それぞれの事情
黒い澱が開かれる。
樹海の奥地、日光の殆どを遮る大樹の根本。
イビルジョーは目を覚ます。
気だるげな様子で体を起こすと、立ち上がり、眠気を覚ますかのように軽く体をゆすると、ある場所へと歩き出す。
どれほどの時間を寝ていただろうか。
通常、イビルジョーはその異常ともいえる代謝率の高さゆえに常にエネルギー源の確保―――――即ち捕食活動を必要としている。それが終わることのない暴食の一因なのだが、殊このイビルジョーに限ってはその限りではなく、陽射しの強い昼間辺りの時間帯はこうして日光を避け、睡眠に当てることで代謝率を意図的に下げて凌いでいる。彼からすると、他のイビルジョーの行動はあまりに燃費が悪いということだろう。当然彼自身もそんな自分の体の構造を生物学的な知識として知っているわけではなく、本能がそうさせているのだ。
そしてこの行動にはもう一つ、このイビルジョーならではの意味があった。
寝床からそう遠くない位置、背の低い木に囲まれた茂みに分け入ると、そこには大小様々な無数の生物の死骸が転がっており、そのいずれもに黒い甲虫が群がっている。
イビルジョーはそのうちの一番大きな死骸に歩み寄ると、その表面を覆う甲虫を舌で舐めとるようにしながら食べ始める。甲虫を食べる際、口の間からボタボタと唾液が零れ堕ちる。しかしそれは通常のモンスターのものと異なり、赤黒い。一見吐血しているようにも見えるが、イビルジョーはさして気にする様子も無く、食事を続ける。表面を覆っていた甲虫がイビルジョーの胃袋に収まり姿を消すと、死骸の姿が露わとなった。頭部の特徴的なトサカがついた鳥竜種―――――ドスランポスの死骸だった。それもいつかのアプトノス同様、全身が赤黒く染まっている。実は、その原因はイビルジョーが捕食の度に垂らす唾液にあった。
赤黒い色をしているのは龍属性エネルギーの成分が強酸性の唾液に溶け込んでいることによるもので、これが生物の肉や内臓、更には骨に至るまであらゆる組織に浸透し、カリウムやナトリウム、カルシウムといった体内の様々な金属イオンと反応し特殊な化合物を生ずることで起こる現象だった。よく見ると、周囲に散らばる小さな死骸はランポスのものであるが、それらは皆例外なく赤黒い色に変色している。しかしこのメカニズムが解明されるのはもう少し後の話だった。
そしてさきほどからイビルジョーが食べている甲虫は紛れもなく蝕龍虫だ。イビルジョーは体内に龍属性エネルギー生成器官を有しているが、同時にそれが自身の体を蝕む毒にもなっている。通常ならば、だ。
いつからだろうか。
イビルジョーが積極的に蝕龍虫を餌とし出したのは。
当人すらも覚えていないが、気付けばこうして蝕龍虫を常食としていた。そのため、必然的に龍属性エネルギーが体内に蓄積していく。当然、生来龍属性エネルギーを弱点とするイビルジョーにとっては自ら毒を喰らうようなものだ。だが、彼はそれを幼少の時期から少量ずつではあるが、餌として食べていた。毒となるものでも少量ずつ、長期にわたって摂食し続けることで徐々に耐性を獲得するというのは良くある話だ。イビルジョーもその例に漏れず、蝕龍虫を常食とすることで、通常個体を遥かに上回る耐性を身に付け、同時に扱える龍属性エネルギーのブレスも通常個体の比ではなくなっていた。
しかし蝕龍虫は樹海ではそうそう簡単に見つかるものではない。
最も手っ取り早い手段といえば、樹海に生息し、かつ蝕龍虫と共生関係を気付いている獄狼竜・ジンオウガ亜種を襲うことだろう。だがそれだけのためにわざわざ生態系の頂点に立つ実力者であるジンオウガ亜種と戦うのは余りにリスクが大きいし、そもそも探して歩き回るのは手間でしかない。
そこでイビルジョーは倒した獲物を龍属性エネルギーの素となる物質を沈着させ、蝕龍虫を誘い出す方法を取った。この方法を発見したのは全くの偶然であったが、龍殺しの実と酷似した成分に引かれて蝕龍虫がやって来ることを経験則として学んだのである。
以来、イビルジョーは自身が食べた後の餌の残滓を放置し、定期的に足を運ぶというスタンスを取っている。
ランポスの死骸に群がっていた蝕龍虫を食べ終えると、イビルジョーは徐にその場を立ち去る。実は、イビルジョーの常食としている蝕龍虫の多くの出処がジンオウガ亜種であるため、鉢合わせする可能性も熟知しているのだ。これだけ見れば、とてもではないが恐暴竜と呼ばれるモンスターの生態とは信じられないだろう。しかしどれだけ強力な生物であっても、成長し切っていないうちはたとえ大人しい草食種でさえもが脅威となり得る。事実、彼自身も生まれて間もない時はジャギィやランポスからさえも身を隠したものだった。
そして、先程の寝床へは戻らず、更に離れた場所に腰を下ろし、身を横たえ、あろうことか、そのまま再び眠る。
蝕龍虫を食べた後はこうして睡眠をとるのが常だった。消化吸収を促進するためでもあるが、いかに耐性を身に付けているとはいえ、元が龍属性エネルギーを苦手とする種であるため、体にはそれなりの負荷がかかる。それゆえに、睡眠を通して体を休める必要があり、またこうすることで龍属性への耐性を高めてきた。
これこそが、イビルジョーが睡眠を好むもう一つの理由であった。
そして数時間後にイビルジョーは目を覚ます。
すっかり日は傾いていた。
