日付が変わり、12月29日が時を刻み始めた頃に、私達は東端の隠れ家を後にした。
闇夜に紛れて向かった先は、帝都とトリスタの中間地点から南へ約100セルジュ。
帝国中に点在する隠れ家の中でも、最も帝都に程近いそれだった。
幸いなことに、移動の大半は精霊の道を利用することができ、大幅な時間短縮に繋がった。
領邦軍と出くわす危険性も減ったことで、日の出前には無事に目的の隠れ家へ到着。
私達は身を潜めながら、レクター大尉が言う『帝都潜入作戦』の詳細へ耳を傾けていた。
突然の提案に面食らってしまったが、帝都潜入の目的と内容は至って単純。
内戦収束の鍵、すなわち皇帝陛下をはじめとした皇族一同の幽閉場所を探ることにあった。
大尉には既に心当たりがあるそうだが、確信を得るには至っていない。
数ある手立ての中から必要最低限のリスクを模索した結果が、帝都への潜入だった。
半ば強引に同行を求められた私とガイウスは、それでも大尉の提案に応じた。
そもそもが皇族の幽閉などという行為を見過ごせる筈がなかった。
乗り掛かった船だと己に言い聞かせ、私達は作戦の決行時間を待ち続けた。
そして12月30日、午前0時半。
私達は『線路』沿いに西へ向かい、『帝都ヘイムダル中央駅』を目指していた。
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闇夜の中での移動とはいえ、発見されるリスクは極力避けたい。
私はユイの霊力を借りて、回避型オーバルアーツ『ホロウスフィア』を発動させていた。
効果を持続させる為に身動きは大きく制限されるが、単に歩くだけなら左程影響も無い。
パンタグリュエルからの脱出の際にも助けられた、有効な目眩ましだった。
「・・・・・・彼らは何をしていたんだ?」
「保線工事、じゃないかな。列車が走らない夜間にしかできない作業があるんだよ。車庫では列車の整備とかもしなきゃいけないしね」
ガイウスが言った『彼ら』は、約10分程前に出くわした作業者達。
都内に入ってからは鉄道橋を渡るルートしか無く、回避するには一度地上へ降りる必要があった。
作業者用の梯子のおかげで迂回は可能だったが、大分時間を取られてしまっていた。
幸か不幸か、作業者に足止めされたのはその一度切り。
既に視線の先には、帝都中央駅の構内を照らす導力灯の光が映っている。
あと20分も歩けば、列車ホームの先端に辿り着くだろう。
「保線工事、か。詳しいんだな」
「ウェンディ・・・・・・幼馴染のお父さんが鉄道技師で、色々聞かされたことがあるからね」
「おいこら、そろそろお喋りは控えとけよ」
前方を歩くレクター大尉の声に従い、口を閉ざす。
すると大尉はちらと振り返り、私の耳元を見てから小声で言った。
「右耳のピアス、それクレアのだろ?何でアヤが持ってんだ?」
「え?」
セルリアンハーツ。以前にクレア大尉が贈ってくれた、大切なノンホールピアス。
左目を失って間もない頃は、右目に掛かる負荷が増大し、大いに悩まされた。
特殊な水属性の七耀石を結いたこのピアスは、今でも私の目を助けてくれる宝物だ。
オズボーン宰相からの着任祝いなだけあって、これは特注のオーダーメイド品らしい。
唯一無二のピアスを私が使っていれば、大尉が首を傾げて当然だった。
「成程ね。あいつも随分と粋な贈り物をしたもんだ。失くすなよ」
「分かってますよ。私だって・・・・・・あれ?」
「あん?」
そうだ。どうして気付かなかったのだろう。
今の私は隻眼だ。左目を失って以降、皆が私の眼帯を見ては絶句する日々が続いていた。
大尉だって同じ立場の筈だ。なのに、それが無い。
クロスベルで再会してから、大尉は一度も私の左目に触れようとはしなかった。
どうしてだろう。クロスベルで行動していた大尉には、知る術が無かった筈なのに。
それとも敢えて触れずに、気遣ってくれていたのだろうか。
疑問を口に出すより前に、大尉は少しだけ肩をすくめて言った。
「お前さんに詳しい人間がいてな。そいつもどうやって知ったのか、俺にはさっぱりだ」
「・・・・・・誰のことですか」
「さあてね。いずれ知る時が来るだろうよ」
予想通り過ぎる反応に、思わず溜め息が漏れた。
大尉との会話はいつだってそうだ。噛み合わなくなった途端、煙に巻かれてしまう。
「いずれと言わずに教えて下さいよ」
「お喋りは終わりだって言わなかったか」
「話を振ったのは大尉です」
「残念、時間切れだ。ここからはマジでいくぜ」
大尉の足が止まり、続いて私達も立ち止まる。
帝都中央駅は目と鼻の先。構内には夜間作業者であろう人間の姿もあった。
思うところはあるが、ここまで来たら大尉が言うように切り替える他無い。
内部の構造は全て頭に入っている。と言うより、覚えさせられた。
