僕は、湖畔で自慢の竿『渦潮』を振った。黒い竿から飛び出た糸の先に付いた釣り針と浮きは、きれいなアーチを空中に描いて、狙い澄ました岩場の陰に小さな波紋を残して水中に消えた。うん、今日も良い調子だ。
「後は、魚が食いつくのを待つだけ。ああいう所にいる魚は警戒心が強いから、じっと根気で勝負するんだ」
「なるほど・・・」
「えーっ!まだまつのかよー!」
「釣れても食べちゃダメだよ。釣りはスポーツなんだから、命まで奪うのはご法度です」
「ちぇ〜」
竿を寝かせて、湖の流れに糸を任せる。しばらく釣れないことを知って、横で見てた滝山くんが露骨にがっかりした声を出した。本当は自分で潜って獲った方が早いらしいけど、やっぱり湖に入るのはモノクマが許してくれないらしい。
妙な奴だな。自然を守るのは良い事だけど、ちょっと過剰な気もする。いつの間にか資料館内では飲食禁止ってルールも追加されてたし、案外ただの潔癖症だったりして。
「んはあ〜、でもはらへったよぉ。はらがへってはいくさができぬだよ」
「あっ、た、滝山さん。よかったらうちが作ったお菓子食べます?」
「おかし!」
「おはぎです。きな粉もありますよ」
「僕も一つもらおうかな」
「どうぞ」
晴柳院さんが袖からパックを取り出すと、滝山くんは分かりやすく喜んだ。言ったら悪いから思うだけにしておくけど、本当に犬かなんかの動物みたいだ。くんくん匂い嗅いでるし。
晴柳院さんの料理はどれも優しい味付けで美味しいから、おはぎを見たらなんだか僕も食べたくなってきちゃった。僕も晴柳院さんのおはぎをもらって、たっぷりきな粉を付けて口いっぱいに頬張った。
「ん?なあなあ、これ甘いニオイしないぞ」
「ふえ?」
「っ!?んむうううううううっ!!」
「さ、笹戸さん!?」
「し・・・しょっぱあ・・・」
「どれどれ。んぺっ、ホントだ。くえたもんじゃねえや」
「お塩とお砂糖間違えましたあ・・・」
口の中に広がったのは餡子と餅米の優しい甘さのハーモニーではなく、口の水分を全部吸い取ってやろうというような渇きと塩気。思わずきな粉を噴き出して吐き出しそうになった。
で、でもそれだけはダメだ!せっかく晴柳院さんが作ってくれたものなんだからそれだけは絶対ダメだ!落ち着け、これくらいのピンチ、大時化の海にバナナボートで漕ぎ出したあの時に比べればなんでもない!
なんとか僕は、もはやおはぎではなく塩団子になっているそれを咀嚼して飲み込んだ。猛烈な喉の渇きと痛いほどの塩辛さで涙が出てきたけど、晴柳院さんにそんな顔は見せられない。
「あ、あの・・・笹戸さん?ご、ごめんなさいぃ・・・。まさかこんなベッタベタな間違いをするなんて・・・」
「はあ・・・はあ・・・、な、何が?」
「え?」
「とっ・・・ても、美味しかったよ・・・。晴柳院さんのしおだ・・・おはぎ」
「笹戸さん・・・」
おかしいな。拭いても拭いても涙が止まらないや。でもなんとか僕は乗り越えたぞ。“超高校級の釣り人”として、塩と砂糖を間違えるなんてくらいのピンチは容易く乗り越えられるさ。
「マジかよささど。じゃあおれの分もやるよ」
「え゛」
「あ、あの滝山さん・・・それはさすがに・・・」
「いただきます!!」
「ええええええええっ!!?な、なんでですかあ!!?」
「ぎゃっははははははははははははは!!!なんだそれささど!!おもしれーなあ!!」
滝山くんに悪意はない!晴柳院さんにも悪意はない!ただこうなっただけだ!だったら僕が二人のミスをカバーしてあげるしかないじゃないか!大丈夫!これくらいのピンチ、釣り針が船のスクリューに絡まって沖まで引きずられた時に比べたらなんでもない!
