パネルのキーを操作するとすぐに、床面が音を立てて揺れ動いた。
直後、ロイドらを乗せたエレベーターは、最上階を目指して昇り始める。
セキュリティが完全に解除されていないためか、鉄の箱は通常とは異なる動きを見せた。
一階一階、各階層へ止まっては昇るを繰り返すせいで、普段よりも時間が掛かってしまう。
『屋上の白い人形だけど、どうやら周囲100アージュに『結界』を展開しているらしいぜ。こっちからは近付けないから、援護とかは期待すんなよ?』
「そうか・・・・・・了解だ」
「ま、こっちで何とかするしかねぇか」
エニグマⅡから流れてくるヨナの声にロイドが応えると、ランディが続いた。
再度エレベーターが止まり、38階を示すパネルにランプが灯る。目的地は、もう2階層上。
扉が開くと同時にエリィが『閉』のパネルを押すと、エレベーターは39階を目指し始めた。
するとエニグマⅡのスピーカーからは、女性の声。ヨナに代わり、フランが一報を入れた。
『ちなみに他の2機ですが、『β機』は完全に沈黙したみたいです。ケビン神父が頑張ってくれたのではないかと』
「ほ、本当か?」
「・・・・・・朗報ですね」
思わぬ吉報に、エレベーター内が沸いた。しかしそれも束の間の事だった。
アイオーンは3機。屋上で待ち受けるα機と、今し方の報せにあったβ機。
そして―――γ機。重苦しい声で、アッバスが言った。
『γ機は未だ交戦状態にある。先程ベルガード門からも通信が入ったばかりだ』
「その、戦況の方はどうなんですか?」
『・・・・・・分からん。接近すら儘ならない程に、激しい攻防が続いているからな』
更に一言二言のやり取りの後、メルカバ玖号機との通信は終了した。
ロイドがエニグマⅡで現時刻を確認すると、時計は午前11時半過ぎを示していた。
クロスベル解放作戦の開始時刻は、午前9時丁度。
アイオーンとの交戦が始まってから、約2時間半以上が経過していることになる。
誰も声を発することができないでいた。
α機と違って、γ機の基本性能は保たれたまま。驚異的な制圧力に変わりはないのだ。
そんなγ機を相手に、2時間半に及ぶ攻防。堪え切れず、ロイドは小さな声を漏らした。
「リベールに、帝国だって・・・・・・大変な筈なのに」
固く握り締められた右拳の甲に、柔らかな左手がそっと触れる。
エリィは頭上を仰ぎながら、凛とした声でロイドの背中を押した。
「信じましょう、ロイド。今は信じて、前に進むしかないわ」
「エリィ・・・・・・ああ、分かってる」
汗ばんだ指同士が絡まり、お互いの体温を確かめ合うように、しっかりと握られた。
知らぬ間に募っていた不安を拭い去りながら、ロイドは今も戦い続ける者達を想う。
エステル、ヨシュア、レン、パテルマテル。ガイウス、ツァイト―――アヤ。
再び立ち上がるキッカケを与えてくれた、掛け替えの無い親友の1人。
クロスベルが危機へ直面する度に、彼女は唐突に舞い降りる。
犠牲がある筈だった。天秤に掛け、何かを捨て去った結果として、アヤは此処にいる。
(一緒に戦ってくれる、みんなの為にも・・・・・・兄貴。力を、貸してくれ)
追い求めた背中と共に在り続けた、傷だらけの得物。
ゼロ・ブレイカーへ語り掛けながら、ロイドは点灯した40階のパネルを見据えた。
____________________________________
戦闘が始まってから、約30分後。
私達は目立った手傷を負うことなく、順調にアイオーンγの装甲を叩いていた。
焦らずにじっくりと機を窺い、隙が生じた瞬間にパテルマテルが動く。その繰り返しだ。
お互いの手の内も、そのほとんどが明らかになっていた。
電磁力を用いて射出される貫槍。肩部から放たれる40連装のミサイル。
初期動作が明らかな分、退路さえ確保すれば、いずれも直撃を免れるのは難しくない。
効果が無いと踏んだのか、2発目を最後にして、超圧縮反動砲は鳴りを潜めていた。
