。
「『ストーク・レポート』ですか。
初めて聞く名前ですねえ。
いったい何のために、何を知らせているのでしょうか。
フランク様にお聞きしてみましょう。」
グリューエルは、いかにも旧式の内線電話を取って、フランク図書館長に話した。
「フランク様、すこしお伺いしたいことがございます。」
「では、すぐにそちらへ参ります。」
グリューエルは、部屋に現れたフランク館長に尋ねた。
「本に、私に関する『ストーク・レポート』が送られるようになったと書かれているので すが、これはどのようなものなのでしょうか。よろしければ、お教え下さい。」
「はい。お話ししましょう。もう申し上げてもかまわないでしょうから。
ストークは、storkです。ホワイト・ストークと言えば、お分かりになるでしょうか。」
「ええ!? コウノトリのことですか? それでは・・・。」
グリューエルは、顔を赤くした。
「お気づきになられましたね。
コウノトリは、子宝のシンボル。
つまり、ストーク・レポートは、銀河聖王家の王族の結婚相手にふさわしいと思われる子供たちの動静を、ローズガーデンクラブの会長にご報告するものです。」
ローズガーデンクラブは、銀河聖王家の女性たちの親睦会である。もちろん、その会長も単なる名誉職である。しかし、長年の慣例では、会長は、王族の縁談はじめ王族の人事全般にわたり女王を補佐するものとされている。このため、銀河帝国の王族の序列においては、ローズガーデンクラブの会長は女王(又は王)に次ぐナンバー・ツーと言われている。
「では、皆さんは、私のことを小さな頃からご存じだったのですか・・・。」
グリューエルは、恥ずかしさで、顔を伏せ耳まで赤くなってしまった。
6 セレニティの「政治改革」
「いよいよ、これからですわ。
この本には、私が十三歳の時からの出来事について、どのようなことが書かれているのでしょうか。
当時、子供の私には知らされていなかった真実が書かれているのでしょうか。」
グリューエルは気を引き締めて、本を読み続けた。
グリューエルが十三歳になった時、彼女の運命は急展開し始めた。
この時、国民の間に、政治改革、王制改革を求める運動が巻き起こったからである。
そのころになると、セレニティ王族の間には、長年の経済的繁栄と王家の絶対的な威信の下で、安逸で自堕落な生活態度に溺れる者、自尊心ばかり高く高慢又は自信過剰と陰口を言われる者など、無条件に尊敬できない残念な人物が現れ始めたからである。もちろんそれは、官僚組織の怠惰と腐敗、そして外戚の勢力拡大と同時進行していた。
これに反発して政治改革を求める人々が立ち上がった。
改革派の中には、王制廃止などの「過激思想」を唱える者もいたため、王族は全体として改革派に距離を取っていた。
もちろん、セレニティ王国政府は、長年、言論・表現の自由など国民の権利を尊重してきた伝統があり、改革派を弾圧せず、問題の行方を国民の議論に委ねていた。
そこで、改革派の人々は、王族の心ある人々にも、改革の必要性を訴えようとした。
「本」には、政争の動きのほか、グリューエルに関するエピソードも書かれていた。
その日も、王宮において、改革派のリーダーであるバルデン伯爵家の次男、ジョセフ・バルデン氏が、アブラハム皇太子に、自らの王制改革の思想を説いていた。もちろん、改革派にもかかわらず皇太子に直接会えるのは、彼がセレニティの名門貴族の出身者だからである。特にバルデン家は大公妃の御実家であり、ジョセフ・バルデン氏は大公妃の甥にあたる。
これに対して、皇太子は、自身が改革派に好意的という疑念を持たれないよう、個室で彼と会ったりはしなかった。大勢の人が出入りし、その意味で二人を容易に監視できる状況にある王宮の喫茶室という場所を選んで、彼から話を聞いていた。
「私は、共和主義者ではありません。
アレキサンダー王が定めた王国の憲法を、今の時代に合わせて変えることを求めているだけです。
もはや宇宙移民の時代ではありません。そして、セレニティ王国は、辺境宇宙の開拓王国から、銀河系有数の富裕な経済大国へと発展しました。
この時代の変化に合わせた改革が必要です。
