絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月31日 I'll remember you

 

 不意に、空気が揺れる。神速の歩法で縦横無尽に動く二人は、光点としか映らない。やがて二つの光が交差をして、急停止から放たれる投擲術。偃月輪と長巻は互いに螺旋を描きながら、ヴァルター目掛けて飛来する。刃はまるで意志を持つかのような軌道を見せ、ヴァルターは回避を見限り、地を踏み締めた。

 

「おおぉおらああっ!!」

 

 全身から発せられた闘気に阻まれ、勢いを失った偃月輪と長巻を、ヴァルターの両手が受け止める。瞬間、上半身が爆ぜた。得物に込められた二人分の剣気が、ヴァルターの体内で暴れ狂う。無数の血管が切れて血飛沫が舞い、内臓が悲鳴を上げる。

 やがて落下した得物が渇いた音を立てると、ヴァルターは笑った。口内の血を吐き散らしながら、笑った。

 

「クククッ」

 

 布切れのように垂れ下がった上着の中から、シガーケースを取り出す。最後の一本を咥えて火を点け、サングラスを外した。手負いのせいか視界がひどく狭く、周囲は薄暗い。技の衝撃で砂埃が立ち込めていて、灰色の空気に紫煙が溶け込んでいく。

 

 ―――トン。

 

 ヴァルターの脇腹に、何かが触れる。見れば、雪のように白い左拳と、傷だらけの右拳が、それぞれヴァルターの腹部に添えられていた。ヴァルターは一層の笑みを浮かべて、深々と煙草を吸った。

 

「本当に、何でだろうな」

 

 始まりは何だったのだろうか。ヴァルターは想いを巡らせる。結社に魅入られたあの日か、類稀な才を秘めた少女との邂逅か。泰斗流の門を叩いたこと、師と対峙した瞬間、想い人と身体を重ねた夜。それとも、眼前の姉妹に纏わる全てなのだろうか。答えを拾い上げるのは、今となっては叶わない。

 

「「泰斗流、双・寸勁―――」」

 

 弟弟子と拳を交えた、あの時もそうだった。意に反して、煙草が格別に美味いと感じてしまう。心身共に健やかな時にこそ、紫煙の味は極上に達する。最後の最後に取っておいた一本が、過度の出血と相まって、視界をぐらぐらと揺らす。

 ヴァルターは思う。姉妹揃っていい女だ。反吐が出るぐらいに。

 

「「―――挟叉!!!」」

 

 やがて二つの勁力が阿吽の呼吸で重なり、ヴァルターの腹部を射抜いた。深々と突き刺さった螺旋は肉を切り骨を歪ませ、周囲の砂埃を四散させる。狂狼の牙が、折れる。

 

「あっ……」

 

 力無く崩れ落ちる刹那。男女の視線が重なる。思わず身体が動いていた。背中から倒れかけたヴァルターを、キリカは身を屈めながら受け止めた。大柄な四肢を抱き上げ、正座のような体勢で座り、膝の上にそっと男の頭部を置く。血だらけになった顔を左手で拭い、閉ざされた瞼に触れる。二人の姿を、アヤ・ウォーゼルだけが後方から見詰めていた。

 

「……お姉ちゃん」

 

 静寂が訪れていた。頭上からは禍々しい何かが轟音を鳴らし、地震が生じているように城全体が揺れ動いて、それでも静かだとアヤには思えた。何も聞こえないし、考えられない。耳に届くのは、眼前に映る二人の静かな呼吸だけ。自然と涙が頬を伝い、たったの数分間が数刻のように感じられた。

 

「アヤ、何故貴女が泣くの?」

「……分かんない」

「そう。なら、早くいきなさい」

 

 何も生まれはしない。三人が束の間の時を共有し、始まりさえ定かではない因縁が潰えた今、残されたのは二人の姉妹と成れの果て。アヤの左目にも、光は戻らない。

 けれど、キリカには伝えたいことがあった。前に進むしか道が無い妹に、伝えておきたいただひとつの願い。キリカはヴァルターの頬を優しく撫でながら、凛とした声で言った。

 

「迷わずにいきなさい。正しいと信じることができる道を、迷わずに。そう、約束してくれる?」

「うん……うん。分かったよ、お姉ちゃん」

 