更に20分後。戦闘開始から約50分。この頃から、アイオーンγの挙動に変化が訪れた。
力押し一辺倒だったアイオーンγの攻撃に、『狡猾さ』が見え隠れし始めたのだ。
貫槍を構えたと思いきや、肩部のミサイルポッドが火を噴く。
射撃体勢からの超圧縮反動砲を警戒していると、変形を解いて接近戦へシフトする。
単純な牽制動作が、攻防をパターン化しつつあった私達にとって、厄介極まりない物だった。
温存していた体力も、消耗し始めていた。
何せ常時『死と隣り合わせ』なのだ。少しの気の緩みが、即座に敗北へと繋がる。
長期戦を覚悟していたこともあり、補給物資は事前に取り揃えていた。
代わる代わる前線から離れ、水分を取り、意識して熱を冷ます。これも繰り返しだった。
1時間半後、午前10時半。
アイオーンγの攻勢は激しさを増し、目まぐるしい変貌を遂げ、私達を襲った。
鉄壁の策の隙間を縫うようにして、私達の肉を裂き、肌を焼いていく。
知らぬ間に、誰もが多くの軽傷を背負い、呼吸を大いに乱していた。
迷っている余裕は無かった。足を止めない為にも、私達は即効性の回復薬に手を付け始めた。
用意していた物資が急速に量を減らしていくに連れて、言い知れない不安が募っていく。
更には退路も選ばざるを得ない状況にあった。
私達は戦闘を開始した地点から、西に100セルジュ近く離れた場所に立っていた。
これ以上西へ退いてしまえば、国防軍が詰めるベルガード門に接近することになる。
すなわち、超圧縮反動砲の射程圏内。巻き添えを防ぐ為にも、東へ押し返す他なかった。
午前11時半。水も回復薬も底を打った、2時間半に渡るせめぎ合いの果て。
一言も喋ることができなかった。乾き切った喉に、焼けるような痛みを覚えた。
朦朧とする意識を繋ぎ止め、吐き気を堪え、五感に鞭を打っては足を動かす。
戦術リンクの繋ぎ先は、お互い寄り添い続けた異性に変わっていた。
限界を超えた先で、そうでもしなければ立っている事すら儘ならなかった。
頼みの綱であるパテルマテルも、精細さに欠ける立ち振る舞いが増え始めていた。
攻撃を一手に受け続けたせいで、至る個所の装甲が破壊され、駆動部が露出していた。
ランの消耗の程も明らかだった。体毛は焼かれ、動きは鈍る一方。
蓄えていた霊力はあと残り僅か。レンのオーバルアーツも、温存せざるを得なかった。
対するアイオーンγは、何も変わらなかった。
パテルマテル同様、複数個所の装甲を破壊されつつも、その勢いは止まることを知らない。
時折機体が光輝いては、至宝から充填されていく霊子エネルギー。
言わば『無制限』の力を前にして、私達が取れる戦術は、余りに少なかった。
有限対無限。目に見えた劣勢と、脳裏にちらつく無慈悲な結末。
駄目押しと言わんばかりに頭上へ射出されたミサイルが―――私達を、襲った。
___________________________________
「ぐっ・・・・・・!」
頭上高々と打ち上げられた、小型ミサイルの数々。
ギリギリまでその軌道を見据え、着弾の瞬間に躱すしか回避のしようが無い。
私は痙攣していた右足を剣の柄で叩き、横っ飛びで爆炎から逃れた。
直後に到来する熱風が私の髪を焼き、不快な異臭が鼻に入って来る。
あと何度、この苦しみを味わえばいいのか。
答えの無い自問自答をしていると、後方から男性の悲鳴が上がった。
「ぐあぁっ!?」
「え・・・・・・よ、ヨシュア?」
声の方に振り返ると、右足を押さえて地に蹲る、ヨシュアの姿があった。
私とガイウスは前方に注意を払いながら、慎重にヨシュアの容体を窺う。
細長く大きな鉄片が、右の大腿部に痛々しく、突き立てられていた。
今し方炸裂したミサイルの破片なのだろう。避けようのない不運が、ヨシュアを襲っていた。
「そ、そんな・・・・・・ヨシュア!」
「駄目だエステル、僕のことはいいからっ・・・・・・は、早く」
傷は深い。止めど無く流れ出る血が、重要な血管を損傷したことを示している。
