「……え?」
動揺は波のように広がっていった。
声から一泊、意味を理解したスバルの瞳から色が抜け落ちる。
隣のティアナも同様で、2人して膝の力が抜け落ち崩れ落ちそうになるのを、互いに触れ合い辛うじて堪え忍ぶ。
2人ほどでは無いが、エリオとキャロも食堂の名コックとして親しんでいたのだろう、ショックの色は隠せないようであった。
さほど接点の無いギンガの表情は、スバルとティアナの事を気にする成分の方が多いようだ。
「その……、それは確実な情報なんです、よね?」
「うん。ティアナが疑いたくなるのも分かるけど、事実だよ。六課でコックとして働いていたTは、S級生体ロストロギア保持者のTと同一人物。そして今、スカリエッティの元を離れた戦闘機人トーレに連れ去られている。トーレの目的は過去の言動からの類推だと、スカリエッティ陣営と管理局との戦闘と、それによる戦闘欲求の解消だね」
流れるように言いつつ、なのはは詳しく話す事のできない自分に苛立ちを覚える。
目前の2人は、まだTをTというアルファベット一文字で指し示しているという現状にすら気づけていない。
どころか、Tがなのはの幼なじみであるということも、狂気的な話に繋がるという事から2人を含めたフォワード陣には伝わっていないのだ。
先ほどのフェイトとはやてとの対話で、Tに関する狂気はフォワード陣にも秘密にする事となった。
当然と言えば当然の帰結なのだが、それでもなのはは胸の奥が燻るのを押さえきれない。
何故なら。
「……なら、私たちにできる事は、Tさんを助ける事、ですよねっ」
握り拳を作り、勇ましく顔の前に持ってくるスバル。
その拳は震えたままであり、残る片手はティアナと繋いだままで、表情も上手く笑顔を作り切れておらず、笑みになりきれない歪みを残すだけ。
「そして、信じる事。Tさんが例えS級生体ロストロギア保持者だろうと、それには何か理由がある筈。管理局はその理由を見捨てる程、冷酷な組織じゃあない。ですよねっ」
応じて、ティアナ。
兄を管理局に侮辱された過去がありながらもそう言ってのけ、希望に辛うじて捕まっているその表情は、今にも崩れ落ちそうであった。
2人の瞳は、明らかにTに対する一つの心で充ち満ちていた。
恋であった。
なのはに恋の経験は無いが、これまで働いてきた中で恋を経験する仲間は山ほど居た。
恐らく恋とは素敵な物なんだろう、となのはは類推する。
仲間達は誰もが恋で人間的に磨かれ、心を鷲掴みにされるような経験を経て、素敵な人間になっていった。
それでなくとも世間では恋愛がやたらと重視されており、ワンシーズンのドラマたちで恋愛要素のあるドラマを一つも見かけない事など無いだろう。
その恋を、スバルとティアナは明らかにTへと向けていた。
恐ろしく残酷な光景であった。
Tというどうしようもないあの表現すらし難い存在、恐るべき、としか言いようのない存在に対しての、恋である。
一体この世の誰が言えよう。
貴方が恋をしている相手はこの世の創造神にして魔王にして唯一の人間。
この夢幻世界を夢見る主であり、何時貴方を含めたこの世から目覚め、この世全てを消し去ってしまうのかどうかすら分からない。
そして貴方はTの夢の登場人物に過ぎず、夢の主たるTと対等になる事は恐らく永遠に無い、などと。
そも、その事実を悟ってしまえば2人は発狂してしまう可能性が高く、言うという仮定すら無意味なのだが。
なのはは、歯噛みしようとする自身を強引に心の奥に封印し、仮面の笑顔を浮かべた。
口元を緩め、まるで正解を言ってのけた生徒に向けるかのような微笑みで、2人の頭を撫でてみせる。
「よくできましたっ。2人とも、諦めるのはまだ早いもんねっ」
2人の成長が嬉しいという、演技の笑みを表情に貼り付けるなのは。
スバルとティアナは顔を綻ばせ、ようやく青ざめていた頬にも赤みが戻る。
生気を取り戻した2人の表情は瑞々しい程に活力に溢れており、なのはは彼女たちの尊さを再確認した。
なのはの教導を最も親身に受け継いだ2人は、なのはにとって最も可愛い生徒であった。
無論今は仲間と言って差し支えの無い力を持っているのだが、それでもなのはにとって、同時に彼女たちが生徒である事に変わりは無い。
そんな2人の表情に、なのはは自分の心の奥底からも、熱い物がこみ上げてくるのを感じた。
自分が卑劣な事をしているという自覚を飛び越え、2人の心がなのはの胸の奥に飛び込んでくるのだ。
そうだ、自分も諦めちゃいけない、となのはは思う。