まず、議会を開設して、王国の予算や税を議会の議決を経るものとします。
諸人類の歴史を見れば、王制でもそのようにうまくやっている例はあります。
セレニティ王国のように、国民を大切にする王国にはふさわしい制度でしょう。
・・・・ 」
ジョセフ・バルデン氏は、自身の改革構想を説明した。
皇太子は、彼の話を丁寧に聞いていた。しかし、その表情からは、賛成か反対かいずれの意志も読み取れなかった。
「ダメだな。彼は、改革に踏み出す勇気が無い。
このままでは・・・・。」
ジョセフ・バルデン氏がそう思ったとき、ふと隣のテーブルで一人の少女が携帯端末で電子ブックを読んでいるのが目に留まった。
彼には、少女は電子ブックを読むふりをして、二人の話を聞いていたように思われた。
「・・・ん。あちらのお嬢様はどなたですか?」
「ああ、あの子は、私の娘、グリューエルです。」
皇太子が答えた。
「なるほど、あの方がグリューエル様ですか。聡明そうなお嬢様ですね。」
「いやあ、まだまだ子供です。」
「お父君の目から見ればそうかもしれませんが、姫の評判は聞いております。
そうだ。
もし殿下のお許しが得られれば、私の著作を献上してもよろしいでしょうか。
もちろん、献上するのは、王室アカデミー賞を頂きました『セレニティ王朝の栄光』でございます。昨今の政治問題とは関係がありませんので、どうかお許しを。」
「その本なら、私も拝見しました。
申し出をお受けしましょう。ありがとうございます。」
ジョセフ・バルデン氏は、皇太子の許しを得るとグリューエル姫に声をかけ、彼女の携帯端末に自著を送信した。もちろん彼の狙いは、グリューエル姫に改革思想を説くことだった。
ジョセフ・バルデン氏の本職は、王立大学の歴史学の教授であった。
そして、彼の主著である「セレニティ王朝の栄光」とは、セレニティ王朝の中で名君とされている大公五人の言動を分析し、「君主たるものかくあるべし」と論じた歴史学と政治学の研究本であった。復古主義的な論法で貫かれたその内容から、王室では広く読まれ、また保守派からも名著と評価されている本である。
しかし、その本は、現在の彼が改革派のリーダーとされていることだけでなく、やや実践的な政治の在り方にも踏み込んだ研究書であるため、未成年のグリューエル姫にはまだ早いと遠ざけられていたものだった。
グリューエルは、「本」から目を放して、当時のことを思い出して行った。
「あの御本を頂いたことは忘れません。
この出来事が全ての始まりかもしれませんね。
あの御本は、皆さんがおっしゃるような復古主義のバイブルではありません。私にはわかりました。
あれは、憂国の書、警世の書です。
なぜなら、著者ご自身が、諸人類の歴史にある『古代哲学者の悲劇』と同じ立場に立っておられたのですもの。
古代の哲学者たちが、伝説の賢帝を理想の政治の在り方を示すものと説く時は、きまって、彼の生きている時代の政治のあり方に強い不満や絶望感を抱き、かつ彼自身も権力者から迫害されていたのですから。
そして、あの方も、今の政治の在り方に不満を抱き、かつご自身も、『薔薇の泉』がなければ、『薔薇の泉』が王家の心を支配していなければ、バルデン家の当主になられたはずでしたから・・・。
もっとも、それをいうなら、あの方の代わりにバルデン家の御長男となり、御当主となった、ピーター・バルデン様も、『薔薇の泉』がなければ、皇太子になられたはずの方でしたね。
悲しいことに、みんな、みんな、『薔薇の泉』に運命を狂わされてしまったのです。
薔薇の泉の存在は、王家の人々だけに留まらず、多くの人々を苦しめていたのです。
だから、私は、あのころから、薔薇の泉は無くすべきだと思い始めました。」
当時のバルデン家の当主ピーター・バルデンは、実は、セレニティ大公とマリーナ妃の間に生まれた実子であった。しかし、当時の王家は『薔薇の泉』の生まれでない彼を王族として認めなかった。そのため、マリーナ妃の実家、バルデン家がその子を当主の子として引き取った。
その結果、その子ピーターが長男としてバルデン家を継ぎ、当主の実子ジョセフは次男となった。その後長男のバルデン伯爵はグリューエルを誘拐した罪に問われ自害している(第三十章から三十二章参照)。