本来なら一刻の猶予も許されない大事。だが、どうすればいい。
考えろ。こんな状況下で、私達はどう動けばいい。もう、時間が無い。
止まり掛けていた思考を回転させていると、アイオーンγが一歩、私達へと歩み寄る。
すぐさまパテルマテル、レンを乗せたランが間に割って入り、その進路を阻んだ。
―――コツンっ。
するとアイオーンγの頭上から、握り拳大の小岩が落下した。
小岩は頭部を叩き、重力に逆らうことなく地面へと落ちて行く。
何の変哲も無い、当たり前の現象。どういう訳か、既視感に囚われた。
「っ・・・・・・ラン!」
これだ。これしか無い。思い出せ、オーロックス峡谷道の攻防を。
対象の『前方』へ展開される障壁。条件はあの時と一緒だ。
幸いにも、周囲は岩山の数々に囲まれていた。意表を突く手立ては、ある。
「ラン、撃って!!」
振り絞った私の叫び声に、ランは意図を察してくれたのか、その口を大きく開け放った。
口元へ光が宿り、鋭い風切り音が辺りに鳴り始める。
残り少ない霊力を駆使して放たれた光線は―――アイオーンγの、頭上を射抜いていた。
直後。ミサイルにより崩れ掛けていた岩山が、一気に崩落した。
大小入り乱れた岩々が、巨体の頭上から容赦無く降り注ぎ始める。
意識の外。障壁が作動しない死角からの、間接的な横槍。
100トリムの巨体と言えども、岩山を形成していた超重量を、支え切れる筈がなかった。
「これは・・・・・・今よ、パテルマテル!!」
大いに体勢を崩したアイオーンγに、パテルマテルが勢いを付けて組み伏せる。
レンを降ろしたランも唸り声を上げ、アイオーンγを襲った。
岩山の崩落に続く急襲に耐え切れず、アイオーンγが倒れると、辺りに地鳴りが響き渡った。
噛み砕かんばかりにランが頭部へ牙を立て、前脚で巨体を踏み押さえる。
パテルマテルは馬乗りの姿勢で、アイオーンγを見下ろしながら、射撃体勢を取った。
零距離からの超圧縮反動砲。
躱す術は見当たらない、絶対に当たる。
勝敗を決する一手。勝利への確信を抱いた、その刹那。
「「っ!?」」
再びアイオーンγの全身が、光を纏い始めた。
至宝から供給された霊子エネルギーがたちまちに爆ぜ、全方位へ力の波動が放たれる。
頭部へ噛み付いていたランは、その衝撃で遥か後方へ吹き飛ばされてしまった。
「ら、ラン!?」
射撃体勢を強引に解かれたパテルマテルも、地に背中を付いてしまっていた。
起き上がったアイオーンγは、一際強い力を以ってその左腕を掴み、持ち上げる。
関節技の要領で腕を押さえると、その駆動部目掛けて、電磁波が貫槍を射出した。
槍が関節を貫くと、アイオーンγは力任せに、左腕を逆関節の方向へ圧し曲げた。
金属同士が擦れ合う異音が鳴り、パテルマテルの巨腕は文字通りに『捥ぎ取られた』。
左腕を失ったパテルマテルは力無く、まるで人間のように、動かなくなってしまった。
「ああっ・・・・・・!」
遠方に立っていたレンは、声を失って立ち尽くしていた。
一方のアイオーンγは、止まろうとはしなかった。
パテルマテルの左腕を引き摺りながら向かった先は、ラン。
よろよろと起き上がったランの頭部目掛けて、特殊合金製の左腕が振り落とされた。
何度も何度も、幾度となく繰り返された。
パテルマテルの左腕がランを襲う度に、気味の悪い音が飛来する。
骨が砕ける音。血飛沫の音。ランの身体越しに、地面を叩く音。
対するランは、既にピクリとも動かない。
ランを覆う体毛は、鮮血に染まっていた。
「・・・・・・もう、やめて」
風が血生臭さを運んできたところで―――私は、考えるのを止めた。
「うぅ・・・・・・うああああぁぁっ!!!」
「あ、アヤ!?」
ガイウスの制止を振り切り、剣を構えて一心不乱に走り出す。
感情の赴くままに突進すると、アイオーンγは振り返りながら、左腕を投げ捨てた。
即座に私へ向けられる、右の貫槍。槍の矛先は、正確に私を捉えていた。
良手とは思えなかった。もう何度も目にしてきた兵装だ。当てられるものなら、当ててみろ。