晴柳院さんはどうしていいか分からない様子でおろおろして、滝山くんは僕が悶える姿を見て爆笑してる。滝山くん・・・君はこうなることを知っててやったのかい。
「何してるのあんたたち・・・笹戸はどうしたの」
「あっ!あっ!石川さん!あ、あの!お水ありませんか!?」
「あるわよ」
「あるんだ!」
「あ、あの・・・笹戸さんがうちの作ったおはぎを食べて・・・おはぎのお砂糖とお塩間違うて・・・」
「なにそのベッタベタなミス。はい、お水」
一人は慌てふためいて一人は悶絶して一人は爆笑してる、そんな奇妙な場所の横を石川さんが偶然通りかかった。一縷の望みを抱いて晴柳院さんが水を求めると意外と持ってて、変なラベルの水を僕は一気にあおった。それだけでもだいぶマシになる。
「はぁ・・・はぁ・・・ありがとう石川さん。助かったよ」
「あ、ありがとうございましたぁ」
「いいのいいの。滝山、あんたは笑い過ぎ」
「ひーっ!ひーっ!あ〜、おもしろかった。ささど、すげーなお前」
「ごめんなさい笹戸さん・・・うちのせいでエラい目に」
「だ、大丈夫だよ・・・」
水を飲んだことがよかったのか、あっさり塩気は引いていってすぐに落ち着けた。まだ涎がどんどん出てくるけど、この調子ならもう大丈夫そうだ。
「っていうか、よくそんな塩団子みたいなの食べられるわね」
「ささどってへんなのすきなんだぜ!しょっぱいの分かっててたべたんだからさ!」
「あんたバカ?笹戸は晴柳院ちゃんに気ぃ遣ったんでしょ。ま、優しすぎるって感じもするけどね」
「そうかな?」
「そうよ。だってあんた、この前捌く魚一匹一匹のこと拝んでたでしょ。優しいっていうか、ちょっと狂気を感じたっていうか」
「あ、あはは・・・まあね。やっぱり、大切な命だから」
ああ、やっぱり石川さんあの時引いてたんだ。魚を拝んだり捌いてる後ろから何か変な視線を感じてたから、もしかしたらまたドン引きされてるのかなって思ったけど、間違ってなかったみたいだね。でもしょうがないよね。みんなを元気づけるためだったし、魚たちだって尊い命なんだから。
でもそんなことを言ったらまた引かれちゃう。最悪、晴柳院さんや滝山くんまでそうなっちゃうかもしれない。だからここは、乾いた笑いで誤魔化す。
「でもよかった。晴柳院ちゃん、結構落ち着いたみたいで」
「ふえ?」
「いや、古部来にあんなひどいこと言われたから落ち込んでるかと思って。アニーも心配してたわよ」
やっぱり石川さんも僕と同じこと思ってるみたい。僕のこと見て苦笑いする晴柳院さんの頭をぽんぽん叩いて、本当に安心したって顔をしてた。みんな表に出してたり出してなかったりだけど、晴柳院さんのこと心配してるんだ。何人かはどうだか分からないけど、でもほとんどの人がそのはずだ。
「う、うちもまだ完全に乗り切れたいうわけや・・・ないんですけど・・・・・・。でも、うちが落ち込んでるばっかりやったら、またみなさんに心配かけしてまうって思って・・・」
「まーでも、こぶらいとかしみずとかはわかんねーけどな!」
「あいつらはいいのよ。自分のことしか考えてないんだから・・・まったく」
「だけど、清水くんも古部来くんも、よっぽどなことはしないはずだよ。もう・・・あんなこと起きないよね」
「あったり前じゃない!っていうか、あの二人にさえ注意してれば、もう余計ないざこざとかもないんじゃない?というわけで滝山!」
「ん?」
僕が心で思うだけにしてたことを、滝山くんは平気で口にしてしまう。それが滝山くんの良いところでもあって悪いところでもあって、でも石川さんの言う通りかも知れない。二度とあんなひどいこと、させちゃいけない。周りと衝突することが多いあの二人にさえ気をつけていれば、殺人なんてことはもう起きないはずだ。
「今後あんたは清水と古部来がケンカしそうになったら止めるのよ!ケンカの臭いとか嗅ぎ取って!」
「石川さんたまに無茶苦茶言うよね」
「おう!とりあえずわかった!」
「た、たぶんわかってません・・・」
「あはは・・・ん?」
冗談で言ってるのか本気で言ってるのか、石川さんは滝山くんに無茶苦茶なこと言って、滝山くんもそれに分からないまま元気よく返事した。ま、まあいいんじゃないかな。悪いこと考えてるわけじゃないし。
ふと、背後に気配を感じた。すぐ振り返ると、さっき投げた餌に何か引っかかったらしく、リールから糸がもの凄い勢いで飛び出してた。これは大物の予感だ!