 アヤは目元に溜まった涙を拭い、二刀の長巻を拾い上げて納刀する。背に携えて留め具の紐を縛り、眼帯の位置を直して、後方に振り返る。

 視界には壁面しか映らない。分厚い城壁の向こう側で、上層で一体何が起きているのか。考えるよりも前に、動け。アヤは深々と息を吸い込み、声を張った。

 

「ユイっ!ぐずぐずしていないで、さっさと来なさい!!」

 

 直後、光の槍が放たれる。槍は城壁に風穴を浮かばせ、更に複数回の衝撃が壁を打ち、がらがらと音を立てて瓦礫が落下していく。陰圧になっていた城内へ外気が勢いよく流れ込むと共に、翼を羽ばたかせる蒼き聖獣の仔が、アヤの下に降り立った。

 

『ひ、ひどいの!さっき漸く結界を突破できたのに、今のはあんまりなの!』

「あはは、冗談だってば。時間が無いから急ごう、きっとみんな待ってるよ」

 

 跳躍をしてユイの背に飛び移り、頭上を仰ぐ。吹き抜けになっているこの空間を真上に飛べば、最上層に辿り着ける筈だと、アヤは確信していた。交戦中に、霊力を取り戻した灰の騎神が、同じ方法で飛び立っていくのを目の当たりにしていたからだ。

 あれからかなりの時間が経過している上に、三十分程前から上層で何かが起きている。緋色の濃い瘴気や巨大な殺気が、全てを物語っている。アヤは眼下を見下ろして、キリカに声を掛けた。

 

「お姉ちゃん、私にも約束して!お父さんとお母さんの話、沢山聞かせてね!」

「ええ、約束するわ」

「絶対だよっ……ユイ、飛んで」

『了解なの!』

 

 ユイが旋風を生み、光の粒を撒き散らしながら高度を上げ始める。キリカは形容のしようがない不思議な表情を浮かべて、アヤの行く末を想う。キリカの胸中を知り得る者は、誰一人としていなかった。

 

_________________________________________

 

 徐々に最上層へ近付くに連れて、瘴気の濃さが増していき、息苦しさを覚える。道すがら、アヤはユイとリンクを繋げ、互いの近況を交換し合っていた。

 

『そうなんだ。アイツ、死んだの?』

「ちゃんと生きてるよ。でも……もう、戦えないんじゃないかな」

 

 傷はいずれ癒える。しかし折れてしまった牙は、最早治しようがない。本能と感情の区別が付かず、狂いに狂っていた狼が冷静さを取り戻した時、彼は何を選ぶのだろう。アヤは頭を左右に揺らして、雑念を振り払う。

 

「それよりユイ、グリアノスとはどうなったの?」

『これで二戦二勝なの!でもあと一歩の所で、城の中に逃げていったの』

「そっか。でもかなり苦戦したみたいだね。あちこち傷だらけだけど、大丈夫?」

『アヤに言われたくないの。アヤの方が辛そうなの』

 

 両者共々、満身創痍の身だった。ユイは勿論、アヤもヴァルターとの死闘の果てに、失った物が余りに多い。軟気功で傷を癒そうにも、残された気力を考えると逆効果を生む。とりわけ決め手となった打拳を放った右腕は熱を帯びて、まともに剣を振るうことすら儘ならない。

 

「まあ、これぐらいの傷なら慣れっこだよ。もっと危ない場面なら、何度も潜り抜けてきたんだから」

『ガイウスの心労がそろそろヤバそうなの……胃に穴が空いちゃうの』

「うるさいなぁ。ほら、もう一息。いくよ、ユイ!」

 

 一際強い風が吹き上げ、一気に最上層と思しき空間に躍り出る。途端に肌を焼くような殺気を感じ、遠退きかけた意識を繋ぎ止めて、周囲を見やる。そこには、別世界が広がっていた。

 

「え……?」

 

 城の外観を見た限り、最上階が城内で最も狭い。だがアヤの目には、余りにも広大な空間が映っていた。在る筈のない空は緋色に染まり、中世の遺跡のような物体がそこやかしこに浮かんでいる。緋色の瘴気が霧のように立ち込めていて、視界は不明瞭。

 真っ先に連想されたのは、旧校舎地下で踏み入ったあの領域。五感が惑わされる不可思議な現象も、同じだった。

 

『アヤ、あそこにみんながいるの!』

 

