12月30日 仮初の帰還
12月30日、午後12時42分。
トリスタ解放作戦が決行され、リィンらが士官学院の敷地内に踏み入った頃。
艦長代理不在のカレイジャスは、巡航速度を遥かに上回る速さで、トリスタ西の空を駆けていた。
艦内には張り詰めた緊張感が漂い、とりわけ艦橋は緊迫した空気に包まれ始めていた。
「サラ教官、状況は?」
額に汗を浮かべたジョルジュが、艦長席の後部で腕を組むサラに声を掛ける。
サラは振り返ることなく、落ち着き払った様子で詳細を並べた。
「トリスタの西端から70セルジュ、数は4体。装甲車が2台。機種は今照合中よ」
「サラ教官、照合結果が出ました」
サラが答えた直後、クルーの1人であるヴィヴィが続いた。
サラとは違い、ヴィヴィの声は動揺を隠し切れておらず、震えていた。
「ドラッケン量産機2体、シュピーゲル同機1体、残り1体は未特定ですけど・・・・・・最も近いのは、リィン君が作戦開始直後に交戦した、大型の機甲兵です」
「十中八九、同型機でしょうね」
機甲兵が4体。うち1体が動く巨砦、ゴライアス量産機。
ジョルジュは誰にも聞こえない程度の小さな舌打ちをした後、レーダー上の機影を睨む。
増援を想定していなかった訳ではなかった。
一度は帝都方面へ退いた軍勢が新手を率い、再び牙を向く可能性は十分に考えられた。
そもそもカレイジャスの機動力は、戦車をはじめとする兵力を伴ってこそ真価を発揮する。
空からの奇襲が功を奏しても、こちらの戦力を考えれば油断は禁物だった。
だからこそ西側の動きに注視していたのだが、余りにも反撃が早過ぎた。
しかも相手はあのゴライアス。空対地の兵装に乏しいカレイジャスとは真逆の、歩く要塞だ。
「地上班との連絡はまだ取れないのかい?」
ジョルジュは内外の通信を担うリンデの背中を見詰めた。
「導力波は届いている筈なんですけど・・・・・・応答がありません」
「交戦中なのかもしれないわね。この際誰でもいいわ、引き続き通信を試みて」
「は、はい」
サラは考え込むような仕草を見せた後、右手に立つジョルジュをちらと見る。
試すような口振りで、静かに言った。
「この状況、あたし達はどう動くべきかしら」
「・・・・・・そうですね」
ジョルジュは大きく深呼吸をしてから考える。
距離と速度から考えて、10分も経たないうちに敵勢はトリスタへ到達する。
攻勢に打って出れば、ある程度の足止めは可能だ。だが無力化することは困難極まりない。
手立ては限られている。4体の機甲兵に立ち向かえるとしたら―――騎神しかいない。
なら、時間が無い。こんな状況では、あちらも手段を選んでいる余裕は無いだろう。
手を拱いていたら街中が戦火に包まれる可能性だってあるし、更に新手を呼ばれたら終わりだ。
「情けない限りですが、リィン君を頼るしかないと思います。先手を打って街道上で交戦すべきかと。トリスタの街を戦場にするよりは余程マシです」
「同感ね。リィンにはどうやって伝えるの?」
「士官学院上空へ飛んで、直接状況を伝えましょう。外部スピーカーを使います」
「そう。なら君が指示を下しなさい」
「え?」
サラはジョルジュの大きな背中を、右手の掌で叩く。
「トワからこの艦を任されたのは君達でしょう。あたしじゃないわ」
「・・・・・・分かりました」
ジョルジュが一歩前に踏み出し、艦橋の士官候補生らを見下ろす。
途端に胸の鼓動が高鳴り、得体の知れない緊張感が全身を縛り付けてくる。
艦長代理としての重圧。分かっていたつもりでも、一度背負わなければ実感はできない。
単純な指示を告げようとするだけで、紅き翼の行く末を左右するような感覚にとらわれる。
