立派な魔法使い 偉大な悪魔   作:ALkakou

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第五章 『魔への誘い』

 先んじてダンテが飛び込んだ先は、確かに魔界が広がっていた。しかし、賢者の石の力によって無理やりこじ開けたものである。ため空間のつながりはひどく不安定であった。現にダンテは、魔界の遥か上空にダンテは放り出されていた。

 

「変なとこに繋がったもんだな」

 

 このような状況に置かれれば、冷静になる方が難しいだろう。しかしダンテは、猛烈な速度で落下しているにもかかわらずいたって冷静に眼下に広がる光景を見渡していた。

 鮮血のように赤い地表。その上に点在する墓標や石像。それが永遠と、地平線の彼方まで続いている風景だ。人間界にはあり得ない、それこそ混沌とした地獄を描いた絵画のようだ。

 風切り音とともに鮮血の地表が刻々と近づいていくなか、別の何かの音が聞こえてきた。よく聞くとそれは、獣のような声や、翼をはためかす音だ。その音達は、ダンテよりも遥か地表に近い所から、どんどんと近づいてきていた。

 

「さっそくお出迎えか。エスコートしてくれるよな?」

 

 その音の主たちを視認するよりも前に、ダンテはエボニーとアイボリーをホルスターから抜いていた。エボニーとアイボリーの銃身は、獲物を撃ち抜くのを今か今かと待つように鈍光を放ち、ダンテの目は、獲物に襲いかからんとする猛獣のような眼光を放っていた。

 そしてその獲物達がとうとう見えてくる。

 穢れた血を注がれた石像が液状となり、赤い鳥のような姿へと変貌した悪魔『ブラッドゴイル』。強靭な肉体に山羊の様な頭部をもち、人語を解する『ゴートリング』に、体が深紅に染め上がった上位個体の『ブラッドゴート』。死神という存在を体現したかのような、マントのように広がる霊体に巨大な鋏や鎌を携えた『シン』。真帆良学園に流れ込んでいた、悪魔の影を元に作られた半人形半肉体の召喚魔の元となった『グレムリン』。

 その他様々な悪魔達が、ダンテのいる空へ向かっていた。その数は、大群という言葉が生易しいほどだ。正確な数など無論分かるわけもない。

 押し寄せる悪魔達を捉えたダンテはただ口角を上げ、エボニーとアイボリーの引鉄を引いた。銃口から吐き出された弾丸は障気の濃い魔界の空気を切り裂き、目標目掛けて直進する。ダンテの狙いは正確だ。寸分の狂いもなくゴートリンクの眉間に銃弾が突き刺さり――無数の鉛が降り注いだ。

 とても拳銃とは思えない速度で引鉄を引き、ダンテは弾丸を悪魔へ撃ち込む。体にいくつもの風穴を開けられたグレムリンや石像に戻っだブラッドゴイル達が、赤黒い悪魔の塊からみるみるそげ落とされていく。

 しかし押し寄せる数が多過ぎた。エボニーとアイボリーだけでは、流石に撃ち落とす数に限界がある。その上、ブラッドゴートのような中級悪魔には銃だけでは火力が幾分足りない。また、悪魔達との距離はもういくらもないほど接近していた。

 アイボリーをホルスターに仕舞ったダンテは空いた右手で背中のリベリオンを抜いた。そしてそのまま投げつける。風切り音と共にリベリオンはシンの仮面を破壊し、ブラッドゴイルを突き抜けていく。勢い良く悪魔の群れへ突き進んでいったリベリオンは、あるゴートリングが気が付くよりも早く、その胴体に髑髏の装飾部分まで深々と突き刺さった。

 腹部への激痛に、ゴートリングは態勢を崩す。

 

「! リベリオ――」

 

 激痛の原因にゴートリングが気が付いた時には、すでに遅かった。ダンテはすぐ目の前にいた。

 ゴートリングは本能的に叫ぼうとしていた。言葉には表せないような、逆賊へ向けての怨嗟の声を。しかしそれは叶わなかった。

 ダンテはリベリオンの柄を、足で蹴りつけた。するとリベリオンはゴートリングの肉体を腹部から上半身を斬り裂き、空中へ投げ出さられた。

 ゴートリングの目には、自身の鮮血が飛び散る中に舞うリベリオンが映っていた。かつては魔帝ムンドゥスの右腕として活躍していた魔剣士スパーダ。そのスパーダが生み出した魔剣の一振りがリベリオンだ。その髑髏の装飾は禍々しくもどこか美しく、悪魔すらも魅せられる魔力がある。そのリベリオンの柄に、ダンテの手が伸びた。