 ユイの声に促されて視線を向けると、複数の人影があった。特科クラス《Ⅶ組》の仲間達と、サラ・バレスタイン教官。その先頭にヴィータ・クロチルダ、グリアノス、エマとセリーヌが陣取り、結界のような障壁を展開している。面食らいつつ、慎重にその顔ぶれを確認していき、一先ずの安堵を覚えた。

 

「よかった。みんな、無事だったんだ……え、何?」

 

 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、皆の異様な雰囲気に気付かされる。自分を見ているようで、見ていない。視線は僅かに逸れていて、誰もが叫び声を上げていた。

 それによくよく考えれば、数が足りていない。この場に居合わせているべき人間の姿が、何処にも見当たらない。

 

『あ、アヤ!?』

「え―――」

 

 ユイが身を翻すと、自然と『それ』が視界に映り、アヤは声を失った。

 空と同じ緋色の魔人。騎神よりも巨大な、あのパテルマテルに匹敵する程の巨体が、同じ高度を飛んでいた。手には導力弓のような武具が握られており、既に弓は引かれていた。射るよりも前に射抜かれたかのような感覚に陥り、身体が動かない。緋色の矢は、容赦無く放たれる。

 もう、間に合わない。絶望に染まりかけた、その時。地上から、アヤは力の波動を感じた。

 

『させるかってんだ!!』

 

 遠間からの斬撃が、アヤとユイに迫った光の矢を寸での所で弾く。アヤは閉じていた瞼を恐る恐る開きながら、今し方耳に届いた声を脳裏で反芻する。

 複数の感情が湧き上がり、入り混じっていく。けれど、懐かしいとも思える。絶対に許せない。人殺し。裏切り者。偽物。クラスメイト。大切な仲間。掛け替えのない絆。本物。この際だ、全てを後に回せ。

 

「クロウ……クロウ、クロウなの!?」

 

 ユイが蒼の騎神の傍らに降り立ち、アヤは何度も名を呼んだ。ダブルセイバーを握るオルディーネは切っ先を魔人に向け、構えを解かずに起動者の声を漏らす。聞き違いようがなかった。

 

『積もる話は後にしようぜ。つっても、お前さんには通用しそうにねえな』

「当たり前でしょ!?私達が、先輩達がどれ程……私はっ…………!」

『パンタグリュエルじゃ、逃げちまって悪かったな。殴りたきゃ殴れよ、止めはしねえさ。そん代わり、全部終わった後にしてくれ』

「っ……ああもう!」

 

 想いが定まらず、込み上げる感情を押し殺して、緋色の魔人を睨み付ける。

 この場で一体何が起こっているのか。状況は理解できずとも、ただの一点。これまで対峙してきた脅威とは比較にならないそれが、今にも襲来する。それだけは肌で感じ取っていた。

 

『カイエン公の仕業だ。皇太子を核にして、あのクソ野郎を顕現させちまった。あの獅子戦役でも暴れ回った、正真正銘の魔人だそうだ』

「皇太子殿下が……」

『向こうには翼がある。騎神でも空中戦じゃ歯が立たねえ。リィンとヴァリマールも、それでやられた』

 

 灰の騎神の姿は、先程からアヤの目にも映っていた。百アージュ程度離れた地に、ヴァリマールは膝を付いて沈黙していた。起動している際に宿る光は無く、リィンの姿も見当たらない。最悪の可能性が、アヤの脳裏を過ぎる。

 

『安心しな、中で気を失っているだけだ。おら、来るぞ!』

 

 クロウの声と同時に、上空へ無数の槍が顕れる。槍は雨粒の如く降り注ぎ、オルディーネとユイが右方へ回避する。地に刺さっては消えて頭上に浮かび、降り乱れるの繰り返し。逃げの一手に追い込まれる。

 既にアヤとユイは深い領域で繋がっており、ユイはアヤの意のままに動き、アヤの気功術を力に変える。起動者と騎神の結び付きと同じで、その巨いなる力は魔人に抗い得る数少ない可能性。ヴァリマールが動けない今、選択肢はひとつだった。

 

『アイツの翼をどうにかしねえと話になんねえ。おいアヤ、オルディーネを背に乗せて飛べ。二人掛かりで野郎の翼を叩くんだ』

「は!?ちょ、何言ってるの!?」

『ゴライアスとやり合った時もヴァリマールを乗せてただろうが。知ってんだぞ』

「そ、そうじゃなくって。アンタ、自分が何を仕出かしたのか分かってるの!?」

『今それを言うのかよ!?状況を考えろ状況を!この馬鹿!』

「クロウにだけは言われたくない!馬鹿!バーカ!」

『何だっていいから言うことを聞きやがれ!!』

「ぐっ……!」

 

