いつか天魔の黒ウサギ Another World 作:白い鴉
桐山との決着を終えたその日の夜、月光はいつも通りソファの上でリーネの銀髪をくしでといてやっていた。二人の間に会話はない。さっきからずっと黙ったままだ。月光が黙々と手を動かしていると、月光に背を向けているリーネが言った。
「ねえ月光」
「何だ」
「もう私、あそこに帰らなくていいんだよね?」
「ああ」
「もうあの女に暴力を振るわれないし、他の子達も大丈夫だよね?」
「あれほど脅したからな。やらないだろう。もしもやったら、次は容赦はしない。完璧に叩き潰す。だから安心しろ」
「私………、ずっとここにいて良いんだよね?」
リーネの声が少し震えている事に月光は気づいた。その声を聞いた月光はくしを動かす手を止めかけたが、いつも通りリーネの髪をとかし続ける。
「月光と……、一緒にいて良いんだよね?」
「………ああ。安心しろ」
そこでリーネが振り返った。リーネの目は涙が大量に溜まっており、顔はくしゃくしゃだった。そして月光の胸に抱き着く。月光はソファに倒れこみ、リーネの銀色の長い髪が月光の体の上に広がる。
「……ねぇ月光。少しだけ、私の話を聞いて」
「良いだろう。天才である俺が雑魚の貴様の話を聞いてやる。さっさと話せ。本来なら俺には雑魚の話を聞いている暇などないんだ」
月光にせかされ、リーネは話し始めた。
「私ね、月光と会う前は諦めてたんだ。自分は一生幸せにはなれない。きっとあの女に孤児院に縛り付けられて、何の自由もないまま生きていくんだって」
「………」
「孤児院から逃げ出した後も、どうするかなんて全然頭になかった。ただ逃げ出すのに必死で、その後の事なんて全然考えてなくて、それで疲れて倒れたの。私はここで死ぬのかなって思った。だとしたらそれも良いかなって思ったんだ」
リーネのその言葉に月光は少し目を細める。その目に気付き、リーネはさらに強く月光を抱きしめる。
「死んだら父さんと母さんに会えるから。だからここで死ぬのも悪くないって。このまま一生あの女に縛られるぐらいなら、死んで父さん達に会いたいって思ったから」
「……はっ。だったら俺は余計な事をしたな。まさか自殺志願者を助けるとは」
「うん。月光にはすごく悪いと思うけど、あの時私は自分が生きている事に少しショックだったの。死んでれば楽になったのに、死んでなかったから。それに目の前には全然知らない男の子がいたから、また孤児院に戻されるのかなって」
でも、とリーネは言って、
「月光は赤の他人の私の言う事を聞いてくれた。警察に通報しないでくれたし、美味しいご飯を食べさせてくれた。ここに住まわせてくれたし、私の我が儘をたくさん聞いてくれた。しかもさっきはあの女から私を護ってくれたし、私をここにずっと住まわせてくれるようにしてくれた。月光は分からないかもしれないけど、私にとって月光は私を助けてくれた王子様なんだよ?」
「違う。俺は人間を超越した天才だ」
「あはは、月光らしいね」
リーネが楽しそうに笑った。その笑顔を見て月光も呆れたような笑顔を浮かべる。リーネは起き上がると、仰向けに転がっている月光の顔を見つめる。
「ねぇ月光。最後に聞くよ」
「何だ」
「私はこれからも月光にたくさん迷惑をかけちゃうかもしれないけど………。月光はそれでも私と一緒にいてくれる?」
月光は何を言っているんだこいつは、と言いたげな目をリーネに向ける。そして言った。
「まったく何を訳の分からん事を言っているんだお前は」
「わ、訳の分からん事ってねぇ月光。私は」
「やかましい。いいから、お前はここにいろ。お前は俺のものだろうが」
その瞬間、リーネは大きく目を見開いた。信じられないものを見るような目で月光を凝視すると、にっこりと嬉しそうな顔になる。
「……えへへ、月光」
「ああ?」
「私ね、月光の事が大好き」
「そうか」
月光は立ち上がると、冷蔵庫に向かいコーラを取り出しソファに戻る。それからテレビをつけて珍しくバラエティ番組を見る。あっさりとした月光の態度にリーネは呆然とし、
「え、それだけ?」
「何がだ?」
「だ、だから、私は月光に今大好きって言ったんだよ?」
「言ったな」
「なのに、それだけ?」
「どうしろと言うんだ?」
月光はうんざりしたように言った。リーネは頬をひくひくとひきつらせて、
「いや、まあその方が月光らしいけどさ……。む~」
リーネはぷくりと頬を膨らませる。月光はため息をつきながら、リーネの頭を撫でてやる。
「これで良いのか?」
一方、リーネは突然の月光の行動に顔を真っ赤にさせていた。
「え………。う、うん」