 右手に掴んだリベリオンを振るい、左手に持つエボニーを連射する。白刃と弾丸が乱舞し、赤黒い波を真っ二つに切り裂くようにダンテは悪魔達を葬っていく。刃と弾丸が悪魔の肉を断ち血潮を撒き散らせ、悪魔の群れからはおびただしいほどの血が雨の様に滴り落ちていた。さながら悪魔の群れは血の雨を降らせている雲のようである。

 

「Foooooooo!」

 

 ダンテの全身は悪魔の血肉に濡れ、赤いコートもより深い色に染まっていた。しかしダンテは気にもとめずに、愉快そうな声をあげて更にリベリオンを速く振るいエボニーの連射速度を上げた。よし熾烈に、より苛烈に狩人は獲物を仕留めていく。そしてとうとう悪魔の群れを突き抜けるところまで来ていた。そこにはちょうどブラッドゴートがいた。

 ダンテはエボニーを仕舞うと、ブラッドゴートの角を握った。それを軸にダンテは身を翻して、ブラッドゴートの背後をとる。

 

「yheeea!」

 

 そして気合とともにブラッドゴートの背にリベリオンを突き刺した。

 

「――ッ!」

 

 声にならない叫声をブラッドゴートがあげるが、構わずにダンテはリベリオンを更に深く突き立てる。

 リベリオンに背中から貫かれたものの、まだ命尽きていないブラッドゴートは背に乗ったダンテをふるい落とそうとはげしくもがく。しかしダンテは振り落とされるどころか、ブラッドゴートの角を操縦桿の様に操り、ブラッドゴートごと魔界の空を滑空していく。さながら暴れ馬を乗りこなすようにアクロバティックな軌道を描きながら、地表に迫っていた。そして鮮血のように赤い地表に立つ白い柱に激突しようとしていた。

 

「Blast off!」

 

 ダンテは激突の寸前に、リベリオンの柄尻を蹴りつけた。ダンテの超人めいた脚力によって蹴り出されたリベリオンは深々と白い柱へ突き刺さり、ブラッドゴートを文字通り張り付けにする。ブラッドゴートが瀕死の重症を負い、四肢を痙攣させている一方で、ダンテは何事もなかった様に墓石の様な白い石へ着地していた。

 

「随分と懐かしい場所に着いたもんだ」

 

 白い石から降りたダンテが辺りを一瞥してそう呟いた。懐かしいと言うように、ダンテは8年前にこの場所へ来たことがあった。封印されていた魔界へ繋がる塔『テメンニグル』を起動し、魔界への扉を開いたアーカムという男を追って魔界へ足を踏み入れた際に、ダンテはここへ来たことがあったのだ。

 

「ダァ……ンテェ……!」

 

 そこへ、血がざわめくような声がダンテの名を呼んだ。ただ名前を呼ぶ声なのに、聞いただけでその恨み辛みがのし掛かってくるような怨嗟の声。常人が聞けば魂が壊れるような、まさに“悪魔の声”だ。

 だがダンテは何事もないように、いつもと変わらない調子でブラッドゴートへ向き直った。

 

「なんだ? 恨み言なら聞き飽きちまったぜ?」

 

 ブラッドゴートはダンテのその言葉を聞いて逆上したのか――もっとも、始めから憤怒していたが――柱から離れようとする。しかしリベリオンは深々と白い柱へ突き刺さっているため、無理に動こうとすれば身はリベリオンの刃に引き裂かれてしまうだろう。

 しかしブラッドゴートは迷わず動いていた。ブラッドゴートは聞くに耐えない金切り声を上げて、柱から離れていく。ベリオンの刃が身体を切り裂き、骸骨の装飾が施された柄が肉を押しのけ砕こうとも止めようとしない。ブラッドゴートを突き動かしていたのは、積年の恨みだけだった。

 

「ダァァンテェェ! 死す――べしッ!」

 

 そしてリベリオンの呪縛から解放されたブラッドゴートは、全力でダンテへ突進する。精強な肉体を持つブラッドゴートの、すべてを投げた捨て身の一撃の破壊力は並大抵ではない。ダンテを殺せなかったとしても、せめて一矢報いらんとするブラッドゴートの拳がダンテへ迫る。

 次の瞬間、ブラッドゴートの拳が赤い血潮を巻き上げた。ゆうに数メートルは巻き上げられた血潮は、まるで間欠泉が噴き出しているようだ。

 ブラッドゴートは意識も絶え絶えの中、拳に手応えを感じていた。確実に拳で破壊した感触だった。ブラッドゴートは、あのダンテへ一撃を喰らわせ、あまつさえ殺せたのではないかとすら思っていた。二千年前から脈々と続く魔界の恨みを晴らしたと。

