本番は次回ですが。
夕日が落ちてゆく。
今際の太陽の輝きが朱色となって全てを染めてゆき、Tとアリサの顔を赤く染めた。
学校帰りの公園の中。
2人はベンチに座り、ぼんやりと夕日を眺めていた。
「いい夕日だね。食べちゃいたいぐらいだけど、ぼくのお腹には既に夕日があるから、やっぱりやめておこうかな」
「…………」
Tの謎の理屈にアリサは思わず突っ込みを入れそうになったが、そんな不思議理論も今日で聞き納めかと思うと、不意に胸の中を寂しさが過ぎる。
どうしようもない衝動に駆られ、アリサは思わずTの手を握った。
ぎゅ、と幼い肉達が絡み合い、互いの体温を伝える。
Tはもう間もなく何処かへと消え去ってしまう。
それでも何時かは帰ってくる筈なのだが、何故かアリサにはこれがTと過ごす最後の時間になるよう思えて仕方が無かったのだ。
アリサは、胸の奥に吹く冷たい風がどうしようもなく不安で、思わずTの肩へと頭を預けた。
Tは僅かに目を見開くが、すぐにいつもの笑顔になり、アリサを受け入れる。
心細いのはむしろTの方だと言うのに、アリサを慰めてくれるTの優しさに、アリサはうっすらと涙を浮かべた。
誤魔化すように、両手で抱きしめるようにTの腕を絡め取る。
Tの体温はまるで小さな太陽でもお腹の中にしまってあるかのように、暖かく心地よかった。
アリサとすずかとTは、2日間遊びに遊んだ。
習い事をサボった2人は、好奇心に身を任せ、様々な遊びにTを巻き込む。
スケートリンクに行って滑りに滑り、外では力尽きるまで雪合戦をして楽しんだ。
それでも一番多いのは、やはり他愛の無い話であった。
何せTは頭がちょっと変な子であるのだが、代わりに話の種が尽きる事の無い少年である。
3人は様々な話をした。
学校の嫌な先生の愚痴、将来の夢への展望、家族の誇らしさ、夢のような魔法の世界。
Tはたとえば、こんな話もした。
「フェイトちゃんの人柄ねぇ。真面目で天然な子かなぁ」
「天然って、あんたが言うの?」
「? うん、まぁそう感じたし。そうだなぁ、ようやくメッキが剥がれたけど、剥がれてみれば中身もメッキと同じものだった、みたいな感じ?」
「……はあ」
「けどやっぱり、メッキが剥がれた分切っ先は丸くなって、日本刀みたいな部分は減ったかな。どっちのフェイトちゃんも好きなんだけど、安心して見ていられるのは今のフェイトちゃんだなぁ、やっぱり。打撃って即効性は無いけど、継続性は強いだろう? そういう事さ」
「分かるような、分からないような」
というTはこれでもフェイトを買っているらしく、本人は褒めているらしい言葉が続く。
曰く、将来子供が出来たら絶対に自分は子供を自由に育てられているのか、意思を誘導して人形のように扱ってはいまいか、とか思うに決まっている、のだそうだ。
そんな十年以上先の事を未来予知しなくても、とアリサは思うのだが、何故かTは断固としてそんな言葉を続けるのである。
次いでTは、はやての事についても語った。
「はやてちゃんは、仮面の子だね」
「仮面の子? 猫かぶってるって事?」
「猫というよりは狸かな。ほら、縁日の屋台で売っている可愛らしい仮面があるだろう? あれをかぶっていたら、肌にくっついてしまって取れなくなっているような感じなんだよね。接着剤は家族なのかなぁ。家族っていうか、ヴォルケンリッターの皆さん」
「ふぅん。なんか変な先入観のつきそうな話ね」
「うぅん、そうだった? でも、今や縁日の仮面顔になってるから、気にせず友達になれる子だと思うんだけど……」
うぅむ、と首をかしげながら言うTであった。
ちなみに、将来のはやては狸度を増すらしい。
おかげで尻尾が成長して隠す事ができなくなり、間抜けな部分もあるけど、愛嬌として取ってもらえるようになるのだそうだ。
恒例の未来予知に、アリサは問うた。
「それじゃ、なのはは将来どうなるのかしら」
「あの子は恋愛しなさそうだなぁ。なんか恋人より先に子供でも出来そうなぐらい」
「うぅ、一瞬想像できちゃった……」
頭を抱えるすずかに、微妙な顔をしつつ頷かざるを得ないアリサ。
アリサとすずかが恋愛ドラマの話などで盛り上がっている際など、今一乗り切れないぐらいには恋愛に興味が無いなのはである。
処女受胎する光景すら目に見えるようであった。
もしくは30間近で恋人が居ない歴と年齢が等号で結ばれる残念な未来。
何気になのはに対し酷い評価をするアリサを置いて、すずかが問う。
「じゃあ私の将来は?」
「う〜ん……」
Tは眉をひそめ、すずかを見つめた。
これがもう穴が開くのではというほどの見つめ方で、見ているアリサでさえも恥ずかしくなってくるぐらいの物であった。