事実、トワはそれを乗り越えた。想像を絶する覚悟を以って、託された艦長帽を被っていた。
(・・・・・・すごいな、トワは)
いずれにせよ、今は自分が背負う番。
たとえ解放作戦が失敗に繋がりかねないとしても、この判断の是非は自分の物だ。
決意を胸に、ジョルジュは俯き掛けていた顔を上げ、胸を張って言った。
「針路変更、目的地はトールズ士官学院。ホバリング飛行に移行しながら―――」
「あれれ?」
ジョルジュの声が、場にそぐわない少々抜けた声で遮られる。
声の主は、機関士席に座っていたミントだった。
「ミント君、どうしたんだい?」
「えーと、機甲兵の動きが止まっちゃいました。4体とも」
「止まった?」
「うん、ほら」
前方のスクリーンへ、ミントが見ていた導力波レーダーが映し出される。
彼女が言ったように、4体の機甲兵は街道上で前進を止め、動いていなかった。
かと思いきや、4つの大きな光点のうち1つが―――突然、消えた。消滅してしまった。
「な、何だ?」
「導力波反応ロスト。んー、レーダーに異常は無い筈だよ」
目の前の不可解な現象に、皆が一斉に疑問符を浮かべ出す。
次に声を上げたのは、先程から通信を試み続けていたリンデだった。
「ジョルジュ先輩、地上から音声通信が入りました」
「おっと、朗報だね。相手は?」
「今繋げます。これは・・・・・・え?」
リンデは口をパクつかせながら、ディスプレイ上に浮かんだ男性の名を見詰めた。
士官候補生が使うARCUSの情報は、カレイジャスのデータベースに登録されている。
通信が入れば、それが誰の物からかが一目で分かる。だからリンデは、声を失った。
『リンデか。久し振りだな』
「が・・・・・・ガイウス君!?」
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コクピット内に響き渡る複数のアラート音。
眼前のモニターが損害報告のウィンドウで埋め尽くされ、気を取られる。
右腕部損傷、左腕部大破、計器異常。情報が多過ぎて、処理が追いつかない。
報告をキャンセルしても、すぐに新たなそれが舞い込んでくる。アラート音は鳴り止まない。
力の限りモニターを叩き割りたい衝動に駆られては、踏み止まる。悪夢のような現実。
幻獣を相手取った経験はあった。
唐突に出没する巨大な魔獣討伐は、今となっては大して珍しくも無い。
不可思議な術に苦戦を強いられることはあっても、数と機動力で何度も勝利を収めてきた。
ただ、今回ばかりは違った。全てが違っていた。
「はぁ、はぁっ・・・・・・」
光学センサーは何も捉えない。
目で追うという操縦者の動作が機甲兵へ伝わる僅かな間に、敵は姿を消してしまう。
急停止と急突進。導力波レーダーに映る敵影は、常軌を逸した速度で縦横無尽に動き回る。
前触れ無く飛来する光弾は、ゴライアスの両腕を破壊し、肩部の兵装を無力化していた。
訳が分からない。あの幻獣は何だ。自分は今何をされている。
耳障りなアラート音が、より一層に恐怖を駆り立てる。
(く、来る)
弧を描くように動いていた敵影が、一気に距離を詰めてくる。
すかさず左肩の機銃だけを同方角に向けてトリガーを絞り、駄目元の乱射で応じる。
もう何度も繰り返してきた攻防だった。銃弾は敵を捉えず、こちらの損傷だけが増えていく。
「ぐっ・・・・・・ん?」
光学センサーで敵の姿を追おうとすると、眼前のモニターに大きな影が映る。
影はモニターの左側、約3分の1程度を覆っており、その部分だけが真っ黒に染まっていた。
主センサーを担う頭部を、何かが遮っている。泥でも被ったのだろうか。
そう考え、左肩部の副センサーへ切り替えてから、自機の頭部を確認する。
