プレシア・テスタロッサは人生でただ一人の人間しか愛した事がなかった。
幼少の時より、プレシアは親と折り合いの悪い人間だった。
プレシアの両親は人並みの愛嬌を持った子供を望んで子供を生んだが、プレシアは無愛想を極めた少女だった。
両親は幼い時から本を読む物静かな少女を、内心不気味に思いつつプレシアの弟を産み、両親は愛嬌のある弟にかかりきりになった。
プレシアは家の中でずっと孤独であった。
かといって学校に友達が居た訳でもなかった。
天才的な頭脳で飛び級を繰り返したプレシアは、同年代の子供と触れ合う機会の無いまま成長していく。
やがて天才達の集まる学級に集うようになり、その中にはプレシアと精神年齢の近い少年少女も居たが、彼らもまたプレシアのように無愛想な人間ばかりで、互いに友達を必要としていなかった。
プレシアは自身が孤独である事に実感を抱くことすらなく、研究者としての道を歩み始める。
デバイスや次元エネルギーに関する画期的な論文をいくつか発表し、名声を得たプレシアが二十歳になると、両親はプレシアに見合いを進めるようになった。
当時のプレシアの年齢は結婚には早い年齢だったが、研究者の中でも高い地位になるのに家庭を持つと言う事は一つのアドバンテージとなる。
といっても、両親はプレシアの名声にあやかり富豪の子と繋がりを持ちたがっただけで、決してプレシアの為を思って見合いを進めた訳ではないのだが。
プレシアは23歳の時、見合いの相手と結婚した。
愛の無い結婚であった。
互いに仕事に情熱を注いでおり、今より高い社会的地位を築く為に、家庭を持っているというラベルを欲しがっていただけの結婚だった。
プレシアの夫は当然のように愛人を持っていたし、プレシアもそれをどうでもいいと考え、無視していた。
夜の逢瀬さえも機械的に行い、そこに感情の入り交じる部分は欠片も無い。
プレシアは、永遠に自分はそういう人間なのだろうと思っていた。
研究に自身の全てをつぎ込み、感情的な部分など存在しない人間。
故にプレシアも、妊娠を医者に告げられた時でさえ、自分の娘に何ら感情を持たず、ただ死産になるとまた研究をできない時間が増える為、勿体無いとだけ思っていた。
そして、アリシア・テスタロッサが生まれた。
まるで今までの世界が灰色で、その時世界が色づいたかのようだとプレシアは感じた。
アリシアの行動一つ一つが発見に満ちていて興味深く、また何よりその愛らしさがプレシアの心を誘う。
子を持つ事は、プレシアの中の少ない優先順位をごぼう抜きにし、トップに踊りたった。
愛おしさが体の中から溢れ出んばかりになり、プレシアはアリシアに全ての愛を注いだ。
アリシアは、プレシアの全てとなった。
しかし、夫はそんなプレシアの変化を嫌った。
彼の欲しかった妻は名声を持ちステータスになる妻であり、子供を深く愛する妻ではなかったのだ。
プレシアが、専業主婦としてアリシアの育児に専念したい、と夫に言ったその日、夫は離婚を切り出した。
プレシアは抵抗したものの、アリシアを生むまでの自分が夫への理解を深め、決して夫はこの離婚を撤回しないだろうと言う確信を持つ事になる。
せめてアリシアが安定するまで、とプレシアはプライドをかなぐり捨ててまで頼み、数年後、アリシアが2歳の時に2人は離婚した。
プレシアはアリシアに時間の全てをつぎ込む事なく、収入の為に研究を続けなければならなかった。
幸い、働く事は苦ではなかった。
いくらアリシアが研究より好きになったからと言って、研究の素晴らしさが色褪せる訳ではなかったのだ。
プレシアの天才性は不思議と磨きかかっており、名声は更に高まった。
それが、仇となった。
プレシアはアリシアと十分な時間をとれるようなスケジュールで済む仕事しか行なってこなかったが、その名声から大きなプロジェクトチームに抜擢される事となったのだ。
会社をやめる事も選択肢に入ったが、育児によるブランクのあるプレシアが今以上に好条件の仕事にありつける可能性は低い。
