いつか天魔の黒ウサギ Another World 作:白い鴉
月光が風邪を引いた数日後の日曜日、すっかり風邪の治った月光とリーネは折角の日曜日だというのにアパートでゴロゴロしていた。とは言ってもゴロゴロしているのはリーネだけで、月光は学校の勉強の予習・復習をしているのだが。リーネはソファの上でくつろぎながら、少し不機嫌そうにテーブルで勉強している月光に言った。
「ねぇ月光」
「何だ」
「どこか行かない?」
「断る」
するとリーネはむうとふくれっ面になり、
「何でよ」
と尋ねる。月光はノートから目を離さないままリーネに言った。
「昨日買い物に行っただろうが」
月光とリーネは昨日食材を買いに行くついでに、リーネの分の傘などを買いに行ったのだ。リーネは傘を買いに行く事に反対していたが、月光に口で勝てるはずもなく、渋々自分の分の傘を買った。
「いや、ただ単に外に行くんじゃなくてさ、その……、どこか遊びに行ったりさあ」
「そんな余裕はない」
「だけど」
「黙れ」
「……はぁい」
こうなった月光はてこでも動かない。ノートから顔を上げず黙々と勉強を続けている。そんな月光にリーネはため息をつき、
「勉強、楽しい?」
「少なくともお前と話しているよりは良い暇つぶしになる」
「それ、まるで私と話してるのが退屈なように聞こえるけど」
「そう言ってるんだが?」
月光が言いながらひたすらペンを動かしていると、リーネがソファから起き上がり、右手の平手で月光の頭をぱしんと叩いた。そこで初めて月光はノートから顔を上げ、リーネを睨み付ける。そんな月光に構わず、リーネは嬉しそうに言った。
「あ、やっと私の方見てくれたね」
「何故俺の頭を叩いた?」
「何となく」
「殺すぞお前」
「殺さないでしょ? 月光優しいから」
「……」
疲れ切ったような顔をして、月光は再び勉強を始めた。リーネはしばらくにこにこして月光を見ていたが、段々とつまらなさそうな表情になり、月光に話しかけた。
「ねぇ、月光って暇があれば勉強してるけどさ。勉強苦手なの?」
「俺に苦手なものなどない」
「じゃあどうして勉強してるの?」
聞いてくるリーネにうんざりしたような顔になりながら、月光はリーネに言った。
「凡人には分からないほどの努力を、天才は重ねているものだ」
「へぇ、じゃあ月光はたくさん努力してるの?」
「………」
何も言わないという事は、肯定なのだろう。そんな月光が可愛らしくて、リーネは思わずまた笑顔になる。笑顔のリーネを睨み付け、
「何がおかしい?」
「月光って努力家なんだね」
「違う。俺は天才だ」
「あはは、そうだね。でも、私は努力する月光の姿が好きだよ?」
「ああ?」
その瞬間、リーネの顔が赤くなった。月光は不可解なものを見るような目でリーネを見ている。リーネは慌てて両手を振りながら、
「あ、いやいや、今のはそう意味じゃなくてね。あの、その……」
リーネが何か良い言い訳がないか頭をフル回転していると、突然アパートの呼び鈴が鳴った。
「あ、新聞屋さんかな?」
「俺はいらないと言っておけ」
「はーい」
リーネはまだ少し顔を赤くしながら玄関に走って行った。そして鍵を開けて扉を開ける。
「はいはい、新聞ならいりま……」
そこまで言いかけた所で、リーネの言葉が止まった。リーネの目は大きく見開かれ、信じられないものを見るような目で目の前の男性を見つめている。そのリーネの視線を受けて、男性も困ったような顔をしていた。
「……え?」
その声はリーネが出したものだった。何故そんな声を出してしまったかというと、目の前の少年が信じられない容姿をしていたからだ。
メッシュがかかった黒髪に、髪の色と同じ黒く鋭く冷たい瞳。その顔は--------、
「……あれ、月光?」
今現在進行形でテーブルで勉強している月光と同じ容姿だった。歳も大体月光と同じぐらいだろう。少年は少し困ったような顔をしながらリーネを見つめている。手にはスーパーの袋が握られていた。