「せぃあぁっ!!」
射出された貫槍を跳躍で躱し、その上に着地する。
槍が戻される反動を利用して、私はアイオーンγの右腕を一気に駆け上がった。
目指すは頭部。アイオーンγの視線は、いつだって攻撃する対象へ向いていた。
頭部は人間と同じように、視覚を司っている筈だ。それを潰せば、勝機はある。
(え―――)
右腕を上り切り、更に跳躍しようと身構えた瞬間、私の身体は勢いを失った。
体勢を立て直した巨体から放たれる、遮断障壁。
届かなかった。指向性を伴った障壁は、私の身体を逆方向に跳ね返してしまった。
「がはっ・・・・・・!」
後方の岩壁に背中から叩きつけられ、強引に肺から息が吐き出される。
遠のき掛けた意識を繋ぎ止め、私の右腕は咄嗟に、岩肌の窪みを掴んでいた。
途端に右腕へ全体重が圧し掛かり、消耗し切った腕が、痛烈な悲鳴を上げた。
「アヤ!!」
涙で滲む両目を左手で拭うと、自らが置かれた状況を突き付けられる。
地上から30アージュ以上。私の身体は無防備に、岩壁へぶら下がっていた。
前方にはアイオーンγ。巨体は一歩ずつ、私に向かって歩を進め始めていた。
「うぐっ・・・・・・私、は」
まだだ。私はまだ、何も成し得ていない。
腕は動く、足も動く。それで十分だ。
絶対に諦めるな。ランと私の戦いは―――まだ、終わっていない。
「ガイウス、風!」
腹の底から捻り出した声で、私は地上のガイウスへ向けて叫んだ。
こちらの意図を察しなくてもいい。今の私には、風が必要だ。
「気流を生んで!早く!!」
私の声にガイウスは躊躇いつつも、右手に握っていた十字槍を構えてくれた。
するとその直後。ガイウスの後方から、『もう1本』の得物が飛来した。
エステルが振るっていた戦棒は吸い込まれるように、ガイウスの左手に収まっていた。
「ガイウス君、使って!」
今度は私が、2人の狙いを察することができないでいた。
ガイウスは2つの得物を両腕に構えると、十字槍と戦棒が両手を中心として回転を始めた。
その速度は徐々に勢いを増し、ガイウスの剣気と重なり合い、周囲の大気を巻き込んでいく。
(あ、あれって)
かつて一度だけ目の当たりにしたことがある、お義父さんの術技。
双槍術と名付けられたそれの使い手を、私はお義父さんしか知らなかった。
今のガイウスは、その域に達している。そう信じるしかない。
「はああぁあっ!!!」
回転は一方向の風を生み、風は2つの乱気流を生み出した。
轟音を伴った気流同士がぶつかり合い、互いを吸い込もうとせめぎ合う。
アイオーンγを中心として衝突を繰り返した気流は、やがて1つの巨大な竜巻へと変貌した。
アイオーンγの前では足止めにしかならない、ガイウスの絶技。
私にとっては、余り在る力だ。求めていた以上の風が、私の身体を揺らしていた。
「だあぁっ!」
渾身の力で岩壁を蹴ると、私はアイオーンγの頭上目掛けて飛んだ。
渦上の風に身を任せ、私の身体は激しく急回転しながら、アイオーンγへと落下していく。
6日前に物にした、今の私が打てる最大の剣技。
あの技は両足から生み出した勁力が要となる合わせ技。空中からでは唯の上段だ。
なら、これでいい。条件の全てが、今の私にはある。
「・・・・・・ふぅ」
全身を長巻ごと弛緩させ、両足からアイオーンγの頭上へと降り立つ。
途端に暴れ狂う力。回転からの急停止の反動が、私を襲った。
常人なら身体が千切れてしまうだろうが、真・月光翼で水と化した身体は、その全てを吸収した。
着地した両足を始点として増幅された勁力が、刀身へと運ばれていく。
「泰斗流長巻術っ・・・・・・!」
落下速度、ガイウスの絶技、エステルの得物、月下美人。
真・月光翼、絢爛の刃、シャンファ流、泰斗流。
全てを力に変え、私の有りっ丈をこの一閃に込めて―――捻り斬る。
「終の太刀―――螺旋!!!」
____________________________
刀身が折れた感触と、両腕を襲った激痛。