グリューエルは目を閉じて亡くなった人のために祈り、再び目を開くと本を読み始めた。
「本」には、そのころから、グリューエル姫も、単独の公務として、会合やパーティに出席する役目を担う機会が増えてきたと書かれていた。
特に、学問に秀でた彼女は、王立アカデミー傘下の各分野の学会に呼ばれることが多かった。彼女は、多くの学会に出席し、来賓スピーチを行い、その学会の会員である学者たちと懇談した。彼女は、出席したどの分野の学会においてもその先端分野についての深い造詣を披露して「モンブランの神童」の実力を披露し、称賛を集めていた。
もちろん、王族の彼女が、改革派の人々と政治について公然と語り合うことは出来なかった。王族は国民の間の政治的論争からは、距離を置くものとされていたからである。
また、公務の場でグリューエル姫と懇談する場合は、改革派の人々といえども、王制を公然と批判する発言をすることはなかった。そのような「不規則発言」をする無作法な人々はそもそも王族との懇談の場に出席できるはずも無かったからだ。従って改革派の人々といえども、彼女の前では、復古主義的な論法で改革を暗示するのが限界であった。
これに対して、グリューエル姫は、セレニティ王朝の栄光の歴史を引き継ぐため微力を尽くしたいと、復古主義的な論法でみずからの考えをさりげなく語るようになった。だが、その表情からは改革への賛意が読み取れた。
このような彼女の言動は、改革派に「王族の中にも改革に理解のある人がいる」という期待を抱かせるに十分であった。
こうして、彼女は少しずつ改革派の思想に触れて行った。
それを受けて、改革派の中には、彼女を運動のシンボルとして改革を進めようと言う機運が生まれてきた。
もちろんこれに対しては保守派の中からも懸念する声が上がった。
「もう、グリューエル姫を人前に出すな。過激思想に染まってしまうぞ。」
当時、保守派の人々、特にその中心であり将来の宰相候補と目されていたバルデン家の当主、ピーター・バルデン伯爵がこう言って、グリューエル姫を表舞台から遠ざけるように重臣たちに迫ったと「本」には書かれている。
「急にグリューエル姫を国民から遠ざけるわけにはいかんだろう。国民に人気ある姫だからなあ。
国民からの、姫に対する『お出まし』の要請は、王族の中でも飛びぬけて多いからな。」
「かっては、姫こそが『サルバトーレ・ムンディ』だと期待した者がいたが、とんだ間違いだったなあ。」
「とにかく、姫の行動は常時監視することが必要だ。」
総じて、保守派は、グリューエルに批判的になった。彼女のことを『サルバトーレ・ムンディ』と期待した人々も失望した。もっとも、そのような混乱は、『サルバトーレ・ムンディ』がどのような人を意味し、そして、どのように『王国の独立』を回復していくのか何のプランも示されていなかったことにも原因があるのだが。
こうしてグリューエルは、本人が関わらないところで政治抗争の駒になり、紛争に巻き込まれていった。
7 ゴンザエモン・カトー船長との出会い
「本」には、彼女の運命を変える出会いのエピソードも詳しく書かれていた。
グリューエルは、在セレニティ王国銀河帝国大使館で開かれた銀河帝国の女王陛下の誕生日を祝うパーティに出席した。
パーティの主催者は、銀河帝国の名誉大使であった。名誉大使の名は、ピヨトル・ホワイトローズ。彼は、その名の通り、銀河聖王家の王族、それも銀河聖王家の四家(青薔薇家、白薔薇家、赤薔薇家、黄薔薇家)のうちの白薔薇家の当主であった。銀河聖王家の当主クラスの大物が在セレニティ王国名誉大使として派遣されるのは前例がなく、当時のセレニティ王室はその意図を図りかねて緊張していたという。
そのパーティの席で、彼女は銀河帝国の名誉大使に挨拶をした。
「本」には、パーティでの名誉大使とグリューエルとの会話も記録されていた。
「初めまして、殿下。グリューエル・セレニティでございます。
本日は、私のような若輩者をこのような席にお招きいただきまして、光栄に存じます。」
グリューエルが名誉大使に礼を言った。
「いえいえ、こちらこそ、お出で頂いて、光栄です。」
