「それでも、ぼくはフェイトちゃんの事、結構好きなんだけどなぁ」
「……ぇ」
と、フェイトちゃんが小声で反応するのを尻目に、ぼくはフェイトちゃんに少しだけ笑いかけてから、通信画面らしき所へと向き直る。
通信画面の先では、プレシアさんが初めて口紅を引いた少女のような顔をしていた。
美しかった。
彼女の成熟した肉体と反比例するかのように、少なくとも恋愛事に関しての精神は弱く、そのコントラストは意外さに満ちた魅力を醸し出している。
変わらずなプレシアさんに、ぼくはできる限りの微笑みを見せた。
何故か、プレシアさんは数歩下がる。
「ぼくはプレシアさんの事もフェイトちゃんの事も好きなので、2人で嫌い合っていると、どうも困ってしまいます」
「……あ、うぅ、ごめんなさい、T」
「うん、まぁぼくのねずみみたいに勝手な願望だから、謝るほどの事じゃあないですよ。許せるかは分からないし、例え許せるとしても、時間の力が少し必要でしょうけれど」
そう言うと、プレシアさんは怒りそうになったり泣きそうになったり、まるで何個も持っている顔を次々に入れ替えるみたいに表情をコロコロと変えた。
それがまるで子犬が芝生で転げまわっているような早さなので、ぼくは思わず目を細めて口元を緩めてしまう。
まるで古びたガマ口みたいな精神であった。
そんな自分のミーハーさに呆れ返ってしまうぼくだけれども、それでも、とぼくは意を決して口を開く。
「プレシアさん、これから貴方はどうするつもりですか? 管理局に場所が分かっちゃったみたいですし、頼みのフェイトちゃんもすぐに拘束されてしまうでしょうし」
はっと気付いたプレシアさん。
何も分かっていないうちに捕まえようとしていたのだろう、アースラの面々はぼくに険しい視線を送ってくる。
まるで矢のようにプスプスと刺さってくる視線は、なんでだろうか、流鏑馬で揺れる馬の上からでも正確な狙いで飛んでくる矢を思い出させた。
けれどぼくは動かぬ的になった憶えはないので、きっと勘違いだろう。
それに、このプスプスは覚悟の上でのプスプスであった。
何せぼくが今のところ世界で一番大切なのは、プレシアさんなのだ。
だからといってなんでも叶えてやりたいと言う訳じゃあないけれど、それでもこれぐらいの助勢をするぐらいの愛おしさをぼくは彼女に感じていた。
ぼくはとても一般的な人間なので、適度に情に流されやすいのだ。
「……旅立つわ」
プレシアさんは、言った。
その瞳に理性の輝きを乗せながら、それでも言った。
「たった6個のジュエルシードでたどり着けるか、分からないけれど。ジュエルシードを暴走させ生み出した次元の裂け目、虚数空間の狭間には、道がある。死者蘇生の技術の眠る伝説の都、アルハザードへの道が」
「馬鹿なっ、そんな夢物語、あるはずが無いっ!」
叫ぶクロノさんを尻目に、ぼくはプレシアさんと視線を交わし合った。
プレシアさんは、完璧に正気であった。
一片の狂気も無い、完全な理性と共に言葉を口にしていた。
であれば、きっとそのアルハザードにたどり着く手段というのはあるのだろう。
少なくとも、ぼくはそう納得できるようだ。
「それで、ぼくは貴方の為に何ができますか?」
「たっちゃんっ!?」
なのちゃんの悲鳴を尻目に、ぼくは問うた。
プレシアさんは僅かに瞑目すると、優しい笑みを浮かべる。
まるで母が娘にするような、一切の邪気の無い、湧き水をろ過したみたいな純粋な笑みだった。
「T。私は、貴方を愛しています。だから、一緒にアルハザードに旅立って欲しいの」
艦内の全員が、絶句する。
その様子を感じて、そういえばぼくはプレシアさんとの関係を詳しくは話していなかった事を思い出した。