 ブラッドゴートがそう考えている最中、赤い水柱が、突然切り裂かれた。ブラッドゴートの視界に、水柱の切れ目が入る。そこには、銀色の髪の下に不敵な笑みを浮かべたダンテの姿があった。

 仕留め損なった。ブラッドゴートはすぐさまそれを理解し、もう一度拳を振り上げる。しかし、ブラッドゴートの足は動かなかった。

 

「なッ……?」

 

 それどころかブラッドゴートの体は既に両断されていた。それに気がついた時には、ブラッドゴートの上半身は地に伏していた。

 

「チェックメイトだ」

 

 ダンテはホルスターから抜いたエボニーの照準を、ブラッドゴートの眉間に合わせてそう言った。ダンテの言う通り、ブラッドゴートに残された手はもはや無かった。逆転の手札などありはしない。

 だがブラッドゴートは、無いに等しい魔力を使い、雷撃を放とうとする。実際は腕に微弱なスパークが走る程度の雷しか生み出せなかったが、ブラッドゴートはダンテへ向けて腕を伸ばす。

 

「……お前みたいなガッツのある奴は、嫌いじゃないぜ」

 

 ダンテは一言そう添えると、躊躇なく引鉄を引いた。

 虚空に弾丸の発射音が一度だけ響き、ブラッドゴートの腕は地に落ちていった。

 ブラッドゴートの体と薬莢が血の大地の底に沈んでいく様子を見ながら、ダンテはエボニーをホルスターへ仕舞った。すると、血の池の底から何かが飛び出してきた。ダンテを囲うようにして現れたそれらの身体は白く、表面には赤い血管のようなものが何本も走っている。また、背や頭には角のようなものが生えており、禍々しい姿をしていた。

 それらは『アビス』という悪魔である。アビスは悪魔の中でも高位種族に連なり、下位の悪魔とは比べ物にならない力を持っている。

 アビス達は自身の持つ棒の先に鎌を作り出す。棒の先端は手のように五叉に分かれ、そこにアビスの魔力と血が集まる。魔力と血によって精製された鎌は、炎のように煌めき大気を焦がして陽炎ができている。

 アビス達が武器を揃えた様子を見たダンテはリベリオンを背中から引き抜いた。

 

「さて、第二ラウンドといくか?」

 

 それをきっかけに、ダンテとアビス達は動き出した。

 

 

 

 

 雲に隠れていた太陽が姿を見せ、青々しく茂る木々の葉の間からまばゆい陽射しが差し込んできた。ちょうど顔を照らすように差し込んだ木漏れ日が眩しいのか、ネギは身をよじる。樹葉を撫でるように風が吹き抜け、ネギの赤い髪を揺らす。そこへ、誰かの声がネギの耳に届いた。

 

「もうそろそろ起こさねぇとな」

 

 覚えのある懐かしい声だった。

 

「――――」

 

 今度は別の声が聞こえた。いや、正確にはネギには聞こえていなかった。なんとなく誰かが喋っている様に感じた。

 

「まったく、姫さんは過保護というかなんというか」 

「――――!」

 

 誰かの声に対して、別の誰かが語気を荒げた様だ。ネギは喧嘩かな? と思ったが、すぐに違うと分かった。喧嘩をしているにしては、険悪な雰囲気はなかったからだ。

 

「ほら起きな、ネギ」

 

 その声と共に、ネギの頭へ誰かの手が乗せられ、クシャッと撫でた。慈愛を感じる大きな手に撫でられ、くすぐったくも感じたが、もう少しこうしていたいとネギは思った。しかし起きるように促されていた事もあり、ねネギは渋々目を開ける。

 

「ん……」

 

 閉じていた瞼を開くと、まばゆい陽射しに視界は真っ白になる。目が少し痛くなるが、すぐに慣れて風に揺れる葉が目に映った。そして人影のようなものも視界にあった。逆光のために顔は分からなかった。しかしネギは口を開いてこう呟いた。

 

「父……さん?」

 

 ほぼ無意識だった。確証たるものはないが、聞こえてきた声と頭を撫でられた感覚は、在りし日の父のものだった。

 しかしネギが瞬きをするとその人影はなくなり、葉が揺れている光景があるだけだった。

 

「?」

 

 見間違いだったのだろうか? とネギは思いつつ、体を起こした。擦って覚ました目を辺りに向けても、人影はなかった。緑が一面に広がる丘と、大きな湖畔が見えるだけだ。

 