そうなれば、結局アリシアとの時間が減る事となり、本末転倒となってしまう。
それに、数年の我慢だ、アリシアには寂しい思いをさせるようになるが、この仕事を終えたらたくさん休暇をとってアリシアに精一杯構ってやろう。
そう思って、プレシアは次元エネルギー駆動炉ヒュードラの制作に関わる事となった。
そしてアリシアは死んだ。
上層部の無理なスケジュールや安全管理により、ヒュードラは暴走、その所為でアリシアは窒息死した。
プレシアは会社を呪い、そして自分を呪った。
私はいつも気づくのが遅すぎた、そう叫びプレシアはアリシア蘇生の為に人工生命に関するグレーゾーンの研究を続け、そして半ば独力で記憶転写形クローン、プロジェクトフェイトを完成させる。
しかし、記憶転写形クローンでさえも完璧なアリシアを取り戻す事はできなかった。
人格の違うアリシアにプレシアはフェイトと名付け、使い魔によって教育させ自由に使える手駒とする。
同時にプレシアはアリシアを蘇生するための研究を続けた。
グレーゾーンの研究を続けてきた際に罹患した病気により、プレシアは残る寿命が少ない事を自覚している。
かといって病院に行くには後ろ暗い研究の成果が邪魔をし、その事が余計にプレシアを研究に駆り立てた。
そしてプレシアは最早残る寿命が殆どなくなり、奇跡に頼るしかなくなった。
ジュエルシード。
願いを曲解して叶え、次元の狭間に道を開くロストロギア。
それにより、失われた秘術の眠る地、アルハザードにたどり着くと言う奇跡に頼るしか。
「……っ」
瞬き。
プレシアはぼんやりとする視界を眺めながら、自分が午睡に陥っていた事に気づく。
最近プレシアは意識を保っていられる時間も少なく、気を抜くと今のように意識を失ってしまう事があった。
幸い椅子の上で眠っていたようだが、これが床であればただでさえ短い残り時間をすり減らしていた事だろう。
そう思ってから、プレシアは何が切っ掛けで自分の意識が戻ったのだろうと思い、魔力反応があったからだと気づいた。
フェイト、あの紛い物の魔力反応。
その名を思考するだけで、プレシアの中に強い憤りが生まれる。
許されるのなら縊り殺してやりたいぐらいの怒りがプレシアの中を走ったが、しかしアリシアと同じ顔をしているフェイトを殺す事は、他の誰でもないプレシア自身が許さなかった。
中途半端に外見だけはアリシアと同じであるから、プレシアは気づかぬ内にフェイトに期待を抱いてしまい、そして人格の差によりそれを裏切られ、怒りを覚える。
八つ当たりだろうとプレシアの中の冷静な何処かが言っていたが、病による気が狂いそうな痛みがプレシアから冷静さを奪っていた。
しかし、何故今此処にフェイトが?
疑問詞を覚え、プレシアは眉をひそめる。
定期報告の時間はまだ来ていない、なのに来るのだとすれば、フェイトでは対応しきれない予想外のアクシデントがあった為だ。
一体何があったのだろうと疑問に思いつつプレシアが待っていると、すぐにプレシアの居る広間にノックの音が響く。
「入りなさい」
「はい、母さん」
言ってフェイトが大広間に入ってきた。
その背後には、バインドで捕縛された、フェイトと同い年ぐらいの少年が浮かんでいる。
黒髪の少年で、目を瞑っているのは気絶しているのか眠っているのか、どちらにしろ呼吸は正常に働いているようだ。
顔の造形は特に特徴的な所は無く、年齢相応の幼さがそこにはあった。
服装は白を基調とした服装で、背負っている鞄を見る限り、現地の小学校という教育機関に通っているのだろう。
普通の少年である。
この少年がどうしたのだろう、と内心プレシアは首を傾げた。
「一体何があったのかしら? フェイト。よっぽどの事が無い限り、定期報告までに戻らないよう言っておいた筈だけど……」
「はい、母さん。でも、ちょっと私じゃあどうしようもない事があって……」
「言ってみなさい、フェイト」
自分でも虫唾が走るような猫なで声を出して、プレシアは無理に笑顔を作った。
フェイトは、困り果てたような顔をするも、すぐに真剣な顔を作ってプレシアに向き直る。
