いつか天魔の黒ウサギ Another World 作:白い鴉
月光とリーネが買い物に行ったり、リーネがクレープを食べたり、月光がリーネの過去を少しだけ知った翌日。その日は日曜日だった。
日曜日と言ったらまず思いつくのはどこかに出かける事だろう。学校はもちろん、会社も休みな日が多い。だからほとんどの人間は、日曜日は外に出かける。リーネもそれを少し期待していた。
あまり遠くに行けなくてもいい。ただ、ちょっと月光と散歩でもしたかった。それだけでも、リーネにとっては大切な思い出になるのだから。
ただしそれは、天気が歩くのが気持ち良いほどの晴れだったらの話だ。
「…………」
リーネは月光が住んでいるアパートの部屋で、ソファに寝転がってテレビを見ながら頬を膨らませている。月光はガラス製のテーブルの上に学校の教材をいくつか置き、宿題に取りかかっている。窓の外では、上空から雨が降っていた。
今日の天気は雨だった。そのせいで月光とどこかに行く事が出来ず、今日一日この部屋で過ごす事になった。面白いテレビはやっていないし、月光は学校の宿題をやっている。まったく構ってもらえないので、リーネはつまらなかった。少しだけ、自分の相手をしてくれないだろうか……。
そう思い、リーネはテーブルの上に置かれている月光の数学の教科書を手に取り中を覗いてみる。月光がじろりと迷惑そうな目で見たが、特に注意せずそのままペンを動かし続ける。
「ふーん。これが月光の学校の数学なんだ?」
ぱらぱらと月光の教科書をめくりながらリーネが言った。月光は黙々と手を動かしていたが、不意に顔を上げてリーネに尋ねる。
「そう言えば、貴様、学校は良いのか?」
その言葉にリーネはきょとんした顔になった。
「ふぇ?」
「明日から俺は学校に行くが、貴様は行かなくていいのか?」
するとリーネは少し悲しそうな顔になった。手に持っている教科書をぱらぱらとめくりながら、
「……うん。色々事情があってね。今は行けない……」
「ふうん」
月光はあまり興味なさそうに言った。それを聞いて、今度はリーネが月光に尋ねる。
「どうして学校に行かないんだとか、聞かないの?」
「成績が下がり、周りから馬鹿扱いされるのは俺じゃないからな。お前が周りからどう悪く言われようがお前の勝手だ」
月光の冷たい言葉に、リーネは思わず俯いた。それから窓を見て呟いた。
「雨は嫌い」
「何故だ?」
「外には行けないし、外に出ても濡れるし。それにまるで……、空が泣いてるみたいだもの」
「はっ。そんな言葉をお前が言うとはな」
まるで自分を馬鹿にするような言葉に、リーネはむっとした顔になる。
「どういう意味?」
「貴様のような馬鹿女からそんな言葉が出るとは思わなかっただけだ」
相変わらず冷たい言葉が出てくるが、リーネは何故かふふんと自信ありげに胸を張った。
「言っとくけど、私頭は良いわよ? 小学校でも今の中学校でも、成績優秀だったんだから」
「嘘をつくな」
「本当に決まってるでしょ!」
「…………」
月光は冷たい眼差しをリーネに向けた。リーネは少し顔をしかめて、
「何よ。その顔」
「信用できんな」
「本当だって言ってるじゃない!」
リーネは頬を膨らませて月光に叫んだ。月光はその顔に顔をしかめて、
「やかましい」
「やかましいじゃ……、もう。月光って本当に意地悪だなあ」
唇を尖らせてリーネが言う。それから灰色の雲をじっと眺めていたが、リーネの頭に良い考えが浮かんだ。
急に立ち上がってテーブルの上のティッシュを取ると、ティッシュを一枚取り何か作業をし始めた。
「何をしている?」
「見れば分かるでしょ? てるてる坊主作ってるの」
リーネの言葉を聞いて、月光は呆れたような溜息をついた。
「ガキか貴様は」
「別に良いでしょ。晴れて欲しいって思うぐらい」
「そんな迷信で本当に晴れになるなら、天気予報などいらんだろう」
「夢がないね、月光は。確かに晴れにはならないかもしれないけど、晴れになるのを祈るのは良い事じゃないの? 月光にだって、てるてる坊主を作った時ぐらいあるでしょ?」
「ない」
その即答に、リーネはてるてる坊主を作っている手を止めて思わず月光の顔を見た。
「ないの?」
「ないな」
「学校の運動会とか、作った事ない?」
「むしろ面倒だから雨で潰れろと思っていた」
「……あっそう」