 憤りを覚えつつも、アヤは再び不思議な感覚にとらわれる。まただ。どうして懐かしいと思えるのか。何故こうも高揚で胸が一杯になる。

 考えるまでもない。袂を分かった男の、あの冷徹な声は聞こえない。瑞々しい日常の中で何度も耳にしてきた、クラスメイトの声が隣にある。私が知るクロウ・アームブラストは、今ここにいる。

 

「乗って、早く!」

『おうよ!』

 

 一旦脚を止めると、すぐさまオルディーネがユイの背に跨る。上空へ飛び上がると同時に槍の群れが消え、代わりに魔人は再度弓を引いて、矢をユイに向ける。

 

『止まるな、飛べ!!』

「分かってるってば!」

 

 目にも止まらぬ速度で、魔人は弓を鳴らした。ユイは魔人を中心に弧を描いて飛びながら、立て続けに飛来する光の矢を躱していく。僅かでも失速すれば、射抜かれる。一撃が命取り。ユイは悲鳴を上げた。

 

『あ、アヤ、こいつ重いの!ヴァリマールの二割増しぐらいで重いの!』

『肯定。灰の騎神の重量は約6.5トリム。我の重量は約7.8トリム。約120%の―――』

『いちいち答えんなオルディーネ!気が散って仕方ねえ!』

「ああもう全員黙ってよ!?」

 

 アヤは感覚を研ぎ澄ませて、ユイが飛ぶべき道無き道を眼前に描いていく。騎神を背に乗せている以上、ユイの飛力は最大に届かない。しかしやりようによっては、近い速度を引き出せる。要は馬術と同じ、空と地上の違いに過ぎない。ノルドの民であり馬術部員の私なら、きっとできる。アヤは声を捻り出した。

 

「四時の方角に二十度、体勢を傾けて!」

『難しい注文だなおい!』

「いいからやれ!!」

『もうやってるっつーの!!』

 

 アヤの声に従いオルディーネが重心をずらし、ユイの急旋回を促す。魔人は弓矢に加えて複数の武具を顕現させ、追撃の手を次々に増やしていく。

 

「五秒後、九時に三十五度!」

『クソ、落とすんじゃねえぞ!』

 

 四方八方から飛来する剣、槍、槌、斧、鎌。導力車で帝都内の路上を逆走しながら、鞭や鎖による線の攻撃を捌き切るかのような、零に等しい可能性の連鎖。けれど、決して零ではない。その一心で想いを重ねて、空を駆ける。

 

「二時半に五十五度で左後方!」

『おおぉるあ!!』

 

 一本の槍を捌き切れず、オルディーネのダブルセイバーが槍を叩き落とす。返す刀で斬撃を飛ばすと、予想だにしない反撃に面食らった魔人の攻勢が、一瞬だけ弱まる。

 

「目一杯前傾っ……!!」

 

 鋭角の急降下を利用したことで、最大速度が生まれる。見る見るうちに距離は縮まっていき、眼前にはまるで無防備な魔人の背。待ち侘びた好機。ダブルセイバーが光を帯び、ユイの口内が輝き出す。残り僅かなユイの霊力とアヤの気力が、ユイの得意とする幻属性の力へと変貌する。

 

「ユイ、今!!」 

『デッドリー、クロス!!』

 

 クラウ・ソラリオンが翼を貫き、オルディーネの斬撃がその根元に刻まれる。両翼を捥がれた魔人は揚力を失い、その巨体が落下を始めた。

 

(あ―――)

 

 アヤとユイも同じだった。霊力が底を打ったユイは小鳥へと身を縮め、既に意識は無い。アヤもギリギリの所で繋ぎ止めているものの、深い暗闇の中へ落ちていくのは時間の問題。段々と視界が狭まっていき、着地の体勢を取ろうにも身体が言うことを聞いてくれない。

 しかし来るべき衝撃が、一向にやって来ない。代わりにふわりとした浮遊感に包まれ、声が聞こえた。

 

『ありがとう、アヤ。あとは俺達に任せてくれ』

「リ……ン…………」

 