次に到来したのは、私の両手をそっと撫でる、柔らかな体温だった。
「アヤ、大丈夫!?」
「レン・・・・・・あはは。多分、ね」
精一杯の虚勢だった。両腕に残る痺れと振動が、痛覚を直接刺激しているように思えた。
肩で強引に目元を拭い、重い腰を上げて前方を見据える。
全身全霊を込めた技で叩いたアイオーンγの頭部は、真っ二つに斬り裂かれていた。
「効いた、のかな?」
「分からないわ。でも、急に動きが止まったの」
アイオーンγは微動だにせず、沈黙していた。
ガイウスらもアイオーンγを挟んだ場所に立ちながら、静かにその様子を窺っていた。
先程までの猛攻が嘘のように、周囲には静寂が訪れていた。
もしこれが魔獣なら、頭を割られて無事である筈がない。
だが相手は神機。至宝から無限のエネルギーが送り込まれるゴルディアス級の人形兵器だ。
一時たりとも油断してはならない。そう声に出し掛けた時、左右に割れた頭部へ、光が灯った。
「「っ!?」」
突如としてアイオーンγの巨体が、再び駆動音を轟かせ始める。
余りに突然の再稼働に、私とレンは反応ができないでいた。
アイオーンγは私達を待ってはくれず、すぐさま形状を切り替えた。
超圧縮反動砲を撃つ際に取る、二連装の砲身を構えた射撃フォーム。
巨大な銃口が周囲の大気を吸い込み、砲身が紫色の光を帯びて、唸りを上げる。
標的は―――私達。私とレンに、銃口は向けられていた。
「あっ・・・・・・」
距離は僅か20アージュ程度。躱しようが無かった。
私は咄嗟に、レンの小さな体躯を後ろから抱き締めていた。
「レン、アヤ!!」
「駄目だ、この距離じゃっ・・・・・・!」
ガイウス達の悲痛な叫び声が、耳に入って来る。
聞こえてはいるが、理解には至らない。覚悟を決める余裕すら無かった。
縋り付くように、レンを抱く両腕へ、唯々力が込められる。
もう、ここまでなのだろうか。停止していた思考が、明確な『死』を意識し始めると―――
『グオオォォォッッ!!!』
―――その咆哮に、場違いな懐かしさを抱いた。
ランは口から多量の血を吐き散らしながら、その身体を側面からアイオーンγへ叩き付けた。
パテルマテルもランに続き、肩部から無造作に体当たりを放った。
銃口が私達の頭上へ逸れた直後に、超圧縮反動砲は撃ち出されていた。
「きゃあっ・・・・・・!」
直撃は免れても、極限まで圧縮された導力は熱を生み、大気を焼いた。
肌に火を当てられるような苦痛が襲い掛かり、目も開けていられなくなる。
やがて冷ややかな風に心地良さを覚え、恐る恐る瞼を開く。
眼前に映ったランの身体は、ぼんやりと青白い光に包まれていた。
「えっ・・・・・・ら、ラン!?」
一体何が起きているのか。答えには、すぐに辿り着いた。
至宝から霊子エネルギーを供給されるアイオーンγ、それと同じ現象だった。
ランの身体から放たれる霊力が、パテルマテルへと流れ込んでいく。
パテルマテルの背部、スラスターからは、同じ色合いの光が轟音と一緒に流れ出ていた。
光は力に変わり、推進力はアイオーンγ諸共、ふわりとパテルマテルを宙へ持ち上げた。
「パテルマテル、何を・・・・・・何を、言ってるの?」
私達の耳には届かない、パテルマテルの肉声。
レンの様子から、彼がどんな言葉を発しているのか、想像するに容易かった。
そしてランと一緒に、何をしようとしているのかも。
『アヤ。おぬしと共に過ごした、この4ヶ月間。満ち足りた日々であった』
―――来た。これが彼の『最期』だ。
正真正銘、逃れることの叶わない最期と、別れ。
涙はこの瞬間まで取っておくと心に決めていたが、今となってはそうも言っていられない。
「ダメっ・・・・・・いやよ、いや!ダメに決まってるじゃない!」
両腕の中で泣き叫ぶ少女を、絶対に離してはならない。
この子を抱き留める私自身が、涙を流していい訳がない。
耐えろ、耐えろ。虚勢でも構わない、この子に示すんだ。
「ラン。さよならは、言わないよ」