「・・・・・・は?」
白と緑を基調とした薄手の衣装。耳元で輝く青の耳飾り。
風になびく黒髪の隙間から、革製の眼帯と鉢がねが見え隠れをする。
一見して細身に映る四肢からは、溢れんばかりの光が漏れ出ていた。
「な―――」
陽の光に照らされた刀剣は、ゴライアスの頭部目掛けて、振り下ろされた。
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午後13時11分。トールズ士官学院は、沸いていた。
手を取り合って、胸を弾ませる者。
久しく無かった高揚感に、とびきりの笑顔を浮かべる者。
目元に涙を溜めて、澄み切った冬空を仰ぐ者。
溢れ出る希望に身を任せ、走り回る者。
内戦という現実から目を逸らせるまでには至らない。
十分だった。たとえ仮初の、一時の物だとしても。
一瞬が永遠のように思える、光に充ちた世界。
その永遠がやはり一時に過ぎないと気付くまでの時間を、誰もが噛み締めていた。
「・・・・・・何だ、あれは」
パトリック・T・ハイアームズは、呆け顔で上空を見上げていた。
視線の先には、巨大な四肢と翼。蒼白の体毛と、その身に纏う光。
地上へ接近するにつれて、目を疑うような全貌が徐々に露わとなっていく。
背の上には、かつて自らが蛮族と罵った男女の姿があった。
「ハッハッハ!君にも幾度となく話しただろう、あれこそがアヤ君に従える馬だよ」
快濶な笑い声を上げたのは、ランベルト・マッハ。
ランベルトがパトリックの左肩をポンと叩くと、怪訝な声でパトリックが答える。
「聞き及んではいましたが、馬には見えません」
「些末な違いさ。しかし見事な毛並だ。馬体も以前目にした時より若々しい」
まことしやかに流れる噂は、パトリックの耳にも届いていた。
曰く、蒼の騎士を模した人形兵器を駆る士官候補生。灰の騎士。
曰く、巨狼の背に跨り各地に出没する士官候補生。獣の聖女。
情勢に変化が訪れる度に、付随して舞い込んでくる流言の数々。
「・・・・・・フフ」
「ん、どうしたのかね?」
「いえ、詮無いことです」
込み上げる笑いを、パトリックは抑えることができなかった。
自分が特別な存在だと自覚したのは、いつのことだったか。
当たり前の前提は、今も変わらずに在り続けている。何も変わってはいない。
彼は彼で、彼女は彼女。自分は、自分だ。
「シュバルツァーも、ウォーゼルも・・・・・・癪に障る奴らだ」
身体を空に向けて大きく伸ばし、周囲を見渡す。
少々強めの風が吹き、火照った顔から熱が奪われていく。
憑き物が落ちたかのように肩が軽く、辺りに広がる綺麗な世界が、眩しかった。
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「よっと」
ユイが小鳥へと身を縮める瞬間に飛び上がり、地上へと着地する。
ガイウスも私に続いた。お互い一連の動作に大分慣れつつあるようだ。
一方のユイはよろよろと歪な軌道を描きながら私の手の上に下り立ち、力無い声を漏らした。
『も、もう限界なの。ゆっくり寝かせて欲しいの』
「お疲れ様、ユイ。もう眠ってていいよ」
『了解、なの』
それを最後に、ユイはすぐさま寝息を立て始める。
私はそっとユイを上着の中に寝かせてから、顔を上げた。
「少々出遅れたようだな」
「あはは。まあ仕方ないよ」
沸き上がる歓声と、ユイを起因としたどよめき。
このトリスタで何があったのかは、想像するに容易い。
カレイジャスからも一報が入っていたし、周囲の様子を窺えば聞くまでもない。
(何だろう、この感じ)
しかし不思議なことに、その実感が一向に沸いて来ない。