「おい、何をしている?」
リーネの後ろから月光の不機嫌そうな声がかけられると同時、月光が顔を出した。月光が顔を出すと、少年の顔がほっとしたような顔になる。
「女の子がいるから部屋を間違えたかと思ったけど……。ここでやっぱり合ってたか」
その少年の顔に対して、月光は眉をひそめて少年に言う。
「日向、何の用だ」
「ああ、父さんと母さんから兄さんの様子を見てきてくれって言われてね。今日は特に用事もないから来たんだ」
「そうか」
リーネは呆然とした様子でその会話を聞いていたが、我を取り戻し月光に尋ねる。
「ねえ月光。この人誰?」
視線を日向と呼ばれた少年にはずさぬまま、月光はこう答えた。
「紅日向。俺の双子の弟だ」
「親父とお袋は何か言っていたか?」
「特に何も。ただ風邪をひかないように、だってさ」
「ふぅん」
「父さんも母さんも兄さんの事心配してたよ。たまには顔を見せに行けば?」
「興味ないな」
月光と日向はテーブルを挟んで座っていた。二人の前には月光が入れたお茶が置いてあり、月光の横にリーネが座っている。人見知りなのか、日向を見る目に少し警戒心がこもっている。そんなリーネに気付いたのか、日向が目を月光からリーネに向ける。リーネが月光の方に体を寄せると、日向はふっと笑った。
「でも、驚いたなあ」
「ああ?」
「女にはまったく、これっぽっちも興味がない兄さんが、まさか彼女を作って一緒に暮らしてるなんてね」
その言葉にリーネは顔を真っ赤にした。月光は何を言っているんだこいつは? と言いたげな表情になり、呆れた様に日向に言う。
「何訳分からんことを言ってるんだお前は?」
「照れなくても良いじゃないか。それに、母さんも父さんもそろそろ孫の顔が見たいってさ」
「早すぎるぞ老害共と伝えておけ」
「あはは、冗談だよ」
日向が笑うが、リーネは顔から湯気が出るほど真っ赤になっている。というか実際、本当に顔から湯気が出ているような錯覚が見える。日向はお茶を一口飲むと、手を組んで真剣な瞳で月光を見据える。
「それで、真面目な話その子はどうしたの? 兄さんが誘拐なんてするほど馬鹿な人間じゃないし、特殊な性癖を持っている人間でもないって事は知ってるけど、一応事情を話してくれない?」
「別に構わん」
月光は日向に、リーネが裏道で倒れていた事、自分の事は全く話さない事、今は自分のアパートで一緒に暮らしている事を話した。全て聞き終えた日向は、じっと何かを考え込むかのように顎に手を当てていた。
「ふむ、とすると、兄さんはその子と一緒に今は暮らしてるのか」
「ああ」
「お金は大丈夫なのかい? 兄さんが無駄遣いするような人間じゃないって事は知ってるけど、さすがに父さんたちからの仕送りだけで生活できるとは思えないけど……」
「ちゃんと節約している。心配するな」
「心配はしてないよ。兄さんはちゃんと考えているって知ってるからね。でも、あまりに苦しいようだったら僕が母さん達にかけあって仕送りのお金を増やしてもらえるようにするよ? さすがに大金を送ってもらえるとは思わないけど、事情を話せば今よりは生活が楽になるかもしれないし……」
「……本当?」
リーネが初めて日向に口を開いた。日向はリーネを安心させるようににっこりと笑って、
「ああ。兄さんの為にもなるし、僕が母さん達に話して……」
「断る」
二人の会話に割り込むように月光が言った。リーネと日向は驚いたように月光の顔を見つめていたが、日向が月光に尋ねた。
「何故だい?」
「別に今のままでも生活に支障はない。お袋達の手助けは必要ない」
「だけど」
「それに、仮に親父達に話したとしても、そんな簡単に首を縦に振るとは思えん。お前が話したとしても、奴らが最初に言う事は『まず警察に電話した方が良い』だろうな」
「………」
日向は黙って月光の話を聞いている。リーネも不安そうな顔をして月光を見ながら、黙って月光の話を聞いていた。