「おっ!何かかかったよ!」
「うおおっ!すげえ!なんだなんだ!くじらか!?まぐろか!?」
「どっちも湖にいるわけないでしょ・・・あっ!でもこれはチャンス!」
「あ、あれ!?石川さん!?どこ行かはるんですかあ!?」
一気に飛び出していく釣り糸を見て、僕はすぐさま『渦潮』の柄を握って腰のホルダーにあてがった。これを支点にすることで、大きな獲物にも負けないしっかりした支えができるんだ。
腰と腹筋、それから肩にしっかり力を入れて体勢を整えたら、強く『渦潮』を引いて弛んだ分の糸をリールを思いっきり巻いて引き戻す。岩場の陰から水飛沫があがって糸を強く引きながら湖を自由自在に泳ぎ回る。この魚の動きを先読みして、最も力を逃がさないように竿と体を動かし、意識を獲物に集中する。引く力が弱まった一瞬を見逃さず、ぐいっと糸を引き戻す。少しずつ、少しずつ、獲物が僕に近付いてくる。
「おおっ!すげえすげえ!がんばれがんばれささど!!」
「くっ!結構な大物だよ!」
「おれもてつだうよ!そりゃっ!」
「えっ!?ちょ、ちょっとやめて滝山くん!うっわ、すごい力!!」
「ええええええっ!?あ、あのぉ・・・なんですかこれ!?どどどど、どうしたらあ・・・!?」
魚影が湖畔まで近付いてくるとあともう少し。十分に近付いたら魚が弱ってきた証拠だから、ゆっくりと網で丁寧に掬ってあげる。そのビジョンが見えてたのに、いきなり後ろから滝山くんが僕の腰に手を回してきた。まずい、と反射的に思ったけども時既に遅し。
僕と『渦潮』ごと魚を引き揚げようっていうつもりなのか、僕にバックドロップをしようっていうつもりなのか、もの凄い力で僕を持ち上げた。野生児だから力があるのは当然なんだけど、今までそんな面を見なかったせいか意外で、思わず僕も『渦潮』を引っ張った。
「あっ!・・・うわあっ!?」
「いでえ!!」
目をつむって体を強張らせたら、『渦潮』にかかってた力が急に抜けた感覚を覚えた。でもそのすぐ後に、僕と滝山くんは重なって後ろに倒れた。下敷きになった滝山くんは、ぐえっと空気を吐き出して、僕は『渦潮』が傷つかないようにすることに集中してて、強く体を打ち付けちゃった。
「い、糸が切れた・・・」
「ああ・・・もうちょっとだったのに・・・」
「お、おもてえよささどぉ・・・」
「あっ、ご、ごめん滝山くん!」
「逃げられちゃったわね。逃した魚は大きいってね」
苦しそうな滝山くんの声を聞いて僕は慌てて起き上がった。途中で切れて先がバラバラになった釣り糸が、『渦潮』から切なく垂れてる。うん、しょうがない。どっちにしてもあれくらい大きな魚を狙うんだったら、もっと強い糸を用意しておかなきゃいけなかった。
僕は集中してたから分かんなかったけど、魚がかかった途端になぜか桟橋に行ってたらしい石川さんが、簡易カメラを持って戻ってきた。確かあのカメラは、裁判の時の証拠写真を撮影したカメラだった。
「あ、いしかわ。どこ行ってたんだよ。お前もてつだってくれてたらつれてたかもしんねーのに」
「あんなむちゃなやり方したら釣れるもんも釣れないわよ。あたしはあたしで、ちゃんと“才能”活かす仕事してたのよ」
「お仕事ですかあ?」
「はいこれ。笹戸、これにサインしてくんない?」
「え・・・どういうこと?」
石川さんが僕に差し出したのは、一枚の写真と少し細めのサインペンだった。写真に映ってたのは、糸の先を見つめて『渦潮』を握る僕の顔。釣りの最中、僕ってこんな顔してるんだ。なんか改めて見ると気恥ずかしいというか、照れくさいな。
「ちょうどカメラもあるし、せっかくだから写真のコレクションでもしようと思って、せっかくだから『超高校級の写真コレクション』にしようと思ったの」
「せっかくすぎだろ」
「みんなの顔写真とサイン、それをコレクションにするの。良い案だと思わない?」
「ああ、それステキです!もうみなさんのは撮らはったんですか?」
「えっと、今のところはアニーと明尾ちゃんと鳥木と、後は笹戸のが集まってるわね。あと・・・」
そう言って、石川さんは五枚の写真を見せてくれた。アニーさんの写真は、テラスで優雅にコーヒーを淹れる姿が映ってて、指に嵌めた赤い宝石の指輪と胸から柄がはみ出た銀のコーヒースプーンが輝いててきれいだ。飯出くんの写真は、みんなに向かって結束を力説してるところで、写真の向こうから彼の熱意と誠実さが伝わってくるようだった。隅に走るサインペンの筆跡が、みんなの姿をより洗練された“超高校級”の姿にしてる。