ずっと待ち望んでいた瞬間が訪れてくれたというのに、感情が追い付かない。
どうしてだろう。素直にこの喜びを受け入れても、いい筈なのに。
ともあれ、今は置いておくとしよう。きっと時間の問題だ。
「漸く、帰って来れたね」
「・・・・・・ああ」
たったの2ヶ月足らず。ひどく昔のことのように思えてくる。
もう何度あの扉を通り、階段を上り、皆が待つ教室を目指し歩いただろう。
そして今も変わらずに、皆がいた。大切な仲間達が、欠かさずに立ってくれていた。
リィン、マキアス、アリサ、エリオット、フィー、ミリア―――
「とりゃー!!」
「ぶはっ!?」
―――ムの弾丸タックルが、ユミルでの再会と同じくして、私を容赦無く襲った。
勢いで押し倒され、背中から地面へ叩きつけられ、頭に鈍い痛みが走る。
咄嗟に後頭部を手で触れて確認したが、血は出ていないみたいだ。
「っ・・・・・・いや、痛いから。本当に痛いってば」
「あはは!さっすがアヤ、帰って早々の大活躍だね!」
「あ、ありがと。ほら、苦しいからどいてよ」
「あれれ、髪切ったの?今の髪型もすっごく似合ってるよ!」
髪を切ったのは事実だった。
アイオーンとの死闘を乗り越えた私の髪先は、熱やら何やらで無残な有り様だった。
翌日にガイウスが整えてくれたのだが、今そんな話は至極どうでもいい。
無邪気に燥ぐミリアムを落ち着かせ、ガイウスの手を借りて起き上がる。
眼前には一様に、同じ表情が並んでいた。口火を切ったのは、マキアスとアリサだった。
「参ったな。何というか・・・・・・言葉が見つからない」
「フフ、そうね。でもまずは、2人に言ってあげないと」
アリサの右手が、リィンの背中をそっと押す。
リィンは少しの照れも浮かべずに、混じりっ気の無い笑顔を以って、迎えてくれた。
「おかえり、ガイウス。それにアヤ。今日という日に2人が来てくれて、本当に良かった」
「遅くなってすまなかった。いい風が吹いてくれたようだな」
「ただいま、みんな。その、驚かせちゃってごめんね」
私が言うやいなや、数人の視線が交差し、含みのある笑みが浮かんだ。
首を傾げていると、エリオットがその真意を教えてくれた。
「その様子だと、まだ知らないみたいだね」
「知らないって、何が?」
「号外だよ。僕達が知ったのも、作戦決行の直前だったんだ」
日付は今日。12月30日付の帝国時報、号外新聞。
記事は帝都ヘイムダル中央駅で発生した、一連の事件について触れていた。
昨晩の深夜帯、2人の賊が帝都中央駅へ不法侵入。
賊は巨大な幻獣と共に駅構内で破壊活動を行った末に、姿を眩ました。
賊の1人については各地で度々出没していた『獣の聖女』と見て、調査を進めている。
大まかにはそのような内容だったそうだ。
「成程な。確かに俺達のことだ」
「あ、あはは」
どう考えても、私達を指した記事だった。皆にとっても丸分かりだったのだろう。
それに駅の一部を壊してしまったのは事実だし、逆賊扱いされても言い訳のしようがない。
ガイウスと困り顔を浮かべていると、エマが躊躇いがちに尋ねてくる。
「アヤさん。その、先程のは・・・・・・ラン様、ではありませんよね」
「うん。その話は後でするよ。ごめんね」
私とエマのやり取りの後、少々気まずい空気が流れ始める。
ユイを抜きにしても、聞きたいことは山積りに違いない。
(・・・・・・何から話せばいいんだろ)
深夜の立ち合いで死力を尽くした私達は、ユイと共に帝都を離脱した。
向かった先は、決行前夜に潜伏していた帝都最寄りの隠れ家。
隠れ家の管理人は私達を匿うと同時に、レクター大尉直筆の置手紙を託してくれた。