立ち上がると人間が伸びをするのと同じ要領で直立に近い姿勢を取り、歩き出す。
ようやく狩りにでかけるのだ。
同胞たちが終わりの無い暴食と飢餓の中で命を散らしていくのをよそに、イビルジョーは今日も喰い、そして眠るのだった。
大自然に生きることは、どんな生き物にとっても決して易しいものではない。
それはモンスターでも、人類でも変わりはない。
特に膂力や戦闘能力では無力に等しい人類にとっては自然は脅威そのもの。
だからこそ人類は文明を築き上げ、武器を取った。
全ては生き残るために。
モンスターは人類にとっては確かに脅威だ。
しかし脅威になるだけではない。
モンスターは自然にとって恵みを齎す存在でもあり、それは人類に対しても同様である。
無論モンスターはそのままでは脅威でしかないが、それを人類に対して有益に活用するための任を請け負う者達がいる。
それが“ハンター”と呼ばれる者達だった。
ハンターとは、その名の通りに依頼主から報酬を受け取る代わりに武器を手にモンスターの狩猟を行う狩人のことだ。業務内容はキノコや植物の採集から時には大型モンスターの狩猟まで様々であり、特に脅威となる大型モンスターを討伐し、さらにその素材で人類の発展に寄与するという点で、ハンターの人類に対する貢献は大きなものがあるといえる。
しかしいかにそのハンターといえど、むやみやたらとモンスターを狩ることが許されているわけではない。一つの種の消滅が自然界全体に影響を及ぼすことさえある。ゆえに、ハンターは原則として人もモンスターも自然の一部という理念の下、ハンターを統括するハンターズギルドへの加入を義務付けられており、ギルドの定めた狩猟ルールに反した場合罰則も下される。
ここドンドルマは強大な力を持ち、生態系を逸脱した古龍種からの防衛を視野に入れて山間に建設された都市であり、旧大陸に存在するハンターズギルドの総本山でもある。
その中枢ともいえる大長老の座所、大老殿は緊張に包まれていた。
事の発端は探索で樹海に入ったハンターが発見した謎の物質にあった。
形は動物の死骸のようだが異常なほど赤黒く、そのためか腐敗が殆ど進んでおらず、また驚くべきことに、火、水、氷、雷といったあらゆる属性エネルギーの影響をほぼ完全に遮断してしまうのだという。調査の結果、これはごく普通の生物の死骸に龍属性エネルギーの成分が高濃度で沈着して形成された物質であり、これまで自然界では発見例が無い現象だという。形成のメカニズム等詳細は未だ不明であるが、まるで龍属性エネルギーに蝕まれるようにして形成されていることから、ギルドの研究陣はこの現象を「龍蝕化」と仮称することにしたのだった。
「……と、以上が先日発見された物質の調査結果でございます。」
「ふむ、大義であった。」
一人の研究員が報告書を読み上げると、大老殿の中心に鎮座する大長老は自身の豊かな髭を蓄えた顎をさすった。この大長老は1000年に一度生まれると言われる巨躯の竜人族で、嘗て巨大古龍種である老山龍ラオシャンロンの頭をその愛刀で両断したという伝説を有するほどの人物でもあった。
「して、発見当初の様子について発見したハンターは何か申しておったかの?」
「はい。例の龍蝕化を起こした生物の周りには本来龍殺しの実が自生する火山帯や共生関係にあるジンオウガ亜種の近くに生息しているはずの蝕龍虫が群がっていたとのことです。それと、付近で常時龍光を纏ったジンオウガの亜種を見た、とも。それから……一つよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「これらは今はまだサンプルも少なく研究中の物質ですが、少なくとも純度の高い龍属性エネルギーの塊のようなものであることは分かっております。もしかすると大型飛竜種や古龍種に対抗できる手段となるやもしれません。ですが近い将来、これらの性質が判明すればハンターや商人らもこぞって手に入れようとするでしょう。そうなれば生態系にどのような影響が出るか分かりません。ですので暫くの間はこれの存在は秘匿して頂きたいのですが……」
大長老は研究員の訴えにしばし瞑目し、考える素振りを見せる。
そして
「相分かった。では当該地域周辺の狩場への立ち入りを制限すると共に実力・人柄共に信用のおけるハンターでサンプル回収チームを編成して現地に派遣するということで良いかの?発見したハンターにも別の報酬と引き換えに緘口令を敷いておこう。」
「ありがとうございます。それでは私は研究所に戻りますゆえ、これにて失礼させていただきます。」
「うむ、頼むぞ。」
研究員は大長老に一礼するとそそくさと大老殿を後にする。
大老殿に再び静寂が訪れる。
事前に機密扱いにして欲しいとの旨の連絡を受けていたため、ハンターは勿論普段はいる筈のクエストカウンターの受付嬢や、ギルドストアの店員も今は席を外していたため、残っているのは大長老ただ一人であった。
「龍蝕…か……」
どこか遠くを見つめるような目をしながら、大長老は独り言ちるのだった。
今日気付いたのですが、今の今まで「蝕龍虫」を「龍蝕虫」だと勘違いしておりました^^;
いやはや、お恥ずかしい限り……
ちなみにですが、ここのイビルジョーは決して気性が穏やかなわけではありません。
ただ無暗に暴れると余計にエネルギーを消耗するので極力動かないようにしているだけです笑
今後とも宜しくお願いします。