いつか天魔の黒ウサギ Another World 作:白い鴉
そよそよと風が吹き、木の枝がその風で揺れる。地平線の彼方に沈もうとしている美しい夕日が、辺りを照らしている。暖かく、暑すぎない心地良い天気だ。
今は五月。もうすぐ春が終わり、夏を迎えようとしている。夏になったら木に蝉が止まって大きな声で鳴き、かなり汗をかくほど暑くなり、海やプールに向かう親子連れの姿が多くなってくるだろう。
そんな季節に--------一人の少年と一人の少女は会った。
夕日に照らされている帰り道を、一人の少年が歩いていた。漆黒の黒髪に、冷たく端正な顔立ち。まるで全ての人間を見下しているような、冷たく鋭い、漆黒の瞳。着ているのは黒い詰襟の高校の制服で、もうすぐ春が終わるこの季節に着るのは、少し暑苦しいように感じられる。
「……今夜の晩飯はどうするか……」
少年はぽつりと呟いた。
少年の名は紅月光。ほんの一ヶ月前に近くの宮阪高校に入学した、高校一年生だ。
彼は一人で顎に手をやりながら、独り言を続ける。
「カレーは昨日の夜食ったからな……。だとすると、今夜は味噌汁に普通の白米、それに……。肉じゃがにするか。味噌汁の具は豆腐に油揚げ……」
高校生にしては家庭的な事を言いながら、月光は歩き続け、顔を上げた。
「となると、まずはスーパーだな。もうすぐタイムセールが始まる時間だ。混む時間だが……、邪魔する奴は殴ればいいか」
物騒な事を言いながら、月光は駆け出しスーパーへと向かった。
「ふむ」
一時間後、月光はスーパーの袋を片手に、学生鞄を片手に持ちながら満足げに頷いた。タイムセールに間に合い、肉じゃがに必要な材料は全て手に入れた。邪魔する奴は全て殴り、張り倒し、蹴り飛ばした。
有言実行、唯我独尊、傍若無人。邪魔するものは全員倒し、相手の心を鋭くえぐる言葉を言え。それが月光のモットーだった。
月光はスーパーを後にし、住んでいるアパートへと急ぐ。
「肉じゃがを多めに作っておけば何日間はもつな。貯金もある。これなら金が入ってくる日まで困る事は……」
そんな時だった。
ぐぎゅるるるる~。
そんな音が突然月光の耳に届き、思わず足を止め怪訝な顔をする。
「……なんだ今のふざけた音は?」
月光は辺りをキョロキョロと見回してみるが、変わったものは何もない。気のせいか、と月光が再び歩き出そうとした時。
ぎゅるるるるる~。
またおかしな音が響いた。それに月光は舌打ちし、
「一体何なんだ?」
周りを険しい顔で睨むように見るが、おかしなものはやはり見つからない。
しかし、月光はある事に気が付いた。
自分のいる道の横に、薄暗く細い裏道のようなものがある。どうやら音はそこから響いてきているようだ。
「……?」
月光はその細道に近づく。薄暗いので目を凝らしてみてみると、何やら生き物が倒れているようだった。学生鞄とスーパーの袋を地面に置き、裏道に入りその生き物を観察してみる。
「……人間だと?」
怪訝そうな顔をしながら月光は呟いた。その生き物は、人間だった。薄暗く、シルエットはよく分からない。その人間の胴体を抱えてみると、意外に軽い。抱えたまま元の道に戻ると、その人間の姿がはっきりと見えるようになった。
その人間は少女だった。歳は自分より一、二歳年下だろうか。長い銀髪をツインテールにしており、銀髪が夕日の光を反射してキラキラと光っている。さらに特徴的なのはその顔だった。明らかに日本人ではない整った顔立ちに、雪のように白い肌。しかしその白い肌は土や砂利などで少し汚れてしまっている。
それに着ている服も少し妙だった。着ているのは白いワンピースだが、それも所々汚れてしまっているし、靴もボロボロだ。しかもそのワンピースが包んでいる体も、心なしか少し細すぎるような気がする。
脈はあるから、死んではいないようだ。もしこれで死んでいたら面倒な事になっていたなと月光は思いかけたが倒れている少女を見つけた時点で面倒事だなと舌打ちした。
ぎゅるるるるる~。
「…………」
月光が舌打ちすると同時、そんな音が少女の腹から聞こえてきた。どうやらさっきから聞こえてきた妙な音は少女の腹からしてきたいたらしい。ようするに、空腹のようだ。
「この時代に行き倒れか?」
月光が呆れたような、馬鹿にするような声で言った。しかし少女はピクリとも反応しない。ぐったりとしているし、どうやら何日間も何も食べていないようだ。
それに月光はふむ、と考えた。
まずは警察に電話すべきだが、栄養失調の可能性もある。だとすると、すぐに何か食べさせなければならない。栄養失調だって、放っておけば命に関わる可能性もあるのだ。それにこの少女が何日間食べていないかも分からない。月光はスーパーの袋の中を見て、はぁとため息をつく。