「こいつは身元が分からない。そんな奴のために金は払えないだろうからな。だからまず警察に言い、こいつの身元を探るように親父達は言うだろう」
「だろうね。それが何かまずいのかい?」
「こいつは自分の身元が身元がばれるのを恐れている。いや、正確には自分の居場所を警察に知られるのを恐れていると言った方が正しいな。自分の居場所を警察に知られるのを恐れているという事は--------」
「……その子を捜している誰かが、捜索願いを出している可能性があるという事かい?」
こくり、と月光は頷き、
「捜索願いを出しているという確証はない。だが、出していないという可能性もない。もし警察にこいつの身元を探るよう相談したら、先にこいつを捜している奴らに連絡が飛ぶ可能性が高い」
「恐らくそうなるだろうね」
日向がお茶をすすりながら頷いた。リーネは徐々に話の内容が分かっているらしく、かすかに肩が震えている。その肩の震えを見ながら月光は日向に言った。
「そういうわけだ。親父達に話すわけにはいかない。こいつはここを離れたくないらしいからな」
「僕は別に構わないけど、兄さんは良いのかい?」
「どういう意味だ?」
「彼女がここにいても兄さんに何かメリットがあるわけじゃない。それどころか、居候が一人できたから食費や生活費が増えるだけだ。彼女がここにいても兄さんの生活が苦しくなるだけだ。なのに、どうして彼女をかばうんだい?」
日向の言葉にリーネは息が止まりそうになった。月光はもともと一人暮らしで、自分を養うほどの金は本来持ち合わせていない。それでも何とか生活できているのは、月光が節約して貯めた金のおかげだ。だが、そのお金も今のままではなくなっていくだろう。自分のせいで。
自分は月光の負担にしかなっていないのかもしれない。そう思ったリーネは強い自己嫌悪に陥りそうになった。
その時、再び月光の声が聞こえてきた。
「そうだな。こいつがいても俺にはデメリットにしかならない」
「なら……」
「だが、こいつといると退屈しない。それにこいつはどうやらここにいたいようだしな。奴隷の願いを聞いてやるのは主人の役目だろう?」
「………」
「そういうわけだ。親父達にはリーネの事は話すな。もしもそれでリーネがここを離れるような事になったら……、たとえ弟の貴様でも容赦はしない。お前を叩きのめす」
「月光……!」
リーネは感極まった声をだし、月光を涙目で見つめた。いつも意地悪で毒舌ばかり吐く月光がこんな事を言った事が、リーネには嬉しくてたまらなかったのだ。日向はしばらく月光を見つめていたが、やがて呆れたような溜息をついた。
「まったく、昔と兄さんは全く変わらないね。まあ良いよ。母さん達には言わないでおく。面倒臭いしね」
「はっ。さすが俺の弟だな」
「はは」
月光と日向は笑みを浮かべた。その笑みが二人共とてもそっくりだったので、やっぱり双子なのねとリーネは思いながら二人につられて笑った。そして日向の顔を真っ直ぐ見て尋ねる。
「ねぇねぇ日向。月光の子供の頃ってどんな感じだったの?」
「何故お前がそんな事を聞く?」
さっきまで笑みを浮かべていた月光が一瞬で笑顔を消し、リーネを睨み付ける。
「だって、月光と日向は昔は一緒に住んでたんでしょ? 月光の子供の頃の事とか知りたいもん」
「貴様が知る必要は……」
「まあまあ、良いじゃない兄さん少しぐらい」
「……チッ」
月光は舌打ちすると、腕組みして不機嫌な表情になった。日向は頭の中から思い出を引っ張りだし、興味津々な顔をしているリーネに話し始める。
「兄さんは昔からこんな性格だったなぁ」
「え、昔から俺様だったの?」
「ああ。僕と兄さんは頭がとても良くてね。それに顔も良かったから女の子にもかなりもてた」
「……へぇー」
「何だ?」
リーネが自分にジト目を向けてきたので、月光はリーネを睨みながら尋ねた。しかしリーネは何も言わずにぷいと顔をそらした。