「飯出と有栖川ちゃんの分もあるからさ・・・全員分集めてコレクションにしたら、あたしたちがここを脱出した時に、思い出っていうか・・・なんか祈念の品みたいになるかなって」
「・・・石川さん」
お気に入りの、ピンク色の猿のぬいぐるみを抱きしめてる有栖川さんの写真を、晴柳院さんはじっと見つめた。やっぱりまだあのことが後を引いてるのかな。そりゃそうだよね。あの事件は僕たちに、とても深い心の傷を残したはずだ。当事者とまではいかないけど、深く関わってる晴柳院さんが立ち直りきれるのはまだ時間がかかるんじゃないかな。
「うち、これステキやと思います」
「本当?」
「はい。うちらがここで、一緒に戦ったっていう証になります。二人の尊い命が奪われた証になります。うちらの団結の証になります。ですから、ぜひともこれを完成させてほしいです」
ちょっと意外だった。晴柳院さんってもっと、精神的に打たれ弱いのかなって思ってたから、有栖川さんの写真を見て傷心に浸ってるのかなって心配だったけど、どうやら杞憂だったみたいだ。
晴柳院さんはもう、二人の死を受け容れて前を向いてる。飯出くんが殺されたことも、有栖川さんが殺してしまったことも、ちゃんと事実として受け容れて、新しい犠牲者が出ないように、僕らが結束するようにという意思を持っている。もう、彼女なりに希望を持ってるんだ。
真剣に、だけどなんだか心が安らぐような微笑みと声で、晴柳院さんは石川さんに言った。横で見てただけだけど、そんな晴柳院さんに僕はどきっとした。危うく落としそうになったペンを持ち直して、写真の端っこに簡単にサインした。
「えへへ、そんな大層なものかな。でも、ありがと!そう言ってもらえたら、コレクター魂に火が点くわ!」
「僕も良いと思うよ。古部来くんと穂谷さんが大変そうだけど・・・完成したら見せてよ」
「おれもおれも!よくわかんねーけど!」
「はいはい。じゃあ後で滝山と晴柳院ちゃんも写真撮らせてね」
「へ・・・あ、え〜っと・・・写真はちょっと・・・。一回お清めせんと魂が欠けたりしてまうかもしれませんので・・・」
やっぱり、あんまり変わってないのかな。
壁のくすみ具合、本棚の一番上に積もった埃の量、カーペットの傷み方。どれをとっても、まるでついこの間まで普通に使われていたようじゃ。思わずぞくぞくしてしまうような極端な風化もなく、かと言って新品さながらの小綺麗さもない。
やはりこの合宿場でわしの興味を引くのは、あの倉庫しかないようじゃな。ここは開放されたが、あっちはまだのようじゃった。実に残念無念じゃ。
「早う中を見てみたいもんじゃ」
「うーん・・・」
「なんじゃ曽根崎、今朝からずっとその調子じゃな。お前らしくもない。今日は清水を追っかけ回さんのか?」
「それどころじゃないんだよ・・・。なんなんだこの建物。わけがわからないよ」
「まったくじゃな」
わしは、昨日の捜索だけでは不十分と感じた曽根崎と共に、資料館の調査をしている。本当ならこんな発掘日和にはツルハシでも持って出かけたいところじゃったが、そうしようとしたらモノクマに止められた。発掘も自然破壊に含まれてしまうのか!と抗議したら、手持ちのスコップしか認められないと。よく分からんの、境界線が。
ところで、わしと共に捜索をしている曽根崎は珍しくじっと本や新聞とにらめっこをしておる。いつも清水と漫才のようなやり取りをしながら歩いとるもんじゃから、ただのそんな光景にも違和感があるのう。
しかし、この建物がわけわからんというのは同意じゃ。このなんとも言えない感覚・・・生活感と似たようなものじゃろうか、人のいる雰囲気というようなものに溢れておる。遺跡発掘の時に感じる、遥かな歴史を隔てて日の元に再び現れた遺跡の、欠け崩れた深みのある老いと、なおも威風堂々とした幽玄さの欠片もない。何より、あの壁の刻印が不可解じゃ。
「あのパソコンはこの建物用に作られてた。そして、デスクトップと壁に印されたマークはどっちも、希望ヶ峰学園のもの・・・これじゃまるで、この建物が希望ヶ峰学園のものみたいだ」
「しかし、希望ヶ峰学園にこんな施設があるなど聞いたこともないぞ。こんな自然があればわしが黙っておらん!」
「うん。しかも・・・」
