「私は……たっちゃんは、ただの人間なんだって信じたい」
なのははそう口にした。
沈黙を破っての声に、フェイト、はやて、リィンフォースが面を上げる。
視線が集まるのを感じ、なのはは僅かに顔を緊張させた。
それでも、なのはは口を開く。
「たっちゃんは、ちょっと変なだけの、何処にでもいる普通の子だよ。だって、プレシアさんやグレアムさんを狂わせたのも、アリサちゃんが引きこもっちゃったのも、すずかちゃんが……」
震える全身。
認めざるを得ないその事実を前に、なのはは頭の中が真っ白になるのを感じた。
何故その言葉を言おうとしているのか、そもそもそんな言葉を言う必要性が何処にあるのか。
そんな言葉ばかりが真っ白な頭の中に舞い込んできて、なのはを臆病にさせようとする。
しかしなのはは歯噛みし、全身に力を込めて続けて言った。
「死んじゃったのも」
なのはは、全身の肌を刺し抜かれているような感覚をすら覚える。
まるで世界中から責め立てられているかのようだった。
縮こまり、震える体を必死に押さえようと、体中に力を込める。
それでも震えは止まらず、続く声もまた微細な震えの籠もった物だった。
「別に、たっちゃんは何もしていない。ただそこに居ただけで、何もして居ないんだよ。確かに変な力はあるよ? でも、それは全部ジュエルシードの力と、アルカンシェルのラーニングで説明できる範囲。むしろ、それだけの力を持っていて、誰も傷つけていないんだもん、たっちゃんは……」
唐突に、なのはは自己嫌悪に襲われる。
所詮なのはの台詞など、自己保身に満ちた言い訳にしか過ぎない。
なぜならなのはがTを擁護する物言いをするのは、なのはが地球での居場所を無くしてしまいそうだからに過ぎないからだ。
すずかは逝った。
アリサはなのはの言葉を拒否し、顔を合わせることすら拒否している。
フェイトはミッドチルダに帰らねばならないし、はやても元闇の書の主としていずれはミッドチルダで暮らさねばならない。
2人はミッドチルダに生きる人間なのだ。
まだ地球とミッドチルダ、どちらに生きるか決める事ができていないなのはにとって、地球の、故郷での居場所は必要不可欠な物だった。
例え心の中であっても、今繋がっている相手が必要だから。
Tが何処か遠くへ行ってしまう事に、耐えきれないから。
だから。
「たっちゃんは、ただの人間だよ」
沈黙がその場に舞い降りた。
3人の視線が、何処か居心地悪くなのはに降り注ぐ。
胸の奥がひりひりとまるで火傷のように痛み、なのはは視線を伏した。
憐れまれているという実感と、自分がネガティブになっているからそう受け取っているのだという客観が、競合する。
胸の中を陰陽の印のように渦巻く感想は、決して相容れること無くなのはの中にあった。
なのはは、己が情けなくて涙が出そうだった。
事実はきっと、Tを人ではない何かだと示している。
なのははそれに反し、Tを人間だと信じている。
それはつまり、なのはにとってTが人間であるという事実が重いという事である。
Tが人外であれば、受け入れられないかもしれない、という不安があるという事である。
友達を、生まれてから初めてできた友達を、それからずっと今まで最高の友達だった相手を、なのはは受け入れられないかもしれないのだ。
すずかの死による動揺もあるだろう。
事実の重さを受け入れ切れていない部分もあるかもしれない。
けれど、それでもなのはは自虐を止められなかった。
そんななのはを捨て置き、フェイトが小さく息を吸った。
発言の前兆と言えるその挙動に、なのは達の視線がフェイトに集まる。
フェイトは僅かに身じろぎし、緊張を顔に出しながら、言った。
*
「私は、Tが人ではない何かであるとすれば……。神様みたいな物なんじゃあないかって、思うんだ」
フェイトは、言ってからぎこちない微笑みを作る。
胸の奥に、罪悪感の影が差した。
これが自己擁護に繋がっているのだと言う自覚が、フェイトの胸中を重くさせていたのだ。
フェイトは、両手を握りしめた。
切っていなければ爪が食い込んでしまいそうなぐらいに、強く。
「母さんは、Tと出会った時には既に正常な状態じゃあなかったと思う。娘の私は、気づいてあげられなかったけど……。今思うと、やっぱりそうだったんだって」
プレシアは、明らかに狂気を胸に抱いていた。
後から全てを知った上でフェイトが思うに、プレシアのアリシアへの愛は、単純な愛そのもの以外も含んでいたように思える。
「たとえば、母さんはアリシア以外の存在を愛する事で、アリシアへの愛が損なわれるみたいにさえ思っていたんだ」
本当はどうだったのか、フェイトには分からない。
単にフェイトに娘としての魅力が足らなさすぎて、プレシアはアリシア以外の存在に目を向ける事ができなかったのかもしれない。
