「アルスター?」
「ええ、そうよ。そろそろ見えてくる頃合いだと思うわ」
馬車を引く馬の背に跨りながら、車内に座るモリゼーさんの声に耳を傾ける。
私とランが精霊の道を介して辿り着いた先は、元の場所から更に北部にある地域。
アルスターと呼ばれる人里に程近い、鉄路も通らない辺境の地だった。
「小さな街だけど、内戦の影響も少ないし、雰囲気の良い所だと思うわよ。私は以前にも来たことがあるのよね」
「そうだったんですか・・・・・・あっ、見えてきましたね」
遠目にだが、そのアルスターの街並みを視認することができた。
小さな街とモリゼーさんは言っていたが、それなりの規模はあるようだ。
一見した印象としては、ケルディックが一番近いかもしれない。
木造建築を基調としているようで、右手には大きな風車も確認できた。
「さーてと。着いたらまずはお昼ご飯にしましょ。助けてくれたお礼ぐらいさせてよね」
「いえそんな、お構いなく。それに私、食べる量がすごいんで」
「大丈夫だってば。こんな状況だけど、割と懐は暖かいのよ」
モリゼーさんが帝国時報を読みながら、ポンポンと腰の辺りを叩いて言った。
ケルディック出身、行商人モリゼーさん。
彼女の職業やこの地を訪れた経緯については、道中に掻い摘んで話してくれた。
元々は大市を活動拠点としていたモリゼーさんは、先月の初旬、行商を生業にしたそうだ。
理由は2つ。1つ目は、クロイツェン州の度重なる税収にあった。
内戦を境にして引き上げられた税率は、そのまま州民の生活苦に繋がった。
消費は見る見るうちに減少し、農家では領邦軍による徴発を受ける事態にまで陥った。
ケルディックも例外ではなく、常に賑わいを見せていた大市も、日に日に縮小していった。
様々な要因が相互に干渉し合い、収入は減る一方。
このままではいけない。そう考え、ケルディックを飛び出した。
話を聞く限り、ケルディックを離れた商人は少なくないのだろう。
そして2つ目が、物流の停滞だ。
鉄道網が麻痺してしまっている現在、帝国では各地で物流が滞ってしまっていた。
そうでなくとも、各地で2つの軍事力が衝突しているような状況だ。
一方でその分、生活必需品を初めとした物資は、高値で取引きされていた。
後方にある馬車の中にも、日用雑貨や日持ちする食材の類が詰め込まれていた。
「友人のツテで、アルスターの農家を紹介してもらってね。今日はその買い付けに来たの。ついでに現地で色々と捌こうと思って、遥々馬車を引いてきたってわけ」
「馬車の中身は商品だったんですね。結構な量がありますけど、全部そうなんですか?」
「運べば運んだ分だけ、飛ぶように売れるのよ。どこも物資が不足してる影響じゃないかな」
察するにモリゼーさんは、商人としては優秀な人なのだろう。
内戦の勃発に合わせていち早く行商人に身を転じ、各地を飛び回る。
格安とはいえ、この馬車も道中に現金で購入したそうだ。決断力と行動力の程が窺えた。
でも―――多分この人は、肝心な所が抜けているタイプの人なのかもしれない。
ロクに馬を扱えない身でありながら、馬車を現金で買う。
この時点で、何を考えていたのかさっぱり理解できない。
天才と何とかは紙一重、というやつだろうか。私が通り掛かって本当に良かった。
そんなこんなで、私はモリゼーさんに誘われ、最寄のアルスターを訪ねることになった。
予定が大幅に狂ってしまったが、今は誘いに乗るしか道が残されていない。
今後のことを考えるにしても、まずは落ち着いて身を置ける場所が欲しかった。
「あっ。あったあった!アヤちゃん、これこれ」
「っとと・・・・・・何ですか?」
後方に振り返ると、モリゼーさんが帝国時報のとある記事を指し示していた。
一旦馬の脚を止めて後ろ手に右腕を伸ばし、帝国時報を受け取る。
日付は11月末。表題には『指名手配犯の情報求む』と記されていた。
「謀反の疑われる鉄道憲兵隊などの正規軍将校、旧革新派政治家やその協力者、一部学生などが・・・・・・は?」
思わず目を瞬き、気を取り直してから再度記事に目を通す。
指名手配犯。そこには、複数人の名前と顔写真が掲載されていた。