深刻そうな顔をした曽根崎は、手元にあった雑誌を持った。表紙には、遠目でも分かるほどにはっきりと、『次の標的は希望ヶ峰学園!?あなたの近くに這い寄るテロリスト「もぐら」の正体に迫る!』の文字。わしもよく知っておる、この雑誌を書いた人物を。
「これは確かに、ボクが書いた記事だ。だけど、『HOPE』は希望ヶ峰学園の外には出回ってないはずなんだ」
「なにっ!?」
「この号の創刊はボクたちがここにくる前の週。今までボクの雑誌が学園外に出回ることはないし、あってもこんなに早いわけがない」
「どういうことじゃ・・・?」
「学園長と袴田サンの映像といい、学園外の人間には出来っこないんだよ。こんなこと」
「そ、それは・・・曽根崎よ。お前さん、とんでもないことを考えてはおらんか?」
「・・・つい誇張しちゃうのは、ジャーナリストの悪い癖だね」
皆まで言わずとも、曽根崎の考えは分かる。じゃが、そんなことがあり得るのか?希望ヶ峰学園の内部の人間が絡んでいるというのか、この狂気の沙汰とも言える合宿生活に?あり得ん、と否定するべきじゃったが、曽根崎の表情は終始真剣じゃった。最後の軽口も、どういう意図かは分からんが、大した意味などないのじゃろう。
わしも曽根崎も、それ以上何も言えない時間が続いた。最悪のシナリオが脳裏を過る。じゃが、そう断定するのはまだ早計じゃ。分からんことなど山ほどあるのじゃから。ふと、わしは曽根崎の持った雑誌を見た。
「もぐら・・・か」
「うん?」
「テロリスト、もぐら。奴ならば、こんな大掛かりなこともできたりしてな」
「・・・もぐらが?」
昨今のテレビや新聞は、ほとんど同じことを書いておる。今注目の話題は、謎のテロリスト「もぐら」についてじゃ。曽根崎の雑誌でも、彼奴についてあれこれと推測がなされておった。
「省庁の建物やランドマークみたいな目立つものばかり狙う神出鬼没の爆破テロリスト。毎度毎度、パニックを煽るように唐突なことばかりする奴じゃったな」
「被害がなるべく多く出るように、大掛かりな爆弾と人を爆破範囲から出さない仕掛けが得意な奴だったね」
「今の状況と似てはおらんか?わしらはこの合宿場に閉じ込められておる。モノクマは神出鬼没で、わしらの不安を煽ることばかりする・・・」
「・・・確かに」
「もぐら」の正体などわしには知る由もないが、モノクマの正体が「もぐら」だという推測にはある程度納得がいく。これもまだ浅い推理じゃが、警戒はしておいた方がよかろう。いつ山だの湖だのが爆発してもおかしくない、と。
「もしそうなら、心の休まる暇なんてないね」
「そ、そうじゃな・・・そうでないことを願うばかりじゃ」
「ううん!むしろそうだった方がいいかもしれない!うん!すっごくイイと思うそれ!!面白い!!」
「うんうん・・・は?」
ん?ん?なんかおかしいぞ。わしは最悪の事態も想像して、らしくなく憂鬱な気分じゃというのに、曽根崎は目を輝かせてわしに詰め寄ってきた。どうしたんじゃ!?なにがイイと言うんじゃ!?
「な、なんじゃなんじゃ?近い近い!離れんか!」
「テロリスト「もぐら」が次に標的にしたのは希望ヶ峰学園!奴は生徒たちを誘拐して監禁し、そこで生徒たちによる殺し合いを強要する!しかし生徒たちは団結し、犠牲を出しながらも「もぐら」に打ち勝つ・・・サイッコーのシナリオだね!!」
「・・・お、お前さん、何を言うとるんじゃ?」
「こりゃあますます殺人なんて繰り返させるわけにはいかないね!「もぐら」に勝った高校生、それを導いたのは“才能”を失った少年・・・こんな面白い記事、想像しただけでワクワクが止まんないよ!!」
「そ、それは清水のことを言うとるんか・・・?なぜお前の中で奴がリーダーになっとるんじゃ?」
わしゃ何か余計なことを言ったのかの。曽根崎が妙なテンションに豹変してしもうた。わしでさえ昨日のこととこの建物のことで気落ちしているというのに、上には上がいるもんじゃな。というより、こういうモードに入った曽根崎ほど胡散臭く意味が分からないものはない。
「ありがとう明尾さん!これは良い記事が書けそうだよ!もしそうだったら生還者インタビューとかも載せたいから、絶対生きてここを出てね!ボクもがんばるから!」
「お、おおう・・・」
かなり不謹慎なこと言うとると気付かんのか。じゃがわしは、なぜか曽根崎に圧倒されて思わず握手してしもうた。生還など当然じゃ。というか、なぜそんな第三者のような言い方ができる?命の危険があるのはお前もわしも等しいはずなのに、こいつは自分は死なないという確信でもあるのか?