時の庭園に引きこもっていたプレシアに出会いはなく、フェイト以外の果たして誰がプレシアの心を奪う事ができただろうか。
そこでプレシアの心を惹きつける事のできなかったフェイトの無力さが、プレシアの心を更なる狂気へ向かわせた可能性は、十分にある。
今自分が口にしている事柄が、単なる自己擁護の結果に過ぎないのではないかと、フェイトの胸には不安が過ぎった。
それでも、とフェイトは続ける。
「あの母さんがそれでもTを愛したというのには、単純な魅力だけじゃあ筋道の通った理屈にならないと思う。あの状態の母さんを惚れさせたぐらいなんだから……、Tがただの人間だとは、私には思えない」
フェイトは視界の端で、なのはがぴくりと震えるのを目にした。
なのはが己の心を支える為に言った意見に反しようと言うのだ、その反応は想定の範囲内である。
それでも罪悪感で胸が重くなるのを、フェイトは感じた。
同時に、けれど、と思う。
けれど、私もこう思わないと、生きていけないぐらいなんだ、と。
悲鳴を心の中であげる。
「母さんを魅了するぐらいに、人間ばなれした魅力。それに私は、どうしてもTに邪悪さを感じられない。どっちかと言うと、何処か普通の人から遠く離れた位置に居る感じを覚えるんだ。威圧的というより、尊いっていう感じで。それでいて、近づいて見ようとすれば、グレアム元提督のように、目を焼かれてしまうような」
それとも、とフェイトは内心で思った。
私は、未だに母から少しも逃れられていないのではないだろうか。
だから母の言葉を信じ、それを疑う事はできるようになっても、結局そこから逃げられはしない。
それ故に、フェイトはTを。
「だから私は……Tは、神様みたいな物なんじゃあないかと思うんだ」
胸の中を渦巻く感情は、それぞれの色を見せつつも、マーブル模様のように混ざり合い、同じ結論へとたどり着いていた。
だからフェイトは、その言葉だけは胸を張って、堂々と言ってみせる。
罪から目を逸らすためかもしれない。
母の呪縛から逃れられないからかもしれない。
それとも本当にTから受けた印象からそう感じたのかもしれない。
けれどどれにせよ、その言葉だけはフェイトの中で本当だから。
*
2人の言葉を、はやては苦々しい思いで聞いていた。
2人の思いとは裏腹に、はやては2人の言葉を素直に受け取れている。
なのはの言うことにもフェイトの言うことにも、はやては十分な説得力を感じていた。
まず、Tが普通の人間だと言うのは常識的に考えればその通りである。
ヘンテコだとは思いつつも、なんだかんだ言ってはやてはTに人間性を認めていた。
Tの起こした事象も、ジュエルシード一個で起こしたにしてはやたら大規模でこそあったものの、管理局によると不可能ではない領域の物らしい。
大体、Tによって発狂した人物はプレシアとグレアムの2人だけである。
すずかやアリサは状況が未だ不明で、加えて言えばプレシアは元々狂っていた節があると言う。
とすれば、人1人を発狂させただけで人外扱いするというのは、流石に大げさに過ぎるのではあるまいか。
はやての全身が発する霊感全てが、Tを自分たちと同じ人間ではないと感じているという事実を除けば、Tが普通の人間であるというのは納得のいく物言いであった。
対しTが神と形容すべき存在であると言う発言も、説得力があった。
はやては映像を含めた資料でPT事件の詳細を確認しており、その際にプレシアの言動も見知っている。
当然、その身に秘めた狂気もである。
プレシアのTへの感情は狂信的でもあり、愛と同時に何処か信仰を感じさせる物であった。
加えてフェイトの過去を鑑みるに、プレシアがTに一目惚れする不自然さもよく分かった。
何より、Tが赤目の赤子から再誕した姿に、はやては恐ろしさよりも神々しさを感じていたのである。
それこそ、まるで神の如き存在であるかのような。
だが、とはやては目を細める。
それでも、はやての最終的な意見は違う。
「私は……、やっぱりたっくんは、邪悪な何かやないかと思うんや。そうやな、フェイトちゃんの言葉を借りるなら、魔王の如きって奴や」
ぴくりと、フェイトとなのはの2人が震えた。
やっと手に入れた友達と意見を違える恐ろしさが、はやての心を雁字搦めにする。
今からでも言い直したほうがいいのではないだろうかという弱気が、はやての胸の奥から沸いてきた。
全身が冷えていくのをはやては感じる。
まるで体が石になっていくようだ、とすらはやては思った。
だが、それでも。
「グレアムおじさんの記録、見たやろ? グレアムおじさんは、私が足を悪くしてすぐの頃から、私を見張っておった。私ごと闇の書を凍結封印する計画をたてておったんや」
暗い雰囲気にならないよう気を遣い、はやては薄い微笑みを浮かべながら言う。
