「Tさん、本当に申し訳ないのだけれど……」
と言いながらリンディさんが頭を下げる。
緑色の髪の毛が、重力に従い垂れた。
まるでエメラルドグリーンの海が滝のように流れ落ちるみたいな、不思議な光景であった。
ぼくはそういえば、今生では一度も滝を見たことがない。
滝と言えば、修行である。
打たれるのである。
なのでぼくはリンディさんの髪の毛の下に潜り込みたくて、ぼくはリンディさんに近づいた。
リンディさんは、ぴくりと体を震わせ、硬くする。
此処はぼくに与えられた部屋で、中にはぼくとリンディさんの2人しか居らず、監視こそされているだろうが誰か来るまではタイムラグがあるのだ。
それ故の緊張という事だろう。
ぼくは少しだけ悩んだ。
ぼくは決してリンディさんを困らせる為に動いているのではなく、修行の為に動いているのだ。
誤解を招くような行為は本意ではないし、ぼくという奴は驚くほど意思疎通が得意なので、それを損なうのはぼくの長所の損失に繋がってしまう。
しばし悩んだ末に、ぼくはリンディさんの腰に張り付いていたその手を、両手で包みあげた。
少しだけひんやりとした体温が伝わってきて、冷たい物ってなんだか滑らかなんだよなぁ、と思い少しだけリンディさんの手をこすると、つるつるである。
ぼくはゆでたまごにするみたいにリンディさんの皮膚を剥いてみたい衝動に襲われた。
が、ぼくは何としても誤解を解き、そして修行をしたいのである。
自制心を強く働かせ、ぼくは口を開いた。
「心配いりません。ぼくがしたいのは、ただの修行なのですよ」
「しゅ、修行?」
疑問詞と共に跳ね上がる頭。
当然のごとくリンディさんの髪の毛は重力に従い、元の位置に戻っていった。
修行する滝は、消えてしまったのである。
ぼくは思わず目が潤んでしまうのを、自身で感じた。
再びリンディさんに頭を下げてもらった所で、そこに発生する滝はぼくの修行したかった滝ではないのだ。
人間の魂だっておんなじだ、連続性がそれを支えている。
例えばぼくが転生しても自分は同じ人間だと感じていられるのは、ぼくの意識が連続性を持ってそれを感じているからだ。
死や生誕の時には睡眠の時とは全く別の脳の機能のスイッチオン・オフがあるとぼくは信じているし、それを感じていないという事はぼくは転生しているのだろうと思う。
つまり何が言いたいかと言うと、ぼくは修行をする機会を永遠に失ってしまったと言う事だ。
ぼくは、思わず俯いてしまった。
それでもリンディさんを困らせるのは本意ではないため、必死で感情を制御する。
すると、ふわりと良い香りのシャンプーの匂いがした。
体を包む体温。
「大丈夫よ、Tさん。そんなに強がらなくっても、弱味を見せても良いのよ。そんな貴方を食い物にする人間は居ないし、笑う人だって居ないわ」
そう言いながら、リンディさんはぼくを抱きしめぼくの頭を撫でた。
それでも、リンディさんは何処かでぼくを怖がっているのがなんだか分かる。
無償の愛を騙るのであれば、その仕草はちょっと強ばり過ぎであった。
しかし逆説、リンディさんはそれを乗り越えてぼくを慰めてくれており、その愛情の大きさが分かるという物だ。
ぼくは頑張って、笑顔を作った。
けれど涙腺にさっき我慢していた涙が溜まっていたらしく、一筋の涙が溢れだしてしまう。
その涙はリンディさんの肌とぼくの肌の隙間に入り込み、消えていった。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
言いながらリンディさんはぼくの頭を撫で続ける。
よしよしよしよしぼくの頭を撫で続ける。
そのリズムはなんだか心臓の鼓動に似ていて、ぼくはあぁ、人間の心臓ってなんて素晴らしい楽器なんだろう、と思った。
どくんどくんと言う音はポンプ音なのに低周波を伴わず、ドラムとかによくあるバフッという叩かれた空気が鳴らす付帯音が存在しない、純粋な音なのだ。
是非手にとって聞いてみたい所だが、ポータブル心臓にはぼくは最近失敗してしまった所である。
折角の楽器を台無しにするのは憚られ、ぼくは黙ってその場で佇んでいた。
佇みついでに、ちょっと考えてみる。
はて、そういえばリンディさんは何でぼくの部屋に来たんだっけ?