「どこかで見覚えがある顔だとは思っていたのよ。勘違いじゃなかったみたいね」
到底理解できなかった。
手配犯とされた大部分の人間と面識がある。正規軍や政治関係者も。
そして―――『一部学生』が指す、その存在にも。
「・・・・・・モリゼーさん」
「何?」
馬の背から降り立ち、深呼吸を置きながら振り返る。
合点がいった。どうして私が、領邦軍に身柄を拘束されかけたのか。
根底にある原因は分からない。内戦下にあるこの国で、一体何が起きているのかもさっぱりだ。
が、多分そういうことなのだろう。一時たりとも、私は他者と行動すべきではない。
「すみません、私やっぱり―――」
「よいしょっと」
勢いをつけて馬車から降り立ったモリゼーさんが、ゆっくりと私の前に歩を進めてくる。
表情には、笑みが浮かんでいた。それとは裏腹に、眼差しは真剣そのものだった。
「アヤちゃん。私の目を見てくれるかな」
「えっ・・・・・・ちょ、近い。近いです」
お互いの鼻頭が触れ合う程に、眼前にモリゼーさんの顔が迫って来た。
アンゼリカ先輩を思わせるその奇行に戸惑いつつも、私は視線を合わせていた。
やがてモリゼーさんの顔が離れると、彼女は私の肩に右手を乗せながら、口を開いた。
「商売ってね、一言でいえば腹の探り合い、騙し合いなの。だからこれでも、人を見る目はあるつもりだよ」
「モリゼーさん・・・・・・」
「色々とワケありみたいね。もしよかったら、聞かせてくれないかな。さっきも言ったけど、助けてくれたお礼もしたいしね。力になれるかもしれないわ」
右肩から伝わってくる僅かな体温が、とても心地良かった。
分からないことだらけだ。この先どこに向かえばいいのか。どうして私は追われているのか。
帰郷の初日から暗雲が立ち込めた中に見つけた、暖かな光。
張り詰め掛けた気持ちが緩んだせいか、盛大にお腹が鳴った。
応えるように、モリゼーさんのお腹も鳴った。
既に午後の14時近い。どうやらお互いに、限界が近いようだ。
「あはは、まずはお昼ご飯にしよっか。行け行けー!」
右手を豪快に振り回しながら馬車内に飛び乗り、モリゼーさんが高らかな声を上げる。
彼女になら、話してもいい。不思議とそう思わせる魅力があった。
今日ぐらいは誰かの好意に、素直に甘えてもいいのかもしれない。
そう思い、私は再び馬の背に跨った。
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私とモリゼーさんが入った食堂は、所謂大衆食堂。
こういったお店は、盛りの多さと値段が物を言うはずだ。
だというのに、随分と割高に思える値段がメニューに並んでいた。これも内戦の影響なのだろう。
モリゼーさんによれば、州によっては以前の倍近い相場になりつつあるそうだ。
身の上話を打ち明けるより前に、私はこの国の実状を一通り耳にすることになった。
商売を生業とするだけあって、モリゼーさんは各地の動向に精通していた。
政治と経済は表裏一体。今ならハインリッヒ教頭の言葉が良く理解できる。
「そうですか・・・・・・そんなことになっていたんですね」
貴族派が結託した『貴族連合』の手により、帝都が占領されたのが約1ヶ月前。
帝都のみならず、主要各都市も同様に、貴族派により占領されている状況にある。
正規軍は領邦軍の手によりことごとく退けられ、1ヶ月が経過した今でもその情勢は変わっていない。
それを可能にした要因の1つが、『機甲兵』と呼ばれる有人の人形兵器。
私が検問で対峙したのも、同タイプの兵器だった。確かにあれは脅威だ。
戦場の最前線には何体もの機甲兵が投入されており、目覚ましい戦火を上げているようだ。
「巨大飛行戦艦の・・・・・・パンタグリュエル、だったかな。あれにも驚いたけど、機甲兵はそれ以上ね。正規軍も抵抗を続けているみたいだけど、情勢は依然として貴族連合が優勢みたいよ」
ここで漸く、9月末の一件と繋がった。
RF社第1製作所による、鉄鉱石の横流し。行き着いた先が機甲兵であり、巨大飛行戦艦。
機甲兵を生み出した技術の出所は分からないが、原材料のそれは理解できる。