「それにしても、大使殿下、本当に素晴らしいパーティでございますね。」
「いやいや、女王陛下からは、私の誕生日を祝うなんて不愉快なことをやっているのはセレニティ大使館だけだと、いつもお小言(おこごと)を頂いております。
大公陛下のお誕生日パーティに呼ばれている以上、返礼の意味も込めて陛下のお誕生日パーティをするのが、外交儀礼だとお話しているのですがね・・・。」
「そうなのですか・・・。」
外交問題にもなりそうな一見深刻な内幕話に、グリューエルは困惑した表情で答えた。
「というのも、
『私のような年齢の、イイオトナの女が歳をとったことを祝われ、それを喜ぶと思うのか。
女王は歳だから早く死ねと、言われているようなものではないか。』
と、陛下はいつもおっしゃるんですよ。
『どうしても誕生祝をやりたいなら、毎年、私は18歳だと言って祝え。』とも、おっしゃっています。
ハハハ・・・・・。
そういうご自分中心のところは、ワガママと言うか、陛下が銀河聖王家史上最強のオテンバ王女だった頃と変わっておられませんな・・ハハハ。」
名誉大使は、軽く笑い飛ばした。
出席者には今の話はジョークのように思われた。もちろん銀河帝国の女王をジョークのネタにできるのは、彼が白薔薇家の当主という銀河聖王家の王族の中でも大物だからであると、出席者は思った。
「ウフフフ・・・・」
グリューエルも笑った。
グリューエルは、「本」から目をあげて考えた。
「この話は、後日、本当の話だと知って驚きました。
でも、今なら、この時、大使殿下が、私にだけ女王陛下のお話をなさった理由がわかります。
少しでも、銀河聖王家に親しみを持ってもらいたいとお考えだったのですね。」
辺境の自治国家の国民、その王族にとって、銀河帝国は遠い存在であり、その頂点に立つ銀河聖王家はさらに遠くかつ恐ろしい存在だったからだ。
「ところで、殿下、先日の歴史学会でのスピーチは、本当に素晴らしいものでした。
宇宙移民時代の王制復古の本質を良く理解され、分かり易くお話になりましたね。」
名誉大使は、グリューエルのスピーチを誉めた。
「殿下のお誉めにあずかって、恐縮です。」
彼女は礼を言って頭を下げたが、顔をあげると、大使の背後に、警護役らしからぬ男性が控えていることに気が付いた。
彼女は、思わず怪訝そうな表情を浮かべてしまった。
「おお、お気づきになられましたか。ご紹介します。
この男は、ゴンザエモン・カトーと申します。今日は私の警護役として同行しておりますが、本職は船乗り。実に面白い男です。
これを機会にお知り合いになると、なにかと姫のお役にたつこともあると存じます。」
名誉大使は、さりげない笑顔で彼を紹介し、その男は姫に頭を下げた。
グリューエルは、二言三言、その男と言葉を交わした。
グリューエルは「本」を読みながら、思った。
「あの時、私は、ゴンザエモン船長が身にまとう特別な雰囲気に驚きました。この方は軍人なのでしょうか、それとも、情報機関のエージェントなのでしょうかと・・・。
私はその時まで、宇宙海賊というものを知りませんでしたから・・・。
もちろん、大使殿下の真意は、密かに手助けが必要ならば、あの方に頼むようにと私に おっしゃりたかったのですよね。」
グリューエル姫は、大使の言葉や身振りからそう感じたのだった。
姫は、小さな頃から、面会した人の言葉や身振りなどから、その人の真意を言い当ててきた。物心ついてからは、失礼にならないように口には出さなかったが・・・・。
そして、姫の見立ての通り、大使がゴンザエモンを紹介したのは、改革派に理解を示す姫の身を案じてのことであった。
「そうだ。これは今日の出席者へのお土産ですが、今ここで、姫にそれを献上いたしましょう。銀河聖王家の歴史に関する書物です。
この書物のなかで、是非、姫に見て頂きたいところを、私からご説明しますぞ。」
大使は、突然そう言ってゴンザエモン・カトーに目で指示をした。彼は手元の一冊の電子ブックをグリューエルの前で広げた。
「これが、私の家、白薔薇家の子供たちです。
こちらから、長男のニコライ、次男のアレクサンドル、長女のソフィア・・・。
この中では、アレクサンドルが学問に秀でております。姫とお話が合うかもしれませんねえ・・・。」