情事を語る趣味は無いが、それ以上にぼくらが告白の無いまま爛れた関係にあった事も話していなかったのだ。
でも、そんな事はぼくにとって、埃の積もった大学ノートのような物だった。
ぼくはすぐに意識を全てプレシアさんに向けて、素直な答えを口にしようとするも、プレシアさんが続きを口にする方が早い。
「管理局に言うけれど、私がこの場で積極的にジュエルシードを連鎖暴走させれば、30秒ほどで次元断層ができるわ。私はアリシアとTのどちらか片方でも居ない未来に興味なんて無いの、Tを残して時の庭園に乗り込んできたら、近隣の次元世界ごと破壊するわよ」
「何っ!?」
「馬鹿なっ、貴方は何を言っているのか分かっているのですか、プレシア・テスタロッサ!」
クロノさんとリンディさんが何か言っているけど、ぼくの耳には外野の言葉なんて入らなかった。
ぼくは数歩プレシアさんに向かって近づくと、言う。
「ぼくは見ての通り無口で口の回らない人間だから、その問いに対する答えをまだ上手く言葉にできないんです。時の庭園の貴方の居る場所に辿り着くまでに考えておくので、答えはその時で良いですか?」
「えぇ、構わないわ。……管理局に言っておくけど、30分以内にTを連れて時の庭園に入ってこなければ、次元断層で何もかもを破壊するわよ」
「待ちなさい、プレシア・テスタロッサっ!」
リンディさんが叫ぶけれども、通信画面は消え去り、声は虚しく響いた。
同時、宇宙に浮いているはずの艦内が、地震でも起きているみたいに揺れ始める。
艦内の所々から悲鳴のような状況報告が上がり、どうやら次元震という現象が起きているらしい事だけが、魔法知識の乏しいぼくにも分かるのであった。
リンディさんは、唇を噛み切り血をにじませながらも言う。
「……Tさん、聞きたい事は山ほどありますが、時間的都合から、全てを後回しにする他ありません。時の庭園に行き、彼女を説得してくれますか?」
「リンディさんっ!? たっちゃんを連れて行っても大丈夫なんですか!?」
なのちゃんが悲鳴を上げるけれども、状況は予断を許さない事はぼくにも分かった。
事実、クロノさんと恭也さんは悔し気な顔をしながらも、決して反論はしていない。
何せプレシアさんは30秒で次元断層を作れると言うのだ、それが正しいのなら30秒以内に封印魔法を当てるなりプレシアさんを倒すなりできる距離にまで近づかねばなるまい。
そしてリンディさんから又聞きした内容によると、ジュエルシードは魔法的衝撃によって大規模な暴走を起こすらしく、それをプレシアさんが利用すれば次元断層の実現性も決して低いとは言えないのだろう。
詳しい理屈までは分からないが、リンディさんがぼくの同行を求めている時点でぼくの考えが正しい事は分かっていた。
そして何より、ぼくは元々プレシアさんの前に行く事を望んでいるのだ。
なのでぼくは、満面の笑みを浮かべて言う。
「はい、勿論ですとも」
「……変な比喩が入らないと、それはそれで心配ね」
酷い言われようだった。
けれどリンディさんにとって重要なのは、恐らくぼくがプレシアさんにとっての人質になりうるという事だけなのだろう。
ぼくが説得できようができまいが、そもそもその気があろうがあるまいが、時間稼ぎ兼プレシアさんにとってのアキレス腱となるぼくは管理局にとって有用な存在である。
なので酷い一言は本当に一言だけで、リンディさんは弓に何本も矢を構えるようにポンポンと指示を出す。
その間、なんでかぼくは腫れ物を扱うように、誰一人にでさえ話しかけられなかった。
てっきりなのちゃん辺りがプレシアさんとの関係を問いただしてくるものかと思っていたのだけれど、なのちゃんはなんとも言えない顔でぼくを見やるだけであった。
時の庭園にはぼく、リンディさん、クロノさん、なのちゃん、ユーノくんが突入。