目指すは3番線ホームを2階に上がり、東へ向かった先にある一室。
室内に人間がいた場合は無力化し、大尉が求めるデータを端末から探し出す。
終わり次第元のルートを辿り脱出する。難易度は大して高くないミッションの筈だ。
「いいか、イレギュラーが発生したら俺の指示に従えよ。勝手な判断は禁物だ」
「承知」
「了解です。ユイ、もう少し頑張って」
『早くしてほしいの。もう眠いの』
「ね、寝ないでよ。絶対だからね」
午前1時丁度。胸元に潜むユイをぽんぽんと叩いてから、私達は再び歩を進めた。
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午前1時半。潜入を開始してから約30分後。
発生したイレギュラーは2つ。
1つは内部を巡回する警備兵の数が、想定していた以上に多かった点だった。
大尉曰く、東部の情勢が大きく変わり始めていることが原因だそうだ。
そのせいで多少時間は掛かってしまったが、支障無く目的の部屋へ辿り着くことができていた。
2つ目は、室内にも警備兵の姿があったこと。
休憩時間中だったようで、夜勤作業者と取り留めのない会話をしている最中だった。
会話が終えるのを待つか。それとも警備兵ごと無力化するか。
大尉の判断で、私達は後者を選んだ。大尉が用意した薬品を使い、強引に睡眠へ入ってもらった。
大尉が端末を操作する間に、ガイウスは室外へ目を光らせる。
私は作業者と警備兵が目を覚まさないよう見張りながら、大尉の進行状況を確認していた。
「大尉、まだ掛かりますか?」
「そう焦るなよ。まだ・・・・・・いや、ビンゴだ」
「はい?」
「クク、やっぱり護送記録が残っていやがったな。『カレル離宮』、聞いたことないか?」
カレル離宮。以前帝都での実習中に、マキアスから聞かされたことがある。
確か帝都郊外にある皇帝家の離宮で、静養を目的に建てられたとされる御用邸だ。
「陸路からのアクセスは、この帝都中央駅からの特別列車だけだ。何かしら記録が残っていると見込んでいたが、予想通りだったぜ」
「じゃあ皇帝陛下共々、カレル離宮に?」
「それだけじゃない。レーグニッツ帝都知事に、おそらくエリゼ・シュバルツァー嬢も一緒だ。幽閉場所には打って付けの場所だからな」
「え、エリゼちゃんまで・・・・・・」
漸く合点がいった。だから帝都中央駅への潜入に踏み切った訳か。
最小限のリスクで確証を得るには、これが最善策と大尉は考えたのだろう。
それに朗報だ。士官学院関係者の保護は、皆で掲げた目標の1つ。
レーグニッツ知事とエリゼちゃんの所在を知れたことは、想像以上の収穫だ。
「しかし腑に落ちないな。皇太子陛下だけ、カレル離宮にはいないようだ」
「・・・・・・皇太子陛下、『だけ』?」
「ああ。今から3日前、この駅への護送記録がある。一体何を―――」
―――背後から、突然声が聞こえた。
息を止めて身を翻すと、そこには変わらずに寝息を立てる2人の男性がいた。
起きてはいない。だが声は確かに聞こえたし、大尉の様子から私の空耳という訳でもない。
なら寝言か。そう考えて緊張を解こうとした時、警備兵の腰元へ目が止まった。
「・・・・・・無線?」
通信機と思われる小さな機器が、ホルダーの中に収まっていた。
恐る恐る耳を近付けると、先程と同じ声が耳に入って来る。
『おい、応答しろっての。ったく、寝てんのか?』
「っ・・・・・・!」
不味い。気付かれる。
立ち上がると同時に、室外を見張っていたガイウスが声を潜めて言った。
「警備兵が1人近付いている。入って来るかもしれない」
室内の空気が一気に張り詰め、粒上の汗が額へ滲んだ。
息を飲んで大尉へ視線を送ると、大尉は腰に携えていた細身の剣を握っていた。
動じている様子は微塵も感じられない一方で、今までに見たことがない表情が浮かんでいた。
「退却だ。下がってな、俺がやる」
足音を立てないよう注意しながら、扉から死角になる位置へと移動する。
ARCUSを駆動させ『ホロウスフィア』を使用したのと同時に、ゆっくりと扉が開かれた。
「ワリィな。寝てろ」
剣の柄が容赦無く首筋を叩き、意識を刈り取られた警備兵の身体が崩れ落ちる。
寸分違わず無駄のない一撃。お見事としか言いようがない手際だった。
大尉は無音で通路に出てから手で合図を送り、私達は大尉へ続いた。それが『失敗』だった。
機敏な動作が影響したのか、先程使った筈の『ホロウスフィア』の効果が消えてしまっていた。
「おい、もう一度使えないのか?」
「す、すみません。一度効果が消えると、すぐには無理なんです」
「ぐずぐずしてると気付かれちまうな・・・・・・仕方ねえ、『プランE』で退くぜ」
プランE。プラン―――『E』?