「僕は面倒事が嫌いだから学校では大人しくしてたんだけど、兄さんは君も知っての通りかなり俺様でね。相手が誰であろうと暴言を吐いてたよ。しかも文武両道だったから、周りは何も言えなかった。上級生に喧嘩を売った事もあったしね」
日向は懐かしそうに思い出を語る。月光は不機嫌そうな表情をしながらお茶を飲み、リーネは目をキラキラさせて思い出話に聞き入っている。
「そんなんだから、友達なんてできるはずもなかった。まあそれは僕の同じだけどね」
「二人とも友達がいなかったの?」
「うるさい馬鹿共と、きゃーきゃーわめく女共は馬鹿みたいにいたがな」
「はは」
月光がそう言うと、日向は苦笑しながら笑った。それからお茶をじっと眺めながら日向が話を続ける。
「でも、兄さんは無駄に相手に喧嘩を売るような真似をするほど馬鹿ではなかった。兄さんが喧嘩する時はいつも誰かのためだったよね」
「俺が戦うのは自分のためだ」
「またまた、兄さんはいつも本当の事を言わないんだから」
「え、どういう事?」
くすくす笑いながら日向はリーネに説明する。
「昔上級生にいじめられている女子がいてね。ある日、いじめの場面を見た兄さんが上級生を殴ったんだ。それから乱闘になってね、兄さんは傷だらけになったけど相手はボコボコにされたよ。つまり、兄さんが上級生を殴ったのは女の子のためだったんだ」
「……ふーん?」
リーネが冷たい視線を月光に向ける。月光は『余計な事を言うな』と言っているような目で日向を睨み付けるが、日向はその目を無視してさらに話し続ける。
「それ以外にもあるよ。一人の女の子が仲の悪い女の子に大切な指輪を川に捨てられてしまってね。最初は兄さんは冷たい事を言ってたんだ。でもその夜兄さんが部屋からいなくなってね。外に探しに出てみると……、何と、川で兄さんが一人で指輪を探してたんだ」
「……」
リーネの視線がさらに痛くなってきた。月光は無視しているが、その視線は感じているらしく舌打ちでもしそうな顔をしている。
「月光って、女好き?」
「殺すぞ」
「女好きってわけじゃないよ。ただ誰かのためにやっているだけさ」
日向がおかしそうに笑いながら言った。
それから三人はしばらく月光と日向の昔話を談笑していた。リーネは明るく笑い、月光も薄く笑みを浮かべていた。
ひとしきりしゃべり終えると、日向が思い出したように言った。
「そうだ。おみやげがあったんだ」
「みやげ?」
「そう。手ぶらで来るのもなんだからね。家からこっそり持ってきたんだ」
そう言って日向が自分の横に置いておいた袋から取り出したのは……、日本酒だった。その日本酒をテーブルの上に置いた。
「母さんと父さんが隠してた日本酒だよ。たぶん美味しいよ」
「俺達はまだ未成年だ」
月光が日本酒を見ながら常識的な事を言った。リーネはじっと日本酒を見ている。日向は笑って、
「冗談だよ。本当に飲もうだなんて思ってないさ。これは持って帰って元の場所に戻しとくよ。ばれたら厄介だしね」
「当たり前だ」
月光はお茶を飲み干すと、急に立ち上がった。
「どこに行くんだい?」
「トイレだ」
その言葉通り月光はトイレへと向かった。日向はその隙に本棚へと向かい、何かを探しはじめた。いきなり不可解な行動を始めた日向に、リーネが尋ねる。
「何をしてるの?」
「んー、エロ本がないか少し気になってね」
「ぶっ!?」
唐突に放たれた言葉に、リーネは顔を赤くしながら吹きだした。その反応を楽しむかのように、日向はまたくすくす笑って、
「冗談だよ。ただ単に兄さんがどういう本を読んでるか気になっただけさ。兄さんは昔から漫画とか全然読んでなかったからね」
「ふ、ふうん」
日向はリーネからまた本棚に目を戻した。そして近くにあった本に手を伸ばし中身をぱらぱらと読み始めた。
日向が本を読んでいるのを確認し、リーネは日本酒を見る。
未成年は酒を決して飲んではいけない。その事は月光からも耳にたこができるほど言われている。しかし、日本酒という酒が一体どんな味がするのか非常に気になるのも事実なのだ。リーネは酒など飲んだ事は当然ないが、美味しいのかどうか少し興味がある。