「ここは、ウェールズ?」

 

 ネギはこの風景をよく知っている。幼い頃過ごしていたウェールズだ。よく遊んでいた丘から見える景色と寸分違わない。どうしてここに居るのかネギが考えを巡らそうとした時、遠くから声が聞こえてきた。

 

「ネギー!」

 

 ネギを呼ぶ声はだんだんと近付いてくる。その方向に目を向けると、次第に声の主の姿が見えてきた。 

 

「お姉ちゃん!」

 

 ネギを呼んでいたのは、彼の従姉であるネカネ・スプリングフィールドである。ネカネは微笑みを浮かべながらネギへ駆け寄っている。そしてネギも立ち上がって、ネカネへ向けて駆け寄っていく。

 期間としては二ヶ月にも満たない間ほどしか会ってないはずだが、もっと久しく会ってないような感覚だった。自然とネギの心も躍る。

 だが、歩み寄った二人の手が触れた瞬間、景色が変わった。

 緑に覆われていた美しい野原は無残に踏み荒らされ、透き通るように青かった空には暗雲が立ち込めていた。さらに辺り一帯は火の手が上がっているのか、赤い炎と黒煙が延々と立ち込めている。そして、微笑みを浮かべていたネカネの顔が、文字通り石のように固まり石像になった。

 

「お姉……ちゃん?」

 

 ネギの呼びかけに、ネカネからの返事はない。いつもの見慣れた笑顔を、微動だにせずにネギへ送っていた。ネギは後ずさりながら、同時に理解した。

 心的外傷。これは未だに自身の心的外傷として心の奥底にこびり付いた6年前の光景だと。更にネギの場合、心的外傷であるこの光景が一種の生きる原動力であった。その為、いくら乗り越えたと言えどもそう簡単に消える事はなかった。深層意識の奥底にくすぶる様に潜んでいたのである。

 

「とう、さん! 父さん」

 

 ネギは父を呼びながら走り出していた。今まさに村を蹂躙している悪魔に抗うことは頭に無かった。闇の魔法という禁忌を犯してまで手に入れた力を使う事すらだ。ただ先ほど感じた父の存在にすがろうとするだけだった。

 気が付けばネギは、村のそばにある湖畔に来ていた。そこは昔、ネギが自分が危機に陥れば“千の呪文の男”、つまり父が助けに現れると考えて自ら溺れた場所であった。違うとすれば、その時は雪が降り積もる真冬の季節だったことだ。

 

「……父さん」

 

 父を求めるその声は、今にも消え入りそうに弱々しい。

 ネギはふらふら、と水辺へと近付いていく。無意識なのか、それとも父が助けに現れると信じてかは分からない。

 そしてネギが水際に立った時、水面には悪魔が映っていた。黒く硬質化した顔に浮かぶ、全てを燃やし尽くしてしまいそうなほどに紅い目。そして三本の角を生やしている。人間とはかけ離れた禍々しい姿。まさに魔族の姿である。

 だがそれは村を襲っている悪魔達の姿ではない。水面に浮かぶ姿は、誰あろうネギのものだ。

 ネギは顔に手を当て、自身の姿を手で確かめていた。しかし特別皮膚が硬くなっているわけでもなければ、頭に角が生えている感触もない。それに湖畔に映る手も皮膚が黒く爪が先鋭化していたが、目に見える自身の手は普通の人間の柔らかい皮膚のままだ。

 

「これは、一体――」

 

 ネギが水面に手を伸ばした時だった。水面に波紋が波打ったと思うと、次の瞬間、水しぶきを上げて何かが飛び出してきた。そしてネギの首を鷲掴んだ。それは間違いなく水面に映っていたネギの黒い手だ。その手はネギの首を締め上げ、肥大化した爪が肉に突き刺さる。

 

「ガッ、ァッ!」

 

 痛みと圧迫から逃れようと、ネギは黒い手を引き剥がそうとする。しかし全くビクともせず、頚椎が悲鳴を上げる音が聞こえはじめた。

 そして黒い手はネギを湖畔に引きずり込もうとする。ネギはそうはさせまいと力を振り絞って抵抗を試みる。しかしそれも虚しく、呆気なくネギは湖畔へと引きずり込まれる。水面に接した瞬間にネギを待っていたのは、大きな口を開けて自分を喰らおうとする悪魔の姿と、黒い悪魔の腔内だった。

 

「ハッ――ハッ――!」

 