「この子が、ジュエルシードを食べちゃったんです」
「……は?」
思わず、プレシアは目を点にした。
「しかも、ぼりぼりいってたから、多分噛み砕いて食べちゃって……」
「……何を言っているのかしら?」
「私も夢でも見たんじゃあないかって、サーチしなおしたんですけど、やっぱりこの子全体にジュエルシードが行き渡っているような感じで……」
「何をバカな事を、そんな事ありえる筈……」
と言いつつプレシアは、念のため魔力サーチを施行。
少年の中に、ジュエルシードと思わしき膨大な、しかしリンカーコアとは明らかに異質な魔力反応が見つかる。
「筈、が……」
冷や汗をかきつつプレシアは再度サーチをするも、返ってくる反応に違いは無かった。
自分の顔がひきつってゆくのを、プレシアは感じる。
「封印魔法も念のためこの子に使ってみたんですけど、効果が無くて……」
「…………」
プレシアは、頭痛を堪えるのに額に手をやり、深く溜息をついた。
流石に予想外にも程がある事態である。
一体何がどうなったのか、研究者としては未知の事態は喜ばしい物なのだが、寿命が尽きかけた今となっては煩わしいだけだ。
肩の力が抜けるのを感じつつ、プレシアは続ける。
「後でデータを確認したいからバルディッシュの記録をコピーして置いて行きなさい。
あとは、そうね、とりあえずはこの子供は時の庭園で預かるわ。
場所は……」
と、プレシアがそこまで言った所で、少年の瞼がピクリと動いた。
起きようとしているのだ、と理解すると同時、プレシアは念のため魔法を使えるよう集中力を極限まで高める。
フェイトもまた、バインドを抜けだされた時の為にバルディッシュを構え、戦闘準備をしてみせた。
目の前の少年は、ロストロギアを食べるという異形の業をやってみせた人間だ、何をしてくるのか全く予想がつかない。
緊張感に満ちた空間で、少年はゆっくりと瞼を開いた。
「……ん、ん?」
疑問詞と共に、少年は辺りを見回し、プレシアへと視線をやった。
少年とプレシアとで、目が合う。
少年の瞳は宵夜の濃紺であった。
まるで夜の帳そのもののような、深く、美しい瞳。
その瞳が体全体に生命の息吹を与えたかのように、全身が眠っていた先ほどまでとはまるで別物の存在感を醸し出す。
決して美しくはない。
未だ未完成の肉体である少年は、美しいと比喩するには幼すぎ、可愛らしいと比喩する方がより近いだろう。
それでいて尚、少年の存在感は異様であった。
まるで海と夜闇との境目、その間でブレている曖昧な何かのように思えて、しかし次の瞬間にはクッキリとした強固な存在であるようにも思える。
矢張り最も凄まじいのは、その瞳であった。
その瞳は、揺れる狂気に満ちていた。
まるで億千万の烏が飛び交っているかのように瞳の色は波打っており、その中には瞳に写り込んだプレシアがゆらりゆらりと揺れている。
今にもどろりと溶け出し、床へと垂れていきそうな瞳であった。
それでいて、まるでコップいっぱいに入れた水のように表面張力がそれを留めており、眼球そのものの許容点を超えた位置で瞳のドロドロは波打っている。
プレシアは、その瞬間足元が奈落になったようにさえ感じた。
価値観が粉砕され、自分の中の全てが置き換わるようにさえ思える。
浮遊感が全身を包み、まるでプレシアは少年の瞳の中の夜に抱かれているかのように思え、不思議と安心感を覚えた。
震える程の感動が、プレシアの中を走る。
アリシアと生んだ時に等しい程の、激烈な感動が、だ。
「おはよーございます」
と言う少年に、プレシアは頬を染めた。
胸は早鐘のように打ち続け、体は芯から熱く、立っていれば倒れていたかもしれないぐらい。
プレシアはその瞬間、今自分が感じている感情を天啓した。
プレシアは、少年に一目惚れした。
親子以上に年の離れた9歳の少年に、一目惚れしたのだ。
プレシアが人生で2人めに愛した人間が現れた瞬間であった。
<追・追記>
寝て起きて見てみたら言い訳がましくて見苦しかったので、追記を消去しました。