横流しがそうであったように、もう何年も前から入念に計画が練られていたに違いない。
そしてもう1つ。
貴族連合の追い風になっているのが、徹底した情報操作。
過去3週間分の帝国時報を、モリゼーさんは保管してくれていた。
商売には必須となる情報に満ちた新聞は、後々商品を包む包材として活用するそうだ。
おかげ様で、この1ヶ月分の動向を一通り把握することができた。
と言っても―――そこには真実など無かった。あったのは、虚構に満ちた報道記事だった。
要するに、メディアまでもを掌握してしまっていた。
革新派や正規軍の中枢となる人物を、大々的に指名手配犯として取り沙汰する。
常軌を逸している。陛下への背信行為に、宰相の暗殺疑惑。事実であるわけがない。
こんな新聞が帝国中に出回っている時点で、事態がどれ程深刻かが理解できた。
「それについては、私も同意ね。革新派の味方につくわけじゃないけど、一目で偏向報道だって分かるもの。税収の件もあるし、貴族連合を良く思っていない民衆は多いのよ」
「・・・・・・少し、安心しました。やっぱり、みんなそう思ってるんですね」
たったの1ヶ月の間に、この国は変わった。
大勢の人々が苦しんでいる。歪んだ情報と報道が、国内の隅々まで蔓延している。
私がクロスベルにいる間に、こんなことになっていただなんて。
覚悟はしていたが、どこか遠い国に来てしまったかのような感覚だった。
「それで・・・・・・モリゼーさん。その、私達の件なんですけど」
「うん。それがある意味で本題ね」
声を潜めながら、テーブルに広げられた新聞の一面を指でなぞる。
指名手配された、一部学生達。そこには士官学院へ入学した時の、私の顔写真が掲載されていた。
私だけではなかった。リィンにアリサ、ラウラにエリオットも。
《Ⅶ組》の面々が、謀反罪という身に覚えのない罪で、追われる身になってしまっていた。
「勿論、私達《Ⅶ組》が罪を犯したことなんてありません。それを信じてくれる前提で・・・・・・この半年間の出来事を、今から話します。全ての原因は、そこにあると思うんです」
憶測にすぎないが、ある程度の背景は想像がついた。
この半年間で私達が直面してきた、貴族派の陰謀。テロリストとの繋がり。
それだけに話は留まらないかもしれないが、大筋は間違っていないはずだ。
一方で。話すべきではないのかもしれないという想いも、ある。
話した時点で、モリゼーさんは知ることになる。私達と同じ立場になってしまうと言ってもいい。
躊躇いはあった。それでも私は、知って欲しかった。誰かに聞いて欲しかった。
そうでもしないと、私は今にも泣き出してしまいそうだ。
帰郷の初日から真っ暗だ。皆に会えると思いきや、トリスタへ向かうことすらままならない。
分からない。会えない。見えない。理解できないの無い無い尽くし。
私は―――これからどこに行って、何をすればいいのだろう。
「信じるわよ、アヤちゃん。だから話してみて。それだけでも、気が楽になると思うから」
「っ・・・・・・はい」
私の投げかけに、モリゼーさんは小さな笑みを浮かべながら、首を縦に振った。
彼女の優しさに、私は甘えるしかなかった。
私は全てを打ち明けた。
ケルディックでの一件を境にして目の当たりにしてきた、貴族派の暗躍。
皇族の誘拐事件に、ガレリア要塞の襲撃。ザクセン鉄鉱山の占拠。
全部が繋がっていた。私達《Ⅶ組》はそれらを、全てを知っている。
それだけでも貴族派に追われる理由にはなるし、納得はできる。
連中にとっては、口を封じたい存在なのだろう。情報操作の一環と言ってもいい。
「要するに、アヤちゃん達が所属する《Ⅶ組》も、貴族連合に目を付けられたってことね」
「はい。多分、そういうことなんだと思います」
帝国時報には、私が知る多くの人間が、指名手配犯として掲載されていた。
サラ教官やナイトハルト教官。クレア大尉にゼクス中将、クレイグ中将。
革新派に関わる政治関係者と正規軍の主要人物は、軒並み逆賊扱いとなっていた。
「学生が指名手配されるなんて、私もおかしいとは思っていたのよ」
「そうですね・・・・・・それで、モリゼーさん。トールズ士官学院について、何か情報はありませんか?」