掠れるような震え声で、私は言った。
頭蓋を割られてしまったのか、ランの頭部は歪み、両目両耳からも、流血が起きていた。
他人の目には、今のランの姿が、どのように映っているのだろう。
私には、柄にもなく涙を流す巨狼にしか、見えなかった。
「私は忘れない。私は、忘れない、よ。ずっと、ずっと・・・・・・覚えてる、から」
途切れ途切れになる声が、スラスターから吐き出される轟音で上書きされた。
目元に溜まり切った涙で視界が歪み、表情が窺えない。
それでも、笑顔が残されたように思えた。もう、堪えることができなかった。
「離して、離しなさいアヤ!お願い、だから・・・っ・・・・・・離してえっ!!」
レンの訴えに、私は応じなかった。
爪を腕に突き刺さされても。
獣のように噛み付かれ、歯へ肉が食い込んでも。
パテルマテルとアイオーンγは、目の届かない位置にまで、高度を上げていた。
スラスターの光が、小さな小さな光点にしか見えなくなった頃。
「いやあああぁぁぁっっ!!!!」
閃光が煌めき、地上を照らした。
『サヨウナラ』と、聞こえる筈のない声が、聞こえた気がした。
___________________________________
爆発の衝撃波は、地上には届かなかった。
真下に位置していた私達が無事だったのだ。周囲にも被害は出ていないだろう。
音だけは途方も無く巨大だった。クロスベル全土へ鳴り届いたに違いない。
私の腕から逃れようとするレンの力は、時が経つに連れて、徐々に弱まっていった。
最後には、私の胸元を濡らして、嗚咽を繰り返す女の子がいた。
掛ける言葉が見つからなかった。胸を貸すことしか、私にはできなかった。
「アヤさん」
「ヨシュア・・・・・・傷の具合は?」
「見ての通りさ。どうやらみんな同じみたいだね」
重傷を負っていた筈のヨシュアの右足には、傷一つ見当たらなかった。
彼は勿論、私にエステル、ガイウスも。傷痕すら残っていない。
「ランのおかげだと思う。ランの霊力には、いつも助けられたから」
あの瞬間、ランは残された生命を燃やし、霊力に変えていた。
頭上から降り注いでいた光は、水属性の色。癒しの力だったのだろう。
痛みも疲れも無い。残されたのは、全快した私達だけ。
ランとパテルマテルは―――帰らなかった。別れは、もう過去の出来事になっていた。
「えっ・・・・・・ぱ、パテルマテル!?」
皆が口を閉ざす中、突然レンが泣き腫らした顔を上げた。
視線はそこやかしこに向き、顔には信じられないといったような表情が浮かんでいた。
「パテルマテル・・・・・・パテルマテル!!」
「れ、レン?ま、待ちなさいよ!」
レンは再びパテルマテルの名を呼ぶと、東へと走り出してしまった。
するとエステルがレンを追って、ヨシュアも私達に一言を残してから、彼女に続いた。
まさか、あの方角にパテルマテルが。
そう思い腰を上げると、私の右腕をガイウスが掴んだ。
見れば、ガイウスは首を横に振って、私の腕を離そうとはしなかった。
「どうしたの?私達も行ってみようよ」
「待ってくれ。アヤには、まだやることが残っている」
「・・・・・・やること?」
「ああ。多分、そろそろだ」
ガイウスはそう言うと、ゆっくりと頭上を仰いだ。
私も彼に倣い、珍しく雲一つ見当たらない冬の青空を見上げた。
上空からは、2機のゴルディアス級の破片が今も尚、地上へと降り注いでいた。
中には原型を留めた大きな部位もあり、暫くは頭上へ気を払う必要があった。
「ん。何、あれ?」
そんな破片の数々に混じり、青色の光点が1つ。
よくよく目を凝らさなければ、言われなければ気付かなかったであろう、小さな光。
光は揺ら揺らと動きながら高度を下げ、少しずつ地上に近付いていた。
「・・・・・・え?」
次第に光は大きさを増していき、その中心に浮かんでいた存在に、目が止まった。
鼓動がドクンと激しく胸を打ち、治まり掛けていた感情が再度、渦を巻き始める。
青色の光を纏いながら飛んでいたのは、1羽の小鳥。