 気が付けばネギは飛び起きていた。額には脂汗が浮かんでいる。心的外傷となった出来事に、更に悪魔となった自分に食われる夢など決して夢見のいいものではないだろう。しかしネギにとっては、最後に見た悪魔の口の中方が恐ろしかった。なぜか分からなかったが、往年の心的外傷をほじくり返すこととはまた別の強烈な嫌悪感があった。

 

「ネギ君大丈夫? 怪我は大体治しといたけど、まだ痛いとことかあらへん?」

「えっ?」

 

 自身への問いかけの声を聞いた時、ネギは思わず素っ頓狂な声をあげていた。話し掛けられた方を見ると、桜咲刹那や近衛木乃香、宮崎のどか達の教え子の面々がネギを心配そうな面持ちで眺めていた。

 

「あ、だ、大丈夫です! 皆さんご心配おかけしました!」

 

 ネギは心配をかけまいと、すぐに笑顔を作って取り繕う。仲間を頼ると決めたものの、やはり心配はかけたくなかった。

 

「ホンマ大丈夫かいなー? ほらよ」

 

 そう言ってネギへ手を差し伸べたのは、犬上小太郎だった。小太郎も木乃香に治療して貰ったようで、腹部の大怪我はほとんど治っていた。

 

「ありがとう、コタロー君」

 

 ネギは小太郎の手を握ると立ち上がった。

 

「当たり前だ。そうやすやすと音を上げるようには鍛えてないからな」

 

 そこへ、氷の上で胡座をかいてるえエヴァンジェリンから言葉が飛んできた。

 

「師匠(マスター)! それに学園長先生にタカミチもどうしてここへ!?」

 

 造物主によって気絶させられていたために、エヴァンジェリン達が魔法世界へ来ていたことを知らないネギは驚いた。特に学園に縛られているエヴァンジェリンがこちらへ来ることなど予想外だったからだ。

 

「まぁあれだ、私の自堕落生活の危機だったからな。それに不甲斐ない弟子の姿でも見といてやろうとだな――」

「つまり愛弟子であるネギ君の危機にいても立ってもいられなくなって年甲斐もなくこうしてやって来た、という事です」

 

 エヴァンジェリンの言葉に割り込んだアルが、いつもよりもさらに胡散臭い笑みを浮かべてネギへ説明した。エヴァンジェリンは青筋を立ててアルへ掴みかかる。

 

「なんでそうなるんだボケナスビ! 私がそんなことをいつ言った!」

「フフ。ですから最強種ともあろう御方がはしたないですよ? キティ」

 

 そう言ったアルは、エヴァンジェリンの襟元を持ち上げて引き離した。その光景は、まさに仔猫(キティ)を相手にしているようであった。

 

「それにネギ君の目が覚めたのですから、彼へ今の状況を説明するべきかと思いますが」

 

 アルの言葉にエヴァンジェリンは押し黙る。エヴァンジェリンとしては少々どころかとてつもなく腹立たしいのだが、アルの言う通り今は気を失っていたネギが正確に現状を把握できるようにすべきである。それはエヴァンジェリンも重々承知している。だが弄られて猫のような扱いを受け、その上呼ばれたくない呼び方で呼ばれたとなれば、文句の数が足りないようだ。

「ぐぅっ……あとで覚えていろよ、アルビレオ・イマ! おいぼーや、貴様が眠っている間にも状況が変わった。少々厄介なことになったぞ」

 

 恨み言を吐いた後に、エヴァンジェリンはネギへ言葉をかけた。ネギも状況が悪化したことは悟っていたらしく、焦る様子もなくエヴァンジェリンへ言葉を返した。

 

「それはなんとなく分かっていました。アスナさんですね?」

 

 ネギは目を覚ましたあと、すぐに明日菜がいない事に気が付き、それは明日菜の救出に失敗した事を意味すると分かった。

「僕が気を失っている間、どうなったのか教えて下さい」

 それからネギは、アルや千雨やエヴァンジェリン達から、現状の説明を受けた。その中で、ネギがまた闇の魔法に飲まれて暴走した件について話が及んだ。千雨が、ネギはそのことについて覚えているのか確認をとる。

 

「先生、自分が暴走した事については覚えているか?」

「ぼんやりとは覚えているんですが、ハッキリとは……」

 

 闇の魔法の暴走時は、いつもネギの記憶は曖昧になっていた。それは湧いて出てくる負の感情が、表層意識から深層意識までもを埋め尽くすためである。極端な例が、ゲーテルの策略を引き金に暴走した時である。その際、相手の心を写し出す宮崎のどかのアーティファクト『いどのえにっき』に写し出されたネギの意識は、深い深い負の感情に支配されていた。つまり闇の魔法の暴走は、意識がドス黒い感情に染め上げられ、絶対的な破壊衝動に支配された状態なのだ。理性がもたらす記憶は、希薄化してしまう。