電子ブックは、凛々しい少年少女たちの立体映像を次々と映しだした。
「残念ながら、青薔薇家の女王陛下にはお子さまがおられませんので、姫と近い年頃の方をご紹介できませんが・・・。
それでは、どうか、この本をお納めください。」
名誉大使がそう言うと、ゴンザエモン・カトーが電子ブックを差し出した。
グリューエルは自分自身の手でそれを受け取った。
なお、この時、女王には、二人の娘(クリスティアとチアキ)がいることは秘密にされていた。
「この時のことも良く覚えています。
カトー船長は、電子ブックを手渡す際に、私の手の中に何か小さなものを押し付けて渡そうとなさいました。
私は、回りの方々に気付かれないようにそれを頂きました。なにか、とても大切なものだと感じましたから。
それが、弁天丸船長のIDリングだったのです。それは、やがて、私と茉莉香さんをつなぐ輪になったのですわ。
それにしても、この時に私はアレックス様をご紹介されていたのですね。
でも、私は、その時、あの方のことをまったく気にも留めませんでした。
やっぱり、私は、まだまだ子供だったのですねえ。ウフフフ・・・・。」
「本」を読みながら、グリューエルは微笑んだ。
グリューエルが受け取ったものは、安物のオモチャのような髑髏マークの付いた指輪だった。
後日、彼女は、それを手渡された電子ブックに近づけると、ゴンザエモン・カトーからのメッセージが表示されることを知った。そして、彼女は、宇宙海賊の存在とその指輪の使い方を知った。
結局、グリューエル姫がゴンザエモン・カトーから指輪を受け取ったことは誰も気が付かなかった。
というのも、姫のまわりに居た人々は、その直前に、銀河帝国名誉大使が自ら家族の写真を姫に披露しながらアレックス王子の名前を挙げたことに、大いに驚いたからである。
彼等の注意はそちらに注がれていた。
もちろん、その電子ブックはグリューエルの為だけの特製品であった。他の人々のお土産の電子ブックには、その家族写真は入っていなかったからだ。
王宮の関係者は、パーティ終了後、大使の行動について、ささやき合ったという。
「大使のあのような行動は、初めて見ましたわ。」
「これは、姫の縁談について前ぶれなのではないでしょうか。」
「直接、王子の姿を姫ご自身に見せて反応をうかがったのでしょうか。」
「いやいや。これで、白薔薇家の当主を勤めるような大物が、銀河帝国の名誉大使として我国へ赴任してきた理由が分かったよ。
大使ご自身が、姫に直接、会うためだろう。」
8 グリューエルの決意
その後、セレニティ王国内の政治的対立は、さらに激しさを増した。
とりわけ、セレニティ貴族の名門、バルデン家においては、長男の当主ピーター・バルデン公爵が保守派、次男のジョセフ・バルデン帝国大学教授が改革派に分かれ、兄弟で激しい政治闘争を繰り広げたことが人々を驚かせた。
彼らは、セレニティ王朝を支える人々に多数派工作を行い、国論は分裂した。
これに対して、王族は論争からは一歩引いて、議論を国民に委ねる姿勢を保っていた。王室は、グリューエルに対しても公務で外出する機会を減らし、改革派の人々の前に姿を現さないようにさせていた。
「さすがに、『本』には、このころの私の内心までは書いていませんね。
この頃、私は、このまま、王族が何も発言しないまま、何のリーダーシップも発揮しないまま、事態の推移を見守っていても良いのかと、焦りが募っていました。
それでは、国民は、王制はもはや必要でないと思い始めます。
そうなれば、もはや王制は終わりを迎えます。
それは、歴史が教えるところです。
そうなったら、それも我が国の運命でしょう。
でも、私は、傍観していることは出来ないと思い始めました。
しかし、当時の私は籠(かご)の鳥。王宮に閉じ込められていると感じていました。
それで、私は、なんとしてでも改革への支援を求める人々の声に応えなければと、独りで思い詰めていったのですよね。」
グリューエルは当時の自分の思いを振り返った。
「そして、突然、私は、長期の外国出張を命じられたのです。
