店で中古のカメラやレンズをお買い求めの際にはご用心を。
前の持ち主はどんな事情で手放したのか。何をメインに撮っていたのか。
誰にも、何にも判りませんよ?



『+にじうら+』の文字板投稿分に若干手を入れての投稿となります。

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カメラ

「いらっしゃい。残念ながら、今日は出物はないよ」

 行きつけの店の主人が、人懐っこい笑顔で私に教えてくれた。

 ここは東京のとある官庁払下品取扱所。官公庁で使わなくなった装備や制服――主に自衛隊や警察。たまに米軍関係の品物も出ていたりする――を販売している店だ。

 コスプレ(特に軍関係)が趣味の私にとっては、わりと重宝する店である。

 週に3日くらいはこうやって、面白そうなものを探すのが習慣になってしまっている。

 別に食指が動かされなくても、そこにある品物を見ているだけで、結構楽しいものだ。

 ふと、店主の後のガラスケースに収められた一眼レフカメラに目が留まった。

「ん……ああ、これ? 見るかい?」

 私の目線に気付いた店主がガラスケースを開け、カメラのボディとレンズを出した。

 コスプレイヤーであると同時にいわゆるカメコでもある私――女なのにカメラ小僧もないもんだと思うけど――は、軍服と同じくらいカメラに目がない。

 モータードライブ付きのニコンF3と、3本の純正交換レンズ。

 シャッターボタンや巻上げレバーの汚れ具合から判断して、そこそこ使われていたような印象はあるが、傷や凹みはなく外見は問題なし。

 レンズやボディの内部にはカビや埃、サビなど1つもない。よほど保存状態が良かったと思われる。レンズをボディに装着してファインダーを覗くと一点の曇りもなく、店の外の景色がクリアに見える。

 しかし……重い。

「今のデジタル一眼と比べたらアホみたいに重いさ。けどこれだって、F2に比べれば軽いもんだよ。F2はモータードライブを付けると、2kg越えちゃったからね」

 懐かしそうに笑う店主は、その昔新聞社の報道カメラマンだった。3台のモータードライブ付きニコンF2を首と肩からぶら下げ、事件・事故の現場を走り回った猛者だ。3台のF2はそれぞれ広角・標準・望遠と役割分担させていたそうで、総重量は単純計算でも6kg(!)を超す計算になる。

 ちなみに、この店主は私の写真撮影の師匠でもある。

 どこからの払い下げ品かと尋ねたところ、店主は「遺失物センターだよ」と言った。

 警視庁の場合、年間の遺失物・拾得物処理件数は優に200万件を超える。

 これらの拾得物は、警察に届けられてから2週間と6ヶ月後に拾得者(届出者)に所有権が移転する。引き取られていく品物――現金が大半だったりするが――もあれば、そうでない品物もある。

 そうした引き取り手のない品物については、しかるべき手順(入札)により業者に払い下げられる。その業者によって更に品物は選別され、中古市場に準じた値段をつけられ、駅のコンコースなどで催される『掘り出し物市』と称するワゴンセールに、商品として提供される。

 私がF3を手に取りあれこれ弄っていると、店主が水を向けてきた。

「気に入ったんなら売るよ? ただ……」

 店主はそこで言葉を区切り、手元の湯飲みを取り上げた。

 中身は緑茶。濃い緑色をしていて、いかにも苦そうだ。

 お茶を1口飲むと、店主は私を見ながら話を続けた。

「中古カメラは当たり外れが激しすぎるから、それだけは覚悟しておくように」

 かつて職業カメラマンだった店主なら、まずこのカメラは使わないだろう。

 仕事でカメラを使う人々は、値が張ろうが何だろうが、基本的には新品の撮影機材を揃える。自分の目となり、飯のタネとなる道具だからだ。もちろん中古カメラを手に入れることもあるが、それだって十分に吟味し、程度が良いものを選ぶ。

 中古の場合(これはカメラに限ったことではないけれど)、多少に関わらず前の持ち主のクセが染み付いているものだ。また、買った時はなんともなかったのが、1週間と経たないうちに壊れる事だってある。

 逡巡する私に、店主は言った。

「まぁ、僕が使うわけじゃないし。最終的にはお前さんの決める事さ」

 無責任すぎる一言をよくもまぁぬけぬけと。そう思いつつ、私はレンズ付きで幾らかと尋ねた。店主は黙って片手を広げた。5万円ということらしい。

 中古のカメラ屋で見かけるF3本体とモータードライブのセットは、状態にもよるが概ね5~6万円前後で、その殆んどがレンズなしだ。レンズ付き(それも3本!)で5万円は安い。安すぎて逆に不安になるくらいだ。

