――
「そういえば
亜門はドーナッツマイスターで購入したチョコクランキーを片手に、篠原に聞いた。
「"
その名前を聞いて、篠原はクスリと笑う。
「把瑠原? 懐かしい名前を言うねぇ亜門」
シナモンパウンドをかじりながら、篠原は亜門に問う。
「気になるか?」
「ええ、もちろん。正直、私が主席になれたのは、卒業する前年にアイツがドイツの
「謙遜するねー、お前は」
篠原のにっこりとした顔と対照的に、亜門の顔はピクリとも動かない。
「いえ、事実でしょう。しかし、最近名前を聞かないと思って。どうしたのかと」
亜門はクランキーを頬張りながら、そう言った。
口の中のシナモンパウンドの甘みを噛み締め、飲み込む。篠原が答えるのに、数秒ほど時間がかかった。
「23区外――町田支部局だ」
亜門は手を止めて、篠原に問い直す。
「……ご冗談でしょう? アレは有馬さん以来の逸材と言われた"女"ですよ。23区内ならまだしも、なぜあの
篠原はこめかみを指で掻きながら、困ったような顔をした。いつも什造に見せるあの顔だ。
「なんていうか……"ちょっとした問題"起こしちゃって。元々は丸手の部下だったんだが、アイツとぶつかっちゃったんだよ。まぁ、お前も知ってるだろ? 把瑠原の性格は」
篠原はごまかすように笑う。
「ちょっとした問題って。ただでさえの喰種が組織化して動き始めているというのに、戦力をそんなところに割く必要はないでしょう。何か"強い喰種"がいるならまだしも」
亜門がその言葉を発した瞬間、篠原が首を横に振った。
「いや、一匹いるんだよ」
「一匹?」
「ああ、町田にいるんだ、一匹すっごく面倒くさい喰種がね」
篠原はそう言うと、テーブルの上のおもちゃに目をやる。什造が置いていったブリキのロボットだ。手足をもがれ、パーツがバラバラになっている。
「――SSレート喰種、"カラクリ"」
篠原は含みありげに言うと、また箱に入ったドーナツに手を伸ばす。
「篠原さん、それは什造のです」
「あら、そうだったな」
――同時刻。東京都町田市。
路地裏に現れる、一人の少女。
捕食をしていた
「……お前、
喰種がのそりのそりと立ち上がり、身構えた。
アタッシュケースが開く。煙が漏れる。瞬間、中から噴射するように出現する、赤く細い棒状の物体。
「お時間いただけますか、大崎ケンジさん? あなたの身柄を拘束したいのですが」
少女の言葉を聞いて、男はニヤリと笑う。背中から服を食い破りニ本の"尾"が現れた。
正確には尾ではなく『
「そのほっせーオモチャでできるならやってみな!?」
男の言葉を皮切りに、少女は地面を蹴った。
戦闘が開始する。
正面から突進するように迫った少女は、横薙ぎにクインケを振るう。半歩後ろに下がり、男は避ける。
「――甘いっ!」
少女が吠えるように言葉を放つ。 刹那、クインケが伸びる。
射程圏内に男の脇腹。身体に叩き込まれるクインケ。
「ぐっ!」
弾き飛ばされる。
男はうめき声をあげ、壁に叩きつけられた。間髪入れずに少女が追い打ちの正面突きをするが、赫子に弾かれる。少女はバックステップで距離をとる。
「……
西遊記の孫悟空が扱う武器の名前を口にしながら、少女のいる方向を見つめる。なぜか口端が歪んだ。そして挑発するように手招きする。
「来いよ!」
少女ははじめ、なぜ男が強気の発言をしたのか分からなかった。自らは一撃を喰らい、壁を背に追い詰められている。そんな状況で発せられる言葉ではない。
だが、背後から聞こえた足音を聞いて理解した。今のは自分にかけられた言葉ではない。
振り向きざまに一撃を放つ。避けられた。少女の腹を抉る鋭い赫子。また鱗赫か。
クインケを伸ばして応戦するが、避けられる。更に先ほどまで戦っていた喰種が反対方向から迫る。
挟まれた。
甲赫タイプのクインケしか所持していない少女は舌打ちする。
クインケの両端を伸ばし、振り回す。円を描くように回転させられたクインケが四方から迫る赫子を全て弾く。さらに片側を伸ばす。
「うううううぅぅぅぅらぁあっ!!」
棒高跳びの要領で、喰種の頭を飛び越える。着地。走る。
「逃げんのかっ! オラァ!」
背後から投げられる喰種の声。だが逃げるわけではない。
角を曲がる。ドラム缶型のゴミ箱を見つけた。隠れる。携帯から緊急信号を発信。
「こちら、
携帯から「あいよおおおおおおお!」と元気な声がした。その声が携帯を通じてでなく、上方から迫ってくる。見上げると、
「……おおおおおおおお――そこだな!