私達の行動と選択を、大尉が何処まで見通していたかは定かではない。
少なくとも隠れ家へ置手紙を残した以上、ほぼほぼは見透かされていたのだろう。
手紙には、明日からお互いに別行動を取ること。労いと感謝の言葉。
そしてカレイジャスによる『トリスタ解放作戦』が間近に控えている旨が記されていた。
いたのだが―――力を絞り尽くした私達は、手紙に目を通した直後、意思に反して意識を失った。
全てを遮断された濃密な眠りは、今日の11時50分頃まで続いた。要するに、そういうことだ。
(ガイウス、寝過ごして出遅れたってことは黙ってよう)
(今更隠す必要は無いんじゃないか。お互いに自業自得だろう)
(余計なことは話したくないんだってば)
今のところ、私達は援軍の侵攻を阻止したという形になっている。
事実そうなのだが、偶然以外の何物でもない。見栄を張っても罰は当たらない。
今日という失態から生まれた功績は墓場まで持って行こう。
「帝国に戻って来たのは2日前だ。昨日まで情報局のレクター大尉と行動を共にしていた」
「レクター?レクターが帰って来てるの?」
「ああ。今は別行動を取っている。居場所は分からないがな」
突然飛び出したレクター大尉の名に、皆の怪訝な色が益々濃くなっていく。
「ぶっちゃけ、今まで何してたの?今日の解放作戦についても知ってたっぽいし。まあ、おかげで助かったけど」
「クロスベルに現れた大樹についてもだ。知らぬ存ぜぬでは通らんぞ」
「わ、分かってるよ」
フィーの真っ直ぐな疑問と、ユーシスの高圧的な物言いが私達を射抜いた。
分かってはいたが、現段階では何も準備をしていないし、事の経緯がややこし過ぎる。
しかし理解して貰う為には、やはり話をしなければならない。
それに私達だけの問題に留まらない重要な情報を、私達は握っている。
「トワ会長、お久し振りです」
「おかえりなさいアヤさん、ガイウス君。無事に帰って来れたんだね」
皆の後方で微笑みながら立っていたトワ会長に声を掛けると、一歩前に歩み出てくる。
ジョルジュ先輩から話は聞いていたが、今回ばかりは艦長席を離れていたようだ。
トワ会長の隣には、アンゼリカ先輩の姿もあった。
「アンゼリカ先輩・・・・・・ごめんなさい。手甲、壊しちゃいました」
「構わないよ。役立ててくれて何よりさ。元々君に譲ろうと考えていた物だからね」
ヒビが入った手甲をそっと撫でてから、トワ会長へ向き直る。
ガイウスの顔をちらと見ると、首を縦に振って応えてくれた。
「トワ会長、大切な話が―――」
―――もう何度目か分からない、ARCUSの着信音による横槍。
胸の内で通信相手を予想してからディスプレイを見ると、案の定、間違いではなかった。
通信キーを押し、向こうが話すよりも前に、努めて冷静な声で言った。
「おかげ様でみんなと合流できました。ありがとうございます」
『おっと、どんな風の吹き回しだ?一言目から怒鳴り散らすと思っていたんだがな』
「怒鳴っても仕方ないし、大尉が言った『貴重な体験』ができたので」
『クク、そうかよ。そっちは一段落ついたみたいだな』
「はい。今からカレイジャスに向かいます。それでいいですか?」
『察しが良い奴は好きだぜ。今から30分後に正規軍側から通信が入る。用意しとけよ』
「了解です。じゃあ、30分後に」
通信を切り、ARCUSを閉じた時点でジャスト1分間。上出来だ。
呆けた顔で一連のやり取りを見ていた皆に、コホンと咳払いをしてから言った。
「とりあえず、カレイジャスに行こう。詳しい話は道中で話すよ」
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レクター大尉との帝国入り。各所での情報収集と、帝都潜入の意図。