何もTが記憶に残すのはなのはである必要性は無い。
なのはが特別扱いされている事から記憶に残りやすいだろうと思っただけで、例えスバルかティアナであっても何も問題は無いのだ。
だから——、2人の心が通じ、どちらかがTと付き合う事になり、その娘の事がTの心に残る。
せめて、この世界の未来はそんな未来であって欲しい。
儚すぎる未来を胸に、なのははゆっくりと眼を細めた。
*
「……あ」
出発前のヘリ整備の為に生まれた、僅かな空き時間。
ギンガが気晴らしに散歩をしていると、飲料自販機の前のソファに、一つの影を見つかった。
長い銀髪に小柄な体躯を包む、ナンバーズ特有の青いボディスーツと羽織ったコート。
戦闘機人、チンクである。
足音に気づいたのだろう、チンクはギンガを一瞥、軽く会釈をして手元の缶コーヒーに視線を戻す。
その顔にあった陰りが気になり、ギンガはチンクの前で歩みを停止。
軽くのぞき込みつつ言う。
「ちょっと隣、いいかしら」
「あぁ、構わない」
肯定の意に、ギンガは体を回転させ、すとりとソファに腰を下ろした。
視線をチンクへ、彼女の全貌を眺める。
光を反射し輝くような銀嶺の髪に、体躯は小柄でほっそりしていて、強く抱きしめてしまえば壊れてしまいそうなぐらい。
その顔は妖精のように愛らしいが、つけてある眼帯が彼女が愛らしいだけの存在ではない事を示唆している。
詳しい事は聞いていないが、チンクはSランク魔導師にさえ勝利した経歴があると言う。
その戦力を鑑みて、はやて部隊長は強引にスカリエッティとの決戦に連れて行くつもりなのだとまで聞いた。
が、見れば手元にある缶コーヒーはやたらと甘い物で、自販機に無糖が減糖が並んでいた事を考えると、わざわざ甘い物を選んだのだろう。
しかも見ていると、まるで小動物のような仕草でコーヒーをちびちびと飲んでいる。
自分を遙かに超える戦士でありながらこんなにも愛らしい少女。
どう接すればいいのか暫時迷うも、ギンガは口を開く。
「その……ナンバーズの子達の事、心配?」
「……まぁな」
言ってチンクは缶コーヒーを飲み干し、隣のゴミ箱に捨てた。
アルミニウムが激突する音階。
続けてチンクは指組みし、その上にあごを乗せて言う。
「妹たちは、全員ドクターに改造されてしまった。人間の尊厳を捨てた姿にな。私は当時、黙って見ていたんだ」
「黙って?」
「あぁ。妹たちが全員改造を受け入れていたからと言って、な。妹たちは言っていたよ、内容は知らないけど、ドクターのやる事なら間違いは無い。しょうもない事かもしれないけれど、ドクターは親みたいなもんだし、付き合ってあげるって、な」
遠くを見つめるチンクに、ギンガは口を挟めなかった。
既に六課の戦闘メンバーの前で、チンクはスカリエッティの目的を言っている。
己のことをTに覚えてもらう事。
意味不明なそんな内容の為に、後期ナンバーズ達は改造されたのであった。
加えて言えば、チンクは未だ受け入れ切れていないのか話していないが、オットーとディードは既に死んでいるのだ。
胸が縮んでゆくような思いに、ギンガは思わず歯を噛みしめた。
思わず、声が飛び出す。
「その……、スカリエッティは貴方にとっても親だったんでしょ? だったら信じちゃうのは当たり前の事で、貴方が悪いなんて事ないわよ」
「かも、しれないな。でもな、私は……」
言って、チンクは指組みを解き、掌を眼前に。
震える掌を見つめていたかと思うと、ぐっと握りしめる。
「あの子達の、お姉ちゃんなんだよ」
血が滲むような言葉であった。
歯は噛みしめられ、手は力が入り震えるほど、瞳には大きすぎる程の意思が込められている。
「だから私は、何も諦めてはいけない。絶対に、妹たちを……、せめて残る5人は、必ず人間に戻してやらねばならないんだ。絶対に、な」
決意と共に語られる言葉は、何処か危うさを滲ませていた。
ギンガは直感する。
この子は、全てをなげうってでもナンバーズの子達を人間に戻すだろう。
残る人生の全てを捧げてさえ。
恐らくは、事件が解決された後、自身を実験体として捧げてさえも。
駄目だ、とギンガは思った。
目の前の姉として頑張る少女を、そんなに残酷な道へと進ませてはならない。
引き留めようと声をかけようとした所で、だが、とギンガの胸を迷いが過ぎる。
一般局員でしかない自分が、出会って1日も経っていない戦闘機人の少女に、一体何を言えるのだろうか。
守ってみせる? どうやって?