「おそいです晴音!」
「ごめんっ!」
晴音はクインケ:ハーマイオニー 壱型からクインケ性の雨を噴射し、反発を使って着地する。
「乗って!」
雨音は晴音のうしろにまたがった。
羽赫特有の噴射攻撃を生かし、クインケが
「いっくぞおおおおおお!」
二人の少女を載せたクインケが疾駆する。角を曲がり、雨音を追ってきた喰種と衝突。弾き飛ばされた二体の喰種が、勢い良く転がる。
「これで……2対2です」
雨音は晴音のクインケから降りる。晴音も同じく降りる。箒型のクインケを槍のように構える。
ゆっくりと立ち上がる二体の喰種。しかし、表情には余裕が見える。
「……てめーらが噂の
「あなたたちを倒すのに、姉の力など必要ありません」
雨音はしれっとして答えるが、喰種たちは笑った。
「俺たちだけならな! でも運が悪かったなぁお前ら? ここら一帯は「カラクリ」に所属する連中がうようよいる。俺たちだけじゃねぇんだよ! しかも今日は"
その時だった。
空から何かが降ってきた。
それはロマンチックなものでもファンタジーなものでも、美しいものでもない。
どちらかといえば血生臭いもの。
ただの肉塊。
人はそれを、死体と呼ぶ。
鈍い音を立てて地面に落ちたそれは、男たちにとって見覚えがあるどころではなく見覚えがあった。なぜならそれは、男たちが最も頼りにしていた存在。
「か……頭ぁっ!?」
男たちには状況が整理できていない。あの最強の喰種と呼ばれた「カラクリの
受け入れざるを得ない状況に追い込んだのはまた新しく落ちてきた死体だ。
それも一体だけではない。二体、三体、四体……、屍の山が積み重なる。
合計十ニ体の喰種が死体として現れたとき、次に落ちてきたのは生きた人間だった。
長い黒髪をなびかせた長身の女。
把瑠原
「……なんだー? まだいたのかよ? っんどくせーな」
口から唾を吐き捨てる雷音。後ろを振り返り、妹たちに文句を言う。
「なーんで二人もいるのに仕留められねーわけ?」
雷音の言葉に、雨音は申し訳無さそうに、晴音はぷんすか怒りながら答える。
「……実力不足です。申し訳ございません姉上」
「だって道に迷っちゃったんだもん。雨姉は勝手にどっか行っちゃうし」
正反対な対応を見せる妹たちの対応が面倒になり、雷音は「わかったわかった」と説教をやめた。
「とりあえず、てめーらを仕上げねーとな」
二体の喰種を睨む。そして、懐から
それはクインケと呼ぶにはあまりにも小さかった、が。
サソリ 1/56。
「……舐めてんのかてめーは?」
「悪ぃな。
雷音は言いながら、「こわしたらお仕置きですよー」と言う白髪の少年のことを思い出していた。
「ふざけやがってぇ!」
男は怒鳴りながら、雷音との距離を詰める。赫子の切っ先を雷音に向けて伸ばす。
いくら捜査官とはいえ相手は女。力押しでいけば戦える。足をダメにして動けなくしたところで今日は逃げる。
そんなことを考えた矢先、
「ぼさっとしてんじゃねーぞ」
耳元で聞こえた女の声。鳩尾に叩き込まれる拳の感触。
呼吸器官を圧迫され、うめき声すら出せない。
吹き飛ばされた一人目の喰種は何が起きたのか理解できなかった。動く素振りすら見せなかった女が気づいたら自分の側にいるという状況が理解できない。目ですら追い切れない。ヒトの4倍~7倍の身体能力を持つ喰種の身体能力を人間、ましてや女が上回っているなど、前代未聞だ。
何より驚いたのは、クインケすら使わずに喰種にダメージを与えたという事実。
人間が喰種と闘うには喰種の赫子からできたクインケが不可欠である。刃物や銃といった武器では喰種の体は傷つけられないからだ。
だが、表面的に傷つかないとしても、殴打は肉体に振動として伝わる。しかし、ただの拳だ。成人した男の喰種
ならまだしも生身の、それも人間の女に、そんな重い一撃を撃てるのか?
「学習しねーな。集中しろよ」
今度は背後から声がした。首元に冷たい刃の感触。振り返る間もない。
気づけば男の首は胴体から乖離し、宙を浮いていた。
「へっ!」と鼻で笑う女の声が聞こえた瞬間、男の意識は消失した。
――彼女は、小説の主人公でもなんでもない
「次、てめえの番だ」
――だが、ごくごく普通とはかけ離れた、化け物じみた捜査官
「てめーも動きが遅っせーな」
――もし、仮に、彼女を主役に物語をひとつ書くとすれば
「これで終わり、と」
――それはきっと
「帰るぞ。雨音、晴音」
――伝奇アクションよりハチャメチャな話になるだろう。
雷音は血で汚れたクインケをナプキンで拭い、懐にしまう。
そして言った。
「また、今日も偽物だったなぁ……どこにいるんだ『カラクリ』は?」
東京喰種 ―カラクリ―
1.把瑠原三姉妹
了