トリスタもまた、主要各都市と同様の状態にあった。
トリスタに関する記事は複数あったものの、そのどれもが似たり寄ったりの内容だった。
士官学院は今、どうなっているのか。《Ⅶ組》の皆は今、どこで何をしているのか。
私の問いに、モリゼーさんは少しだけ表情を曇らせながら、答え始めた。
「トリスタについては、報道にある通りみたい。士官学院についても、一部の貴族生徒以外は各地に追いやられているみたいね」
「・・・・・・そう、ですか」
報道から察するに、士官学院生全員が指名手配されているわけではないようだ。
それでも平民の学生なら、敵対する正規軍と革新派の卵達と言ってもいい。
今日の私のように扱われることはないだろうが、目を付けられてもおかしくはない。
「私もケルディックを発つ前に、何人か士官学院生を見たわよ」
「えっ・・・・・・ほ、本当ですか!?その中に、この《Ⅶ組》の生徒はいましたか!?」
思わず腰を浮かせ声を荒げてしまい、周囲の視線が私達へと向いた。
慌てて椅子に座り直し、平静を装う。領邦軍の関係者がいたら、不味いことになる。
モリゼーさんはコホンと咳払いを1つ置くと、静かに語り始めた。
「ほら、ライモンさんのところの娘さん。何て名前だったかなー」
「ライモンさん・・・・・・あ、ベッキーですか?」
「あ、そうそう!ベッキーちゃんよ。彼女、実家に帰って来たみたいね」
握り拳で掌をぽんと叩きながら、モリゼーさんが言った。
暗闇の中に、一筋の光を垣間見たような感覚だった。
私が知る士官学院生が1人、無事でいる。その事実が、今の私にとって何より嬉しかった。
ベッキー以外にも、モリゼーさんは何人かの士官学院生を目撃していた。
しかしながら、彼女の記憶の中に《Ⅶ組》の姿は無かった。
「そっか・・・・・・ごめんね。力になれなくって」
「いえ、話を聞けただけで十分です。とても助かりました」
覚られないよう気を遣っていたが、表情に落胆の色が出てしまっていたようだ。
謝る必要なんてないというのに。モリゼーさんに出会えて、本当に良かった。
おかげ様で、知りたいことの大部分は把握できていた。
それにしても―――1つだけ、引っ掛かる。
指名手配された学生の中に、ユーシスの姿が無い。それは理解できる。
ユーシスはアルバレア公爵家の次男。彼がどう立ち振る舞っているのかは分からないが、リストから外されているのは当たり前だ。
だが、クロウも除外されている理由が分からない。
途中から《Ⅶ組》入りしたとはいえ、彼も私達と同じ立ち位置にいるはずだ。
同時期に編入したミリアムも、学生として指名手配されていた。些細なことだが、気にはなる。
「どうしたの?」
「あ、別に何も。気にしないで下さい」
いずれにせよ、ここからだ。これが始まりのはずだ。
さてどうする。これから先、私はどう動けばいい。
考え始めた矢先に、私達のテーブルに、2つの大皿が運ばれた。
「あ、来た来た!とりあえず、腹ごしらえと行きましょ」
「そうですね。時間が無いですし、一気に行きましょう」
濃厚カルボナーラ《極盛り》。30分以内に完食できたら、無料。
今まで達成できた人間はいないそうだ。なら私が1番に、その座を勝ち取って見せる。
そんな私の心意気が叶うことはなかった。
私が完食を果たしたのは、モリゼーさんの後。敗北の味は初めてだった。
______________________________
店主の悲鳴が鳴り響く食堂を後にした私達は、中心街にある宿場へと来ていた。
辺境の里と呼ばれるアルスターは、実際に主要都市から相当な距離がある。
今からアルスターを発っても、街道のど真ん中で夜を迎えることになってしまう。
今日のところはゆっくり身体を休めながら、今後のことを考えてみてはどうか。
そんなモリゼーさんの提案に、私は素直に従うことにした。
クロスベルを発ってから歩きっ放しだったし、今は精神的にも不安定という自覚はある。
今日はこの街で夜を過ごしながら、今後のことを決めるのが最善のように思えた。
「部屋は2階の突き当りだよ。共同の浴室が1階にあるから、好きに使っとくれ」