驚いたようにそう呟くと、リーネは輪ゴムを使っててるてる坊主の首を作り、月光から黒いペンを借りてテルテル坊主の表情を書く。月光は宿題をやりながら、リーネの名前を呼んだ。
「リーネ」
するとリーネは、目を丸く見開いて月光を驚いたように凝視した。それに月光は眉をひそめて、リーネに尋ねる。
「何をそんなに驚いている?」
「……今」
「あ?」
「今、初めて私の名前を呼んだ」
それに月光は、今まで自分がリーネの事を『お前』や『貴様』とでしか呼んでいなかった事に気付いた。考えてみれば、確かに自分がリーネの名前を呼んだのは今のが初めてかもしれない。
「……ふむ。そうだな」
「……もう一回」
「んぁ?」
「もう一回、呼んで」
それに月光は首をかしげながらも、もう一度リーネの名前を呼ぶ。
「リーネ」
「もう一度」
「リーネ」
「……もう一回」
「もう良いだろうが!」
さすがに何回も呼ぶ意味はないだろう。月光がリーネに言うと、リーネは何故か急に笑い出した。
「えへへへへへ」
「……? 何がおかしい」
「月光が私の名前を呼んでくれたから」
「?」
「あはははは」
リーネは何故か嬉しそうに笑い続けた。それを奇妙な物を見るような目で見ながら、月光はさっき尋ねようとした質問をリーネにぶつけた。
「お前はてるてる坊主を作った事があるのか?」
「前は母さんと一緒によく作ってたけど、今は全然」
「そうか」
喋りながら、宿題をする手は止めない。リーネがてるてる坊主を作る音と月光が宿題の答えを書く音が静かな部屋に響き渡る。やがて月光は宿題を終え、リーネの方を向く。リーネはせっせとてるてる坊主を作っていた。月光はティッシュを一枚取ると、自分もてるてる坊主を作り始めた。
「月光も作るの?」
「暇だからな」
そう言いながら、てるてる坊主を作っていく。しかし作った事がないため、うまく作る事が出来ない。リーネの方を見てみると、彼女は楽々とてるてる坊主を作っている。その事に顔をしかめながら、月光は黙々とテルテル坊主を作り続けた。
数分後、二人はテーブルの上に置かれていてるてる坊主を見ていた。
「ふふふ、月光にも苦手なものってあるんだね」
「………」
リーネが嬉しそうに笑っているのに対し、月光は非常に不機嫌そうな顔をしている。二人の目はテーブルに置かれているてるてる坊主に向けられている。
リーネの作ったてるてる坊主は普通に上手いのだが、月光の作ったてるてる坊主は顔が大きく、胴体が顔に比べて非常に小さい。それはまさに『てるてる坊主を一度も作った事ないけど作ってみました』と自己主張しているようだった。
「てるてる坊主を作るのが苦手な天才って、いたんだねー」
「………」
「あはは、ちょっと何とか言ってよ、天才月光ー」
「……貴様の今日の晩飯は抜きだ。そのまま寝ろ」
「ちょ、ちょっと! ご飯を抜くのは反則でしょ!」
「黙れ。雑魚である貴様が天才である俺を馬鹿にした事を後悔させてやる」
「ただの八つ当たりじゃない!」
二人はしばらく言い争っていたが、それに飽きてくると二人はできたてるてる坊主を持って窓へと向かう。そしててるてる坊主を吊るすと、リーネが笑顔になる。
「明日、晴れるといいわね」
「……そうだな」
月光はそう呟くと、ポケットから何か取り出してリーネに手渡した。手渡されたものを見て、リーネは目を丸くした。
「……これって」
「俺が昔使っていた0円携帯電話だ。通話しかできないが我慢しろ」
月光は昔もしもの時のために親から0円携帯電話を持たされていたのだ。今は違う携帯電話を持っているのだが、引っ越す時にたまたま持って来ていたのだ。なので、リーネに連絡用として持たせる事にした。0円携帯電話には自分の携帯電話の番号が入っており、自分の携帯電話には0円携帯電話の電話番号が入っている。リーネはしばらく携帯電話をぽかんと見ていたが、目を丸く見開いたまま月光を見つめて尋ねる。
「これ、私の?」
「ああ」
「これがあれば、いつでも月光と話せるんだよね?」
「圏外と電池切れの時以外ならな」
月光が訂正するように言うと、リーネはその携帯電話を愛おしげに見つめ、大切そうに携帯電話をポケットにしまった。
月光はリーネのその行動を不思議そうに見つめていたが、やがてリーネから目を離しソファに座ってテレビに視線を向け、リーネも月光の横にちょこんと座り二人並んでテレビを見始めた。