しかし笑みの作り方が悪かったのだろうか、2人は直視できないとでも言わんばかりに俯いてしまった。
失敗に自省しつつ、続けるはやて。
「10年や。グレアムおじさんは、10年近く水面下で動き続けてきた計画を、たっくんを一目見た瞬間から一気に変えてしもうた。たっくんを殺す為に、全ての因縁を捨て去って。グレアムおじさんの手記とかから見るに、グレアムおじさんはたっくんに人間の価値観全てを破壊する邪悪さを感じていた。それこそ、魔王のような」
その記録を見たはやては、同時にグレアムの苦悩をも読み取っていた。
グレアムは凍結封印の方法を早期に発見していたが、それからも心身を削り無限書庫で他の方法を模索していたのだ。
海の提督という殺人的スケジュールをこなしながらの捜索は、グレアムの血を吐くような努力を物語っていた。
全てを許せた訳ではない。
しかしはやては、グレアムを純粋に憎む事ができなかった。
そしてだからこそ、グレアムがあっさりと自分をTを殺す為の道具扱いするようになった事に、折り合いがつけられなかった。
そこに何か特別な理由が無ければ、自分を納得させる事ができなかったのだ。
「もちろん、邪悪だろうと何だろうと、たっくんは私の友達や。けど、友達だろうとたっくんがどんな存在か変わる訳やない」
どの口で言うのだろうか、とはやては自己嫌悪に口元を歪める。
はやてがTを魔王と扱うのは、結局自分を納得させるためでもあるのだ。
偶々はやてがTに最も近い存在が魔王だと思っているから良かったものの、違えば果たして自分はどうしただろうか。
苦悩しつつも、はやては続ける。
「なぁ、結局みんなたっくんに感じた直感は何と言っているん? 私は、たっくんは邪悪やと、生かしておいてはいけないと感じている。でも友達ではある。生きていて欲しい。できれば闇の書がそうして夜天の書になったように、邪悪だけそぎ落として、皆と一緒に生きていて欲しい。でも、今は少なくとも……」
はやては、口を閉じた。
緊張に乾く口内を、数瞬待って唾液で湿らせ、開く。
言う。
「たっくんは、魔王や」
言葉は、空間に重くのしかかった。
重力が増したかのような室内で、沈黙は質量を持つかの如く全員の体を押しつぶそうとする。
3人の脳裏には、同じ疑問詞があった。
何にせよ、Tの為に3人がするべき事は、管理局からの実質上の指名手配を停止する事だ。
Tが人間であるのならば、それを証明すればいいだろう。
Tが神であるのならば、その力を利用してもいい。
Tが魔王であるのならば、どうにかしてその邪悪さをなくせばいい。
だが、一体何をどうすれば、それらを達成できるのか。
3人には分からない。
取っ掛かりすらも掴めず、地球に着いたらとりあえずTの正体について話し合おうという約束があった。
そんな折、地球に着いた3人が早速聞いたのは、すずかの死という事実である。
約束は有耶無耶になりかけたものの、Tがすずかの死と関係している可能性から、3人は集まる事に決めたのである。
しかし約束は果たされはしたが、得られたのは何も思いつかない無力感と、すずかの死の直後に何をやっているのかという罪悪感だけであった。
そんな虚無感の漂う中、不意にリィンフォースがぽつりと小声で言った。
「しかし、どれにしろ私には、Tを形容するには何かが足らないような気がする。神という言葉でさえも、魔王と言う言葉でさえも、だな……」
静謐な水面に広がる波紋のように、不思議とリィンフォースの言葉は3人の心に刻みつけられる。
それが何か実効的になる事は無さそうで、相変わらず3人の心は無力感で占められていた。
面を上げる者は居ない。
まだ3人ともが足下から視線を動かせず、歩き出す事もままならなかった。
けれど3人には、予感があった。
いずれは面を上げて歩き出し、Tという巨大な存在を前に、何かを選択せねばならない。
その時に後悔しないよう、よく考えて生きねばならない、と。
3人は面を上げる。
雨の止んだ窓の外からは夕日が差し、彼女たちを朱に染めていた。
視線に力は無く、言葉も最早口にするだけの力すら残っていない。
それでも、3人は視線を交錯させた。
くたびれた瞳の奥に、それでも強い光を宿している事を確認する為に。
歩き出そうとしているのは、自分だけではない事を知る為に。
胸に、ほんの僅かな勇気を分けて貰う為に。
——どうしてだろうか。
その瞬間3人の脳裏には、何故かTの姿が過ぎるのであった。
とりあえずここまでで、空白期は終了します。
次からはstsの予定なのですが……。
なんというか、まだstsのプロット組み終わってないんですよね。
ラストまでの大体の道筋はできているのですが……。
という訳で、次回更新はちょっと遅れそうです。
ご了承ください。