(……ちょっと舐めるぐらいなら)
それぐらいなら恐らく酔っ払わないだろうし、どういう味かも確かめる事もできるだろう。ごめんね、と心の中で月光と日向、それと二人の両親に謝り蓋を開ける。その蓋を音がしないようにそっとテーブルに置き、瓶をそっと持ち上げて瓶の口に唇をつけて酒をちょっと舐めようとする。
その時。
「リーネ!」
背後から突然月光の鋭い声がリーネの耳に聞こえてきた。酒に集中していた事もあり、リーネは思わず驚いて日本酒を一気に飲んでしまった。その声に驚いたのは日向も同じようで、本を手にしたまま驚いた顔で月光とリーネの方に振り返る。リーネは酒瓶を上に持ち上げたまま硬直し、月光は怒った顔でリーネに近づき酒瓶を奪い取る。
「酒を飲むなとあれほど言っただろうが。貴様の脳みそは人語を理解できないほど雑魚なのか?」
月光が言うと、リーネは顔を上げる。その顔は真っ赤になっており、月光を軽く睨み付けている。
「……ひっく」
リーネの口からそんなしゃっくりが出た。月光はそのしゃっくりを聞き、何か毒舌を吐こうとした時リーネが酔っぱらった口調で言う。
「うっしゃいわね、良いじゃないたまには飲んでも」
「たまにはも何も、酒を飲んだのはこれが初めてだろう」
「そんな細かい事気にしないで、月光も飲みましょうよー。ひっく」
酒を取り返そうと手を伸ばすが、月光は酒を頭上高く掲げ奪い取られるのを防ぐ。日向はそんな月光に近づき尋ねる。
「彼女、かなり飲んだ?」
「いや、そんなに飲んでいない」
瓶の中の酒は減ったものの、大量に飲まれたというわけではない。しかしリーネの顔はまるで大量の酒を飲んだ酔っ払いのように赤くなっている。とすると、
「酒に弱いのか、彼女」
「しかも酒乱か? どうしようもない雑魚だな」
「いや、この程度で酒乱とは言わないんじゃ……」
日向がそう指摘すると同時、リーネが唇を尖らせて言った。
「早く返してよー」
「黙れ」
「ケチんぼ」
「やかましい」
「そんな事言わないでさー、飲みに行きましょうよ飲みに。今日はお酒パーティーよー。ひっく」
「……うるさいから、寝かしとこうか」
「ああ」
日向がテーブルの反対側に座りながら言い、月光は日向に言われた通り自分のすぐ横にリーネを寝かそうとする。だがリーネは寝かされまいとするかのように月光の頭をぺしぺしと叩く。それに青筋を浮かび上がらせながら、月光はこらえてリーネを寝かそうとする。
「早く寝ろ酔っ払い!」
「いやだぁ、あはははは、まだ飲むぅ」
笑いながら腕をぶんぶんと振り回す。舌打ちし、いい加減にしろと怒鳴ろうとすると、リーネが月光の顔を見て言った。
「あれぇ、よく見たらあんた日向じゃない」
「え?」
座っている日向が思わず間抜けな声を出した。月光はもう怒りを通り越して呆れてしまった。酔っているとはいえ、さっきまで話していた自分と弟の顔を見間違えるとは……。さっさと酔いを醒ました良いかもしれないと考え、リーネをさっさと置こうとすると、リーネが月光を日向を間違えたまま言う。
「ねぇ日向聞いてよ。月光ったら、いっつも私に意地悪な事ばかり言うのよ? 私はこんなに、月光の事が好きなのに」
「……はぁ?」
月光は思わずリーネの顔を見てそんな声を出す。リーネは今だ月光を日向だと思っているらしく、月光について話し続ける。
「どうして気が付いてくれないのかな……、私って、そんなに魅力がないのかな? 月光は本当に私に興味がないのかな? ……もしかして、私の事が嫌いなのかな?」
「………」
想像もしていなかった言葉に、月光は思わず言葉を失ってしまう。それに気づかず、リーネはたはは……と笑いながら目から涙を流した。
「嫌だなぁ……、嫌われたくないな……。私、月光の事が大好きなのに……」
その言葉を最後に、リーネはすーすーと寝息を立て始めた。月光はそっとリーネをソファに寝かせてやり、床に座る。反対側に座る日向は肘をつきながらため息をついた。