これではまるで、曽根崎がこれから先を見透かしているような言い方ではないか。まるで、また殺人が起きてしまうとでも言うようではないか。
「・・・」
今日はよく晴れて風も弱い。実に惜しい陽気だ。こんな辛気くさい場所に閉じ込められていなければ、気分転換に散歩でもしていたというのに。せめて陽の下に出ようと展望台にまで足を運んだのは、気まぐれにもほどがあったか。
おかげで、ろくに盤面に集中できん。
「お前が自発的に外出など、明日は雨でも降るかな」
「らしくないのはお互い様だろう」
石川の写真に映っていた展望台の地面は血溜まりばかりで、望月の話では杭が一つ外れていたはずだ。今ではあの発言が嘘だったのではないかと疑うほどに、何事もなく元に戻っている。これもあのモノクマとか言う輩の仕業か。
俺自身の棋譜を相手に詰め将棋をしていると、展望台の砂を踏みにじる靴音が耳障りに鳴った。たったこれだけのことで集中を乱されるとは、俺もまだまだ足りぬか。或いは、その音の主がこいつだったからこそ、集中が掻き乱されたのだろうか。
「それで、我らがリーダー様が俺に何の用だ」
「お前にも皮肉が言えるのだな。いやそんなことより、お前には言いたいことが山ほどある」
「・・・聞いてやろう」
片手間で越えられるほど、過去の俺は安易ではない。無論、今の俺に越えられぬ道理などないが、高い集中力と時間を要することに変わりはない。一度ここで打ち止めにしようかと棋譜を置いたが、六浜は俺の対面に座り、歩兵の駒に手を伸ばした。
「まずは、先ほどのことを詫びよう。つい言い過ぎた、済まなかった」
「気にしていない。ただの推測なのだからな」
「ふん・・・」
そう来たか。俺がこの合宿場内で死ぬという予言、それがどうしたというのだ。それが事実であれ嘘であれ、結局は二者択一なのだ。これほど簡潔な話はない。恐れるほどに迫るのが死というものだ。
しかし、これはあくまで小手調べのようなものだ。こいつがわざわざ俺に詫びるためだけにここまで来るはずがない。すぐさま六浜は、本題に入った。
「古部来。晴柳院に謝れ」
「断る」
「断るな」
「断じて断る」
「頑固だな貴様は」
互いに一言ずつ小気味よく駒を動かす。木の盤を木の駒が叩く軽い音が、展望台の蔓屋根の下でこつこつと鳴る。実に心地よい音だ。相手がより腕の立つ棋士で、こんな下らない小言を言わなければの話だが。
「では理由を説明しろ。俺があの小娘に謝る理由をだ」
「本気で言っているのか?お前は義務教育課程を修了していないのか」
「その程度で説明できるものならば、どうやら俺の考えている理由と同じだな」
「そのままでは100%の語弊があるだろうから、私の方で訂正するぞ」
まだ六浜はまともに会話が成立するだけ十分かもしれん。しかしこいつは俺になど構っていないで、その晴柳院や他の奴らに構えばいい。集団の和を乱しているというのなら、俺をそこから追放すればいい。今更、俺をどうしようというつもりなのだろう。
この女、なぜ俺に固執する?なぜ俺を奴らの中に留めようとする?
「お前は晴柳院に酷なことを言った。たとえそれが事実であれ、あの時あの場で言うべきことではなかった。そのことを謝罪しろ」
「ふん、浅いな」
「なに?」
「浅い。甘い。弱い。故に足りん」
「一体何が足りないというんだ」
「認識だ。これまでこの合宿場で起きた、あらゆることに関してのだ」
分かっていない。おそらく今の段階でこの状況を認識できているのは、俺と六浜、或いはあの緑眼鏡くらいか。だがどちらも足りん。命のやり取りを強要されている今、現状に対する認識を欠くことは即ち命を落とすことに繋がる。
「外部との断絶、絶対的支配者の存在、軽々しく扱われる命。もはや奴に対してあらゆる常識は通用せん。むしろそれは俺たちを縛る鎖となる」
「・・・何を言っている?」
「お前たちは眼前のことしか見えていない。あのモノクマと名乗る、黒幕とでも言おうか、奴の術中にはまっている。だから有栖川は己の過去にとらわれ飯出を殺した。だから晴柳院は有栖川に対する情でお前たちの結束に背いた」
「だからこそ我々は今一度団結するべきではないのか。もうこれ以上奴の思い通りにさせないように、二度と殺人など起きないようにするべきではないのか」
「二度と殺人が起きなくて・・・どうする?一生をこの合宿場で過ごし、己の未来を自ら閉ざすのか?」
「・・・・・・では、お前はどうする」
「俺は留まらない。退く足があれば進む、閉ざす眼があれば敵を見る、折れる心があれば自らを鼓舞する。俺は・・・この茶番を終わらせる」