落ち着け。取り乱しては駄目だ。冷静になれ。
胸のうちで言い聞かせていると、先んじてガイウスが言った。
「・・・・・・大尉。退路は4通りしか聞かされていないと記憶していますが」
「そりゃそうだろ。俺もプランDまでしか教えてないからな」
「なら、プランEとは?」
「クク、知りたいか?」
訳が分からないと言わんばかりに、今度はガイウスの眉間に皺が寄った。
それもその筈、ブリーフィングでは、退路はプランAからDの4通りから選ぶと聞かされていた。
だというのに、ここに来て5通り目のE。しかも何だ、この大尉の態度は。
普段通りの飄々とした笑顔からは、嫌な予感しか受け取れない。
「いいかお前ら。手に入れた情報を確実に持ち帰る為にも、俺はここで取っ捕まる訳にはいかない。まだやることが残ってるしな。分かるだろ?」
「それは俺達も一緒です」
「いいから聞けって。2人にはユイも付いてる。何が起きたってこの場は切り抜けられるだろうよ。それに俺の予想だと、『貴重な経験』ができるかもしれないぜ」
「何が言いたいんですか?」
「ほれ、来た来た」
ガイウスと共に大尉の視線を追うと、複数人の兵士の姿があった。
手には導力小銃。足は止まっている。目は私達に釘付け。
唐突に現れた不審者が計3名という状況だ。呆気に取られているのだろう。
「っ・・・・・・アヤ!!」
考えるよりも先に、身体が動いていた。
鞘を払ってから通路を駆け抜け瞬時に距離を詰め、剣を逆刃に構える。
右端に立っていた兵士の背部を打ち、返す刀でもう1人の腹部を叩いた。
「こ、この女―――」
私へ注意が向いた隙を見計らい、十字槍の石突が兵士らを襲った。
鋭い連突きは的確に急所を捉え、先の2人に続いて、力無く倒れ込んでいく。
上々の出来栄えだ。対銃器の立ち合いはもう何度も経験している。
銃口に気を払いさえすれば―――いや。今はそんなことどうでもいい。
「ガイウス、大尉は!?」
「・・・・・・いないな」
辺りを見回しても、大尉の姿は何処にも見当たらない。
私達の目が兵士らに向いていた間に、消えてしまっていた。
さて、これはどう受け取ればいいのだろう。
窮地に追い込まれ、私達2人を足手纏いと踏んだのか。それとも、囮として単身逃げたのか。
うん。どちらでもいいし、いずれにせよあの男は最低だ。
「あんの馬鹿大尉ぃっ!!」
「伏せろ!!」
「え?」
慌てて身を屈めると、ガイウスの槍が宙を突いた。
直後に背後から聞こえてきた、一発の銃声。
振り返ると、1人の兵士が横たわっていた。ガイウスが放った遠当てで昏倒したのだろう。
銃弾の行方は分からなかった。遠当ての反動で、引き金を絞ってしまったのかもしれない。
「大丈夫か」
「う、うん。でも急がなきゃ―――」
けたたましいサイレン音が私の声を掻き消し、駅の構内へ響き渡る。
無理もない。どういった状況であれ、夜間に警備兵の応答が途絶え、銃声が鳴ったのだ。
足止めを食らっている時間は無い。このままでは大変なことになる。
私とガイウスはすぐにその場を離れ、最寄りの10番ホームへ繋がる階段を目指し走り始めた。
「アヤ、退路は?」
「どれでもいい、線路から逃げよう」
大尉が用意していた退路は、全て線路を通るルートだった。まずは駅から出ることが先決だ。
そう考え階段を下ろうとした矢先に、前方から複数の足音が聞こえてくる。新手だった。
「ど、どうしてこんなに・・・・・・!?」
おかしい。厳戒態勢を敷いているにしても、数が多過ぎる。
それに増援も早い。この厳重さは常軌を逸している。
ターミナル駅とはいえ、深夜にこうも兵力を割く必要は何処にも無いというのに。
「いたぞ、逃がすな!」
「くっ・・・・・・!」
強引にホームへ下ろうとすると、今度は下方からの叫び声。
駄目だ。対銃器で多勢に無勢、先程のように突破できるとは到底思えない。
線路からのルートが使えないとなれば、残された道は1つだ。
「アヤ、こっちだ!」
「分かってる!」
向かった先は、北口の改札。
こうなったら大尉が言ったように、手段を選ばずユイの翼を頼るしかない。
その為にも外に出る。構内で神狼の姿を取っては建物自体を壊しかねない。
「ユイ、聞こえてる!?」
『聞こえてるけど・・・・・・んん、だから眠いの』
「だ、駄目だってば、起きて―――」
―――刹那。右方から、途方も無く巨大な気を当てられた。
息が詰まると同時に冷や汗が吹き出し、自然と足も止まってしまった。
視界の端に映ったのは、十字槍の矛先。ガイウスの槍ではなかった。
(え?)