リンディさんは入り口で次元震を抑える魔法を展開、ぼくとクロノさんとなのちゃんとユーノくんはプレシアさんの元へ。
駆動炉の辺りにロストロギア反応があり、それがジュエルシードの暴走を助長しているらしいが、それは無視するそうだ。
なんでも次元震を抑える魔法を展開されていながらであれば、戦力を分散させるよりも、なのちゃんとクロノさんで6つのジュエルシードを封印できる可能性に賭ける方が妥当なのだと言う。
ちなみに恭也さんは、誰一人他人に強化魔法を使う余裕のある人間は居ない為、お留守番なのだそうだ。
流石に苛立った様子を覆い隠しながら、恭也さんはぼくを含む出撃メンバーに頭を下げていた。
ぼくはそんな彼が哀れだったので、なんて役に立たない大人だろう、と言うと、ごつんと頭を殴られた。
なのちゃんにも殴られて、結構痛かった。
兎も角フェイトちゃんが医務室に連れて行かれるのを尻目に、ぼくらはアースラの奥にある転移魔法陣に乗り、時の庭園に突入する。
青い煌めきが視界を覆った次の瞬間、ぼくら5人は時の庭園に降り立っていた。
すぐに魔法陣を展開するリンディさんを置いて、残る4人で走りだす。
「マーブル色の空、ラスボスの城臭のするこの雰囲気、カビっぽい空気。う~ん、次元震が余計でセピア色ぐらいの同一性だけど、なんだか帰ってきたなぁ」
「たっちゃん、こんな時でも相変わらずだね……」
前に向かって走りつつも、呆れたように言うなのちゃん。
それでもなのちゃんは先ほどのぼくとプレシアさんとの会話にいくつも疑問を持っているだろうに、何も問うてこない。
視線をやっても、ビクッとハムスターみたいに反応するだけ。
別に聞かれないなら聞かれないで答える必要が無くて楽なのだけれど、なんだかなのちゃんに何の説明も無しだと、ぼくが鈍い赤色みたいに卑怯な手を使っているような気がして、どうにも気になってしまう。
けれど聞かれても居ないのに語りだすのは、まるで重力が強い人間みたいに思えてしまうのだ。
ぼくは自分の感想をよく語る方だった筈なのに、今はなんでかそういう事が上手くできない。
まるでぼくの歯車を回している小人達がストライキをしてしまったかのようであった。
そんなぼくらを見かねたのか、クロノさんとユーノくんがアイコンタクト。
話したことのあるクロノさんからの言が自然だと感じたのだろう、クロノさんが口を開く。
「君は、プレシアとどんな関係だったんだい?」
「石像と猫みたいな関係でした」
「…………あぁ、君はとても平常運転のようだな」
クロノさんが天を仰いだ。
どうしたんだろう、と首を傾げつつ、続けるぼく。
「告白とか……」
「告白っ!?」
なのちゃんの叫びは捨ておいて。
「告白とかそういう直接的なやり取りは無かったんですけれども。互いにある程度分かり合った関係だったと思います。混ざった絵の具のよう、と言うにはちょっと油分が多そうな関係でしたけれども」
「そ、そうなのか……」
「あなた方にとっての問題は犬がどちらなのかと言う事だと思いますけれども、場合によって変わるとしか。リアス式海岸みたいなんですよね」
「……聞いておいて悪いが、混乱するのでそれぐらいにしておいてもらっていいか?」
「あ、はい」
ぼくはしゅんと項垂れつつも、両足を動かして奥へ奥へと進んでいく。
時の庭園の所々には巨大な鉄の像があったのだけれども、まるで今にも関節が滑って動きそうな巨像は、一つも動かず沈黙してばかりだった。
当たり前と言えば当たり前と言えよう、万が一ぼくが最奥部まで辿り着けなければ、困るのはプレシアさんなのである。
そんな訳でなんの障害も無いまま、ぼくらはプレシアさんの居るであろう奥まで進んでいった。