「分かりました。お世話になります」
宿場の女将さんから鍵を受け取り、周囲を見回す。
料金の割には広々としているし、雰囲気も良い。これならゆっくり休めそうだ。
「じゃあ、1時間後に玄関で。私はそれまでに用事を済ませておくわね」
「はい。何から何まで、本当にありがとうございます」
「あはは、お礼なんていいってば。命の恩人なんだから」
付き添ってくれたモリゼーさんにお礼を言いいながら、頭を深々と下げる。
モリゼーさんは宿場の他に、町長さんの存在を教えてくれた。
以前ここを訪れた際にお世話になったことがあるそうで、今日も挨拶に向かう予定だった。
町長さんに話を聞けば、何か分かることがあるかもしれない。
モリゼーさんもそう考えたようで、私を紹介してくれるつもりのようだ。
アルスターに来てから、彼女には本当にお世話になりっ放しだ。改めてお礼を言っておこう。
「ふう」
2階に借りた部屋に入り、テーブルの上に荷を下ろしてから、ベッドへ仰向けに倒れこむ。
漸く一息付ける。ずっと感じていた息苦しさが、和らいでいくような思いだった。
「変わったね。たった1ヶ月の間に、何もかも」
『いつの時代も、戦は常に付き纏う。そうであろう?』
「そういうものかな」
胸元を擦りながら天井を見詰め、静かに瞼を閉じる。
本当に、何もかもが様変わりした。帰って来たのに、帰るべき場所が無い。
「・・・・・・みんな」
3月31日。全てはあの日から始まった。
ずっと続くと思っていた、掛け替えのない日々。育んできた、たくさんの絆。
これから先、私がどんな道を歩むにしても、きっと根底にあり続けるであろう輝かしい毎日。
一度目を閉じれば、瞼の裏に鮮明に浮かび上がってくる。
いつも皆の中心にいる彼。
真っ直ぐで、少しだけ不器用な彼女。
親切で頼りになる、背負込み気味な彼女。
暖かな音色をくれる彼。
過去と向き合うキッカケをくれた彼女。
生真面目で面倒見のいい彼。
皆を引っ張ってくれる、優等生な彼女。
放課後を共にしてきた彼。
同じ部屋で絆を育んだ彼女。
不真面目だけど、ここぞという時に背中を押してくれた彼。
そして―――大好きな彼。何度も何度も想いを、身体を重ね合った彼。
不思議な感覚だった。まるで夢の中にいるかのような、浮ついた感覚。
私は今、本当に帝国にいるのだろうか。本当に12月5日なのだろうか。
この国に、本当に皆がいるのだろうか。私は今、何をしているのだろうか。
『我慢せずともよい。人はそういうものだ』
「ラン・・・・・・」
『そのための、涙であろう』
我慢していたわけではない。受け止めきれなかっただけだ。
もう戻っては来ない。取り戻せない。もしかしたら、ではない。
必ず帰ると約束したのに、帰れない。私は―――今、独りだ。
「うぅ・・・っ・・・みんなっ・・・・・・」
一度流せば、後は留まることを知らなかった。
あの時私がクロスベル行きを決意しなければ、味わっていたはずの孤独感。その1ヶ月分。
泣くしかなかった。ランが言うように、今の私にはそれしかできなかった。
独りじゃない。そう自分に言い聞かせても、毛布で身を包んでも、唯々寒い。
声を押し殺しながら、私は枕を濡らし続けていた。
__________________________________
20分程涙を流した後、私は窓際に立ち、アルスターの街並みを見下ろしていた。
泣いて正解だったと素直に思えた。先程までとは打って変わって、心が晴れている。
「ありがとう、ラン」
『フム。礼を言われる覚えはないのだが』
「それでもありがとう。ランがいてくれるおかげで、独りじゃないって思えるしね」
再度胸元を擦りながら、壁に掛けられた時計に視線を移す。
モリゼーさんとの約束まで、あと30分以上ある。それまで何をして時間を潰そうか。
そう考えていると、窓の向こうから、ざわめきのような声が僅かに聞こえて来た。
「ん・・・・・・何だろ?」
両開きの扉を開けると、その声はより鮮明に聞こえた。
同時に南の方角から、聞き覚えのある音が飛来した。
その正体にはすぐに思い至った。今日耳にしたばかりの、独特の駆動音。