「何故こんな面倒な事を……」
月光は片腕に学生鞄とスーパーの袋を持ち、もう一方の腕で少女を抱えると、自宅へと急いだ。
月光は自宅の前に着いた。そこはアパートだが、ボロくなければとても綺麗というわけでもないという、『普通』という二文字が似合うアパートだった。月光は自室のある二階への階段を上り、自室の扉の前に立つと鞄とスーパーの袋を取り出しズボンのポケットから鍵を取り出し扉の鍵を開ける。
そして扉を開くと、足で扉を押さえて鞄とスーパーの袋を持ち、部屋に入る。
部屋は高校生の男子にしては少し殺風景だった。部屋の片隅には掃除機、中央にはテーブルが置かれており、テーブルの前にソファが置かれている。さらにソファの反対側にはテレビがあり、ソファの近くに本棚があるが、本は数冊しかない。台所には冷蔵庫、電子レンジなどがあり、風呂場には洗濯機しかなかった。トイレや風呂場、台所など生活に最低限必要なものを除くとそういったものしかなく、ゲーム機やパソコンなどは無かった。
月光はソファに少女を横たえると、鞄を置きスーパーの袋を台所に持っていく。買った肉や野菜、じゃがいもなどをせっせと袋から出して置く。そして再び少女の眠っているソファに向かい、少女をじっと見る。
この少女が何者か分からないし、どうしてこんなに腹をすかしているのかもわからない。目を覚ましたら話を聞く必要がありそうだな、と月光は面倒そうな顔で思った。それから風呂場の方を見て、
「先に湯をためておくか……」
そう呟き、風呂場の方へ動き出した。
完全に日が暮れた夜、少女は目を覚ました。うっすらと目を開けると、その目は美しい青い目だったが、どこか強気な印象を抱かせる。ゆっくりと起き上がると、そこはどこかの家の中だった。あるのはテレビにテーブルといった物で、殺風景な部屋だった。テーブルの上にはデジタル時計が置かれており、表示は七時半になっていた。動こうとしたが、体がふらついてうまく動けない。それでも何とか動き出そうとしたその時。
「目が覚めたか」
少女が声のした方に目を向けると、そこには一人の少年が皿を持って立っていた。漆黒の髪に、鋭く冷たい瞳。その鋭く冷たい目で、少年はじっと少女を見つめている。
少女は体力がないのも忘れて、逃げようとした。だが逃げる体力が無くなっていた。少女は床に倒れ、立ち上がろうとするが体に力が入らない。
それでも少女は少年を睨み付ける。その目はまるで、全てを拒絶するような目だった。
少年はため息をつくと、手にしていた皿をテーブルに置いた。その皿から、良い匂いが漂ってくる。少女がその匂いに惹かれ、そっと見てみると。
その皿には、肉じゃがが盛られていた。
肉じゃがを見て、少女は思わずごくりと喉を鳴らす。それを見て、少年--------紅月光はその冷たい瞳で少女を見ながら言った。
「日本語は分かるか?」
その質問に少女は警戒のこもった目で睨みながら頷く。
「飯だ。腹が減っているのなら食え。いらないなら俺がもらうぞ」
少女は敵意のこもった視線を月光から外さず、座ったまま後ろに後ずさる。それを見て月光は頷くと、
「そうか。いらないなら俺がもらう。俺も腹が減ったからな。はっきり言ってお前のような雑魚にやるような飯は……」
ない、と言いながら肉じゃがの皿に手を伸ばしたところで、少女が肉じゃがの皿を掴んだ。
「おい、雑魚が俺の飯を奪い取る気か?」
「………」
「さっさと手を離せ」
「………」
ぐぐぐ、と二人で皿を引っ張り合う。先に降参したのは月光だった。彼は皿を少女の方に押しやると、台所に戻る。再び少女の元に戻ってくると、その手にはホカホカと湯気を立てるご飯が盛られた茶碗があった。月光は少女の目の前に茶碗をおくと、もう片方の手に持っていた箸を置いた。
「食うならさっさと食え」
面倒そうに呟くと、少女が箸に手を伸ばした。だがその手を止め、じっと目の前の白米と肉じゃがを怪しそうに見る。それに月光は舌打ちして、
「毒など入っていないから安心しろ。そんなに食うのが不安なら食うな」
そう言って月光が箸に手を伸ばすと、少女が箸を奪い取った。月光は目の前の少女を睨んでから、ため息をついて、
「さっさと食え」
「………」
少女は箸を持ち、じゃがいもを取って恐る恐る食べた。すると少女は目を見開き、じゃがいもと肉とごはんをぱくぱくと食べ始める。それを見て、月光はこう言った。
「ニンジンも食え」
「……」
少女は月光を恨めし気に睨むと、ニンジンをゆっくりと口に運ぶ。月光は今日何回目かのため息をつくと、台所に行き自分の分の白米の入った茶碗を持ってきて、少女と一緒に食べ始める。