 何故自分は、いつもこうなのか。ローエングリン城、ガレリア要塞のテロ事件、教官との一騎打ち、パンタグリュエルで左眼を失った時もそう。最後の最後、肝心な所で尽きてしまい、皆の心配を助長する。ガイウスの心労が気掛かりだというユイの言葉が、胸に突き刺さる。

 実に私らしい、とも思える。それに目を覚ますと、決まって平穏があった。ひとつの苦難を乗り越えた先に、光がある。クロウ・アームブラストは、ここにいる。何度殴ってやればいい物か。そればかりを考えながら、アヤは眠気に身を委ねて、落ちていった。

 

__________________________________________

 

 私は見慣れないベッドの上にいた。真っ白な室内は清潔感で溢れ、傍らにはガイウスとリィン、クロウの姿もある。その顔ぶれで、私は今ガレリア要塞で負った傷を癒すべく、病棟での療養生活を送っている最中なのだと気付かされる。

 

「さてと。俺達はそろそろお暇するよ」

「え?」

「今日はガイウスもゆっくりできるだろ?邪魔をしちゃ悪いだろうからさ」

「そういうこった。精々よろしくやれよ、お二人さん」

 

 取り留めのない会話。いつも通りのやり取り。変化に富んだ日々の中にある、変わらない物。それが堪らなく愛おしくて、胸が締め付けられる。

 

「本当に・・・・・・会いに来てくれてありがとう。みんなにも、そう伝えておいてもらえるかな」

 

 けれど、何かが違った。療養生活は一時の物で、私はいずれ士官学院生活に戻り、青春を謳歌する。その筈なのに、遠退いていく二人の背中が、加速する。

 

「りょーかい。まあ早いところ復帰して、自分で直接言うこった」

「そうしてくれると、俺も嬉しいよ。みんな待ってるからさ」

 

 息苦しさを覚え、喉が詰まり声にならない。呼び止めたい衝動に駆られて、しかし手が伸びない。

 この焦燥感は何だろう。どうして私は、泣いているのだろう。分からない内に、世界が歪んでいく。既に二人の背中は映らない。私はただただ、泣き喚いていた。

 

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「ん……」

「起きたか、アヤ」

「…………ガイ、ウス?」

 

 微睡みから覚めたアヤが、ガイウスの手を借りて半身を起こす。身体が鈍りのように重く、吐き気もひどい。アヤは回転が遅い思考に鞭を打って、額を押さえながらガイウスに聞いた。

 

「どう、なったの?」

「終わったよ。リィンとクロウがやってくれた。皇太子殿下もご無事だ」

「……そっか」

 

 ガイウスから手渡されたユイの小さな体躯を受け取り、そっと抱いた。ユイはエマとセリーヌから霊力を分け与えられ、傷も癒えており、今は静かな寝息を立てている。深い安堵を噛み締めながら、アヤは周囲の様子を窺った。

 気を失う前とは打って変わって、緋色は消えていた。広々とした半球状の空間があり、ローエングリン城を思わせる古めいた城内には、脅威らしい脅威が見当たらない。ガイウスの傍にはマキアスとエリオット、フィーの姿もある。そして三十アージュ程度離れた位置に―――

 

「―――え?」

 

 アヤは目を凝らして、一人一人を確認した。アルティナと呼ばれていた黒衣の少女。クレア・リーヴェルト。ユーシスの兄、ルーファス・アルバレア。ミリアム・オライオン。レクター・アランドール。鉄血の子供達と称される集団の中で、ルーファスだけがひどく浮いて映ってしまう。

 しかしそれ以上の不自然が、輪の中心に立っている。足元には、腹這いの体勢で拘束されたカイエン公。見下しながら微笑をするその姿に、アヤはレクターの言葉を思い出していた。

 

 ―――だからオッサンも案外、しぶとく生き残ってるのかもしれないぜ。

 

 真に受けてはいなかった。死んだ人間は生き返らない。大衆の眼前で急所を撃たれては、捻じ曲げようのない現実しか残されない。アヤはガイウスらの顔を代わる代わる見詰めて、首を横に振りながら問い始める。

 

「何……なに、あれ。ねえフィー、エリオット。ま、マキアス?」

「落ち着きたまえ、アヤ君。僕らにも、分からないんだ」

「だ、だって、どうし……て…………」

 

 次第に声が尻すぼみになり、消えていく。アヤの視線が、一点に注がれる。立ち上がり、覚束ない足取りで歩き始める。死んだ人間は生き返らない。己の独白が、頭の中で鳴り響く。

 黒と赤色の円の上に、残る《Ⅶ組》の皆がいた。誰もアヤと視線を合わせようとしない。近付くに連れて、血が円状に広がっているのだと気付く。地べたに座るリィンは、身体を震わせて何者かを抱いていた。

 

 なぜ。

 なぜそんなに、泣いているの。

 ねえリィン。答えてよ。私には、分からないよ。

 どうして貴方は、取り返しの付かないことをしてしまったように、泣いているの?