(え―――)
先頭には、2台の装甲車。そしてその後方には、機甲兵。
3体の巨大な人形が轟音を響かせながら、街の中央通りを突き進んでいた。
道行く住民の誰もが、唖然としながらその様を眺めていた。
『あの人形兵器か。色は異なるが、同種の絡繰りと考えてよいだろう』
「うん・・・・・・でも何でだろ。話では、領邦軍がこの街に来ることは稀のはずなのに」
ノルティア州かクロイツェン州、そのどちらかの部隊であることは確かだ。
だがアルスターは主要都市から隔離された、辺境の地。
領邦軍が訪れることは稀だと聞かされていたからこそ、その存在に怯えることなく、私も行動できていたというのに。
「もしかしたら、何かあったのかも。行ってみよう」
機甲兵は領邦軍にとって貴重な主戦力。それを投じた以上、何かしらの理由があるはずだ。
こうしてはいられない。私は最低限の装備を確かめた後、急ぎ足で部屋を後にした。
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機甲兵が向かった先は、アルスターの北部。
後を追うように、私は中央通りを走り抜けていた。
すると程無くして、前方から先程の部隊が、こちらへ向かってくる姿が目に入ってきた。
「や、やばっ」
慌てて右方にあった街路樹の陰に隠れ、身を潜める。
追われる身である以上、州に関係なく領邦軍の前に姿を見せるわけにはいかない。
様子を窺いながらやり過ごし、去って行った部隊の先を見詰める。
私とランが転移してきたのも、アルスター南部の森林地帯。そこに何かあるのだろうか。
「帰った、わけじゃないよね・・・・・・一体何だったんだろ」
『あの者らに聞けば、分かるのではないか』
「え?」
振り返ると、そこには人だかりができていた。
中央には初老の男性が1人。彼を囲む人間の中には、モリゼーさんの姿もあった。
「モリゼーさん!」
「ん・・・・・・アヤちゃん。来てたんだ」
急ぎ足で歩み寄ると、隣に立っていた初老の男性と目が合った。
年齢はガイラーさんぐらいだろうか。白髪混じりで小柄、優しげな目の男性だった。
「モリゼー君、この子は?」
「さっき話した子です。アヤちゃん、この人が町長さんよ」
「この人が・・・・・・初めまして。アヤ・ウォーゼルといいます」
「そうかそうか。話はモリゼー君から聞いたよ。何もない街じゃが、ゆっくりしていくといい」
簡単な自己紹介を交わし、取り巻きの皆の様子を窺う。
取り乱している人間は見当たらない。どうやら大事には至ってないようだ。
誰もが南部を見やりながら、領邦軍の目的について言及していた。
「あの、何があったのか、聞いてもいいですか?」
「構わんよ。ワシから話そう」
町長さんは部外者であるはずの私に、丁寧に語ってくれた。
事の発端は先月末、アルスターの南部に出現した、とある大型魔獣。
目撃者の女性によれば、これまで見たこともない程に巨大な、蜥蜴型の魔獣だったそうだ。
この街にも魔獣を迎撃する術はあるものの、一見しただけで手に負えないと分かった。
かと言って、放置するわけにもいかない。そこで町長さんが頼ったのが、領邦軍。
ノルティア州とクロイツェン州の領邦軍に、討伐を依頼したのが今週の出来事だった。
「正直なところ、引き受けてくれるとは思ってもいなかったわい。以前からこの街は、ぞんざいに扱われてきたからのう」
町長が言うと、取り巻きの男性らが鼻で笑いながら口を開いた。
「どうせあの機甲兵とやらの力を振るうために、遠路遥々やって来たんですよ。東部は比較的落ち着いてるって話だし、力を持て余してるんじゃないですか」
「違いねえ。導力銃を初めて握ったガキが、実際に引き金を引きたくなるのと同じだろ」
分かりやすい例えだ。
私が10歳の時に初めて剣を握った際にも、似たような感覚があったのかもしれない。
それが機甲兵ともなれば話はまるで異なるが、大方そんなところなのだろう。
「じゃが結果的には、いい方向に働いてくれたのう。あれなら返り討ちに合うこともないじゃろう」
町長の意見には、皆が頷きながら同意を示していた。
確かに機甲兵なら、大型魔獣とはいえ後れを取ることはないはずだ。
