夢幻転生   作:アルパカ度数38%

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忙しくなったり風邪を引いたりして、またもや更新に間が空きました。
が、更新です。


その42:眼球の月

 

 

 

 夜空の星々が僅かな光を差す、静かな夜。

夜間照明に照らされた六課の一角、ティアナ・ランスターは全身から汗を垂らしながら、愛機クロスミラージュを構え訓練を続けていた。

橙色のツインテールを翻しつつ、汗で滑るグリップを握りしめ、荒い息をつきつつ二丁拳銃を構える。

次々と流れるように構えを取り、滴る汗を地面に落としつつも動きは止まらない。

疲れが甘い痺れとなって、ティアナから思考能力を奪っていく。

しかしそれは、むしろティアナの狙い通りと言うべき効能であった。

ティアナは、今は何も考えたくなかったのだ。

 

「……っ」

 

 歯を噛みしめる。

エナメル質が不快な擦れる音を残し、歯茎の筋肉が緊張するのが、ティアナ自身にも分かった。

ともすれば歯を噛み砕きかねない力に、ティアナは体を弛緩させ、ため息をつく。

吐く息の湿り気すらもが不快で、ティアナは僅かに目を細めた。

今のティアナは全身がささくれ立った神経のようで、何に対しても苛立ちを覚えざるを得なかったのだ。

心地よい筈の疲労感でさえ、ただの倦怠感としか認識できない。

 

 不意にティアナは、ふらりと背を六課の壁に寄せた。

火照った体の熱を、硬質なコンクリが奪っていく。

脳を思考から遠ざけていた熱が奪われ、ティアナは思い出したくなかった事実を思い出してしまう。

 

 先日、ティアナはホテル・アグスタなる高級ホテルにおける任務において、失敗をやらかした。

功を焦ったティアナは、相棒であるスバル・ナカジマに誤射をしてしまったのである。

幸い魔力弾は副隊長であるヴィータによって防がれたのだが、失敗である事には変わりない。

仲間を撃ちかねなかったという事実に、ティアナはショックを受けていた。

純粋にスバルを失いかねなかった事に対する衝撃。

功を焦って失敗してしまった自分への自信喪失。

それでも強くならねばならない現実。

 

 様々に心巡る感情の末に、ティアナはある事に気づいてしまった。

気づきたくなかった事実に、気づいてしまった。

それ故にティアナはその事実を忘れる為に、無茶な訓練を己に課していたのである。

再びその現実が脳裏で形になりつつあるのに、ティアナは機械的に限度を超えた訓練を再開しようとする。

その事実に気づいた時から、ティアナはずっと訓練と休憩とを繰り返していた。

その事実を脳裏から追い出すため、たったそれだけのために。

こんな単純な方法しか思いつかない事に自嘲しつつ、ティアナはコンクリに預けていた背を浮かし、同時に気づいた。

靴裏が地面を叩き、服が肌と擦れ、呼吸が空気を乱す。

気配。

誰かが近づいてきているのだが、それが誰だか分かるほど人間を止めていないティアナは、体ごと視線を気配の主にやる。

 

「こんばんは、ティアナちゃん」

「……Tさんっ!?」

 

 驚愕の声を上げ、思わずティアナは目を見開いた。

思わず視線をクロスミラージュにやると、小さな空間ディスプレイに現在時刻が表示される。

午後11時、Tは翌日の仕込みをやっている時間である。

視線を時刻とTとで行き来させるティアナに、苦笑しつつT。

 

「ちょっと働き過ぎだって、キッチンを追い出されちゃってね。夜食と紅茶を持って、散歩中。ティアナちゃんは、訓練なのかい?」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 緊張の余り裏返った声で返してから、ティアナは羞恥に赤面した。

思わずその場で座り込んで顔を覆いたくなるも、鋼の意思でどうにか持ちこたえる。

するとようやく、Tの言葉の内容に思考の矛先がたどり着いた。

夜食。

そういえば、ティアナは夕食を最後に水しか口にしていない。

思い出すと突然お腹が減ってきたような気がして、ティアナは思わず腹を押さえた。

同時、きゅぅう、と音。

思わずその場で俯いてしまうティアナを尻目に、苦笑しつつTが言った。

 

「もし良ければなんだけど、久しぶりに一緒に食事でもしないかい?」

「……はい」

 

 2人は六課隊舎の壁面近くに、肩と肩が触れかねない程の距離で腰を下ろす。

ティアナは久しく感じるTの体温の近さに頬が僅かに火照るのを感じたが、元々羞恥で赤くなっていたからか、Tには気づかれていない様子であった。

ティアナが大人しくしているうちにTはてきぱきと用意を終えてしまい、気づけばTにサンドイッチを手渡されていた。

 