なんだか頬が赤くなるのを感じつつ待っていると、困り顔でT。
「ごめん、今一想像がつかないや。本当にごめんね、何も思いつけないんだよ」
「ふぇ? わ、私こんなにジロジロ見られたのに?」
「ごめんね……」
珍しく、Tはしゅんとして項垂れた。
慌ててフォローに入るすずかにすぐに元気を取り戻すが、Tが暗い顔をするのは珍しい事である。
首をかしげるアリサに、Tは最後に、とアリサに視線をやった。
「う〜ん、アリサちゃんは……」
Tはアリサを注視する。
心の中まで見通すような視線に、アリサは思わずどきりとした。
コートと聖小の制服を纏ってこそいるものの、Tの視線はそんな物で遮れないようにすら思えてくる。
まるで全裸でTの前に立っているような羞恥が、アリサの心を襲った。
肌が火照り、うっすらと汗が滲む。
体表を流れる汗の感覚が、なんだかむず痒く、アリサは思わず身じろぎした。
体の芯がじんじんと熱くなり、取り出せる物であれば取り出して氷水にでもつけておきたいぐらいだ。
熱が下腹部にまで移ろうという辺りで、神妙な顔をしてTが口を開いた。
「あのね、アリサちゃんは……」
「わ、私は?」
注視が無くなった事で、アリサは羞恥から逃れ得たものの、体の火照りはまだ冷めない。
身じろぎするアリサに、何とも言えない顔で、T。
「何故かニートとかになってそう」
「なるかばかちんっ!」
思わずアリサはTの頭を叩き倒すのであった。
そんなTとの日常も今日で終わりかと思うと、朝からアリサは寂しさを押さえきれなかった。
胸の奥に潜む吃驚するぐらいの寂しさに、アリサはTの腕を抱きしめ続ける。
流石に人に見られるのは嫌なので、ジャンケンに負けて缶ジュースを買いに行ったすずかが戻るまでの事ではあるのだが。
それでも、できる限りはTの体温を感じていたかった。
それはTも同じなのだろうか、Tは肩に乗せたアリサの頭を柔らかな手つきで撫でている。
ふと、アリサは視線を夕日に。
「夕日、なんだか落ちるのが遅いわね。結構長い間夕方が続いているような気がするわ」
「うん? どれどれ」
首をかしげつつ、Tは夕日を見ると、あぁ、と頷いてみせる。
「なるほど、夕日が電線に引っかかって落ちられなくなっているんだね。よいしょっと」
言ってTが手を伸ばすと、念動力の類の魔法でも発動したのだろうか、ちょうど落ちる夕日にひっかかるような位置にあった電線が揺れた。
するとどうだろうか、夕日は凄まじい速度で落ちてゆき、空は瞬く程の間に朱色から紫色へと姿を変える。
ぽかん、とアリサが丸口を開けていると、声。
「あら、アリサちゃんったら、大胆だね」
「ふぇ!?」
思わずアリサがはね飛ぶと、気づけばすずかが缶ジュースを持って帰ってきていた。
違うのよこれは、と言い訳するアリサを無視し、すずかは缶ジュースを配る。
アリサとすずかは果汁100%の物を、Tは炭酸飲料を選んでいた。
一足先に、とTが炭酸飲料のプルタブに手をかける。
プシュ、と言う排気音と共に、白い何かが炭酸飲料の缶から飛び出した。
飛び出したのは、白い鳥であった。
「へ?」
「え?」
「あぁ、なるほど」
一人納得するTを捨て置き、白い鳥は3人の周りをくるくると旋回した後、空へ。
すぐに見えなくなるほど遠くへと飛び去っていった。
それを気にするでも無く、Tはぐびぐびと炭酸飲料を口にする。
思わず目を見合わせるアリサとすずか。
すずかの目に困惑が浮かんでいる事から、今の出来事が不自然である事を再確認する。
アリサは、恐る恐るTへと視線をやった。
Tは、ニコニコと笑顔を作ったままアリサとすずかを見つめている。
瞬間、アリサの霊感が劇的な何かを捉えた。
胸の中を激流の如き凄まじき何かが流れていき、発見の連続がアリサの脳髄を洗い流す。
ぱくぱくと、アリサは口を開け閉めした。
理性が認めなければならないその答えに対し、しかし感情は納得できない。
故に、アリサは口を開く。
「たっちゃん、あんたは……」
アリサは、2,3の質問をTに向けて投げかけた。
Tは淀みなくその質問に答える。
隣では質問の意図を読めないのだろう、すずかが不思議そうな顔でアリサを見ていた。
「そう……なのね」
アリサの質問は、アリサの胸に沸いた確信を強めるだけであった。
間違いない、アリサはその優れた知能と直感により、Tの正体を確信していた。
アリサは、胸の奥にがらんとした空白が生まれるのを感じる。
気力と言う気力が萎えていき、視界が揺れそうにすらなった。
全ての思い出が色あせていくのを感じる。
だが、自分はまだマシなのだと言う自覚だけが、辛うじてアリサの心を保たせていた。