「アニキが暴走したかと思うと、ものすげー勢いで造物主の障壁を破壊しちまったんだけど、あと少しってところで、アニキは造物主の野郎にやられかけちまったんだよ」

「あ、師匠(マスター)が助けてくれたんですか?」

 

 状況から推察した考えネギは口にした。ここにいる面子で造物主と渡り合えるであろう実力を持つの者は限られている。ネギの推察は悪くないと言えるだろう。

 

「いや、ぼーやを直接助けたのは私じゃないぞ。魔法世界(こっち)にきたのはもう少し後だ」

 

 残念だが、ネギの推察は外れていた。その為、千雨がエヴァンジェリンに続いて正解を述べた。

「先生を助けたのは『ダンテ』ってやつですよ」

「ダンテさん……ですか。えっとその方は?」

 

 知らない名前が出てきて、ネギは少し戸惑った。ネギからしたら、その者の存在は謎でしかなかったからだ。

 自分を造物主から助けたという事は、少なくとも敵ではなさそうだが、はたして味方なのか? そもそもなぜ自分を助けたのか分からないからだ。さらに辺りを見回してもそれらしい人物は見当たらず、顔を見知っている者ばかりだった。その者がどこにいるのかも聞きたかったようだ。

 ネギの問いに、アルは少し間をおいてから答えた。

 

「その方でしたら、既にあそこへ入っていかれましたよ」

 

 アルは指を指しながらそう言った。ネギはアルの指の先から目を滑らせていく。

 そこには、空間にバックリと開いた気味な裂け目があった。裂け目からは今も魔界からの魔力や瘴気が流れ込んでいた。丁度自分の真後ろに位置していたため、ネギはその存在にようやく気が付いた。そして同時に、それがどこへ繋がっているのか見当も付いた。

 

「あれって……もしかして魔界に繋がっているんですか!?」

 

 ネギの問いかけに対して、アルは肯定の代わりに首を縦に振った。そしてネギは驚いていた。

 もともと人間界と魔法世界では、圧倒的に前者の方が魔界との繋がりは強い。しかし太古の昔、人間界と魔界との間に世界を断絶する壁が作られ、これがフィルターの様な役割を持っていた。その為現在では、魔法世界は人間界(旧世界)よりも魔界との交流が多く、魔界出身の魔族が魔法世界では見られる程には交流は活発なのである。

 しかし魔界への扉を開くには、流れ込んでくる瘴気や凶悪な魔族への対策も兼ねて、大掛かりな儀式と機具が必要なのである。

 それにもかかわらず、あの空間に現れている裂け目はなんら儀式がなされた跡も瘴気を軽減させる装置も見られなかった。ただ魔法世界と魔界を直結させているのである。

 

「魔法世界と魔界を直接繋げるなんて! そんな事」

「ええ、本来なら難しいです。そらく原因は、魔法世界(こちら)と旧世界が、局地的にではありますが繋がったからでしょう」

 

 つまりアルが言うには、ここは旧世界と魔法世界が混在しており、魔法世界であるものの魔界との繋がりが近くなった。その為、賢者の石を使うことによって魔界へ直接繋げる事ができたという事だ。

 

「彼らは麻帆良学園へ繋げると同時に逃げ道も用意していたと言うわけです。もっとも、彼らが麻帆良学園へ繋げたお陰で我々もこちらへ来れたわけですが」

 

 アルが言うように、敵には逃げられたものの、彼らが援軍として駆けつけることができたのだ。彼らが駆けつけなければ、結果はより悪いものになっていただろう。

 

「ですが魔界に繋がったことで、“悪い知らせ”と“悪い知らせ”と“悪い知らせ”が出来ました。どれから聞きたいですか?」

「あの、良い知らせが一つもないんですが……」

 

 こんなラインナップから選べと言われても、ネギとしては選びにくい。なにより悪い知らせしかないのに選ぶ必要があるのかと、疑問も浮かんできた。

 しかし話を先にすすめるには、全て聞かなければならない。悪い知らせしかないのなら、せめてマシなものから聞くことにネギは決めた。

 

「じゃあ、一番マシな知らせからお願いします」

「分かりました、一番良い知らせから話しましょう。あの空間の裂け目は、ご存知の通り魔界へと繋がっています。その魔界から流れ込んでくる魔力のお陰で、魔法世界の崩壊は少し停滞しているようです」

 