*
ぼくは冬風が吹きすさぶようになった現在、半ばロストロギア扱いである。
故にぼくは暴走の危険性から滅多にミッドチルダの研究施設を出る事ができず、監視や研究の為に閉じ込められているのだ。
それにしたって、ぼくにだって東京タワーをクライミングしたり、富士山からターザンロープで裾野まで降りたりする権利ぐらいはあるだろうに、と思ったのだけれど、此処はミッドなのでどちらにせよ無理であった。
それはそれとして。
兎に角ぼくは施設を中々出る事ができず、なのはちゃんら地球組とは通信での会話のみで、フェイトちゃんとも偶にフェイトちゃんがぼくの部屋に訪れるぐらいだ。
一度だけフェイトちゃんと出かけた時もあったのだが、どうやらリンディさんが裏技を尽くしてやった事であり、そうそうある機会では無いらしい。
その機会は十分に使って楽しんだので悔いは無いが、残念なのは確かである。
で。
そんなぼくだが、当然のごとく独りで研究施設に居る訳ではなく、他にも生体ロストロギアやらロストロギア融合者やらも研究施設に住んでいる。
しかしその中でもぼくはとびっきりの危険株らしく、またぼくから得られるデータも独特の物らしい。
そこでぼくだけを隔離し管理しようという話も持ち上がっているそうだ。
勿論それはコスト面や人道面から実現に至っていないが、そういう声が大きい事は確かなのだとか。
全く、ぼくは暴走など一回もしていない模範的人間である。
それも驚異的な模範性の持ち主で、なんでもやってみなさいと言われて隔離用の分厚い金属板をダンボール製に変える事しかしなかったぐらいだ。
独特のデータと言うのは、まぁそういう可能性もあるのだろう。
だけどぼくを危険扱いするというのは何事か。
いくらぼくが温厚といえど、憤懣やるかたない物である。
まぁそんな不満もある訳だけれど、それは置いておいて。
そんな状況で、なんと他にもう一人隔離の必要がある、危険性の高いロストロギア所持者が確認されたらしい。
しかもその子は地球出身で、更に共通の友人として、そのロストロギアの端末暴走でなのちゃんや保護観察中のフェイトちゃんと知り合いになったらしいのだ。
つまり、危険性が高く隔離したい人間が、2人とも出身が同じで共通の友人を持ち、一緒に管理すればストレスの緩和やらコスト削減やらに効果がありそうなのである。
そうくれば後は決まった物で、ぼくは八神はやてちゃんと言う同い年の女の子と、同じ施設で管理される事になった……らしい。
「くれぐれも」
と、なのちゃん。
リンディさんの説明から数日後、そのはやてちゃん達を含め、アースラクルーとなのちゃんとフェイトちゃんがミッド辺境にあったこの施設に来ているらしい。
なのちゃんの方がぼくを案内しているのは、何でもなのちゃん曰く、付き合いの長い自分のほうが、まだぼくを制御できるからだそうだ。
ぼくは生憎ステルス戦闘機にもなったことがないので操縦性など無いに等しいのだが、それでもとなのちゃんは息巻いていた。
「くれぐれも、いつもみたいに変な事言っちゃ駄目だよ。はやてちゃんにドン引きされちゃうからね」
「へ? ぼくって何時変な事言ったんだい?」
「…………」
頭痛を堪えるような表情のなのちゃん。
久しぶりにぼくと出会えて興奮してしまい、今頃そのしっぺ返しでも来たのだろうか、と心配になってしまう。
しかしそれにしても、タイミングが絶妙で、まるでぼくがいつも変な事を言っているかのような誤解を招く物であった。
やれやれ、なのちゃんも仕方がない子だなぁ、と思いつつぼくはなのちゃんの目を覗きこむ。
なんだか疲れ果てて今にもぽろりと落ちてしまうそうな目であった。
いくら目フェチ気味な所のあるぼくでも、抉りだしたくならない目である。
「いいもん、もうとりあえず行ってから考えるっ」
「はぁ……」
叫ぶなのちゃんに、ぼくはどう答えればいいのやらと首を傾げつつ、ぴょこぴょことツインテールを動かしながら歩くなのちゃんに続いた。
どう反応すればいいのやら困りながらついていくと、すぐに自動ドアにたどり着く。
なのちゃんがいつの間にやら使い慣れた様子でIDカードをかざすと、排気音と共に横滑りするドア。
それにぼくは、夏に自動ドアを一つ看取ったんだっけ。
ぼくは懐かしくも苦い思い出に僅かに目を細めながら、部屋に入った。
部屋は多分、ゲストルームの類なのだろう。