 

「あっ……ああ、あああぁぁ、ああぁ?」

 

 深過ぎる絶望感に苛まれて、膝が折れる。凝固しかかっていた血が足に纏わり付き、嘆きの声が木霊をする。アヤは口を半開きにしたまま、リィンの肩を揺すった。繰り返し揺らしても、リィンは顔を上げない。指に力が込められて、漸くリィンは鮮血に染まった手を、己の肩を揺らす手に重ねた。アヤの手も、赤く染まった。

 

「最期に、言っていたよ。ただひたすらに……直向きに、真っ直ぐに前だけを見て、歩いていけって」

 

 歯がかちかちと鳴り、途方も無い肌寒さを感じる。アヤは額に巻かれた黒色のバンダナと銀髪を見詰めていた。直視ができなかった。血の気が失せて微動だにしない顔は穏やかで、表情が場違いな程に穏やか過ぎて、両目が拒絶する。眼球が転がりそうで、眼孔が痛んだ。

 

「それと、殴ってやれなくて、ごめんなって。アヤに、そう言っていた」

 

 リィンが言うと、何かがプツンと音を立てて、切れた。アヤはクロウの襟元を掴んでいた。強引に亡骸をリィンから引き剥がし、右拳を振り上げる。リィンが咄嗟にアヤの腕を押さえて、制止する。

 

「やめてくれ」

「離して、リィン」

「遅かったんだ。何もかも」

「離してって言ってるでしょ」

「俺だ。全部、俺のせいだ」

「っ…………うあああぁぁああ!!!」

 

 やがてアヤの拳がリィンの頬を打ち、鈍い音が鳴り響く。支えを失ったクロウの身体が、真っ赤な池にビチャリと落ちる。血の匂いが鼻孔を突いて、視界のあらゆる物が霞み、暗くなっていく。

 

「う、ううぅ、うううぅうう、あああぁああ」

 

 泥濘の中で、思い出を漁った。思い起こす度に、幾多の耀く一枚画が砕け散り、ばらばらの破片となって散らばっていく。鋭利な破片は胸に突き刺さり、痛みが走る。偽物なら痛くない。偽りの皮を被った本物だったから、痛い。どうしようもなく、痛かった。

 アヤは己を問い質す。何がいけなかったのだろう。何処で間違えたのだろう。誰のせいで彼は死んだ。誰が彼を殺した。真っ只中に、遠方から重々しい声が聞こえた。

 

「ルーファス、一週間で後始末をしたまえ。終わり次第、クロスベル制圧を任せる」

「っ……!!」

 

 迸る感情の激流に、アヤは胃液を吐き散らした。全ての照明が一斉に落とされたかのように暗闇が訪れ、見えないし聞こえない。何も考えられない。

 やがて様々な感情がひとつの姿を形取り、沸々と湧き上がる。殺意すら抱いた。アヤは顔を上げて、ギリアス・オズボーンを睨み付けた。オズボーンは先んじて駆け出していたリィンにより胸倉を掴まれ、ぐらぐらと揺すられていた。

 

「どうして……!!」

 

 脇目も振らずに、アヤはリィンに続いた。行き場を失った想いの数々を滾らせながら、リィンの手から解放されたオズボーンの前に立つ。最低限の礼儀と共に、アヤは真正面から叩き付ける。

 

「宰相閣下。ご指示を撤回して頂けますか」

「ふむ。何のことかね」

「クロスベルの制圧です。もう充分に血は流れました。これ以上の犠牲を、私は望みません」

 

 アヤが言うと、オズボーンは眉間に皺を寄せて、皮肉な笑みを浮かべる。

 

「国外資産の凍結、ガレリア要塞の消滅をはじめとする、数々の愚行……我々は属州の過ちを正し、秩序を取り戻さねばならん。だが君はその撤回を申し出ている。理解しかねるな」