その夜、風呂に入った月光はリーネの銀色の髪をくしでといていた。何故か最近リーネの髪をといてやるのが月光の日課になっている。気が付けばくしを手にして、リーネの髪をといてやっている。やめようと思えばいつでもやめる事が出来るのだが、自分の目の前で気持ちよさそうに目を細めているリーネの顔を見ると、不思議とそんな気持ちが消えていってしまう。
リーネの髪をとき終わった月光はくしをテーブルの上に置き、テレビに映っているニュースを見る。するとリーネが突然立ち上がり、月光の後ろに回りとんとんと肩を両拳で叩きはじめた。月光は後ろのリーネに目をやり、
「何のつもりだ?」
「んー。月光にはご飯を食べさせてもらったり、暖かいベッドで寝かせてもらってるから、その恩返し」
リーネが言うと、何故か月光は偉そうに頷いた。
「ふむ。当然だな。犬ですら一宿一飯の恩義は忘れない。だがお前は俺に命を救われた。これは一生かけても返してもいいほど大きな恩……」
「何で犬と比べるのよ!」
「豚が良いか?」
「豚ってどういう事よ! って酷くなってるじゃない!」
リーネの声に合わせて、肩を叩く力が強くなっていく。それに顔をしかめ、月光が言う。
「力が強い」
「あ、ごめん。でも、月光も悪いよ? 女の子に豚って……」
ぶつぶつと文句を言っていたリーネだったが、やがて機嫌を直したように明るい声で言った。
「でもね、月光に命を救われて良かったって思ってるよ?」
「はぁ?」
「だって、月光に会えたから。もしあの場所で月光と会ってなかったら、私はもしかしたら変な人に拾われてたかもしれないし、最悪死んじゃってたかもしれないから」
「そうだな」
「でも月光に助けられて、今ここで生きている。もしかしたらこれって、運命だったのかもね」
「はっ、運命だと?」
「月光はそういうの信じてないの?」
「ああ、俺の道は俺が決める。そんなわけのわからんものに俺の人生を決められてたまるか」
「月光らしいね」
偉そうな月光の言葉を聞いて、リーネはくすくすと笑った。それから肩を叩きながら再び優しい声で、
「私は信じるよ。月光と会えたのは運命で、その運命のおかげで私は今を生きてるんだって」
「ほう」
「私、月光と会えて良かった」
「そうか」
「うん。私と出会ってくれて、ありがとう月光」
「………」
月光は思わず言葉に詰まる。今まで誰にも、そんな事を言われた事はなかったから。もちろん、嫌われていたわけではない。ただ面と向かってこんな言葉を言われた事がないのだ。だからどう答えて良いのか分からなかった。
月光が黙っていると、リーネは肩を叩き終え月光から離れた。リーネに目を向ける事もせずテレビに月光が目を向けていると、携帯電話の着信音がなった。画面を見てみると、リーネにあげて0円携帯電話の電話番号だった。月光は眉をひそめながら、通話ボタンを押し電話を耳に当てる。
「俺だ」
『私』
携帯電話から声が聞こえると同時、自分の背後からも声が聞こえた。振り返ると、リーネが携帯電話を耳に当てながら嬉しそうな顔をしていた。月光はリーネを呆れたような目で見て、
「そばにいるなら、携帯を使う意味がないだろう」
『えへへへ、ごめんね。月光といつでも話せるのが、嬉しいから』
「……それは良かったな」
月光は通話ボタンを切り、リーネに言った。
「絶対に無くすなよ」
「無くさないよ。月光がくれたんだから。それに、これが無くなったらいつでも月光と話せなくなっちゃうし」
リーネはそう言い、携帯電話をテーブルの上に置いた。月光も同じように携帯電話をテーブルに置くと、テレビと電気を消してベッドに潜り込む。リーネもベッドの端に潜り込むと、月光がリーネに言った。
「明日から俺は学校でいない。退屈だったら鍵を預けるから、外に出て良いぞ」
「出ないわよ」
「そうか」
それだけ言うと、月光はすぐに寝てしまった。リーネは月光の背中をじっと凝視する。
明日から月光はいない。夕方になるまで帰ってこないのだ。
一人きりは慣れている。だが、今は月光に自分の傍にいて欲しかった。できればずっと自分と一緒にいて欲しいが、月光にも月光の生活がある。それを壊すわけにはいかない。
そもそも月光は元々一人暮らしだ。月光以外の誰かと一緒に暮らす余裕などないはずなのだ。それなのに、自分をここに住まわせてくれている。これ以上我が儘を言うわけにはいかない。
それに。
「……月光が今ここにいてくれれば、私はそれでいいから」
そっと月光のシャツの裾を握りながらリーネは微笑を浮かべる。そして目を閉じ、眠りについた。