ナンバーズを人間に戻してみせる? どうやって?
そも、目の前の少女は誰かの情けを受け取れるような器用な性格をしているのだろうか?
煩悶するギンガの脳裏を、しかし一つの事実が過ぎった。
母クイント。
一局員に過ぎなかった身で、ギンガとスバルを引き取ってくれた人。
父ゲンヤ。
母に力を貸し、ギンガとスバルを守り続けてきてくれた人。
「それは、貴方がナンバーズのお姉ちゃんだから?」
「……え?」
気づけばギンガは立ち上がり、チンクの前で腰を下ろしていた。
視線を合わせ、瞬きをするチンクの瞳を見つめ続ける。
「そうだ、私は、お姉ちゃんだからな」
「そういう貴方は今、15歳だったっけ?」
「そうなる」
短い応答を終え、ギンガは両手を差し出し、チンクの両手をとって見せた。
僅かに震えるも、されるがままにするチンク。
そんな彼女に、ギンガはできる限りの微笑みを浮かべ、告げる。
「じゃあ私の方が、貴方よりお姉ちゃんだね」
「……っ」
息をのむ音。
見開く瞳から決して目をそらさず、ギンガ。
「だから私も、出来ることは少ないかもしれないけれど、貴方の悩みぐらいは聞いてあげられる。こうやって、手を繋ぐ事ぐらいはしてみせる。だから、お願いだから無茶はしないでくれる?」
「あのな、私たちは出会ったばかりで……」
「うん。知っている事は、少ないね」
反論を言うチンクは、何処か焦った様子でもあった。
まるで欲しい物を貰っても、遠慮から素直に受け取れない子供のようだ、とギンガは思う。
その姿が愛おしく、抱きしめてやりたい衝動にすら駆られた。
「貴方が、自分の妹たちをとても大切に思っている事。六課の事を守ってくれた事。素直で良い子な事。それだけ知っていても、お姉ちゃんになりたい、って思うのに不足かな?」
「…………」
チンクは俯き、何かに耐えるように歯を噛みしめる。
大丈夫だろうか。
自分の気持ちは受け入れられただろうか。
浮かび上がってくる不安を心の奥に押し込め、ギンガは笑顔のままじっとチンクを見つめて待つ。
しばらく経つと、チンクは面を上げた。
眼を僅かに潤ませ、緩んだ口元を開け、かすれた小声で言う。
「……あり、がとう」
ギンガは、思わずチンクを抱きしめた。
ほっそりとした体躯から暖かな熱が伝わり、ギンガの体を触れ合い、混じり合う。
ギンガは、ゆっくりとチンクの手が動くのを感じた。
ぎこちない動きでチンクの手はギンガの背に回され、少し弱いぐらいの戸惑いがちな力で抱きついてくる。
チンクの手がギンガを抱きしめる力は次第に強くなってゆき、やがてギンガのそれと同じぐらいになる頃。
六課の隊舎内放送で、ヘリの修理が終わった事が告げられる。
出撃の時間であった。