粒状の光を後方へ落としながら飛ぶ様は、あのグリアノスを連想させた。
当然、グリアノスではなかった。もっと小振りで、可愛らしい種の小鳥。
「嘘・・・・・・でしょ」
神狼の擬態。小鳥へと外見を変えて私の肩に降り立った、ツァイトの分身体。
母親の名を借りて、私の傍らに在り続けた―――ラン。
見紛う筈もない、ラン。私達の頭上を、ランが光をまき散らしながら、飛んでいた。
無意識の内に、私は普段のように右腕を上げていた。
応えるように、小鳥はその右腕へと下り立ち、羽を休め始める。
厳密に言えば違いはあった。サイズは一回り小さいし、腕に感じる重みも異なるように思える。
だがそれ以外は、ランその物。溢れ出る青色の光は、生気に満ちている事を示していた。
「ら、ランなの?本当に、ランなの?」
『違うの。私はランじゃないの』
「へ?」
思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
何だ、この声は。ランの超然とした声とは、余りにもかけ離れている。
『「へ?」じゃないの。私はランじゃないって言ったの』
女性―――と表現するには、幼過ぎた。
少女の声だった。レンやシーダと同年代程度の、愛くるしい声。
一体何がどうなっている。この小鳥は、ランの何だ。
戸惑うばかりの私に、今まで口を閉ざしていたガイウスが言った。
「この小鳥は、ランを母体として生まれた別の個体・・・・・・言わば、ランの子だ」
「ランの、子供?」
「ああ。以前ランが言っていただろう?在るべき姿に変わるだけだ、とな。あれは、こういう意味だったんだ」
ガイウスがその真意を知らされたのは、今朝方の出来事。
ランはガイウスへ、全てを打ち明けていた。
300年程前から、ランの身体に宿り始めていた、新たな生命。
それが私の腕の上で声を鳴らす、小鳥。紛れもない、ランの子供だった。
『アヤ達の概念で言えば、私はランの娘みたいなものなの』
「む、娘って・・・・・・それに300年前ってことは、この子は300歳って訳?」
『そうなの!アヤよりもずっとずっと大先輩なの!』
パタパタと羽ばたいてから、踏ん反り返る小鳥。
所謂『無い胸を張る』状態だった。威厳の欠片も感じられない。
理解できたような、できていないような。というより、鵜呑みにしていいものなのだろうか。
一度深呼吸を置いてから、私は小鳥へ聞いた。
「ねえ。私とガイウスを知ってるみたいだけど、もしかしてランの記憶があるの?」
『厳密に言えば違うの。感情を伴わない記憶だから、知識って言った方が近いと思うの』
「じゃあさ、何で『鳥』なの?ランは本来、狼でしょ?小鳥の姿は、唯の擬態の筈だけど」
私の問いに対し、小鳥はキョロキョロと頭を動かして、考えるような素振りを見せる。
答え難い質問とは思えないが。首を傾げていると、小鳥は変わらずに独特の口調で言った。
『それも含めて、アヤ。私に名前を付けて欲しいの』
「な、名前?私が?」
『そうなの。話はそれからなの』
突然求められた命名。名前が欲しいと言われても、すぐには浮かんでこない。
それにこの名付けには、とても大切な意味合いが込められているように思えた。
ガイウスは何かに気付いているのか、私の肩にそっと手を置き、促してくる。
「こればっかりは、アヤの役目だ。君に任せる」
「そう言われても、私には何が何だか・・・・・・」
「好きに選べばいい。ランもきっと、そう望んでいる筈だ」
ランが望む、ランの子供の名前。真っ先に、思い当たる物があった。
こういう場合は悩んでも仕方ないし、掛かった時間も関係無い。
私はコホンと咳払いをしてから、その名を告げた。
「ユイ」
『ユイ?』
「そう。お母さんが私にくれた、元々の名前。あなたは今日から、ユイ」
ランの子供だから、ユイ。もう1人の私の名前。
安易なように思えて、この子にとっても中々に小粋な名付けに違いない。
自分のネーミングセンスに満足する一方で、ユイは不満気な声を漏らし始めた。