駄目元の討伐依頼が叶ったことに変わりはない。
形はどうあれ、領邦軍はその務めを果たしたと言える。
「・・・・・・本当に、大丈夫かしら」
そう考えていると、モリゼーさんの隣に立っていた女性が、ポツリと呟いた。
その声に、私を含めた誰もが首を傾げてしまっていた。
「大丈夫も何も無いだろ。あんな兵器が魔獣にやられちまうってのか?」
「その、普通の魔獣とは何かが違ったような気がして。何て言ったらいいか・・・・・・」
大型魔獣の目撃者。言葉から察するに、この女性がそうなのだろう。
女性は言いよどみながらも、その疑念を私達に語り始めていく。
何かが違う。通常の魔獣とは気配が違う。獰猛さは無く、どこか超然としていた。
具体性に乏しいその表現の数々が、私の中で1つの可能性を導き出していく。
『不味いな』
「へ?」
同時に、私の胸元から声が漏れた。
すると勢いよく、小鳥形態のランが、上空へと飛び出した。
その一連の出来事を、皆が口を半開きにしながら眺めていた。
・・・・・・当たり前だ。急に何てことをしてくれる。
「あ、あんた胸の中で鳥を飼ってんのか」
「そそ、それより今、喋って―――」
「何でもない!何でもないです!」
宙を舞うランを慌てて鷲掴みし、何事もなかったかのように人だかりから距離を取る。
皆の視線が痛かったが、まだ何とか誤魔化せるはずだ。
(ちょっとラン!急に喋らないでよ!?)
『おぬしも気付いているのだろう。この地に転移した時から、薄々感じてはいた』
(・・・・・・じゃあ、やっぱりそうなんだね)
幻獣。クロスベルでも何度か遭遇した、通常の魔獣とは一線を画く存在。
それが私の行き着いた正体だった。ランが言うなら、間違いではないのだろう。
ランが感じていたのは、きっと上位属性の力だ。
何故こんな辺境の地で。疑問は残るが、今重要なのはそこではない。
(ラン。あの機甲兵部隊、どう思う?)
『所詮は人が作り出した鉄の絡繰りだ。おそらくは時属性の力を持つ幻獣。届くとは到底思えぬ』
やはりそうか。なら、これではまるで逆効果だ。
下手に刺激すれば、幻獣の牙がこの街へ向く可能性だってある。
放置していた方がまだマシだ。このままでは本当に不味いことになるかもしれない。
それに領邦軍も、知らん振りを決めて放っておくわけにはいかない。
「すみません。私はこれで失礼します」
「えっ・・・・・・ちょ、ちょっとアヤちゃん」
モリゼーさんの声に構うことなく、一礼してから踵を返し、街の南部へと走り出す。
時間が無い。あの機動力なら、もう幻獣の下に辿り着いていてもおかしくはない。
足を動かしながら周囲に気を配り、私は上空を舞うランに言った。
「ラン。霊力はどれぐらい戻ってる?」
『精霊の道を拓いてからまだ間もない。通常時の戦闘は可能だが、神狼の姿で動ける時間は極僅かだ』
「秒数で教えて」
『よくて90秒といったところか』
「そう・・・・・・行こう。まだ間に合うはずだよ」
僅か90秒。その短時間で幻獣を討伐する。
以前なら到底無理な芸当だ。だが『今の』私とランなら、きっとできる。
どちらにしろ、力は少しでも温存しておきたい。
ランの脚を使うわけにはいかない。なら、あれを借りよう。
街の南口に辿り着くと、モリゼーさんの馬車が確認できた。
急いで牽引用のハーネスを取り外し、馬を馬車から一時的に開放する。
すると後方から足音と、声が聞こえてきた。
「はぁ、はぁ・・・・・・あ、アヤちゃん。一体どうしたの?」
「も、モリゼーさん?」
そこには息を切らしたモリゼーさんの姿があった。
私とランを追って来たのか。あのまま皆と一緒に待ってくれていて欲しかったのに。
「事態は一刻を争うんです。馬、お借りしますね」
「ま、待ってよ。もしかして、魔獣のところに行く気なの!?ど、どうして!?」
「・・・・・・話している時間もありません。離して下さい」
私の袖を掴むモリゼーさんの手を、強引に引き剥がす。
直後、モリゼーさんは再度私の腕を掴んだ。彼女にとっては最大限と思われる力を込めて。
「分からないわよ。どうして、どうしてなの?」
「それは・・・・・・」