槍の柄、力任せの薙ぎ払い。狙いは私。
咄嗟に両腕の手甲で胸を庇い、衝撃に備える。
防ぎ切れないと、受ける前に理解できた。だから私は全身を弛緩させ、水と化した。
薙ぎ払いは手甲を叩き、私の身体を遥か遠方まで打ち飛ばした。
背中から床へ落下したものの、ギリギリのところで受け身が間に合ってくれていた。
「アヤ!?」
「痛ぅ・・・・・・だ、大丈夫。心配しないで」
痺れが残る腕を見ると、両腕の手甲に亀裂が走っていた。
危なかった。真・月光翼を使わなかったら、手甲だけでは済まなかったかもしれない。
「ほう。今の一撃を流すとはな。准将、手心を加えたようには見えなかったぞ」
「参ったな。仰る通りですよ」
軟気功で痛みを和らげながら、ガイウスの手を取って立ち上がる。
強者と対峙する時はいつもこうだ。目が眩むような気を当てられ、身体が強張ってしまう。
足掻けば足掻く程、呼吸が儘らならなくなり、飲み込まれていく。
「・・・・・・ねえ、ガイウス」
「ああ。不味いことになった」
「そっか。あの人達が、そうなんだね」
私も剣の道を歩む武人の1人だ。初対面とはいえ、対峙すれば自然と気付かされる。
比類無き槍術を操る若き豪傑。褐色の肌と黒色の短髪。
帝国の二大流派を修めた天賦の才の持ち主。鍛え抜かれた四肢に、銀に輝く長髪。
『黒旋風』と『黄金の羅刹』。圧倒的高みから、私達は見下ろされていた。
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「お前は・・・・・・そうか。レグラムに居合わせていた士官候補生の1人だな」
「顔を合わせた記憶は無いが」
「ハハ、分かる者には分かる物さ。しかしノルドの民だとはな。面白い巡り合せだ。そっちの御嬢さんは?」
「姉だ。血は繋がっていない」
ARCUSの戦術リンクを介して、ガイウスの感情や思考が流れ込んでくる。
この感覚は初めてではない。今の私達は間違いなく、『オーバーライズ』に近い状態にある。
痛みとは裏腹に集中力が増しているし、あらゆる感覚が研ぎ澄まされている。
ガイウスの一挙手一投足も、まるで自分のそれかのように感じることができた。
―――時間を稼いで。まだ腕が言う事を聞かない。
「・・・・・・理解できないな」
私の思惑が通じたのか、ガイウスは2人を交互に見てから言った。
「ラマール州領邦軍の指揮官と将官が、何故こんな時間、こんな場所にいる」
黒旋風に黄金の羅刹。おそらくはサラ教官と同等かそれ以上の使い手が、2人。
私達の周囲には、小銃を構えた兵士らが睨みを利かせている。
危機的状況に変わりはないが、この場を脱する方法が無い訳ではない。
察するに、私の素性は割れていない。今の私は獣の聖女ではない。
なら、ユイの存在にも気付かれてはいないと考えていい。
隙を突いてユイの力を借りれば、切り抜けることができる筈だ。
一方で、ガイウスの疑問は尤もだった。
まさか領邦軍きっての武将が、深夜に直接出張ってくるとは思ってもいなかった。
「強き者が戦場へ赴くのは当然だ」
ウォレス准将に代わり、オーレリア将軍が腕を組みながら、私達の疑問へ応えていく。
「正規軍の猛者共も、嬉々として戦線に躍り出ると聞く。立場は違えど根本は変わらん」
「駅が戦場だと言いたいのか?」
「緊迫したこの状況下で乾坤一擲の手に打って出るとあれば、手立ては限られている。大義名分を捨て、闇夜に紛れて潜り込む鼠がいてもおかしくはあるまい・・・・・・情報局の諜報員を想定していたが、まさか学生とはな。いずれにせよ当たらずとも遠からず、といったところだろう?」
成程、確かに当たらずとも遠からず。通りで警備が異様に厳重だった訳だ。
おそらくは陸路でカレル離宮に忍び込む輩を想定し、網を張っていたのだろう。
列車運行が停止する深夜帯こそ、潜入には絶好の機。見事に網へ掛かってしまったということか。
だが指揮官自らの待ち伏せに違いは無い。常識から外れ過ぎている。
授業で学んだ軍事学のイロハが馬鹿らしく思えてくる。
「こちらもそなたらに問う。士官候補生が何の為に、どのようにして潜り込んだ」
「私達に答える義理はありません」
言うと同時に、力を込めて両拳を握り締める。
いける。腕の感覚は戻りつつある。ガイウスも私の意図を察してくれている。
機は一瞬。虚を突き駆け抜け、振り切るしかない。
「フフ、そう急くな。兵士らに手出しはさせん」
「え?」
「心地良く若々しい気当たりだ。その気概を汲んでやると言っている。察するに、そなたらも武人の端くれであろう。戯れに興じてやらんでもないぞ」
鋭い眼光が私達を射抜き、得物を握る手から汗が滲んでくる。
手の内はお見通し。地の利も数の利も無い。できることは、限られている。
だがやるしかない。選択肢が少ない分、迷う必要もない筈だ。
「どうしよ、ガイウス。・・・・・・ガイウス?」