俺たち全員を、一晩のうちに希望ヶ峰学園から誘拐し、完全に外部と切り離して閉じ込める行動力。これだけの施設を管理し、あの妙な人形を操作して監視する計画性。そして殺人に一切動じず、娯楽がごとく鑑賞し処刑すら実行する度胸。ただ者ではない、少なくとも俺の持っている常識の範疇では計れない存在であることは明らかだ。
だが俺は屈さない、屈してはならない。こんなところに閉じ込められて生涯大人しくしていられるほど、俺は能天気ではない。
「貴様らの、二度と余計な殺人を起こさない、という点には賛同してやる。だがそれだけで満足していては結果は同じ事だ。黒幕の正体を暴き、必要とあらば俺は・・・刀をとろう。王手」
「・・・ふふっ」
「?」
俺は至って真面目に言い、六浜の玉将の首を捉えた。以前に王手をかけた時は、こいつは一瞬で最も模範的な解を導き出した。その記憶力と状況判断力は流石と言わざるを得ないが、模範であるが故に予測されやすい。予言者が先読みをされるというのも、滑稽な話だ。
しかし六浜は駒を動かさず、俺の顔とその下あたりを見て小さく含み笑いをした。その反応は思いもしなかったが、別段精神を揺さぶられるようなことではなかった。
「私はまだまだ知らないことが多いな。てっきり、お前は心が鋼鉄でできている機械のような人間だと思っていた」
「その評価は俺よりも望月の方に相応しいな」
「だから意外なのだ。お前がそんな風に突拍子もない、熱いことを言うとはな。それに、その発言をすることにまったく平常心でいるというわけでもないようだ」
「・・・何を根拠に言っている」
ぴくり、と耳の辺りがひくついたのを感じた。俺の考えが熱いかどうかは興味がないが、平常心でないというのは聞き捨てならん。棋士である俺が、対局中に心を揺るがされているだと?状況判断と理解が要となる将棋において、精神の安定は確固たる勝利の礎となる。逆に精神の不安定は敵将に礼するに等しい。
これまでの対局で俺が心を揺るがされたのは、父との対局のみ。数局打てば討たれることはなくなったが、今でも父との対局は気持ちが安らがない。そうである限り、俺は真の意味で父を越えることはできていない。俺にとって心理戦とはそういうものだ。それを、高々“超高校級の予言者”ごときに揺らぐなど、屈辱の極みだ。
「目つきが鋭くなったな。それに一瞬、言葉に詰まった。私に心理を読まれていることが悔しくてたまらない、といったところか」
「・・・」
「根拠を言ってやる。お前には心を落ち着かせる時の癖がある。自覚しているか否かは知らないが、おそらく無意識のうちにしているな」
「癖・・・だと?」
「お前が常に首にかけているロケットペンダント、それに触れるのがお前の癖だ。事件前の対局中から、裁判中にもお前はしきりにそのペンダントを弄っていた。気付いていなかったか?」
「・・・無くて七癖、とはよく言ったものだな」
六浜に指摘され、俺は己の指がその通りにしていることに気付いた。どうやら俺は無自覚にそうしていたようだ。ふと目線を落とすと、俺の左手の指先には件のケースがある。
たこ糸を結んで輪にし、それに小さなプラスチックのチップケースを通してある。そのケースの中には、色褪せてすり減り丸みを帯びた角行の駒。小学生の工作程度のものだが、実際にこれを作ったのは小学生の俺だ。糸の調節が下手で、鳩尾下まで糸が伸びている。
「そもそもお前のような奴がアクセサリーを身につけているという点から不自然なのだ。何か、思い入れのある品なのか?」
「・・・父の愛用していた駒だ。棋士として俺がいつか越えるべき目標であり、棋士たる証だ」
「ほう、なるほど」
聞かれたから答えたまで、だというのに、六浜は俺の返答を聞いてにやりと笑った。盤面は変わらず六浜の負け戦。俺は眉一つ動かさずに奴を睨む。今更こいつに指摘された癖を憚ったところで意味はない。この先を読んで俺はまた集中する。
「やはり私はお前を誤解していたようだ、古部来。お前にも人並みの感情はあるのだな」
「無論だ」
「ならば尚更、晴柳院に頭を下げさせねばな」
「断る」
「断るなと言っている」
また同じことを繰り返すつもりか?俺が奴に頭を下げるなどあり得ない。それは自尊心ゆえでも、価値観ゆえでもない。
「では、俺が謝ってどうなる」
「ひとまず晴柳院は落ち着いて、集団のまとまりが強くなる」
「それはお前の期待であって、実態を持たない意識の領域の話だ」
「ならば返すぞ。お前が謝らない理由はなんだ」
「晴柳院が奴自身を守るため・・・ひいては無駄な争いの種を潰すためだ」
「は?」
なるほどな、どうやらこいつが俺に誤解していたように、俺もこいつらを誤解していたらしい。どうもここにいる連中はどいつもこいつも、一から十まで説明してやらなければ刀の持ち方も分からない馬鹿ばかりのようだ。六浜だけはまだ話せる奴だと思っていたが、こいつもとはな。