どうして。そこには複数の疑問が込められているように感じた。
何故領邦軍に任せておかないのか。後を追って、一体何ができるというのか。
自らを脅かす存在を、どうして放っておかないのか。
話せることは何も無い。これ以上、巻き込むわけにはいかない。
一方で、それと相反する想いも込み上げてくる。
話すべき、なのだろうか。この人には、応える義理があるのではないか。
迷っていると、頭上のランが険しい声で言った。
『霊力の波動を感じた。もう始まっているぞ』
「っ・・・・・・モリゼーさん、後ろに乗って下さい!」
「え、え?」
もう時間が無い。この判断が正しいのか、間違っているのか。
考えるのは後回しだ。今は考えず、直感で動け。
如何に領邦軍とはいえ、見過ごせない。犠牲者を出すわけにはいかない。
《Ⅶ組》の皆なら、きっとそうする。支える籠手の紋章が、そうしろと囁いてくる。
「しっかり掴まって下さい!ラン、道案内をお願い!」
『よかろう』
「や、やっぱり喋って―――ひゃああぁっ!!?」
馬の脚を限界まで引き出すと同時に、モリゼーさんの悲鳴が周囲に木霊した。
間に合って。そう願いながら、私は手綱を強く握りしめていた。
______________________________
アルスターを発ってから約10分。
馬の脚が限界を迎えた頃、私達は遠目にその様を目の当たりにすることができた。
装甲車は2台とも大破。機甲兵も1体が半壊。もう1体は右腕が欠損している。
五体満足の1体だけが、幻獣と対峙していた。まるで人間かのように、腰が引けていた。
ランが言った通りの展開になっていた。機甲兵でも、あの幻獣が相手では分が悪いと見える。
「・・・・・・モリゼーさん、ここで馬と一緒にいて下さい。絶対に近づかないで」
言いながら馬の背から地上に降り立ち、前を見据える。
一方のモリゼーさんは声を出す余裕すら無いようで、頷きで何とか応えてくれていた。
初めて体験した馬の脚と、目の前の幻獣。破壊された機甲兵。無理もないが、好都合だ。
私は全速力で交戦の場へ駆け寄り、周囲の様子を窺った。
怪我人が複数人。亡骸は見当たらない。ギリギリ間に合ったようだ。
軍服の色は、クロイツェン州領邦軍のそれだった。よりによってクロイツェンか。
昼時の一件のこともあるし、ノルティア州であって欲しかった。
「みんな、下がって。ここは私が引き受けます」
「っ・・・・・・だ、誰だお前は」
いつの間にか立っていた民間人の姿に、誰もが戸惑いの色を隠せず、動こうとしない。
迷うな。思うが儘に動け。もう後戻りはできない。
私とランの姿を見られることになろうとも、退くわけにはいかない―――
「―――ラン!!」
声と同時に周囲の木々がざわつき、私を中心にして一陣の風が巻き起こる。
やがて降り立った神狼の背に向かって飛び上がりながら、懐のARCUSを取り出す。
キッカケは、クロスベルでランと共に魔獣と対峙した時のこと。
無意識のうちに、戦術リンクの繋ぎ先を探してしまった。
繋ぐ相手などいなかった。普段の癖で、ARCUSを起動してしまった。
その瞬間、繋がるはずのない戦術リンクが、繋がった。
今でも理解できない。どんな仕組みが働いて、そうなるのかが分からない。
おそらくだが、ARCUSには未だ未知の領域がある。
私がリィンの夢を見たように。彼の記憶に触れたように。
共通点や絆が深ければ深い程、何かが繋がる。私には、そう思えた。
「ラン。繋ぐよ」
『構わぬ。好きにするがいい』
いずれにせよ、この感覚は本物だ。
ランの五感と私のそれが連動し、全身から光が溢れ出す。力が流れ込んでくる。
幻獣の脅威の1つは、駆動時間ゼロの上位アーツ。それすらも、今の私なら可能だ。
私の剣とランの牙。膨大な霊力。
全てを総動員して、護り抜いて見せる。誰も死なせはしない。
『時間が無い。60秒で終わらせるぞ』
「了解っ。行くよ、ラン!!」
―――今思えば、これが始まりだった。
進むべき道が未だ見えてこない私とは裏腹に、知らぬ間に、着実に。
私とランの力と存在が、貴族連合へと知れ渡った時。複数の意志が、動き始めていた。