リーネはしばらく月光に頭を撫でられていたが、やがて平常の状態に戻ると月光に尋ねてみる。
「月光」
「今度は何だ?」
「もしかして月光ってさ、こういう事するのが照れくさいの?」
「あ゛あ゛!?」
「だって、月光ってこういう事しなさそうだから………」
「くだらない事を言っている暇があったら、さっさと寝ろ。貴様も数日後には学校に再登校するんだろう」
「あ、そうだね」
月光は桐山との話し合いの後、桐山に電話しリーネの学校について話し合っていた。何でもリーネは孤児院を逃げ出してから中学校に行っていないらしい。それで月光は数日後にリーネをその学校に再登校させるようにし、勉強道具などは後日孤児院から月光の家に送らせる事にしたのだ。
「今の内から早起きの習慣をつけておけ。朝寝坊しても知らんぞ」
「月光。今のはお母さんの台詞だよ」
「いい加減に黙れ。殺すぞ」
イライラとしながら月光はコーラを飲み干し、洗面台へと向かい歯を磨きはじめる。するとリーネも月光の横に歩いてきて、一緒に歯を磨きはじめる。その顔はとても嬉しそうで、どうして歯磨き程度でそこまで嬉しそうな顔をするのか月光にはよく分からなかった。
そしてリーネの方が先に歯磨きを終え、洗面台をそそくさと出る。月光も歯磨きを終えて洗面台を出ると、リーネが何故かソファの上に寝転がって、顔を月光に向けていた。
「何をしている?」
そう尋ねると同時、リーネが寝転がった姿勢のまま両腕を月光に差し出してきた。
「何のマネだ?」
「お姫様抱っこして」
「チッ」
リーネの口からそんな言葉が飛び出してくると同時、月光は舌打ちした。
「いきなり舌打ちはひどいと思うよ?」
「何故俺がそんな馬鹿な真似をしなくてはならない」
「あのね、お姫様抱っこは全国の女の子の夢なんだよ?」
「俺が知るか」
「………意地悪」
唇を尖らせてリーネが言うと、月光はイライラした表情でリーネの背中から腕を回して胴体を支え、膝にもう一方の腕を差し入れリーネの足を支える。突然の行動にリーネは慌てて月光の肩越しに腕を首の後ろに回して反対側の肩に掴まる。リーネは顔を真っ赤にして、
「ほ、本当にやってくれるとは思わなかった……」
「貴様がやれと言ったんだろう。やって欲しくないのならこのまま落とすぞ」
「お、落とさないで。このままベッドまで運んで行ってよ」
「……手間がかかる雑魚が」
毒を吐きながらも月光はゆっくりとリーネを運びながらベッドまで行き、慎重にリーネを下ろす。リーネは嬉しそうにベッドに寝転がり、月光はやれやれと肩をすくめながら部屋の電気を消し横になる。リーネは暗闇の中で目を開いて、月光の背中を見る。
「月光」
「今度は何だ。手短に済ませろ。俺はもう眠いんだ」
月光の声は本当に眠たそうだった。リーネは短く言った。
「おやすみ」
「……ああ」
そう言うと、月光からすーすーと寝息が聞こえてきた。リーネは笑顔で月光の背中を見る。いつも着ている青色のパジャマが暗闇の中ではっきりと見え、リーネにはその背中がとても愛しく感じられた。
リーネは心の中で月光の事を思い浮かべる。
毒舌で、唯我独尊で、傍若無人だけど、本当は優しい男の子。
意地悪を言いながらも自分を救ってくれた王子様。
「ねぇ月光。私ね」
月光の背中に抱き着きながらリーネは小さな声で呟く。
「あなたと一緒なら、どんなに大きな不幸でも乗り越えていけると思うんだ」
月光から返事は聞こえてこない。しかしそれで構わない。その言葉をもし聞かれでもしたら、リーネは恐らく顔を真っ赤にしてベッドをのた打ち回る羽目になるだろう。月光の体をきつく抱きしめながらリーネは言った。
「おやすみ、月光」
そしてリーネは目を閉じ、二人の寝息が部屋に響いた。
こうして、心を傷つけられ、独りぼっちだった少女は救われた。
素直に何かを言う事ができないが、とても優しき心を持つ少年によって。
もし、この二人に何か大きな不幸が降り注ごうとしても。
お互いがお互いのそばにいる限り、どんなに大きな不幸でも。
二人は笑ってその不幸を乗り越えていけるだろう--------。
とりあえず、これで一旦この物語は終了です。一旦、というのはあくまで月光がリーネと会う物語がこれで終わりというだけで、二人の生活の物語が終わったというわけではありません。次話からは不定期更新になると思いますが、その時は夏休みやクリスマス、バレンタインなどのイベントの小説を投稿したいと思います。それまでは一旦完結とさせていただきます。今までこの小説を読んでいただき、ありがとうございました。また会える日を楽しみにしております。