 いただきます、と輪唱し、共にサンドイッチを口にする。

相変わらずTの作った食事は素晴らしく、ティアナは思わず頬を緩めた。

同時、ふとTはティアナに料理を作ってくれた時、何時もティアナ好みの味付けにしていた事を思い出す。

するとTが自身の為に作ったサンドイッチは、Tの好みの味付けなのではあるまいか。

そう思ったティアナは、何気ない様子を繕いながら脳をフル回転。

全力を賭してTの好みと思われる味を記憶し始める。

 

 Tの好みは、不可思議な味であった。

美味いのは確かだ。

しかし甘辛いような、苦いような、しょっぱいような、酸っぱいような、何とも表現しがたい独特の味である。

まるでつかみ所の無い味で、まるでTそのもののような味だな、とティアナは思った。

再現しづらい味であることに少し落ち込み、それからティアナは自分が何故落ち込んでいるのか小首をかしげるも、理由は分からない。

 

 ティアナは視線をTへ。

月明かりが青白く照らす、少年と青年の境目の相貌を見る。

不思議と言えば、Tの顔も不思議な顔であった。

何の変哲も無い顔のように思えるのだが、時折ティアナには昔からTは今と同じような顔をしており、出会った6年前であっても今の顔の方が似合うようにも思えるのだ。

まるで力尽くで嵌めたジグソーパズルで作った絵のような。

奇妙な感想だが、そんな雰囲気を持つのがTなのであった。

 

「誤射の事、聞いたよ。色々な人から聞かれて、もう疲れちゃってるかもしれないけれどね」

 

 びくり、とティアナは肩を震わせる。

顔を俯かせ、横目でTの表情を確認。

Tは慈愛に満ちた表情をしており、そこには慈しみ以外の感情は見当たらないようティアナには見える。

その事実に僅かな安堵を覚えると同時、ティアナは胸が締め付けられるような感覚を持った。

自分でもその感情に戸惑っているティアナに、続くTの声。

 

「まぁ、間違いは誰にでもあるものさ。ぼくなんて、この前白い子猫と雪見だいふくを間違えてね、頬張ろうとしたら猫パンチをくらって……」

「間違い……なんでしょうか」

 

 ぽつり、とティアナは零した。

言ってから、ティアナは自身の言葉の目を丸くする。

視線を慌ててTから逸らし、冗談だと口にしようとした。

でなければ、ティアナは気づいてしまうから。

心の奥底に潜んでいた答えに、気づいてしまうから。

だからそう口にしようとするティアナだが、口はパクパクと開け閉めされるだけで、意味のある音をはき出せない。

限界だった。

自分を誤魔化す、限界であった。

そんなティアナに、柔らかなTの声。

 

「間違いさ。君がスバルを撃とうとして撃ったなんて事は、あり得ない」

「でもっ!」

 

 思わず、ティアナは叫んだ。

Tの言葉はティアナに対する信頼に満ちており、ティアナがそんな事をするはずが無いと心の底から信じている言葉であった。

少なくとも、ティアナにとって簡単にそう受け取れる程に優しさに満ちた言葉だった。

だからこそ、その信頼を裏切っている可能性がティアナの心の中を蠢いているからこそ、ティアナは心の中が苦しくてたまらない。

胸が左右両端から思いっきり引っ張られていて、今にも中心から裂けてゆく音が聞こえそうなぐらいだった。

乳房の裏が引き裂かれるかのように痛く、頭の中は真っ白で、だからティアナは思ったままに叫ぶ。

 

「分からないんです。本当にただの誤射だったのか。それとも、私が……」

 

 思わずティアナは瞼を閉じた。

瞼の裏に描かれる、スバルの笑顔。

花弁の開くような笑顔だった。

華々しい何かが今にも生まれ、これからもっと素晴らしい物になる予感をさせるような笑顔。

自分よりもずっと純粋で、美しい物。

だから。

 

「スバルに嫉妬していたから撃ってしまったのか!」

 

 叫んでしまえば、もうそれで終わりだった。

ティアナが必死で考えまいとしていた現実は、もう避け得ない今となってティアナの脳裏に刻まれる。

ティアナは、喉奥がひくつくのを感じた。

胸からこみ上げてくる何かが喉を通り、眼窩にまで到達する。

思わず歯を噛みしめ、瞼に力を込めるも、熱い涙が目尻に浮き出した。

 

 駄目だ、とティアナは反射的に思う。

恩人で優しい人であるTの前で泣けば、慰めて貰えるのは当然のこと。

そう知っていてTの前で泣くのは、なんというか、非情に卑怯な事にティアナには思えるのだ。

ティアナは自分を嫌みな計算高さを持っていると思っているし、卑怯さはそれを助長する事のように思える。

それでは余計に敵わなくなってしまうのではなかろうか。

スバルに。

相棒に。

 