「よくもそんなっ……貴方は知っている筈です。クロイス家の思惑を、結社の真意も!分かっている上で、何故クロスベルの制圧に踏み切るのですか。納得のいくご説明を願います」

「ならば君が先にしたまえ」

「え?」

「皆の者に、納得のいく説明をすればよかろう」

 

 オズボーンの言葉に、アヤは周囲を見渡した。クレアは顔を下げて、レクターは明後日の方角を見て口笛を鳴らしている。振り返ると、複数の困惑が浮かんでいた。サラでさえもが、視線を逸らしてしまっている。ある程度の真実を明かしていると言えど、説きようが無かった。

 

「で、ですがだからと言って、制圧だなんて」

「そう。本来クロスベルの制圧は叶わなかったのだ。絶対不可侵の力と結界に遮られて、な」

「あ……」

「だがその二つの消滅へ大いに貢献した、獣の聖女と呼ばれる少女がいたと聞いている……君の働きは称賛に値する。感謝申し上げよう、アヤ・ウォーゼル君?」

 

 オズボーンは教会神父のように、憐れむように微笑をして、アヤを見下ろした。

 

「ち、違います。私はそんなつもりじゃ……っ」

「滑稽だな。成り行きと盲目の正義に囚われ、何も見えていない」

「違う、違う!私は、正しいと思えたから、だから」

「だから何だね。事の是非は結果論で語りたまえ。青臭くて敵わん」

「いや……イヤだよ。クロスベルは、生まれ故郷で。く、クロスベルは―――」

「そのクロスベルは、消える。消えるのだよ。ジュライのようにな」

 

 視界が暗転して、再び膝が折れる。この二ヶ月間の全てを否定されて、真っ黒に染まる。

 反論の余地が無かった。アヤはぼそぼそと何かを呟きながら、己の両手を見詰めた。

 

「そん……な」

 

 私は今まで何をしていたのだろう。帝国と生まれ故郷の間で行ったり来たりをして、何をした。青臭い説教を周囲へ垂れ流しては、双方に正義の何たるかを問い質す。行き当たりばったりの信念。揺れ続ける心。架け橋になれると信じて疑わず、暗部から目を逸らして、己を正当化する。

 

「ルーファス、予定を繰り上げる。一週間以内にクロスベルを制圧したまえ」

「……御意に」

 

 大切な物を取り戻したかった。護りたかっただけなのに、手は鮮血に塗れている。死別の悲しみに明け暮れる暇も無く、いずれ生まれ故郷も淘汰される。結局私は、踊らされていただけだ。駒のひとつに過ぎなかった。私一人にできることなんて、初めから―――

 

「立ちなさい、アヤ」

 

 女性の声だった。唯一の肉親の声は、冷め切っていたアヤの胸に明かりを灯すように、優しかった。

 

「……お姉、ちゃん?」

 

 キリカ・ロウランの姿に、オズボーンを除く全員が不意を突かれ、呆気に取られていた。まるで初めからその場に立っていたかのように振る舞うキリカを、誰も認識してはいなかった。とりわけ数日前まで彼女と行動を共にしていたレクターは、前触れ無く現れたキリカを見詰めながら、感嘆の声を上げていた。

 

「おいおい、マジかよ。本当に来ちまいやがった。肝っ玉が据わった姉さんだな」

 

 キリカはレクターに応じる素振りを見せず、真っ直ぐにアヤの下へ歩を進める。今にも泣き出してしまいそうな表情のアヤに手を差し伸べて、温かな笑みを向ける。それでも尚、アヤの腰は上がらない。

 

「言った筈よ、迷ってはいけないとね。こんな所で項垂れていても、何も始まらないでしょう」

「私……でも、もう分からなくて」

「大丈夫。貴女はひとつも間違ってなんかいないわ。まだ終わってはいないの」

「そこまでにして貰おうか」

 

 オズボーンがキリカの声を遮り、右手を上げる。それを合図にして、組織の枠組みを超えた直属の部下達が、一斉にキリカとアヤを取り囲む。レクターとルーファスは剣の切っ先を、クレアの導力銃が頭部へと向けられ、アルティナ、そしてミリアムも戸惑いを浮かべつつ、退路を阻む。キリカは首を傾げて言った。

 