ホームパーティぐらいなら開けそうな広さがあり、内装は落ち着きながらも豪華である。
絨毯は上品過ぎない程度に毛足の長い赤、装飾は鈍い輝きの金で統一されており、照明器具は細かな硝子の装飾に彩られていた。
そんな室内に、薄水色のワンピースに黒い七分袖ジャケットを羽織った、車椅子に乗った少女が一人。
その周りにはフェイトちゃんとアルフさん、リンディさんクロノさんエイミィさんに、加えて見知らぬ人が4人立っている。
話に聞くヴォルケンリッターの4人だろうか。
犬耳尻尾付き筋肉隆々男に赤ロリ少女、やたらおっぱいのでかい麗人に地味な金髪、と4人に視線をやってから改めて少女に視線を。
何となく一礼するぼく。
「初めまして。ぼくはTです」
「初めまして。私八神はやてです」
はやてちゃんが頭を下げた。
ぼくは視線を向けたままできる限り頭を下げていたので、彼女の茶髪がふわりと踊りながら重力に従うのが見える。
その長さはリンディさんより短かったので修行に向かなかったが、不意にぼくの脳裏に電撃が走ったのである。
ぼくは先日、不注意から修行の滝を非連続的にしてしまった。
もう一度同じ事があれば、短い間隙である、同じ結果が待っているに違いない。
だがより短いはやてちゃんの髪による滝であれば、連続性を途絶えさせずに修行をできるかもしれないのだ。
そしてその経験はぼくの糧となり、何時か来る修行の時をより完璧にしてくれるだろう。
ぼくは早速高速思考で、如何にしてはやてちゃんの頭を上げさせず、ぼくがはやてちゃんの髪の滝壺に辿り着けるか考える。
答えは、一つしかなかった。
「…………?」
「…………」
沈黙。
同時、頭の上がらないはやてちゃん。
期待通りの結果に、ぼくは内心ニヤリとする。
この状況は、ぼくがはやてちゃんもぼくと同じように視線をぼくに向けたままで居た事から予想できた。
はやてちゃんは、とりあえず相手が頭を上げてから自分も頭を上げるタイプの子なのだ。
少なくとも初対面の相手ではそうするタイプの子なのだ。
第一段階の成功に、ぼくは内心ほくそ笑みながら、つつ、とすり足で脚を動かした。
「…………!」
「…………」
はやてちゃんは小さく目を見開くも、意地になっているのだろう、頭を上げはしない。
だがその意地も、ぼくにとっては好都合である。
ぼくは礼をした姿勢のままで、すり足を続けた。
「…………!?」
「…………」
が、はやてちゃんはなんと、礼をしたまま車椅子の車輪を動かし、後退したのである。
内心舌打ち、ぼくは好敵手を見る目ではやてちゃんを見つめた。
気づけばはやてちゃんも、なんだかぼくと似たような目で僕を見つめている。
視線が絡み合い、ぼくらの中間では火花が散ったような気がした。
こいつは絶対に先に視線を上げたりなんかできないな、と心躍った瞬間である。
ぐいっ、と。
ぼくは首元の服を捕まれ、姿勢を引き上げられた。
思わず視線をやると、口元をひくひくとさせたなのちゃんが。
「あ……」
小さくはやてちゃんと声が輪唱する。
視線をやると、同じく口元をひくひくとさせたリンディさんが、はやてちゃんの首元を引っ張り姿勢を正させていた。
同じようにぼくと見ていたはやてちゃんと、視線が合う。
一瞬真顔で見つめ合ったぼくらであったが、はやてちゃんの表情はすぐさま色を変える。
クス、と。
微笑。
「ぷっ、くくく……っ」
「な、何で笑うんだい?」
問うとはやてちゃんは、お腹を抑えて身を捩りながら笑った。
「あは、あははははっ!」
「ちょっと待ちなよ、何で……」
「くっ、あっはっはっ!」
「クスクスクス……!」
と、ぼくがはやてちゃんを咎めようとすると、何でか周りの人々みんなが笑い始める。
これが困った物で、ぼくの姿勢を正させていたなのちゃんまでもが笑い始めており、笑っていないのはぼく一人であった。
ぼくとしてはこれははやてちゃんとの真剣勝負であり、水をさされたことには遺憾の意を伝えたい所なのだが、この状況下で叫んでもなんだかちょっと空気に合わない。
ぼくのような常識人が一人取り残されるなんて、この空間の奇妙さと言ったらまぁ溜息物である。
そう思ったぼくは困り果てて、やれやれ、と小さく呟き肩をすくめるのであった。
今度こそパソコンが届きそうなので、更新が滞った場合は、私が初macに戸惑っている物とお思いください。