クロスベルを後にしてからの経緯は、道すがらにガイウスと代わる代わる説明した。
しかしクロスベルについては話が別だ。
クロスベルの異変や動乱の裏に結社の暗躍があることは、既に私からユミルで明かしている。
それでも、遥か東の空に聳え立った碧の大樹の正体と真実は、話しようがなかった。
だから私は、たった1人。
受け止めてくれるであろう恩師にだけ、見聞きした全てを伝えた。
「・・・・・・徒事ではないと思っていたけど、想像以上ね」
一連の話を聞き終えたサラ教官は、頭を抱えて大きな溜め息を付いた。
碧の大樹。零の至宝の完成形。
時の流れを変え、森羅万象の有無を操り、認識や記憶を掌握する。過去に触れ、今を改変する。
ユイの言葉を借りれば、何でも有り。不可能なことが見当たらない。
リベールの異変を知る教官でも、俄かには信じ難い真実なのだろう。
「今の話、どれぐらいの人間が把握しているのかしら」
「クロスベルでも一部の人間だけだと思います」
「帝国には?」
「情報局のレクター大尉は、ある程度察しているかと」
サラ教官は艦橋に繋がる扉をじっと見詰めた後、声を潜めて言った。
「皆には伏せておきなさい。無用な混乱を招くだけだわ」
「はい」
私も同感だ。悪戯に不安を煽るよりは、言葉を濁す方が適正な判断のように思えた。
それに結社が絡んでいる以上、ある程度の事情を把握している私でも、真相は分からないのだ。
そう。真相は分からないまま。
でも言い知れない不安だけは、私の中で膨らみつつあった。
「アヤ?」
「その・・・・・・クロスベルと帝国は、同じ道のりを辿っているような気がするんです」
クロスベル新政権の強引な手法の裏には、結社という後ろ盾があった。
そして結社の思惑は、碧の大樹の顕現。クロスベルの行く末など、二の次以下だったに違いない。
前者が表なら、後者は裏と言っていい。
帝国も同じだ。貴族連合側には結社の息が掛かっている。
なら、その先は。クロスベル同様、この国には何かが起こる。
想像の範疇に収まらない何かが、内戦の水面下で進行している。そう思えてならなかった。
「サラ教官は、どう―――むぐっ?」
突然目の前が真っ暗になり、息苦しさを覚える。
気付いた時には、私の頭部はサラ教官の胸に抱かれていた。
「さ、サラ教官?」
「そういうのはあたし達の仕事よ。あなたが考えることじゃないわ」
「で、でも」
「余計なことは考えず、目の前のことに集中しなさい。それに折角帰って来れたのよ。大切な物の1つを、取り戻したばかりじゃない。少しぐらい肩の荷を下ろしてもいいと思うけど?」
サラ教官は私の後ろ頭を優しく叩きながら、耳元で囁いてくる。
この人の体温も久しぶりだ。温かくて心地の良い、包容力。
豊満な胸に頭を埋め、静かな鼓動音に耳を傾ける。
(・・・・・・何でだろ)
本当に、どうしてなのだろう。
胸の奥底から込み上げてくる、安堵ではない何か。
士官学院へ降り立った際にも抱いた、現実感の無さ。
私は帰って来た。漸く取り戻せた物が、周囲に溢れ返っている。
《Ⅶ組》の仲間達。ランベルト先輩、ドリーさんにフレッドさん、ミヒュトさん。
沢山話がしたい。会いたい人間はいくらでもいる。
なのに何故―――私はこうも、戸惑いを覚えてしまうのだろう。
「さてと。そろそろ時間ね」
「・・・・・・そうですね」
動揺を悟られないよう平然を装い、身体を離す。
笑顔を向けてから、私は艦橋を目指して歩を進めた。
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レクター大尉との通信からきっかり30分後。