これは、私をセレニティ王国から遠ざける企み(たくらみ)だと思いました。そのために、警備を名目に軍艦まで同行させて、私が逃げ出さないように監視しました。
このままでは、私は故郷から遠ざけられてしまうと絶望しました。
ところが、その出張のために乗った客船で、ある夜、アトラクションに宇宙海賊ショーがあると知らされました。そして、その海賊船が弁天丸だと知って、私は決意したのです。
行動するなら、今しかないと。
私は、私を監視する警備役を油断させるため、パーティドレスを着たまま弁天丸に密航し、そこで茉莉香さんに出会ったのです。」
グリューエルは当時を懐かしく思い出した。
「本」には、その後の出来事も詳しく書かれていた。
グリューエル姫は、船長のIDリングを使って、弁天丸に密航したこと。
そこで、加藤ゴンザエモンの娘である新しい船長、加藤茉莉香に出会ったこと。
その後、姫は海明星に「留学」したこと。
それは保守派にとっても好都合だったこと。
しかし、姫の真意が、宇宙海賊船を使ってクイーン・セレンディピティにある「薔薇の泉」を破壊することだと知った保守派は、妹のグリュンヒルデ姫を押し立ててそれを阻もうとしたこと。
そして、二人の対決を、弁天丸船長加藤茉莉香が仲介し、クイーン・セレンディピティをセレニティ星系に帰還させたこと。
帰還に際して、グリューエル姫がクイーン・セレンディピティ艦上から演説し、祖先の国づくりに掛けた思いを受け継ぎ、政争の停止と王制の改革を訴えたこと。
そして、王制改革が本格的に始まった。その時から、彼女は籠の鳥ではなかった。自ら、先頭に立って政敵と論争し、改革を訴えた。
やがて、改革を終えた彼女は、ヒルデと共に茉莉香のいる海明星に再び留学したこと・・・。
(原作「ミニスカ宇宙海賊・黄金の幽霊船編」及びアニメ版「モーレツ宇宙海賊」参照。)
「海明星では、本当に楽しい日々を過ごしましたわ。
なにより、茉莉香さんといると大冒険の連続で、退屈しているヒマがありませんでしたもの。
それに、銀河聖王家のクリスティア様、チアキ様そして、アレックス様との出会いもありましたわ。
今の私があるのは、あの楽しい日々のお蔭ですわ。
それにしても、よく調べてありますねえ。」
グリューエルはそう言って、当時を懐かしんだ。
「でも、あの、私を誘拐した事件の真相は、知っておくべきでしょうね。
大公様は、なぜ相矛盾した二つの陰謀を行わせたのか・・・・。」
(第三十章「グリューエルの危機」参照。)
グリューエルは、表情を引き締めて、また本を読みだした。
「本」には、グリューエル誘拐事件前のセレニティ王国の政治情勢が書かれていた。
改革の熱が冷め、勢いを取り戻した保守派のなかでは、グリューエル姫の今後について深刻な意見の対立が生まれていたという。
「姫が『サルバトーレ・ムンディ』だと思ったが、期待はずれだった。
幸い、銀河聖王家が姫に関心を持っているのだから、姫の縁組をさっさと決めてしまおう。姫が結婚のために王国を出てしまえば、それで一件落着だ。」
こういう意見がミッテッラン宰相を始めとする保守派の大勢だった。
しかし、保守派のもうひとりの中心人物、バルデン伯爵は違った。
「私は、姫には『サルバトーレ・ムンディ』となられる資質があると思う。
姫と私とは、王国の進むべき道について意見が違うが、それは問題ではない。
なぜなら、皆さんもご存じのように、姫は人と会って話を聞いただけでその人の真意を見抜く目をお持ちだ。これは、かのアレキサンダー王がそうであったと伝えられるように、『王たる者』が備えるべき資質だ。
そして、私は、姫が『サルバトーレ・ムンディ』となられる為に何よりも大切なことは、姫がずっとセレニティ王国に留まって、国民のために働いて下さるかどうかだと思う。そして、王たる資質を発揮した姫の血を引く王族が将来もセレニティ王国を治めていくことだと思う。
この点から見ると、貴方たちの言うように、姫を銀河聖王家へ嫁がせてしまうと、姫の血筋はセレニティ王国から永久に失われてしまうのではないか。
これは、私にとっては認めがたいことだ。」
保守派の人々は、バルデン伯爵がグリューエル姫を高く評価していることに驚いた。