「いや、何でもない」
私の声が届いていなかったのか、ガイウスの返答が遅れた。
ガイウスは一度大きく深呼吸をしてから、小声で囁いてくる。
「誘いに乗るしかないだろう。それにこちらにはユイもいる」
「同感。隙を突いて退くしかないね・・・・・・でもガイウス、どうしたの?」
「何がだ?」
「様子が変っていうか、顔が赤いよ」
「気のせいじゃないか」
「そうかなぁ」
ともあれ、オーレリア将軍の誘いは好都合だ。可能性は十分にある。
というより、不思議と高揚感があった。窮地に追いやられているのに、胸が弾んでいる。
ユイという後ろ盾を抜きにしても、逸る感情を抑えることができない。
それにこの人なら、ラマール領邦軍を総べる彼女なら、きっと私の疑念に答えてくれる。
もしかしたら―――私はこんな状況を、心の何処かで望んでいたのかもしれない。
「はあぁ!!」
「おおおぉっ!!」
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強者同士の立ち合いは、得物を握る前から始まる。
片や肌を刺すように熱く、猛々しい翡翠色の剣気。
片や絢爛の二文字が相応しい、見惚れてしまう程に美しい気流。
「・・・・・・こいつは驚いたな」
腕前の程を見誤るだなんて、いつ以来のことか。
そもそもが先の薙ぎ払いを捌かれた時点で、気付くべきだった。
少年少女、或いは学生の域を十二分に凌駕している。
同年代の中では仕上がっていると言っていい力量だろう。
周囲の兵士らが狼狽える程の気合いが、眼前から放たれていた。
「フム。気が変わった。准将、一騎打ちを申し出るぞ」
隣に立っていた上官から、弾んだ声が発せられる。
表情は変わらずとも、その裏では純粋な笑みが浮かんでいるに違いない。
「糸を引く黒幕を吐かせるのが先決では?」
「構わん。兵の士気を高めるいい機会だ」
「そう仰ると思っていましたよ。どちらをお望みで?」
「あの少女にはもう一歩『先』があるようだ。我が眼を以ってしても底が見えん」
「そのようですな。俺も手合せ願いたいところではありますね」
「そう拗ねるな。ノルドの少年も相当な完成度だ。同じ血族同士、存分に交わるがよい」
自然と相手取る対象は決まった。
得物と剣気の色、両者が共通する者同士の組み合わせだった。
胸が轟くように踊り、感情が波打ち騒ぎ、落ち着いていられない。
この上無くそそる。決戦前の食前酒としては打って付けだ。
「仰せのままに。好きにやらせて貰いますよ」
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領邦軍きっての英雄の立ち合いを拝める機会。一介の兵士にとっては大変に貴重だ。
士気を高めようというオーレリアの目論見通り、4人を取り囲んでいた兵士らは沸いた。
しかし歓声はすぐにどよめきへと変わり、周囲は異様な雰囲気に包まれていく。
それもその筈。初撃を紙一重で捌いたことで、重心を崩されたのは―――黒旋風。
見下ろす側に立っていたのは、ガイウスだった。
「面白い技を使うんだな。今のは何だ?」
「『蛇突』。友人が教えてくれた技の1つだ」
「へえ。見かけによらず器用じゃないか」
ウォレスは冷静に、ガイウスの動きと技の冴えを分析していた。
十字槍という長物を繊細に操り、手足の如く操る技量と柔軟な身体。
槍の特性と本質を理解していなければ、今し方見せたような技は使えない。
それに『目』もいい。事実、ガイウスはノルドでもとりわけ秀でた眼力を持っていた。
動体視力、周辺視野、瞬間視力。優れた目は技の幅を広げる。
無意識の内に目に焼き付いた局面は蓄積され、経験の山は戦術に変わる。
大器晩成型の人間が多いのも特徴の1つ。ガイウスが頭角を現したのも、つい先日のことだった。
多彩な得物と流派が集う『Ⅶ組』に所属してから、経験の蓄積は速度を増した。
放課後に写実絵画を好んで描く傾向は、元々の眼力を更に向上させた。
エステルとの出会い。父との仕合い。アイオーンγとの死闘。
全てがガイウスの血肉となり、一線を超える要因となっていた。
「ノルドにはかの隻眼と並ぶ使い手がいると聞いていたが、まさか学生とはな」
「それは父さんの話だ。俺ではない」
「そう卑下する必要は無いだろう。それにしても、随分と昂ぶっているな。何か癇に障ったか?」
「・・・・・・俺にも信念がある。この槍で故郷と家族、大切な者達を守ると誓ったばかりだ」
ウォレスが問うと同時に、ガイウスの眼光が鋭さを増す。
ガイウスは隠そうともせず、怒気を孕んだ声を以って、吐き捨てるように言った。
「ノルドの血を引くお前が、その槍をアヤに向けた。理由はそれで十分だろう」
「・・・・・・澄ました顔の裏で、 腸が煮えくり返ってるってところか」
周囲の風景が歪むかと思える程の闘気が、ウォレスを襲った。