艦橋ではリンデが目まぐるしくパネルを操作しては、音声と映像の確認を繰り返していた。
何せ5人を相手にした映像付きの音声通信だ。ノイズが入らないようきりきり舞いなのだろう。
「わ、私達が帝都解放のお手伝い、ですか?」
『ルーレ、バリアハートが沈黙し、既に足場は整った。年をまたいでは戦況が長引く可能性もあろう』
『帝国西部は未だ厳しい状況だが・・・・・・ノルティアとクロイツェンの領邦軍が誓約通り不干渉を貫くならば、乾坤一擲が叶うかもしれぬ』
クレイグ中将とゼクス中将から告げられた内容は、私の想像を超えることはなかった。
今現在の帝国東部の状勢を考えれば、またとない好機と言っていい状況にあることは確かだ。
だからこそレクター大尉は、最後の一押しとなる鍵を求め、昨晩の潜入に踏み切った。
鍵を手に入れた以上、もう手を拱いている必要は何処にも無い。
正規軍の将軍らが意気込む一方で、私を含めた皆の戸惑いが、艦橋に満ちていた。
視線は自然と、リィンの背中に集まった。応えるように、リィンは口を開く。
「以前お話したように、俺達は内戦に・・・・・・」
―――内戦に。どういう訳か、その先の言葉が一向に出てくる気配が無かった。
左方に立っていたラウラが、リィンの顔を覗き込む。
「リィン?」
「いや・・・・・・そうだな。俺達は、内戦その物に介入するつもりはありません。士官候補生として、為すべき使命を果たすだけです」
ユミルでの会合、そしてこの紅き翼を託された際に、皆で確認し合った大前提と意志。
この期に及んで躊躇う理由は何処にも見当たらない。筈なのに、この感覚は何だろう。
(リィン・・・・・・)
何となく、ではあるが。リィンの胸中が、理解できるような気がしてならなかった。
曖昧な感情が表に出ないよう抑えていると、ナイトハルト教官がリィンに答える。
『無論、お前達はそれで構わん。カレイジャスには、とある場所の解放を任せたい』
『ガイウスとアヤから聞いてると思うが、それがカレル離宮って訳だ、士官候補生諸君』
レクター大尉の声が聞こえた瞬間、全てが繋がった。
カレイジャスに協力を願い出た理由。紅き翼の大義名分に沿う、皇帝陛下の解放。
事の詳細はクレア大尉が説明してくれた。
カレル離宮は近衛軍の部隊によって、厳戒態勢が敷かれている。
だが領邦軍は対空の備えに薄い。というより、元々が対空戦を想定していないと言っていい。
百日戦役を境にして導入が進められた対航空戦術は、そのほとんどが正規軍側の物。
機甲兵部隊を別とするなら、これまでと同様に、空からの急襲は十分に勝機を見込める。
『現段階では解放作戦の段取りは詰め切れていませんが、共和国が動き始めてからでは手遅れになります。作戦の決行は明日の正午を予定しています』
「ちょっと待って」
クレア大尉の声に反応したのは、サラ教官だった。
「時間が無いのは分かるわ。でも共和国が動き始めるって、どういう意味?」
『ああ、言ってなかったな。あの馬鹿デカい樹・・・・・・碧の大樹が、消滅した』
レクター大尉の声を、脳裏で反芻する。
碧の大樹が、消滅した。あの大樹が―――消えた。
「れ、レクター大尉!?」
思わず声を荒げてしまい、皆の視線が私へ向いた。
『今から約4時間前だ。嘘は言ってない、確かな情報だぜ』
「じゃあ、みんなは!?キーアちゃんはっ・・・・・・クロスベルはどうなったんですか!?」
『落ち着けっての。俺も全部を把握してる訳じゃない』
逸る気持ちを抑え、息を飲んでレクター大尉の声に耳を傾ける。
碧の大樹は跡形も無く消滅。正当性を疑われたディーター大統領は正式に逮捕。
多少の混乱はあったものの、事態は徐々に収束へ向かっている。