 ティアナは、スバルに劣等感を持っていた。

強さとしてもそうだが、人間性というべき部分においてもである。

ティアナは良くも悪くも計算高い人間で、プライドが高く、努力家だ。

対しスバルは素直で表裏が無く、プライドも低くは無いが相応の物で、努力家で天才型でもある。

相棒であり、常日頃はスバルをティアナが助ける形が多いが、実の所、精神的にはむしろティアナがスバルに依存している所があった。

日常のスバルがティアナに依存しているように見せているのは、本音半分、残りはティアナのプライドを察しティアナを立てて見せている所もあるのだろう。

 

 そんなスバルが、Tに淡い恋心を持ち始めた。

ティアナの恩人、兄代わりとまでは言わずとも、それに近い何かであるTに対しだ。

兄を亡くして以来、ティアナにとって一番大事な人が誰かと問われれば、Tだと答える。

無論比べる相手によっては揺れる部分もあるだろうが、それでも最終的にはTを推すだろう。

それが恋なのか憧憬なのか、ティアナにはまだ分からない。

けれどそんな相手に、ティアナより先にスバルが恋心を抱き始めたというのは、はっきり言ってショックだったのだ。

それ故に、自分が強さに対する焦りからではなく、嫉妬からスバルを撃とうとしてしまったのではないか、と思うぐらいには。

 

 ぽん、と体温がティアナの頭の上に。

冷えた外気に蝕まれたティアナにとって、人肌の温度は暖かくて、いっそう涙があふれ出してくるのを止められなくなる。

それでも、ティアナは目を開き視線をTにやった。

Tは少し困り顔の混じった、優しげな表情。

Tの手は頭上からゆっくりと降りていって、ティアナの頬に伝っていった。

親指を鼻筋に、人差し指を目尻に。

きゅ、と少しだけ力が籠もる。

一瞬Tは口元を左右非対称にし、すぐに緩めて笑顔を作った。

 

「大丈夫」

 

 声は、不思議な振動を伴ってティアナの心に響く。

あまりにもその声は不思議な響きなので、まるでこの世に存在しない幽霊の声のようだ、とティアナは思った。

 

「ティアナが嫉妬でスバルを撃ったなんて事は、ありえないよ」

 

 胸の内側に染み渡るような、Tの声。

ティアナは直感的に、その声が真実なのだと感じた。

全身の霊感という霊感全てが、それを疑いもせずに肯定する。

す、とティアナの心の内に沈んでいた重苦しい何かが取り去られたかのようだった。

さながら水の中から砂や泥を除いたかのように、胸の中が爽快になっていくのをティアナは感じる。

 

「ティアナは良い子だからね。だいじょーぶ、大丈夫」

 

 言って、Tはティアナの顔から手を離す。

再び頭をなで始め、ティアナは直後、弾かれるようにTに抱きついた。

 

「ぁ……う、ぁああ!」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」

 

 ゆっくりとTの掌がティアナの後頭部を撫でる。

残る片手は確りとティアナの背を支え、その力強さにティアナは元々赤くなっている頬を更に赤らめた。

先ほどまでとは比べものにならないほどの涙が、ティアナの両目からあふれ出る。

しかし、涙の意味は先ほどまでとは別物となっていた。

別物の涙が出なくなるまで、自分はTに抱きつき続けるだろう、とティアナは思う。

乳房をTの胸板に押しつけるようにし、首筋に顔を埋め、その背に両手を回した。

歯を折れそうなぐらいに強く噛みしめ、うなり声のようなみっともない声と涙を漏らす。

けれどティアナには、確信があった。

この人なら、そんな格好悪い自分も受け入れてくれる、という確信がだ。

 

「ぁぐ、う、うぅうう……」

「大丈夫大丈夫大丈夫……」

 

 しっかりとTの体温を感じながら、ティアナは思う。

泣き終わったら、まずはTさんに謝ろう。

スバルにも謝ろう。

スバルへの嫉妬を否定された今、ティアナの中にあった焦りもなんだか誰かに話せるような気がして。

だからなのはさんに会って、強さについて少し焦りがあった事を、正直に話そう。

 

 ティアナは未だに、自分がTをどう思っているのか分からなかった。

けれど、Tに抱きついている今、驚くぐらい安心できて、胸の切なさが満たされる事だけは確かで。

だからティアナは、後もう少しだけTの胸で泣き続ける事にする。

夜空の月が、不気味な波長の光で2人を照らしていた。

 

 

 

 

 




ちょっと書き方を変えてみました。
様子見しますが、多分今後は今話の書き方でいこうかな、と。
もう少しスピードよりクオリティを重視しようかな、という事です。

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