この世の殆どの人間にとって、全ては意味が無い。
しかしアリサは類い希な人間であり、意味ある生命ではあるのだ。
その事実の殆どはアリサの心から気力を奪っていく物だったが、僅かながらアリサの慰めにもなった。
だから。
それ故に。
アリサは、瞼を閉じ、開いた。
空虚な自分の中に少しでも何かを取り入れようとし、深呼吸をする。
せめて風船のように中身が何もなくとも、見目には中に何かあるよう見えるように。
それは、意地だったのかも知れない。
うっすらと涙を浮かべながら、アリサは灼熱の決意と共に口を開く。
せめて、なのはやすずか達の為に、その事実を伝えねばならないから。
だからアリサは、言った。
「あんたは……絶対に自分の正体を知るべきではないわ」
「え? うん。何か、誰かにも言われたような気がする台詞だけど、分かったよ」
アリサの雰囲気を見て取ったのだろう、Tは真剣な顔で頷いた。
そして残る炭酸飲料を飲み干すと、近くにあったゴミ箱へ向けて缶を投げる。
UFOの如き謎の機動を描いてゴミ箱に入る缶を捨て置き、Tは視線を2人に。
いつものニコニコ笑顔で、言った。
「それじゃあ、そろそろお暇しようかな。多分、明日ぐらいにはなのちゃんが地球に来そうな感じがするし」
「……あんたがそう言うのなら、そうなのかもしれないわね」
アリサの何処か乾いた声に、すずかが疑問詞を瞳にやるも、アリサは答えない。
2人の視線がTへ向く。
Tは鼻の頭をこすり、言った。
「それじゃあ、2人とも。なんて言うか、2人と居て、ぼくは結構楽しかったよ」
「えへへ、いい思い出作りができたよね」
と笑うすずかは、恐らくTの言葉を額面通りに捉えているのだろう。
すずかには分からない事実が見えているアリサは、老婆の如き鈍重さで瞼を開け閉めした。
視線をTへ。
できる限りの笑顔を作りながら、言う。
「えぇ。忘れたら……本気で、怒るわよ」
「怖いなぁ。ぼくの記憶力は昨日の晩ご飯を覚えるぐらいしかでき……今朝の……いや、今日のお昼ご飯を……」
「何処まで遡るのよ、ばかちん!」
力ない蹴りでTを蹴りつけるアリサ。
Tは僅かに困惑した表情でアリサを見たが、すぐに顔を笑顔に戻す。
「ともかく、2人のことは絶対に忘れないさ。それじゃ……」
Tはまるでちょっとコンビニ行ってくる、とでも言わんばかりの気軽さで告げた。
「ばいばい」
Tの周りの空間が歪曲。
Tの姿が消え去り、数秒ほどかけて歪みが消えてゆく。
アリサは深いため息をつくころには、全ては幻であったかのように消え去っていた。
アリサは、脱力してゆく体でじっと空を眺める。
空は最早一番星が見えそうなぐらいに暗くなっており、そろそろ携帯電話で迎えを呼ばねばならない頃だった。
しかし、アリサにはどうしてもそんな気が起きない。
ぐったりとした体でベンチに深く腰掛けるアリサに、ふとすずかがその手を握りしめた。
「アリサちゃん、風邪引いちゃうよ?」
「…………」
どうでもいい、と言う本心は言えない。
全身全霊で気力を絞り出し、立とうとするも、なかなか上手くはいかなかった。
そんなアリサの様相を見て、すずかは歯噛みする。
しばらく俯いたかと思うと、顔に決意の色を見せながら言った。
「……アリサちゃん。何を悩んでいるの? さっき、アリサちゃんは一体何に気づいたの? 私たち、友達でしょう? 言える事ならなんだって聞くよ?」
「……それ、は」
アリサは思わず俯く。
言えない。
言えるものか。
知るだけでこんなにも心折れそうになる事を、すずかに聞かせて大丈夫とは限らない。
他にTの正体を知った人間が居るかどうかは知らないが、少なくともアリサは今恐るべき虚脱感に襲われているのだ。
この全ての意味が無くなりかねない程の何かを、すずかに共有させるのだろうか。
迷いを表情に見せたアリサに、微笑みながらすずかが指を伸ばす。
ちょん、とアリサの頬をつつき、言った。
「こーら。前になのはちゃんが悩んでいた時、爆発したのはアリサちゃんでしょ? なのに話すかどうか迷うなんて、ずるいよ?」
「…………そう、なのかもね」
アリサの心は、僅かな楽観に浸され始める。
そう、Tの正体を知った人間の実例をアリサは知らない。
もしかしたらすずかも虚脱感に襲われるだけで済むかもしれないし、そうなれば2人でそれを共有できるかもしれないのだ。
ならば。
苦しい事や悲しい事を、分かち合う事ができるのが友達であると言うのならば。
「すずか、聞いてくれるかしら?」
「うん、もちろんだよアリサちゃん」
アリサは、Tの正体をすずかに告げた。
*
翌日、月村すずかは自殺した。