結社の動向は定かではないが、現時点では目立った動きは見られないそうだ。
「アヤ君」
「え?」
不意に、左肩に何かが触れた。
肩に置かれた右手の先には、見慣れた丸眼鏡。
トマス教官は私の耳元で、呟くように言った。
「安心なさい。みんなご無事のようですよ」
「そ、それって」
「って、知り合いが言っていました。はて、誰のことやら?」
「あっ・・・・・・」
膝が折れ立っていられなくなり、ずるずると床に腰を下ろしてしまう。
任せてくれだなんて言われても、ずっと心の何処かで考えていた。
私を仲間と呼んでくれた仲間が、今もクロスベルにいる。
エリィさん、ティオちゃん、ランディさん、ノエル、リーシャ―――ロイド。
(よかったっ・・・・・・本当に、よかった)
目元に浮かんだ涙を拭い、深呼吸を置く。
泣いている場合じゃない。ここで泣きっ面を皆に見せても、戸惑いを生むだけだ。
次は私達の番だろう。そう己に言い聞かせ、しっかりと自分の足で立ち上がる。
「大丈夫か、アヤ」
「うん。ちょっと感極まっただけ」
ガイウスに、皆に作り笑いを見せ、平然と立ち振る舞う。
先程間近にいた筈のトマス教官は、知らぬ間に遥か後方に立っていた。
また『何か』をしたのだろうか。考えても仕方ない、今は目の前のことに集中しよう。
スクリーンへ視線を戻すと、クレイグ中将が厳かな声で言った。
『経緯はどうあれ、クロスベルの『脅威』は去った。だが皮肉なことに、これでいよいよ時間が無くなってしまったのだ』
(あれ?)
胸一杯に広がっていた安堵が、急速に立ち消えて行くような感覚に陥る。
熱がこもっていた筈の身体が冷え、頭が冷静さを取り戻していく。
―――共和国も現在、経済恐慌とテロで混乱している状況ですが、クロスベルという獲物を前にして、態勢を立て直すのは間違いありません。
クロスベルという、獲物?
―――ガレリア要塞無き今、共和国にクロスベルを奪われたら、いつそこを足場に帝国への侵攻が開始されるとも限らない。
奪われる?足場?
―――その意味では、可及的速やかに内戦を終結させる必要があるだろう。それが我々の、急ぐ理由だ。
ああ、だからか。
私を苛む物の正体が、分かった気がする。
また私は、遠い場所に立っている。
クロスベル問題についてユーシスと言い合った時も。
クロスベル市復興支援の際、帝国民という身分を伏せた時も。
クレア大尉に列車砲発射の是非をぶつけた時も。
3日前、レクター大尉とレストランで話をした時もそう。
私は皆とは違う場所に立っている。深くて暗い、隔たりがある。
こんな近くにいるのに―――いつだって私は、独りぼっちになる。
「待って下さい」
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アリサの声を皮切りにして、艦橋がしんと静まり返る。
知らぬ間に私の左手は、アリサの柔らかな右手に包み込まれていた。
周囲から注がれた視線に物怖じもせず、アリサの明瞭な声が眼前のモニターへ向けられた。
「アヤを含め、士官学院にはクロスベルと所縁を持つ人間が複数人います。仰っている内容は理解できますが、もう少しご配慮頂けないものでしょうか」
アリサが並べてくれた言葉がとても温かく、それでいて鋭く胸に突き刺さる。
顔を上げることができないでいると、レクター大尉の声が、私へと向いた。
『アヤ。1つ忠告しておくぜ』
「はい」
『お前さんがクロスベルで掲げた正義を、俺は確かに聞いた』
「はい」
『俺がクロスベルで言ったことも、覚えてるな』
「・・・・・・はい」
それ以上を、レクター大尉は語ろうとはしなかった。