 私は財布の中身を確かめると、店主の目の前に5万円置いた。

 

 それから1週間後。

 あるイベントに参加した私は、あのニコンF3で写真を撮りまくった。

 使ったフィルムはコダックのトライX。フィルム世代の報道カメラマンなら必ずお世話になった、高品質の白黒フィルムである。

 何が悲しくて、カラフルな衣装を白黒フィルムで撮影しなければならないのか。馬鹿だよね、我ながら。

 理由は簡単。白黒写真なら、押入れがあれば自宅でDPEが出来るからだ(カラーフィルムでももちろん可能だが、何かと面倒くさい)。ふすまを閉めきってしまえば、まず光は入ってこない。格好の現像環境である。――夏場は地獄だけど。

 帰宅すると、早速私は押入れに籠もった。

 白黒写真の現像は、先の店主から厳しく指導してもらったのでノー問題だ。

 フィルムの現像から始まって、印画紙への焼付け、そして印画紙の現像。

 現像液に浸けた印画紙に、モノクロームの命が宿る。

 赤いライトに照らされた押入れの中で、現像液に浸した印画紙から徐々に陰影が浮き上がってくるのを見ると、期待と興奮で胸がドキドキわくわくする。

 ほんの少しだけ(カラーで撮りたかったなぁ)という、後悔の念が頭を過ぎったりもするが、あえて無視。

 そして、現像液の中で、印画紙の陰影がはっきりとした形になった。

「……な、何よこれっ!?」

 閉めきった押入れの中で、私は叫んだ。

 そこには、禍々しい光景が焼き付けられていた。

 どこかの一室。

 天井から一筋のロープが垂れ下がっている。

 その先には、女性と思しき人影がぶら下がっていた。

 見ちゃダメだ、と思う一方で、私はその印画紙に見入っていた。

 印画紙の中に写る部屋に見覚えがあった。

「これ……私の部屋?」

 適正な現像時間を超えてしまい、現像液の中の印画紙がどんどん黒ずんでいく。

 それでも私は印画紙を引き上げようとせず、じっと見入ってしまっていた。

 ロープの先にぶら下がる人影が――動いた。

「ひっ!?」

 人影が印画紙の中から私に向かって、にいっ……と笑ったように見えた。

 微かに見えるその顔に、私は愕然とした。

「……私?」

 恐怖感も手伝って呆然とする私を嘲笑うように、どこかへ誘うように、印画紙に写るカメラのレンズが怪しく光っていた。

 




「……美人もこうなっちゃ形無しだな」
 アパートの一室。鑑識が採証活動をしている中、臙脂色の腕章を巻いた年配の刑事が溜息混じりに呟いた。そのそばに立つ若い刑事が話しかけた。
「特に遺書とかはないですけど、自殺ですかね?」
「だと思うが……まずは大塚の見立てを伺わんとな」
 大塚。警視庁の部内用語で東京都監察医務院を意味する。所在地の地名がその由来だ。
 自殺者を初めとするいわゆる変死体は、この監察医務院で司法解剖され、詳しい死因や死亡推定時刻が割り出される。
「若い身空で、なんでこんな真似をするかなぁ」
 部屋の中央には、女性の首吊り死体がぶら下がっている。
 年配刑事はそれを見ながら、やりきれないといった表情で呻いた。
 鑑識課の、デジタル一眼を抱えた若い主任が、現場写真を撮り終えた事を年配刑事に告げた。
「よし、じゃ仏さんを下ろすぞ。いつまでもこのままじゃ苦しかろうよ」
 年配刑事の言葉に、若い刑事がやや蒼ざめた表情で、女性の身体を後から支えた。
 鑑識課員の1人が脚立に登り、女性の首に掛かったロープを緩める。
 支えがなくなったからか、女性の首が不自然にぐらぐら動いた。
 首の骨が折れているみたいだ。
「慎重に……せーのっ!」
 年配刑事の掛け声のもと、複数の警察官の手により、女性はロープから解放された。
 床に用意した担架に移そうとしたその時、後で支えていた若い刑事が、前のめりにバランスを崩した。
 突然の事で周りが支える暇もなく、女性の身体は前に放り出された。
 そして、皆が見ている中、女性の首がペタンと床につき、ズルッと伸びて。
 どこからともなく、カメラのシャッター音と同時に、フィルムを巻き上げるモーター音が室内に響いた。【終】


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