『アヤ、それじゃ足りないの』
「足りない・・・・・・ユイじゃ不満ってこと?」
『違うの。そうじゃなくって・・・・・・ともかく、足りないの!』
ユイがバタバタと翼を動かすと、数枚の羽根が宙を舞った。
幼い声も相まって、駄々を捏ねる女の子を相手にしているような気分だった。
ユイでは足りないと言われても、私には彼女の本意が汲み取れなかった。
「ステラディア」
ガイウスがポツリとそう呟いた途端、ユイの動きが止まった。
上手く聞き取ることができなかった。彼は今、何と言った。
「ユイ・ステラディア。それがお前の名だ」
―――ユイ・ステラディア。
ガイウスが再度名を呼んだ瞬間、ユイの身体から漏れ出る光が、急激にその量を増した。
「な、何?」
途端に周囲の大気がざわつき、私達を中心にして、突風が巻き起こった。
初めての経験ではなかった。ランが神狼へと変貌する際に生じる、力の波動。
もう二度と感じることができなかった筈の熱風と、掛け替えのない思い出の数々。
その全てが一挙に押し寄せ、私の何かを突き動かす。
『私はユイ、ユイ・ステラディア。女神が遣わした誇り高き神狼、ツァイト・ステラディアより生まれし、聖獣の子種』
光の中から現れた、ユイの全貌。ランとは決定的に異なる、目を疑うような違い。
種族の特徴を併せ持つ、創作上の合成獣を思わせる、ユイの本身。
鮮やかな蒼と白の体毛に包まれた神狼の背には―――翼が、生えていた。
力強く広げられた両翼が生み出した風は色を帯びて、私達を揺らした。
「アヤ。ランの願いと想いが、ユイには確かに託されている。それを分かってくれ」
「ま、待って。分からないよ。ガイウスは、何を知ってるの?」
「思い出すんだ、ランの言葉を。君が夢から覚めた時、ランは何と言っていた」
揺れ動く感情を抑え、記憶の海の中からランの言葉を拾い上げる。
残された時間は少ない。
在るべき姿へ変わるだけ。
幾百年程前から、ランの中に宿りつつあった物。
今になって、明確な姿を取り始めている。
「あっ・・・・・・」
至宝との約束を果たす為に、聖獣としての使命を果たす為に、生み出された新しい命。
私の行く末を見守り続けたいという、ランの願い。
翼を持つ鳥類として、私達と一緒に過ごしてきた、瑞々しい日々。
相容れない複数の感情が入り混じり、想いは形となって、唯一の姿へと変わる。
消え去り掛けていた命の灯は、新たな生命の息吹を生み、願いは果たされた。
それが―――ユイ。ユイ・ステラディアという存在、その物だった。
『アヤ、ガイウス。2人の力と意志を、私に示すの』
「力と、意志?」
『ランを縛っていた禁忌が解かれた今、古の盟約に代わる制約が、私には必要なの。名前はその1つに過ぎないの。だからお願い、私が私でいられる理由を、私に与えて欲しいの』
そうすれば、私はあなた達と共に在り続けるの。
ユイはそう言うと、力に溢れた咆哮を周囲へ轟かせた。
「ランっ・・・・・・」
一度涙腺が緩めば、もう止めどが無かった。
最期にランが残した笑顔の意味を、今になって理解できた。
ランは生きている。彼女の中で、ランの意志は生き続けている。
私はこんなにも多くを望んでいただろうか。
別れが生んだ出会いが、こうも沢山の喜びで満たされていていいものだろうか。
「さあ、応えるぞアヤ。俺達には、余り時間が残されていないからな」
「・・・・・・うん。そう、だね」
いずれにせよ、まだ事は始まっていない。
ランが残してくれた希望に、応える必要がある。
折れてしまった月下美人の片割れを握りながら、頭上を仰ぐ。
彼と過ごした日々を、私は忘れない。ずっとずっと、私と共に在り続ける。
光となった掛け替えの無い相棒を想って、私はとびきりの笑顔を浮かべた。
ノイじゃないです、ユイです。ノイじゃないです。
チビレグナートと同年代ぐらいでしょうか。
ちなみに数年後のリベールでは、マリィがアヤと同じ軌跡を辿り始めていたりします。