「随分と手厚い歓迎ですね、オズボーン宰相。入国申請書の提示が必要ですか?」

「それには及ばない。だがその者にはまだ用件がある」

「そうはいきません。アヤというイレギュラーを掌握したいお気持ちは察せますが、そもそもが無理なお話です。彼女は決して屈しません」

「私も多忙の身だ。戯れ言を聞いている暇は無い」

「手駒に欲しいだけでしょう。貴方の盤上に、アヤは存在していない」

 

 白を切るオズボーンを余所に、アヤがキリカの手を取り、恐る恐る立ち上がる。キリカはアヤを背後から抱き、耳元で小声を漏らす。

 

「これ以上を、私は言えない。だからせめて、見守らせて」

「お姉ちゃん……」

「それと……ごめんなさい」

「え?」

「アヤがどうあれ、私は貴女の味方よ。信じて、アヤ」

 

 まるで理解に及ばない会話は、この際問題ではない。アヤはクロウが残した言葉を思い出す。ただひたすらに、直向きに真っ直ぐに前だけを見て、歩くとして。もし仮にこの二ヶ月間が、間違いではなかったとするのなら。

 原点は、支える籠手に込められた意志を全うした、母親譲りの剣。自分以外の為に剣を振るいたかった。両親から継いだ力を、愛する者の為に使いたかった。己が身を汚し切り、せめてこの手が届く誰かを、何かを護りたい。

 できることは、まだ残っている。私にしかできない、私だけの力。私だけの道。

 

「私は……ずっと、逃げていたんだと思う。10月28日から、私はずっと欲張りだった」

 

 キリカから離れて踵を返し、仲間を想う。大切な一人一人の顔を見詰めて、都度微笑みを向ける。同じ表情が返ってくる。笑えば笑うだけ、皆が笑う。

 皆で知らない扉を開いて、知らない今日を生きながら、私達は歩いてきた。七耀歴が生まれて、1204回目の春。ライノの花が咲き乱れる季節から始まった思い出は、思い出として残ってくれる。それだけで、充分だ。

 

「ありがとう、みんな」

 

 目には見えないけれど。

 微かな希望かもしれないけれど。

 もう、会えないかもしれないけれど。

 私達は、約束を交わす。ねえ、みんな―――クロウ。

 

「ユイ」

 

 自然と胸元に手が伸びて、深い絆で結ばれた聖獣の名を口にした。

 ユイが神狼へ変貌すると同時に、サラがパチンと指を鳴らし、乾いた音が合図となる。《Ⅶ組》総員がそれぞれの得物を構え、ユイに気圧された鉄血の子らの間に割って入る。一瞬の内に膠着状態へと陥り、尚も不敵に笑うオズボーンが腕を組んで、輪の中心にいたサラとリィンに言った。

 

「遊撃士、リィン。何の真似だ」

「無礼千万は承知の上、教員免許剥奪上等。全ての責は私が背負います。どうぞご勝手に」

「最低限の義理は、いずれ果たします。だが俺達は《Ⅶ組》だ。貴方が俺の何であれ、俺はっ……俺達はトールズ士官学院特科クラス《Ⅶ組》だ。それだけは、変わらない」

 

 リィンの言葉を胸に刻み、アヤがユイの背に飛び移る。アヤに促され、キリカも。姉妹を乗せたユイの頭上には、アガートラムが空けた大穴がぽっかりと浮かんでいた。

 ひと度外へ出れば、もう後には戻れない。二ヶ月前に経験した別れとは、決定的に異なる別離。振り返ることができなかった。一握りの迷いが全てを台無しにしてしまう気がして、アヤは頭上だけを見詰めていた。

 

「待っているからな」

 

 しかし遮断した筈の聴覚が、最愛の声を拾い上げる。聞き違えようのない声。堰を切ったように大粒が溢れ出て、アヤはキリカの胸の中で、慟哭した。

 

「何ヶ月、何年掛かってもいい。ノルドで君を待っている。だから―――」

 

 飛翔音で、声が掻き消される。蒼き聖獣が帝都上空を駆け、東を目指して飛び立っていく。

 

 

 ひとつの物語が、幕を閉じる。遥か遠くの世界での出来事であったかのように、別れは唐突に訪れる。けれど、人生は続いていく。たとえばらばらの方角を向いていても、前に進む足を止めさえしなければ、いつかきっと交わる時はやって来る。

 だからどうか、その日まで。ただひたすらに直向きに、真っ直ぐに前だけを見て、歩いていこう。風と女神の、お導きを―――アヤ・ウォーゼル。

 

 

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