「……真面目な話、大丈夫なの?」
「何がだ?」
「分かってるくせに。彼女はずっとここにいたいようだけど、現実はそううまくはいかない。恐らくもう捜索願いが出されている出ろうし、警察が本気になればここにいる事がばれるのは時間の問題だよ。兄さんは確かに天才だけど、結局は一人の高校生にしか過ぎない。しかも下手をすれば誘拐だとか未成年略取の罪で兄さんが犯罪者にされるかもしれない。彼女の保護者がここに来たとき、兄さんはちゃんと護ってあげられるの?」
「護るしかないだろう」
月光は真剣な表情で日向の目をまっすぐ見る。空気が張り詰め、月光と日向はしばらくお互いの目を見つめあった。やがて日向がふうと息を吐き、
「兄さんは馬鹿だよ」
「そうだな」
「でも、そんな兄さんだから彼女も兄さんが大好きなんだろうね」
日向は軽く笑いながら言うと、酒瓶をスーパーの袋の中に戻し立ち上がった。
「今日は帰るよ。リーネさんの事は母さん達には言わないでおくから安心して」
「ふむ」
「ああ、それと困った事があったら僕に言ってね。僕は兄さんの味方だから」
「それを信用しろと?」
「信用してくれると嬉しいな。僕は兄さんの事が大好きだからね」
「気色悪い」
「はは」
二人は玄関へ向かい、そこで日向は靴を履き玄関の扉を開ける。そして外へ出ようとした時、振り向いて月光の顔を見る。
「気を付けてね」
それだけ言い残すと、日向は玄関の外へ出て行った。扉が閉じると同時、月光は扉に背を向けリビングに戻る。ソファにはリーネがすやすやと寝ていた。リーネの額を撫でてやりながら、月光はリーネの隣に腰掛けた。
「……そろそろ決断する時か」
このままリーネといるべきか、それともリーネの元いた場所に返すか。その決断次第で、自分とリーネの運命が決まる。自分にとってどちらの運命がもっとも良いのかは月光にはまだ分からなかったが、決断しなければならないという事は嫌というほどわかっていた。
暗い部屋の中に、一人の女性が椅子に座っていた。腰まで伸びた艶やかな黒髪が特徴なその女性は、鋭い目を細めパソコンのモニターを見つめていた。パソコンの機械的な光に顔を照らされながら、女性はパソコンの画面をじっと見つめている。そして彼女は細く長い指でマウスを操作し、別の画面を表示させるとその画面には一人の男子生徒が顔と情報が映し出されていた。
その男子生徒の情報を読んでいると、彼女のポケットの中から携帯電話の着信音が聞こえてきた。彼女はポケットから二つ折りの携帯電話を取り出すと、かけてきた相手が誰かも見ずに携帯電話を開き耳に当てる。
「何? 今忙しいんだけど」
女性が面倒そうに言うと、電話の相手が何かを喋り始めた。女性はマウスを操作しながら、
「ああ、彼女が隠れているアパートの住人の事ならもう調べてるわよ。名前は紅月光。宮阪高校在学、まだ一年生ね。成績優秀、運動神経抜群、まさに天才」
相手がまた何か言うと、女性は相手を馬鹿にするような笑みを浮かべ、
「誘拐? 馬鹿ね。特殊な性癖の持ち主ならともかく、ここまで頭が良い人間がそんな事をするとはとても思えないわ。……そうね、考えられるとすれば彼女が体を売ったか、それともお人好しか……。どちらも考えにくいけど、可能性として考えるなら後者ね」
それからしばらく会話が続き、女性は最後にくすくす笑いながら言った。
「そうね。とりあえず、三日後に行ってみましょうか」
電話を切り、女性は再び画面を切り替える。画面には月光の顔写真と情報が書かれたものから……、リーネの顔写真と情報が書かれたものに変わった。
「見つけたわよ、リーネ・アルトマン。覚悟していなさい、あなたは決して逃げられないという事を思い知らせてあげるわ……、ふふふ……」
女性の口元に冷たい笑みが浮かぶ。
そして三日後。
紅月光とリーネ・アルトマンの二人に最大のピンチが訪れる事を、二人はまだ知らなかった。