再び兵士らが狼狽し始める一方で―――ウォレスは笑みを浮かべていた。
翡翠色の気流。これも一朝一夕で身に付くものではない。
余程良い師に巡り合えたのだろう。しかもおそらくは、少年の身近にいる筈だ。
気の扱いに長ける人間の傍に居続けると、呼応するように自然と気穴が開かれていくものだ。
強者が強者を生むという言い回しは、様々な意味で的を得ている。
「そういえば、名前を聞いていなかったな」
「ガイウス。ガイウス・ウォーゼル」
「ガイウスか。いい名だっととっ」
突然背中に何かがぶつかり、声が遮られる。
振り返った先には、銀色の長髪を揺らす上官の背中。
その向こう側に立っていたのは、豪華絢爛に輝く少女だった。
「・・・・・・成程な」
―――いた。余程良い師。案の定、身近にいた。
まだ十代後半程度だろうに、気功術が妙域に達している。
今時の士官候補生は、こうも仕上がっているものなのだろうか。
「ガイウス、お前の技を全て見てみたい。さあ、全力で来い」
考え方を改めるとしよう。この少年は更なる高みを目指すことができる。
願わくば好敵手として、再び相見えたいものだ。
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黄金の羅刹。その異名の由来は、金色の闘気と光の剣技。
疾駆からの斬撃は鞭のようにしなり、神速の連撃は兵士らの目を置き去りにした。
その全てが―――アヤの小柄な体躯を通り抜け、周囲の壁面や床、天井を斬り刻んでいく。
「・・・・・・何、だよ。あれ」
オーレリアと同じ色を身に纏う少女には、掠り傷一つ見受けられない。
まるで流水を斬ったかのように、剣戟の音さえ周囲の人間の耳には届いていなかった。
「ごめんなさい。もう少し、離れて貰えませんか」
「え?」
やがてアヤの流れるような動きが止まり、オーレリアの剣もそれに続いた。
振り返ることなく、アヤは穏やかな小声で背後に立ち尽くす兵士に語り掛ける。
「危険ですから。巻き込みたくないんです」
「・・・・・・あ、ああ」
アヤに言われるがままに、兵士らが慌てて2人から距離を取り始める。
誰も声を発すことができないでいた。同様に目を離すこともできなかった。
神々しくさえ映る両者の立ち振る舞いに魅了され、五感の全てを奪われてしまっていた。
__________________________________
考えてみれば、対人で真・月光翼を揮ったのは、痩せ狼を除いて眼前の女性が初だ。
そもそもこの術技はあの立ち合い以降、ずっと未完の域にあった。
神機との死闘で限界を超えた経験が活きているのかもしれない。
(・・・・・・うん)
剣を握っても気流は乱れないし、痛みや疲労も感じない。心も平穏そのもの。
あるのは静と動の極み、喜びだけだ。両親が授けてくれた力は、私の物になりつつある。
「師の剣と通じるやり辛さがある。言わば『隻眼の利と理合い』か。間合いが噛み合わん訳だ」
「・・・・・・そんなことを言われたのは初めてです」
「加えて体術の体捌き、流水の如き気功術・・・・・・よくぞその若さで辿り着いたものだ。が、少々荒いな。領域に至ってから、まだ日が浅いと見える」
僅かな攻防の合間に、私の剣を推し量っていたのだろう。
一太刀一太刀を確かめるように捌いては、見開かれたオーレリア将軍の目が私を追っていた。
手を抜かれている証拠でもある。分かってはいたが、地力の差は歴然だ。
「今宵ひと夜の仕合いとするには真に惜しい。そなた、名は何と申す」
「アヤ。アヤ・ウォーゼルといいます」
「よき名だな。剣は我流か?」
「シャンファ流二代目、お母さんと私の剣です」
言い終えると、オーレリア将軍は両刃の大剣を大きく振るってから、それを鞘に納めた。
一度抜いた剣を納刀する。その意図が分からずにいると、将軍は言った。
「アヤよ。我が下で剣を振るう気はないか。精進次第では、私をも凌ぐかもしれんぞ」
「・・・・・・理解しかねます。それに今後一切、軍へ属する気はありません」
「フム。ならばそなたはその力と流派を、何が為に揮う?よもや革新派の犬に成り下がるつもりではあるまいな」
胸の奥底がざわつき、感情が揺れ動くのを感じた。
落ち着け。心の乱れは不純物となり、気流を妨げる。
それに今の問いは、私の物でもある。少々気が引けるが、構わないだろう。
「逆に訊きます。あなた達は何の為に戦っているのですか」
「ほう。軍人が戦へ身を捧げることに、納得がいかんと申すか」
「答えになっていません。あなたはこの内戦に、疑問を抱いたことはありませんか」
「下らん。戦の正義とは勝者の裁き、いつの世も勝者の歴史だ」
「・・・・・・もう一度訊きます。何故あなたは、剣を振るっているのですか」
「よい、これ以上の問答は無用だ。我が剣を知りたければ、剣を以って知ればよかろう」