やがて少女の茶碗が空になると、無言でその茶碗を月光に突き出す。どうやらお代わりを要求しているらしい。腹が減っているのなら仕方ないか……、と月光は立ち上がってその茶碗を受け取り台所に向かう。
そして茶碗に白米をよそい、少女に差し出す。その茶碗を受け取り、少女はまた食べ始め、月光も自分の茶碗のご飯を食べ始めた。
肉じゃがの入った皿が空っぽになり、二人の茶碗も空っぽになる。少女はあれからご飯を二杯お代わりした。やはりかなり腹が減っていたらしい。食べ終わった少女はテーブルを挟んで座っている月光を睨んでいるが、さっきよりは敵意が減っている。箸を茶碗に置いてから、月光は少女に今まで聞きたかった事を尋ねた。
「お前、名前は何だ?」
「…………」
「もう一度聞く。貴様の名前は何だ? 名前ぐらいはあるだろう。それとも名前も答えられないぐらい頭が発達していないのか?」
聞き方というものがあるだろう、とツッコまれそうな尋ね方で月光は言った。すると、少女の口からわずかに声が聞こえてきた。
「………ン」
「ああ?」
「……リーネ・アルトマン」
小さな声だったが、その声は月光に聞こえた。どうやらリーネというのが少女の名前らしい。月光は次の質問をリーネにぶつけた。
「何故倒れていた?」
「………」
「どこから来た?」
「………」
リーネは何も答えなかった。月光は携帯電話を取り出して、
「仕方がない。警察に電話して……」
「……!」
警察、という単語にリーネの表情が強張り、月光の携帯電話を持つ腕を掴む。
「……警察は、呼ばないで」
「何故だ?」
「それは……」
何故かリーネは口を閉ざした。だがその目はまるで、お願いと訴えているようだった。その目で見つめられ、月光は渋々携帯電話をポケットにしまう。
「分かった。警察には電話しないでやる」
その言葉を聞き、リーネはほっとしたような顔になった。そして、ほっとしたせいか、それとも満腹になったせいか、うとうとと眠たそうな顔になる。月光は顔をしかめて、
「待て。寝るのはお前の勝手だが、まずは風呂に入って来い。そんな格好で寝られたら迷惑だ」
リーネは眠たさのせいか、こくりと頷き風呂場の方へ歩き出す。それを疲れたような顔で見ながら、月光は愛飲しているコーラを飲もうと、冷蔵庫に歩いた。
数十分後、月光がコーラを飲みながらニュースを見ていると、リーネが月光のYシャツと黒のズボンをはいて風呂から上がった。Yシャツとズボンは月光が着替えのために用意した物なのだが、体型が違うのでぶかぶかだった。リーネは目をごしごしとこすると、眠たそうな足取りで月光のベッドに座り、月光を見る。
「……あなた、名前は?」
そう言えば名前を名乗っていなかった事を思い出し、月光は自分の名前を言う。
「紅月光だ」
「……月光」
「何だ」
「ご飯、ありがとう。美味しかった」
それだけ言い残すと、リーネはベッドに寝転がった。間もなく寝息が聞こえてきた。どうやら眠ってしまったらしい。月光は掛布団をリーネにかけてやり、ソファに座って考え事をする。ニュースキャスターの声が、どこか遠くから聞こえるように感じる。
何故、リーネはあんな裏路地で倒れていたのだろうか。着ていた服は汚れていたし、靴はボロボロだった。 一体、どうやったらあんな風になるのだろうか。しかも彼女は警察に連絡されるのを恐れていた。どうして彼女は警察に連絡されるのを恐れていたのだろうか。もしかしたら、家出少女という可能性もある。
だが……、ただの家出少女が、あんな目をするのだろうか?
月光は警察に電話しないでと頼んだ時の、リーネの目を思い出す。まるで、何かを恐れているような目。それは警察自体を恐れているのか、それとも他の何かを恐れているのか。それに、最初に月光を見ていた時の、まるで全てを拒絶するような目……。
何故そんな目をするのか、月光には分からなかったが、詳しい事情を聞く必要がありそうだなと眠っているリーネを見ながら思った。
「……話したら、の話だがな」
月光は小さく呟いた。彼女は最初月光と何も話そうとしなかった。肉じゃがを食べて、ようやく名前を教えてくれた。それとついさっき礼を言ったが、それ以外は何も分からない。
まあ、良い。それは明日聞けばいい。幸い明日は土曜日だ。月光は特に部活に入っていないので、朝飯を食べてからゆっくりと聞けばいい。そう考えてテレビを消し、寝ようとしたがベッドをリーネが独占している事に気付く。チッと舌打ちし、電気を消して月光はソファに寝転がり目を閉じた。
少年と少女の一日目が、終わりを告げた。
何かご意見などがあれば、ぜひお願いします。