「六浜、お前もか」
「晴柳院を守るため?どういうことだ?はっ!ま、まさか貴様・・・い、いい!飯出と同じく晴柳院をぉ・・・!?き、貴様は敢えて晴柳院に暴言を浴びせ、内心ではその興奮にほくそ笑んでいるというのか!!悪趣味甚だしいぞ!!」
「集団の結束は、真に信頼し合うことができれば、最強の武器となる。だが、寄せ集めの俺たちが、既に一人の裏切り者が出た今、真に結束ができると思うのか?」
「だだ、だからそれは・・・や、や、奴の言葉に耳をかさなかけれられられぬぅ・・・。いや、それよりお前は本当に晴柳院を・・・そ、その・・・すす、す、好いているとぉ・・・!?」
「俺は軟弱者は好かん」
「そ、そ、そうか・・・ならいい」
聞いているのかこいつ。勝手に動揺するとは、こいつは少し己の感情を制御する術を学ぶべきではなかろうか。
「付け焼き刃の結束で生兵法に則って挑んだところで、結果は見えている。ならば結束せずとも、俺たち個々が奴に打ち勝てばいい」
「う、打ち勝つだと・・・?どうやってだ」
「奴が俺たちに必要外に手を出してこない限り、俺たちが互いに不干渉を貫き、ただ脱出のために動く。それは黒幕にとってこの上なく不都合であるはずだ」
「・・・それと晴柳院への暴言が、どう関係ある」
「個々が確固たる意志を持ち、奴に靡かない芯の強さを確立することが必要だ。晴柳院にはその強さがない。己の弱さに立ち向かい、乗り越える強さが」
有栖川という鎧を失い、晴柳院は無防備に戦場に放り出されているに等しい。だから俺は奴に刀を与えた。まともに持ち上げることすら労苦なる大太刀を。己の弱さを越えるには、己の弱さを知らなければならない。だから俺は、奴に発破をかけた。奴が奴自身を越えるための敵と武器を与えたのだ。
「俺が指摘したのは奴の弱さ、そして事実だ。そのまま潰れるような奴であれば、所詮これから生き残ることなどできん」
「・・・不器用な奴め」
俺が言い終わると、六浜はまた笑った。どうやら、俺に腹を立てている場合ではないと気付いたようだ。こいつさえ分かっているなら、それでいい。
六浜は駒を進める。だが既に勝敗は決した。予言者ならば分からないはずがない。
「しかし、それを晴柳院が理解できているか、彼女にとって適切かという答えにはなっていない」
「此の期に及んで適切か否かを問うている暇があると思っているのか」
「私でさえ説明が必要だったのだからな。これは断言しよう、晴柳院はお前の意図を汲み取ってはいない。それはお前の落ち度ではないのか?」
「・・・」
なるほど。そう来たか。確かに、このまま晴柳院が己を越えられず潰れれば、俺にも一端の責はあろう。奴の力量を見誤り、大きすぎる荷を課したと。
また一つ、奴の駒を奪う。飛車角落ちに片金将、これでまだ投了しないのか。
「王手だ」
「古部来、私はお前に対する考えを改めた。だから、お前も我々に対する考えを改めろ」
「・・・王手」
「無理に交われとは言わん。だが、我々を買い被るな。誰もが常に己の強さを求め、弱さに直面できるわけではない。それを理解しろ」
「・・・ふんっ」
もうこの角を打つのは何度目だろう。同じ配置、同じ棋譜、同じ結末。俺が最も得意とするこの陣形は、それでも足りない。初めて打った時から、この一手には光を感じない。『神の一手』が持つ光を。
「詰みだ、六浜」
「・・・」
「愚か者め」
もはや、相手を下すことに何の価値も感じない。勝負に勝つか負けるか、己を越えるか否か。そればかりだ。だから、詰んだ盤面の前で真剣に俺を見つめる六浜の目にも勝利の恍惚など一切受けない。もっと別の、深くから突き出る何かは感じるがな。
「お前には芯があるな。その芯の強さに免じて、俺の落ち度を認めよう」
「晴柳院に謝るか」
「認めたからには果たす。古部来の名に泥を塗るわけがあるまい」
「・・・そうか」
ほっ、と息をついた六浜は、盤面を見てまた笑った。一度目は幼く、二度目は妖しく、そして三度目は凛々しく、六浜は俺に笑顔を向けた。よく笑う女だ。だが、こいつには強い芯がある。
まったく、俺には寄り道をしている暇などないというのに。
「・・・ふん、悪くないな」
「うん?なんだ?」
「駒を数えるのを手伝え」
ぱちん、ぱちん、という木の音が軽く心地よい。
『コロシアイ合宿生活』
生き残り人数:残り14人
清水翔 六浜童琉 晴柳院命 明尾奈美
望月藍 石川彼方 曽根崎弥一郎 笹戸優真
【有栖川薔薇】 穂谷円加 【飯出条治】 古部来竜馬
屋良井照矢 鳥木平助 滝山大王 アンジェリーナ
ダンガンロンパQQというタイトルの意味が分かる人は相当作者と思考が似ている人ということになります。当てないでね