 魔法世界の崩壊が停滞している、という知らせはネギを一瞬喜ばせた。少し悪いどころか朗報だ。

 だがすぐに、その知らせはあまり喜べないものだと悟り、少し悪い知らせという意味が分かった。

 

「魔法世界の崩壊が遅くなればなるほど、魔界の瘴気に侵食されるということですね」  

 

 根本的な解決には何もなっていない上に、魔界から流れ込んでくるのはなにも魔力だけではない。濃密な瘴気も流れ込んでくる。ネギはすぐにそれを理解した。

 

「その通りです。さらにあれは安定しているとは言えません。更に広がる可能性も、閉じてしまう可能性もあります」

 

 魔界への入り口が広がれば、それは瘴気が更に流入してくることになる。そうなればここが魔界へ飲み込まれ、魔法世界が魔界化することすらあり得る。

 魔法世界の崩壊の遅滞が良い知らせとしたら、それよりも大きな悪い知らせだ。なるほど確かに、相殺すれば、確かに少し悪い知らせだ。

 

「では次の知らせについてです。もう気が付いているとは思いますが、黄昏の姫御子……いえ、アスナさんはここにはいません。造物主と共に、魔界へ行ってしまいました」

「つまり明日菜さんを助けに行くには」

「ええ、魔界へ行かなければなりません」

 

 魔界は、魔族達が治めている世界だ。その魔族は総じて凶暴なモノが多く、さらに魔界は人間界や魔法世界とは異なった特殊な世界である。そのため、魔法世界よりも断然に危険である。

 

「でもこれだけのメンバーなら――」

 

 確かに、ここにいる者達ならば、魔界へ乗り込んでもそうそう苦戦しないだろう。だがネギは、一つ大きな間違いをしていた。全員が魔界へ行けるという前提だ。

 その間違いを正すように、アルはネギの言葉に重ねた。

 

「悪い知らせとはそのことに関してでもあります。他の方々にはお伝えしましたが、私やエヴァンジェリンは魔界へ行く事はできません」

 

 そう告げられたネギは、落胆の色を隠せなかった。師匠であるエヴァンジェリンや、歴戦の魔法使いであるアルの援軍は何よりも心強かったからだ。ネギも二人を頼りにしているつもりはなかったが、この二人が戦力として数えられないのは痛い誤算だった。

 

「私とエヴァンジェリンが前線へ行けない、つまりそれはこちらの戦力が落ちてしまう事になります。そして最も悪い知らせが、戦力が落ちる我々に対して、造物主側へある勢力が加勢したことがわかりました」

 

 ネギは身構えた。今まで状況が悪化したした事など枚挙に暇がない。そしてそれは大抵、酷く面倒事だった。どのような勢力が造物主へ加勢したのか、ネギは固唾を飲んで聞くのを待っていた。

 

「かつて魔界を掌握した絶対的な帝王『ムンドゥス』。封印されたはずでしたが、復活を果たして造物主へ加勢したようです」

 

 ネギの思考は一時停止した。

 ムンドゥスは二千年前に封印されてから、ほぼ表舞台に出て来なかった。そのため、ムンドゥスに関する資料の数は極めて少ない。しかし、かつて読んだ禁止図書の一節に、その名があった覚えがネギにはあった。

 魔界の帝王が造物主へ味方をする? 完全に想定の範囲外の知らせだ。魔界の帝王が敵に回ったとなれば、それは魔界全体を敵に回したに等しい事だ。

 ネギの顔色は見るからに悪くなっていた。こちらの戦力は一騎当千というには強過ぎる強者揃いと言えど、分が悪いのは火を見るより明らかであり、無理もないだろう。

 

「そう心配するな。こっちもなにかしらの手は打つつもりだ」

 

 そんなネギを見て、意外にもエヴァンジェリンがフォローを入れた。

 

「おや? あなたがそんな優しい言葉をかけるとは、珍しいこともありますね。やはりなんだかんだで愛弟子が心配なんですか?」

 

 そこへすかさずアルが茶化しに入る。エヴァンジェリンはまともに相手をしないほうが疲れないと判断したのか、突っかかることもなく、動物を払うように手を動かしながら返す。

 

「あー言ってろ言ってろ。まぁぼーやの経験にはいいだろうが、流石に事が大きくなりすぎたからな。少しくらい手は貸してやる」

 

 いくらネギにとって良い経験になるといっても、もはや事態はそれどころではない。人間界、魔法世界、そして魔界が絡まりあった未曾有の危機だ。エヴァンジェリンも手を貸すことになんら迷いはなかった。

 

「ネギ先生、状況説明はこんなもんだよ。なんか質問は?」

「質問ですか?」

 