なぜなら、彼は、政治改革騒動の時に保守派の代表として姫と激しく争い、自身も姫から直接に厳しく非難された経緯があるからだ。
そして、彼は、他の保守派が誰も考えなかったプランを言い出して、保守派の人々をさらに驚かしたという。
「姫の血筋を王国に残すために、『薔薇の泉』を復活させようと思う。
これは、ある意味で保険だ。
姫がご自分の将来を自由にお決めになることが出来るようにするためだ。」
「どういう意味ですか?」
「私は、たとえ姫がご自分の意志で銀河聖王家に嫁ぐことを決められたとしても、せめて姫の血筋だけは王家の中に残さねばならないと考える。
そのための仕掛けが薔薇の泉だ。これがあれば、何が起こっても、確実に、姫の子孫がセレニティ王宮を継いでいくことになる。」
「なるほど、確かに。」
「もちろん、薔薇の泉は最悪の事態に備えた保険であって、本来、行うべきことは別にある。
やはり、私は姫には次の国王になって頂こうと思う。
私は、王国のためにはこれが最善の道だと思っている。
次期国王ともなれば、姫もセレニティを離れることは出来ないだろう。
そうなれば、この私も命懸けで姫にお仕えしよう。」
このプランに保守派の人々は反発したという。
「伯爵。いきなり何をおっしゃるのですか?」
「そうです。姫は、改革派の女神ですぞ。」
それに対して、伯爵はこう反論したという。
「何を言うか。
『サルバトーレ・ムンディ』が、我々と同じ思想の持ち主だと決まっていたのか?
これまで、私もみなさんと同じように考えてきたが、今はその考えに疑問を持っている。
現に、姫のお蔭で、セレニティ王制は安定を取り戻し、過激な共和主義者は面目を失ったではないか。
私は、これまでの出来事を振り返って、こう思うのだ。
姫がこのようなお力を示された以上、姫をお守りすることが我々の使命ではないかとな。」
「でも、王室には、跡継ぎとして皇太子殿下がすでにいらっしゃるじゃないですか?」
「それについては、心配していない。薔薇の泉から生まれた御子達ならば、自分の成すべき事はわかるはずだ。
我々が、姫を『サルバトーレ・ムンディ』として崇め、ひざまずくようになれば、陛下も皇太子殿下も譲位せざるを得ないだろう。
それが、セレニティ王宮の不文律だ。」
このようなバルデン伯爵の発言に、保守派の長老たちは困惑した。
「本」には、伯爵が突然に方針転換したことに困惑し、保守派の人々の間では、このような言葉も交わされたと書かれている。
「いったい、なぜ、伯爵は、心変わりしたのか?
なぜ、最大の政敵だったはずのグリューエル姫を支援すると言いだしたのか?」
「まさか、ご自分がグリューエル姫のパートナーになるつもりじゃないだろうな。」
「そんな、冗談でもそれは言うべきではないぞ。
伯爵は46歳、姫は16歳だぞ。親子ほども年齢が離れているじゃないか。」
「でも、伯爵は、いまだに独身だからなあ。」
「それはそうだが・・・。」
「なんですって!?
伯爵さまは、私を国王にしようというお考えだったのですか!?
それに薔薇の泉の復活が、私の行動が原因だったなんて・・・。」
ここまで「本」を読んできたグリューエルは、思わず声を上げた。
伯爵の方針転換とその内容は、グリューエルも知らなかった。
「では、私の誘拐事件については、どのような真実が書かれているのでしょうか」
「本」には、バルデン伯爵とミッテラン宰相との意見対立について、セレニティ大公は両者の進言を認めたと書かれていた。その理由は、相矛盾する企てを同時に進めて勝ち馬に乗ることは、大公としての政治的な信念であったからという。
ただし、大公は、両者に対して自分の気持ちとして
『グリューエルがセレニティを去ってしまう結果になるのは、とてもつらいことだ』
と言ったと、「本」には記されている。
「それで、あの時、お父様(皇太子)は、私に、
『いつ、どこにいても、故郷セレニティのことを忘れないで欲しい』
と、おっしゃったのですね。」
グリューエルは、目を閉じて、故郷を思い浮かべていた。
王宮庭園の咲き誇る花々、
清らかな小川の流れ、
波の音と潮のかおりに包まれた夏の離宮の夕べ
澄み切った青空と白い雪を抱く山々、
そして、親しい人々の笑顔
「何もかも、なつかしいですわ。」