再び大剣の鞘が払われ、切っ先がゆっくりと私に向けられる。
聞く耳持たぬと言った様子で、オーレリア将軍は地を蹴り、上段から剣を振るった。
受けた途端、斬撃の爪痕が刻まれる音が、背後から聞こえた。
「っ・・・・・・!」
鍔迫り合いの状態になると、踏ん張りが利かず、両足が悲鳴を上げ始める。
身体を入れ替えるようにして右方へ踏み込み、大剣を捌きながら後方へ飛び退く。
距離が生まれたと思いきや、間髪入れずにおびただしい連撃が襲い掛かってくる。
サラ教官の剣よりも速く、重い。大剣を片手で振るう様は、かの光の剣匠を彷彿とさせた。
しかもこの人は両利きだ。間合いや呼吸が目まぐるしく変化し、翻弄されてしまう。
(・・・・・・綺麗)
力強く、それでいて優雅。身体に一本の芯が入っているかのように、揺れが無い。
これがオーレリア将軍の剣。何て気高く、綺麗な剣技なのだろう。
ともあれ、力量差は理解の上だ。正面からやり合って敵う相手ではない。
「ふう」
距離を見計らい、抜いていた月下美人を納刀する。先の仕返しだ。
突然の納刀に訝しんだ隙を突いて、無手からの徒手『飛燕』を放つ。
(徒手、一の舞)
踏み込みの勢いをそのままに、半回転しながら剣を腰に構える。
前傾姿勢の抜刀術から繋げる、『飛燕』二の型。
(一の舞、二の型)
連撃による二度の回転と、踏み込みからの―――三撃目。
お母さんが授けてくれた、一と五の舞の合わせ技。シャンファ流の絶技。
「連舞、『飛燕投月』!!」
オーレリア将軍の下へ飛来した2つの斬撃を、渾身の投擲術が追い駆ける。
技が交差するその刹那、将軍が上段へ構えていた剣の刀身が、光を帯び始めた。
ラウラが得意とする光の剣技と、同じ輝きを放っていた。
「やはり若い」
手刀撃と斬撃は、上段。剣圧を以って相殺されてしまう。
技の衝突で吹き荒れた風で目を開けていられなくなり、一瞬だけ視界が遮られる。
直後に聞こえてきた金属音。見上げると、月下美人は弧を描いて、宙を舞っていた。
岩をも砕く奥義を事も無げに払い上げる、か。人の域を超えてしまっているとしか思えない。
「自ら剣を手放すとはな。悪手だ」
徒手空拳。距離は六歩分。間合いの内。
無手となった私目掛けて、オーレリア将軍が踏み込んで来る。
―――ここだ。今の私なら、本家に届くかもしれない。
リーシャ。もう一度、技を借りるよ。
「・・・・・・月影の蝶達よ」
その神髄は『気配の封絶』と『神速の歩法』。
一度教官から返し技を受けたからこそ分かる。
この術技に隙が生じるとするなら、使用後の僅かな膠着にある。だったら、技を繋げばいい。
「っ!?」
眼前には外套に覆われた、完全に無防備な背中。
神速からの急停止と同時に、両足を始点として勁力を生む。
既に構えは完成している。一切の躊躇いを捨てて―――泰斗流を、打ち抜け。
「せぃああぁ!!!」
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私が放った左拳は、オーレリア将軍の外套を貫いた。
それだけだった。背中を打った手応えは無く、空を突いただけ。
せめて拳先だけでもと思っていたが、考えが甘すぎたようだ。
見れば、将軍は5アージュ程前方に立ちながら、身体を小刻みに震わせていた。
頬は紅潮し、呼吸は荒々しさ増しており、額へ纏わり付いた髪が艶やかに映っていた。
「フフ、ハハハ!!背後を取られるなど、いつ以来のことかっ・・・・・・このような昂りも久しく無かったぞ。機甲兵を駆っていては到底味わえぬ」
オーレリア将軍の高らかな笑い声が、深夜の帝都中央駅へ鳴り響く。
続いて首元の留め金を外し、袖を無造作に捲り上げると、周囲の兵士らが再び沸いた。
すると将軍は大剣の切っ先を下方へ向け、力任せに床へ突き立てた。
先程とは打って変わり、冷静さを取り戻した声が静かに耳へ入って来る。
「アヤ。先の問いに対する答え、理解できているな」
「・・・・・・はい。十分に」
「我ら軍人は戦場へ赴き、勲を立てることが全て。自軍へ勝利をもたらし、武勲を上げるのは至極当然のこと。その為の『力』だ。剣を振るうのではない、我らが剣なのだ」
剣筋から全てが伝わってきた。オーレリア将軍は生粋の軍人だ。
唯々純粋に、力を欲している。名声や名誉は近いかもしれないが、本質は違う。
己を高めるという一点に特化した意志。信念があるのだろう。
常々疑問だったのだ。領邦軍とは何だ。彼らは何の為に戦っている。
規律の乱れでは済まされない悪行が蔓延し、各地で州民の反感を買う始末。
結局クロイツェンは一時混乱を、ノルティアも今では中立を決め込んでいる。
分裂してしまったクロスベル警備隊にだって、互いに信念があった。
レジスタンス勢は、新政権の強引な手法を良しとしない意志。
国防軍には国の独立、二大国家の抑圧からの解放という正義。