 ネギは何か聞きたそうにしていた。というのも、ネギは気になって仕方がなかった。思い出して仕方がなかった。記憶が途切れる寸前に見た造物主の素顔についてアルや近右衛門に、エヴァンジェリンに聞きたくて仕方がなかった。

“なぜ造物主の顔が父のものだったのか”。

 彼らは知っていたのではないのか? 知っていて、自分に黙っていたのか? 今にもその言葉達が堰を切って口から溢れ出てきそうだった。

 しかしそれを口にすることは、ネギにははばかられた。それを口にすると、それを言ってしまうと、自分の心に打ち勝ったと思っていたのはただの思い上がりで、自分の道を、灰色の道を歩むと決めた心を否定してしまう気がしたからだ。

 

「ぼーや、神楽坂明日菜を助けたいのなら今は集中しておけ。それ程に状況は悪いのは分かっているだろう?」

 

 ネギのそんな思いを見透かしていたのか、あるいは彼女なりに気遣ったのか。エヴァンジェリンは一言ネギへ言葉をかけた。ネギは少し頭を垂れて、小さく「はい」と返しただけだ。

 エヴァンジェリンを含め何人かは、ネギの拳が小さく震えているのを見逃さなかった。ネギは怒りに震えていた。エヴァンジェリンにではない。自分にだ。

 仲間を頼ると約束し、そう決めたはずだ。なのに、自分にもっと力があったら明日菜を助けることができたのではないか? 父の面影を追いかけて自身の道を歩むことすら揺らいでしまっているのは力がないからでは? と考え、力が欲しい! 強さが欲しい! もっと力を! と、力を切望している自分がいることに怒りが沸いていた。

 そんな様子のネギを見て、エヴァンジェリンは顔を険しくした。

 

(このバカ弟子が……。もうこれ以上闇の魔法は使わせられんな)

 

 もともとネギは、心の深層にある心的外傷のせいもあって、闇の魔法との親和性が高い。それはつまり、闇の魔法の侵食が早い素養を持っているということである。その上このような精神状態になれば、闇の魔法の侵食に拍車をかけ、さらにネギを蝕むだろう。エヴァンジェリンはそれを危惧し、そう判断した。

 しかしそれをネギへ伝えようか考えを巡らせている時、エヴァンジェリンはハッとしたように振り向いた。彼女が振り向いた先は、例の魔界へ通じる穴だった。

 

「チィッ! おい貴様ら、来るぞ!」

 

 エヴァンジェリンは既に魔法の詠唱に入っていた。他の者は何事かと、一瞬分からなかった。しかし魔界へ通じる空間の裂け目を凝視すると、夜のように広がる暗闇の遠方がわずかに蠢いているのが分かった。それは次第に大きく見えてくる。いや、正確には大きくなっているのではなく、近付いて来ているのだ。文字通り無数の悪魔が。

 

 

 

 

 埃っぽくて薄汚い掃きだめのような街の中。この時間帯ならいつも派手な赤いネオンサインが灯っているはずの店の前に、一台のバイクが止まった。赤いカラーリングのそのバイクが排気の重低音を止めると、ドライバーはヘルメットへ手をかけた。ヘルメットから現れたのは美しい金色の長い髪と、見惚れるような美しい顔だった。その者は頭を二、三度振って髪の乱れを直した。それだけの動作にもかかわらず、どこか妖艶である。

 跨っていたバイクから降りると、店を一瞥した。店名をあしらったネオンサインも、部屋の明かりも点いていないようだ。普通なら留守だろうと考えるだろうが、その者は気にせず店の入口へ歩を進めた。そして扉に鍵が掛かっていない事を当然知っているかの如く、扉を押して店の中に入っていった。

 

「まったく、掃除しろって言ってんのに。それにまた鍵も閉めずに行ったみたいね」

 

 店の中にピザの箱が散乱している惨状を目の当たりにして、家主もいないのに思わずそう呟いていた。

 

「ま、鍵は閉まってたら蹴破るからいいけどね」

 

 その美貌には似つかわしくない粗暴な言葉を一人言いながら、お目当てのものへ近づいていく。その者はある物を手に入れるために、ここ“Devil May Cry”へ足を運んだのだ。

 そのお目当ての物は、“Devil May Cry”の家主、つまりダンテがいつも座っている椅子の後ろに掛けられている剣だ。それは剣というには異様な形で、見ているだけでも魅入られるような妖しい雰囲気を醸し出していた。

 その者は指でその剣の刀身をスッと撫でた。すると呼応するように、剣が小さく脈動した。


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