だから私は、この人にこそ聞いてみたかった。
伯爵家の現当主でありながら、近衛騎馬隊に代表されるラマール州領邦軍の、実質的な指揮官。
彼女が振るう剣の先に、その目に何が映っているのかを。
「フム。随分と不満気だな」
「いいえ、理解はできます。ただ・・・・・・やっぱり、違うと思います」
軍人としては、やはり正しいのだろう。でもそれ以前に、1人の人間だ。
オーレリア将軍が語った立ち位置は、選択肢の1つに過ぎない。
この人は選んでいない。内戦を盾にして、力と武勲に固執しているだけだ。
戦果を上げる為なら、利用されることすらよしとする節さえ垣間見える。
真っ直ぐなのに、私の目には歪んで映ってしまう。
「軍は人です。人には意思がある。剣じゃありません」
「政治は全ての軍事に優先する。不用意な言動は慎んだらどうだ。そなたも士官候補生だろう」
「綺麗事を言わないで下さい。文民統制が崩れたからこその内戦でしょう」
「ならば何を求める。戦争の本質は力の行使だ、それを否定したいのか?」
「違います!あなたの、あなた達の意志は何処にあるのかと訊いているんです!」
「大概にするがよいっ・・・・・・そのような戯言に貸す耳は持ち合わせていない!!さあ、四の五の言わずに剣を抜け!!」
オーレリア将軍の声が響き渡り、全身から発せられた闘気が肌を焼いた。
その瞬間、私の胸元に潜んでいたユイが突如として飛び出し、鳴いた。
「え―――」
愛くるしい鳴き声は重々しい雄叫びに豹変し、拳大の体躯が一気に巨大化した。
10アージュを越える体高は頭上を叩き、肢先の鋭い爪が石造りの床へ突き立てられる。
一部の天井が崩れ落ち、柱の一本が破壊され、音を立てて転倒する。
すると茫然とその様を見詰めていた兵士らが狼狽し、声を上げ始めた。
「な、なな、なっ!?」
「げ、幻獣!?」
駄目だ。こんな場所でユイが暴れたら、犠牲者が出る。
それに私はまだ、何も示していない。応えてもいない。
私はユイの顔を見上げながら、腹の底から声を振り絞った。
「ユイ、駄目!元に戻って!」
『無茶なの。もう止めた方がいいの』
「いいから戻りなさいっ!!」
怒鳴り声を上げると、ユイの全身がビクリと強張り、再び夜の静寂が訪れる。
しんと静まり返った構内の中に、鳥の小さな小さな鳴き声だけが溶け込んでいく。
ユイは感情の色を浮かべて、私の右腕で羽を休め始めた。
ユイなりに眼前の脅威を肌で感じ、危機感を抱いたのだろう。
私は今、それ程の使い手と対峙しているということだ。
「怒鳴ってごめんね。守ろうとしてくれたんだよね」
『・・・・・・まだ、やるの?』
「うん。もう少し、頑張らせて」
『勝てる相手とは思えないの』
「分かってる。でも今は、退きたくない」
私はユイが胸元へ戻ったのを確認してから、床に横たわっていた月下美人を拾い上げた。
若干熱を帯びているのは、オーレリア将軍の光剣を受けたことが原因だろう。
再び剣を構えて立つと、将軍はハッとした表情を浮かべながら言った。
「獣の聖女・・・・・・そうか。そなたも裏を持つ人間であったか」
「裏?」
「よい、詮無いことだ」
オーレリア将軍はユイの存在に触れようともせず、突き立てていた大剣を抜く。
横薙ぎに剣が振るわれると、立ち込めていた石埃が四散し、視界が明瞭になる。
「さあ、続きだ」
私との立ち合いにしか目が向いていないのだろう。
光栄の至りだ。そう思い身構えようとしたところで、不意に背中を押された。
「っとと」
思わず前のめりになり、姿勢を崩してしまう。
振り返らずとも、伝わってくる体温で、彼と背中合わせになっていることが分かった。
すごい汗の量だ。それに呼吸も荒い。手痛い反撃を受けているに違いない。
「そっちはどう?」
「厳しいな。手を抜かれているから余計に苛立たしい」
「じゃあ、どうする?」
「頼む。まだやらせてくれ」
「・・・・・・うん。頑張って」
「ああ。君もな」
顔は見ないでおいてあげよう。
見なくても分かるし、こんな風に感情を剥き出しにするガイウスは新鮮だ。
何が彼を突き動かしているのか、それは後々話をすればいい。
「・・・・・・失念していた。そなたが剣を振るう理由、返答を聞いていなかったな」
ユイという後ろ盾は意識の外に放り出せ。
地力の差も理解している。オーレリア将軍は、私の手が届かない域に立っている。
だからこの立ち合いは、意地の張り合い。
私の誇りと意志、信念の問題だ。力が及ばなくても構わない。
紅き翼を駆る者の1人として。支える籠手の紋章を背負う人間として。
絶対に、退く訳にはいかない。
「私の剣が知りたければ、私の剣に聞いて下さい」
次話より12月30日、遂に終章へ突入です。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。